はてなキーワード: コミッションとは
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
転職しようと思うとLinkedinからエージェントがわらわら寄ってきて、あなたのスキルセットにこれがはまるとか、スペシャルティが活かせるとか、年収もかなり上がるとか言われてすぐcvくれくれ攻撃が始まる cv送ったらそこのvpとランチで会うからプロファイルをシェアしておくよとか言われてすぐミーティングがセットされてしまう
もらったjob descriptionに確かにスキルセットはハマってるとおもう そんなにごろごろ人材がいる界隈でもないからオープンポジションはずっとオープンで、限られた人間が席替えみたいにころころ会社を変えてる 空いたところが埋まったら、あそこにあの人が行ったんだってさ、あーなるほどね、あそこからあの人がくるんだってさ みんな知ってる
その度に年収は上がるしエージェントは仲介のコミッションを稼いでみんなハッピーだ
でもそんな自分じゃなくてもいいポジションはエージェントは持ってこない
子供もいないしほしくないし配偶者も自分より稼いでるしそんなにがんばるモチベーションがない
降りる勇気がない
降りるパワーもない
ここでもよく職場の不満日記を目にするけど、たいてい仕事が増やされたとかそういうのが多い。
基本給10万、他は抱えてるタスク作業ごとに何万円、ってすればいいじゃん。
タスクが終わるなら何時間かけてもいいし、何時間休んでもいい。
これ究極じゃん。
あの人はあれだけもらってるのはタスク多いから当然だ、って納得するし不満もない。
あの人は家庭の事情でタスク少ないから給料も減るしみんな納得。
これでみんな納得で仲良しな職場になる。
今も使われてる「なんちゃら手当」だけにするイメージ。
ベースサラリー+顧客A見積作成手当+顧客Bアフターフォロー手当、みたいな。
<追記>
手当が大項目だけだと、
顧客A対応手当と顧客B対応手当は、規模が違うのに不公平じゃん!となる。
それさえしっかりできてれば、
まあこれができるのはせいぜい数百人規模の会社までかなあ。
<追記2>
https://youtu.be/iGZUJLjtGWo?t=213
<Q&Aコーナー>
世の中のサラリーマンってそんな同僚の給料とか仕事量とか把握して
5000円でも違ったりするとギスギスする。
中途で入ってきて、役職が高かったりすると、まず古参の平社員とトラブルになる。
「なぜあいつのほうが多いんだ!」というのは、判断基準がクリアじゃないからで、
もしそれをクリアにできれば、
究極の民主主義じゃん?ってことで書いた。
基本は同じ発想ですよ。
営業マンと開発・間接部門がギスギスするのはコミッション性と固定給制の違いも一因としてある。
少なくとも不公平感がなくなるかなと。
これは書いた直後に思った。
少人数だと談合とかが起きるのは明白で、だから全社で透明にするしかないですね。
あと、給与も全員オープンにすることが前提となるので、まずそこがイヤな人は入ってこないから、
そういう人材がキックバックとか談合を好むとは思えない、ってのはあるかも。
「自分は今月これだけのタスクをやったので給与アップを希望します」
って言える人が入ってくる。
これを公平に達成するには、一社だけだと厳しくて、絶対にブラックボックス化する。
タスク内容を国レベルでオープンソースにしないとだめかもしれない。
ああいうかんじ。
「A社ではこれこれタスクを〇〇円でやってました~」って実績で活動すれば、
「ウチでは〇〇円ですが大丈夫ですか?」みたいな。
それこそ資本主義じゃない?
「本日は良いお日柄で・・・」「趣味はなんですか?」「アハハハハ…(ちいかわ)」
そこでオープンソース化ですよ。
JDに書かれているタスクと募集職種でだいたい平均値に収れんしていくはず。
同業種で業務内容がめちゃくちゃ違うなんてことはないんだから。
まとめたら国が基準として発表する。
今までになかった新しいタスクの時にどうするか、は、
それをベースに毎月全社員で固定タスクの単金に落とし込んでいく、みたいな。
そのために、参考にできるオープンデータ(勘定項目)みたいなのがあればベスト。
50項目も抱えてれば、明らかに給料高くても誰も文句言えない、みたいな。
むしろ「この毎月発生してるトラブル解決タスクはなんですか?」と、
突っ込まれてやりづらくなりそう。
すべてガラス張りのタスクになるから、闇でやるのが好きな人はいろいろ不都合感じそう。
まあ実現性はともかく、
「スキルの希少性」は、その人の財産になるのでは?と思ってる。
今の正社員システムは、スキルの希少性がない人ほど、転職できなくなる。
他社で使いまわせないから。
逆に会社としては都合がいい。
とがった人材を作らせない。
これで飼いころしにできる。
成績表の英語数学美術体育でオール3の人材を作る。(忠誠度だけは5)
これがほとんどの会社員の、「月曜日に仕事にいきたくない病」の、
遠因なのではないかな?と思ってる。
今回は、どれかを5にしてほかは2とか1でいいという案ね。
タスク量を定量評価して、人事に反映させるのが上司の仕事なんだけど、日本の場合は給料払えば定額使い放題と思ってるから、優秀な人間の評価ができない。お金を稼ぐには残業。優秀かどうかは能力ではなく(時間)
ある意味、処女を開発して洗脳させるのが新卒採用だからなあ・・・。
経営者には都合がいいのだろうけど。
時間給だと、どうやって一つのタスクにかかる時間を延ばすか、にスキルポイントを振ってしまうのはあると思う。
結果として、その人の能力50%も使ってないってことになるのでは?
