はてなキーワード: コンクールとは
作者のバレエ漫画をいくつか読んだけどどれもハッピーエンドにはなってないね バレエ未経験の自分からするとそれがリアルに感じられたけど(リアリティについては経験者に語ってもらうしかないが)
はたから見ればバレエって、自然な成長に抗って軽やかな少女の体を維持しなければ踊れない理不尽で不健康な芸事に見える きれいな姿勢を身体に覚えさせるためにやってますみたいなエクササイズ感覚でやってる子はまた違うんだろうけどローザンヌバレエコンクールを目指すような子は食事制限当たり前で第二次性徴に怯えて育つんじゃないの?偏見かな?
第二部のあの子はクミちゃんで確定 児童ポルノ界隈で外国人の富豪に才能を見出されて買われた、みたいな裏事情を自分は勝手に読み取った
クミちゃんは何より好きなバレエで才能を発揮できてるから、それまでの不遇も物語的にはチャラになるかんじなのかなと 主人公の篠原妹が世界トップレベルのバレリーナとしてではなく、コレオグラファーとして成功しそうだという話の筋もダンサーの禁欲的生活からは少し距離を置いたかんじで読者としては安心して読めたきがする(実際のコレオグラファーの生活はしらんけど)何が言いたいかって言うとバレエ未経験の自分からすると最高に説得力を感じる漫画だって事
テレプシコーラは踊りを司る女神の名前で、「舞姫テレプシコーラ」はバレエ漫画である
ハンタのネフェルピトーの念能力の名前は、タイミング的には女神からではなく漫画から取ってると思われる
この漫画は現代日本のバレエ事情をよく描いていて面白いのだが、「バレエ漫画だよ」といって他人にオススメするには無駄に鬱展開が多い
一方で篠原妹の同級生・空美(クミ)ちゃんはろくにレオタードもシューズも買えないどころか風呂もなかなか入れない極貧限界家庭のブス
そんな空美ちゃんだが、伯母は元有名バレリーナで厳しく指導されてきたためバレエ技能は篠原姉妹を優に超える
伯母はバレエキチガイであり、飯が食えなくてもとにかく踊れという人間
「不遇な環境にあり軽んじられてる者が実はTUEEE」自体はありふれたプロット
でもそこで「空美ちゃんは親に売られてたびたび児童ポルノ撮影させられ、無職の家族を養ってる」という展開をブチ込んでくる
サッカー漫画や野球漫画でユニフォーム買えない貧乏少年が児童ポルノとかなかなかないだろ????
ポルノの世界は撮影者が被写体を誉めに誉めてお姫様扱いだからそれがクセになるみたいなのを聞いたりするが
空美ちゃんは「ブス入ってたほうが生々しくて受けるけど流石にブスすぎる」とか無茶苦茶に罵られながら撮られる
空美ちゃんはバレエの天才であることを認められ費用を免除された上で活躍したりするも、一家で夜逃げし、転校届けも転居届もどこにも出されず消息不明になる
空美ちゃんはその後再登場とかしない マジでどこでなにやってるのか不明 なんだよこれ
第二部に、経歴が怪しげで謎に包まれた美女バレリーナが登場し、見た目は空美と似ても似つかないが踊り方が空美の特徴そのものであり「空美が整形し出自を偽った姿」ではないかという疑惑を読者に抱かせる
結局その答え合わせはなく消化不良のままで終わる
どうも作者はドロドロしたものを混じえつつ書いていこうと構想していたようだが、ちゃんと取材したりするうちに気が変わってドロドロ部分を放り投げたんじゃないか
おっとりマイペースな妹と違い、自分に厳しく鍛錬し勉強もできて中学受験では進学校にも行く
空美ちゃんという、それまでどこかの教室に所属していたわけでもないのに自分を超える能力を持つライバルの出現に燃えて張り合い、スポ根する
日常生活を送れる程度にはすぐに治ったものの、バレエをやる上では以前のように踊れず違和感があって上手くやれない
おっかなびっくり稽古をするうちに再負傷、治療中に二次性徴を迎え、体のバランスが大きく変わる中で踊れないのはバレリーナにとって命取り
