「ゴッホ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ゴッホとは

2023-04-29

anond:20230429101249

ワイは芸術としてみてるから時代性とか瞬間的なプロセスを重視しちゃうんすよね

ゴッホひまわり見て絵ヘタとかいわへんやん?

anond:20230429100927

流石に絵柄が古すぎて見るのキッツって思ったけど 真逆のこと思う人もいるんだなって思った

2023-04-23

言うほど都心育ちって見識広いか

これまで生きてきて、一度も(literally!)「スゲ〜!とてつもない教養だあ!えっ、東京育ちィ?!なるほどォ〜ッ!!!道理で賢く思慮深く、海のように深い見識をお持ちってワケだあ!参った参った、降参でござ〜い!!!!」という気持ちになったことがない

 

東京および東京人に対して持ったことがある感情

コイツら、インターネット見てんの東京人だけだと思ってる?

この街臭えな

マジで東京弁で喋ってて面白い

 

東京人だから幼少期から映画博物館美術館などに親しみまくっていて、文化度が高い って事実、ないだろ

東京人、ただただ内輪ネタローカル地名をなんの留保もなくバンバン出して盛り上がってる、キショい地元最高ヤンキー ってイメージしかありませんよ

だいたい、行かねえだろ美術館なんてよ あってもさ

というか、行ったところで、人間性に深みが出るか?っつうと、出ないですよ

はいちばん立派なとこで言うとメトロポリタン美術館に行ったことがあるけど、覚えてるのは、すげーデカ19世紀風?のベッドがあって、そのベッドには登るためのはしごみたいなものがついていたってことだけだ なんじゃこりゃ、すげえな、と思ってそれでおしまい

人格形成になんの影響もねえ たぶん小学生ときに見てても同じだった

ゴッホの絵とか、メトロポリタンミュージアムの歌に出てくる「大好きな絵」とかも見たけど、まあ〜別に何も感じねえっすよ

名画見ても何も感じねえな、ということが分かっただけだ 強いて言うなら

てか、今なんかすげーじゃんネットがさあ YouTubeとかちょっと見るだけで、劇的な映像がもう目白押しっすよ

俺は九州のド田舎に住んでいますが、Reddit毎日アメリカインドマレーシアチリコロンビア中国南アフリカ共和国、そういうところで起きたえげつねえ事故とかケンカとか暴動動画だったり、あるいは心温まるファミリービデオだったり、奇妙な生き物の興味深い映像、奇妙な生き物の興味深い映像っぽい感じに作られたCGフェイ映像、そのようなものガンガン見まくっています

現実美術館行ってよくわかんねー絵みてよくわかんねーなと思うのと、どっちが劇的かっていうと、これは正直認めたくないところもあるんだが、まあredditだろう

からもう関係ねえんだってマジで

東京って臭いだけの街なんだよホント

九州のド田舎で、5万で3LDKしかも3件のスーパーマーケットに徒歩5分くらいに行けるうえ、ワンフロア貸切で沈む夕日を見られるベランダまでついた謎の物件に住んで、日中インターネットを見て夕方は夕日を見るっつう暮らしを送るっていうのは、非文明かい

そうでもなかろう!ってことだ

かかってこいよ都心育ち 銃なんか捨ててさあ!

2023-04-09

anond:20230409221912

またぞろ「はてな民」貶すだけが目的のやつかとおもってワイの中にゴッホパイセンが宿ってしもたんや

すまんやで

2023-04-01

zte nubia z50 ultraは近年まれな傑作だ。まずsocが傑作。8 gen 2の出来がそもそも良い。それでいて約7.6万円で、最新世代の画面下カメラで、ベゼルもかなり細い。この細さは今までmi mix系の高級機くらいでしか見なかったレベル。で特別版はゴッホの星月夜をモチーフにした背面になってるワケ。一方xiaomiはどうだろう?解像度もさる事ながらuiも好きだ。それでスペックだけ見るとsocがなんかちょっと良くは無い。cpuはもはや、acer

