はてなキーワード: ギャグ漫画とは
お笑いは嫌いじゃない。フラットに同じ強さで好きというより人生で強くお笑い好きなタイミングがあったがダウンタウンは通らなかった
お笑いに初めて触れたのは多分笑点。祖父母と一緒にテレビで毎週見ていた記憶がある。
子供の頃はテレビのお笑い番組よりもギャグアニメやギャグ漫画で笑いの湯に漬かっていたような思い出がある。
おじゃまんが山田君、おぼっちゃまくん、クレヨンしんちゃん、奇面組、燃えるお兄さん、とんちんかん…
小学生も高学年になり周りがバラエティ番組を見る人が増えてからもバラエティはそんな見なかった記憶がある。
中学になりギャグよりもオタク趣味、具体的にはファンタジーやSFコメディ周りに軸足が乗った。
テレビを付けるのは主にゲームであり、また1日1時間だったのでその他は親が見ているNHKばかりだったよう記憶がある。
バラエティで記憶に残っているのはウッチャンナンチャンの番組ぐらい。あとボキャブラ天国。
高校~大学は自分の人生で最もお笑いにハマった時期で何よりNHKの爆笑オンエアバトルがその爆心地だった。笑う犬やその他お笑い番組も色々つまみ食いしていた記憶がある。
高校の頃バイトして買ったビデオデッキに3倍モードで毎週撮りためていたのをおぼえている。
そしてその時期自覚してダウンタウンを通らなかった一番の理由が私はお笑いでも漫才よりもコントを好んでいた。水のように変幻自在な言葉の応酬よりも、より硬く研がれた建築物のような笑いを好んだのだ。
大学後半にこのお笑いに対する情熱の火はふっと消え、以来は「普通に好き」ぐらいを通しているがやはりバラエティや漫才よりもコント系が好きで、結果松本人志はほぼ履修せずにここまで来た。
映画も好きだが好きになったタイミングがここ10年なので松本人志の監督作品としては空白期間だ。
とはいえ周りには彼のファンも多く偉大なコメディアンであることは疑ってはいない。それに履修しなかっただけで好きじゃないが嫌いでもない。
中島らも著作のエッセイか啓蒙かまぼこ新聞かなにかで、ダウンタウンが登場した当時の関西人がかれらの漫才から受けた「新しい笑い」の体験が、結構生々しく書かれていたのを憶えている。単なる『あいうえお』でネタを創り上げたそのセンスは、決してどこかのギャグ漫画の二番煎じや、何匹目かのドジョウではない。
性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松本人志の笑いがいじめを肯定する笑いだという意見だ。
正直、理解ができない。自分の知っている松本人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。
まったく逆だろう。
ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である。
個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦」から「いじめられる側の反撃」に変えたのが松本人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。
おそらく、ダウンタウンをいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウンは物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。
私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめる人間・人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダウンタウンのそれは「いじめられる人間・世界に居場所のない人間」の笑いだったからだ。
ダウンタウンの笑いを構成する元素は「根暗、貧乏、田舎者、友達がいない、喧嘩が弱い、勉強ができない、ブランド品を知らない、ダサい、舌馬鹿」等である。これはとんねるずとは真逆の属性であった。
ダウンタウンの笑いは、虐げられた人、世間に馴染めない人間が世間を下から見ることによって生じる笑いである。
これは言い換えればオタクの笑いである。今でこそオタク系の笑いは珍しくないが、当時は画期的だったのである(それこそダウンタウンの影響で普通になった)。
ダウンタウンがあっという間に天下を取ったのはいじめ系の笑いに対するアンチテーゼとして世間を馴染めない人間に圧倒的な支持を受けたからだった。これは若い人には信じられないかもしれないが、当時の空気感を知っている人、特にダウンタウンが東京進出してきたころに学生だった人であれば首肯いただけるかと思う。
