はてなキーワード: グロックとは
3Dプリンターというと、すぐ銃が作れるという話をするバカがいる。なぜなら米国で銃を作ってる連中がいるからだ。が、現実的ではない。というのもこれはかなり政治的な側面があり、理解するには何でもかんでもとりあえず銃か爆発物を作って遊ぶ習性を持つ米国人についての知識も必要だ。
米国は旧英国植民地で、独立戦争によってフランスの支援で英国軍を撃退して建国し、更に南北戦争というガチの内戦を経て革命的に成立した国家だ。誰でも知っているナポレオンの生涯と重なる時期である。『ナポレオン -獅子の時代-』などの高名な歴史書で知っている人も多いと思うがこの時代には既にバリバリに銃器が存在する。つまりアメリカは、建国の神話に銃器を含むのだ。
よって、銃(特に軍用銃)というのは米国人にとって国民国家アメリカ合衆国の建国の神器に近い存在であり、主権者たる国民が銃器を所持する権利を持つのは当然のことである。天皇が三種の神器を持つ権利があって当然ないわけがないのと同じである(主上に御謀反のない限り)。当然憲法でも権利として認められているし法律でも個人の許可不要での銃器製造・所有・使用が色々と条件付きで許可されている。そして、「憲法で定められた権利を行使しよう!」という「市民なら図書館に行こうキャンペーン」くらいの気軽さで権利向上運動として銃を作る・持つ運動がある。年中やってる「1・23絶対ゆるさない緊急行動」の同類項である。その中で使われる銃は日本に訳せば「建国の神話の追体験」の要素があり必ずしも実用的な銃とは関係がない。神社に置いてある御神体の鏡の平滑度がそんなに高くないようなものである。
そんなわけで神器としての銃を作るための3Dプリンターデータというのが存在する。これらは当然、儀式的な意味の強度しかない。俺は作ったことも見たこともないし作ろうとも思わないが、破損事例については知っている。確か1発~数発で寿命を迎えるという話だ。銃器は信頼性が第一だから、スケール的には構造模型の域だ。で、「数発で寿命を迎える」という話をすると、密造したがりは「では強度を上げるのだな。実際に樹脂活用銃器がある」と謎の反論をしてくる。これには銃器の樹脂化の歴史に関する知識が必要になる。
銃器における樹脂活用の歴史は第二次世界大戦の終了直後くらいから始まる。その頃、夢の軽量新素材「プラスチック」が工業の各分野に登場し、「航空機用アルミニウム」と並んで普及し始めたのだ。それまでは機械装置の構造部品は金属、ハンドルや外装は真鍮(きわめて密度が高く重い金属である)金属が嫌なら木か革しか選択肢がなかった。当時の銃は構造部品を鋼鉄で作り重い木の覆いを付けていた。1960年代に入るとアーマライトAR-10・AR-15、のちのコルト・モデル601、米軍呼称M16ライフルが登場し、「鉄砲は鋼鉄と木で作るものだ。アルミとプラスチックなんて信用ならねえ」と散々な評価を受けた。しかしその後AR-15/M16ライフルと権利訴訟回避バージョンのAR-18は、改良を経て、現在では米四軍のM4カービン、英軍のL85(SA80)小銃、ドイツのG36小銃、日本の89式や20式小銃を含むほぼ全ての西側歩兵銃の基礎となっている。
銃身や主要部品に鋼鉄、外装にアルミニウム、銃床に樹脂を使った小銃が一般化する一方で、次なる手として主要部品のアルミ化や樹脂化が模索された。1960年代末期になると世界初のポリマーフレーム拳銃としてHK VP70が登場してまず爆死、1970年代にはシュタイヤー社(余談だが自動車メーカーのマグナ・シュタイアの類縁である)のAUG突撃銃が登場してこちらは採用、1980年代に入ると樹脂製スコップ設計者が一念発起して設計し「プラ製拳銃」として一世を風靡したグロック17が登場して一大ブームとなる。1990年代にもなればHK G36が登場し、冷間鍛造銃身基部を鋳込んだ樹脂製フレームを採用、その後端にモールドされた樹脂製マウントに樹脂製ハンドルを横から軽くネジ止めするという気の狂った設計のせいでハンドルを掴んで振り回すとそこに統合された大して見やすくもないヘンゾルト製高性能照準器の狙点がハンドルごと滑ってどんどんズレる、という問題を起こし、誰も気づかないままドイツ連邦軍に採用され大量購入され2000年代のアフガン戦争で精鋭連邦軍人に戦死者を出してアフガンの気候のせいでプラスチックの銃が根元から腐って兵が死んだとドイツ国会で炎上もするようになる。