Anond AI作成

一方Xiaomiからイルカ製だけど急にふわっふわになったな。あとアルファベット強制文字化される。

2023-03-20

anond:20230320163847

俺にもわからないが評価する人がいるか評価された

ゴッホピカソも俺にはわからん。だがすごいらしい。そういうこと

anond:20230320130534

この頃のでき事

3月2日 - キヤノンが「EOS650」を発売。同じ日には旭光学工業が「ペンタックスSFX」を発売。

3月3日 - 日立製作所が全自動洗濯機静御前」を発売。

3月3日 - 武田薬品工業が「アリナミンV-DRINK」を発売。アリナミンシリーズでは初の栄養ドリンク

3月5日 - 岩手靖国訴訟で、盛岡地裁首相靖国公式参拝合憲判決

3月9日 - トヨタ自動車東京電力などの出資日本移動通信IDO設立現在KDDI前身)。

3月13日 - 中国残留孤児の定期訪日調査終了。

3月14日 - 日本南極商業捕鯨終了。

3月17日 - 朝日麦酒日本初の辛口ビールアサヒスーパードライ」を発売。

3月18日 - 神戸市営地下鉄西神・山手線学園都市駅 - 西神中央駅間が開業し全通。

3月18日 - 舞鶴若狭自動車道丹南篠山口IC - 福知山IC間が開通(舞鶴若狭自動車道では最初の開通区間)。

3月21日 - 中曽根内閣佐藤内閣吉田内閣に次ぐ戦後3位の長期政権へ。

3月22日 - アップルコンピュータが「Macintosh II」と「Macintosh SE」を発表。

3月23日 - 予讃線高松駅 - 坂出駅多度津駅 - 観音寺駅間、土讃線多度津駅 - 琴平駅間が電化四国では初の電化)。

3月28日 - シャープがパーソナルワークステーションX68000」を発売。

3月30日 - 安田火災ゴッホの「ひまわり」を53億円で落札する。

3月31日 - 三井物産マニラ支店長誘拐事件被害者フィリピンケソン誘拐から137日ぶりに釈放される。

3月31日 - 吉本興業劇場なんば花月大阪市南区。現中央区)が閉館、4月から近隣に新築したなんばグランド花月にその役割を譲る。 http://kansou-review.com/maisonikkoku-comic-155/

2023-03-13

anond:20230313181645

価格が膨らむのは投機云々そのとおり

そこには何の反論もない

俺が言いたいのは価値がないもの人為的価値付与することはできないし、

瞬間的にバブルが発生しても持続しない、なぜなら内在的価値がないから、ということ

これは信仰と言ってもらって構わない。これを信じてないと物作りなんてできないのだから

もちろんゴッホの例を出すまでもなく、内在的価値があるから必ず価値が認められるとは限らない

anond:20230313173252

そうだね

ゴッホ浮世絵が好きだった

しかゴッホに近づいた日本帰りの Edmund Walpole Brooke と付き合うようになったのが運の尽き

ほどなく自殺し、本来は絵に価値があるのだが、物語があるからあとあとまで取りざたされている

から日本の某保険会社が「ひまわり」を持っているのかなって

anond:20230313175458

お前は物事抽象化して捉えることを地頭がいいと考えてるようだが、

抽象化する過程で切り捨てたことの方が重要なんじゃないですか?

