はてなキーワード: グラフィックスとは
https://anond.hatelabo.jp/20180508004011
まだまだDOSの全盛期
autoexec.batに書き込んだら自動で実行するようになる
デバイスドライバを読み込みすぎるとメモリが足りなくて動作しなくなるので
LAN Managerを使ってネットワークに接続するときはCD-ROMドライバを外すとかしてた思い出
※余談だが、ゲームにはゲーム起動用のconfig.sysを書いてた
壁紙が見えなくなるので透過させるフリーソフトを入れたりしてた。
秀丸4000円
32ビットアプリも動くんだぜ?といってもNTから持ってきたピンボールぐらいしか動かさないけどな!
OpenGL?あれは重くてなあ...パイプがうごくスクリーンセーバーぐらいしか動かないし...
https://twitter.com/shinkai35/status/945771033696509952 へのリプライです。書くところが無いので、ここに書きます。この話は全てフィクションで、実在の人物や組織には一切関係ありません。
その日、文筆家しんかいはPCから出るピピピ・・・と言う異音で目を覚ました。翌日が休日である事に安心しきって、ついついツイッターでリツイートされてきたポストモダニストの著作がいかにおかしい話であるかを語っていたはずなのだが、顔にキーボードの模様をつける結果となっている。実感は沸かないが寄る年瀬には勝てない。相対主義が何を主張しようが、ヒトにはその限界がある。そんな事を思いながら、テレビのスイッチを入れようとしたとき、しんかいは異変に気づいた。
部屋に置いてあるそれは、平面的で画面が大きな液晶テレビではなく、画面は小さいが奥行きのある立方体、昔懐かしいブラウン管のもので、ダイアル式のスイッチでチャンネルを選択するそれだ。電源のオン/オフに金属のトグルスイッチがついており、もしかしたら産まれてから実際に目にしたテレビの中でもっとも古いものかも知れない。背面から出て壁につながっているテレビ線のコードは同軸ケーブルではなく、平たいプラスチックの両端に二本の細い線があるものだ。もう平成も終わろうとしているのに昭和過ぎる。が、昭和であってもテレビの裏の埃は変わらない。くしゃみが出てきた。
パチンと電源を入れる。ヴォンと音を立てた後、数秒の間を置いて粗い絵が映し出された。4Kや8Kのテレビの宣伝をみるたびに、もう走査線の本数を向上させてもと思うが、いやおう無しにでもその重要性を認識せざるを得ない絵だ。北朝鮮のテレビよりひどい。2017年12月27日、朝7時のニュースが始まった。アナウンサーの「おはようございます」は、普段通りの番組だが、他は普段通りとは言い難いものであった。見慣れたコンピュータ・グラフィックスの今日の見出しが、アナウンサーの横の黒板に置き換えられている。ボードですらない。何より、国家放送第一と言っている。
しんかいはチャンネルを回してみた。チャンネルはかくんと90度づつ回転し、四つしかチャンネルが無いことがわかる。ぐるっと一回転させる。四つあるチャンネルのうち、一つは白黒の画素が激しく入れ替わるノイズが流れていたが、三つは使われていた。国家放送第二、国家放送第三、ノイズ、最初の国家放送第一。どうやら、国家放送しかないようだ。第二はこの時間帯なのに正しい文学について解説し、第三は老人が正しい体操を実践している。しんかいは、この時点でテレビの登場人物全員が、カーキ色の上着を着ており、一列に並んだ大きめのボタンをきっちり留めていることに気づいた。
チャンネルを国家放送第一に戻す。国民服のようなものを着たアナウンサーが読み上げるのは交通事故や気象情報と言うところは、公共放送のニュース番組と同じだ。しかし、一つ一つについて解説を丁寧に与えていく。しばらく唖然としながら番組を見つめ、思わず「何だ?」とツイートした。ニュースに解説があるだけであったら、驚かなかったかも知れない。しかし、先々月の災害の被災者の感情を、微分可能多様体と言う単語を持ち出して説明しようとしている。そう、ポストモダンだ。ポストモダンについては日本有数の知識を有すると自認しているが、寒気についてのポストモダン的解釈は初めて聞く。
はっきり認識はできているが、全く理解ができない状況。自らの視覚や聴覚を信じることができない。思わず、「テレビがポストモダンになっている」となっているとツイッターに書き込む。「え、愛知だけでは?」「柄谷行人が死んだりでもした?」「ポストモダンに“なる”はおかしいだろう」とリプライが返って来る。誰もこのポモな国家放送を観てはいないようだ。ブラウザーでポータルサイトのニュースを見ても、特段、テレビ放送に関するものはない。ツイッターやフェイスブックの検索でも、しんかいと同じものを見ている人はいないようだ。
このブラウン管のテレビだけが、ポモな国家放送を流しているのであろうか。アンテナ線は壁につながっているが、これはモックなのであろうか。手の込んだ悪戯としか考えられない状況ではあるのだが、手の込みすぎたところが気になった。目の疲れを感じる。気づくと一時間は国家放送を観ているのだが、同じ内容が繰り返し放送されているわけではない。チャンネルは三つ。ブラウン管のテレビも昭和風ではあるが、チャンネルのスイッチは特製だ。粗雑な出来とは言え、かなりの労力だ。現実とも夢とも断言できない。
