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はてなキーワード: ゲームデザインとは

2023-12-27

mihoyoってなんで訴えられないの?

崩壊3rdはまんまベヨネッタだし、原神は言わずもがなブレワイだし。どちらもmihoyoの方を先にプレイしてたから当時は何も思わなかったけど、後々パクられ元をやってみたらまんま同じでびっくりした。原神なんかサービスから言われてたけど、敵の造形とか草むらで火属性攻撃使ったら草が燃え上昇気流が発生するとか、そういう細かい工夫まで丸パクリじゃない。以前コロプラ任天堂ぷにコンの技術云々で訴えられてたけど、ゲームデザインとかゲームシステムって特許とかないから訴えようがないのか?もし請求できるなら何千億とか行きそうなくらいの規模感。どうなんすか。

2023-12-26

anond:20231226232357

そこはAIやろなあ

AIがそれっぽい会話するNPCやそれっぽい室内の内装とかそれっぽいお使いイベントとか用意してくれるでしょ

そこで実現可能になる新しいゲームデザインはきっとめちゃくちゃあると思うので期待してる

人種はそれはそう。将来の人類タイガー・ウッズみたいに多人種が溶けていくと思うんだけど現代アメリカ人種サラダボウル)の再現で留まってる作品が多すぎる

個人的にはAAAゲームとしてよく作られていても提示する価値観無難になりがちだからもう刺激がないと感じるようになった。NTR伝説ミニゲーム(猫やお婆ちゃんを轢くとペナルティだけどチャラい男を轢くと高得点という運送バイト)みたいな作者の偏った感性に触れたい。やっぱインディー

anond:20231226235253

いや、ガチャゲーって認識ちょっと違う。力説していいか

原神と、同社次作のスターレイル(両方ともTGAのモバイル部門受賞、AppleGoogleベストゲームも受賞)のガチャシステムは、ランダム性を低める工夫が施された、いわば疑似ガチャシステムになっている。

ルートボックスなどに嫌悪感の強い欧米圏でも、これら原神やスターレイルが受け容れられていることから推測してほしいが、国産ガチャゲーとは似て非なるガチャゲーのアコギ感を極力薄めた仕組みになってんだよ。

ちょっと時間がかかるから追記していく。

まず、基礎確率がめちゃくちゃ低い。0.6%でまず引けない。これがすごく良いんだ。そして、★5天井が90連なんだが、そこまで到達することはまずない。というのも、74連目あたりから6%ずつ上昇していく仕組みになっている。

から、運に左右されることがほぼなくて、だいたいの人はだいたいのケースで80連前後に★5を引くことになる。定量配布みたいなもんだな。重要革新的なのは、1~73連の間に引けることがまずない、という部分。

ランダム性があるとしたら、★5を引いたときにかならずしもピックアップキャラじゃない点で、50%確率ピックアップ50%で恒常★5キャラとなるんだが、一回恒常を引いたら次はピック確定となる。

から期待値としては、94連くらいごとにほぼ全ての人がピックアップを1体ずつ得ることになって、国産との違いは、その期待値収束する度合いがかなり高いということだ。

国産ガチャゲーは、基礎率を高くとって、なんならフェスとか言って確率ボーナスする時期を設けて射幸性を煽る。

運さえ良ければ10連や20連回しただけでポロッとウン万の価値があるものが手に入る、そういう射幸性によって中毒性を作り出すことで、ゲーム性がチャチでも夢中にさせられる。

そこが従来のガチャゲースキーム限界だった。そのスキームに収まってるうちは、運による格差をつけて煽るほど儲かる。真逆アプローチだな。

でも引きが悪いとユーザーは離れてしまう。格差を埋めるために、無料10連とかいバラマキ期間を定期的に設けたりして、無課金者が課金者に追いつく余地をつくる。

でも、そういうアプローチは性能インフレありきだからせざるを得ないことで、しか課金のしがいを失わせる。課金して得たものが、無課金者も手軽に入手できてしまうわけだから

原神とスタレはそういうことを一切やらない。課金価値はいつも一定で、ガチャ課金しているというよりは、入手スパンを短縮するための時短課金のような印象に近い。

国産ガチャゲーに慣れている人からすると、「石配布が渋い」ということを最初のうちは言われがちだが、労せずに得られる無料石はたしかに少ない。

作りこまれゲームコンテンツをやり込むことで得られる分は、十分にあるので、ゲームを作る側としても、ちゃんと遊んで貰えるのでモチベーションになるだろうな。

キャラクターの設計も巧妙で、いたずらにインフレさせるようなことはせず(キャラクターの設定を反映して強めのキャラはいるが)、基本的に組み合わせによる、遊び方の幅を横に広げる系の調整になっている。

