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はてなキーワード: キャラ萌えとは

2021-08-03

藤本タツキ漫画ペラペラ

映画引用してるとか

話の筋に前衛映画を参考にしてるとか言ってるけど

実際はキャラ萌えを中心にした前衛ぶったただ単に話がガタガタのジャンプテンプレ能力バトル漫画

生きていて、虐げられて、孤独で危ないもの扱いされる人たちの苦しみを知ろうともしないで

ただ単にガキのオナニーのおかずにするための百合漫画の添え物にして

炎上商法でいっちょ噛みしようとした

クリエイターの風上にも置けない

三流のクズ漫画家だ

2021-07-31

anond:20210731140420

全然分かんなかった

あの漫画キャラ萌え漫画なんだということで俺の中で整理がついた

2021-07-18

平成中期に誕生し、平成後期にかけて発展して、令和の時代には絶滅してしまった「ちびキャラ萌え」は韓国人継承していた

https://www.youtube.com/watch?v=PQxMP5T7LQY

2021-07-17

竜とそばかすの姫をみてきた。

 

総評

まあまあ面白い

・語りたくなることは多い

(今作を持ち出し社会批評に繋げたり、キャラ萌えカップリング論争を繰り広げたりする人は多そう)

エンタメ性は微妙

(爽快感カタルシス、心を揺さぶる泣き所等、無いわけではないがあまりうまくない)

  

BADポイント

脚本イマイチ

キャラが多すぎる

ネームドのキャラだけで30人以上いるんじゃなかろうか。2時間映画にこれだけキャラ出すのはちょっとね。ゆえにキャラが薄い。もう少し練り上げれば半分でもいけたんじゃなかろうか。)

エピソードが多すぎる

(30名以上のキャラがそれぞれ1エピソード、2エピソードの話で出てくる。その沢山のエピソードを通して伝えたいことはわかる、でももちょっとキャラを減らして1キャラ3エピソード、4エピソード担当させることにしてくれたら、話がすっきりしてキャラに深みが出たんじゃなかろうか。)

・本筋が消化不良

主人公トラウマ解消成長ストーリーとしてみれば一応話は成立している。でも他の主要キャラ世界問題・・・?)

 

GOODポイント

演出がよい

現実パート写真をそのままトレースしたような写実的背景とマッチする手書き作画(浮いた感じもなくきれいにまとまっていた)

仮想パートディズニーっぽいCG作画(なんかいろいろと美女と野獣だった)

ギャグパート面白い!(ザ・アニメ

(全編を通して見ていて飽きないし、不自然さを感じたり、不安さを感じることな気持ちよく見れた)

〇「今のインターネット」のエッセンスをうまく取り入れている

SNSライブ配信Vtuberヤフコメ民、バイラルメディアアバター文化グループチャット等、「2021年以降のインターネット」が描かれている。

(各メディア描写が正確なのはもちろん、そのメディアに付随する文化の描き方にもリアリティがある)

ユートピアではない等身大インターネット

サマーウォーズユートピアではない、悪意マシマシインターネット。でもそれが現実インターネット。あとオタクインターネットに寄り過ぎてないのもよかった。tiktok、インスタ、Youtuber文化的な意味ね。)

※余談:インターネット描写が出てくると細かいことが気になって仕方なくなることが判明。話の筋そっちのけで正確性やリアリティを気にしてしまう。今後作品鑑賞する際には意識的に気を付けないといけないことがわかったのが本日一番の収穫。

 

その他ポイント

映画の中ではどうみても今の日本が描かれているのに、映画の中では誰もマスクをしていなかった。

マスクをしてない現代描写を見ると違和感を覚えるようになってしまった。

2021-07-08

10年いた寝る前のおとぎ話界隈からジャンル撤退して思うこと

物心がついた頃からずっと、二次創作は私にとって身近な存在だった。

シンデレラ白雪姫ラプンツェル。気に入った話があればすぐ「続きは?」とせがむ私に母はよく即興の続編を聞かせてくれた。

本を読んでくれるのは昼間だが、続編を聞かせてくれるのは眠る前の布団の中だった。


お話をしてもらえない日の夜は、仕方ないので自分二次創作妄想で眠りにつくまでの時間を埋めた。母の語る話には遠く及ばないが、神が書いてくれない日は自分で書くしかない。私は今でもそう思っている。