しんかいは電器店にいって、他のテレビを観ることに決めた。冷静に考えればテレビを摩り替えられたとしか思えないわけで、窃盗で警察に届出を行なうべきだが、この国家放送が持つリアリティがそれを躊躇わせた。無理な体勢で寝てしまったので二度寝の誘惑もあるが、“ブラウン”管からの一つの連想が心をざわめかしていた。ブラウン管の発明者はフェルディナントだが、ポストモダン思想の批判者にも有名なブラウン、ジェームズ・ロバート・ブラウンがいる。
著作「なぜ科学を語ってすれ違うのか」でブラウンは、国家などの社会的構築物が必然ではなく、人々の考えの偶発的な結果によるものと考えると、社会が人々の考えを統制しだしてファシスト国家に陥る危険性を指摘していた。また、ポストモダンの科学的方法への懐疑は、科学の進展を阻害し、技術的進歩を阻害する事になる。つまり、ブラウン管に映し出される世界は徹頭徹尾、ポストモダンに支配された世界と言える。
ポモの危険性を指摘してきたしんかいにとっては悪夢としか言いようが無いのだが、しんかいは心踊っている自分を自覚していた。日常からにじみ出る不穏な世界の兆候。アニメでは親しんだ別世界がそこにある。「けものフレンズ」は好物だ。このときしんかいは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』の結核の話をすっかり忘却していた。ポストモダン思想に支配された世界であれば、繁華街の電器店がいかに危険な場所であるかは、最もしんかいが理解しているはずであるのにである。
テレビに見入っていたので気づかなかったが、家を出る前に、アパートの部屋が狭くなっている事に気づいた。振り返れば玄関が見える狭さなので迷子にはならないが、間取りも見覚えが無い。六畳一間と台所、バス・トイレ付きではあるが、便器は和式である。昨夜、帰宅する家を間違えたのであろうか。しんかいは映画「パトレイバー the Movie」の帆場のアパートでしか、似たような物件を見たことが無い。
机の上のPCの下には、書きかけの原稿用紙が散らばっていた。題は「科学のためのポストモダン思想からの脱却」とある。見覚えのある字ではあるが、自分のものを含めて久しく手書きの文字を読んでいないので、誰のものかは思い出せない。大判の封筒も置いてある。宛名は、自分であった。送り主は「鈴木幸子」とある。中はゲラ刷りで、赤が入っていた。出先で原稿を読もうと封筒を手に取る。
ポストが大きい金属製の重い扉をあけると、アパートの外側の廊下に出た。二階だ。表札は確かに自分の名前が書かれている。鍵がないので施錠できないがやむを得ない。ところでここは一体どこなのか。スマートホンを出して地図アプリで位置検索をかける。すぐに「こんな所でスマホが使えるわけが・・・」と思うが、現在位置はあっさり示された。GPSの電波は届いている。インターネットも使えた。自分の場所が異世界なのか、そうでないのか、明らかになってきた状況を元にしても判断が出来ない。
かなりの資力が必要になるが、古いアパートの部屋に自分を押し込む事は可能だ。しかし、衛星測位システムの電波までは防ぐ事ができなかったのであろう。聖戦士ダンバイン以来、主人公が異世界に飛ばされる娯楽作品に親しんできたしんかいは、密かに期待した状況が否定されて落胆する。まだ十分な確信が持てないが、これは壮大な仕掛けの悪戯だ。街の中心部に向かえばはっきりするであろう。しんかいは、金属の音を響かせながら階段を降りていった。
5分後、しんかいは自分が異世界にいる事を確信した。悪戯とすれば、神の仕業であろう。スマホの地図アプリの位置情報は機能していたが、道路の舗装が汚く、空気が汚れていて、高いビルが無いので空が見上げやすい。そして、旅行先でしか見たことが無い路面電車が走っていた。しんかいの知る名古屋市には市電が無い。しかし、ベージュと赤と緑のカラーリングの路面電車が走っている。地図アプリの位置情報は、間違いなく名古屋だ。
道を歩く人々の服装は、男性は国家放送局のアナウンサーが着ていた国民服、女性はもんぺ姿である。しんかいは人々が自分を凝視するのが気になって仕方が無かった。しんかいの格好はPコートにチノパンである。この世界では明らかに浮いている。この恥ずかしさをツイートして紛らわせたい衝動に駆られたが、文章だけでは何を書いても気がおかしくなったと思われるであろう。国民服ともんぺ女性と市電が映った写真を撮って、「ここはどこ?」とつけてアップロードをした。「戦時中の名古屋市」とリプライがつく。
戦時中なのであろうか。朝のニュースではそのような事は一切言っていなかったし、テレビは戦後で、カラー化は高度成長期の最中だ。昭和40年代ぐらいが相場に思える。状況を把握するために、一日中テレビを観ていた方が良かったかも知れない。古くて小さな家電店が目に付く。中に入ると、期待通りテレビが置いてあり、放送を見ることが出来た。店主は商売っ気の無い老人で、都合が良いことに客に関心がないようであった。テレビの出演者は全員、国民服ともんぺであり、ドラマですらそうであった。アパートの部屋のテレビだけがおかしいと言うのは否定された。