から環境に追いつくためにガチャの最新キャラ固執する必要もないし、なんなら★4キャラの性能も優れたものが多くて、ガチャゲーに多いTierリストなんかは自分の使い方次第なのであまり役に立たない、いいゲームデザインをしている。

それでなお売上をあげているのは、ガチャゲーのように、廃課金者という上位数%の「太客」に依存して、いかに太客の財布の紐と脳みそをぶっ壊すか、というビジネスモデルを脱却してるからだ。

原神やスターレイルは、ほとんどの人は月額のプランと、バトルパスくらいで遊んでいて、それで月2000円くらいだが、そういう層を引き付けるだけの、ゲームの中身を充実させ、音楽ものすごく凝り、キャラクターを魅力的に見せるためにシナリオ動画を作り込んで、ファンを作り、いわるゆるサブスク課金層をグローバル展開して分厚くすることによって得ている立場だ。

これは飛び抜けた開発力がないと真似できないことではあるが、ゲーマーにとっても理想的エコシステムだと思うんだよ。

それに、サブスク課金ベースにあるからこそ、原神のガチャは、天井期待値94連で計算して2万円ちょっとと、国産ガチャゲー(平均6~7万)よりもだいぶ良心価格で済んでいる。

あと言い忘れていたが、ガチャシステムの特異な点として、天井引き継ぎがある。

国産ガチャゲーだと、天井が高いので、無課金や微課金だと何ヶ月分も石を貯蓄しないと天井に到達できなかったりするが、原神スタレはそうではない。

天井までのカウントが、次回のガチャバナーまで引き継がれるので、すべての引きは、★5へ至る着実な積み増しとして認識することができる。

国産ガチャゲーだと中途半端な貯蓄でガチャに挑み、天井に届かぬ半ばで目当てのが引けなければ、ただ石を失った喪失感けが得られるが、そういうことがない。

また、天井が引き継がれることで、カウント計算してさえいれば、ロードマップ等とあわせて、取得を計画的に実行することができる。

73連手前でストップしておき、目当てのガチャ実装されたら回せば、すぐに引ける、という、ガチャですら一種リソース運用ゲームへと化けさせることができるのは、ランダム性を制御可能なくらいに低めたことの功績だ。

言いそびれていたがキャラクターのガチャピックアップされるキャラは常に1人なので、ピックアップ確定なのにほしいキャラじゃなかった、ということは存在しない。復刻があっても、ガチャバナーは別なので問題ない上、カウントだけは共有される親切仕様だ。

結果として、キャラ取得にかかる費用(予算)も、引けるポイントがほぼ確定しているために予測できる。

ただ原神の場合武器ガチャだけはダブルピックアップ邪悪仕様なので、これに手を出すのは非推奨かつ予算予測不能になるが、普通に遊ぶ分には手を出す必要は皆無だ。

ともかく、自分が払いたいと思える額だけ、コンテンツに正当な対価を支払うことを理性をもって出来る仕組みになっていると言えるだろう。

こういうビジネス周りの革新があるからこそ、HoYoverseは一躍時代の寵児となったと俺は思ってるんだよ。よそが猿真似して成功できるとは言わないが。

俺的には、運に金を払いたくない人にこそオススメできる、次世代ゲームのあるべき形だと言っても過言じゃない。

2023-11-28

エルデンリング本質は「どこまで自分に縛りプレイを課すか」

anond:20231127194936

タイトルが全てなんだけど、もうちょい無駄コメント残しとく。

エルデンリングが秀逸なのって、みんなが強敵だって言ってるボス方法さえ問わなければ意外とどうにかなることなんだよ。

自分過去ソウルボーンシリーズプレイ状態ベータテストに参加し、ツリーガードで挫折した人間です。発売日当日にゲームも買って、ツリーガードとかマルギットを初期条件で倒そうと躍起になってた時期があった。

でも途中で気づいたんだよ。それ本当に楽しいか?

そりゃさ、1つのボスに縛りプレイで1時間2時間かけるのも人によっては悪くないよ。でもそういうプレイってアクションゲームそんなに得意じゃない人間がやりつづけたら疲れるわけよ。

ゲームってのは究極楽いかどうかが全てであって、自由度に惑わされて誰にも課されてない筈の縛りプレイ自分に課してゲームに飽きるのって本末転倒なのよね。

まあ初手でツリーガード出してくるゲームデザインがクソという問題はある。手加減をしろ

でもエルデンリングってそういうシビアゲームデザインにしつつ、「楽しようと思えばいくらでも楽できる」って構造でもあるので、結局は自分自身とどうゲームを向き合うのかって話になっちゃうんだよね。

