はてなキーワード: サピエンスとは
識者の見解は逆
グーグルのAIが「知性をもっている」という主張を巡る騒動は、さまざまな課題とリスクを浮き彫りにした
https://wired.jp/article/lamda-artificial-intelligence-sentience/
研究者のジェイソン・エドワード・ルイスとノエラニ・アリスタ、アーチャー・ペチャウィス、スザンヌ・カイトは、AIの倫理に関して先住民の哲学から得られた知見に基づいていくつかの視点を整理し、わたしたちと機械との関係性を考察した論文を公開している。そして性差別主義者や、たいていは女性的にコーディングされたバーチャルアシスタントに対して暴言を吐くような一部の人々が習慣的にやっているような何か本当に恐ろしいことを、わたしたちが機械でモデル化していないか、またはそのようにふるまっていないか問いただしている。
カイトはこの論文の自分が担当した章で、ラコタ族の存在論を引き合いに出し、誰が(あるいは何が)敬意を払うべき「存在」であるかということを分ける境界線を決めるのは、サピエンス(知恵)ではないことを認識することが不可欠であると主張している。
これは、すでに論じたAIの倫理的ジレンマの裏返しである。わたしたちがチャットボットを親友のように扱えば、企業はわたしたちを食い物できる。だが、敬意を払うに値しない空っぽの存在として扱うことも、同じくらい非常に危険なことなのだ。
テクノロジーに対する搾取的なアプローチは、わたしたちの互いに対する、そして自然環境に対する搾取的なアプローチを単に強化するだけになる可能性がある。非常に人間らしく見せかけることで、実際の人間に対する残酷さに慣れてしまわないように、人間のようなチャットボットやバーチャルアシスタントには敬意が払われるべきなのだ。
東浩紀が指摘しているようサピエンス全史やホモデウスで言われれいる諸々の問題を人類は解決したと思いこんでた
映画、アベンジャーズエンドゲームでは何か問題があってもグローバリズムでなんとかなるみたいな文脈は数年で過ぎ去った
でもでも間違いなく彼らの本心はずれていてそれがSNSで分解されてしまっている
それだけでない、親の世代と違って死ぬ可能性、底辺に落ちる可能性が増えた
だけど今とこれからを大切にして生きていきたい
でも少なくとも帰り道を少し変えてみるだけでもちがうんじゃないかなと
自分人身にいい気聞かせている、楽しく生きようって
終わりは思ったタイミングでは多分起きない
我々サピエンスの歴史には少なくとも過去数千年にわたる偉人・有名人に関する膨大な情報の蓄積があり、それは人間ひとりの創作力では質・量ともに到底太刀打ちできないレベルのネタの宝庫である。
しかも権利フリーで無料と来れば、この便利なアセットを利用しない手はないな!
おい、本当にそれでいいのか?
アマチュアならともかく、プロのクリエイターが出来合いの無料アセットを未加工で自作品に登場させるか?
「織田信長です」とか「宮本武蔵です」とか「シモヘイヘです」とか名乗るそのキャラクターたち、RPGツクールで作ったゲーム画面が安っぽいのと同じように、情報として安っぽいぞ。
「いや、名前が同じなだけの別人だし……」
たしかに歴史上の実在人物と同じ名を持つそのキャラクターは、名前以外はまるっきり別人だ。
でもそれならなぜ、新しいキャラクターとして新しい名前を与えてあげないのか?