篠原姉は踊れないうちは体が育たないようにと食事をこっそり捨てるなど病んだ行動を取り始める
生活はできるがバレエには苦労という微妙な問題を国内で対処できる医者がおらず、海外のバレエに詳しい名医に見てもらおうという案が浮上
篠原家は小金持ちだが大金持ちではなく、借金しようかとか祖父母の家を売ろうかという話になる
国内で数回手術したのも苦痛だった篠原姉は、元に戻れる保証もないのに親に多大な負担を与えてまで渡航して手術するのを嫌がった
勉強はできるので、バレエをすっぱり諦めてアスリートを助けられるような医者を目指したいと母に言う
しかし母は「それは逃げじゃないか、もう少し頑張ってほしい」と返す
篠原姉は学校からの帰り道に、タワマンに入っていく人を見かけ、ふらっと追従してオートロックを抜け、屋上から飛び降りて自殺してしまった
自殺までさせなくていいだろ
なんだこれ
スラムダンクの三井がバスケできないからって自殺するようなもんだ
篠原妹はバレエを続けていくが、周囲の天才であった姉も空美も消えていき、その他の子も勉強に専念とか美容体重キープを求められて摂食障害になったなどで辞めていく
「ねぇ、きもちいい?」
泉はいたずらな笑みを浮かべながら、僕の股間をさすってくる。きもちよくないわけないじゃないか。だけど、ここで認めてしまえば、僕は泉に逆らえなくなる。僕は泉の手をそっとどかして泉の顔を見つめた。
「それはどうかな」
精一杯抵抗した。泉は詰まらなさそうな顔をしてぷいっと拗ねてしまったようだ。僕はちょっと笑ったあと、泉の前に移動して、強引にキスをした。
「ん・・・!」
泉はびっくりしたようだ。僕は泉の唇に舌を入れた。泉は僕の舌を受け入れて、僕の舌と絡み合った。僕は泉の胸を揉みながら、泉の舌を吸い上げた。
泉の腕から力が抜けていくのがわかった。僕はそっと右手の中指を、泉のスカートの中に入れてみた。泉のパンティ越しに泉の秘部が濡れているのがわかった。泉は興奮している。僕は泉の秘部を指でなぞった。
「あ・・・」
泉は甘い声を出した。
泉は僕の手をそっとどかして、僕の顔を見つめた。泉は僕の顔を見つめながら、僕のズボンのベルトを外して、僕のズボンを下ろした。そして僕の股間のあれをじっと見つめて咥えてゆっくりスライドさせた―。
―
「だめだ!」
エロ小説家を目指すゆうたは、ここまで書きあげてきた原稿をくしゃくしゃと丸めた。次のコンクールまであと2週間。しかしゆうたは、まったくアイデアが浮かばない。ゆうたは、原稿を丸めたまま、机の上に置いて、机から立ち上がった。ゆうたは、部屋を出て、全裸でオナニーをし始めた。
「うう!!」
ゆうたはホテルの廊下に射精した。しかしそこには多くの人がいたのだった。ゆうたは恥ずかしくなって、すぐに部屋に戻った。ゆうたは、部屋に戻ると、すぐにシャワーを浴びた。ゆうたは、シャワーを浴びたあと、部屋のベッドに横になった。ゆうたは、ベッドの上で、原稿を書き始めた。先ほど起きた自らの体験を―
続き
(さらに続く)
小学6年生の時、6年間の集大成?としてなんでも好きなものを作っていいという課題があった。
6年間の冬に保護者を呼んで展示してみてもらうための作品作りだった。
私は当時どハマリしていた架空の生き物の育成ゲームをベースに自分の考えた島と大好きな架空のペットを紙粘土で作りたいと思い、母にこういった理由でこれを作りたいので紙粘土を買って欲しいとお願いした。
母はゲームをベースにするのはいいけど、紙粘土ではなく、フェルト等でペットの日々を絵本みたいなのを作るなら材料を買ってあげると言われ、渋々それにした。
元々、学校で完成させられなくて宿題になったり、夏休みの自由課題の〇〇の絵コンクールみたいなものは、私の考えたテーマは却下され、下絵も却下され、色塗りも朝から晩まで怒られながらやって、何度も作ったものを壊され破られやり直しさせられて来たので、自分が考えたテーマが通るだけでもまだマシかと思った。