少なくともピカソゴッホのようにアートを作ってる側にとっては。

てことが言いたいだけだわ俺は

作ってる側やアートに興味がある人間にとっては外国人にとっての天皇より

ピカソのようがよほど理解やす対象だろう

アートは常に外部の価値観を取り入れようとしてきたのだから

ピカソの絵には多くの人にとって理解やす価値があり、それが歴史的経緯を辿って数十億にまで膨らんだということだ

理解やす価値」には当然、キャッチー一見子供落書きのように見える、ということも含まれ

「アホやろ」と思ってしまうこと自体ピカソの術中にはまっているといえる

anond:20230313173252

日本銀行券日本国人為的に作ったもんだって話をしてんだが

ピカソの絵の価値自然発生じゃなくてピカソが作ったんだろーが

自らの手で快楽という価値を創出できると信じてなければ誰もアートなんて作らないよ

世のアーティスト馬鹿にしてんのか?って話だ

お前にとっては理解できない信仰なのかもしれんが、モノを作ってる側は信仰を持ってる人間

モノの価値経済だけで語るから本質を見誤る

ゴッホの話も定型パターン過ぎて真面目に答える気にもならんが

お前が想定してるような単純な話じゃないんだよ

完璧な複製画どうこうもほんとにしょーもない

anond:20230313000219

でもそういうところから世界的に有名な作家でてなくね?

頑張って一生懸命調べたら出てくるとかじゃなくて

ピカソゴッホみたいな誰でも知ってる系

ロクな実績ないのに盛り上がってる自分たちバカみたいだと思わないの?

普通の人ってそれに気づく感性というか客観性があると思う

相当特殊人種だな。

2023-02-26

anond:20230226050141

ふーんおもしろいじゃん。

俺が思うに、提言1~3は本来全部、いらねえよな。

方策

そもそも深海誠風などと個人名をいれるAI創作はすでに30条4の例外にあたってるんだから著作権侵害で訴えるぞ」をかたっぱしからやりゃいいんじゃねえかな。

たとえば命令にくみこみやすキャラ名はアニメ会社とか著作権者が。

写真肖像権者あるいは役者組合が。

それぞれ、AI合成のスクリプト文にいれることを全面禁止(やったら訴える、あるいは権利継続中のタグのものを削除させる。「ピカソ」「ゴッホ」とか「自然派」は権利がきれているので、残して偽ひまわりでもなんでもつくりまくればいい)すればいい。

方策

すべての著作権条約加盟国からdanbooluなどの違法サイト接続制限はかけるべき(漫画村ですでにやったとこだよね)。

方策

エロは当然児童ポルノ法リベンジポルノ法・青少年育成条例でどこのSNSにも出せないね(いままでどおりだね)。

方策

やっぱり印刷物クオリティネットでころがってる画像解像度と色域の壁で隔てられてて、おもちゃと精密製品くらいの差がある。

商業作品サンプルをネットに転がすときは派手に透かし・サインを入れることを徹底すれば

学習側も「透かしをはずす」→「解像度をあげる」→つかいものにならねえ…でいいんじゃねえかな。

  

クリエイターからみて『思想感情を「表現」したもの著作権だ。AIのものには感情なんかないはずだ。』そうおもったからこのわけのわからん提言3がでたんだろう。

しかAIを利用することによって思想感情表現することはたとえばVtuberが毎日のようにやってることだ、AIがもといたオジサン画像を生き生きとした萌絵に変換してくれてる。

また人間盗作という形で思想感情表現してしまう人がいる(cf CDジャケット盗作炎上事件)。

その盗作思想感情表現されてるどうかが裁判で争われたことはない(著作権侵害は、侵害サレも侵害スルも両方著作ブツでないとそもそもなりたたない議論なのだ

(※ワイナリー看板事件のような情報メインの絵では、さすがに思想感情がないか著作権侵害がないと判決されているが、AIを利用して出力したいのはエモいなのだ

 

一応、今のところはAIを経由したこと人間がみればわかるものが多く、SNS投稿SF雑誌でも「質が悪いAI作品投稿してくんなバーカ」とはいっているが、

稚拙(指六本w)ながら読もうとすれば読める程度の思想感情は出てきているからこそ、クリエイター経済的に脅威を感じているわけだ。

提言3の「・」以下のは悪手というか、「画像AI生成物においては、すべて又は大部分が画像AI生成物である制作物を著作権保護対象とせず、創作寄与が明確に認められるもののみ保護対象とすること。」はおまえらの使ってる作画ツールだってそろそろAI学習ずみのが混じってんだろ、それを利用しないほうがバカじゃねーのとしか

