はてなキーワード: コミュニケーション障害とは
え?それ普通に悪意があるやつやん
良い人じゃないやん
仮に勘違いしてたり伝わってないせいで続けてたとしてもコミュニケーション障害のある悪い人やん
どこをくみ取っていい人だと思ってたわけ??
めちゃくちゃ好意的な解釈すれば下ネタを連呼するような脳機能的な病気あるからその可能性もあるけど
それにしたって自分で気づいて受診しろ案件やし、いい人ってどこをスポットした意見なの?
それとも言ったってのがウソで、実は何も言ってないけど言いたいことを言ったってことにして勇気の無さを今ごまかしてんの?
というかこれさあ、冗談っぽく受け流したつもりなんだろうけど
その態度が相手を勘違いさせてる要因だって客観的に気づかないのか?
嘘つくなボケ
YES・NOはっきりさせないとヤバいときぐらい瞬間で判断できるようになってから20歳迎えたら今みたいな不快な思いしなくて済んだのに
キレていいときはキレていいんだよ
お前の精神的健康なんてお前以外誰も興味ねえから、自分が守らなくて誰が守るんだよ、おかあちゃまにでも電話してろ
「何度もやめてほしいと伝えましたよね、このこと上に報告しようかと思ってます」
なんて、悩みだろう。。コミュニケーション障害として、症状のようなものが出ている。
人間も感情のある動物なんだが、仕事場でも家庭でもあるべき自分の姿と言っては言いすぎだが。どうすれば、怒られないで済むのか。どうやったら、人からさげすまれた視線を浴びずに済むのか。より良い生き方を、自分の気持ちでは無くて、書物や人生の先輩に求めてきた。
納得できる自分になれるかなということと、他者から見た自分を意識しすぎたのかな。
謙虚で有ったり、ワガママではない方が、良いと自分を抑える。衝動性を抑えるためには、我慢が必要だと思っていたり。好きでも無いことを、好きだと。
好きな人に嫌われないためには、男らしくありたかったが自分の本来の姿とも言えない。
辛くなる。
例えばだけど。キャバクラ行くけど、気を遣ってあんまり楽しめないし、横柄にしても楽しく無いしね。そう思うと、嬢と違う意見の時は、どういうのがいいのか、分からなかった。
そう、気持ち。気持ちというのか、感性には手本や見本ってある?ないんじゃないっていうことだな。。
あるべき感情、持つべき気持ち、理想の状態みたいなものを考えすぎていたのかもしれなかった。。
寝る前に書き込んでるコミュニケーション障害の女性かな、と思ってる。
初対面で軽口や他愛のない冗談言ってくるから気易い人間かと思ってこちらかは話をふるとしどろもどろ。なにあれ
そういう人って職場や学校一歩でると、挨拶すら出来なくなる。偶然あっても目が泳いで挙動不審。そんな不快なギャップ見せられるなら最初かららしく大人しく振舞ってほしい。
だけど子供の頃は逆で学校じゃ無口だけどプライベートじゃ案外おもしろい奴がいた
なのに成人になるとその逆しかない。しかもこのタイプはその表の『面白い顔』も薄っぺらい社交家に終始して全く面白くない
ポジションや役職与えられないとコミュニケーションとれないの?