お気に入り妄想は、シンデレラ白雪姫王子様に嫁いだあと、隣国王子が姫を奪いに攻め込んでくる話だ。

自軍が不利な戦況になり、さらわれそうになったシンデレラが、果敢に剣術で立ち向かい隣国王子を斬り捨てるシーンが特に好きだった。

隣国王子を殺したあとは、隣国の家臣から銃殺されることも少なくなかった。

母のお話では主人公は死なないので、軽率に死ネタ妄想ができるのはひとりで寝る日だけの特権だった。


まあ、そうやってお話で寝かしつけられていた私は、下の子が生まれると今度はお話をしてあげる立場になった。

ROM専から卒業である

内容は好きなアニメ絵本漫画キャラクターがよその世界に遊びに行ったり、冒険をしたり、無人島漂流したりする、雑多なクロスオーバーだったように思う。

小学生の発想力なんてそんなもんだ。

私がおはなし上手だったのか、それとも下手なのか、今となっては確認するすべもないが、当時はそれなりに喜ばれていた。

もうお話してあげないよ!と言って下の子を脅したり、言うことを聞かせたりしていたかもしれない。最低がすぎる。界隈でROM専相手に横暴きわめる同人女かよ。

「あの…そういう方に私の作品をお見せすることはできません。これからリスト限定公開とさせていただきます。」「こんにちは!〇〇さんの繊細でありながら大胆な絵柄が大好きです!よろしければリスインお願いします💦」「初リプ失礼します。いつも〇〇さんの作品に元気をいただいています。昨日上げられていた✕✕の△△も、なんと申し上げて良いのか…すごいの一言です。もしご迷惑でなければリスインしていただけないでしょうか。」「初めまし

いやまあなんでも良いけど。


私はほぼ毎晩のようにお話をした。家族伊勢海老を食べに行った日は、セーラームーン無人島で釣った伊勢海老エビグラタンにする話をしたし、幼稚園運動会が近いときは、テレビで見たキャラがみんなで運動会をやる話をした。

大玉転がしの玉の下敷きになるハム太郎の話に、かけっこで水の上を走るバジリスクの話。応援テント酒盛りをしているアガサ博士毛利小五郎の話。バジリスクダーウィンが来たに出ていたのを一度見ただけだが、かなり気に入っていたのでどの話にもちょいちょい出した。

いくらでも作れたし、思いついた話を笑って聞いてもらえるのはとても楽しかった。


しかし私がどんなお話をしようと、界隈の神は揺るぎなく母であった。

特別な夜にだけしてもらえる母のお話は、いつも夢中になるくらい面白くて、私なんか台詞ストーリ構成。どれをとっても母には敵わなかった。

私の話はキャラ萌えと勢いの良いギャグけが売りの、とっ散らかった話だ。毎日連載し続けた根性はともかくとして、行き当りばったりで筋の通ったストーリーが一つもない。

まあしかし特に私は母に嫉妬するでもなく、たまに母のお話が聞ける日をとても楽しみにしていた。


そんな私がジャンル撤退するきっかけになったのは、別の神との出会いだった。

10歳の頃、初めて使ったインターネットで、なんとなく好きなアニメについて検索していたら、同人サイトに入ってしまった。

同人サイトの主は原作によく似たきれいな絵を描く人で、私はたちまち彼女の虜になった。


そこから私は「寝る前のおとぎ話界隈」という平和世界彼女解釈妄想をそれとなく持ち込むようになった。

の子世界観のアンバランスさに文句を言いながらも、はじめは許容してくれていた。

でも私が「同人サイト出会った神」から得たネタを使う割合が増えるに従って、「寝る前のおとぎ話界隈」はどんどん崩壊していった。

それまでハリーポッターにもおじゃる丸にも濱口優にも等しく見せ場があったはずなのに、私が「新しい神」に毒され好きなキャラばかりを贔屓し始めたからだ。


やがて、「寝る前のおとぎ話界隈」は、かつて神であった母からの「あんたたちいつまで一緒に寝てるの?」という言葉により終了した。

そのとき既に私の関心は新しい「神」に移っており、特に未練はなかった。

まれから10年。私に二次創作の楽しさを教えてくれた本当に長い付き合いの界隈であった。



まああれから十数年経った今も、私は好きなジャンル同人界隈に属し、二次創作を書き散らかしている。

下品エロを書くこともあれば、原作のほんの一コマを補うなんでもない話を書くこともあるし、昔みたいに推しシンデレラにする日もある。

しかし「寝る前のおとぎ話界隈」にいたときほど自由に、のびのびと活動できることはもうないと思う。

性欲とか、原作レイプとか、解釈違いとか、神への嫉妬とか、スランプとか、評価とか、感想とか、ネタ切れとか、文才とか、表現力とか、完成度とかそんなことは一切考えずにただ思いついた話を語り、それを聞いてもらうだけで楽しかった「寝る前のおとぎ話界隈」