あとAI画像じゃなくてすでに出回りまくってる「いらすとやさん」「chatGPT」みたいなののほうが実は脅威度が高いんじゃねえかな。

 

※かといって政府提言もうけつけずなにもしなくていい…ともおもわない。

CD収録曲ユーチューブにでたらレコード会社申請により消してくれるのに、画像がdanbooluにのってもだれも消せよとはたらきかけられないのは、著作権管理団体が存在しないからだ。

電子同人仲介サイト違法アップロードに目を光らせているというところもあるが、pixivツイッターは一枚イラスト代理で訴えることはしていない。

 

消防車を誰も呼んでいないのである

2023-02-18

この世には2種類のゴリラがいる

ウッホウッホ鳴くゴリラと、ゴッホゴッホ鳴くゴリラだ。

でも本当のゴリラはそんな目立って鳴かないらしい。

彼らに嘘の鳴き声を付与し愉しむ人間の業には呆れるが、それはゴリラへの畏敬の発露なのかも知れない。

2023-02-17

美しい文章

美しい文章とはなにか?と結論はあるのだろうか。

例えばAI学習させてゴッホの画風で何かを描かせるのはできる。

でも三島由紀夫文章学習させて何か小説を書かせて「これは三島由紀夫文章だ」と納得させることができるんだろうか。

2023-02-14

ゴッホが好き?ゴッホの墓前にスマホとか備えたりするの?

ゴッホiPhone(鬼に金棒の意)

2023-01-18

盲目の人はどれが有名な絵かは分かるけど、作品自体オーラ微塵も見えてないよ

有名な絵は他の絵と比べて

美術館のいい場所に置かれている

②飾られ方に気を使ってもらっている

③鑑賞している人が多い

という特徴がある。

から盲目の人が博物館に行って有名な絵の前で立ち止まって「これちょっと違うな」と感じるのは全然不思議じゃない。

それは目に見える人には分からない絵の要素が見えているからではなく、むしろ「絵というもの微塵も感じておらず、その絵に対して周囲がどういうリアクションを取るかしか感じとってない」からなんだよね。

「奴らはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」の究極系みたいなもん。

ソレに対して「盲目の人にも絵の凄さって伝わるんですねえ……」とか言ってる人はただの馬鹿

誰もいない空間ガラス越しに全く同じ起き方をされたら、片方が子供落書きで片方がゴッホだろうが全然違いを感じ取れないよ。


じゃあそういう人が美術館に行くのは無駄かって言うと、それはちょっと違うと思ってる。

絵は見れないけど、絵を人間がどう扱うかは感じ取ることができてるんだから

ある種の人間観察として十二分なコンテンツ力はあると思う。

まあ物自体は見れないわけだから障害者割引を込で考えれば行っても良いぐらいの感じにはなっちゃうかもだが。

たとえば「有名な絵のために用意された特別な配置」に対しては目が見えない人の方がおそらくより敏感で、それがやってくるよりも手前から「なんか流れが違うな」と分かると思う。

そうして少しずつ空気や人の流れが変わっていくのを肌で味わうのは、ある種の「オーラ体験する」という錯覚さえ起こすと思う。

誰かが他のものに影響されている様子ってのは十二分にコンテンツになっていて、たとえば「激ムズゲームホラー映画初体験する人からしか取れない栄養」なんてのはまさにソレ。

人が特定の状況からどういったリアクションを起こすかは結構人気のジャンルとさえ言える。

目が見えてない人からすれば、足音の量や脚の止め方が他とは違う空間存在するというのは、中々に印象深いものがあると思う。

それを「オーラが見えているんだろう」って雑な解像度の低さで終わらせるのは、人をコンテンツとして消費する能力が貧しいなって俺は感じちゃうね。

2023-01-09

ゴッホって精神病んどるとか孤独とか言われとるけどワイより友人とか兄弟とか話できる人多そう

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん