はてなキーワード: ゲームクリエーターとは
ソシャゲとかはまあ良いよ。ああいうのは時間を使わせるのが仕事なわけでゲーム開発とかそういうのじゃないじゃん。
そういうなんかアレじゃないのにゲームとしてスタミナ制を採用する人ってどういうゲームプレイを想定しているわけ?
格好良いモンスターと華麗なファイトを繰り広げている最中で、あと一発ってところでなんかつかれてうごけません・・・で相手に一方的にボコられて死亡。
ラスボスとのなんだか感傷的なポエムを経て始まったバトルの最中に足が止まって射殺。
時空を超えて巡り会った宿敵との運命の対決の最中に脱水症状で目の前が真っ暗になって必殺を喰らって死亡。
最適なプレイをしているとおそらくちょうど良いところでスタミナ切れるように設定してるわけで。
それみてざまあみろギャハハって言う人がゲームクリエーターでもまあ良いと言えば良いんだけど、やっぱゲームくらいは爽快に悪をたたっ切りたいわけじゃん。
なんでそういうのを採用したの?
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211123000849
言うまでもないが私は小学生の頃からずっと自殺をしたがっていた。
住んでいたマンションのベランダから飛び降りれば、途中で運悪く引っかかったり突然車がやってきて転がり落ちない限りはまずもって死ねる高さがあった。
死ねば終わる。
そう自分に言い聞かせ、言い聞かせられて育っていった。
やはりというか、その学校には「人付き合いが苦手だから勉強する時間が取れただけの自閉症もどき」が沢山詰め込まれていた。
私はその中で比較的漫画やアニメの趣味が合う相手と友達付き合いをした。
とはいえお互いに結局は一人が好きなので寄り道もせず通学路を通り、電車が別の方向に向かったら振り返りもしなかった。
あくまで学校生活で孤立せず、退屈を紛らわすための道具程度の距離感であった。
結局彼らとはその後連絡も取り合っていない。
私には幼馴染は一人も居ない。
中学受験が終わった辺りから将来についていよいよ考える必要が出てきた。
普通にサラリーマンになったのでは、どう考えても私は潰れることが分かっていた。
なにか手に職をつけよう。
そう考えて私はひとまず身近なものを考えた。
活字はなんとなく勉強っぽいから関わりたくなかったし、漫画も学習まんがの読み過ぎでちょっと苦手になっていた。
一時期はいじめっ子の方が上手いからと嫌いだったゲームも、RPGとかだったらレベルでゴリ押しすればいいから自分でも出来ると思ってよく遊んでいた。
ゲームを作ろう。
何をやるのかも分かっていない。
分業すら考えていない。
一人でゲームが作れると思っていた。
確かにFC時代とかであったなら、プログラミングが出来てちょっとドット絵がやれて、あとはピコピコ鳴らしていればゲームになっただろう。
現代のようなインディーでさえ音楽や絵に求められるクオリティがイカれたゲームを一人を作れるクリエーターはいるが、それがどれほど化け物かは分かっていなかった。
クリエイトが以外でもそうだ
このとき、文化5を作るにあたって、最初の世代は他の文化を経験した人たちなわけだ
なので彼らは文化5で色々工夫するし、改善するし、文化5の良い面と悪い面を、他の文化との差分として知っている
インプリンティングされた常識が非常に枷になって、宗教じみてくる
それも当たり前で、彼らは文化5が好きだから文化5の担い手になるのだ
そこを変えようだなんて人は滅多に居ないだろう
第三世代の誰かが何かを変えようとした時、承認を求める先が第二世代になる
第二世代は答えを持っていないので、第三世代の改革を阻止することしか考えない
するとポスト第四世代は「古い体質で、変わろうとしない文化」という認識を持つ
ごく狭い領域で生き残ったり、彼らに権力が生じると延々とゾンビのように生き残ることになる
ラノベ作家、漫画家、ゲームクリエーターなどを養成する専門学校の体験入学に参加してきました。
入るつもりは全くないのですけど、後学と言いますか社会の闇を見たくなって突撃した次第です。
別に、自分より程度の低い人たちを見て優越感に浸りたかったわけではありません。
有吉弘行は仕事がなかった頃、お年寄りが集まる場所に行って「まだ自分はやれる」と自分を鼓舞していたそうですけど、私の人間性はそこまで低くありません。信じてください。
もう三年近く専門学校を襲撃していなかったので、ムラムラしていたのですよ(本音)。
三年前の顛末は『ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season~ http://anond.hatelabo.jp/20130901102804 )』にまとめてあります。
この過去エントリー読まなくても本エントリーは楽しく読めるので安心してください。
話は横道に逸れないのですが、『〜2nd Season~』をアップした直後から、Google先生が『ラノベ 専門学校 実態』をサジェストするようになったのはここだけの秘密です。
ちなみに『ラノベ 専門学校』でググると『〜2nd Season~』がトップに表示されます。
あと、このエントリーは若干長いです。3行にまとめると……
・学生超頭(・∀・)イイ!!