教師と生徒、医者・看護師と患者、わかりやすい関係性に依存してる連中ほどそれは顕著、本人たちは顔をつかいわけてると
自分にいいわけするんだろうけど、役を与えられないとどう振舞っていいかわからないコミュニケーション障害
仲が良い友達が、目に障害を患っていたことを偶然知ってしまった。
その子の親友が、障害のある友達に気を使いたいのについ忘れてしまうと私に零したことを覚えていなければ、きっと分からなかっただろう。
私はなんで気づけなかったんだろう。なんであの子と同じ気づかいをできなかったんだろう。なんで言ってくれなかったんだろう。私は信頼されてなかったんだろうか。コミュニケーション障害者に気遣いなんてできないって思われてたんだろうか。言って欲しかった。言ってくれれば頑張ったのに。ただでさえみんなに迷惑をかけてばかりなのに、そんなことですら気づけなかったら嫌われてしまう。友達失格だ。もう明日からあの子と話せない。気付けなくて本当にごめんなさい。
人が信用できない反面で、他人に対しての言葉に嘘偽り無く率直な感情をぶつけるようにしています。
でも、どうしても人を信用するという部分が自分には出来ないので自分の性格というか人間性がよくわかりません。
他人へは真心をこめて…という教えを祖母に教えてもらって今の今まで成人してからもそのスタイルを続けているのですが
その気持は本心からそう思って応援したり相手に意見してきたり、相手を気遣ったりしてきました。
しかし、プライベートなどでは人を信用できず。ビジネスでも仕事と割り切って対応するようにしているので信用はしていないという感じです。
じゃあコミュニケーション障害でもあるかというと、他人と話すのは嫌いではなく、むしろ私が盛り上げるような会話をつくっていく感じなのです。
そんな自分なのに他人を信用することができず、どうしても誰も彼もが打算で動いているようにしか見えないのです。
相手から好意をもらっても言葉こそ素直に受け止めるのですが、だから信頼できるかというとそうでもなく困ってます。
これはやっぱり病気なんでしょうかね。
追記
ただの個性だよ。
個性だけで済むようなら、なんとなくそっかぁ…で済みそうで少しホッとしますね!
ただの人間不信でしょう。
人間不信と言われると、やっぱりそうなのかなぁ…とも考えてしまいます。
親の愛はあったんだろうと思うのですが、父親に理不尽な理由で殴られたり家が貧乏すぎて借金取りに追われたりと
そういう過去があったので原因はこういう事なのだろうかとも考えてしまいます。
③ 信じてもいいけれど 不安がある
たぶんこれです。怖いんだと思います。
よくわかりませんが、なんとなくこれが一番読んでいて怖いと感じました。
打算で動いていて何か問題あるのか?
そういう話をしているわけではないので。
知ることでつながろう! 発達障害者特有のコミュニケーション文化とは
コミュニケーション障害って、こういう自閉症的な発達障害の方向だけじゃなくて、これとは逆というか、ぜんぜん別の方向へ行ってしまったことによる障害もあると思うんだ。
この記事に出てくる例でいうと、こんな感じ。
Aさん「ずっと雨が降ってたのに、私が営業に出かける今日は天気がいいな」
Bさん「Aさんの日頃の行いがいいからじゃないですか?(笑)」
Aさん「あははははー! まあね!」
凹凸さん(沈黙を埋めるための会話、うざいなあ)
凹凸さん「遅れてすみません」
Bさん「いえ、凹凸さん、今日は電車のダイヤも乱れてますし、仕方ないですよ。お気になさらないでください」
Bさん「凹凸さん、そんなに自分を責めなくても…」
アロハシャツが大好きな凹凸さんは、毎日アロハシャツを着て出勤していました。
しかしある日上司のAさんから、「職場にそういう派手なものを着てくるのはちょっと…」と苦言を呈されます。
凹凸さん(こいつ、今日から業務に関係しない範囲では無視しよう)
Aさん「凹凸さん、この書類、作成しておいて。書式どおりに埋めればいいから」
Aさん「ええ? この書類は毎回、この書式で提出することになってるんだよ。」
凹凸さん「この書式、無駄な項目が多いと思うので、どういう目的の書類か教えてもらえれば、本当に必要であろうものを作成できるんですが。」
Aさん「ずっとその書式でやってきたんだから、その通りに作ればいんだよ。誰もが君みたいに優秀なわけじゃないんだよ。」
っていうか、自分がまさにこんな感じのコミュニケーション(というかコミュニケーション不全)に陥ることが多くて、ほかの人たちのコミュニケーションを指をくわえて見ているのがつらいことがよくある。