なんだかんだで作品は完成した。自分の考えた島を紙粘土で作りたかったが、どうしても!という程のこだわりも無かったので、完成したフェルト絵本はそれはそれで良かった。作るのも楽しかったし。
多目的室に並べられた。作品は紙粘土で作った物や紙粘土+αで作った物が多く、高さもあるので、フェルト絵本は地味だった。
家に帰ってから、作品について感想をきいたら、「他の人の作品見て思ったけどあんたああいうのが作りたかったんだね。ごめんね。」
とだけ言われた。
自分の作りたいものを作りたい!と駄々をこねるフェーズは小2あたりで過ぎているし小6の最後になってなぜ今になって謝るのが訳が分からなかった。今も分からない。
特に嫌な思い出として残っている訳では無いが、母を悲しませてしまったけれども悲しませてしまった理由がわからないという意味でなんだかずっと忘れられない。
歌が一番わかり易いのだが、音に込める感情の起伏や細やかさといった表現のレベルと、音程や発声といった技術のレベルは正比例していることが多い。
これはまあ当たり前で、表現を突き詰めるために高度な技法があるわけだし、表現の高みを目指すモチベーションこそが、実力を高める原動力になるのだから。
したがって技法の身につけ方も、まず最初に「あるべき理想」を思い、恋い焦がれ、それを実現するために技術を身に着けていく。
音程の正確さだったら、そのフレーズの理想を思い描き、そこにマッチする音をはめ込んでいくことで正確さを実現するわけだ。
そのときの練習の意識は「自分の出したい音のために、ちゃんと音符がハマらないと気が済まない。だから頑張る」という感じ。
そしてこれは歌に限らず楽器もそうで、一番の好例はエレキギターやベースギターだろう。
音程の精緻さという観点で見ると荒削りではあるんだけど、でも圧倒される音/痺れる音を実現するのに十分ハマった音程なわけで。
しかし、このアプローチが全く当てはまらない楽器も世の中に存在するのだ。
その最たるものがヴァイオリンで、次点は吹奏楽の、特にコンクール偏重な環境で管楽器を学んだ人達かな。
どういうことかというと、
「そんな微妙過ぎる表現で、音程だけがそこまで正確に合うはずないんだけどな…」
と感じる演奏が極端に多いのだ。
ちなみに微妙というのは大味or貧弱だけでなく、指導されるがまま演奏してるのが見え見えな、悪い意味で指導者の劣化コピー的なわざとらしい表現も含む。
これは、「表現よりも先に正確さだ!」という方針で、そもそも表現とは?音楽とは?みたいな話を学習者が理解できないうちに、指導者から一方的に芸を仕込まれた結果である。
具体的には、フレーズの中の音譜を1個ずつ取り上げては「高い」「低い」あるいは「フォルテ!フォルテ!」という具合だ。
こういう、学習者の自発的な音楽へのモチベを引き出さないどころかガン無視するような指導は、習う方からしたら苦痛でしかない。
そして上達するために必須の条件というか適性が、この練習の苦痛に耐えることになってしまう。
この時点で多数の脱落者が出ることは確定である。
脱落しなかったとしても、表現と技法がアンバランスな、「普通の下手」よりも聴くに耐えない演奏をする、雑魚奏者を量産する可能性が高い。
音楽を習うのに、音楽を後回しにするんだから当然の結果だろう。
しかも、あるべき表現というセンスの涵養を後回しにしてしまう結果、何かの曲の演奏を完成させるにも試行錯誤の回数だけが桁違いに。
(逆にどう表現したいかが先に定まっていれば、そのために必要な試行そのものはシンプルなのだ。)
この傾向は曲が難しくなればなるほど加速度的に大きくなるため、最終的には百万回さらう体力・精神力が要求されるようになる。
こういう指導で幸せになれる人は、最初から表現のモチベーションに燃えに燃え、あるいは練習の早い段階でモチベに火が付き、それを最後まで絶やさず続けられた人だけである。