一見すると、この半世紀で銃器は完全に樹脂化されてしまったように見える。なぜなら実際に外装はどんどん樹脂化され時代が下れば金属部分がほとんど露出することもなくなっているからだ。ここまで読んだ読者が、樹脂というのは3Dプリンターで出力できるのではなかったか? 3Dプリンターで作れるのではないか……と思っても不思議はない。
しかし、実際にはこれらの銃器では主要部品はすべて鋼鉄で作られている。新合金アルミニウムも新素材プラスチックも、鋼鉄を置き換えることはなかったのである。外装は木材からプラスチックに変わった。筐体は鋼鉄からアルミニウムやプラスチックに変わった。しかし銃身、ボルト、各部のピン、それどころかそれらを操作する把手は良くてアルミニウム、いまだに鋼鉄も珍しくない。VP70やグロック17では、銃身とスライド(上半分だ)は鋼鉄で作られ、下半分には鋼鉄パーツを金型にセットしその上から樹脂をかける方法でインナーフレームが鋳込まれている。シュタイヤーAUGでは画期的な新機軸として内部機構の一部にプラ製カバーをかけることで潤滑の必要を減らしている。共通しているのは、圧力を支える主要部品と摺動部はまず鋼鉄で作られるということだ。アルミニウムやプラスチックは確かに使われているが、その役割は形を保つ以上の機能がない比較的柔らかい部品、人間向けの外装または潤滑剤なのだ。実際にはプラスチック製の実用銃というのは未だに作られていない。
同時に、市販の家庭用3Dプリンターが金属を出力するように進化するというのもあまり現実的ではない。樹脂は150~300度で溶けるが鉄を溶かすには1500度~が求められ、今の3Dプリンターとは原理的に異なる装置が必要となるからだ。更に、銃の銃身は鍛造、切削と熱処理を経て作られるので、その設備が必要になる。出力物を鍛造切削熱処理すればよいではないか……要求される設備は3Dプリンターそのものよりも大規模であり前提が荒唐無稽になる。工業地帯に数億円を投資して製造工場を建てれば機械装置が作れる。そんな主張は議論として価値がない。そんな資源があるなら電気自動車メーカーでも立ち上げる方がまだ理にかなう。
3Dプリンターの特色は、複雑な形状を一点だけ製作できることだ。強度や製作速度ではない。容積10cm^3程度のプラスチック製品の射出成型にかかる時間は、概ね1個あたり0.3~1秒程度であろう。3Dプリンターの場合は、累積移動距離によって変わるが45分から15時間程度である。仏師の方が速い程度だ。
では、なぜプラスチック銃、そして3Dプリンターが度々取り上げられるのだろうか? 一つには、プラスチックやアルミニウムは軽量なことが理由だ。鉄の銃は重いのである! もう一つは、最初にも述べたように、「銃を製造し、所持し、使うこと」は米国民の間では建国の神話の確認と再現という神聖な意味を持つ行為とされ、そして、その神聖さを信奉している者だけがネットに英語で記事を書き、日本のコピペブログが機械翻訳で垂れ流すからだ。別に3Dプリンターだから作れるというわけではないし、適しているわけでもない。全てはここ日本において全く関係ない話なのである。
もしこれを読んだ誰かが3Dプリンターで銃を作る話やドラマ脚本をどうしても書きたいなら「3Dプリンターなら見た目は好きにできる。だが銃身が作れないはずだ。銃身をどこで入手したんだ?」という方向にでも捻ってみてはいかがだろうか、と付け加えて筆を置きたい。
恐ろしく保守的だし、百年に一度の天才がやってきてエイヤっと条件出すと五十年は変化が無くなる世界。
ブローニングのコルトM1911が正式採用されたのは1911年だし、ストーナーがAR-15/M-16の原型を完成させたのは1956年だし、改良版のAR-18は1963年、CETMEとAK-47は1949年。新参で樹脂部品の劣化がないのかと度々話題になるグロックですら1979年。