しばらくテレビに見入っていたが、空腹を感じてきた。何かを食べたいと思うが、この世界で食事をとる方法が思いつかない。飲食店はあるようだが、市電で使われている硬貨は見かけないものだった。この世界で使える金を持ち合わせていない。このままでは行き倒れ、帰宅をしても孤独死になってしまう。途方に暮れたところで、家電店に若い痩せた男が入ってきた。肌が白い。「単一の電池を・・・」と言ったところで、ゴホゴホと口を押さえて倒れこむ。指の隙間から見える、鮮血。小説の中でしか知らないが、即座に結核と言う単語が思いつく。店主は男の様子を気にせず、「ろうがいかい。向かいの店のホメオパシーが効くよ」と電池を出してくる。これは、不味い。
しんかいは、危機を感じて慌てて電器店の外に出た。ドンと人とぶつかる。「ごらぁ、前を見て歩け!」と旭日章のついた帽子をかぶってサーベルをつけたおっさん、明らかに警官に怒鳴られる。反射的に「すいません」と謝るが、警官はしんかいを上から下まで舐めるように見ると、「おまいさん、なんちゅー格好をしている。ちょっと署まで来い。三日はぶち込んでやる」と言い出した。その瞬間、中で物が落ちて割れる音がした。「お客さん、ちょっと、しっかり」と言う店主の声がする。警官はそちらが気になったのか、店の中に入った。
しんかいは、その隙を見逃さず走り出した。一瞬「逮捕されれば食事は出るかも知れない」とも思ったが、この体制国家的な異世界では逮捕されれば拷問を受ける可能性もある。どこにも行く宛てが無いと言うわけでもない。持って来た封筒の裏側には、住所が書いてあった。何者かは分からないが、「鈴木幸子」を頼る事にしよう。少なくとも、この世界のしんかいを知っている人物である事は確かだ。
DeNA炎上騒動は任天堂が協業を見直してもおかしくない深刻な問題のはず(徳力基彦) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tokurikimotohiko/20161203-00065085/
言ってることがもうムチャクチャです。
水に落ちた犬は叩けとばかりに、言いたい放題言ってますが、この人、メディアを生業としているのにメディアの作り方を根本的に理解していません。
Welqの何が問題なのかというと、基本的には、「他人の記事を剽窃したこと」と「根拠のない医療情報(と思える情報)を粗製乱造したこと」だけです。
守安さんは大企業のトップとしてはかなり潔く、顔を出して襟を正しています。この姿勢はとても立派なものです。
ただ、徳力さんの指摘はとても的が外れていると思います。
お金を払う前提でライターを集めて、記事のテーマもキーワードで決めて、仕事をアサインして、公開権限もDeNA側が持っていて。
これ明らかにキュレーションじゃなくて、DeNAが書かせてる編集メディアですよね。
個人の書き手が勝手にやってるとか、個人の書き手の知識不足が問題なんじゃなくて、これ明らかに全部DeNAの意思で書かせてますよね。
「メディア」というのは、編集者がいて、編集者が企画を立てて、ライターが書くものです。
独自取材がなく、一次情報としてネット上の情報をもとに書いてるのがキュレーションメディアと呼ばれる一連のモノです。
DeNAのWelq運営のやり方はたしかに杜撰でしたけど、意図的に誤情報を広めることを目的としていたわけではないでしょう。評価関数が「PV数>>>正確性」だったことが問題なのです。
しかも、わざわざご丁寧にマニュアルで、参考サイトを明示した上で、文章をコピペでは無く「リライト」することでコピペであることを分からなくするノウハウを教えてるわけですよね。
「参考サイトの文章を、事実や必要な情報を残して独自表現で書き換えるコツ」や「参考サイトに類似しない本文作成のコツ」とか、参考サイトを元にコピペをしたとばれない記事の書き方を、ライターとしての小遣い稼ぎをしたい人たちに教え込んでるわけですよね?
これを「組織犯罪」とまで言ってしまうと、たいがいのメディアが成り立たなくなります。
まず、メディアの世界には大前提として、「ニュースに著作権はない」というものがあります。
事実に著作権がない以上、ネット上で得た情報であっても、独自表現で書き換わっていればそれは法的には立派な著作物になります。
これが認められないと、例えば過去の文献を研究した批評や、レポートなどは全て剽窃ということになってしまいます。
DeNAのパレットメディアは、極端に質が低いことが問題なのであって法を犯してはいません。
法を侵さなければなんでもアリか、という話でもないですが、これを「犯罪」と断定することは悪質なデマです。
DeNAが、クラウドソーシングで海外の安いエンジニアを低コストで大量に採用して。
任天堂の流行ってるゲームのリスト渡して、これと同じようなゲームをそれと分からないようにリライトして作ってくれ、と指示してたとしたらどうですか?
DeNAが、マニュアルで、マリオとかクッパのキャラクターの顔を少しだけかえたり、アイテムの種類を変えてコピーだと言われないようにするためのノウハウを指示していたらどうですか?