飲み込みが早い/要領がいいのも必要条件ではあるが、それだけだと「自分のやりたいことはコレジャナイ」という思いを秘めたたまプロとして食うしかないという、これまた苦しい人生が待っている。
というわけで、ごく一部のモチベーション超人かつ強靭な体力気力の持ち主しか、楽しい音楽家人生を送れない構造なのだ。
とはいえ、少なくともヴァイオリンについてはもう少し本人も周囲も幸せになるような育成をして欲しいと思う次第である。
幼少に初めたヴァイオリンで自らの雑魚な演奏に苦しみ、大人になって再入門後に長い年月を経て、ようやく憧れだった結構難しい曲(音大入試レベル)を心底楽しく学んでいる筆者の、ささやかな願いだったり。
私の家庭は家族で旅行に行ったりするし、みんなでゲームをしたりすることもある。もしかしたら恵まれた方なのかもしれない。
だが、最初から私はこの家にいらなかったのかもしれないとよく思ってしまう。
保育園に入った。ピアノを習わせてもらった。コンクール前は特に厳しくて、弾けなければ椅子から引きずり下ろされ説教。ベランダの方に投げられたこともあった。弾けない自分が悪いとか練習が足りなくてごめんなさいでいっぱいになってよく分からなかった。
小学生になった。忘れ物が多い子で親を困らせた。親を困らせた分叩かれた。できない私が悪いからしょうがないし、当たり前だけど痛かった。
中学生になった。長女だから家の用事を頼まれるようになった。洗濯物を干したり、食器を片付けることがうまくできなくて殴られた。特に髪を引っ張ってひきずるのはやめて欲しかった。
高校生になった。親に反発することが増えた。必然的に殴られることも増えた。私が反発したことが原因で学校に遅刻することもあった。
進路のことで親と揉めた時は首を絞められて死ぬんだと思った。そう思ったらなんか進路とか将来とかどうどうでも良くなった。
大学生になった。いまだに家事ができないこと、察しが悪いこと、人の気持ちがわからないことについてよく怒られる。いつも結果的にスマホを持ってることが悪いと言われる。殴られることはほとんど無くなったけど、物をとられたり、言葉が強くなったりするようになった。さすがに外で風俗嬢とキレるのはやめて欲しかった。風俗してないし。
今は就活か、大学院か決めないといけない時期にさしかかってる。形的には私の意思でとなってはいるけど、多分親の意向で決まる。今は何をするにも親のお金だから仕方ない。
確かに、ピアノにも通わせてもらって塾も行かせてもらったことがあって、家族旅行も行かせてもらえる。けど家族の中でやっぱり私がいない方が楽しそうだし何より親が暴力を振らない,汚い言葉を言わないで済む。
どうしたらいいのかわからない。
東京出身のお前らさ、付き合っててつまんねーし、仕事もできねーんだけど。何食ったらそうなんの?特に交渉とか話にならん。地方から来た奴の方が芯があって話も面白いし人間的に魅力的だからチーム仕事も進めるのが上手い。
でもお前らさ、見栄えや経歴だけはキラキラしてるよな。でもインスタでバエバエしてるくせに、電話取るだけでハアハアしてんなよ。こっちは隣でヒヤヒヤだよ。お前らのせいで何度お客様にペコペコしたと思ってんだよ。
あと、お前らの話つまんねぇ。似たような話を何度もすんな。
お前らの話は、例えるならチェーン店の可もなく不可もない味というか、コンビニのような統一感なんだよ。YouTubeのサムネのような類似性、選挙の街宣のような空虚さ、映画の予告編のような予定調和、迷惑メールのような分かりやすさ。そんな話しかしねぇから何も心に響かねえよ。
学歴トーク?留学自慢?大企業勤め?高収入あるある?資産運用だ?伊勢丹でショッピング?韓国に美容旅行?モデルやってた?モデルと付き合ってた?親がどこどこの偉いひと?何だかのコンクールで入賞した?自分、ギフテッドです?フォロワー1万人?知らんがな。全部同じ話にしか聞こえねーよ。まさか話しながら自分が尖った人材だと思ってんの?