JDを明らかにして、その人が意識的にスキルをチョイスしたほうが、長期的にはいいと思うけどなあ。
完全歩合制みたいなの考えたりもしてたけど、結局それやりだしたら無能が弾きだされるし、
効率最優先になって、どんどんいらない仕事が減っていく(失業者だらけになる
そろそろおかしいんじゃね?と気づいていいんじゃないかっていう。
まあ効率最優先になると、国レベルでどんな弊害が出るかもしれないし。
なので10万円っていうのは、ベーシックインカム・セーフティネットのつもりで書きました。
まあAIやRPAが発達すると、多かれ少なかれそっち(効率優先)の方向になっていくのかと。
そういうことができなくさせるための仕組みづくりが、今回のアイデアって感じですね。
民主主義を捨てると何が起きるかってことが。
ほかの社員への協力というのもタスク化されるから、それも成果として可視化される。
あと、このモデルが仮に実践されるなら、教育も必要なくなると思ってる。
最初からタスク内容が100%分かって入ってくるのでミスマッチがない。
風通しについては、
給与とスキルデータが全社員に可視化されるから、全員スケルトン状態。
誰もやりたがらないタスクは少しずつ対価が値上がりしていく仕組みとか試してみたくはある
これは思いつかなかった。
これができれば究極だよね。
明らかなブルシットジョブでも、誰もビッドしなければ値上がりして、最終的に誰かが食いつく。
MSはバルマー時代にこういう評価制度を導入したら皆が自分の短期的成果に繋がる仕事だけする状態になったので、ナデラCEOが「他メンバーの評価に貢献したら評価ポイントがつく」という制度に改革したという逸話がある
「マネージャが自分の仕事やキャリアを助けてくれる」のあたり。
https://www.publickey1.jp/blog/22/1_regional_scrum_gathering_tokyo_2022.html
そんな回りくどいことよりやっちまえよ、セックス
やっちゃえ日産
なにしろ暴力というのは、人々が自分勝手に行使すれば、ときに人権を脅かし、社会秩序を乱し、それを収めるには軍隊や警察など、さらに強い武力が必要となってしまう。人間社会では、いかに人の持つ暴力性を抑え、あらゆる対立を非暴力的な手段によって理性的に解決する努力がなされてきた。
だから格闘技においても、暴力性をいかに否定し、大衆文化として認知されるかというのは、常に大きな課題なのである。朝倉やABEMA、スポーツ紙などに欠けているのはその認識で、格闘技に関わっていても、そもそも格闘技とは何で、どのような均衡の上に成り立っているのかという点を十分に考えていないように見える。
多くの格闘技はそれぞれルーツを辿れば血なまぐさい原点を持つ。プロボクシングもその原点は奴隷を死ぬまで戦わせる古代の見世物だった。原始的で野蛮なものが、社会が成熟する過程でスポーツとして整備されるのには、かなりの年月を要している。
歴史の古いボクシングは、かつて白人が黒人との対戦を拒否できる制度のために人種差別問題と無縁ではなかったり、プロモーターによる選手の独占的契約が「奴隷制度」と重なって、アメリカではこれを規制するモハメド・アリ法もある。五輪競技となるまでにも紆余曲折あり、良識派の人々から「暴力ショー」と見られることから、関係者たちは必死に自分たちの協議を守ってきた。
総合格闘技の変化
一方、朝倉がやっている総合格闘技についても、いま世界的な人気イベントとなったUFCでさえ発足当初はルールが整備されておらず、1993年の第1回大会は目潰し、噛み付きなど最小限の反則以外は自由で、無制限ラウンド、体重の階級制も判定決着もなかった。
そこで暴力ショーとの批判が各地で巻き起こり、アメリカ国内でも開催が許されたのは一部の州だけだった。実際、ケガ人も続出。日本でも初期UFCの影響下で行なわれた1995年の「バーリ・トゥード・ジャパン」では、中井祐樹が相手の反則で右目を失明した。