(「笑っていいとも」レギュラーだったころの松本は、東京に馴染めず、友達がいなくて、髪はズラ、というキャラだったのを不意に思い出した)
当時はとんねるずに限らず、「おれたちひょうきん族」や山田邦子、森脇健児など陽キャの笑い、いじめの笑いが普通だった。
「明るくノリのいい奴こそ偉い、正しい。いじめる側に回れる奴が成功者」という風潮への反抗の旗手がダウンタウンであった。
松本は「俺は根暗」「根暗のほうがお笑いに向いている」と言い続けた。
松本だけではない。浜田の傍若無人もただの暴力キャラではなく、あくまで「何も持っていない若者が権威に噛みつく」キャラだった。
甲本ヒロトのように「ダウンタウンに救われた」という人がいるのは、こういう背景によるものである。
甲本に限らず、現在40代~50代ぐらいの人の中には、ダウンタウンのおかげで勇気づけられた、元気が出たと言っている人間は多い。
ここらへんのことは若い世代にも、もうちょっと知られていいことだと思う。
実際、当時のダウンタウンの影響というのはすごいもんで、全国の男子学生が松本や浜田のノリを真似していた。
もちろん、そいつらのほとんどはただの劣化品で、ダウンタウンのエレジーは理解していなかったため、ダウンタウンへの誤解が生じる原因にもなっているのであるが、なにはともあれ凄いブームであった。
今や陰キャ系の笑いは芸能界に限らずエンタメ全般に進出している。M-1などを見ても間漫才コンビのネタ作り担当は根暗そうな人間が多い。こういった一連の流れに大きな影響を与えたのがダウンタウンであることは間違いない。
もし、ダウンタウンがいなかったら、今のお笑い界の形も、エンタメもまったく違ったものになっていただろう。
いじめ・いじり、内輪受け、体育会系の部活ノリ、のひょうきん族、とんねるず系統の笑いからの脱却は、むしろダウンタウンよってもたらされたものである。
そして、「世間を下から見る」松本のスタンスは年取ってからも、そんなに大きくは変わっていないと私は思う。
ただ、ダウンタウンというネームは大きくなりすぎた。松本も『遺書』で書いているが、権威を笑う側が権威になってしまった。正直、こうなってしまってはダウンタウンが何をやってもいじめに見えるという人が出てくるのも仕方ないところである。
松本も芸能界に長く居すぎたのかもしれない。彼自身が若いころに言っていたとおり、老いる前に引退すべきだったのかもしれない。そうすれば、「ダウンタウンの笑いはいじめの笑い」などという真逆の受け取り方をされることもなかっただろう。退き時というものは難しい。
さて、長々と松本人志の笑いについて書いてきたが、私の文章を読んでも若い人にはいまいち伝わらないと思うので、実際にダウンタウンの笑いを見てみてほしい。
違法視聴なので大っぴらには言えないけれど、Youtubeで「ごっつええ感じ」「松本人志 コント」などで検索してみるといろいろ出てくる。
お見舞い、思春期、ストリッパー物語、トムとマイク、おかんとマー君、ガタンゴトン、西日本番長地図、記者会見、挑戦者、豆、日本の匠を訪ねて、悪魔、あざみ、くさや団子虫、しょうた、いかがです、ザ・バイオハンター、サラリーマンツアーズなどがおすすめだ。
これらを見ているとうすた京介をはじめとする00年代に出てきたギャグ漫画家がダウンタウンから非常に大きな影響を受けていることがわかる。
また、ピー助というコントは島袋光年がもっともお気に入りのコントだと述べているものなので、見てほしい。
Youtubeにはないもので一例をあげると「荒城の月」というコントがある。
便所の底に住む夫婦の話である。便所の底から上にある便器の穴を見上げると、便器の形に切り取られて蛍光灯の光が月のように見えるという話。「世間を下から見る」松本の世界観がよく表れている。
これらを見れば、ダウンタウンの笑いがいじめの笑いというの違うというのはわかるだろう。ここにあるのは弱者のペーソスである。
がっかりした。めちゃくちゃがっかりした。
だってこれ、紙にはないらしい。この広告。
紙と電子で同じ料金なのに、広告分を負担しないといけないらしい。
電子書籍で買ったってだけで。
紙で買い直すにしたって、電子で買ったお金が戻ってくるわけじゃない。
買う前に知っていれば紙で集めていたけれど、
もうシリーズも結構続いていて、今から集め直すにしても
けっこう負担が大きい。
それでも買い直すか悩んだ。
いや、ほんとこのやり口は勘弁してほしい。
今は大丈夫かもしれないけど、
下手したら、ギャグ漫画のおまけにホラー漫画とか胸糞漫画いれられるかもしれないってことじゃん?