・講師陣優秀!
です。
まずはラノベ専攻科について。
卒業生の“掲載作品数”が多いと謳われていて、あっ(察し)ってなりましたね。
その証拠に現役ラノベ作家として活躍する卒業生の声が載っていました。一人。
新人賞取ってなかったり、密林レビューが一番多く付いている作品でもたったの8レビューだったり、3巻前後で打ち切りになっている作品がやたら多かったりと、香ばしいキャリアを詰まれて、もとい積まれております。
次、講師陣。
ハイローミックスですなぁ。
ジョージ・バーナード・ショーが「行動できるものは行動する。できないものが師になる」と言い残していますけど、まぁそうだよね。
それとなぜか名誉職なるポストがあって、まぁそこそこネームバリューのある人が収まっています。仕事しているの?
作家関係の講師ですと、昨年留置場にブチ込まれた方がいらっしゃいます。
すっかり名前を聞かなくなったと思っていたら、こんなところで働いていたのですね。くいぶち!
講師ではないんですけど、コスプレして剣を振り回していたイラストレーターさんや絶対に許さない声優さんが以前講演しに来たようです。
過去のイベント履歴を見ますと、いわゆる業界関係者が間歇的に小金を稼ぎに来ています。低学歴からどんどん搾取していこうな。
次、入試。
多いです。
一人の受験者が複数回筆記や面接試験受けるとかじゃなくて、正味で入試が二十六回あるんですよ。ふ、ふぇええ……
その上まだサイトに掲載されていない入試もあるようで、詳細日程は学校にTELすれば教えてくれるらしいYO!
なんで随時受け付けにしないのでしょうかね? 文科省に怒られるから?
次、各種イベントについて。
体験入学、学校説明会、入試説明会、保護者説明会、個別相談会、学費相談 etc.
大学のオープンキャンパスの比ではなくて、盆なんて関係なしに毎週行われています。
さらに学校までの無料送迎バスが首都圏六県と長野、静岡、福島から出ています(イベントによって発地は若干変わるよ)。
それと東京にある本校だけでなく、地方への出張説明会もあるようです。商魂、逞しい。
たぶんアレがアレしてアレなんでしょうけど、詳述するとPCに触れそうなので、リベラルを自認する私としてはお口にチャックでミッフィーしようと思います。ごめんチャイナ。
各学科の体験入学・学校説明会が開催されているのに、来校している見学者は数えるほど。
在校生と思しき若い人も少なかったです。本気でクリエイターになるなら休みも来ましょうよ……
受付を済ませると、『見学者様控室』に通されました。
見学者は私のほかは一人だけ。ガイジっぽい、専門学校ではなくお医者さんに行った方が良い感じの子が一人。
その子はイラストレーター養成講座の見学なのに、絵は描けないとか言ってる。人生、大丈夫か?
2-1=1だからつまりそのひょっとすると私は一人でラノベ講座を受けるのまさかそんなわけ……うっほほ~い!
パソコンが置いてある、謎の部屋に案内されました。
謎というのは、その部屋にあるパソコンもホワイトボードも何も使わなかったからです。
部屋にはラノベレーベルの編集者を自称するオッサンと、作家を自称するオッサンがいて、あぁ来たのといった感じで私を迎えてくれました。
編集者は所属している出版社名とか言いませんでしたね。専門学校の講師やりながら、激務で知られる編集者ってできるの?