背景には、ポルトガル語で「何でもあり」を意味する大会名のために、大会がノールールの喧嘩マッチのようなイメージとなっていたことがある。いまほど格闘技が「スポーツ化」されていない時代には、ルールを守る意識の薄い格闘家がいたのだ。
結局、エンターテインメントの発展がうまいアメリカでは、UFCは、2000年に州のアスレチック・コミッションが指導した統一ルールに従って、28回目の大会から一気に「競技化」が進んだ。ルールが整備されると参加者が増え、喧嘩屋レベルの者が淘汰され、いまやプロボクシングに並ぶ人気イベントになった。
アメリカのコミッションは、日本のボクシング・コミッション(JBC)のような一財団法人ではなく、知事が責任者を選ぶなど行政下の組織で、強い権限を持つ。格闘技イベントの聖地、ラスベガスのあるネバダ州コミッションの責任者、ボブ・ベネット氏は元FBI捜査官で、力の差が大きいと判断したマッチメイクは、主催者が大手の組織でも遠慮なく却下した。
ベネット氏は「とても危険な職業なので、できるだけ安全にするのが我々の義務」と語っていた。アメリカであれば、朝倉と素人の喧嘩ショーは、コミッションが開催許可をしなかったはずだ。
依頼表紙を表紙詐欺よばわりする言語道断マロがまわってきた。こういう失礼なマロはちょっと人気がでちゃうとどこからでも湧いてくるのだ。だから人気が出ない方法を教える
・まずトップジャンルのマイナーカプあたりに思い入れる。年上おじさんcpとかがいい、高校生cpだのへてろcpは人気がでるからダメ
・小説に思いのたけをこめて4万字くらいにする。これでバカがついてこられなくなって振り落とされる
・あとは表紙を他人に依頼する場合は国内絵師ではなく外国絵師のコミッションをつかう。国内絵師はおなじ時期におなじイベントを狙っているために自分の原稿の締め切りとカブるので断られがちだ。(同じイベにでてこない人は暇なのではなく私生活が忙しいのだ)
・長い、表紙海外、この2要素がそろうとなんかアンソロに呼ばれなくなる。マイナーcpで人数少ないのにハブられてるときはたいていそれ。
娘は中学2年生。
今時の子供らしく漫画やアニメが好きなようで、鞄にはお気に入りキャラのキーホルダーが付いていたり、缶バッチがたくさんだったりする。
絵を書くのも好きなようで、自分にはあまり見せてくれないが毎日部屋にこもっては絵を描くのに没頭している。年の割にはうまい絵を描いていると思う。昔より環境が良くなったからなのか、最近の子の描く絵はみんな上手い。友達?が描いたという絵を見せられたこともあったがそれもなかなかうまく描けていた。
まあそれは良い。
学校でもアニメ好きの友達がたくさんいるようなので、多いに楽しめば良いと思う。
しかしだ。
タイトルの通りだが、娘はどうやら自分の書いた絵をSNS経由で知り合った人に売って対価を得ているということが発覚した。
どうやらTwitterのDM経由で依頼をもらい、書いた絵を相手に送って、自分はiTunesカードのギフト券のコードを教えてもらっているようだ。
額はそこまで大きくはないようだが、中学生が扱う金額にしては大きい。
それに相手は当然知らない人間だ。どんなトラブルに将来遭遇するとも限らない。
親としてはこれを辞めさせるべきだと考えている。
書いている絵は何かのアニメキャラがモチーフになっているものである。つまりいわゆる二次創作になる。
最近では昔の常識は通用しなくなったのか、グレーゾーンだったはずの二次創作で堂々とお金を儲ける大人は多い。
skebやコミッションなどと言って絵を描いて対価を得ているやつをよく見かける。
おそらく娘もこれを見てお金を儲けようと考えてしまったのだろう。
将来的にイラストレーターや漫画家のように絵を描いて生計を建てていく職業に就きたいというなら、それは応援したい。
そのために今から絵の勉強をして、ネットにアップして沢山の人に見てもらったり同志を見つけるのは良いと思う。
しかしだ、未成年のうちからそれでお金を稼ぐというのはどうなのだろうか。