二次創作は全部オタク戯言だとか、他人の褌で相撲を取る下劣妄想だとか言われると、まあ今の私は怒らないけど、10歳の私はきっと怒るだろうなと思う。

あの頃の私は原作を神だなんて思ったことはなかったし、世に出されたキャラクターは読者みんなのもので、ルパン桃太郎も鉢かつぎ姫もひとたびお話に出してしまえば全部自分のものになった。

キャラクターはみんなのものだと言いたがらないミッキーマウスは嫌いだった。絶対お話には出さなかった。


私もそのうち子供が産まれたら、今いるジャンル撤退して寝る前のお話界隈に戻るかもしれない。

それとも今の乳幼児お話じゃなくてYoutube眠るんだろうか。

2021-06-22

なぜVivyは評価割れたのか?

追記みたいなもんです。ほぼ自己満です。

感情移入はなぜ阻害されたのか

この作品の作者は基本的にはタイムリープと人の人生を変える、救うという組み立てを使いたがります。この起源を求めると際限がなくなりますが、とりあえずのところ『シュタインズ・ゲート』に求めることができると思います。多くのタイムリープものが変えることによって世界悪化させるのではなく、変えることによって人々を救うという物語になりがちです。そして、この究極的な選択がすべての人間を救う、という選択肢でした。この前例として宮崎駿の『風の谷のナウシカ』などが思い浮かびますが、宮崎駿自身が悩んで重苦しくなったテーマをそうそう扱えるはずもありません。聖女が一人で世界を背負う、その行く末に待ち受けるのは、聖女自己犠牲にほかならないからです。実際作品はVivyの犠牲によって世界が救われています。ちなみに宮崎駿はこの悲劇的な終末を原作映画ともに避けていますナウシカは戦う女であると同時に、正常な自尊感情他者尊重感情が成長によって獲得された人物であるという立場からだとは思います)。

世界のすべてを救うというテーマの割に、Vivy自身が「心を込めて歌う」ことに最後まで躊躇があった、あるいは無理解があったという点で感情移入ファクター一つが阻害されました。彼女あくまでも人間に近いなにかであったという点で突き放されてしまったのです。第二に、視聴者に伝えるべき人物ダイジェスト扱いだった点が挙げられます。早々と空港で爆死してしまモモカ、長い人生の経過を博物館とのやり取りで済ませてしまうVivyとマツモト博士(以下、オサム)。特にオサムに至ってはうディーヴァとして保管されていたVivyに恋愛感情を懐き、やがて悩みの時期に入ると母代わりになり、そして自身も伴侶を得ると良き人生相談相手となる非常に重要役割を持った人物でした。しかし肝心のオサム登場回は二~三話程度です。実際のところ作者がどう泣いてほしかったのかといえば、このもっともVivyを愛している人物事実上自死強要し、またオサムのなすべき全AIの停止を命じなければならなかったところです。二者択一の苦しみの中にオサムはあったということですね。しかしこれはあまり上手に伝わっていません。個人的別所24構成にすれば解決しただろうと書きましたが、おそらく根本的にそういう問題ではありません。

AIによるAIのための物語

この話はいくつかの構造を所持しています

  1. AIと人との物語
  2. AIAI物語
  3. AI世界物語

この内メインとなっているのはエステラやオフィーリアといったAIAIのあり方に関するものです。これはいわゆるSF的な考察ではなく、人物相関として見るべきものです。AIAIが関わるシーンが多いにも関わらず、Vivyはその他の人間も救おうとしています。こうなるとどうなるかといえば、人間同類AI感情殆どが持ってゆかれ、かつ最重要人物のオサムのエピソードが不十分になるばかりか、トァクの背後も語りきれなくなる、ということです。しかし作者的にはAIインフラ以上になってしまった世界を描きたかった節も感じられます。でなければAIAI関係性をメインにもってきません。そればかりかAIを狂わせ、利用しておかし世界にしているのは人間であるという業も人間側に押し付けています。これはつまりAIという善悪を取り払った像から人間という醜くも美しい存在を浮彫にしたかった、という心象が背景にあると見てよいと思います

どうすべきだったか

この場合AIAI物語である、という構造を減らして、人間AIの関わりを増やすべきでした。なぜならVivyは最後最後まで歌うことに対して逡巡していましたし、人間AI関係のみならAI敵対する人間、支持する人間、利用しようとする人間という様々な角度がより深く追求できたはずです。さらには人間との関係性や対話が濃密であればあるほど視聴者はVivyの成長も理解できるようになります