結局初手でがんばってツリーガード倒そうとするのとか、マルギットと支援なしで戦うのかって、レベル1のままFF7全クリしようとするのとどのくらい違うんだよって話ですよ。

自分自身との戦いに興味がない人はエルデンリングの縛りプレイはさっさと諦めた方がいい。その方が楽しめる。

2023-11-17

スーパーマリオRPG面白さが未だに分からない人間に教えて上げる

タンスを漁ってアイテムを獲得」→「ジャンプして隠しブロック発見」への変換

もうマジでこれが究極的には全てなんだよ。

マリオRPGの何が面白いってここ。

マジでここ。

ここに全てが詰まっている。

ユーザー能動的に世界に対して働きかけることで世界の謎を解き明かす機会が与えられていることが素晴らしいわけ。

RPGってのは冒険のロールプレイだけど、冒険ってのは探索なわけだよ。

フリーレンが「クエストアイテム一直線なら5分で終わるスカイリム洞窟を3時間かけて探索する。勇者ヒンメルならそうした」と語っていたように、探索の楽しみとは一直線に正解に至ることではなく、寄り道してでも世界を隅々まで知りつくそうとする好奇心によって生み出されるわけだ。

ドラクエが出た当時であれば人類はまだまだRPGについて詳しくなかったから「民家のタンスも調べられるんだ!スゲー!なんか強い防具みつけた!」で感動できた。

でもRPGというジャンルが成長するに連れてそれは見飽きた体験になった。

街での探索はただ面倒なだけになり、ダンジョンでの宝箱探しも作業になった。

マリオRPGはそこに革命を起こした。

アクション要素のある探索と露骨な導火線の組み合わせによって、プレイヤーが主体的世界の中に隠されたアイテムイベントを探すワクワクを蘇らせたんだ。

探索→シンボルエンカウント戦闘の全てにアクションが絡むことが世界をほどよくシームレスに変える

マリオRPGではどこでもマリオジャンプ出来る。

それは戦闘中でも変わらない。

タイミングよくジャンプをすることで謎を解き、敵に先制を仕掛け、ダメージボーナスを得る。

マリオRPGはいだってアクションでありRPGだ。

アクションRPGが融合したゲームは数多くあるが、その多くが「フィールドでそのまま敵と戦闘」もしくは「戦闘中だけアクションゲームに変わる」という方式となっている。

テイルズやSOのように戦闘中は思いっきアクションをするゲームでもなく、メトロイドヴァニアのように常にアクションしているゲームでもない。

マリオRPGではフィールドでもアクションをするが、戦闘中はそれとはまた違った形でアクションが絡んでくる。

メリハリがありながらもテンポを大きく変えすぎない2つの空間の行き来によって、シームレスでありながらも変化のある体験を生み出している。

マリオRPGアクションRPGでも戦闘アクションRPGでもなくアクションRPGという独自スタイル確立しているのだ。

主人公フィールド探索のプロフェッショナルであることの納得感

では他のRPG主人公フィールドでピョンピョンジャンプすればマリオのようになれるのか?

難しいだろう。

マリオフィールドでピョンピョンジャンプするのはもうマリオからということで納得がいく。

自分身長の何倍も飛び上がることが日常と化した男であるからフィールドを所狭しと飛び回ってギミックを起動させていってもなにも違和感がないのだ。

もしも剣をかついだ無名オッサン自分身長の何倍も飛び跳ねるゲームが出てきたら、きっと皆意味が分からなくて混乱するだろう。

マリオからジャンプするという説明不要の要素、そこにRPGから探索して戦闘コマンドバトルするという説明不要の要素、2つが欠け合わさり「ピョンピョン飛び跳ねながら探索したりコマンドバトルする」という未知のゲーム性が圧倒的納得感で提供される。

マリオRPGマリオで無ければ成立しない。

少なくとも、ここまでスっと簡単に受け入れられることはなかっただろう。

ゲームコンセプトとキャラクター完璧リンクさせ、余計な説明を省いてプレイヤーにゲーム内容を納得させる。

ゲームデザインが完全に勝利している。

マリオRPGは単にマリオRPGしているだけではない。

マリオから」によって説明スキップしながら、他のキャラクターでは難しいタイプRPGを成立させた「キャラクターネームバリュー有効活用した傑作」なのだ

凄いんだよマジで

2023-11-10

anond:20190809215932

追記カービィ関係ないけど街コロも面白いな。

https://www.g-rounding.com/board-game/%e8%a1%97%e3%82%b3%e3%83%ad/

ブランド   グランディング(Grounding)

