はてなキーワード: キンキーブーツとは
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三浦春馬ファン、実写銀魂で三浦春馬が演じた伊東鴨太郎に組織票、上位に食い込む
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「よくわからないまま一日一票」
などのコメント付きでSNS拡散を行い、あくまで「原画展」を楽しみにしているファンを逆撫で
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「原作ファンは三浦春馬ファンに謝罪せよ、さもなくば人気投票自体がなくなる」
https://twitter.com/BookspRBXzVOivY/status/1749412352389444090
https://twitter.com/BookspRBXzVOivY/status/1749227173041566178
いや……わかってんだよこういうことしてんのが本当に俳優としての三浦春馬を応援してた人でなく
陰謀論に乗ってたたかいごっこをするのが大好きなだけの連中だってことは
それはそれとして三浦春馬の名前を見るだけでうんざりさせられるようになってしまった
キンキーブーツ主演を城田優が受け継いだときの酷さも未だに苦々しく覚えている
今もYOUTUBEにはただの誹謗としか言いようがない動画がある
キンキーブーツ日本版のカンパニーは三浦春馬をかけがえのない仲間として悼みながらあの舞台を作り上げたのにファンが尽く踏み躙ったし
UK版のキンキーブーツDVDのレビューや動画にまで春馬くん春馬くん春馬くん
三浦春馬が少しでも関わったコンテンツは陰謀論めいた粘着質なコメントに蹂躙される
なんとかならんのか
今敏、内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく
L ル・アーヴルの靴みがき Le Havre(2011年)
L 希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年)
L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年)
L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)
L 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年)
L 恋のロンドン狂騒曲 You Will Meet a Tall Dark Stranger (2010年)
ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので
誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督、マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き
ミュージカル キンキーブーツのWE版を映画館で見たんだけどさ
すげえすげえすげーーーーよかったんですよね
もともとミュージカル多少は見るけどそんなに熱心なファンでもなくて
キンキーブーツもそういや見たことないなーで軽い気持ちで行ったんだけど
あんまり素晴らしくて何度見ても足りなくて毎週末映画館に通って4月で6回見てしまった
WE初演のメンバーを2019年に再結集させて撮ったものらしく
だから人生に迷う若き主人公が見た目そこそこオッサンだったりするんだけど
際どい衣装とどぎついメイクとセクシャルな振り付けでそれでも不思議と下品じゃなくて
台詞がなくて踊るだけなのに人生たのしんだるわい!って力強さを感じて不思議に泣けてくる
それとヒロインのソロパートがすごくいい歩いててふと口ずさんじゃうくらい好き
あんまり「恋する女の子」みたいなキャラにぐっときたことないんだけど
役者さんのサービス精神がものすごくてすごいコミカルでなのに直向きさが伝わってきてすごくいい
細かい話だけど片手がペンギンみたいにぴんってしてるときすげーかわいい
いや普段だったらあざとくて苦手な仕草だけど腕にタトゥーはいってるタイプだから
というのをなんでここで書いてるかというと
ツイッターとかで検索すると絶対に某日本版でローラを演じた人の話になってて言いにくいのだ
私もあの役者さんのことは好きだったしほんとに動けて歌える素敵な人だと思ってたし残念に思う
だけど だけど今の私にとってのローラはWE版のマット氏であの人じゃなくって
私はただよさを語りたいし他の人の語りを見たいのに
感想を検索してもどうしたって最後はその人の名前が出ててなんかこう…