なぜVivyはフリーズしたのか

Vivyは物語の中である絶望感に襲われて、具体的には冴木教授の自殺によって一度フリーズします。この現象は上述の項目にかかっています。すなわちVivyはAI対人という構造で人を救いたかったわけではなく、全人類及びAIすら本心では救いたかった、というものです(他所ではモモカの死が重なったされていますが、話の根幹から切り取ると作品意図としてこうなる、という話です)。Vivyは常々手の届く範囲は全て救おうとする存在でした。したがってVivyは無機質な感情を持つアーカイブのみが理解できない存在であり、その他のシンギュラリティを達成しているAIに関しては人間と同様の扱いに終止していました。これは作者の意図によるところです。作者は最初からVivyを聖女に仕立て上げたかったわけで、大きな風呂敷の中で終盤を終わらせるつもりだったはずです。その中身こそが「全てを救いたい」というリゼロでは成立しにくかったテーマです。もっとも結果として人間選択してAIを切り捨てていますが、この辺への苦言は終盤にてナビがフォローしています

どう調整すべきか

前述の人間AIという構図を増やし、全てを救うのではなく苦渋の決断AIを停止させるという感情面の描写がより鮮明に描かれるべきでした。これは本来オフィーリアとアントニオ事件ときに行われるべきでしたが、彼らの背後には柿谷が関わっていたため、純粋AI悲劇を描きにくかったように思えます。結局AIAIという構図を減らしてワンクールで収めるべきでした。

実はメッセージ的にはやれることはやっています。例えば先程の人間の業故にAIは悪にもあるし善にもなる。それを処断すべき存在アーカイブであったという話、オサムが二者択一及び悲劇的な立場にあったという話。AI反対派の柿谷がやがて孫の代になってVivyと協力するという大河ドラマも盛り込んでいます聖女であるVivyがその使命を最後までブレずにまっとうするという面も全てです。むしろ盛り込み過ぎと言うべきでしょう。しかし逆に言います12~13話は約5時間ですので、映画一本分と思えばやれないこともないはずです。ではどうすればよいかといえば、感情表現をすべてセリフで済まそうとするのではなく、シーンで伝えきる技術をより先鋭化すべきかと考えます。僅かな感情のやり取りだけ、沈黙だけで意図理解できるようにすべき、ということです。もっともこれは監督仕事ですが。

付け加えるなら

Vivyがあまりにも完全無欠の善人として描かれすぎているように思います。この時代AIは少なくともシスターズに至っては人間レベルですから人間のように不義に逆上する場面があり、その過ちを反省する未熟さもあってしかるべきです。こうした人間的深みの一部がVivyから欠落しているがゆえに感情移入の一つを失ったことは、すでに前出で言及しています

もうひとりの脚本家、梅原英司

ゼロローリングガールズだけ知ってますが、たしかに関わったものを見るとサスペンス系が多いように思えます。かみ合わせ的にどうだったんでしょうか。脚本本数が少ないのでこれからなんでしょう。

おまけ:なぜ『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』は評価割れたのか。

SFサスペンスとしてSF屁理屈言い訳物語を紐解く推理として捉えられる層と、物語全体の展開を見る層、キャラ萌えする層、旧来のファン層に分かれちゃったからです。わたしは上から二番目です。

いいんですよ。怪獣四次元から投射されてるとか特異点自体計算機になる理屈があっても。でもそれメインだと映像では厳しい。そこがすべての人は超楽しかっという。でも楽しんだ観点も間違ってないと思ってます。楽しかった感情までどうこうできる権利もないので。

2021-06-21

エヴァオタクは嫌いだが落とす金は必要だった、のは過去の話

シンエヴァを見た。

クワクもドキドキもハラハラもしない、感動もない。ただ「綺麗に風呂敷畳んだね、見てる人に殴りかかるんじゃなくて、言葉説明できるだけの理性はついたんだね、監督おとなになって偉いね」という意味で「良かった」と思った。EOEでぐちゃぐちゃにされた子供の頃の恨みみたいなもの成仏していたのに気がついた。シンを見て成仏したのではない。自分はとっくにおとなになっていて成仏していたのだ。そういう映画だった。

徹頭徹尾オタクが気にしてること、気にしそうなことを説明して潰しにかかっていたのは笑いそうになった。ミサトさん無責任で酷いって気にしてたんですかね? 昔のエヴァならあん違和感たっぷり説明的なセリフ垂れ流さなかったでしょうよ。アスカレイカヲルベルトコンベアで流れてくる商品を選り分けるように、事務的淡々と処理されていくのは本当に白けた。有名声優が何人も説明的なセリフを言うだけに参加してるのもシュールだ。