いいか、お前らは尖ってなんかいなくて、まんまるなんだよ。競争に揉まれ、効率的に人より優れる方法を叩き込まれ、試験やシステム、整えられたステージでだけ勝てるように最適化された都市型ロボットだ。お前らなんかな、水流に揉まれた岩石が下流で丸くなって見つかるように、ツルツルで、小粒で、手に取りやすいだけなんだよ。ちょっとのヒビも目立つからびくびくして生きてんだろ?厚化粧に脱毛、整形、加工で自分磨きする奴もいれば、ルッキズムみたいなのをでっちあげて他人を引きずり落とそうとする奴もいるよな。お前らみんな生き物としてよわっちいし、生き方はセコイし、生き様はダセーんだよ。だから話もつまんねーし、人も付いていかねーんだよ。
いいか、お前らご自慢の東京の多様性はそんな丸石の寄せ集めだし、そんなのは画一性の見間違いだからな。丸くて灰色の石ころ同士背比べして、まさか自分らがカラフルだと思ってんの?お前らなんか石石混淆だよ。まあ逆に言えば、そんなつまんねぇ場所で病んでるそこの東京人は目を覚ませってんだ。
お前らが相手にするプロ東京人なんてな、都市に適してるだけの、コンクリートジャングル大帝だよ。まっさらな場所に放てばコイキングだかんな。そんな奴らは、ダイバーシティ東京でレインボーブリッジをバックに、仲良く手繋いで一生跳ねてろってんだ。でもたまにいるんだが、赤色ギャラドスに進化して、ポリコレを盾に破壊光線吐き散らかすやつらは、お願いだから線状降水帯の下で雷に撃たれてくれ。
あのな、多様性とかSDGsとかフェミニズムとかを地方相手に偉そうに説くまえに、お前らの居座る快適な高層ビルを建ててくれた、汚くて臭くて危ない思いをしながら低賃金で働く野郎どもに思いを馳せてみろよ。そいつらはお前らの多様性に含めてんのか?あーあ、また東京人が金髪白人と英会話して多様性気取りしてるよ。東京が誇るコンビニで働くベトナム人たちは、安い賃金で使いたい放題してんのにな?そうやって子宮を途上国や地方に外注しなきゃ成り立たないくせに、女性を解放したと思ってんの?SDGsを学ぶべきなのはお前らだろ。
せいぜいアホ東京人どもは、手始めに、てめぇらが高い金払って食べる寿司が、誰がどこの海でどうやって獲られて、どう東京まで運ばれて調理されるか、想像でもしてみろってんだ。文明はお金で買えないんだよ。
まあ無理か。子供時代から東京なんかにいたら想像力乏しくなるよな。どうせ親父はホワイトカラーだろうから、肉体労働の親父の汗臭さすらも知らないんだろうな。外行っても管理されたサンドボックスで遊ぶしかないから、アリを潰し回ったり、バッタを千切ったり、トンボの羽をむしったこともないんだろ?だから痛みなんか学ぶ機会もなければ、生と死も知らないんだ。草を掻き分けて腐葉土を踏みしめることもないまま、カブトムシより先にヘラクロスをサファリボールで捕まえたんだろ?そんな奴に世界の本来の姿は見えねーよ。ARやらVRメガネなんか付けてないで裸眼で世界をよく見てみろよ。
この前、六本木ヒルズレジデンスの公園行ったら驚いたね。地面がふわふわの特殊加工の床材で出来てて転んでも怪我しないようになってるんだわ。そこで防災頭巾みたいにバカデカい日除け帽子被ったお子様たちが銀のスプーンを咥えながら、「バルス、バルス」って遊んでたけど、お前らなんか、どちらかと言えばムスカ側だかんな。さらに言えば、これからそのムスカにもゴミ呼ばわりされるような、バルスなしで始末できるモブどもに育って人混みの一部に消えていくんだわ。