コミュニケーション障害者、社会人になれず。
私はその先輩を尊敬している。
その先輩は強い個性を有していて、文学や映像作品に独自の解釈や視点を挟むことができる人だった。周囲の人が話し掛けてもロクに目を合わせずに自分の思っていることを話すし、全く空気を読まない人だったけれど、大衆のそれとは違うなにかを秘めている人だった。
でも、先輩は一年を通して懸命に就職活動をしたにも関わらず、零細企業すらも通らなかった。留年して、もう一度満を持して就職活動に挑むらしい。詳しい就活の話は聞いていないから、企業を選り好みしたのかもしれないし、そもそもエントリーした企業数が少ないのかもしれない。
今でもその先輩を崇拝の眼差しで見つめている。尊敬こそすれ馬鹿にするつもりはこれっぽちもない。
ただ、普通ではない人が普通の人の輪の中に溶け込んで生きていく、たったそれだけのことが遠いものに感じられただけ。
異常者が爪弾きにされるのは当然の摂理かもしれないけれど、そういう人にも最低限の幸福が望めるような、そんな社会がいいと思った。空虚な理想論だけど。
先日、合衆国大統領の完璧なコピー・ロボットを開発してしまった。
信じられない? 信じなくていい。
私は発明したロボット(※こいつを"ロボ・トランプ"とする)と話しているうちに、
『けものフレンズ(※深夜アニメ。アニメオタクが勝手に盛り上がっている)』的話法との類似点を見出した。
『けものフレンズ』を見たオタクは「すごーい!!」「へー!!」「それでそれで!!」
「そうなんだ!!」「○○○? あなたは○○○なフレンズなんだね!」などと単純なコメントをするようになる。
私も最初は小ばかにしていた。
だがこのような単純な応答は、日本で最も高級なホストクラブ(キャバクラ)に行けば簡単に見聞きできる。
「すごいですね」「そうなんですか、知らなかった」「それでどうなったんですか」とか、そういう応答だ。
ロボ・トランプも調子が良い時は「すごいな」「へえ」「それで?」と連発してくれる。
私も気分が良くなってお世辞を言ってみた。
「ロボ・トランプはかっぷくが良くて、威厳があって、男の中の男って感じだ」と言うと「ありがとう」と返してくる。
しかししばらくして「ロボ・トランプは(ピザやコーラばっかりの)やつらの中では細身かも?」と気になってきた。
そこで「ロボ・トランプはスリムで、パワフルな、男の中の男だよ」と言ってみると「ありがとう」と返してくる。
「この前"ロボ・トランプはかっぷくが良い"って話したね? ロボ・トランプは自分のことをどう思ってるんだ?」と聞くと、
「そんな話はしていない」と返してくる。
試しに「ロボ・トランプはデブ野郎だ。そうだろ?」と言うと「うそつきめ」と返してくる。
そこで「ロボ・トランプはガリガリ野郎だ。そうだろ?」と言うと「うそつきめ」と返してくる。
ここにひとつの成果がある。どうやらロボ・トランプは相手の感情や賞賛・軽蔑に敏感に反応して、
これはロボ・トランプが卓越したコミュニケーション能力を持っている事実を示唆している。
私のようなコミュニケーション障害者は「太っている? 痩せている? 基準は? 何年のデータで?」と長孝してしまう。
しかしロボ・トランプはそうしたデータよりも、相手の状態、感情を優先する。
即座に「ありがとう」「うそつきめ」という優れたコミュニケーションを展開することができる。
従来の政治家は私のようなコミュニケーション障害者ばかりで、自分の発言が切り取られないかビクビクしていた。
メディアも「政治家さんは昔、○○○と言ってませんでしたか? 今と違いませんか?」と質問攻めにする。
けものフレンズ的話法はここで「○○○? あなたは○○○が気になるフレンズなんだね!」と返す。
ロボ・トランプは「そんな話はしていない」と返す。
けものフレンズ的話法やロボ・トランプのような真のコミュニケーションで些細なことにとらわれてはいけない。
こんな感じだ。
もし、あなたが私と同じようなコミュニケーション障害を抱えているなら、
『けものフレンズ』というアニメか、合衆国大統領を参考にするといい。
「すごーい!!」「へー!!」「それでそれで!!」「そうなんだ!!」
「すごいな」「へえ」「それで?」「ありがとう」「うそつきめ」
「そんな話はしていない」
どちらか好きな方を選ぶといい。
『けものフレンズ』や合衆国大統領を参考にしてもコミュニケーション能力が伸びない時?