それでも終わっただけで「良かったよ」って言えたのは、多分今のエヴァに新鮮な楽しさや驚き、痛みや苦しみを描く力なんて無いとどこかでわかって、諦めていたからだと思う。ちゃんと終わらせること以外期待してなかった。

リアタイ世代で録画を何度も見て、映画もおこづかいをはたいて全部劇場で見た子供だった私も、大人になって見えてなかったものが見えるようになった。良質なエンタメにもたくさん出会った。少ない知識に狭い視野で、初めて見たショッキングエンタメだったからのめり込んで、特別に思った時期があったのだろう。そういう期限は切れていた。期待しないようになっていた。

余談だが子供だった自分アスカが生きたまま腸食い散らかされるのがあまりにも怖くて、ショックで眠れなくなったりうなされたりした。生きたまま食われるなんて考えたことも無かったので、本当に怖くて震えた。思えば初めて見たグロっぽい暴力的悲惨なシーンだったのかもしれない。EOEまでは本当にいろいろと心に傷を刻んだ作品だった。

とにかくエヴァは畳まれた。シンエヴァは畳むために作られたものだ。物語として楽しくする気なかったでしょう? 嫌いなエヴァオタクと、終わってないことに言及されること消すために時間セリフがあった。

監督ももエヴァは見えないところにしまって、自由になりたかったんだろう。だから面白くなくてもファンエヴァオタクがっかりしてもどうでもいいのだ。破まではエンタメとして良いものに作り変えようという気が見えたけれど、もうそなのはどこにもない。

監督エヴァオタクを嫌いっていうのは有名な話だ。インタで自分でも言っている。今も嫌いだろうと欠片も疑っていない。

でも彼の会社エヴァ版権使用料がないとスタッフが食っていけなかったんじゃないかと思う。彼を慕い、憧れ、優しいスタッフ理解ある嫁を食わすには、大嫌いでもエヴァオタクからキャラクターで金を搾り取るのが一番儲かる。

ところがゴジラが当たった。ウルトラマンも撮らせてもらえる。もうエヴァがなくても稼ぐあてが出来た。だからエヴァはとっとと畳んで開放されても良い。というわけで前は急げで完成に至ったのではないだろうか。モチベ上がったでしょう。キャラクターサクサクエヴァオタクが金を払う気がなくなるような処理しをして片付けた。もうこっちくるんじゃねえぞってなもんで。

シンゴジの時はじめて心から嬉しそうな監督を見たからね。監督はあっちに行くし、エヴァオタには付いてきてほしくないのだ。ちなみにオタクにいちいち「エヴァ」ってつけるのは、監督特撮オタに関しては嫌いではないし、彼自身オタクからアニメ特撮オタクエヴァに散りばめられたオマージュのおおさからして、けっこうディープオタクだと思う。

シンエヴァ感想をいくつか読んだら、それぞれのキャラクターの処理について不満を漏らすと、案の定卒業しろよとかキモいと叩かれていた。まとめサイト晒し上げられていた。流石にそれは酷いくないか?今までキャラ萌え的な商売しまくって、金を搾り取られた人たちが嘆いたって良いだろう。だって公式はそういう商売をしてたじゃん。中学生が脱衣する麻雀ヒロインといちゃつけるゲームシンジカヲルで落とせるゲーム。それを元にした漫画同人作家カヲルシンジBL描かせて監督が対談までしてる書籍もある。その他にも把握しきれないくらい色んなモノが出ている。エヴァくらい節操がなく金のためにキャラを売っていた作品も無いだろう。

キャラクター商品キャラクターが好きだから買うものだ。キャラクターが好きだから金を出す人たちからずっと搾り取ってきた。それで飯食ってたんだよ何年も。Qから8年も食いつないでるんだよ。ゴジラがあっても、大半はエヴァ収入があったから8年完成させずにすんだんでしょう。もういらないからポイしたわけだが。所詮オタク一方通行で金をつぎ込むだけで、優しくされるどころか捨てられたって文句は言えないものだ。でも悲鳴くらい上げても良いんじゃないの?25年前から根本的に変わらない作品にずっとついてきて、どんなにエグい商売でも金はらってきた猛者たちだぞ?流石に期待しなかったか文句もない私より愛があっただろう人たちが叩かれてるのは可哀想だ。好きじゃない人ほど簡単さよならできるもんなんだから