協業なんか速攻ご破算ですよね。
もう完全に「おまえはなにを言ってるんだ」状態です。
大半のシューティングゲームは、STARWARSのパクリと言われています。
徳力さんはロクに自分でものを作ったりしたことがないから、こんな無責任なことが言えるんでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=Q1Gioq87_iM
https://www.youtube.com/watch?v=QRpIUPJD4Hs
https://www.microsoft.com/ja-jp/windows/windows-10-specifications
一応、↓の通りとはなっているけれど、たいていこういうのは最低限スペックだから、この2倍あれば問題なし。
CPU:1 ギガヘルツ (GHz) 以上のプロセッサまたは SoC
メモリ: 32 ビット版では 1 GB、64 ビット版では 2 GB
ハード ディスクの空き領域: 32 ビット版 OS では 16 GB、64 ビット版 OS では 20 GB
グラフィックス カード: DirectX 9 以上 (WDDM 1.0 ドライバー)
仕事で複数台使ってきて思うに、Win7810それぞれ、必要スペックはさほど変わらないよ。むしろ、8以降は7より早いんじゃないかと思うくらい。
とはいえ、動かなくなるものも出てくるから、CD化やバックアップは必須。
モニタやキーボードやマウスといったインターフェース部分が使えることが確認できてからアップグレードする事を薦める。まぁ、普通は使えるんだけど、使えなかった時が痛手だから。
スクリプターとかツールプログラマーとかグラフィックスプログラマーとかそういうタイプではなく、
ひとつ目は、クリエイティブよりも「プロジェクトを無理なく納期を守って終わらせること」を重視する人。
ふたつ目は、↑の逆。いわゆる「意識高い系」と呼ばれるタイプ。
自分は前者。
後者の人はプロジェクト序盤にがんばってくれればいいんだけど、
ゲームができあがってきてどんどんクリエイティビティが発揮されるらしく、
だいたいマスター3ヶ月前くらいから本気出しだすのが困りもの。
たださ、「完成させる気あんのかよ」「平日深夜も休日も働きたくねーんだよ」と思っちゃうんだよね。
まさに今も会社であーでもないこーでもないとかやってるんだろうな。
先ずどの環境で作るかを考える。
AndroidならJava、iOSならSwift、ブラウザならJavaScript、MacやWindowsもある。
どれにしても習得するのはそこそこ難しい。
難しい。頂点シェーダー・フラグメントシェーダーも書く必要がある。
AndroidやiOSのライブラリに余りいいものはないかもしれない。
WebGLならThree.jsがメジャー(シェーダーも自分で書かなくてもいい)。もっと小さいライブラリもある。
JavaScriptプログラムをAndroidやiOSやパソコンで動かす事もできる。
勉強している内にUnityを使ったほうがいいかなとか色々思うだろう。
そうで無くても、GUIプログラミングは全てが一つのプログラムに入り複雑。
ここまで認識するようになるのに1年ほどかかるだろう。
(何か環境を一つに決めて初心者用の本の通りにすれば短期間でできるが。)
処理ごとにファイル出力して(メモリより時間がかかるが)分離しやすい場合も多い。
Rなどでのプログラムも案外手軽にできる。
http://damonge.com/archives/46307384.html
http://potatostudio.hatenablog.com/entry/2015/09/20/080000
http://www.inside-games.jp/article/2014/09/08/80320.html
上記によれば「大ヒットしたゲーム」「メーカーの顔となるゲーム」「莫大な予算をつぎ込んだゲーム」「クオリティの高いゲーム」となりますが、
個人的な感覚では「コンソールで出る」「予算(バジェット)の大きさ」「全世界の販売本数」「3Dグラフィックスのクオリティ」が主な判断材料にされていると感じます。
微妙な線ですが、今だとスプラトゥーンはAAAとは呼称されないのではと思います(メディアによっては呼ぶところもあるでしょうが)。
「ウイイレだけ残る」とされていますが、ウイイレ2015はVGChartzでは世界販売本数146万本とされています。
少し寂しい数字ですが、まあAAAタイトルとしてもいいかと思います。
ちなみに競合タイトルであるEAのFIFA15は1700万本超えてます。もうウイイレも撤退していいんじゃないですかね。
最近出てないけど、作られればAAAタイトルになりそうなものは、
もともとコナミは積極的にAAAタイトルを手掛けるほうではありません。
唯一踏ん張ってた小島プロを切れば、そもそも出せるAAAタイトルがなくなることが上記からわかるかと思います。
(NeverDeadの失敗で内製AAAに懲りたのでしょうか・・・)
よって、今回のうわさで特別な変化がありそうなわけではなく、多くの古参ファンが憂う「あの続編が出ないんじゃないか」というのは
9/19、現地時間で深夜0時を周る少し手前から異変は生じた。
全国各地に散らばっていたはずの電子妖精のトラッキング情報が同一座標を差し始めた。
そして、時間を少し置いて、タイムスタンプ以外全く同一のデータが送られてきた。
まるでDDosのように、一分間に40というスピードで、的確に。
20^3という重さが空白のテーブルを食いつぶしていく。
数の暴力と時間推移がもたらすマトリクスは傾斜をなだらかに描き、
頂きをみることも、それに至る歩みをも、依然とやめようとはしない。
午前7時、朝のテレビは高らかに告げる。
そして、林檎は投げられる。
地図上の侵略拠点から、戦士達と"林檎"の個数がグラフィックスとともに天高く聳え立つ卒塔婆のように伸びていく。出陣の時間だ。
彼らはやがて、あらゆる戸口の鐘を鳴らし、押し入り、一口齧った林檎を証明書として渡す。そして高らかに叫ぶのだ。今ここで一人の人間が林檎帝国に魂を売ったと。その声は電子妖精を通じてモニターに犇き、占有していく。
林檎中心。
一年に数回、泡のように現れ、消えていく戦士達の母艦の名前である。
午後10時過ぎ、お祭りはいつしか過ぎ、蜘蛛の巣のようにマッピングテクスチャを這い回っていた戦士達と電子妖精達は帰る場所に帰ってきた。体力を限界まで減らし、最後に蚊の鳴くような声で終了の時報を告げると電子妖精は己の揺りかごに帰っていく。翌日の5:00にマスターの声に起こされるまでの束の間、彼女達は浅い夢を見るのだ。