ゲームデザイン 菅沼正夫氏

2015年 ドイツ年間ゲーム大賞の「年間ゲーム大賞」にノミネート

個人的に思うのだが観光と関連付けて街コロ京都編とか街コロ金沢編とか街コロ東京編とかあると面白そうだなーと思った。

街コロでは日本的な店が寿司屋くらいしかなくて・・ワイナリーとかなんか社会科的には馴染みがない・・・

2023-10-17

サムライレムナントが思ったよりずっと面白い

何がびっくりってFateなのに普通ぐらいに面白い

Fate連作品って信者忖度して評価するんでしょって思ってるひとにすら勧められる。コーエー頑張った

 

先に書いとくがストーリーは手放しには誉めにくい。というかゲームシステムが先行してて、ゲーム中の大まかなイベントを先に作る都合で話のあらすじはだいぶ大味になった感じ。

FGOやったことある人は、だいたいFGOシナリオ平均と同じぐらいだと思っとけばいい。

いつものFateと同様、ストーリーはふんわりでもキャラ立てはしっかりしてるのでキャラだけ味が良ければいいって人はアリ。

(これはナスキノそもそもドラマストーリー作れない、設定だけ用意しておいて、あとはキャラの心情で話が進むって作風なので、そういうもんだと了解するしかない)

 

ゲーム部分はなぜか知らないが開発元の違う Fate/EXTELLA のリファインのよう。

ただしエクステラサーヴァント操作して戦ってたが今回の操作キャラ普通人間サーヴァントサポート

エクステラであったエリアの取り合いはFGO聖杯戦線みたいなマップと組み合わせて遊びやすく。

エクステラで殺風景の極みだったステージ江戸時代の街並み再現Fateとは思えないぐらい現実世界と連動した奥行きある空間に。

 

たぶん全員が誉めるだろうが、主人公サーヴァントの間に圧倒的な格差があるのがいい。

ゲーム内で出てくる敵は

人間雑魚人間の強キャラ(達人クラス)≦怪異雑魚怪異ボス<<<<サーヴァント

といった強さヒエラルキーがあり、主人公宮本伊織は当初は人間雑魚と強キャラ中間ぐらいの強さ。

そこからレベル上げてくとだんだんサーヴァントの足元ぐらいまで辿り着く。

強さがゲームデザインやグラフィックでわかりやすく示されるの本当にFateかって驚く。

 

なんせextraやEXTELLAは敵キャラグラフィックがどうしてもしょぼいし、FGOソシャゲなので課金優先の都合上レベルデザインなんか存在しないし、

メルブラキャラデザインの差別化が難しくてグラフィックで訴えるの難しいし

(まあ今どきのコンプラだとブランカダルシム不知火幻庵みたいな視覚的にきっちり差別化されたグラフィック採用できないんだろうけど。ゲーム上の差別化人権上の差別ってことになっちゃうし)

そんななので、ゲームデザインを通してサーヴァントの強さというFate世界観が表現されてるの、Fate嗜み勢からしたらそら嬉しい。

ゲームとして遊べるって外に向けて言えるの、extraの1作目ぶりぐらいじゃないか

(cccはシナリオは以降の型月的に必須なんだろうけど、ゲーム的にはextraとまるで変わらないんで流石に辛いっていうか飽きるっていうか)

2023-09-20

anond:20230919203708

どんなゲームでも作業感がでてきたら辞め時だな

戦闘というゲームの肝である部分をオート任せにできるようなゲームデザインはクソ。

ファイナルファンタジーシリーズで唯一評価できるのはオートがない事(ガンビットOK)。

「答え」が氾濫している Starfieldで思ったこ

Bethesdaの最新作である、Starfieldを遊んでいる。Bethesdaの最新作とだけあって、プレイヤーには簡単説明しかなく、ゲーム内で何ができるのか、どう進めばよいのかは、プレイヤー自身発見させるようなデザインになっている。

一方でこのゲームデザインに対して「不親切」という評価を下している人が多いことにも気付いた。実際遊んでいても確かに不親切だと感じる部分はある。そもそも有人星系のニュー・アトランティスMAPすら実装されてないか

どこに何があるのか分からない。そこすら未知ってどういうことだよ、とは確かに思わなくもない。

今分からないことがあれば、YouTubeで調べれば1発で答えが出てくる。Stafieldもそう。ニュー・アトランティスMAPもそうだし、前哨基地の作り方もだし、特定ミッションの進め方もそうだし。

