はてなキーワード: サイン本とは
「結婚しても恋してる」とかいうクソ自己顕示欲まみれな本を出した
漫画では足長小顔イケメン愛妻家のように描かれているが実際は胴長顔デカずんぐりむっくり
一人息子がいる現妻の家に転がり込んで結婚した
カツセマサヒコや5歳と仲良しアピールをしているが仲間に入れてもらえないぼっち
他人の不幸に大喜び
最近はTwitterでバズったネタを丸パクリして自分の子供に同じことをやらせた(赤ちゃんの腕がちぎりパンに見える云々)
ハリネズミを3匹飼い始めたが3匹いっしょに写っている写真はなく、ストレス耐性の低いハリネズミを頻繁に外へ連れ出して撮影、ハリネズミの写真集出版予定
Web小説なぁ。ラノベ、買ってますよ。pixivとかで知ってる、好きなイラストレーターが書いてるのは。読まないけど。挿絵を見るだけ。
カクヨム、小説家になろう、なんだけど、絵がないじゃん。まず読む気にならない。ああいうWeb小説は、読んでる奴がますます読むためのツールであって、読まない奴が読むエントランスにならねーよ。どう考えてもpixivで絵がある小説のほうがまだ読む気になるんだけど。
プロが書いてるのはわかるけど、絵がないじゃん。絵がないラノベなんて価値ないじゃん。絵がつけられるWeb上で公開されているのに絵がないのも理解できない。頭大丈夫? 大勢のオトナが仕事でやってるんだろうけどさ、大本のところで全然わかってないじゃん。絵がないのに読むわけないから。絵があるからページをめくってるだけなんだよ、読んでないけど。絵がほしいから電子書籍は意味ないんだよね。その大人は気づいてるのか知らんけどさ。どうして絵がないのに売れる、絵がある本と同じ値段で売れると思ってんの? 絵がないんだったら買うわけないじゃん。あ、でも、ゼロ円でもいらない。読まないから。
有川浩がさ「サイン本を作って売る」みたいなニュースがあったけど、そんなんいらないから。イラストレーターのサインならすぐ買うけど。本を作ってる人たち、わかってないよ、ぜんぜん、文字、文章に価値なんてないから。絵だよ、絵。ほしくなる絵をつけてね。買うから。
岡山の山間よりの町で暮らしている。オタク暮らしもずいぶん楽になった。わたしはまんが・ラノベを好み、地上波アニメを見るくらいなので、インターネットでほとんどことたりる。
「ことたりる」とは「関東近辺と差がない」という意味だ。購買活動やらアニメをみるだけならもうほとんど差はないように思う(サイン本は望むべくもないが)。しかしイベントとなると大阪に来るのを祈るしかない。そしてまずありえない。ツイッターの普及いこうなのだと体感しているのだが、ちょっとしたオンリーイベントが異常に増えた。20スペース、500人くらいのイベント。それってもう用がない人にはまったく無用のチョーブツなんだけど、沼の住人にはそこに行って深呼吸したいくらい望んでやまない約束の地だ。先週も東京で私の在住する村(沼)のイベントがあった。当然大枚はたいて上京し、それはそれは楽しい時間を過ごした。本当に頭がしびれるくらい楽しかったし、指先まで血が通ったし、目にうつる景色が天然色だった。普段は2C。
だから地方自治体は地域振興策として東京までの交通費を補助してほしい。季節に1回でいいから出してほしい。それだけのことでこの行き場のない、変りのない、盛り上がりのない、色のない、興味の持てない、先細るだけの地方都市、生まれ育った町で暮らそうと思える。東京に行きたいだけで暮らしたいわけじゃないんだ。ただ東京までの往復交通費だけで関東圏で暮らせてしまえる事実が耐えられないんだ。別に東京が好きなわけでも、岡山が嫌いなわけでもない。偶に東京に行きたいのを効率化するために関東で暮らしたいだけなんだ。わけのわからん○○センターとか職業訓練所とか作る金で何人が東京に行って帰ってくるだろう。帰ってくるんだからいいじゃないか。
「もうセリエAは見たくない。見ることに疲れたし、肝臓も壊した。おまけに会社も辞めることにしました」
そう語るAさん(40代)は、元人気セリエAの戦術ブロガーだ。かつては毎日録画した試合観戦をし、
年間500回見たことも。そしてセリエA戦術オタクの間でも一目置かれていた存在だった。
しかし、あることをきっかけに精神的不調に陥り、うつ病と診断され、現在は務めていたIT系の会社を
休職中だという。
「会社の飲み会の席で『AさんってセリエAの戦術に詳しいんですよね』と女の子たちに聞かれて、
僕のおすすめを教えてあげたんです。最近のトレンド、新進気鋭の戦術家の人柄、コスパの良い観戦方法など様々な側面を
考慮して、女子向けのいい試合をです。また90年代からのセリエAの戦術のニューウェーブ系の歴史も
わかりやすく教えてあげた。知り合いのサッカー評論家だから僕の紹介だと言えばサイン本ぐらいオマケして
くれるんじゃないかとも言いました」
Aさんにそんな話を聞いてきたのは会社の20代の女性社員3人だった。だが翌日、会社の
ランチルームに入ろうとした時、彼女たちがAさんの話をしていたという。
「酷いことを言っていたんですよ。『セリエAの戦術ぐらいであんなに得意になれるって終わってる』
『彼女もいないし、戦術と結婚したんじゃないの』『息が3バックとカテナチオの臭いがする』なんて。
その場には僕の後輩の男性社員たちもいたみたいで、みんな笑っていた。その日は会社を早退して、
家に帰ったらめまいがして」(Aさん)
電話取材を行っていると、この話をしているうちにAさんは嗚咽をもらしはじめた。現地観戦も
全スタジアム制覇するなどセリエAに尽くし、恋愛、友人、仕事(休日の出勤も戦術分析のために断っていた)
「セリエAは結局、僕になにも与えてくれなかったんです」
元ネタ:増えるうつ病ラーメンブロガー 「ラーメンと人間関係に疲れた」 http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20131029/Mogumogunews_601.html
どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。
日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。
アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。
YouTube ではきらびやかなトレーラームービーを見ることができ、
一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。
Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。
村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。
これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。
彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、
毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである。
といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。
村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。
「基本的には同じなんだ」と彼は言う。
「少年が少女に出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」
筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙で人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。
青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。
そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。
チェコスロバキアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。
「渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。
運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。
高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。
本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。
青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。
「見かけにだまされないように」と彼は言う。
降りていけば、彼女にとっての世界は根底から変わってしまうかもしれない、と。
そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女が遅刻した約束というのは暗殺の約束であったことが明らかになる)。
そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。
彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。