そんなに素晴らしかったなら私も日本版も見てみたかったなと悔やむ気持ちもあるが
でもとりあえず私は私が見たあのWE版をなんの屈託もなく称えたいんだよーーー
天気が悪いし、暇な日曜日になるかなあ~と思ったら、全然そんなことはなかった。先週みたいに、近くのあちこちでスポーツ関連の何かがあって、夕方は大勢の子連れ客が押し寄せるなんてことにはならなかったものの。
お客様が絶え間なく来店する上に、1会計辺りの商品の量が半端なく多くてたまらなかった。何で今日はこんなに食品を買い込むお客様が多いのか? 春休みとはいえ、子供のいそうな家庭っぽくないお客様も多いし、なんなん本当になんなん! と思っていたけど、20時を過ぎた頃に気づいた。大量買いのお客様達の多くが一見さんではないことに。しばらく見かけなかった、かつての常連さん達だということに。もしかして、真面目に自粛生活を営んでいた人達なのだろうか! そういえば、以前ご来店していた頃も、いつも籠一杯お買い物するのが普通だったお客様達だなぁ。
籠てんこ盛りの商品は特大袋5円には入りきらない。なので今日は「商品の数が多いので、袋を二枚にしてもよろしいですか?」って何度も聞いた。自粛明け(?)のお客様達が普通に来店していた時期にはまだ、レジ袋が有料ではなくて、無言で特大袋二枚に商品を入れていたよなぁ、なんて思い出した。
今日じゃないけど、AさんとDさんがシフトの時に、『キンキーブーツ』的なファッションのお客様が来店した。キンキーブーツなお客様は、Aさんを一目見て「あら素敵じゃなぁい!」と言ったらしい。
で、キンキーブーツなお客様はかなり遠い所から来たのだけど、ここまで来て今夜泊まるホテルの場所がわからなくなったと、Aさんに言った。Aさんは「そこの道を道なりに行けば分かります。他にでかい建物とかないんで迷わないっすよ」と答えた。そしたらキンキーブーツなお客様は「そうじゃないのうよ! あなた、あたしはそういうこと聞いてんじゃないのよ!」と怒り出した。それでDさんがキンキーブーツなお客様に応対することになったんだけど、Dさんは要約すると「そこの道を道なりに行けば着きます」という感じのことを言ったらしい。なのにキンキーブーツなお客様は「それよ! あたしが聞きたかったのはそれなのよ!」と言ったらしい。解せぬとAさんは先週のシフトの時に私に言った。まあたぶん、AさんとDさんの言ってることは同じでも、Dさんはフレンドリー接客を極めてる人だし、Aさんはぶっきらぼうなので、だいぶ印象が違うんだろうなあと思う。
Aさんは、「一目見て素敵っていうくらいならもうちょっと僕に優しくしてくれてもいいと思いません?」なんて言っていたけど、キンキーブーツなお客様は素敵な殿方には素敵な接客をして欲しい方だったんじゃないだろうか。
全く書いてなかった。
ほんとこういうの続かねえなあー
まあいっか
前回の日記読んだらめちゃくちゃ疲れててうけた
書いてない間何してたっけなー
とりあえずここ2週間は映画館でやってるキンキーブーツを見てはびたびたに泣いてんな
もうね最高なんだよね全員見た方がいいと思う
そしてエンジェルズが本当の本当に美しい
基本的にミュージカルってみんなが揃って賑やかで楽しくて幸せな場面でいつも泣いてしまうんだよな
ミュージカルの幸せはいつもほんの少し悲しさを含んでいる気がする
それでいうならキンキーブーツは冒頭のPrice and Sonですでに泣いてしまうし
Raise you upとJust beなんかもうびたびたになる
そういう生身の人間にはとても言えないことを
それに救われる気持ちになるのはわかる気がする
ミュージカルの登場人物たちがこれからの未来ずうっとなんの苦しみもなく幸せに暮らすなんてとても思えないんだが
気の遠くなる努力に裏打ちされたパフォーマンスの果てに、愛とか希望とか祝福を語ってくれるから
最初に見たのが先々週で
まあ繁忙期が終わりつつあるのもあるけどね
あとはなんだろなー
花見っつってもお堀のあたりをぶらぶら歩いただけだけど楽しかったな
日記って書く前は細かくいろんなことを書こうと思うけど
書き始めるとわりとすぐ満足しちゃうな
まずはじめに、これは夢の話で
普段ならTwitterに書いて終わりなんだけど今回あまりにもな内容で、けれどどこかに書き記しておきたくてとりあえずここに書いておこうかとおもって
夢らしくいろんなことがごちゃごちゃなんだけど
途中何度も同じ場面があって
問題はそこなんだけど
三浦春馬くんがいるんだよ
まるでスキージャンプの途中みたいなあの姿勢で下りエスカレーターにいるの
びくともしない、後ろに伸びた腕に触ってもなんとも言わない
とにかく腕や体全体が冷たくて、触るの躊躇するくらいだったんだけど
いま思い出したけど、あれ生きてない人の体温なんだわ