俺は美術系の学生なんだけど、「楽しくない仕事」については、それはそれでいいと割り切ってる。
美術系の仕事は遂行していく中でスキルがどんどん蓄積されるので、仕事で鍛えられたグラフィックスキルをコミケなりニコ動なりで趣味的表現をして、仕事のストレスを発散しようと思ってる。
コミケなら金も入るしね。本業の仕事をこなせばこなすほど副業(同人即売会なりDLサイトなり)の収入額も上がるだろうから、仕事に対して悲観的な思いはあまり抱いていない。仕事は自分の副業スキルを鍛えてくれる場。
要は、「仕事で得たものをどう私生活に回していくか・関連付けるか」ということなんだと思う。それが出来ると、仕事も無味乾燥ではなく有意義なものになる。
PS4は主記憶にGDDR5を使ってきたので、同じ主記憶向けメモリという括りでDDR4 SDRAMを比較対象にした。
当然ながらPCでGDDRがメインメモリに使われる可能性はまずあり得ない。GDDRを使うとメモリはMBに直付けと言う選択肢しか無くなる他、特許の問題が絡む。モジュール開発を前提にコストを削減しているPCでは展開しにくく、そもそもメモリは直付けであるUltrabookやタブレットではこれを行かせるような設計がまず難しいのと、すでにDDR3で直面している発熱と消費電力の高さという問題が存在するためにGDDR5がメインメモリに採用される事はまず無い。
従って、主記憶の速度という単純な物差しを持ち出すのならば、GDDR5とDDR4 SDRAMを比較対象にした。
ちなみに
また、GPUコンピューティングの世界ではGPU間でメインメモリを通さずにデータ転送できる仕組みが現在進行中で、NVIDIAはCUDA5.0でGPUDirectと言う仕組みを導入しこれを実現した。これは一見するとDMAによく似た仕組みに見え、結果としてやっている事は確かに似ているのだが、Remote DMAといった代物で結構中身が違う。CPUはもちろん、メインメモリを通さずにGPU間でメモリ転送を実現してやろうというものだ。さらに、ここにもうちょっと賢いコントローラをはさんでやると言う事が考えられていて、これは実はAMDだけではなく、NVIDIAが従来やっていたGPUボックスというGPUをSLIして専用のコントローラ積んで、PCIeと専用のバスで繋ぐようなシステムを作っていたが、それの応用、あるいはIntelがXeonPhiでやろうとしている。
なので、メモリ帯域では
と言う事になる。
先日「Flashエンジニアが今後10年食べていくには?」というテーマを元に
Flash に精通した Web 技術者達のディスカッションが行われる催し物があった。
http://www.publickey1.jp/blog/11/flash10.html
この記事だけでは内容が省略しすぎているため
時間があれば是非録画の模様もみていただきたい。前半初頭は音量が小さいので注意。
こういった催し物は面白いなと、私はとても楽しく見させていただいた。
http://www.ustream.tv/recorded/19073524
http://www.ustream.tv/recorded/19074357
ディスカッションでは Flash だけではなく HTML5 についても触れている。
ディスカッションの感想をディレクションや営業を行なっている知人に聞いたり、
ネット上の反応を見てみたところ以下のような意見がいくつかあった。
「『Flash が好きな人』だけではなく HTML5 派の人との対談もあればよかった」
「Flash 派の人の話だから HTML5 が使えないという話はいまいち参考にならない」
『Flash 派』『HTML5 派』という くくりで考えてしまう人は
まだまだ多いと実感する。
パネリスト達は
過去から現在までに様々なプログラミング言語を利用し、あらゆる技術に精通している。
Flash という表示媒体/環境開発がベター(時にはベスト)だと考え、
Flash をよく扱っている、という旨を話している。
最後の締めとして
Flash よりも優れたものが登場するのであればそちらに移行するでしょう、
とも言っている。
これだけの説明があったのに
ディスカッション内で触れた HTML5 に対する否定的な話は、
『Flash 派』とやらのポジショントークだと目に写ってしまったのだ。
Java やら C やら objective-c やら perl やら php やら
サーバサイドからスマホ用ネイティブ言語を用いてのアプリ制作まで
色んな事やってます、と言っても
現在世の中には HTML5 を推し、合わせて Flash を否定する記事が結構出回っている。
技術者が話す専門的な用語の飛び交う話よりも
HTML5 vs Flash 的な読みやすい記事に耳を傾けてしまう人はいる。
Apple 製品を好む人は「ジョブズがそう選択したのだから」と
なおさらこういった記事に目を向けてしまう。
「Flash vs HTML5 の話にのせられてしまうのは、よくわかっていない人だ。」
ディスカッション内では、
ネット上の煽り記事を読み不安に思ったクライアントから連絡を受け
きちんと状況をゼロから説明するハメになってしまった、という内容があった。
似たような状況になっている人もいるのではないだろうか。
当方周辺では、
「Flash は駄目だ」「Flash でなくても HTML5 ならできるはずだ」
「HTML5 は Flash の代わりになるものだと言われている」と
クライアント、あるいは仕事先の関係会社から耳にする機会が増えてきた。
技術者の及ばないところで
ベターではない技術が選択、あるいは勧められてしまう やっかい性。
その記事は世間の目には届かない。
TV CM でバンバン流れている iPhone や iPad では Flash を見ることができない
という状況に乗じた
勘違いを正すためには、今までよりもより一層
あるいはメッセージを発信するよう心がけていかねばならないと感じる。
パネリスト達のような
Flash を扱う事が可能な技術力を持ち合わせている人にとって
Flash が終わろうが、代わりの技術が HTML5 やらその他何になろうが
大した影響はない。
『プログラミング』についての話をしてみる事にする。
「世にあらゆるプログラミング言語があるが
「何か一つ言語を習得し
『Flash の事は全く知らないがプログラミングプロフェッショナルの人』