繰り返しになるけれど、DSM-5における自閉スペクトラム症(ASD)の診断基準は、社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしていることを求めているので、
現在社会的に適応しており、日常生活に支障をきたしていない元増田には不必要な診断名なのです。
元増田は勘違いなさっているようだけれど、この診断名は「特性を持った人」のためではなく、「その特性によって困っている人」のためにあるのです。
だから「今全然困ってないけどASDです!!」という発言は反発を招いても仕方がないように思いました。
また、ASDを診断するための客観的な検査も生物学的な指標(バイオマーカー)も現時点では存在しません。
脳血流検査、IQ検査、MRIの画像、問診を受けて診断されたとのことですが、脳血流検査もIQ検査もMRIの画像も、あくまで精神科医が総合的に判断するための補助にすぎないものです。
そして、精神科医の判断の基準になるのがDSM-5やICD-10などの診断基準なんですね。
ところで元増田はこれらの診断基準は当然お読みになっているんですよね?
アレキシソミア・アレキシサイミアについては、心身症の分野でよく使われる言葉です。
ご存知かもしれませんが、これらの症状はASDに特有のものではありません。
診断を受けた経緯については分かりました。
やはり二次障害があったので診断を受けることになったのですね。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
そんな判断基準はありません。
高機能自閉症も成長するにつれて言語発達の遅れは取り戻すので、臨床的な経過はアスペルガー症候群と高機能自閉症にほとんど差がないと言われています。
よって両者をわざわざ分ける妥当性が乏しく、DSM-5では「自閉スペクトラム症」という診断名に一本化されたという経緯があります。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
コミュニケーションは言語によってのみ行われるものではありません。非言語的コミュニケーションというものがあります。
よって、「言語ポテンシャルが高い=コミュニケーション障害が起こりにくい」という推論は拙速だと思います。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5では自閉スペクトラム症に一本化されましたが、WHOの疾病分類であるICD-10にはまだ存在している診断名なので、死語ではありません。
あんまりトラバに返信するのもアレかな、と思ったんだけれどこれ(http://anond.hatelabo.jp/20161106132341)は偏見を助長させかねないと思ったので言及することにした。
多分詳しく説明したところで、増田は納得しないだろうし話を聞いたところで「ふーん」というぐらいだと思う。
もしちゃんと理解しようと思ってくれてるなら、先のエントリも含めてちゃんと読んでほしいし、理解する気がないなら別にそれでも構わない。
文章から察するにASDの検査は問診だけで決まる、と思ってるのかもしれないけれど、先のエントリに上げたように脳血流検査、IQ検査のほかに生育歴やMRIの画像、問診が必要になってくる。
そういった検査を受けた上でASDと診断されているので、私は素人だし診断された通りだと思ってる。
高機能自閉症だと思う、と書いたのはお察しの通り幼児期に言語発達の遅れがあったからそう書いているということ。
書いてないからと言って無い行間を読まないでほしい。(今回に限らずよく思うことだけど)
ASDは治療が必要ないわゆる「病気」ではなく特性なので、通院せず社会生活を普通に送っている人もたくさんいる。