そしていつかそれに気づいて惨めな気分になった奴らから、カラオケで汚ねえダミ声で地上の星を涙目で披露するようになるんだろ?アホか。本当の地上の星を知らない人間にその歌を歌う資格なんかねぇんだよ。お前らみたいな夜空のお星様はな、たとえ六等星でも、中島みゆきのファイト対象外なんだよ。残念ながらアスファルトに落としたお前らの涙で育つ芽はないから、せいぜい東京の夜景に負けないように無理してキラキラしてろよな。
ほんそれなー
ピアノをひくことじたいを趣味にしろってのは本末転倒なんだよねえ
絶対長続きしないわ
おいらは中学生の時に19、ゆず、スピッツをひきたくてアコギさわって基本のメジャーマイナーコードと指すフォーくらいまでおさえられるようになって、
ネットのコードみて適当にそれらに変調したらひけるていどになったしてきとーな耳コピもしたりアルペジオもそこそこできるようになって満足したけどエレキは買ったけど一人で家でやりにくくてほぼやらずにおわっちゃったなー
ピアノは妹がエレクトーンならってたんだけどコンクールでひくようの曲をいえで練習して妹と同じ曲ひけるようになったけどピアノとは勝手ちがったなー
それでもff10の座なる感度やらairの夏影やらふたりやらひきたくて大学生のとき練習してひけるようになったのはうれしかったなー
https://www.youtube.com/watch?v=3yL_Z9ZxUxk
夏の夕方にきいたり引いたりしたらすごくしあわせな気分にひたれる曲だったんだよなー
自己分析してみるとどうしてこんなにも卑屈で負け犬根性が染み付いているのか
思い返すと小中高と進学してて学校の面談で親に増田が落ちるのならこの学校じゃ誰も受かりませんよと教師から豪語されたり他人からなんでも出来ると思われていた
授業受ければそれで内容覚えてたから復習せず部活を夕方から晩までしていてゲームして寝るといった生活をしていた
なんでも出来るとはいえなんでもは出来なかった
人ができることは自分にもできるという心情ではあったが身体操作で習得難度が掛かるものは相応に時間がかかってしまうので取捨選択して出来る事をして過ごしていた
それでいると出来て当たり前という評価しか下されないので褒められる経験が一切無かった
貶されることはあったのに褒められることはなかった
幼稚園の頃絵画のコンクールで賞をもらったこともあったが褒められた覚えがない
これを学生は据え置きで大人価格を8000円以上にしていいと思う。
コンサート価格よりは安めだし大体あれは学生のためのものなので、大人は二の次でいい。
人気校以外は入らないと言うのなら期間限定パスでもつくればいい。生徒から搾取できるグッズでも作ればいい。例えば京セラの空気缶とか。
大体甲子園から移動したくないからっていつまで単純な商売をするのか。
運営の怠慢だ。
京セラでするべき理由は暑さと天気だ。暑さも天気かもしれないが。
とくにこの暑さは異常だ。
甲子園近辺に長く住んでいた。
六甲おろしという言葉があるが、六甲の強風が落ちてきて暴風が吹く。野球に向いてると思えない。このあたりは海風も来る。昔からムシっとした暑さが籠もる地域だ。
高校生の頃、吹奏楽部に入っていた。近場だとして遠方からの出場校の助っ人で甲子園の応援でスタンドで応援したことがある。
吹奏楽部はほぼ試合が見れない。単純に位置もあるし、指揮者や合図、楽器を見なければならないからだ。
そして屋根もない。サポートしてくれる人が一人ずつついてくれるわけもない。
