「コレラ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: コレラとは

2019-08-11

いい加減、豚コレラを「ブタコレラ」って言うのやめなよ

「“トン”コレラ」が正しい。

2019-07-23

自民が良いんじゃなくて、どれもダメだけど一番マシなのはどれかと考えた上で自民なんだよな、私にとっては。

パリ市民の「コレラペストの2つの病気から少しでもマシな方を選んだだけだ」がまさにそれだわって思った。

2019-03-23

豚コレラ」を「ブタコレラ」と言ったら無茶苦茶笑われた

絶対に「キテレツ大百科」のせいだ。おのれ藤子・F・不二雄

 

豚コレラブタコレラ菌では無く豚コレラウイルスにより発症するらしい。ブタコレラ菌豚コレラではなくサルモネラ症を引き起こすらしい。全くどうかしてる。

2019-02-08

今さっき知ったんだけど「ぶたコレラ」じゃなくて「とんコレラ」って言うのか!

ずっと間違えてたわ

2018-09-14

アニメタイトルで「コレカラ」と書かれているのを「コレラ」と見間違えて、なんで唐突コレラになるんや……と思った。

2018-07-19

anond:20180719131521

トイレ

いやマジでインドアフリカではトイレとか下水道とかの未整備でコレラなどの伝染病蔓延してたくさんの人が死んでるんだって

ユニセフ募金するときも「あなたの100円で水の浄化タブレットが○個、下痢を防ぐための薬が○個買えます」みたいなの聞いたことあるでしょ

2018-02-24

anond:20180224120756

おめでとうおめでとう!

ところで増田神社が5箇所も実際にあるらしいよ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE

増田神社ますだじんじゃ)は、日本各地にある神社

増田神社 (名取市) - 宮城県名取市鎮座

 普通に地区から命名。

 http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010290

増田神社 (桑名市) - 三重県桑名市鎮座。国の重要無形民俗文化財伊勢大神楽奉納される

 神楽が有名っぽい。

 https://mainichi.jp/articles/20171225/k00/00m/040/030000c

増田神社 (高松市) - 香川県高松市鎮座。讃岐国史跡調査して『三代物語』にまとめた増田家の鎮守神

 写真見てびっくりした。これが神社ってアリなのか…

 https://wanikawa.com/jinnjya/takamatu/245_79masu/79masu.html

増田神社 (唐津市) - 佐賀県唐津市鎮座。殉職した増田太郎巡査を祀る。殉職警察官を祀る唯一の神社

 明治時代警察官で、警察官なりたてほやほやでコレラ防疫の任務につき、デスマのあげく本人も感染して亡くなった模様…

 過重労働ネタ増田でもよく盛り上がるし、謎の親近感が。

 なかなかファンキー山車を曳くお祭りもある模様。

 佐賀県警察本部-増田神社例大祭 https://www.police.pref.saga.jp/annai/ongakutai/_1690/_2395.html

増田神社 (中種子町) - 鹿児島県熊毛郡中種子町鎮座

 普通に地区から命名。

 http://www.kagojinjacho.or.jp/search/kumage/nakatane/post-898.html

2017-07-10

https://anond.hatelabo.jp/20170710115758

じゃあろくな医学知識ないためにコレラ大量死したのは幸福だったっていうのか

江戸人間なんて栄養いか風邪死ぬなんて珍しくもなかったんだぞ

明日風邪死ぬと言われてもお前は変革は不幸で俺の死は幸福だと納得できるのか?

本心から変革が不幸だと思ってもないくせに適当なことをいうな

例え無学無知だとしても現実として襲ってくる不幸に対処できない以上は幸福ではない

江戸時代人間が病にかかったら神頼みか諦めの境地で

どちらも凄まじいストレスがさせてる逃避行動だがそれが幸福か?

2017-05-19

枝吉神陽

枝吉 神陽(えだよし しんよう、文政5年5月24日(1822年7月12日) - 文久2年8月14日(1862年9月8日))は、江戸時代後期の幕末活躍した佐賀藩思想家教育者国学者藩校弘道館教諭外務卿内務大臣を務めた副島種臣実弟本名は経種。贈従四位佐賀の尊皇派の中心的存在

目次 [非表示]

1 経歴

2 影響

3 同時代評価

4 関連項目

5 参考資料

経歴[編集]

佐賀藩藩校弘道館教授であった枝吉南濠種彰の長男として生まれる。幼児期より神童と賞され、20歳の時には江戸の昌平黌に学んでいるが、ほどなく舎長に推されている。また、漢学に偏重した内容に異議を唱え、国学を学ぶことを認めさせた。

早くから儒教朱子学の教えに疑問を抱いており、佐賀藩哲学である葉隠』をも否定したといわれる。

26歳で帰郷してから弘道館教諭や什物方などを務める傍ら、父南濠の唱えた「日本一君論」を受け継ぎ勤王運動を行った。1850年には「義祭同盟」を結成。天皇を中心とした政治体制である律令制などの知識を伝授するなど、藩論を尊王倒幕に向かわせようとしたが藩主鍋島直正を動かすことは出来ず失敗している。なお、この義祭同盟から実弟副島種臣のほか、大隈重信江藤新平大木喬任島義勇明治維新に大きな影響を与えた人材を多数輩出しており、「佐賀吉田松陰」とも言える人物である。また、水戸藤田東湖と「東西の二傑」と並び称された。