自称作家のおっさんが最後に本を出したのは一年以上前。既刊で密林レビューが付いているのは半分くらい。全く知らない人ですね。
この二人、公式サイトの『講師紹介』には名前がなくて、学校側としては内緒にしておきたいご両人なのでしょうか? まさか講師ですらないというミラクルを私としては期待しております(切り込み隊長感)。
事前説明では小説を二作、ゲームプロットを一つ書く予定だったんですけど、そんなもの全く書かかない。
私はノートPC持参してきて書く気まんまんだし、二人の発言タイプしてるのに、オッサン二人は椅子にふんぞり返っているだけ。メモくらい取れや。
結局、自称業界人のオッサン二人と雑談しただけで“体験入学”は終わりました。
オッサン二人との会話が有意義だったらまだ救われたんですけど、話の内容も酷い。
自称作家は分からないこと聞かれると「作家は魂が重要なんです」みたいな精神論説いて逃げる。
自称編集者は『電撃にいた三木』も知らない、ユーザーが何に可処分時間を使っているかにも関心がない。
お二方とも物事を構造的に見られなくて、アンテナが低くて、社会人としての根本的な能力が疑われます。
三年前、専門学校の体験入学に応募したときは、頼んでもないのにどっさり資料が送りつけられて来たのですよ。
でも、今回はなかったですね……
仕方がないので帰り際に「くれ」って頼んで手に入れました。
ガキ、失敬、入学希望者がスマホで見ることを念頭に置いてるんでしょうかね。
活字びっしりで、内容は学校と企業のパイプがいかに太いか、就職実績はどれだけあるかというもの。
社会の厳しさを知っている親はお花畑スクールライフ見せられたら不愉快ですし、子どもは学校で遊ぶことしか考えていないので、この二方面作戦は賢明だと思います。
あと、学費。
サイトには載っていなくて、紙の募集要項に小さく書いてあるだけ。
年額約百五十万円。
初めに、文章なんてものは学校の小論文の授業ぐらいでしか書かないのでおかしなところが多々あると思います。
そこは大目に見てください。
なんで僕がこの匿名ダイアリーに自分の夢を書こうかと思ったかは自分でもわかりません。
たぶんあふれ出る僕のパッションが抑えきれなくなったからです。
冗談はさておき(←使ってみたかった)僕の夢について書こうと思います。長くなるかもしれませんが、もしよかったら読んでください。
僕の夢は、ITエンジニアです。ITに興味がある高校生なのです。
きっかけは中学の時、ゲームクリエーターになりたいと思ったことでした。
調べてみるとゲームクリエーターには、企画を作る人、音楽を作る人、絵を描く人、そしてプログラマというのがありました。
僕は芸術方面の才能が乏しかったので、音楽、絵は無理かなと思っていました。(実際僕の描いた絵は酷いです)
そしてゲームをとりあえず作るならコンピューターの知識がいるから、プログラミングは必須だなあと思ったので、プログラミングの勉強をし始めました。
最初に入門書を一通りやって、そのあといよいよゲーム作りだと思って、インターネット見ながら作ろうとしたんですがね・・・・
これがなかなか難しいわけですよ。
周りにコンピューター好きの友達とかいなかったので一人で考えたり、プログラマならググれとかいうのを聞いたのでグーグル先生にお尋ねしたりね。
そんで壮大なストーリーと面白いシステムを兼ね備えたゲームが完成した・・・
とはならなかったです。ならなかった。
そもそも一からゲームを作るのなんて無理なんだ。ふつう何かしらのソフトとか使って作るんだよ。
と自分に言い聞かせて、Unityとかいうゲーム開発ソフトをやり始めたんですけどね、これJavaつかえねーじゃん。
ってなりました。でもなんかJavaScriptとかいう言語でなんか名前が似てるからいけるんじゃないかなあ(適当)
とか思ってやってみたんです。ググってサイトのプログラムから使えそうなものを持ってきて何とか、ゲームっぽいものを作りました。
でもプログラミング全然してないじゃんとか思って、ゲーム作りは中断したんです。
もっとプログラミング使えることしよう。特にJavaが使えるやつを。
自分のスマホで自分のアプリが動いた時の感動は、今までで最高でした。
でも、Androidのアプリのプログラミングって、今までやっていたJavaのプログラミングとだいぶ違うと思いました(少なくともその時はそう感じた)