その日は炎天下だった。トランペットやトロンボーンの照り返しは異常だった。目も開けてられない。
金管の楽器は熱を持っておそらく目玉焼きくらいは作れる温度になっていた。体に広範囲触れているユーフォニアムやホルンになると地獄である。
時期もコンクールと被るし最悪なのだ。甲子園のために炎天下走り込みをしてる余裕はない。
甲子園球場を出たところの高架下で気が抜けたのだろう。
複数人が座ると立ち上がれなくなり、無事なもので楽器の片付けをして、帰宅してから倒れたものも居た。
普段炎天下で練習してるから大丈夫だと言うプロ野球選手も居るが、吹奏楽部はそんなことはしてない。走り込みだって涼しいときにする。無理だ。
どうも本気で辞めさせようという動きが無いようだ。
それは顧問同士の関わりだったり、学校長の意向や、精神的体育会系の吹奏楽部という特殊な環境もあるのだろうが、やはり同じ部活生徒として頑張ってる人を応援したい気持ちが、動きを止めているのだと思う。
吹奏楽連盟はこの件に関して声明をだすべきであるし、大人は子どもたちを守るべきだ。経験したからこそわかる。
映像を見るたび恐ろしくて仕方がない。
「この楽器が嫌で嫌でたまらないのに、他に取り柄がないので、仕方なくこの楽器で食っているプロはいっぱいいる」
という話を聞いた。
これについては、自分も驚きではなく「ああやっぱりそうなのか」と納得する話だったり。
実際、自分の見聞きした話でも、名家の箱入り娘として育てられ、子供時代に国内コンクール優勝+国際コンクールの入賞歴あり、
更にその楽器では名門と言われる音大に首席入学し在学中にプロデビューする程の実力があったのに、
「これは私のやりたい事じゃない」ということで、それまでのキャリアをかなぐり捨ててVTuberになり、
なんの恨みか酔狂か知らないが、「私は誰にも似ていない」と言わんばかりの、まさに形無しの酷い演奏を意図的に配信で垂れ流すという、
もはや破れかぶれというか、こじらせたようにしか見えないケースがあるわけで。
でもこういう輩って、自分や先生のように、やりたい事のために頑張るしかなかったタイプからすると、正直張り倒したくなるんだよね。
自分の先生は必死に親に頼み込んでプロ目指す事を許され、でも準備期間の短さという不利な状況から、辛うじて一浪で音大に滑り込むのが精一杯、
完全に劣等生からの出発となり、周囲からのマウントや嘲笑にもめげず頑張り、現在はどうにかプロの平均的実力を体得した人。
自分は自分で、今で言うなら発達性協調運動障害と聴覚情報処理障害に当てはまりそうなハンデを併せ持っており、おおよそ楽器には適性なしと言っていい。
実際経験年数ばっかり食って基礎も覚束ないレベルのまま放置していた所から再出発、最近ようやく音大入試レベルの曲を、楽しみながら学べるくらいになった。
というわけで、どうしたって頭に来るというか、癇に障るのは許して欲しい。
もちろん人の世は様々だし、何なら
「今やっと自分の好きなことができてとても楽しいのに、なんで文句言われなきゃならないの?」
だから自分も先生も文句は言わず「じゃあ勝手にすれば」という感じでお茶を濁すだけ。
しかし、頭で理解は出来ても気持ち的にはとても納得できそうにない。
なんとも苦い話だ。
声が低くてこもってるからアルトパートに振られたけどハモリがうまくできなくて絶対釣られて主旋律歌ってしまって失敗させるからクラスで孤立させられてる、「謝るぐらいなら次からしないようにすれば良くない?」「できてないって事は反省していない」って目立ってる子に指摘されてからそれがみんなの総意になったっぽい。
「本当に申し訳ないと思うならみんな真剣にやってるのに1人のために優勝できなかったら可哀想だからコンクール休めばいいよ」とも言われた。友達は持っても煩わしいだけで不要だから孤立は構わないけど陰口と合唱の練習のたびに集団でボロクソ言われるのが面倒くさくてうざい。全面的に私が悪いんだろうし事実失敗してるから反論する権利ないけど鬱陶しい。教師は目立つ子のグループが好きで贔屓してるから無駄だし親はそもそも取り合ってくれないというか成績しか興味ないから会話してない。出席日数や学校行事への参加が平常点に響くから休むわけにもいかない。口パクはバレたら教師に注意され、便乗して目立つやつも「やる気ない」とかキレるからだるい。目ざとく見つけて「口パクすんな」ってでかい声でチクる金魚のフンもだるい。お前らのために、邪魔にならないようにそうしてやってるのに。
クラス対抗合唱コンクールとかやってなんの意味があるの?学校の中とかいう狭い集まりの中で競って、優勝したところで受験とかで役に立つわけでもないのに授業もしないで歌う事に何時間も浪費してバカみたい。ハモリが歌えたら進学や就職に役立つなら真面目に取り組むけど、やる意味あるかって言ったら確実に時間の無駄なのに必死になって、気持ち悪い。塾行ってるやつもいるくせに揃って自分より勉強が出来ない頭悪いアホ共にいちいち怒られないといけないのもだるい。人生の無駄遣い。
そもそも生涯の中で最低3年しか関わらない人間と団結とか協力とかアホすぎて反吐が出るわ。夏休み終わったら全員死んでてくれないかな。
ここ数年、学生の薬物汚染が酷い。特に大学運動部の大麻汚染が酷い。
そんな薬物問題に悩む学校に対する処方箋として「吹奏楽部の強化」がある。その理由を説明しよう
「薬物 吹奏楽部」でググると分かるが、地元警察と地元学校の吹奏楽部のコラボによる薬物防止キャンペーンが結構行われている。つまり学校の薬物防止活動の旗印を作れるのだ。
強豪吹奏楽部を抱える近畿大学ではラグビー部が薬物汚染されてしまったが、これは警察とのコラボを怠っていたからである。警察とコラボするのが重要だ。
これは言うまでもない。例え地区予選落ちだったとしても、天下の朝日新聞が学校の名を出してくれる。全国大会まで行ければ大々的に扱ってくれる。
試しに「吹奏楽部 大麻」で検索してみよう。すると、トップに「北海道の大麻(おおあさ)高校の吹奏楽部」がヒットするはずだ。過去にはコンクール全国金の経験もある古豪だ。
つまり、大麻までなら大麻高校が検索避けになってくれるので、仮に吹奏楽部員が大麻で警察沙汰になったとしても、その直後はともかく、翌年以降はその事案をなかったことにすることが出来る。覚醒剤まで行くとさすがに無理だが。
吹奏楽部が強い大学はあまり多くない。今こそ、全国の大学は薬物汚染対策として吹奏楽部の強化を図ってみてはどうだろうか。
ブコメで「日大は警察から薬物対策講座を受けていたので意味ない」とあるが、そんなのは今日日そこら辺の小・中・高校でもやっている。高校以下の学校の8割がやっている。https://www.nichiyaku.or.jp/activities/activity/support.html
コラボすることで、講座を聞くだけ(大半の学生は寝てるだろう)という状況から、講座を一緒に演出すると言う立場に変わるのだ。これと「薬物対策講座を受けていた」は同列には語れない。