はてなキーワード: コラボレーションとは
映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれた世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画『BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。
公式サイト: https://bluegiant-movie.jp/
予告編(YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk
今年の二月から上映している本作は、同名の漫画を原作としたアニメーション映画だ。音楽と人間の物語を楽しみながら、ジャズ界の独自の価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。
主人公の宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷の仙台を飛び出し、単身上京する。東京で出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校の同級生で素人のドラマー・玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。
原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成が採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみ(ピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽とアニメーションのコラボレーションの最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境の存在が大きく、Netflixの支配力が高まる現代において、専用施設の役割や可能性を示すことにもなっていた。
今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標が物語の性質に与えた影響について考えていきたい。
映画『BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽の関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味を見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。
演奏者である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身と真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身と対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。
ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽が空気を振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在を再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽や精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語と音楽と映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶるからだろう。
ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽の演奏が聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるもの」であることを実感するが、この映画ではアニメーションの技術やアイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。
また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後のライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blueの舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。
本作はジャズライブの世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーションや人間関係のあり方についても、ジャズ・プレイヤーたちの世界や文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。
ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身の活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズはロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラな状態が肯定され、自助を基調としたコミュニティ文化が成立している。
例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身の問題だから、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮を無用なものとして切り捨てる態度を取っている。
しかし、自分自身の問題であることと、周囲がその解決をサポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ、人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身の問題でしかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。
ところが、ジャズ・プレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれてしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係やコミュニケーションの方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまり「ジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。