真っ当なオリジナルの絵だったら、そして方法がもっとクリーンな方法なら良かった。
俺は親としてこういう行為は、二次創作に関する法律的な解釈やお金を稼ぐという意義についての知識や精神を身につけてからでなければやらせるべきではないと考えている。
娘には絵を描くのは良いけど、それで対価を得るのはやめなさいと伝えた。
そしてインターネットでそういう行為を行うリスクについてもしっかりと考えるようにも伝えた。
わかったとは言っていたが、伝わっているのかはわからない。
正直、隠れて続けようと思えば続けられるのであとは娘を信用するしかない。
娘の将来を案じての行動である。
なんというか、自分の娘がこんなことをするとは思ってなかったので困惑している。
いらないことだったのかもしれない。
なんであの時こんなことをしてしまったんだと将来また悩むだろうか。
いいことをしたんだと思いたい。
ひょんなことから仲良くなり、DMで話したりする仲だった。話を聞いたりツイートを見る限り、生活が大変な中で頑張って同人活動をしていたからプロフ欄の欲しいものリストとか結構送ってた。
ちょうど一年前にあなたになら貰いすぎてますし、無料で描いてもいいですよ!と言ってもらい、即座に依頼。忙しいから時間かかるとは聞いていたが、一年たったのでそのことに言及してみると忙しいから無理ですと言われ、逆切れされブロックされた。
このご時世でもデートしていたり、趣味絵を何枚か描いていた。確かに企業案件も貰ってて、今は年末まで予定パンパンみたいだから忙しいのは確かなんだとは思う。
描いてくれなかったことはショックだけどあんまり気にしてなくて、それよりも自分のキャパシティを超えてしまって描けないってなったんなら自分から断ってほしかった。こっちを罵るような言い方もしないでほしかった。無償で描いてくれなんてあなたの画力を考えたら無茶なお願いだったのは分かっている。
それ以来、その神絵師ににとって自分はただの都合のいい財布だったのか。Twitter上で絵を上げて同人活動している人種はお金に関してどれくらい考えているんだろう。お金が絡む関係になると縁を切るのが億劫になるから依頼を受けないとかあるのかな。コミッションで金払い悪いフォロワーは切るとかあるのかな。そんなことばかり考えていたら絵師に対してがめついイメージが付いてしまった。お金を稼ぐのは全然悪いことじゃないけれどね
好きなクリエイターにお金払ってリクエストで作品を作ってもらう、いわゆるコミッションというものが好きで、今までに何人かの人にお願いしてる。自分が求めてたものを作ってもらえるのって最高だ。
でも、あるクリエイターさん(これまでにたくさん作品を作っていてその分野では無名ではない)に3年前にコミッションを依頼して、今連絡が取れなくなっている。2019年まではメールの返信もあったけど、今は繰り返しメールを送ってても返信なし。でもその人はSNSは月一以上のペースで更新してる。それじゃあと思ってSNSの個別メッセージに連絡入れても音沙汰なし。
どうしたもんかなあと思っていたら、最近長文の投稿があった。要約すると「たくさん締切があって肉体的精神的にも追い込まれた。自分の時間が全然取れていない。重要なのはセルフケアだとやっと気づいた」みたいな感じ。
確かにたくさん仕事あって忙しそうだしお大事に……とは思うけど、一言でもメール送れないもの?SNSの更新の片手間でもいいからメール返して欲しい……安くないお金を前払いで払ってるから不安になる。「お忙しいのは承知しておりますが、大雑把で大丈夫ですのでいつくらいに仕上がるのか予定を教えていただけますでしょうか?それとも、返金していただいてお取引を白紙に戻したほうがよろしいでしょうか?」って聞き方悪かった?
なんか今はこの状態でメール送っても追い討ちっぽくて送れない気がする……こういうの別のクリエイターさんでも1件あって未だにお金も戻ってこないし、作品も手元に来ない。
こういうのどうしたら解決できる??