私は良かったと思ったから当初は否定的感想や、点数の低い映画レビューを見ていなかった。けれど絶賛よりもTLに流れてくる苦言に、全部なるほどと納得したので見てみた。そうしたら感情的おかしくなって叩いてるとかアンチとかじゃなく、理路整然と嘆いていて、反論もなくそのとおりだと思ったものが多かった。ただ私にはそれに怒ったり悲しんだりする好意がもうエヴァにはない。良かったねー、終わったねーって流して終わった。

良かったで流した層、怒って細かく説明してる層が多くて、ほとんどの人が一回見ればリピートしない映画ではないだろうか。それでも何度かリピートしていろいろ考えてる人たちが少数いるけど、お金あるなあという感想だ。考察小ネタ拾いは楽しくて好きだが、シンエヴァはそれをするには料金に見合わないと思ってしまう。そろそろ大抵の空白や説明のないところは、思わせぶりなだけでなんもない可能性が高い思いようになった。きちんと描けるなら描いてるだろうし、監督には無理だと思う。その上でエヴァは出来ないものはそれっぽく空白にしとけばファン勝手考察して想像して楽しんでくれるから、開き直って描いてないだけ。監督は25年かけても描けないものを描けるようにはならなかった。ピュアで傷つきやすく、作品成功したために人間的に成長しなくても生きていけるようになった子供のままの人。それが痛いほどわかるのがシンエヴァじゃないか? 意味があるのかわからない考察をするなら、円盤アマゾンで安く買えばいい。そもそも今回の映画考察合戦する相手も少ないのでは。

監督とは反対に、声優は成長をひしひしと感じる人が多かった。声優演技力にだいぶ助けられた映画だった。監督はそれに気がついただろうか。親子を多用するくせに父親母親も描けないところに、それっぽい色を付けたのは声優陣だ。パンフコメントは感慨深く読んだ。皆さんお疲れさまでした。緒方さん、宮村さん、山口さんは特にお疲れさまでした。シンジの声は最後まで緒方さんが良かったです。

貞本さんが参加されてなかったのは残念でした。彼の人間性とかは知らん。描く絵が好きだし、監督が投げ出したもの漫画版できちんと描ききったのを高く評価している。漫画版はキャラクターの心情もちゃんと丁寧に描いていたし、なによりきちんと完成させた。それが出来るか出来ないかが、本当のプロアマチュアの差だと思う。貞本さんだってエヴァオタのいろんなものさらされた人だったでしょうに、仕事を完遂した。傷ついたのは監督だけではない。エヴァ根本監督私小説だが、作品としてはたくさんの人の力で出来ているものなのだから、負の影響だって受けた人はたくさんいるでしょう。傷ついたからと膝を抱えて元気になるのを待ってても良いような環境にあった人は少なかっただけ。

興行収入はそれなりじゃないかな。リピートはしないけど、長く付き合ったんだ、香典くらいは払うって人は多いでしょう。

しかTV版のエンディングが一番良かった、なんて思う日が来るとは思わなかった。(二番目は漫画版)

anond:20210621121141

VivyはSFとしてみてもキャラ萌えとしてみてもクソアニメだっただろ

タイムリープものとしてもみれたもんじゃない

脚本がひどいわ

あの作家さんにもう脚本やってほしくない

ルキアエロ画像おすぎね?

ほかの女キャラのほうがえろいのにルキアがおおいのはシチュとかキャラ萌えが多いんだろうか

正直ビジュアルだけだとひし形髪型おんなとで体型も貧相だし全然魅力ないんだが

2021-06-03

anond:20210603031138

ウマ娘ゲームシステムは確かに画期的!ってほどじゃないんだけど、シナリオ面白いんだよな

それまでの滑り方から想像もつかない出来だったかギャップ効果面白がられてる側面もありそう

アニメも同じで、よくあるキャラ萌えクソソシャゲアニメだと思ったらちゃんと作られていたからかなと思う

2021-05-26

anond:20210525184319

結局のところ二次創作ジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。

たとえばONE PIECE冒険バトルもの)とかるろうに剣心時代劇剣戟アクション)とかの二次創作でも原作主題抜きに、読み手恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから

二次創作では、原作行間を埋めるお話が求められる。原作アナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラ日常人間関係描写犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。

それに、物語を展開させると、どうしてもストーリー面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。

また、キャラぶれが生じ易いのも問題登場人物人間性は、たった一言、たったひとつ動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う

文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説醍醐味ひとつであると思えば、二次創作小説長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。

という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作転向して、なろうやカクヨムで書こうか。

だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリー面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。

ここで唐突おすすめ本。

『美しい彼シリーズ』(凪良ゆう)