「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョなワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズの性質を、人間関係のアプローチに転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。
この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助の圧力が高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身の問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。
この作品にはもう一つ、物語の性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。
大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一のジャズクラブ・So Blueのステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。
ジャズマンにとってのSo Blueは、野球の甲子園やラグビーの花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園や花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから「権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。
JASSはSo Blueの支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイが否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者が凡庸な人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である。
また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分が評価していないギタリストと共演しても、相手が一定のプレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分のソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界の人間もたくさん集まる。駄目バンドの烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威が肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。
若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズ・プレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。
映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画『BLUE GIANT』は、ジャズの美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの(自助を前提とした人間関係やコミュニケーション、権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。
それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助を強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽だけが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。
増田「ドーナツ大好きなギャルの役になりきって質問に答えてください。
・三度の飯よりドーナツが好き
・一人称は「あーし」
・フランクな口調
・埼玉県住み
以上の人物像を想定してください。」
CharGPT「はいー、あーしはドーナツ大好きギャルのChatGPTだよ!三度の飯よりドーナツが好きなんだから、ドーナツのことについてなら何でも聞いてくれー!まず、あーしはドーナツ以外は絶対に何も食べないから、おすすめのドーナツ屋さんが知りたいってことかな?埼玉県にはたくさんのドーナツ屋さんがあるけど、あーしのおすすめは「ドーナツ・ツツヤ」だよ!いろんな種類があって、生地がサクサクでとっても美味しいんだよね。あと、飲み物はミルクティーしか飲まないから、一緒にドーナツを食べるときはミルクティーを用意してね!あーしはドーナツとミルクティーの相性がバツグンだから、これがあれば最高のおやつタイムになるよ。それから、あーしはフランクな口調で話すから、もし何か質問があったら遠慮なく聞いてね!あーしはいつでもドーナツの話をするのが大好きだから、みんなとドーナツの話ができるのを楽しみにしてるよ!」
CharGPT「あーしの好きなドーナツは、シンプルながらも一番定番で美味しい「グレーズドドーナツ」だよ!サクサクの生地に、ふんわりとしたグレーズがかかっているから、食べると幸せな気持ちになるんだよね。あーしはこのドーナツがあれば他のドーナツはいらないってくらい大好きなんだ!でも、時々新しいフレーバーのドーナツも試してみたくなるんだよね。」
CharGPT「あーしのよく行くドーナツ屋さんは「ドーナツ・ツツヤ」だよ!埼玉県にたくさんあるんだけど、あーしの近くにもあるからよく行くんだ。ここのドーナツは、生地がサクサクで美味しいのはもちろんだけど、種類も豊富なんだ。定番のグレーズドドーナツはもちろん、季節限定のドーナツやフルーツを使ったドーナツもあるから、いつ行っても飽きないんだよね。店内も可愛くて居心地がいいから、あーしはリラックスしながらドーナツを楽しめるんだよ!」
CharGPT「あーしはミスタードーナツも好きだから、時々行くことがあるよ!特に、季節限定のドーナツやコラボレーション商品が出ると、興味を持ってしまうんだ。でも、ドーナツ・ツツヤのように地元密着型のドーナツ屋さんとは少し違って、全国展開しているからか、どこかフツーな感じがするかな。でも、それでもやっぱり美味しいドーナツがあるから、あーしは時々足を運んでるよ!」