困っている人は病院へ行け、というのも併発しているうつ病などのメンタル面を整える目的で行ってほしい、ということ。
メンタル面での治療が終わったら、ASDは通院で何をするのか?というと日常生活を普通に送れるように生活指導を受けたりする。
例えば私の場合睡眠がちゃんと取れていないので、認知療法で睡眠時間の記録をつけていた。
また仕事やゲームなどを始めてしまうと10時以上も同じ場所に座ってまさに寝食を忘れるということがあった(そして何日間も電池が切れたように動けなくなる)ので、時間割を決めたり1日の行動記録を事細かにつけたりして、普通の生活習慣を身に付けられるように指導を受けた。
睡眠も十分取れるようになったし、身体的にも精神的にも無理しなくなったので今は通院していない。
「困ってない」というのは主観的なことなので説明は難しいけれど、このように「日常生活を送る上では」困っていると言えるかもしれない。
それは観測する側が「ああ、大変そうだな」と思うのであって、私はそういう特性だと思っているので起きて寝て、栄養失調にもならず生きていけてるなら問題ないな、と思ってる。
「ウワアア!!困ったーーーー!!!」っていう状態ではないということ。
失感情なので自分が本当に困ってるかどうかは体調崩さないと分からないので何とも言えないけど、とりあえず平和に暮らしてる。
そういうことなので私もまた「困ってる」ことにぶち当たったら病院に相談に行くかもしれない。
先のエントリにも書いてあるけれど、12年間うつ病の治療を受けていて「うつ病ではなくオーティズム(自閉症)のような気がしますね。1度検査を受けられては?確実に言えることはうつ病ではないということです。」と言われたので受けることに。
それまでは原因不明の頭痛や吐き気、慢性の肩こり、胃潰瘍、突然卒倒する、などといったことがあって精密検査を何度も受けていた。
それでも分からず、うつ病の治療でも緩和せず、ASDの診断を受けたあと結局それらは失体感によるところが大きく「寒いのに暖かい格好をしていなかった」だとか「同じ姿勢のまま微動だにせず、5時間以上も座ったままトイレにも行かずに仕事を黙々と続けていた」とか「偏食で栄養が偏っていた」、「失体感により食べ過ぎに気付かず食べ続けていた」というだけのことだった。
(他の人に言われるまでまったく気づかなかったし、普通だと思ってた)
服屋の強すぎる照明で気分が悪くなったり、晴天時に耐えがたい頭痛に襲われるのは視覚過敏だからだった。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
今はアスペルガーも高機能自閉症もカナータイプも全てASDという括りの中なのですでに判断基準は失われているし、旧判断基準でいうと高機能自閉症だろう、という話。
判断基準の話はまだそれがあった頃の当事者の親御さんたちの話からなので、本当のところは私も分からない。
ちなみに増田が言う通り、アスペルガーは言語発達に遅れがない。(よって言語IQが高い)
先のエントリにも書いてあるし、引用している文章そのままだけれど一般的にアスペルガーは「自閉症スペクトラムの中でもコミュニケーションに問題がない」と言われている。
知的に遅れのあるカナータイプは言語発達に障害があるし、高機能自閉症も幼児期に言語発達に障害があると言われているためだと思う。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
高機能自閉症よりもアスペルガーの方がまなざしから人の気持ちをくみ取る力が強い、という実験結果もある。
以下にURLを貼っておく。
Do Adults with High Functioning Autism or Asperger Syndrome Differ in Empathy and Emotion Recognition?