でもこれらを何も考えずに見て答えを得ちゃうと、ゲーム本来面白である「探索と発見」のカタルシスを感じられなくなるんじゃないかなと思っている。

もちろん、丁寧に作られた攻略動画批判するつもりで書いたわけではない。多くのプレイヤーにとって、というか自分にとっても参考になる内容ばかり。

YouTubeで調べれば答えがすぐ見つかる中で、どれだけ自分自身で考え、探索するかが、Starfieldのようなゲーム面白さを決めるよなと再認識した。

しかしたら、Starfield遊んでて自分自身で答えを見つけようと努力することって、ゲームだけじゃなくて、人生のものを豊かにする秘訣かもしれない。

2023-09-17

1周50時間とかかかるゲーム選択要素入れるのマジで辞めて欲しいんだよなあ

SO2(スターオーシャンセカンドストーリー)がリメイクされれるみたいっすね。

前回プレイ時はあのキャラで進めたから今度はあのキャラでやろっかな~~~年食って性癖も変わってきたしな~~~みたいに思っちょります

でもビジュアルアップデートとか追加要素とかありそうやしオキニパーティーで進めるべきなんかなー、この年で2周やるのはもういよいよしんどいしなーみたいに悩んでるでゲスよ。

そこでふと気づいてしまったデヤンス。

最初からキャラ仲間に出来るようになってればよくね?

だってソシャゲとかそうじゃん。

金はかかるけど全員仲間になるじゃん。

まあワシは無課金主義じゃけえ本当に狙ってる子以外は来た子を可愛がる運命論者ですがよ。

ソシャゲパーティー完全武装できんのは金払いが悪いワシのせいやが、フルプライス払って買ったゲーム自由パーティー組めないってダルくねって思うわけですよ。

これがチンチンナイフカレッジソードの二択とかだったらまあ我慢できる所はある。

でもキャラで二択はな~~~~片方が完全に2周目用の捨てキャラとかならまだしもな~~~。

たとえば「アシュトン」or「ゴブリンゴブリン之助」みたいな二択だったら、ゴブリン丸は面白ストーリーだけツイッターニコ動でまとめてるの見りゃいいからで切り捨てていけるじゃん気軽に?

せめてそれぐらいであって欲しいんだよなー。

2周目用の縛りプレイとしての選択肢以外であって欲しくないんだよ。

つうか攻略本見ないと見落としちゃうからビビって「ネタバレは嫌だけどここだけは見なきゃ……」と『取り返しがつかない要素』みたいなページを見るのが本当にやだ。

アモスみたいなオマケキャラなら我慢できるけど、そうじゃなくてガチ大事キャラ選択要素だったり選択肢ミスったら仲間にならんかったりみたいなのしんどいですよ。

最近ゲームはノーストレスプレイヤーも雑魚ばっからしいっすねwwww」みたいな話をどこぞの菌類がしてたけどよー、それは正しい流れだと思うのよさ。

良いストレスと悪いストレスっていうか、無駄ストレス無駄じゃないストレスっていうか、見落としても後で取り返しやすストレスと下手すると何も残らなかった感触さえあるストレスっていうか。

ダクソ1一周目攻略本なしクリアしてから、完全に行ってなかったダンジョン存在したことに気づいて「あそこで急に難易度上がった気がしたのってアッシが階段飛ばしたからだったデヤンスー!!!!」となるのを耐えられるのは究極ダクソがお礼参りを楽しめるゲームデザインからっていうか。

RPGでやって欲しくないんすよね。

攻略本縛って後悔まみれの1周目をやって、攻略本必死に見て2周目するようなことになるようなデザインは。

RPGはね~~~何度もやるのがダルいんだよ~~~~効率プレイできるゲームだけどさSO2は。

でも効率プレイしすぎると冒険感が濁って作業感が増すんだな~~~。

マジさ~~~このへんのストレスからフリーにしてくれ~~~~。

客の望むストレスだけくれよ~~~。

次の日ケツが火を吹かない激辛トッピングを出してくれよ~~~~。

ゲームってのは究極的には「良いストレス提供するための装置である」みたいなことを桜井 政博も言ってたでしょうが~~~~

2023-09-13

anond:20230913160748

少なくともエルデンにはなかったな。フィールドは広いのにスカスカ

死ねペナルティがあるのでリスポーン地点からまり離れられない、という探索を阻害するゲームデザインでありつつ、

そのうえで危険おかして探索してもそんなに有用アイテムは落ちていない、という設計だった。

2023-09-12

anond:20230912120816

間合いが重要なのは横向き2Dからそういうゲームデザインになってるだけで

サードパーソン3D格ゲーを作ったらそれに合わせたゲームデザインになると思うけどな

(で、こんなの格ゲーじゃないって格ゲーファンが言いそう)

2023-07-09

anond:20230705223250

2社に共通して致命的なのはゲーム業界ににマンガ業界の「編集」のポジションを無理にねじ込もうとして失敗しているところだと思う。

まずゲームではプラットフォームを自社で持てない(SteamPlayStationとか他社のストアでのリリースになる)ので、自由プロモーションをすることができない。

マンガアプリならユーザーデータかいくらでも取れるし、プロモーションや見せ方の改善とかもできるけどそういう操作ができない。

それからゲーム開発には1本作るのに2~5年は普通にかかる。いいものができるまで忍耐が必要で、連載という概念がないのでユーザーの反応を都度見ることができない。ONIはあと2年かけて物量出せば化けた。

マンガにおける編集は、作家に対するマネジメント短期間に複数並行でこなして1作ヒットが出れば成功、というモデルなんだろうけど、ゲーム開発は時間がかかるのでそういうサイクルが回せない。

そしてゲーム開発のディレクションには高度な技術ゲームデザインの専門知識必要なんだけど、そういう人材がおそらく不足してる。できたゲームの良し悪しが判断できないし、ユーザーの反応が悪かったとしてもそこから何を改善すればいいのか分からない。

マンガならアウトプットが絵とストーリーなのでまだ経験則系の知識で回せるのかもしれないけど。両社とも元ゲーム会社人材を雇ってる様子なので、この辺は今後よくなると期待してる。

2023-06-28

わたしたちが待っていたファイナルファンタジーと、卒業アルバムの君

ファイナルファンタジー16が発売された。metacriticでは88点というスコアだった。90点以上を目指していたというスクエアエニックス株価は下がった。

この駄文を読まれているあなたは、ファイナルファンタジー16をプレイされただろうか。私は体験版はもちろん履修済みだし、製品版も発売日の0時からプレイをした。

これは、わたしたちが待っていたファイナルファンタジーだった。紛れもなく、過去に燦然と輝く、ファイナルファンタジーというシンボルだ。

この記事は、ファイナルファンタジーに憧れて、焦がれ、待ち続けた人間戯言だと思ってほしい。

metacriticで88点。わたしが点数をつけるとしたらもちろん100点だ。過去から現在に至るまで、私にとっての最高のRPGファイナルファンタジーだった。

迫りくるストーリー戦闘臨場感演出における高揚感、これがファイナルファンタジーだ。RPGゲームの原点であり頂点。

それが、ファイナルファンタジーなのだ

いつからか、ファイナルファンタジーは憂いを浴びてきた。8からなのか9からなのかはわからない。5、6、7と革新的だったのは確かだ。

いつだってRPGにおける革命だった(ちなみに私は8が最も好きな作品である)。

そして、いつのからファイナルファンタジー斜陽代名詞となっていた。

あの頃は良かった。ファイナルファンタジーはこんなもんじゃない。

ファイナルファンタジーによって育てられた我々は口を揃えて言っていた。『これはファイナルファンタジーの本気じゃないんだ』と。

ファイナルファンタジー16は、我々が求めているファイナルファンタジーだった。

そして、過去へのオマージュもふんだんに盛り込まれていた。青魔法どんでん返し、そこから得られるカタルシス。にんまりとする。過去を愛する気持ちだ。

繰り返しいうが、これは我々が求めていたファイナルファンタジーだった。

そして、気づいてしまった。ファイナルファンタジーは、もう世界最高のRPGではないのだと。

重厚長大ストーリーと言いつつ、説明不足が目立つ脚本吉田氏は『王道』と評していた。果たして、我々が憧れたファイナルファンタジーとは王道だっただろうか?

いや、革新であった。

それは、ストーリーにせよ映像美にせよシステムにせよ、常に革新をもたらすことによってRPGというジャンル底上げをおこなってくれていた。

いつから斜陽代名詞となったファイナルファンタジーは、王道ゲームとなっていた。

ナンバリング16作目は、新作というより再解釈というようなゲームだった。

現在ゲームデザインに蘇らせた『王道』のファイナルファンタジーを、私は幼稚園小学生ときに憧れた君に照らし合わせてしまった。

まりにも、眩しく、かっこよく、かわいかった君。

年を取り、さまざまな経験をしたうえで実家に帰って卒業アルバムに写った君を見ている。

そんな気持ちにさせられてしまった。それがファイナルファンタジーから得られたものであった。

初恋はなにごとにもかえられない。いつだって過去最高だ。ただ、いまを生きるわたしには、もっと面白いゲームが待っている。

やっと思い出に別れを言えるときがきたのだと確信できた。いままでありがとう

2023-06-21

anond:20230620164314

ゼルダの伝説 ティアーズオブザキンダム プレイレビュー40代男性

90時間プレイしたレビューです。

あれから1ヶ月経ちましたが、まだクリアの目処は立ちません。

本当に途方もないゲーム、としか言いようがありません。

息子は70時間プレイクリアしてしまいましたが、私は進めるのが勿体無くて、それぞれの地方をじっくり見てから次に進もうと思っています

それでも取りこぼしたものがたくさんあり、すぐにでもまた引き返したいと思いながら、いつかまた再訪する日を楽しみに次の地域に進んでいきます

このペースで地上のマップを7割ほど開放しました。地底はまだ3割ほどです。

この90時間、退屈を感じたのはハイラルに降り立った直後だけで、その他の全ての瞬間がワクワクに満ちていました。

 

このゲームに対して文句をつけるとしたら、「面白すぎる」ということだけです。

何かを達成したときには次のやりたいことが10個ぐらい積み上がっていますが、ゆったりとしたゲームデザインになっているのでマイペースに進めることができます

緊張と弛緩のバランス完璧に取れていて何時間プレイしても疲れません。

子供たちが寝てからヨギボーに腰を沈めてプロコンを握り、心地よく冒険をしていると8時間経過して夜が明けており、妻がお弁当作りに起きてきます

1日の予定が崩れてしまい本当に困っています。「少しは退屈を感じる隙間を作ってくれ」と思います

仕事にも支障をきたし妻の機嫌も悪化していますが、人生最高の日々を過ごしていると言ってもいいのかもしれません。

 

まり言及されないものの、このゲーム重要な要素として洞窟存在があります

TotKのマップは空と地上と地底の3層であるとよく言われますが、実際には洞窟を含めた4層であると言ってもいいでしょう。

なぜなら、実質的ボリュームとして洞窟全体は空島全体よりも大きく、マップ存在しない洞窟プレイングは他のフィールドとは全く異なるからです。

踏破したエリアアカリバナで印をつけながら進み、マヨイを発見したらトールーフで地上に出るというプレイループはどの洞窟も同じですが、

似たような見た目ながらどの洞窟も地形の作り方でプレイヤーを驚かせようというクリエイティブに満ちていて飽きません。

小さい洞窟なのか、どこまで奥が続いているのか、奥に進むのか上に登るのか下に降りるのか、入った時には全くわからない所も好奇心を刺激してやみません。

 

数分で終わるつもりで洞窟に入ったら思いがけずどこまでも奥深く続き、気づいたら広大な迷宮遺跡に迷い込んでいて、遥か上空に浮上する方法に頭を悩ませ、最後には天空から地底まで一気にダイブするという驚異的な体験に、メインチレンジとは全く関係のない辺境出会った時には心底感動しました。

これこそが、このシームレスな多層フィールドで開発スタッフがやりたかたことなんだと理解しました。

 

仲間と神殿に向かうメインチレンジドラマチックで良いのですが、メインストリーを進める時にはこちらも身構えて期待も高まりすぎてしまもの

そこから外れたところにある「思いがけず出会う驚異的な体験」というものこそ記憶に深く刻まれもので、そんな体験への糸口が無数に仕込まれていることがBotWが私にとって特別ゲームになった理由でもあります

 

これまでの90時間にどれほどそんな体験出会たか・・・そしてこれからクリアするまでどれほどの驚きに出会えるのか・・・まだまだ楽しく眠れない日々が続きそうです。

 

クリアしたらまた改めてレビュー投稿します。

2023-04-29

[]ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

総評

130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。

130点の理由

見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。

主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画ありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。

あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。

でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。

こういう映画ってたまにあって、それは自分言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。

じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。

勇気を出して挑戦する、というテーマ

主人公マリオニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民大家族暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。

会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。

おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。

映画になって肉付けされたこマリオ像ってのは、結構好感度ありました。

主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。

それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。

これらは映画を含む既存ストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマ類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます内面問題弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品王道ですから

歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。

そういう歴史あるテーマ歴代傑作の洗練に対して、この映画エピソードづくりや演出最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸ファミリー映画」ですらある。

でも正しくそこがこの映画の中心なのです。

たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家一般ユーザーの間で、この映画評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。

ビデオゲーム

あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディア物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定ちゃん払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実問題駆逐されるなんてことはなかったわけです。

でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。

それは成功体験です。

問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!

そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲーム本質はこれで、これでしかないんです。

何か挑戦すべき課題突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲーム世界調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。

努力すればなんとかなる」。

そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要価値観が込められていることがわかるでしょうか?

スーパーマリオ歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲーム歴史です。そして、ビデオゲーム歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージ歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。

諦めないという、その尊さ

前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存物語メディアの、少なくとも映画文脈で言えばそのシナリオ演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。

まり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオ任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。

マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオ映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。

それをマリオは「スマート物事解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。

それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲーム主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。

そう考えてみると、この映画白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオピーチ姫への同行許可を得るために、練習コースに挑戦した部分だったと思い出されます

マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。

そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。

でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワー覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃん理解できるのです。

ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者理解感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画ドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲーム文脈を抱きかかえることができた。

映画ゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。

+30点はあるよ、ちゃん実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観ゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。

クッパ大王リサイタルはとても可愛かったしね!