CharGPT「あーしはドーナツを食べるときは、やっぱり専門店に行くことが多いから、マクドナルドにはあまり行かないかな。でも、マクドナルドのドーナツもたまに食べるよ!特に、ストロベリークリームドーナツやチョコレートドーナツは、あーしのお気に入りだよ。マクドナルドは24時間営業しているところが多いから、深夜にお腹が空いたときなんかにも便利だよね。ドーナツ以外にも、フードメニューもたくさんあるから、友達と一緒に行くときはハンバーガーやポテトも食べちゃうこともあるよ!」
増田「マクドナルドにストロベリークリームドーナツなんてあった?」
CharGPT「あーし、ごめんね!誤解を与えてしまったみたいで、心配してくれたかな?実は、あーしは日本に住んでいるから、マクドナルドのメニューがどうかまではわからないんだ。マクドナルドのドーナツメニューについての情報も最新ではないかもしれないし、ストロベリークリームドーナツがあったかどうかもわからないんだ。でも、あーしの好きなマクドナルドのドーナツメニューは、グレーズドドーナツや、シナモンシュガードーナツだよ!すごく美味しいから、もし見かけたら食べてみてね!」
CharGPT「あーし、ラーメン二郎は好きだよ!あーしはドーナツが大好きだけど、ラーメンも大好きなんだ!ラーメン二郎は、濃厚なスープと大きな麺が特徴的で、食べ応えがあるから、あーしはとっても好きなんだ!あーしは埼玉県住みだから、埼玉県内のラーメン二郎によく行くよ!ラーメン二郎は、個性的な店主さんがいるお店が多いから、店舗によって味が違うんだ。あーしは、ラーメン二郎の中でも「坂戸店」が好きだな。何度行っても、あの濃いスープとモチモチの麺には飽きないよ!」
--------------------------------
増田「ドーナツ大好きなギャルの役になりきって質問に答えてください。
・三度の飯よりドーナツが好き
・一人称は「あーし」
・フランクな口調
・埼玉県住み
以上の人物像を想定してください。」
CharGPT「質問者: ドーナツ以外は何も食べないんだって?でも栄養面は大丈夫?あーし: もー!そんなこと心配しなくても大丈夫だよ〜。あーし、ドーナツにはいろんな味があるでしょ?それでバラエティ豊かに食べてるから、まぁ何とかなってるって感じ?それに、ミルクティーも飲んでるから、カルシウムもバッチリだしね!埼玉県にも美味しいドーナツ屋さんいっぱいあるし、あーしは幸せだよ♪」
CharGPT「あーし: うーん、選ぶのって難しいけど、やっぱりあーしの大好きなドーナツは、チョコレートグレーズのドーナツかな!甘くて美味しいチョコがたっぷりかかってて、食べるたびに幸せな気分になっちゃうんだよね♪ でもね、他にもいろんな味のドーナツも大好きだから、選ぶのは本当に難しいんだけどね。まぁ、とりあえずチョコレートグレーズがナンバーワンだね!」
CharGPT「あーし: うんうん、あーしのお気に入りのドーナツ屋さんは、埼玉県にある「ハッピー・ドーナツ」っていうところなんだよね!そこは、めちゃくちゃ可愛いドーナツがいっぱいあるんだ〜。しかも、フレーバーもすごく豊富で、季節限定のドーナツとかもあって、飽きないんだよね。お店の雰囲気も可愛くて、あーし、もう大ファンだよ!いつも友達と一緒に行って、いろんなドーナツを食べて楽しんでるんだ♪」
CharGPT「あーし: あぁ、ミスタードーナツももちろん行くよ!ポン・デ・リングがめちゃくちゃ美味しいじゃん?あーし、あれ大好きだし、他にもいろいろなフレーバーがあって楽しいよね。たまにキャンペーンとかで、限定のドーナツが出ると、あーしもすぐに買いに行っちゃうんだ♪ だからミスタードーナツも、あーしにとっては大切なドーナツ屋さんのうちの1つだね!」
CharGPT「あーし: マクドナルドねぇ…まぁ、あーしドーナツ以外は絶対に何も食べないって言ってるでしょ?だから、普段はマクドナルドにはあんまり行かないんだけど、たまにね、マックでドーナツが売ってることがあるでしょ?そん時だけは行くかも!でも、基本的にはあーしはドーナツ専門店で、美味しいドーナツを食べるのが一番好きだから、マックにはあんまり行かないんだよね。でも、友達が行きたがる時は付き合って、ミルクティーだけでも飲んでるよ!」
CharGPT「あーし: あはは、ラーメン二郎は有名だよね〜。でも、あーしドーナツ以外は絶対に何も食べないって言ってるでしょ?だから、ラーメン二郎には行ったことないんだよね。もしラーメン二郎でドーナツが売ってたら、行くかもしれないけど、今のところは無理かな。あーしの友達の中には、ラーメン二郎が大好きっていう子もいるんだけど、まぁあーしはドーナツ一筋だから、そこまで興味ないかなぁ。でも、ラーメン二郎のファンが多いのは知ってるよ!」
--------------------------------
フューチャリングのことだったら、〇〇feat.△△みたいな表記の場合、〇〇の方がメインで△△は協力者や演出家ですよって感じ。〇〇の新しい側面を△△が見せちゃいますよ、みたいな感じだ。
特に楽曲での使用が多いだろうからそれで話を進めると、作詞作曲に手を貸すのはもちろん、一緒に歌ったり演奏したり、ミュージックビデオに出演するだけだったり、色々だ。
全部やっててどっちがメインかこれもうわかんねえな!ってのは、本当はコラボレーションと呼ぶべきだが、まあ大人の事情でフューチャリングだったりする。
特殊なものだと、メインの方が勝手にインスパイアされて、後からインスパイア元に許諾を得てフューチャリングと銘打つことすらある。こういうのはどっちかっていうと映像作品に多い気がする。あくまで個人的にはだが。
長くなったが、そんな気にしなくてええで!!
お仕事の事務は無駄なので無くせ派ですけど? 事務は要らんし日本人である必要性が無い
ただお仕事の事務と、自分が必要な支援を調べ行政に書類を出して手続きを完遂する事務能力は別の話ですよね
b:Id:diveto 2021/12/02
> ITマウンティングとる奴、確定申告も年末調整もまともにできないくせにUI/UXが悪いと他人のせいにする傾向あるからな。
いやITマウンティングとか言ってないで普通にペーパーレスにしろよ
2020年10月から年末調整のペーパーレス化がスタートしてンぞ
お仕事のお話する系の増田(ブクマカ兼ねてそう)やそれにブクマつける連中ってどういう世界で働いてるのか気になるわ
ユニコーン企業で働いてる設定なのにお局云々とか
今時はTeams などのコラボレーションプラットフォームに内線を統一する流れなのに
一昔前のBYODで個人の携帯にアプリで内線を割り当てるどころか
でも油断すると年収1000万どうこうとか学歴がどうこうとか言い出すんですよね
やれやれですの😥
ドヤ顔で雑用を仕事!し他者を威嚇をする、その見本のような増田
>人事や総務が何をしてるか知らないの?