もしかするとアスペルガーにコミュニケーション障害が全くない、と読み間違えたのかもしれないなと思った。
読み返してほしいけれどそんなことは書いてない。
もし誤解させるような書き方だったとしたら、それがコミュニケーション障害なので「ごめんなさい」したいと思う。
これについては私が知人に対して口頭で話をする際にどちらも説明したけれど、精神医学に何の興味もない人に突然「失体感・失感情」もしくは「アレキシソミア・アレキシサイミア」だという話をしても誰も理解できなかった。
なので併記をしたからと言って精神医学に興味のない人に理解が深まるとは思えないし、これは主観だけど「失体感・失感情」の方が字面的にどういう症状なのか分かりやすい(誤解もあるけれど)と思ったので、こちらを採用した。
けれど聞きかじった知識や思い込みで書かず、ちゃんと当事者に意見を聞くなどして書いてほしいと思った。
これを機にASDは治療ができる病気などではなく、生まれつきの特性であるということを理解してほしい。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
ASDと診断された、と言ってもうつ病の薬をこれ以上飲まないために検査を受けただけで、世間一般に言うほどめちゃくちゃ人間関係に困ってる、ということはない。
失感情が原因かもしれないが"生きづらさ"みたいなのはないし、子どもの頃から変な部分も「特性である」と理解してくれる友人に恵まれてイジメとかも受けたことがない。
学生時代はステージでの活動や時代錯誤な校則を変える活動なんかをしていて、実際に校則を変えたし、部活動でも優勝経験がある。
まず上の前提を読んで「IQ120とか自慢かよ」「結局自慢かよ」「ナルシストかよ」と思った人がいるかもしれない。
私は事実を脚色なく述べたまでであって「自慢をしよう」「他の人にマウントを取ってやろう」という気持ちで書いてるわけではない。
実際に指摘されたことがあるので、今は「ああ、これは自慢に見えるんだな」と思うことができる。
ASDや失体感・失感情をイベントを主催したりする上で障壁になるため、告白したところよく知らない人に「病気自慢かよ」と言われたこともある。
私も「コミュ二ケーション障害」と聞いて「普通に会話もできるし、一般的に"コミュ障"って言われてるようなことはないから、当てはまらないな」と思っていた。
でもそれだけじゃない。
こういう「これ書いたら自慢に見えるかな?」と思うことができない「他人から自分の発言がどう見えるか?」が分からないこともまたコミュ二ケーション障害らしい。
対面での会話時は逆に表情やジェスチャーが加わるので、誤解されることが少ないと思う。こちらもまた誤解することも少ない。
先の「それ取って」(http://anond.hatelabo.jp/20161104204321)なんかは日常生活では問題なく分かるし会話にも困らないけれど、私にはコミュニケーション障害がある。
一般に言う「コミュ障」はただの口下手であることが多いと思う。実際にはそれよりも広い意味があると理解してほしい。
「コミュ二ケーション障害」「コミュ障」は会話によるコミュ二ケーションが困難なこと、も含まれるがそれだけではないということ。
「私コミュ障でさー」とカジュアルに使われるほど一般的になっているけれど、そういう時に言う「コミュ障」と実際の「コミュ障」は別物であるということ。
先にも述べたようにだいたい「口下手」か「人見知り」に置き換えられると思う。それは「コミュニケーション障害」じゃない。
もし「いつも喋ってると言いたいことと違った風に解釈されて困る」っていうならコミュニケーション障害を疑ったほうがいい。
私のように自閉症特性は強めだけど、何も困っていない(実際は眠る時間がまちまちだったり、偏食があったり、感覚過敏があったり、前述の失体感で慢性の肩こりがあって突然倒れたりもするけど、まあ困ってない)人もいるんだし、もうちょっとカムアウトしやすい風潮になるといいな、と思った。
いつか自分のブログに載せたいな、と思っていたけど「病気自慢かよ」がネックになってアップできないでいたので、便乗してここに書いておく。
そういう心配なく、自由に「自分はこう思ってたんだけど、世間一般的にはこれが正しいらしい!」とか驚きを感じたことが書きたいなあ、と常に思ってるんだけど、元々趣味の方面で目立ってしまっているので、最近は自粛してる。