が近くにいるならば是非上記について伺ってみてほしい。
その通りだと答えてくれるはずだ。
他の言語で作ったものを Flash のプログラミング言語に移植することも容易いのだ。
ここで上記三行の「他の言語」を「JavaScript」に置き換えてみてほしい。
HTML の DOM 操作に必要な言語は JavaScript である。
言語は、Flash ならば ActionScript、HTML5 ならば JavaScript を用いる。
画面描画は
あるいは用意されている描画用 API を ActionScript で呼び出し、
あるいは用意されている描画用 API を JavaScript で呼び出す。
Flash と似たような技術として Java Applet や Shockwave があるが、
これらも一緒で
言語を変え、その技術に合わせた描画を行う処理を記述するだけだ。
Web 技術者が何かに属していて、何かには属していないかのような区別の仕方は
的がはずれている事を なんとなく感じていただけただろうか。
仕事に対し、あるいは表現したい事に対し、ベターな選択を行うだけの事なのである。
環境や表示内容に合わせ両方を採る選択もあるだろう。
パネリストの中に ActionScript が好きだ、という人がいた。
これは別に
Flash が好き(製品のファン)だから ActionScript が好き、と言っているのではない。
ActionScript が優れたプログラミング言語だと判断しての発言なのだ。
HTML5 を選択するだけの事であり、
その別の技術を選択し、
Flash より優れた技術が登場しなければ Flash を使い続ける、
ただそれだけの事なのである。
もう少し突っ込んだ話をすると
Flash のプログラミング言語である ActionScript(ActionScript 1.0)と
HTML 表示制御を行う言語 JavaScript は 実は同じ言語仕様である。
『ECMAScript』という単語で調べてみてほしい。
「Flash と HTML5 は対立するもの」と考えていた人、
あるいは ActionScript や JavaScript を触れたことがない人にとって
「え?そうなの?」と思う人もいる事だろう。
JavaScript は大規模開発に向いていない、という話は聞いたことがないだろうか。
同様の言語仕様である ActionScript 1.0 はこの問題を解決するため
ActionScript 2.0 から ActionScript 3.0 へと進化していった。
Flash は開発がし易い、という話がよく挙げられるが
その理由の一つがこれである。
現行の JavaScript と ActionScript 1.0 は ECMAScript 3 準拠に対し、
ActionScript 3.0 は ECMAScript 4 準拠である。
言語として進化しているものを Flash は採用しているので
開発は抜群にし易い。
ECMAScript 4 準拠の JavaScript も登場する日もあったかもしれなかったのだが、
ECMAScript 4 標準化が白紙、
ECMAScript 4 は無かったことになってしまったのだ。
ActionScript 3.0 で作成したプログラムが
ちなみに JavaScript は大規模開発に向いていない、という事に対し、
最近では Google が新言語 Dart というものを開発している。
位置づけとしては ActionScript 2.0 に近いと比喩した人もいる。
ActionScript 2.0 はコンパイル時 ActionScript 1.0 に変換されて出力される。
Dart も同じく JavaScript 変換機能を持つ。
先の事は誰にもわからない。
HTML5 が成長するとは必ずしも言えない。
技術者は身を持って知っている。
表示と動作の差異、技術者はずっと苦しめられてきている。
めんどくさい。コストがかかる。
HTML5 も同じ道を辿るのでは、と言われてしまうのも仕方がない。
実際に HTML5 の各ブラウザの実装具合はバラバラである。
Flash はといえば、
今でも 10年以上前のスクリプト言語 (ActionScript 1.0 よりも前の言語)で
Flash が動作するブラウザがいつまで携帯に搭載され続けるのか、
まだ誰にもわからない。
今後も当面携帯向け Flash を作り続ける事になるのかもしれない。
携帯向け Flash は一つの容量が小さいというのが救いである。
IE6 対応 HTML サイト制作にせよ、携帯向け Flash 制作にせよ
状況に応じて何を選択するかを判断できるほどの技術力を身につける事
選択する技術に何ができて何ができないのか、
どの技術を組み合わせるとよいのか、
自ら判断できるようになった時、一人前の Web 技術者になったと言えるだろう。
一つ何かをモノにしてしまえば前述の通り移行は容易い。
それを極めるくらいまでとことん勉強してほしい。
続けていくと見えてくるはずだ。自信という名の悟りの道が。
気になった点をいくつか。
現状の HTML5 の実装具合のバラバラさに対し、
「(HTML5の)表示の差分を埋めてくれる何かが登場するかもしれない」
と言う発言があった。
言った当人も会場にいる人達も、きっとこう思っただろう。
「それってなんて Flash Player?」と。
「あれはやめたほうがいい」という発言があった。
勝手に注釈するのであればこの発言は
「Flash で作られた重たい Web を HTML5 でまた再現するつもりなの?」
という皮肉であろう。
同じ独アマゾンで検索すると分かるが、PS3は今は普通に350ユーロで売ってるよ。
http://www.amazon.de/PlayStation-Konsole-inkl-Wireless-Controller/dp/B001CSZSBK/
こんなの見つかったけどどうだろう。
GIGAZINEはゲーム関係ではかなりいい加減な記事が多いという前提で読む必要がある。初っぱなからしてこれだが、
かつてGIGAZINEでソニーがPS3および次世代システムにおいて、初代PS、PS2、PS3、PSPを対象としたエミュレーターの開発ができるエンジニアを募集していることをお伝えしましたが、
該当記事はこれね。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080117_ps3_ps2/