これらのデッドコピーで銃器市場の2/3が語れて、米軍では3回か5回くらい代替品や強化版や発展コンセプトが提案されては「重い、壊れる、動かない」と却下されてるくらい、一度固まってノウハウを積み始めた設計が覆せない世界。
だから銃器にフォーカスするより話に集中するべき。漫画版エヴァでは「かっこいいし描くのが楽」というだけの理由で全ての小銃がHK G11だし、特に銃知識披露したいんじゃなければ、今だったら世界中どこでも何の話でもMk18とグロック19とAKMで全て済ませられるし、そうすべき。
修正第二条は殺人や強盗といった重犯罪の方法を「吊るしのグロック19」「吊るしのAR-15」「激安.22LR拳銃」の三本に削減し、かつ対処法を「好みの銃器を持ち出し、加害者を射殺する」に一本化するじゃないか。
修正第二条がなければ、例えば出刃包丁だとか、棍棒だとか、密造銃だとか、爆発物だとか化学兵器だとか、犯行の手口が発散し創意工夫が進んでしまい複雑化多様化してしまう、法執行機関は防刃服だとか、防弾装備だとか、盾だとか、処理班だとか防護服だとか、多種多様な装備に予算を薄く塗り広げなければならなくなる。さらに、市民が犯罪者に抵抗できず、警察の展開までの時間を稼げない代償として、常日頃からプレゼンスを高く保ち、その多種多様な装備を速やかに展開する準備を常に持つ必要がある。
かつて、いろんな作品にあらわれる魔法少女あるいは変身少女の類は、比較的長い時間をかけて変身していた。
特定の掛け声の発生のもと身体が光輝に包まれ、一瞬身体をさらけ出す。昔のお宅はここに興奮したのだという。
これは、魔法少女のグッズ販売という商業主義への兼ね合いのもと、20世紀後半から21世紀初頭にかけての常套表現として、当時人口に膾炙していた。
こうした風潮を自覚的に打破したのが、オベリスク護国寺という制作会社にいた田町ボラギノール監督である。
氏の壮年期の作品『魔法少女平塚★ハル』では、主人公の平塚らいてうが、裏切り者の転向者を誅殺する場面がある。
裏切り者とアジトで二人きり。コーヒーを飲みながら他愛のない会話。
一瞬にして平塚ハルは変身し、魔法少女がよく持っている戦術ロッドを相手にたたきつける。
相手も隠し持っていたグロックをハルに向けようとするが、魔法少女の魔術的スピードにはかなわなかった。
共産主義と女性解放運動との兼ね合い、共産主義者の転向とをからめた悲しい裏切りの誅殺シーンである。
『魔法少女★平塚ハル』の興行的な成功もあって、次第に無詠唱で変身する魔法少女が増えるようになった。
増田諸賢もご存知の通り、2050年代では、場面の切り替わりや、一瞬柱や扉に隠れた間に変身し、急襲する魔法少女が当たり前になっている。
こうした表現の変化にどのような意義があるだろうか。
一つは、詠唱変身時代の不自然な時間超過を回避することができる。
21世紀においてもさんざん議論されたことだが、なぜ敵は魔法少女が変身中に攻撃しないのか。
当時の魔法少女モノは、この問いに対する有機的な答えを用意することが、ほとんどできなかった。
田町ボラギノールはこの問題を鮮やかに解決する。すぐ変身しちゃえばよかったのだ。
詠唱変身時代から風潮のあった、かわいらしい魔法少女がシリアスな展開に巻き込まれる、という物語の構造がある。
ここでは、華やかな詠唱変身は、作風に全くそぐわなかった。誰が裏切り、誰が殺されるのか? そんな作風の中で、かわいらしく時間をかけて変身するのは文脈的ではなかった。
だから、速攻で変身して速攻で相手に攻撃を仕掛けるという無詠唱変身時代の魔法少女は、シリアスな作風から歓迎された。奇襲を仕掛ける、さまざまな手段がアニメや漫画でなされた。
また、魔法少女モノのお約束で、自分が魔法少女であることを露見させてはいけない相手がある。
こうした相手に対する、「ばれないようにする表現」も、素早く変身することで色んな可能性を持つことが可能になった。
近年、回顧主義なのか、詠唱変身する魔法少女が再び見られるようになっている。
ただし、なぜ詠唱変身から無詠唱変身へと至ったのか。どの時期にだれがそうした変化をもたらしたのか。変化した結果、どのような効果をもたらしたのか。