1863年、コレラに罹った妻を看病するうち自身罹患し、死去。享年41。墓所佐賀市本庄町の高伝寺。

影響[編集]

神陽は律令制を学ぶことを奨励したが、彼の教えを受けた江藤新平(初代司法卿)や大木喬任(2代司法卿)は法整備活躍した。また、明治政府が当初導入した太政官制副島種臣が起草したものであるが、ここにも神陽の影響がみられている。

2016-06-30

女が男を選別する暴力

身長の男。不細工な男。

コレラに対して、異常な嫌悪感を女は抱くらしい。

これは生理的ものからしょうがないらしい。

  

確かに、思ってるだけならセーフだ。

だが、女は自分を売るためにリア充なり、おっさんに枕なりで媚びる。

すると、女が下す不細工だの低身長だのの評価リアル底辺男の生活を脅かす。

女が上司と恋仲になれば、気持ち悪い男を淘汰させるだろう。気持ち悪い男仕事ができてもだ。

  

学校生活などでは、スクールカースト存在する理由はほぼ女。

女とセックスしたくてエエ格好しいの男が必ずでる。そういうキョロ充みたいなのが、底辺男子を『いじる』時にはいじめる。

女は、だけどリア充文化が無いと自分を売れないから、キョロ充と一緒になる。

  

これって完全に暴力だよなあ。

2016-06-15

[] 猖獗

(ショウケツ)

悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。「コレラ猖獗を極める」

「秋から流行している悪性の感冒は未だ―していた」〈宮本・伸子〉

https://kotobank.jp/word/%E7%8C%96%E7%8D%97-531292

2016-06-07

医者になって感じたこと

医学人類を次のステージへ連れて行っている

 俺は医学部に入る前は医学馬鹿にしていた。所詮基礎研究のほうが強いんだろと。医学なんて老人を長生きさせてるだけじゃないかと。

 ハッキリ言って、親が医者だし儲かるから医学部に入った。

 しかし、医学を学ぶにつれ、「これこそ人類の宝だ」と思うようになった。

 具体的には、高血圧対策のすごさ、ペストコレラエボラ対策なんかのすごさだ。人類の『禍』っていうと中二くさいが、人類が何万年何億年と苦しんできたものを一つ一つつぶしていっている。これはすごい。基礎研究人類が次のステージに行くのと等しい。

 でも、普通医者なんて単なる金儲けだろ?って思うかもしれないが、意外と学会なんかでは普通医者普通に薬やら治療法の効果についての論文だしているし、そういう研究が集まってしっかり人類の礎になってるのが感じ取れる。

 医学ってのは、天才だけのものじゃないってのがハッキリ分かる。優秀な奴らがチーム組んで数で押しまくって人類の禍に挑んでいる。その距離は決して遠くない。普通大学普通医者普通に結果出せるんだってハッキリと理解できた。

 単なるつまらない単純作業と変わらない人種なんかではない。人間として素晴らしい挑戦ができる権利を持っているんだなと感じられた。

 高血圧対策というと、ネタに思うかもしれないが、高血圧対策で減りまくる脳梗塞心筋梗塞の数を見たらビビルよ、いか効果があるか。

 今後は、ガンとか、ipsとかも加わってくるだろう。もうなんていうか、人類が金かけまくって正面から神と勝負してるんだよ。こんな分野なかなかないよ。

 自分人生、クソほども価値もないし、俺は世の中楽しめる能力ねーなと思ってたけど。自分人生を少しだけ生きようと思えるようになれた。

  

患者さんは患者さんらしくなるもんだ。

 患者さんを人間的に扱うことが大事だぞ!と親から教えられて育てられた。

 患者さんへ高級ホテル並みのサービスをすることってのは今後医者に求められるだろうし、地域医療需要に柔軟に対応した医者としての身の振りが大事だと考えていた。

 しかし、実際に注射なり点滴なり、問診なりすると、患者さんは人間的な振る舞いよりは患者的な振る舞いになる。

 そりゃまあそうなんだよね。だって警察に呼び止められて職質されたら、普段人格じゃなくて、職質されてる人の人格になるよね。

 そういう感じなんだなあと思った。

 俺は医療慣れしてるから、点滴痛かったらちょっと人間的に思っちゃうなー、なんで患者さん怒らないのかなーって最初は思ってたけどさ。

 これ本当に意外。でも、長期的に付き合えば一部の人はやっぱり人間的な反応するし、普通の人も後で冷静になって人間的な感情持つだろうし、やっぱサービス大事だね。

  

③いろんな人がいるもんだ。

 普通ではナカナカ知りえない側面から人間を知ることになるから。へー人間ってこんな感じなんだなーって驚くことも多い。

 生理周期や、病気についてなんて、友達でも話しないわけで。なぜその病気になったかの経緯を聞くと、「そういう風に考えたりするもんですかー」と面白い

 自分の知ってる物事も、他人から解釈すればこういうこともあるんだなーという驚きがある。

 ラーメン屋の人はラーメン屋からみた客を解釈するだろうが、医者ほど深いとは思えない。

 医者って、合法的に触れちゃいけない部分までその人を知るんだよなあと。

  

人間を体で解釈するようになった

 この人の血管はきれいだな。とか、MRIとかでこの人の内臓のつき方はなかなかアートだなとか。普通では見れない部分でその人の美醜を解釈するようになった。

 俺は昔いじめられたから、どーしても他人が好きになれないんだけど。それでも美人イケメンにはやっぱりリア充押しされて負けてしまう。それが悔しかったんだけど。

 イケメンに見えても、MRIが汚いとか。美人に見えても医学的筋力弱いとか。そういう欠点を見つけてやっぱり嫌いだなーと思えるようになった。

 他人と話しているときも、相手欠点を思い浮かべて冷静に話できるようになった。

 弱いのは俺だけじゃない。皆どこかしら弱いんだ。単に俺の弱いところが他人から指摘されやすいところだっただけで、他人も俺も奇形なんだ。そう思えるようになった。

2016-04-22

男性生理の辛さをわかってもらうために全ての男性コレラとか潰瘍性大腸炎にでもかかってもらうのがいいんじゃないだろうか。

2015-12-29

自分がオッサンであることに耐えられない

ダメだ。

外見パッとしないし、イマイチな見てくれをネタにするヲタトークもできないし、リア充にも非リアにも転べない。

彼女? いないよ。

童貞? そうだよ。

オッサン? もちろんだよ。

タイで性転換する時間とカネはないし、ノンホル女装できる顔と体格じゃないし、ホルモン投与の辛さには耐えられないだろうし、もうオッサン一択しかない。正月受精レベルの怒りを老父母にぶつけようと思う。

女がダメなら魅力的な男。……素敵なオジサマ。そう、それだよ。無理だよ。

外交的性格とか、センスとか、言葉遣いとか、地頭の良さとか、先天的、あるいは自分では選べない環境に大きく依存する因子ばかりじゃないか。

ヒンドゥー教改宗しよう。来世に期待しよう。菩提寺にある墓は無縁墓に合祀。年明けからクライマックスだ。

でも、私はお腹弱いんだよな。ガンジス川沐浴したら間違いなくコレラ死ぬよ。カルマ落とす前に命落とすよ。

やっぱ魔法少女しかないか(大晦日有明で私と握手!)

2015-09-09

東京オリンピックロゴ制作プロセスがどうのこうの言ってるけど

ビチグソができあがるまでのプロセスが、

ストレスだろうが、食中毒だろうが、コレラだろうが、

ビチグソであることに変わりがねーから

2015-05-30

夏目漱石わずか12年で文豪上り詰めた

夏目漱石って、作品を発表していた期間が実はあっという間の短期間だったと聞いて目ウロコ。

 初作『吾輩は猫である』を書いたのが37歳、未完作『明暗』を書きながら死んだのが49歳。

 わずか12年間も活動で、千円札の表紙に上り詰める文豪地位を獲得。

 てっきり、20~25年は活動してるイメージがあったのだが。

★「夏目漱石わずか12年間の活動文豪の座まで上り詰めた」ということは、

 60歳で定年退職して、『小説家になりたい、という若い頃の夢を果たしたい』というシニアが遅咲きデビューしても、

 72歳まで活動すれば文豪になり得る、という夢のある話な訳です。

夏目漱石クラス知的リテラシーを持ってる人って、明治時代だと日本で数万人程度だったんだろうが、

 現代日本では数百万人程度はいるだろう。

 つまり「その気になれば、60歳で夏目漱石デビューできる潜在可能性がある人」が、日本では数百万人はいる訳だ

夏目漱石時代との最大の相違点は『平均余命』だろうな。

 明治維新当時、日本人平均寿命わずか37歳だったらしい。

 (さすがに明治末期には50歳程度には伸びたとは思うが)

 「明治維新当時の20歳より、今の日本の60歳の方が、平均余命は長い」、ということか。

 現代人の『60歳定年は、第二の人生の始まり』という比喩は、比喩でもなんでもなく、

 明治維新当時から考えれば『成人人生期間より長い』訳です。

★当時は正岡子規のように、文才がありながら早世した文人も多かったからな。

 正岡子規とか、もっと長生きしてたら、夏目漱石とは比較にならないくらいの超文豪になってた可能性もあった訳で。

 その他、文才あったのに20代で結核で死んで、記録にも残ってない文豪タマゴも多数なんだろうな

★逆に考えると、夏目漱石文豪になったのは、

 『当時としては珍しく、12年間の活動期間を得られた位に、長生きできたから』かもしれない。

 夏目漱石より文才があったのに、結核とか種痘とかコレラとかで死んで、文豪に成り損なった文才も多数いたんだろうな。

夏目漱石が、40代になってから続々と作品を発表できるようになったのは、彼自身の文才と49歳まで生き延びた生存力のおかげでもあるが、

 『朝日新聞』という小説発表の場をうまく利用したのが最大の理由じゃないか?

 朝日新聞文豪を産み、職業小説家という職業を産んだ

2013-12-25

南スーダン弾薬提供について調べてみた

http://togetter.com/li/606929

これを読んで、なんでアメリカは5000発しか予備がないのか不思議に思ったので調べてみた。喫緊に危機が迫っている韓国軍の予備弾が少ないのはもともと戦闘を想定していなかったというのは納得なんだが、しかし2000発程度しか予備がないとの情報もあり、なぜ各国で予備弾数がこんなにも違うのかというのはやはりわからなかった。

で、いろいろ調べてみたんだが、まずPKOでは兵站は一元管理しているようだ。

http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison13.html

 私は、2011(平成23)年9月よりハイチ首都ポルトープランスデルタキャンプにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)軍事部門司令部兵站部において「兵站幕僚」として勤務しています。編成は7名、国籍チリブラジルアメリカヨルダンフィリピンハイチそして日本とバラエティに富んでいますが、これだけ異なる国が揃うと仕事のやり方もそれぞれ異なることは言うまでもありません。兵站部では、具体的にはCOE(派遣国保有装備品)及びUNOE(国連保有装備品)の定期的な現況調査、使用弾薬の管理、国連車両の管理、派遣部隊に対する任務支援(主に輸送任務)、補給品調達及び生活環境の構築・改善等を行っています。2010年10月よりコレラの流行が問題となり、特に生活環境(汚水処理施設やゴミ処理方法)については適時確認、改善させる等、万全の態勢で臨んでいます。私のこの他の任務としては、MINUSTAHと日本隊との連絡幹部的役割を担ったり、本邦とMINUSTAH関連情報のやり取りを実施しています。

これはハイチの例だけれども、多分スーダンでも同じ?

Wikipediaには

その兵站支援の方式としては平和維持軍に参加する一国が担当する一国支援担当方式、相互依存原則に基づき複数の参加国が他国分担方式、地域ごとに担当区域を定めて行う分権方式がある。[13]

とのこと(出典付き)だが、管理方法まではわからない。

と思って調べてたらばっちし兵站部のひとの話があった。

http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison22.html

 兵站幕僚は、UNMISS軍事部門司令部(Force Headquarters(FHQ))兵站部(J4)に配置されています。FHQは司令官(Force Commander(FC))以下約90名(23カ国)から成るUNMISSの中で唯一軍人だけで構成される組織で、兵站所掌するJ4はチーフオーストラリア陸軍中佐)、副チーフオーストラリア海軍少佐)、部員2名(スウェーデン海軍少佐と私)の計4名で構成されています。

 派遣部隊との業務上の関係については、UNMISS派遣された部隊は全てFCの指揮下にありますが、FCが運用権限を有するのは歩兵大隊インド軍、ケニア軍、ルワンダ軍、モンゴル軍、ネパール軍)に対してのみで、支援部隊に区分される派遣施設隊の運用権者はFCではなくミッション支援部長文民)になるため、直接的なつながりはありません。しかしながら同じUNMISSという枠内で活動する自衛官として、日本の現地支援調整所や施設隊とは定期的に情報共有を図っていますし、新規部隊の派遣・展開といった他国部隊の動向に関する情報はFHQに集約されますので、情報収集観点から自衛官をFHQに配置している意義はあると考えます。

というわけで、日本・韓国兵站は独自にやっているもよう。ちなみに兵站はかなり困難な状況のようだ。

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html

さて、それで実際どの程度の武力を持つことができるのかというはなしだが、Wikipediaには

無撃的武力は車両による道路封鎖など、加撃的武力は小火器の使用などが挙げられる。最終的手段としての加撃的武力の行使は自衛戦闘おいてのみ認められている。自衛戦闘とは兵士個人または部隊の一部が危険に陥った場合、対立勢力の一方が平和維持軍を撤退させようとして平和維持部隊の安全危険となる場合、武力で平和維持軍武装解除を行おうとする場合平和維持要員を逮捕・誘拐しようとする場合平和維持軍資産を武力で侵犯した場合がある[12]。

という記述がありかつ、FCの指揮下にいるので、各部隊には予備弾などのルールもあると思われる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20131224-00030921/

これでみると日本は330人位(二個中隊?)、韓国は273名(一個中隊)、アメリカはよくわからん。予備弾1万発を330人で分けると一人あたり30発(弾倉1個分)。どれくらい予備弾を保持するのが可能なのかと推測すると一人あたり弾倉2個くらい?予備でないの含めると弾倉3個が一人あたりの分配なのかなという感じ(自衛隊首都にいてUNMISSも近くにあるので全部渡しちゃったのか?だとすると弾倉2個が持ち分の可能性もある)。とりあえずアメさんが出してきた量からアメさんの人数を想定するとおそらく150人程度(一個中隊)かな。韓国も同じ割合で保持しているとすると、約2万5千発(うち予備約1万6千発)を保持、今回足りないかもで足した分が1万5千発。だいたい予備が二倍になったくらい、かな。

重武装反乱軍部隊1000名(しか戦車もいる)のに、小火器で弾倉五個(下手したら四個)というのはかなりつらそう。まぁ三個しかないよりはマシだが。

~~~追記~~~

色々見てたら自衛隊の予備弾薬8万発、韓国戦闘員は40~50人という情報も出てきた。

しか工兵中隊文民扱い文民指揮下だから戦闘員40人x弾倉2個(60) = 2400発。だいたい整合性が取れる感じ(追記2万発の間違いくさい。たびたびすみません)。これを非常時ということで工兵にも分配したらそりゃ足りないわ。1.5万発は本当にありがたいだろうね、現場の人的には。そしてそれくらい切羽詰まってるってことでもあるような気も…。しか自衛隊の予備弾薬多いな。一人あたり弾倉8個分か。兵站が困難なことが予想されてたから予め多めにおいといたのか。

アメリカ戦闘員しかいないので、自衛隊と比べてはいけなかったな。多分一個師団くらいできてるよなぁ…

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf

一次ソースを読み直してみたら、武器数はちゃんとかいてあった(自衛隊の)。今回の弾薬提供に関係する武器89式小銃と5.56mm機関銃MINIMIなので、計302丁。所持弾薬数8万発の話がほんとだとすると、一丁辺り260発。でもたぶん機関銃が100発ずつ確保するとなると、200発弱ぐらいというところか。弾倉7個程度なので平和維持活動をすると考えるとまぁそんなものなのかなぁ…普通どの程度かがわからない。

なお、10月から自衛隊組織改編して増員(5次要因)している途中で12月末をめどに400人になる予定だったようだ。入れ替えで陸路を通らないといけないということでちょっと多めに予備を持っていたのかもしれませんね。

~~~追記ここまで~~~

しかしこれで反乱軍部隊におそわれて弾薬等を奪われてしまったら危険だなぁ。大丈夫なんだろうか。中立ルールにのっとって大量虐殺を阻止できなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナルワンダのようになってほしくはないが、かといってヒャッハーせんそうだぜぇ!を国連が許すとは思えないし、とっととPKFで介入しろというのが結論の気がする。

なお弾が足りないとか公言したらむしろ危ないだろなどというコメント散見されるが、地理的に近い+UNMISSが関与しているので、閣議決定された時点で弾薬の受け渡しが開始され、それが済んでから発表されたのでは?というか閣議決定される前から動きはじめていたのでは?という感じだなぁ。現場のことはわからないけど。海外ニュースではちょろっと日本が初めて他の国に武器をあげたよっていう話題は出ているが、それほど大きく取り上げられてはいないので、あちらさんには弾が足りないとかい情報殆ど伝わってないだろうし。そもそもガラパゴス日本語韓国語の応酬だからなw

余談だが、弾薬提供は逆に戦闘力があると見做されて攻撃を受ける可能性を作る事になりかねない、ってのを見かけてちょっと笑った。いやいやいや…たしかにPKOで武器をできるだけ持たないのは現地民からの反感をかわないためだが、避難民が狙われている状況ではむしろきちんとした装備を持っていることをアピールしないとまずいですよね。

南スーダン関係のまとめ

なんか申し訳ない感じなので一応まとめておきます。間違ってたら指摘してください。

南スーダン共和国概要外務省ホームページ

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html

もとは1956年独立したスーダン共和国の一部。二回の内戦と一回の紛争の後、2011年南スーダン共和国として独立した。

4世紀頃からキリスト教徒が多い国だったが、その後エジプトの支配が強まり、北のほうからイスラム化、途中エジプト英国領になった影響でそのまま英国領になった。で、19世紀の後半にイスラム教徒が蜂起して乱を起こし、国家を設立。この時に噛んだのが多分フランスで、その後はフランスイギリス代理戦争の場となる。

一応その騒ぎは収まって結局イギリス保護下になったんだが、北側は独立意思が強く、南北で分断して統治をすることになった。これが今も南北で仲が悪い遠因らしい。北は独立するために自治政府をつくり、第一次内戦をへて56年に独立、以後イスラム系が強い国になる。

が、石油南部発見されてしまったため、北部の人たちが無理やり地域区分を変えて利権獲得に奔走したり、イスラム原理主義に走ったので、これに南側の非イスラム系が反発してまたもや内戦勃発。この後はウガンダとかエチオピアとかマリあたりもごたごたしてぐっちゃぐちゃしてるのでようわからんが、とりあえず最終的には2003年イスラム系と非イスラム系の間で紛争がおこり、暫定政府を作ってようやく集結……かとおもいきやナンバー2が事故死してカオスになったりしつつも、2011年にようやく南スーダン独立することに住民投票で決定した。

ほとんどはイスラム系と非イスラム系の戦いではあるが、一部部族間抗争だったり、二回目の紛争の遠因になった油田をどっちの国にいれるかでもめてたりなどするので、単純な宗教対立ではない。南側は地下資源豊富だというのもキーポイントのようだ。どこの国でも同じですね。

で、このスーダン南スーダンは近年落ち着いてるかって言うと、全然そんなことはなくて、未だに国境ラインでもめている。

南スーダンへの自衛隊派遣

スーダン内戦と紛争で荒廃しきっているので、とりあえずインフラ敷設とかやろうというわけでPKO派遣が決まった。決まったと言っても未だごたついている地域なのでそれでいいのか、なんだがまぁやっちまったもんはしょうがない。日本がスーダンへの派遣をきめたのは2008年福田首相の時、実際に派遣が始まったのは2011年7月からなので菅首相とき現場はあんまり乗り気でないムード要出典)だったみたい。

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html

 南スーダンPKOへの自衛隊派遣における最大の障害は、兵站上の困難さである自衛隊の要員や物資は、ケニアのモンバサ港から陸揚げされるが、自衛隊が活動拠点とすることを予定しているジュバは、そこから1900キロの、いわば陸の孤島である陸上輸送ではジュバまで1カ月以上かかり、空輸であれば、大型輸送機ジュバの空港に着陸できないため、隣のウガンダで中型機に積み替える必要があるという。そして、自衛隊南スーダンにおける活動は少なくとも5年は継続される。このような長距離輸送は、今までに経験したことがないと、自衛隊幹部は指摘している。政府は、ジュバ周辺の安全性ばかり議論しているが、真の困難は兵站にある。(図参照) ジュバ周辺の治安不安があるという理由で武器使用基準を見直すなどというのは、後付けかつ極めて的外れである

 政治が、自衛隊派遣政治的目的を明示し、それにかかる軍事的コスト自衛隊ときちんと擦り合わせるというプロセスが、全く十分であったように見えない点が大問題である。本来、それこそがシビリアン・コントロール重要機能である

このように兵站が大変ということは最初から自衛隊幹部は指摘していた。実際現地からの声にあるとおり、雨季は道がつかえずかなり苦労している模様。竣工式などは和やかにおこなわれているみたいなので、ここ数日で急激に情勢が変化したんだろうなぁ。

今回の件の経緯

韓国軍がいたのはボルという街で、ネパール軍とインド軍がその警護にあたっていた。インド軍は医療部隊も持っていたけど、韓国軍工兵中隊なのでPKOでは文民

日本がいるのは首都ジュバで、ルワンダの部隊に警護をしてもらっている。ボルからは真南に15km150km(桁間違えましたすみません高速道路でいけるらしいです)だそうだ。日本がやってるのは道路の整備とかコンテナ住居の設置とか。

で、今月15日に反政府軍クーデター企図、一応未遂にはなってるみたいだが、火花が散れば燃える国なので戦闘が継続している。なんでか特定民族殺戮も行われていると言う話だが、これはどこまでほんとかは微妙

http://www.afpbb.com/articles/-/3005548/12849717

戦闘は、サルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍の部隊と、7月に解任されたリヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領を支持する部隊との間で行われている。

キール大統領は、マシャール前副大統領クーデター企図したと発表したが、一方の同前副大統領は、同国部隊同士の対立を利用してキール大統領が粛清を行ったと主張している。

大量殺人から逃げ出したとする証言者2人は、自分たちがマシャール前副大統領と同じヌエル民族であるために狙われたと話している。一方の殺害行為を行っている兵士らはキール大統領と同じ多数派民族のディンカ人だという。

ボルのそばでもこの戦闘が行われており、インド兵が死亡するほどだった。しかも睨み合っていた政府軍がとつぜん反政府軍寝返りヌエル族の殲滅にうごいているようだ。それでインドネパールはやや退却したんだけど、施設に避難民がきている韓国軍は撤退するにできずとどまっている。難民の数は1万~8万との情報があり、ここに反政府軍雪崩れ込むと大変に危険。今朝の時点ではまだ接触はない、みたいな感じだったが、夕方には迫撃砲基地のそばに着弾したとのことでなんとなく時間の問題な感じがする。

ちなみに反政府軍が狙っているのは避難民なので、韓国軍はがんばればたぶん撤退できないことはない。撤退したらスレブレニツァコースだが。

で、工兵隊の韓国軍は弾数足りない!誰か送って!となったわけですね。

本来ならインドネパールが蹴散らしてくれるはずだったので、装備にそれほど気合入れてなかったのかな。どの程度の武器を所持しているのか調べきれていないのだが、相当の備えをしていても厳しい局面であるとは思う。というかよく避難民残して退却するという選択肢をえらばなかったなというくらいの状況だ。武力行使が起こる前に補給が間に合うか、PKFで介入するほかないのではないかと思われる。

現地の状況(英語多し):http://matome.naver.jp/odai/2138774124472690501

なんかー…

TBとかTBのTBとか一部ブコメとか、なんで韓国と日本のことばっかり言ってるのかわからない。今現在起ころうとしてる民族浄化がどうにかできないかって思わないのかなぁ。なぞだ…

何ごともなく自体が収束すれば、それでよいじゃないですか。なにごとかがもし起こってしまったとしても、それは当事者国の問題でしょう。犠牲者が出たことを悼みはするけど、こちらはせっせと働いて人道的支援のための金を捻出するくらいしかできることはないし、それだけでいいんだと思う。現場の人には無事でいて欲しいし、全部終わったあとに第三国人間がなにをいおうとどうでもいいよ。

2013-11-18

フォースコリー飲んだらウンコ漏らした

ネットフォースコリーにはコレラ毒素と同じ作用点のものが入ってるから危険とか書いてあって、危険って事はその分だけ効果ありそうだと思ってた飲んでみたら、地下鉄ウンコ漏らした。

オナラしようとしたら、ウンコが出た。

あとから調べたら、フォースコリーって下剤みたいな効果あるんだって

2010-08-21

皆さんはホメオパシー起源を誤解しています

これ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/24208162

ブコメがひどいですね。リストに挙げられた故人の名誉のために少しお話をさせていただく必要があるようです。

ホメオパシー電波医者が編み出した電波理論だと思われていますが、それは違います。提唱された当初は、当時の先端医療の延長線上に立てられた有意義な仮説であり、当時の標準医療よりましなものでさえありました。その当時の信奉者は、必ずしもおかしなものを妄信していた非開明的な人物であるとは言えません。

今のように、ベルリンの壁分子0.6個(平均値)しか残らないまでに薄めたものを教室会社に噴霧すれば非コミュのお前らもいじめられなくなるなどというオカルトではなかったのです。(ベルリンウォールのレメディは、人間関係修復、いじめや鬱対策、戦死者やテロ被害者浄霊などに効果があります。)

ホメオパシーワクチン拡張理論

症状を引き起こす物質を薄めて体内に入れることで症状に対抗するという理屈

何かに似ていると思いませんか?

非常に薄めた菌を植えて抵抗力を獲得する、ワクチンですね。

エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功したのは1796年、発表は1798年。それ以前から天然痘の接種は行われていましたが、なにせ病人の膿をそのまま植えるので、結構発病して死にました。薄めて接種することで危険性を下げ、うまく効果だけを得る方式を編み出したのがジェンナーなのですね。

一方ホメオパシーの始祖であるドイツ医師サミュエルハーネマンが類似の法則を初めて世に問うたのは1796年(医学誌にエッセーを発表。これをホメオパシーと名付けたのは1807年?で、体系付けて理論書にまとめるのは1810年)。この時点では薄めることを条件としていないようですが、1800年には希釈したベラドンナを用いた記録が確認できます。

はい。ワクチンとごく初期の同種療法は、同時代の似通った発想なのです。

ハーネマンは希釈という手法をおそらくはワクチン研究から取り入れ、薬草でも同様に毒性を下げて薬効を得られるのではないかと考えたのでしょう。当時の最先端医療勉強し、さらに拡張して薬草の効果にまで敷衍できないかと考えたのではないでしょうか。毒を薄めて薬にする薬草は結構多いですしね。結果的には同種療法の考え方は誤っていたものの、当時おかしくはない着想であり、悪くない医学上の仮説であったと言えます。

ハーネマンはアホではない。真摯な学究の徒でした。砒素中毒に関するまっとうな専門書を書き残してもいます。だからこそ砒素水銀を処方していた当時の医療を嫌って独自の療法に走ったのであり、先端医療から希釈という発想を取り入れる聡明さも持ち合わせていました。

ふと思い付いてキナ皮を飲んでみたらマラリア類似の症状になったことから同種療法を考え付いたという逸話が有名ですが、ここに薄める手続きはありませんよね。そこは他人の先端研究を意欲的に取り入れた部分です。

ホメオパシーがまったく新しいオリジナルの着想だと言いたいホメオパス元ネタを隠蔽したためにここがミッシングリンクになっているのです。もっとも、ハーネマン自身もそうだったのかもしれません。そのまま採用するのが癪で、薄めれば薄めるほど有効などという蛇足を加えたのかもしれません。

同種療法が伝染病に効いた!

同種療法はハーネマンの元でほそぼそと試されていたのですが、これが世間の知るところとなったのは、1800年の猩紅熱の流行です。若草物語で三女のベスが死の淵をさまよう病気ですね。この時、上で述べた通り、希釈したベラドンナを使用しています。

ワクチンまでも開発されたご時世ではありましたが、標準医療としては依然、瀉血と(動物の血の)輸血が行われていました。そんなもん、ぴんぴんしてても死んでまうわ。

のちにナイチンゲールが語った通り、害のある行為よりは意味のない行為の方がましです。なので、同種療法は標準医療より生存率を高めました!