これがタイトルの時点で大嘘ぶっこいてるどうしようもないクソ記事なんだよ。理由は以下が詳しいけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080930014735
かいつまむと、PS2互換無しのPS3(40GB)が発表されるずっと以前からエミュレータ技術者を募集してたのを、PS2互換有りのPS3(20/60GB)が出荷終了した後で騒ぎ立てて、あたかも40GBにPS2互換を追加するために募集を開始したかのような言い回しにしているわけ。なので「新型PS3にPS2との互換性を搭載する意向」なんてのはGIGAZINEが勝手に決めつけてるだけ。こういう経緯があるからGIGAZINEの、特にPS3の、さらにPS2互換に関しては全く信用出来ないって前提で読むべき。担当記者が相当に頭が悪いか、SCEに恨みがあるか、もしくはページビュー稼ぎ目的で書いてると常に疑うべし。
でもって元のGIGAZINEの記事をよく読んでみれば分かるけど、
この記事によると、アメリカのソニー・コンピュータエンタテイメントがPS3のCellプロセッサを利用してPS2のCPUである「Emotion Engine」の動作を再現する技術の特許を取得したそうです。
そもそもEE無しでPS2互換は以前売られていた欧州版PS3でもある程度出来ていたんだよね。なのでその特許はその「ある程度」を「ほぼ完全に」に引き上げる特許でしかない(それでも十分に価値のある特許ではあるけど)。
ところが、PS2の互換性再現のために必要なのは「Emotion Engine(EE)」だけではないんだよ。もう一つ「Graphics Synthesizer(GS)」ってのが必須(以前の欧州版PS3もGSだけ搭載されていた)。これはPS3のCPUではちょっと再現が技術的に不可能に近いと言われてる代物。ところが現行のPS3(40GBや80GB)にはEEどころかGSも入ってない。だから、いくらEEの再現性を上げても、GSの問題が解決されるわけではないので、これで「悲願の互換性実現へ前進」なんてのは「釣りタイトル」もいいところ。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0314/kaigai344.htm
業界関係者によるとGSを残す理由は、GSをPS3チップセットでエミュレートできないためだという。GSが、超広帯域かつ低レイテンシのeDRAM 4MBの搭載を前提としたパイプラインになっているからだ。GSの特殊なアーキテクチャは、同じGPUでも、PS3のGPU「RSX(Reality Synthesizer)」はメモリは外付けを前提としたPCグラフィックス型のパイプラインなので置き換えることができない。
結論から言えば、GIGAZINEでPS3関係の記事書いてる奴は今すぐにでも鬼籍に入るべき。もしくは今すぐ二酸化炭素の排出を停止して環境問題に貢献すべきだね。タイトルで仰々しく「悲願」なんて書き散らかしてるが、そりゃお前(記事書いてる記者自身)の悲願だろと。
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で、14~15万、重量は1.1kg、バッテリは実測2.5~3時間。
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てか、良いキャンペーンやってるときなら、もう2万くらい安く買える。
配送ステータスが糞なこと以外は、自分で問題解決できる人ならあまり問題ないよ-。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090507-OYT1T01111.htm
少女を含む女性3人をレイプして妊娠や中絶をさせるという内容の日本製のパソコンゲームソフトに海外で批判が高まっている。
日本での販売中止を求める抗議活動を国際人権団体が始めた。このゲームは2月に英国の国会で問題になり、ビデオ・書籍のネット販売大手「アマゾン」が扱いを中止した。しかし、児童ポルノなどの規制が緩い日本では今でも流通している。
このゲームは、未成年と見られる女子2人とその母親を電車内で痴漢した後にレイプし妊娠や中絶をさせるまでを、コンピューターグラフィックスを使った画像で疑似体験するという内容。横浜市のゲームソフトメーカーが2006年に売り出した。
今年に入り海外の人権団体で問題視されるようになり、英国ではこのゲームをアマゾンで入手できることに驚いた国会議員らが同国内での流通に反対する動議を提出した。こうした動きが英国などのメディアで報じられ、英国アマゾンは2月にこのゲームの取り扱いを中止。米国のアマゾン本社も取り扱いの中止を公表した。
しかし、日本では児童ポルノなどの法規制が緩く、日本の「アマゾン・ジャパン」は最近、このゲームの販売を中止したが、ほかの通信販売では今も入手できる。
抗議活動を始めた国際人権団体「イクオリティ・ナウ」(本部・ニューヨーク)は「女性や少女への暴力をテーマにした産業が日本で高収益を上げ、『ロリコン』と呼ばれる少女の児童ポルノ市場も巨大化している」との声明を発表。「日本政府はなぜレイプを奨励するかのようなゲームの流通を止めないのか」と政府の対応にも批判を向ける。
同団体は6日、このゲームを含むレイプ、監禁などの性暴力ゲームの制作会社や販売会社、麻生首相ら日本政府の要人らに抗議文を出すように、160か国の会員3万人に呼びかけ始めた。国内の人権団体の関係者なども、こうした活動を機に、販売会社などへ働きかけを行っている。
このゲームのメーカーは、「この商品は業界で作る自主審査機関を通っており、国内向けに販売しているもの。海外の団体からの抗議は承知しておらず、コメントのしようがない」と話す。販売本数は明らかにしていない。
◆児童ポルノ 18歳未満の児童を性的に描いた画像で、児童買春・児童ポルノ禁止法では製造や販売などが禁止されている。しかし、個人がパソコンなどを通じて入手する単純所持は禁じられていない。また、アニメや、コンピューターグラフィックスを使ったゲームなどのバーチャル(仮想的)なポルノは製造販売も禁止されていない。日本の規制の強化を求める声が上がっている。
児童ポルノ関連がいよいよきな臭くなってきたな。
ゲームを作ってる人がブログで言ってるだろうな・・・と思ってやったんだけど
日本のゲームが廃(すた)れてきたのは、プレステ(特にPS2)のせい?