2023-04-04

anond:20230404044542

金を出す人達にどういう部分に金を出せばいいのかイマイチ伝えきれていないゲームデザインだったのが不味かった

2023-03-20

anond:20230320224121

ゲーム通貨を利用したユーザー間の素材やアイテムクラフト装備のやりとりを有効にしてしまうと、RMTやるアホを切り離すのに莫大なコストがかかるようになる

マケ取引実装しないって決めるだけでゲーム用の予算が1年ぶん延びるレベル

からPCネトゲスマホソシャゲゲームデザインとしてはユーザー取引をやりたくても、RMT対策予算関係実装を諦めるというパターンが多い


…って聞く

課金アイテム以外だいたいなんでも売れる」ゲーム通貨マーケット存在してるゲームはその維持に苦労してるはずなので、ユーザー取引が好きだって人は運営の苦労をねぎらってあげるといいかもよ

2023-03-19

ゲーム歴史 GPT

ここ40年位の日本ゲーム歴史ハードの性能などを交えて取り敢えずプレステ辺りまでを解説して下さい

ここ40年間の日本ゲーム歴史は、多くの革新と発展がありました。以下は、主要なゲームハードウェアとその性能に関する概要です。

ファミリーコンピュータ (Famicom) / Nintendo Entertainment System (NES) - 1983年発売

任天堂が開発したファミコンは、8ビットプロセッサ(1.79MHz)を搭載し、最大52色のグラフィック表示が可能でした。これにより、スーパーマリオブラザーズゼルダの伝説などの名作ゲームが生まれました。

セガ・マークIII / Sega Master System - 1985年発売

セガが開発した8ビットの家庭用ゲーム機で、プロセッサは3.58MHzでした。最大64色のグラフィック表示が可能で、アレックスキッドファンタジーゾーンなどのゲームが人気を博しました。

PCエンジン / TurboGrafx-16 - 1987年発売

NECハドソン共同開発したPCエンジンは、8ビットCPU(7.16MHz)と16ビットGPUを搭載し、最大482色の表示が可能でした。このハードは、R-TYPE悪魔城ドラキュラなどのゲームで知られています

スーパーファミコン (Super Famicom) / Super Nintendo Entertainment System (SNES) - 1990年発売

任天堂が開発した16ビットゲーム機で、3.58MHzのCPUと最大32768色のグラフィック表示が可能でした。スーパーマリオワールドゼルダの伝説 神々のトライフォースなどの名作が多数リリースされました。

セガメガドライブ / Sega Genesis - 1988年発売

セガが開発した16ビットゲーム機で、7.67MHzのCPUと最大512色のグラフィック表示が可能でした。ソニック・ザ・ヘッジホッグストリートファイターIIなどのゲームが人気を博しました。

セガサターン - 1994年発売

セガが開発した32ビットゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターパンツ

途切れてしまったのでセガサターンから続きをお願いしま

すみませんセガサターンから続きを説明します。

セガサターン - 1994年発売

セガが開発した32ビットゲーム機で、2つの28.63MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、バーチャファイターパンツァードラグーンなどのゲームが特徴的でした。また、CD-ROM採用し、高品質サウンドムービー再生可能でした。

プレイステーション - 1994年発売

ソニーが開発した32ビットゲーム機で、33.87MHzのCPUを搭載し、最大対応色数は1677万色でした。CD-ROM使用し、ファイナルファンタジーシリーズメタルギアソリッドなどのヒット作が登場しました。3Dポリゴン技術進化により、リアルグラフィック表現可能となりました。

ニンテンドウ64 - 1996年発売

任天堂が開発した64ビットゲーム機で、93.75MHzのCPUを搭載していました。最大対応色数は1677万色で、スーパーマリオ64ゼルダの伝説 時のオカリナなどの革新的なゲームリリースされました。カートリッジ採用していたため、読み込み速度は速かったものの、データ容量が限られていました。

以上が、おおよそ40年前からプレイステーションまでの日本ゲーム歴史ハードウェア性能の概要です。この期間には、技術革新ゲームデザインの進化が急速に進み、多くの名作ゲームが生み出されました。

2023-03-07

anond:20230306222721

そしてチンを使わない術式…これ、チンを切ってしまったとかでは無く、チンの長さが11センチ?以下とかでも使えないんですよね

マジかよチンが短いワイは短いチンのせいで腸を使わないと女にもなれないのか

だれだよこのゲームデザインした奴 短チンルート救済しろ

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