真剣な思い詰めたような表情で真っ直ぐ前を向いて、スキージャンプの途中みたいな体勢で下りエスカレーターで降っていく
止まらないんだよ
最後の段になってもぴくりともせず、下に転がってた
そんな場面が3回夢の中で繰り返されてた
そしたら信じられないニュースでさ
あ、そういう番宣かな?て思ったの
でもなんか違うみたいで
どうやら本当に起きたことみたいで
え、この名前で一番に思いつく彼のことなの?て混乱して身体が震えてきちゃってさ
なんで?て言いながら泣いてしまった
でもそのなんで?すらも彼や周りを責めてしまう言葉のように思えて
だけどいまでもなんで?って思うよ
けれど、歳が近くて、演技がうまくて、努力家で優しい雰囲気で、好青年で、頭うまくて、踊りもうまくて、チャレンジ精神があって
まだまだミュージカルも上手くなるぞ、できるだけ早くキンキーブーツ観に行くぞ
とにかく観たいな、でも遅くなってもそれだけ上手くなったローラを魅せてくれるだろう
そう思ってたんだ。
つらいなあ
特別ファンじゃなかったけれど、きっとこの先も良い演技をしてくれるって思ってた
若い父親役だけじゃなくて、若手社員役じゃなくて、新米教師役でもなくて
20歳くらいの子どもがいる役とか、ベテラン社員とか、教頭先生役とかさ
勝手にそういう役がくる日を楽しみにしてた
あの三浦春馬がもうそんな役やる歳になったかー!まあ自分もこんな歳だしな
て言う日が当たり前にくると思ってた
こなかったなあ
もうせめて生きててくれないかなって
でも苦しかったんだもんな
生きてるのが
しんどかったんだもんな
そしたら生きていて欲しかった、て言えなくなるんだよな……
そんなことをもうずっとぐるぐるぐるぐる考えてるよ
まさか夢に出てくるとは思わなかったけれど
しかもこんなどうにもできないような形で
まだね、竹内結子さんのことは受け止めきれてないんだ
ちょっともうわかんなくて
でもいつかこうして夢に見るのかな
やだなあ
わかりたくないな
こんな早朝にさ
泣きながらこんな文章打ってんだよ
何やってんだろな ほんと
つらいな
もう一度寝るけど
つらいなあ。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
若くて才能のある、それも容姿端麗な人が死ぬとみんな好き勝手に言う。死んじゃ駄目だとか、私たちは助けてあげられなかったとか。
「この思いが天国に届いてますように」に対して「きっと届いてるよ!」と無邪気に返す人たちを見て目の前が真っ暗になった。
まだ訃報を耳にしたばっかでもうそんなこと言ってしまえるのか。
届いてるって何だよ。なんですぐにいい話にしようとするんだよ。自分たちのために物語を作るな。死にたいとも思ってない自分が救われたがるな。こんな悲しい決断をするところまで追い詰められた人を消費して、自分に酔うのはやめろ。
もうみんな黙ってくれ。頼むから何も言わないでくれ。
今ものすごく悲しいから静かに悲しませてほしいのに、自分の話をしたがるやつが多すぎて嫌になる。 ツイッターで散々いろんなことを言われてるのを目にしてめちゃくちゃに傷ついたから、日曜の晩から今までツイッターもインスタも一切触れてない。 SNSに依存気味だからすぐに癖で開きそうになるけど堪えてる。
死んだら駄目だって言うやつ山ほどいるけどあんたは何なの?どんなに悲しくても生きてればいいことあるよ、じゃないんだよ。
じゃあそれは具体的にいつなんだよ。いつまで我慢したらいいことがあるんだよ。他人の人生に責任なんか持てない癖に、薄っぺらな正しいっぽい言葉すらすら吐いて気持ちよくなってんじゃねーって思う。
いいこと起こるまで耐えられないくらい今がどうしようもなく辛いっていうのは、そんなに理解に苦しむ話なの?少しも我慢せずに死ぬ道を選んだって思うの?耐えて耐えて耐えてきて、それでもやっぱり辛かった結果だとは思わないの?あんたそれ想像力と思いやりが足りてないんじゃないの。
死にたいって思う人に、死ななくても済む理由を見つけさせられなかった世界が負けたんだよ。
残された側は悲しいけどね。本当に辛いけどね。でも私たちの悲しみ苦しみは問題じゃない。いちばん大事にされるべきなのは、死んでしまった人の感情だから。
せめて今もう辛くなければいいなと祈ることしかできないのは、目眩がするほどやるせなくて何もかも投げ出してしまいたくなる。
でもそれしかできないよ。あとは素晴らしい出演作をときどき観て、やっぱり素敵な人だったなあと懐かしむのが精一杯だよ。それ以上に何かできると思うのは傲慢です。あの素敵な人のことを全部悲しい思い出にしてしまわないように、今はまだ胸が痛くて難しいけど、定期的に作品を見返していきたい。
去年なんとか取れたチケットでキンキーブーツを初めて観た。そのパンフレットを開いて眺めていたらブワッといきなり涙が溢れてきた。まだどこか受け止められていなかった現実を脳が唐突に理解して、涙腺が壊れてしまった。