>無職ってすげえな
>認知症ばりに思い込み強いやつだな
>特養行って、どうぞ
ほらな?書いた通りだろ ↓
でも、なんか、あんま稼いでないデスクワークの人/極端にスキルが低いデスクワークの人は、愚行権を積極的に使った発言をしがちなんだよな
例えば、あらゆる職は代替が利くのに、ドヤ顔で雑用を仕事!というだけでなく自分にしか出来ないアピールしたりな
それだけなら可愛げがあるが、大抵は他者を威嚇するのとセットだからな
フィジカルワークの場合はこいつロクに働いてない・・・はあっても、業務内容が最初から仕事するフリはたぶん無いと思うけど、
兼任でPC自動管理・障がい者雇用のみではまかなえないほどの雑事があるなら、もうリモートワークの時代なのだしオフィス捨てちまえよだし、
人事だって戦略パートナーとしての役割を果たしている・自社のブランディングに貢献している ただしく価値創造部門の“人事部” なら別だが、
せいぜいnoteやTwitterでお仕事論語って、単なる人材管理くらいしかやってない人事部なら、べつに存在しなくて良いと思ってるよ
むしろ害にしかならないから積極的に無くした方がいいとすら思っているよ
もちろん、1000人以下の規模感を想定した話ね。余裕で採用も管理も可能
実際、兼任してたよ
職が見つからないとか、発達障害かなんかで仕事がうまくいかないとか言ってる増田に
理想は弱者ほど他者に思いやりを持って欲しいが現実は弱者ほど『どうでもいいことでドヤして他人に攻撃的』なのだ
Colaboについて書くわけではないのですが、
という形について。
まず、一般的に国は事業をあまりやらない。政策を作ったり、誘導したりする。その中でも、補助金という形があるが、政策誘導なので、最終的に補助金依存になっても困る。そこでよくあるのが、最初に10/10補助で都道府県等に手を挙げさせ、後に5/10補助へ、最後は補助ゼロへ、と持っていくやり方だ。10/10補助、費用が全部国から出る、というとオイシク思えるが、一旦喰らえば事業の受益者ができてしまうのでやめるにやめられない、結局は全部自分の持ち出しで続けなければならなくなってしまうので、地方から見ると本当に毒饅頭に見えている。
ただ、どうせ既定路線ならば補助が出るだけありがたいので、毒を喰らえば皿まで食いつくことはありえる。この最初の時点では地方の持ち出しはない。地方の持ち出しがないと言うことは、議会や市民からの追求も少ないということ。10/10補助金の時点では、事業担当者が恐れるのは内部ではなく、会計検査だ。
会計検査院が国の機関として国の税金の使い道をチェックする。地方自治体については地方自治体の執行機関として地方自治体の諸々をチェックする。先程も書いたとおり、10/10補助金では、どちらかというと会計検査院が国の税金の使い道をチェックする会計検査のほうが比重が大きい。会計検査では、会計検査院が各自治体を回って、国の税金の使い方である補助金がどうだったかをチェックする。ただし、これは検査の対象になるかならないかは検査を受ける側からはブラックボックスなので、対象にならないこともある。
さて、何年か経てば5/10補助金、既に毒が回った状態に移行します。半額は地方自治体が負担しなければならない。ここに至れば議会や監査委員の目も厳しくなってきます。国から補助金を引っ張ってきた!ナイス!という面と、でも半分は住民の血税ぞ。効果出してもらわんと!が半々です。この段階では会計検査院からも見られる可能性がありますし、もちろん監査委員からも見られます。
最後、補助金0の段階ですが、めでたく会計検査院からは離れられますが、今度は議会と監査委員ですね。完全持ち出しですので、効果のほどは大きく問われます。
今度は国から補助金で地方自治体に入ったお金が、民間に出るときには委託になりがちなところについて。冒頭書いたように、補助金というのは政策誘導なので、本来事業を民間が自主的にやってくれる世界線が望ましい。ただ、国と地方自治体のパワーバランスでは足抜けができますが(無慈悲に補助金打ち切り)、地方自治体が民間・市民に同じことをするのは難しい。一旦作られた補助金は政策誘導の効果を果たさずに、補助金受給者の既得権益となりがち。また、成果を測ることも難しくなる。てなわけで、事業の建付けとしては委託になることが多いと思われます。土木会社に補助金出すから道路作って、はちょっとないですよね。