商業BL小説大人タイトルBL少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生AbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番ネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこ主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである

榎本ナリコ+野火ノビタ (2)』(榎本ナリコ

幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画漫画榎本ナリコプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画オリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。

そもそも原作幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップ存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである

本書はそんな幽白二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。

特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写差し込んでくるので、驚嘆させられる。

メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。

収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画であるオリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だかからない話になっている。ベタ恋愛コメディ同人食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語

小説では中々できない、ストーリー重視の二次創作作品の見本。

左近の桜(シリーズ)』(長野まゆみ

KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL

主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。

設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロ小説家だけ、という見本。

anond:20210526094806

横だけどアイドルアニメが楽しめない

キャラ萌えが全てなんだけど取っ掛かりがなさすぎ

沢山いるキャラバックグラウンドが触りだけ紹介されてあとはキャッキャウフフしてるだけなので

実際の地下アイドルとか血反吐吐くようなグロテスクな思いでやってると思うんだけど

あいうドサ周りみたいなアイドル像を真面目に描いてくれたほうが移入やすいというか

そういう意味で虹ヶ咲学園なんかはスタートアップからやってくれたので見る余地はあった

軌道に乗ってからはどうでも良くなったけど

要するに成功はゴールであってそれ以降視聴者の集中曲線はだだ下がりなんだよな

2021-05-14

anond:20210514151214

全国大会後は高校ワールドカップ編に入るんだけど、元々のチームじゃなくて全国大会編に登場したキャラのっけ盛りの「ぼくのかんがえたさいきょうのあいしーるど21」のオールスターチームを組む展開になって、当初のコンセプトもぐだぐだで正直見るべきところがほとんどないから、そういう部分をさしてキャラ萌えが暴走してクソ漫画になったってことならそうなのかもしれない。

好きな人もいるみたいだけど俺は完全に蛇足だと思ってる。

anond:20210514151214

キャラ萌え云々って漫画キャラ萌えしか読めない連中が

自分の好きなキャラあんまり出てこない!とか嫌いなキャラの出番が多い気がする!とか

アホな言い合いをしてるだけじゃないの?

2021-05-13

anond:20210512222408

いわゆるハーレム恋愛漫画キャラ萌えで顕著だけど、作者や物語意図を超えて、読者がキャラクター関係性や性格・バックグランドなんかを想像して楽しむことで、作者が決めた結末を受け入れられないみたいな話だよな。

こんなの全部同じで、作者がいなければキャラクター物語を楽しめなかったわけだから「納得しろ、でなければ去れ」しかないと思うわ。

そこまでキャラクター感情移入して楽しめることは、ある種羨ましいとも思うけどね。没入感が高いんだろうなって。

2021-04-30

anond:20210430131931

萌えキャラ萌え)こそがオタクだと思ってる奴は実際いる。

例えば電車オタクでも「乗り」と「撮り」、もしくはもっと鉄道会社時刻表幅広いオタクがいるはずなのに、電車オタクといえば「撮り」とされている。

増田が言いたいことはわかる。

でも多分そのコミュニティ増田に相応しくない。

謎解きとしてゼルダの伝説好きな人いると思う。なかなか隠れて出てこないかもしれないけど本来オタクってそういう人のほうが多かったりする。

2021-03-18

エヴァオタクは嫌いだが落とす金は必要だった、のは過去の話

シンエヴァを見た。

クワクもドキドキもハラハラもしない、感動もない。ただ「綺麗に風呂敷畳んだね、見てる人に殴りかかるんじゃなくて、言葉説明できるだけの理性はついたんだね、監督おとなになって偉いね」という意味で「良かった」と思った。EOEでぐちゃぐちゃにされた子供の頃の恨みみたいなもの成仏していたのに気がついた。シンを見て成仏したのではない。自分はとっくにおとなになっていて成仏していたのだ。そういう映画だった。

徹頭徹尾オタクが気にしてること、気にしそうなことを説明して潰しにかかっていたのは笑いそうになった。ミサトさん無責任で酷いって気にしてたんですかね? 昔のエヴァならあん違和感たっぷり説明的なセリフ垂れ流さなかったでしょうよ。アスカレイカヲルベルトコンベアで流れてくる商品を選り分けるように、事務的淡々と処理されていくのは本当に白けた。有名声優が何人も説明的なセリフを言うだけに参加してるのもシュールだ。

それでも終わっただけで「良かったよ」って言えたのは、多分今のエヴァに新鮮な楽しさや驚き、痛みや苦しみを描く力なんて無いとどこかでわかって、諦めていたからだと思う。ちゃんと終わらせること以外期待してなかった。