最高の舞台だったな。悪くもないけどあまりよくもない席が当たったのだけど、微妙な座席であることなんか気にならないほどのめり込んだ。
あの舞台に救われた。辛くて苦しくて塞ぎ込んでいた時期だったけど、踏み出す勇気をもらった。自分のありたい姿で生きるのは困難で勇気がいることだけど、そうやって真っ直ぐ生きる姿が格好よかった。また何としても観に行くぞって思ってた。
また、はもうない。日曜日から胸を占めていたぼんやりしていた悲しみが輪郭を持って、感情が今になって追いついてきた。タイムラグがあった分、勢いが凄まじくて止められなかった。泣いても泣いても止まらない。
あの素晴らしい舞台の記憶を綺麗に保存しておけたらいいのに。忘れたいことに限って忘れられないし、覚えていたいことは次々と思い出せなくなってしまう。
忘れたくないな。覚えていたいな。悲しい最期だけを記憶に残すんじゃなくて、きらきら輝いていた瞬間のこともちゃんと私の中に残しておきたい。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
三浦春馬が死んだ日、私は『完全自殺マニュアル』の封を切った。
薬物療法とそれなりの規則正しい生活とそれなりの運動によりうつの症状が軽くなり、娯楽やエンタメをそれなりに楽しめるようになっても減薬が始まってもなお希死念慮は消えない。いや消えたい。この世の中から。
私がうつになったのは自分の将来への不安と、私はいわゆる「きょうだい児」なのだが、そのきょうだいが本当に何もできない、言われなきゃ何もやらないクズで、クズというか出生ガチャでそういう脳味噌を引き当てちゃったから彼も被害者なんだけど、本当に何もできなさすぎてそれが見ていて不快だった。弟に死んでほしかった(今はそう思っていない。両親が私ではなく弟を選んだため)。将来への不安を抱えたまま家に帰るとクズみたいな弟がいで安らげない。毎日のように風呂で呪詛を唱えた。死んでほしすぎて精神を病んだ。仕事中に何かが切れる音がした。一度休職したが復職に失敗して会社をクビになった。今は傷病手当金でのほほんと暮らしている。しかしそれもそろそろ給付が終わる。
働きたくない。精神を病んでいなくても働きたくない人間はそこそこいるだろうが、私にはこのために生きようと思えるほどの何かも無い。中途半端に復職した時、合わない薬の症状で心身ともにしんどい中、趣味のイベントの発表があった。そのイベントのためになんとか頑張ろうと希望が見えたその日にクビを宣告された。目の前が真っ暗になった。数ヶ月後のイベントには参加した(※コロナ以前の話)。楽しかった。なんの悔いもなく最高の気持ちでイベントを終えることができた。でもそのイベントはもう終わった。趣味としてのそれもコロナの中でひっそりと終わりを告げるのだろう。他の趣味もそれなりに楽しんではいるが、匂わせられている続編への期待値よりも趣味そのものへの疲れの方が先行している。私には生きる理由がない。見つける気もない。
加えて元々30歳になる前に死にたいという漠然とした願望があった。私は三浦春馬と同い年だが早生まれなのでまだ(もう)29歳だ。そろそろかなあという話を今日の昼に心療内科のカウンセラーにしたばかりだった。これまでの経緯を含め希死念慮がある話はとっくにしており、「もし実際にそういう準備をした、とかあったら教えてほしい」とだいぶ前に言われたのを覚えていたので「先月から通販のカゴに入れたままの『完全自殺マニュアル』という本を先週買いました」「でもここ最近気が落ち込み気味で別の本を読んでも以前に比べて頭に入らないのもあって開封すらしていません」と伝えた。時間が来たので「もしまた読みました、とかあったら教えてくださいね」と言われたところで面会は終わった。
帰宅して昼食をとって昼寝して起きてツイッターを覗いたらフォロワーが一斉に何かを嘆いていた。調べたら三浦春馬が自殺していた。流石に驚いて声が出た。私は彼に対してなんの思い入れもないが(キンキーブーツは観てみたかった)勝手に涙が出た。と同時にあんなに煌びやかで順風満帆にも見えた彼にも彼にしか見えない地獄があったのだろうと悲しくなった。誰も寄り添うことのできない彼の苦しみが。遺書があったらしいが私はその内容を知らない。死後に希望を見い出して死を選んだのか、現世に絶望して死を選んだのか。前者なら冥福を、後者なら彼の魂がどこにも行かず霧消することを祈っている。
三浦春馬が死んだ日、私は『完全自殺マニュアル』の封を切った。クローゼットで死ぬのは夢があっていいけど、私はただでさえ弟というお荷物を抱えて生きていくことを決めた親の家を事故物件にはしたくない。でも三浦春馬だって死んじゃうんだ、私だって死ねる。