もう私にはわからない。
【追記】
これ海外のクリエイターに頼んでる話なんだけど、仲介の事務局も本当にあてにならない。
納期が遅れてても、こっちが連絡しない限り向こうからは言ってこない。
定期的にこっちから「この件どうなりました?」って連絡してて、最近やっと「スタッフに確認したところ、ちょうど最近作品が仕上がって事務局に納品されていたようです。これから送ります」っていう返信がもらえた案件もある。
・ジャンルを移動しないで書いたらいいとおもう。普通は古巣であっても2ヶ月とかで移動できない。そんなに頻繁に移動できるのなら落陽じゃないジャンルだけにしぼって新規供給ネタ織り込んでかけばいいとおもう。固定客をつかめ。
・字数1万はそこそこかけるほうだけど長編ではないしありがちな少女漫画のひきうつしみたいなボーイ・ミーツ・ボーイで埋めれば飽きられる程度の字数。長くならざるを得ない珍しいネタを精選するのはどうか。あるいは、ド王道で特段の仕掛けもない心理描写と状況説明だけで玄関マットを狙うとか。玄関マットになるには字数もっとかせぐか絵師にコミッションで表紙かいてもらう。
・どうしても目に見えるブクマ数がほしいならいつでもそこにある安心感よりかまってちゃんな不安定感がお手軽。期間限定再録とか。おすすめはしない。
感想がもらえないという話を良く見るが、だったら金で買えばいいじゃないかと思う。
そりゃほしい感想って自分の作品を心から面白いと思った人が思わずどうしても伝えずにはいられなかった感想ってやつなんだろうけれど、ジャンル自体が小さいとかカップリングに人がいねえとかここにいるのは俺一人なら無理じゃん。私は単純に褒められたいっていうのとどこが面白くないのか教えてほしいってのだけどさ。
ってことで金で感想を買った。
どこで買ったか書くとステマだなんだ騒がれるから書かないけどどうせ出てくるサイト2つぐらいだろうしそのどっちかだよ。コミッションで買った。複数。
一応ジャンルを伝えたところ相手はジャンルを知らないらしい。ざっくりとジャンルの説明をして登場人物の軽い設定を書いて一番詳しいwikiじゃないページも伝えて本文を送った。
感想と批評を選べる人は批評で頼んだ。褒められたいけどどこが面白くないかも知りたい。
一人からは、約1000字ほどでどこが面白かったか書いた感想が来た。元気が出た。
一人からは、約5000字ほどで、どこが面白かったか、どの部分に違和感を覚えたか、誤字脱字のチェックが来た。非常に参考になった。
一人からは、約7000字ほどで、どこが面白かったか、どの部分に違和感を覚えたか、誤字脱字のチェックが来た。もうひとりの違和感の箇所を指摘してくれた人の感想・批評と見比べながら再度読み直して確認すると、なるほどここの部分はおかしい。修正したら読みやすくなったし流れが良くなった。
ということで、元気が出たし、修正もできたし、金で感想を買って良かったなっていう感想だ。金を出しているからこそ最後まで読んでくれるしこちらの頼みも聞いてくれる。この箇所はどう思った?という、普通の感想をくれた読み手にはできない突っ込んだ質問も聞いてくれる。
自分一人で読んだだけではどうしても独りよがりになりがちな箇所を第三者の目から見て聞けるのは良かった。
説明の足りない箇所や書き手は理解できるが読み手は突然すぎてわからない箇所を指摘してくれるのは大変助かる。
その後修正を加えて無事発行した同人誌の感想は、まだ届いていない。この三件が現在出した同人誌に対する感想の全てだ。これもなかったらきっと心折れてたから頼んで良かった。何度も読み返している。
私にはずっと推しているカップリングがある。ジャンル的にはそこそこメジャーだけど推してる二人はマイナーで細々と自給自足していた。ブクマも少し貰えたしコメントも嬉しかった。
だけど待てども待てども自分以外の作品が増えない。勿論書きたい話見たい話を書いてるから自分で読んでも萌えるんだけどそれでも他人が描いた推しが見たい。
悶々としていた所で、skebというコミッションサイトを見つけた。要は投げ銭式のお題箱で、コミッションは一般的に依頼者とクリエイターで何回もやり取りをし作品を擦り合わせていくが、skebは基本的に一回依頼文を送れば後はお任せ。だから当然解釈違いもある。
でもやり取りを極力避けたい私にはこの上ないサービスだった。速攻でジャンルを知っているクリエイターに依頼し、納品を待った。
作品が納品されたとき、冗談抜きで泣いてしまった。私以外が、大好きな二人を描いてくれている。たとえそれがお金の力であったとしてもだ。
そこからはたがが外れたように依頼を繰り返した。最初はせめてジャンルを知っている人を選んでいたが最終的にはこの二人を可愛く描いてくれそう!と直感で依頼をしていた気がする。とにかくそれでもたくさんの推しカプを手に入れることができて私はとても幸せだった。
「いくらマイナーで飢えているからって、推しを何も知らない人に描いてもらって嬉しいのか?」
なるほど、確かにそういう意見も最もだ。平たく言えば愛がない人に描いてもらっても意味がないんじゃないかと言うことなんだろう。
だが私は沢山依頼をしていくなかであることに気がついてしまった。
知らない人が見た推しカプ、口調その他諸諸解釈がめっちゃ新鮮じゃね?と。
うわ~こう喋らせるのか!私こんなの思い付かなかった!と納品が来る度に唸っている。