この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然的ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、
私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。
この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。
一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。
その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説『1Q84』であるように思われる。
怒り、暴力、惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、
偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、
ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。
驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。
そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいつものようにそれを受け流し、
自分の想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。
「リトル・ピープルは突然やってきた」という。
僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事」
明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、
覚えていられたことはない、という。
目覚めたときには消えている、と。
ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹の小説のような繰り返す悪夢だったという。
その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。
食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。
2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。
運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。
私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。
カーステレオではブルース・スプリングスティーンがカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。
車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。
実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである。
「彼女は用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。
「だから多分このあたりのはずだ」
と言ってこちらを向いて念を押すように
「それは現実じゃないけれど」
と付け加えた。
それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。
キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。
村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、
「それは現実じゃないけれど」と言った。
日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上の東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。
村上の東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。
客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓にもっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。
また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトンの2001年のアルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入りの東京ジョギングルートをゆっくりと走った。
私のホテルは新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要な役割を果たす、交通機関のハブ的な場所だ。
登場人物たちが好んで使う集合場所、中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。
そしてフレンチトーストとタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。
そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。
実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、
登場人物が聞いた音楽のプレイリストをオンラインでまとめている読者もいる。
村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社が西日本への『海辺のカフカ』旅行を企画したこと、
ポーランドの翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行のガイドブックを編集していることを教えてくれた。
村上は読者から彼が生み出したものを現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。
たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。
ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。
『1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字の家族から、村上は便りを受け取ったという。
ここでの要点と言えるのは、現実に漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、
村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。
作家活動の初期には、「日本人という呪い」から逃れようとしているとさえ語った。
その代わり、十代の若者として、西洋の小説家の作品を貪ることによって、文学の感受性を培った。
その中にはヨーロッパの古典(ドストエフスキー、スタンダール、ディケンズ)もあったが、
彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀のアメリカのある種の作家たち、
レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルド、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガットなどだ。
処女作に取りかかったとき、村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。
そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。
今朝妄想してみました。
■場所
都内で1000人程度のイベントスペース(埋まらないと思うのですが飲食など考えると広めがいい)
飲食可でプロジェクターつかえるところ
電気がふんだんに使えるところ
■入場料
本を買ってもらうこと前提にする、もしくはうどんチャージ500円~1000円。
■メイン会場
・部長と仲間たちや、ついったー著名人とトーク w/UST中継
・冷食詰め合わせ抽選会。頑張るのはもちろん2号さん
■物販会場
・ふるカトのレシピから単価が安く簡単に量産できるもので、うどん振る舞い。ついでにふるカトPR
・冷食も売る。試食ありがいいな。
・ヘビーユーザーのために、スーパーでは買えない、ほどほどの大きさの業務用も売ってみる
・魔法の言葉「置いて」をお願いしやすくするための、一般向け冷食カタログの配布
・ステッカーもついでに販売もしくは配布
・もちろん本も。
新書は、とりあえず規模(店舗面積)の大きいところだろうけど・・・。
古本は、まんだらけは中野しか行った事無いけど、普通の本に関しては、そこそこあるけど、そこらのブックオフの
大型店と比べても特に充実してるという訳でも無い気がする。そんな頻繁に行く訳じゃないから、商品の回転が早いだけで
頻繁に見てれば、どうかは断言出来ないけど。(ブックオフでも駅前の大型店とか同じような傾向があるから・・・。)
プレミア本とか、1冊何万円もするようなコミックとかサイン本とかならともかくだけど。
そうでなかったら、ブックオフとか、街の小さな古本屋、地図片手に片っ端から廻った方が掘り出し物や、面白い物が