おめでとうございます。最先端医療である同種療法の有効性が確かめられました。

ホメオパシーの零落と再興

かくて華々しい実績を引っさげてデビューした同種療法はやがてホメオパシーと名を変え、1830年代までは標準医療に追われながらも果敢に戦っていたようです。が、1828年頃には、ハーネマンが次々思い付く新理論についていけないホメオパスも現れていました。ホメオパシーはもはやまったく医学上の一仮説ではなくなってしまっており、理論を信じて従ってきた者とどこまでもハーネマンに付く者という形でホメオパス同士の内部抗争が始まりました。

1830年からのコレラ流行で英仏が水際作戦に失敗したため近代医療への不信が高まったことがホメオパシー最後の味方となりました。ハーネマンは若い妻を娶り、パリ社交界に招かれさえもして、幸せ晩年を送ります。

しかし、それが最後の輝き。所詮は誤った仮説であったので、医療の目覚しい進展に伴い取り残されてしまいました。お疲れ様でした。役目を果たし終えた仮説に用はありません。誤謬でしかなかったホメオパシーは、そのままマイナー代替療法の一種に零落していったのでしょう。

ですが、第一次世界大戦戦後の暗い世相の中、ホメオパシーは再び胎動を始めるのでした……。ハーネマンの遺稿(と称するもの)が1920年に刊行されるほどに。

お知らせ

このエントリはあくまで当方の史観を示す読み物です。

2010-05-04

アクション書評 マクニール「疫病と世界史

 1976年刊。米国を代表する歴史学者ウィリアム・マクニールの主著で、その後のグローバルヒストリー研究にも絶大な影響を与えた。ジャレド・ダイアモンドベストセラー「銃・病原菌・鉄」のタネ本の1つとしても知られる。

 本書で中心となるメッセージは、次の1点に集約される。「疫病の流行が、世界史重要な決定要因でありつづけてきたのにそれが無視されてきた」ということ。昔の人類がいかに疫病に苦しめられてきたか、また疫病が歴史上の事件にいかなる影響をあたえてきたか、医学の発達した現在においてはそれらを実感することは難しい。史料の乏しさも手伝って伝統歴史学ではこの重要な要因が無視されてきたことをマクニールは冒頭、痛烈に批判する。数少ない史料を補完するように、彼は一流の歴史家として培った卓抜な想像力を武器に、議論を展開していく。例えばこんな具合に;

インド地域での諸王国はなぜ、なぜいつも外部から簡単に征服され、その征服王朝も短命だったか。その背景には、高温多湿な気候がはらむ高い厄災リスクが、各王朝の国力(人口)を削いできたからではないか。カースト制度も同様に、病原菌に侵された原住民への隔離意識というものがそもそもの発端にあったのではないか(上巻p160)。

欧州文明の中心が地中海世界から北部へと移動していったのは、長い間くりかえされてきたペストの影響が大きい(上巻p209)。西暦634年から、急速に拡大していったイスラム勢力に対して東ローマなど欧州勢が簡単にやられてしまったのも、542年以降に地中海世界に繰り返し起こっていたペストによってかなりの国力をそがれていたのが一因だ。

・その後、欧州でしばらく活動を休止していたペストは、なぜ14世紀になって思い出したように全ヨーロッパで猛威をふるったのか。それは大モンゴル帝国の影響がある。もともとヒマラヤ山脈を本拠地としていたペストは、モンゴルの同地への征服活動の結果中国に広がり、それが交易路に乗って1348年のヨーロッパに到着し大流行した。実際、1331年にペスト中国流行ユーラシア草原部は1346年を軌に人の流れが止まった。その地にいた人が病気ですっかり死んでしまったからだ(下巻4章)。

・16世紀初頭。スペイン人が新大陸アメリカに侵入してきたとき、アメリカ原住民天然痘などに為す術も無く犯され人口は20―25分の1に激減した。これは無理もない。ユーラシアヨーロッパアフリカ間の広大な土地がもたらす生物多様性の中で、繰りかえしの厄災をくぐり抜けてタフになったヨーロッパ人に比べると、アメリカ原住民はただの無垢なヒトにすぎなかった(下巻5章)。

 そして現在天然痘ペストコレラなどの医学対処法が完成し、新大陸アメリカのように無垢な住民が大量に存在する未開拓エリア存在しない。つまり、私たちは数千年の人類文明史上初めて、疫病による大量死のリスクが消滅した時代に生きている。このことはもっと認識されていい一方、気を抜いてもいけないと著者は警告する。マッドサイエンティストたちが、有毒かつ伝播性の高い病原菌を作りだす危険性もあるし、地球温暖化の進行は我々と病原菌とのバランス(均衡)を崩すかもしれない。また今後起こりうる地球生命体との接触は、我々人類に全く新しい疫病をもたらすかもしれないのだ(下巻6章)。

 強く感じさせられるのは、この難解かつ前人未到だったテーマに果敢に挑んだ著者の気概だ。特に、紀元前のころの疫病の影響については有用なデータがほとんど存在しておらず、事実上推測することしかできていない。普通研究者ならば、こんな局面に直面したとき「やっぱりこのテーマ止めようか」となる。あるいは周囲からそのように諭される。にもかかわらず、これだけ自信をもって堂々と議論を展開している所に、何だか読んでいて勇気すら与えられる。清々しい本。

http://twitter.com/zaway/status/13367034409

2010-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20100331165657

「仮性オタク」ってのはどうかな?って思った。

オタクに皮が被ってるの。

仮性に皮が被ってるって意味無いよ

当然、真性包茎も皮被ってるよ

大辞林第三版

かせい【仮性】

病因は違うが,性質や症状が真性に似ていること。また,そういう病名の上に付けていう語。

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