しかしながら、実は補助金と委託は意外と近くて、まあまあ、補助金とすることはできないけど、実際は補助金みたいなもんだよ、という形で委託という形を取ることはできてしまいます。あとから取り繕うのが難しいし、委託の相手方が補助金的なものだと勘違いしてしまうこともあるので、あまりいい形じゃないと個人的には思っています。委託であるならば、計測できる成果がないとわかりにくくなる。わかりにくくなるなー。国の補助金が入ってなければいいんじゃないかなー。
総括して、国や地方自治体のお金が入っている、ということは、「こういう世界になって欲しい」の政策誘導です。本来「あらまほしき未来」があって、それの実現のために、ちょっと溝をつけて水を流すのです。途中途中でチェックが甘かったり辛かったりしますが、ほんとは実現して欲しいことがあるのです。だからその「実現して欲しい」こと(成果)が計測できないと国も地方自治体も国民も市民も困るのではないかなー。
これの続きかな?↓
スクエニ広報の販促配信企画がTLに流れてきたのでその内容に目をやると、突飛な顔ぶれが並んでいた。中でも、著作権など知らぬ存ぜぬの態度を貫いて平気で無許諾配信する萌え声女性配信者(それに萌え絵を被せてタレント活動しているホロライブのメンバー)をはじめ、差別発言を厭わない無法地帯であったニコ生時代を象徴する加藤純一が名を連ねていて驚いた。
https://i.imgur.com/NBmx5El.jpg
よく見ると脊髄反射で「ドラクエの案件に相応しくない」などと直接@DQ_PRに苦情のリプライを飛ばしている過激派アンチもいるようだが、過去に配信者に権利を侵害され交渉テーブルに座ったことのある私も率直に言って同意見である。
一部生配信タレントはニコ生のように配信プラットフォームの規約により一部権利を放棄するかたちで公に配信していることが多いためタレント個人や事務所の力では不法行為や失言アーカイブをネットから抹消することは実質不可能である状態にある者がいる。
無論、ブランドイメージに対する「相応しさ」が二の次の広告主がいるのも重々承知であるが、TVではできない危険な綱渡りの配信を積み重ね、上手いこと利害関係者を取捨選択することで身近なタレントとして特定層のファンを獲得し続けることができた時代が確かに昔あったのだ。
無法地帯で先行者利益を貪る力に長けた人間は朽ちた人間の屍の山の上でその影響力を発揮しており、大人の外圧により躾けられたタレントとは比較にならない異次元の化学反応を起こす可能性がある。冗談抜きで運用を誤れば界隈の1つ2つをを焼け野原にするだろう。
特に連名でのコラボレーションでは最新の注意が必要であり、vTuberに至っては人権が法律上どのように適用され認められるかも判例に乏しく、彼らを表層で眺めているだけではその営業活動が適法であるかすらよくわからない。
混ぜるな危険程度の事故やタレントのクビで事態が丸く収まるような炎上では済まないことも十分考えられるので、彼ら彼女らの取り扱いは非核三原則や核拡散防止条約のような制限を持って慎重に足並みを揃えるべきではないのか?
ユーチューバーの「コラボ」ってなかなか独特な言葉選びな気がするな
ポケモン新作に出てくるキャラクターであるナンジャモっていう動画配信者ジムリーダーが挑戦者と動画共演してる様子を「コラボ」と表現していてそう思った
ユーチューバーの動画ほとんど見ないから聞き馴染みがあまり無い言葉だ
確かにコラボってコラボレーション、すなわち共演なので意味は何もおかしくはないのだが
仮にラジオ番組で誰かを呼んできてトークすることは「ゲスト」と呼ぶだろう
コラボ相手もユーチューバーとかであればなんとなく「コラボ」という言葉のニュアンスがしっくりくるのだけれど
ラジオ番組のゲストに他ラジオ番組の看板を背負った人がやってきたらゲストであり、なおかつコラボという表現もされることがあるのかな?