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4412266.html
>「5年まえくらいから言っているんですが、正直、日本の状況はやばいですね」(小島氏)↓
>http://www.famitsu.com/event/tgs/2008/1219002_1829.html
>「日本のゲーム業界は世界のリーダーでなくなってしまった」(和田氏)
>「安易さでPS2の時代にガラパゴス化(閉鎖化)してしまった」(鵜之澤氏)↓
>http://www.famitsu.com/event/tgs/2008/1218763_1829.html
>http://news.dengeki.com/elem/000/000/111/111702/
>http://www.secondtimes.net/news/japan/20081010_keynote_1.html
>小島氏(MGS4製作者)が警鐘を鳴らしていた「5年前」というのは
>丁度PS2が日本では普及しきっていて対応ソフトも多く出ていた時期であり
>「プレステ(特にPS2)」がほぼ名指しされる形であげられています。
へー。
>「海外のゲームを見ると最近は落ち込むんです。技術的にはほぼ負けてます」(同)
>
>あれほどのゲームを作っている開発者とは思えぬ発言に、浜村氏も「ほんとですか!? 『メタルギア ソリッド』チームでも?」と少し戸惑いの様子。しかし、それでも「負けてますね。僕らの課題はここ1、2年で海外に追いつけるかどうか。非常に危険な状態です」と深刻な面持ち。
MGS4は最後の殴り合いだけ海外に追いついて他は全部目を閉じるしかなかった・・・。
「日本は遅れをとっている」 - デジタル・コンテンツ利用促進協議会が発足
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/09/10/038/
とりあえずメモ。
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000031102008
>鍵となるのは「日本がものを作る力、進歩する速度を、世界の技術革新の能力が上回ったことだ」という。そして、その速度を引き上げたのが「英語圏を中心に急成長したゲーム業界のコミュニティー」だと分析する。
>例えば、画像処理など新しい技術のミドルウエアを開発する場合でも、誰でも参加できるオープンなコミュニティーができあがっており、多くの企業が参加して急ピッチで開発が進められる。「プレイステーション3(PS3)」でも採用している「OpenGL」といった3次元グラフィックスの基礎プログラムは、様々な企業が共同で開発して、たちまちデファクトスタンダードとなった。日本単独では、これらの技術で勝ち目はない。完全に主導権を英語圏に握られてしまった。
http://www.purplemoon.jp/blog/2006/10/mod.html
>でもですね。こういう、プレイヤーがMODでどんどん勝手にコンテンツ作ってくれるタイプのゲームは、今後のゲーム業界ではすごく重要なファクターになるはずなんですよ。
>日本のゲーム市場はコンシューマが主流なので、ネットゲームに続いてこの分野でも遅れを取ってしまうのが痛いところです。
私はCGデザイナーになり、大手のゲーム会社か、映画関係の仕事をしたいと考えているのですが、進学する大学が決まりません。
CGデザイナーになるにはデッサン力が必要で、ゲーム会社に就職するには面接の際に作品を何点か提出する必要があるそうなので、デッサンを学びつつCGも学べる学校に進学したいのですが、調べても日本電子専門学校、高度コンピューターグラフィックス科などのような専門学校しかありませんでした。
大手の会社では大卒でないと入社試験を受けることのできないところがあるなどや、専門学校は基礎が学べないと良く聞くので、できれば国公立または私立の大学にしたいのですが、国公立または私立の大学でデッサン、CGについて学ぶことのできるところはあるのでしょうか?
もしあるなら何校か候補を出していただけないでしょうか?
第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001
第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010
中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブルの好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。
住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンやモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。
僕は、当時全盛期だったNECのマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン(兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。
当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームがFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)
PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチのフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。
PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガのBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。
その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌の攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。
そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない。
あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。
当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。
ちなみにその当時、僕はファミコンのゲームをかなり軽視していたと記憶している。
ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンのゲームはマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。
ファミコンなんかよりもマイコンのゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。
しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンのゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。
あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。
まだ続くと思います。