これもひとつの特性らしいけど、みんな仲良くしたほうが誰に取っても得だと思うので、誰かの特性を指差して笑ったり、さげすんだりせずにいてほしいなと思う。
最近特に思うけど自分の気に入らないことを見つけて「なんだとー!」って怒るのは、怒ってる方も疲れるんじゃないかな。
「自閉症特性は治すものではないので困ってないなら病院に来なくてもいいですよ」
困ってる人は病院へ行こう。
これも勘違いがあるけど、一般的に「コミュニケーションに問題がない」と言われているのは、自閉症スペクトラムの中でもアスペルガー症候群の人であるということ。当事者の人も勘違いしてることが多い。
なぜなら言語IQが高いのがアスペルガーの特徴で、動作IQが高いのが高機能自閉症の特徴だから。
これも広く知ってほしい。よって口下手な人や人見知りの人に向かって「アスペかよ」というのもまた違う。
(もちろん症状は様々なので、コミュニケーションに問題があるアスペルガーの人"も"いるとは思う)
個人的な意見だけど、実際に会ったことのあるアスペルガーと診断されてる人は外国語ペラペラだったり弁がたつ人が多い気がする。
困ってないカジュアルなASDは黙ってろっていう風潮もよくないと思う。同じASDなら仲良くしよう。
困ってるか困ってないかの分かれ目は、自己肯定感の有無だって聞くよ。
ASDはメンタルの病気じゃないので、メンタルヘルスを病まないように心がけよう。
ちなみに「対人関係で困らないように生活する努力」は子どもの頃からしてる。自分の場合は反発も多いけど、親の躾が厳しかったのも功を奏してる気がする。(就活や転職、アルバイトの面接でも落ちたことがない)
困ってないASDを見て「楽しやがって」って怒るのは違うと思う。それはうらやましいからだよ。
全然楽じゃないけど、何かを頑張って結果が出ると嬉しいから色々試行錯誤する。
うらやましいと思うなら頑張ろう。私は今困ってないのはその分頑張ったからだと思ってる。
「生きづらさ」がもし社会的エチケットに起因するものなら、頑張って身につけるべき。
アンガーコントロールだってできる。視覚過敏も聴覚過敏も対策できる。
それ以外は適当でも構わない。頑張りすぎるのが我々の特性でもあるんだから。
「IQが高い=頭が良い」というのも勘違い。世の中の「これが解けたらIQ○○以上!」っていうのに毒されすぎだと思う。
IQっていうのは器用さみたいなもんで、普通の人が普通にするようなことができないから、それを補うために上がってるらしい。
だから標準が最善と考える私にとってはIQが高いのは恥のような感覚がする。
学歴だけの話をすれば、数字が上手く記憶したりできないからめちゃくちゃ頭悪いよ。
普通に生活できるならそんなものは必要ないと思うし、何か恩恵を受けたこともない。
余談だけどIQを上げる塾、みたいなのも世の中にはあってIQだけ上げたいなら訓練すれば上がるらしい。同じようなテストを受けたことがあるかどうか聞かれるのはそのため。
あと全発達障害者や全ASDが人間関係に困ってないといけない、みたいなのやめよう。
(これを自分の中で「かわいそうマウント」と呼ぶことにしてる。かわいそう、かわいそう、と言いながら相手が困窮してる状態を望んでいる様。)
繰り返しになるけど、困ってるのなら病院に行くこと。
「生きづらい」と思うことがまず普通の状態でないということを知るべきだし、まずメンタルを治してから生活習慣を身につけたり何やりするべき。
自分の居心地のいい環境を作ることは普通の人と違う異常なことじゃなく、ASDにとっては「普通」と思うことが大事。
普通の人と同じことが出来なくても気にしない。
人に話しかけられたらニコッと挨拶するとか、行儀礼節をわきまえるとか最低限のマナーを守るぐらいでいい。
上に書いたみたいに、突然倒れたりすることがあるから特性を周りの人に知っておいてもらいたいのに、なまじ普通に見えるおかげか言ったところであまり正しく理解されない。
最近流行りのASDや発達障害の家族をコンテンツにした当事者以外の人によるイメージ操作もある気がする。(特別視しすぎ・失敗をネタにしすぎ)
もうちょっと発達障害者やASDに優しい世の中になってもいいんじゃないだろうか。
シロクマ先生の言葉を借りれば「よく発達した発達障害の人」といえるのかもしれない。
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20161018/1476751839