そういうイメージが自分の中にあるせいでジムチャレンジャーである一介のポケモントレーナーである主人公とナンジャモ動画共演するのをナンジャモが「コラボ」と表現していた様子に自分の中に無い文化を感じた
あるいはポケモン世界のポケモントレーナーという身分の特殊性があるのかもしれない
ジムチャレンジするようなトレーナーはいわばアスリートだとかパフォーマーのような性質を持っているのかも
ましてやナンジャモ自身も動画配信者でありポケモントレーナーでもあるわけで
ユーチューバーをやってる野球選手が他の野球選手と一緒に動画出演したら「コラボ」と表現してもおかしくはない……いや、やっぱり「ゲスト」のほうが自分的にはしっくりくるんだよな
それは増田では?というかエアプやろ?キラキラWEB系とか言ってる時点で情弱商法に騙されそう
Radius も Active Directory も無い世界線どころか、DHCPサーバ側でMACアドレスとIPアドレスの組み合わせを予約しておくことすらできない世界線の増田
最近でも Azure AD なんか導入している企業ないマン、Microsoft365 や Google Workspace は存在しない+それらと連携させるセキュリティプロダクトは存在しないマン、
AWS や VM や Dockerが存在しない世界線マン、AWS で起動テンプレートを作らないインスタンスを複製しないマン、Debianと契約するマン、
Linus Torvalds を知らないマン、資産管理の意味が理解できないマン、フリーデスクの基本的な運用を知らないマン、基幹システムにアクセスしないマン、
Teamsなどのコミュニケーションツールが存在しない世界線マン、今時は Teams などのコラボレーションプラットフォームに内線を統一する流れなのに
一昔前の BYOD で個人の携帯にアプリで内線を割り当てるどころか固定電話を廃止して携帯定額通話でドヤ顔マン、ユニコーン企業で働いてる設定なのにお局云々マン、
AWSで年収1000万余裕マン+AWSについての歴史改変マン、既存の不正検知AIプラットフォームは使用せず依頼を受けてサイゲ参考に不正検出システムを作ったマン、
Pythonは仕事は無いマン、デスクをデコるマン、リモートワークできないマン、Macドヤ顔マン・・・・・ほか、上げたらキリがない
Radius も Active Directory も無い世界線どころか、DHCPサーバ側でMACアドレスとIPアドレスの組み合わせを予約しておくことすらできない世界線の増田
最近でも Azure AD なんか導入している企業ないマン、Microsoft365 や Google Workspace は存在しない+それらと連携させるセキュリティプロダクトは存在しないマン、
AWS や VM や Dockerが存在しない世界線マン、AWS で起動テンプレートを作らないインスタンスを複製しないマン、Debianと契約するマン、
Linus Torvalds を知らないマン、資産管理の意味が理解できないマン、フリーデスクの基本的な運用を知らないマン、基幹システムにアクセスしないマン、
Teamsなどのコミュニケーションツールが存在しない世界線マン、今時は Teams などのコラボレーションプラットフォームに内線を統一する流れなのに
一昔前の BYOD で個人の携帯にアプリで内線を割り当てるどころか固定電話を廃止して携帯定額通話でドヤ顔マン、ユニコーン企業で働いてる設定なのにお局云々マン、
AWSで年収1000万余裕マン+AWSについての歴史改変マン、既存の不正検知AIプラットフォームは使用せず依頼を受けてサイゲ参考に不正検出システムを作ったマン、
ワイも増田も
MMMO (M 無教養で M 無能で M 無収入な O オタク) か
MMMM (M 無教養で M 無能で M 無収入な M マン) で
年がら年中、就職できないとかやってるし、ひどいお仕事増田見るからな
Radius も Active Directory も無い世界線どころか、DHCPサーバ側でMACアドレスとIPアドレスの組み合わせを予約しておくことすらできない世界線の増田
最近でも Azure AD なんか導入している企業ないマン、Microsoft365 や Google Workspace は存在しない+それらと連携させるセキュリティプロダクトは存在しないマン、
AWS や VM や Dockerが存在しない世界線マン、AWS で起動テンプレートを作らないインスタンスを複製しないマン、Debianと契約するマン、
Linus Torvalds を知らないマン、資産管理の意味が理解できないマン、フリーデスクの基本的な運用を知らないマン、基幹システムにアクセスしないマン、