出版社の裁量で、買うまでどんな漫画ついて来るかわからん単行本(本編は推し)
て、最悪な福袋か?
紙にも、その広告部分の漫画を載せるとかで出版社も身銭を切るとか、
買う前に見れる概要欄に記載があるならまだわかる。
それならまだフェアかなと思う
(それでも嫌ではあるが・・・)
でも今はそれすらない。
せめて、広告なしバージョンも同時配信してほしい。この際、多少高くてもいいから。
なんていうか、雑誌じゃなくて、単行本を買う気持ちを汲んでくれんか。
漫画家の方には悪いけれど、
同じ雑誌に載っている作品なら、なんでもいいって思っているわけじゃない。
お金を出して単行本を買うのはその作品が面白いから、応援したいと思っているからなので。
正直この出版社の漫画を買うのは怖くなった。
なるべく発売日に買っていたから余計に。
これからは、この出版社の作品は紙の中古で買えば満足なのか。
本当に嫌なのは、その漫画のその巻を電子書籍で買う限り、
Kindleで買おうが、シーモアで買おうが、hontoで買おうが
同じ広告が載っていること。
つまり紙以外逃げ道なし!!!!
アニメや映画も、最近はすぐに政治の分断に使われて、普通の論評ができないのが馬鹿馬鹿しい。
俺自身はリベラルで、かつ、この映画を評価しない。けど、それは別に政治的な主張が良い悪いという理由じゃない。
単に、あまりにも記号的な書き方が芸術として評価できないだけだ。
流石にもう「ネタバレ」とは言われないだろうけど、終盤主人公が空爆で腕を失くす。
それがあまりにも痛くなさそうで、しかもあんな状況なのに処置が綺麗で、虫も沸かない血も滲まない。
エンディングに腐乱死体が出てくるけど、いしいひさいちあたりが描くギャグ漫画のゾンビ描写みたい。
すべての表現が徹底的に記号化されて、戦争の空気感が「無痛化」「無臭化」されている。
これで「日常のリアルを描いた」って、もうそれだけで表現としては噴飯ものでしかない。
右も左も関係ない。芸術的な濃度を求める感性があれば、こんな病人食のようなものが評価できるわけがない。
そういうリアリティのなさが単純にすべて馬鹿馬鹿しくて、政治的に良い悪いの問題じゃない。
強いて言えば、そういう政治的な問題意識が、「はだしのゲン」レベルでも耐えられない精神的なお子様向けのものであることが問題っていうあたり。
こんな幼稚園児向けの絵本レベルに誤摩化さないと、日本の大人って、戦争の痛みが受け止められないの? って。
寒いギャグってネタの内容がどうのよりも、流れで読んでたところにいきなり無意味なギャグを挟んでテンポをぶつ切りにされた時に言うイメージだな
寒いギャグ入れんなつまらん、的な感想を結構見かけるからそんな印象
ギャグ漫画だとネタそのもので笑いを取るから内容も見られるだろうけど、概ね時代遅れなネタは寒がられるイメージある
例えば食べ物を粗末に扱う系とか昭和みたいな露骨な下ネタとかは現代だと笑うどころか引かれるまであるし、エスニックジョークとかは変なところに飛び火する可能性もあって扱いが難しい
でもバナナの皮で滑って転ぶ、だけでもすごい完成度高いギャグ漫画を描ける人もいるだろうし趣味の域ならあんまり気にせず描きたいもの描けばいいんじゃないか