それに、技術を学ぶのはいいんですけど、当初の目的のゲーム作りから外れてしまって作りたいと思うものがなくなってしまったんです。
それでプログラミングをあんまりやらなくなってしまったんです。(この時がだいたい高校一年生の夏ぐらい)
このころ僕は高校に進学していました。
その中でも、私立高校の進学コースで最近実績を出しているようだったので、そこに行きたいと思いました。
私立なので親に反対されましたが、頼み込んでいっていいといわれました。
ただし面白いことに(面白くないが)大学のお金とかは一切出さないから自分で何とかしろ(笑)と言われました。
中学ではそれなりの成績だったのに高校に行ったら、上には上がいるんだなあということを痛感させられました。
高校1年生の最初の模試の偏差値が50でまあ50ならいいだろうとか思っていました。
しかし校内順位が下から数えたほうが早いぐらいのところで、期末テストとかはまあまあいい順位だったので、がっかりしました。
それからプログラミングと代わって勉強を少しやるようになりました。
一年後血のにじむような努力の末(実際そんなに頑張ってないです)偏差値65ぐらいで安定するようになりました。
プログラミングやらなくなってからもそっち系の情報だけはしっかり集めてました。
インターネットでプログラミングに関するブログを見たり、ITの本を買って読んだり。
ちょっと別の言語(Python)を勉強したり。ほんのちょっとだけですよ。
ほんとにプログラマになっていいのか?
真偽はわからないが、プログラマは最弱の職業で労働時間は長く、給料は低い。
そのうえ30歳過ぎたら使い物にならない?みたいなことがネットで言われていた。
ネットの情報を鵜呑みにするのは愚かだと思うし、すべてが真実ではないのだろうけどやっぱり不安だ。
別にそんな危険を冒してまでプログラマにならなくてもいいんじゃないかとも考えた。
しかし、しかしですよ。プログラミングに触れなかった空白の1年間でいろいろな知識を得たんです。
株やFXをプログラムを使って自動取引している人とか、コンピュータに作曲させるプログラムとか。
プログラミングっていろんなところで使われているんだなあ、と感動しました。
「そういうアイデアもあったのか」
と悔しい思いをしました。自分にはアイデアがあっても実現する技術がないとおもってさらに悔しい思いをしました。
きっとこれからも新しくて便利で面白いものが出てくると思います。
自分の書いたプログラムが世界を変えるものになったらどんなに愉快なんだろう。
世の中にすごい人っていっぱいいます。
僕は初めてのことが比較的苦手ではじめは全然できないんです。みんながぱっとできることができなかったりすることに劣等感を感じることもあります。
つい先日センター試験があって、僕は高校二年生だけど問題を解いてみたんです。
僕は数学が得意だと思っていて、模試でも数学が一番点数が取れるのに、センターのマーク形式になったとたん思考停止しました。
友達は僕よりはるかいい点数を取っているのに僕は全然ダメでちょっと自信を無くしました。
iphoneを作ったスティーブ・ジョブズとかはほんとにカリスマだと思います。
世界を、僕たちの生活を変えた(少なくとも僕はその影響を受けている)
でも僕はジョブズにはなれません。
一度世の中に出たもののまねをしても世界は変わりません。(もう変わってしまっているから)
なんか哲学っぽくなってきた。というか言いたいことが分からなくなってきたなあ。
まあつまり、新しくて面白い作ってる自分がわくわくするようなものが作りたいと思ったわけですよ。
結局僕の夢というか人生はコンピュータの道に進むことになりそうです。
一年間は受験勉強をして、大学に行くことがこれから一年の目標になりそうです。
もし道を見失いそうになったら、ここに書いたことを思い出したいと思う。
なんか本が作れそうですね。自叙伝みたいな。
というかきっとここまで長くて下手でつまらない文章を最後まで読んでくれる人はいないと思います。
僕だったら読まないから。
でももし読んだ人がいたら、「ひっどい文だな」とか「お前みたいなやつにが新しくて面白いものを作れるほどこの世界はあまくねぇよ」
とか「そもそも新しくて面白いものってなんだよ、もっと具体的に言えよ」などなど文句があると思います。
なんか自分で書いていて悲しくなってきました。
本当にごめんなさい。
―終わり―