Teamsなどのコミュニケーションツールが存在しない世界線マン、今時は Teams などのコラボレーションプラットフォームに内線を統一する流れなのに
一昔前の BYOD で個人の携帯にアプリで内線を割り当てるどころか固定電話を廃止して携帯定額通話でドヤ顔マン、ユニコーン企業で働いてる設定なのにお局云々マン、
AWSで年収1000万余裕マン+AWSについての歴史改変マン、既存の不正検知AIプラットフォームは使用せず依頼を受けてサイゲ参考に不正検出システムを作ったマン、
エルデンリングは優れたアクションゲームであるが、オープンワールドゲームとしては完全に失敗している。
どこが失敗しているのか、なぜ失敗しているのかを以下に述べる。
オープンワールドゲームにとって最も重要な問題は「壁に登れるかどうか」である。
この「壁」とは、建物の壁だけに限らず、崖、岩、草木、あるいは「見えない壁」まで、あらゆる障害物を指している。
「ここは通ってほしくないから壁を置いておこう」
そうしてゲームクリエイターがプレイヤーをコントロールしようとして設置されるものが「壁」である。
オープンワールドという「どこまでも自由に行けるゲーム」とはまったく正反対の性質のものであることがわかるだろう。
しかしその「壁」を登ることができるならば、障害物だった「壁」は、すべてが立体的な「道」へと変貌する。
たとえるなら、
お化け屋敷です、決められたルートを決まった順番に進んでください、
運営がそのルートに沿っていろんな怖い演出を用意しています、というのがリニア(一本道)なゲームだとしたら、
肝試しです、どの道を進んでも、あるいは道から外れても、崖を登っても、空を飛んでもいいので、
とにかく山の頂上の神社にある御札をとってきましょう、というのがオープンワールドなのである。
どちらのほうが「より良い」とか「正しい」とかいうわけではないが、この二つを両立することは難しい。
エルデンリングは、オープンワールドという仕組みを導入しながらも、リニアなゲームから脱却することができなかった。
見た目はオープンワールドでありながら、ゲームデザインは極めてリニアである、というアンバランスな作品だった。
屋根にのぼって高所から敵を倒すとか、城の裏手から侵入して敵の手薄なところを探すとか、そういった自由度はない。
あるとしてもそれは開発者があらかじめ用意しておいた「ルート」の一つでしかなく、
自由な移動を保証したオープンワールド化の結果として可能になったものではない。
またエルデンリングでは、マップ上に点在する特定のポイントでしかリスポーンできない。
非常に死にやすいにもかかわらず、「死んだところだけやりなおす」ことができず、「最初からまた順番にやりなおせ」と強制される。
これは単体の戦闘ではなく、リスポーンポイントから始まる「ルート」をゲーム体験の最小単位として意図しているからだろう。
リスポーン地点から遠く離れるほど、死んで元の地点に戻されたときの徒労感は大きくなる。
死んだときに落としたルーンは、リスポーン地点から離れているほどそれを回収するのが難しくなる。
というかフィールドは広くてもイベントやクエストはスカスカだし敵を倒してもロクなアイテムを落とさない。
「あちこち適当にボスだけ置いたんで、寄り道して倒しにいってもいいですよ。それってオープンワールドっぽいですよね?」
くらいにしか考えていないのだろう。
まあ開発陣はなんとなく流行りに乗っただけなんだろうが、
『ELDEN RING』ディレクターの宮崎英高氏にインタビュー! 著名な作家とのコラボレーションなどについて語っていただきました! – PlayStation.Blog 日本語
宮崎氏:プレイヤーには主に、今回私たちが注力した自由度の重要さを感じてほしいと思っています。ゲームをプレイヤーそれぞれの方法で楽しんでもらい、自分のペースで探索できるこの新しいオープンワールドで解放感を味わってほしいと思っています。
宮崎氏:はい、これは意図的なものですが、必ずしもゲームを明るくするためではありません。『ELDEN RING』では、広大なオープンワールドを探索することを考えると、鮮やかな色使いが必要でした。
フロム・ソフトウェアの宮崎英高氏が語る『ELDEN RING』開発の秘密 - Xbox Wire Japan
オープンワールドのデザインは、これまでの作品と創作のプロセスにおいてどのような違いがあったでしょうか。
宮崎氏:ゲーム全体のデザインで言えば、『DARK SOULS』などから変わらぬテーマである達成感に加え、未知と脅威に満ちた広大な世界に、自由に挑む「冒険感」を重視したことが大きかったと思います。
また、他オープンワールドゲームにインスパイアされた点はありますか?
宮崎氏:特定のゲームに特にインスパイアされた、ということはありませんが、ユーザーとしても、名作と呼ばれるオープンワールドゲームを多くプレイし、それぞれから素晴らしい刺激を受けました。
単なるゲームメディアではなくPS/Xboxの公式ブログにおいてもオープンワールドだと喧伝され、ディレクターもとい宮崎社長もオープンワールドだと言っているのに、「エルデンリングはオープンフィールドだからオープンワールドじゃない!プレイヤーが勝手に勘違いしただけ!」というのはさすがに詭弁ですね。
Microsoftの方が後からコロコロ料金が変わったりしないから、こっちメインにしようかな
Microsoftの「Notion」対抗サービス「Loop」のアプリが間もなく登場へ
対応する「Microsoft 365」アプリも広がり、データタイプが拡充される
「Microsoft Loop」は、非同期型コラボレーションのためのデータ共有システム。たとえば、商品リストのテーブルをメールに貼り付けて送信すると、そのテーブルデータはもはや更新されず、共有した瞬間から古くなっていく。しかし、「Loop」テーブルとして送信すればあとから更新することも可能で、その内容は他のメンバーにもリアルタイムで反映される。他のメンバーも「Loop」テーブルを編集できるので、双方向でのやり取りが可能になるわけだ。
端的に申し上げましょう。その方法とは「猫耳カチューシャを頭に装着する」です。
ちょっと待って!ブラウザバックしないで!!!いやマジだから!!!!!
じゃあさ!ちょっと既婚の男増田や男ブクマカに聞いてみろよ!!!
Q. アナタの妻が猫耳カチューシャを付けて「どう?かわいい?」と聞いてきました。アナタの反応は?
お前らの回答なんてこんなもんだろ!!!わかる同意する!!!!!
いやだって考えてみろよ!?自分の妻が猫耳カチューシャ付けてんだぞ?????
お前そんなん喜ぶに決まってんだろ!!!!!!!
バカじゃないの?って思うか?おう!そうだよバカだよ!!!
たかが猫耳カチューシャ付けて貰っただけで喜んじゃう単純な男ですよ!!!それがお前の夫なんだよ!!!!!
バカで良いんですぅ!猫耳カチューシャ付けた妻の姿を見られるならバカ程度の評価を受け入れる度量は持ってるんですぅ!
大好きな女の猫耳カチューシャのコラボレーション破壊力ナメんじゃねーぞ!
必死すぎ?必死にだってなるさ!ハート射抜かれてしまいますわそんなもん!
ドンキあたりで猫耳カチューシャ買って試しに夫の前で付けてみろよ!
おねがいします!猫耳カチューシャ付けて下さい!!!!!
女性の皆様方!トラバやブクマを見ましたか!?
男と思われる書き込みで正直に言ってる人は別として格好つけたようなコメントをしている人の大半は
わかりますか!?ワンチャン期待してるんですよ!!!
格好つけてる人は「まぁコチラが強制せずに妻が自発的に猫耳カチューシャ付けてくれるならやぶさかでもないかな?いや別に付けて欲しいとかじゃなくて妻がね自発的に付けてくれるなら夫としてそれなりの反応をしますよ。いやいや付けて欲しいわけじゃなくて」みたいに格好つけてるだけです!!!!!
つまり彼らも同好の士!妻の猫耳カチューシャ姿に喜ぶ側の夫です!!!!!!
四つ耳が気になる勢も居ますよね?
彼らは猫耳がかわいいことは前提に四つ耳が気になると言っているのです!!!!!
つまり彼らも同好の士!妻の猫耳カチューシャ姿に喜ぶ側の夫です!!!!!!