リアタイ世代で録画を何度も見て、映画もおこづかいをはたいて全部劇場で見た子供だった私も、大人になって見えてなかったものが見えるようになった。良質なエンタメにもたくさん出会った。少ない知識に狭い視野で、初めて見たショッキングエンタメだったからのめり込んで、特別に思った時期があったのだろう。そういう期限は切れていた。期待しないようになっていた。

余談だが子供だった自分アスカが生きたまま腸食い散らかされるのがあまりにも怖くて、ショックで眠れなくなったりうなされたりした。生きたまま食われるなんて考えたことも無かったので、本当に怖くて震えた。思えば初めて見たグロっぽい暴力的悲惨なシーンだったのかもしれない。EOEまでは本当にいろいろと心に傷を刻んだ作品だった。

とにかくエヴァは畳まれた。シンエヴァは畳むために作られたものだ。物語として楽しくする気なかったでしょう? 嫌いなエヴァオタクと、終わってないことに言及されること消すために時間セリフがあった。

監督ももエヴァは見えないところにしまって、自由になりたかったんだろう。だから面白くなくてもファンエヴァオタクがっかりしてもどうでもいいのだ。破まではエンタメとして良いものに作り変えようという気が見えたけれど、もうそなのはどこにもない。

監督エヴァオタクを嫌いっていうのは有名な話だ。インタで自分でも言っている。今も嫌いだろうと欠片も疑っていない。

でも彼の会社エヴァ版権使用料がないとスタッフが食っていけなかったんじゃないかと思う。彼を慕い、憧れ、優しいスタッフ理解ある嫁を食わすには、大嫌いでもエヴァオタクからキャラクターで金を搾り取るのが一番儲かる。

ところがゴジラが当たった。ウルトラマンも撮らせてもらえる。もうエヴァがなくても稼ぐあてが出来た。だからエヴァはとっとと畳んで開放されても良い。というわけで前は急げで完成に至ったのではないだろうか。モチベ上がったでしょう。キャラクターサクサクエヴァオタクが金を払う気がなくなるような処理しをして片付けた。もうこっちくるんじゃねえぞってなもんで。

シンゴジの時はじめて心から嬉しそうな監督を見たからね。監督はあっちに行くし、エヴァオタには付いてきてほしくないのだ。ちなみにオタクにいちいち「エヴァ」ってつけるのは、監督特撮オタに関しては嫌いではないし、彼自身オタクからアニメ特撮オタクエヴァに散りばめられたオマージュのおおさからして、けっこうディープオタクだと思う。

シンエヴァ感想をいくつか読んだら、それぞれのキャラクターの処理について不満を漏らすと、案の定卒業しろよとかキモいと叩かれていた。まとめサイト晒し上げられていた。流石にそれは酷いくないか?今までキャラ萌え的な商売しまくって、金を搾り取られた人たちが嘆いたって良いだろう。だって公式はそういう商売をしてたじゃん。中学生が脱衣する麻雀ヒロインといちゃつけるゲームシンジカヲルで落とせるゲーム。それを元にした漫画同人作家カヲルシンジBL描かせて監督が対談までしてる書籍もある。その他にも把握しきれないくらい色んなモノが出ている。エヴァくらい節操がなく金のためにキャラを売っていた作品も無いだろう。

キャラクター商品キャラクターが好きだから買うものだ。キャラクターが好きだから金を出す人たちからずっと搾り取ってきた。それで飯食ってたんだよ何年も。Qから8年も食いつないでるんだよ。ゴジラがあっても、大半はエヴァ収入があったから8年完成させずにすんだんでしょう。もういらないからポイしたわけだが。所詮オタク一方通行で金をつぎ込むだけで、優しくされるどころか捨てられたって文句は言えないものだ。でも悲鳴くらい上げても良いんじゃないの?25年前から根本的に変わらない作品にずっとついてきて、どんなにエグい商売でも金はらってきた猛者たちだぞ?流石に期待しなかったか文句もない私より愛があっただろう人たちが叩かれてるのは可哀想だ。好きじゃない人ほど簡単さよならできるもんなんだから

私は良かったと思ったから当初は否定的感想や、点数の低い映画レビューを見ていなかった。けれど絶賛よりもTLに流れてくる苦言に、全部なるほどと納得したので見てみた。そうしたら感情的おかしくなって叩いてるとかアンチとかじゃなく、理路整然と嘆いていて、反論もなくそのとおりだと思ったものが多かった。ただ私にはそれに怒ったり悲しんだりする好意がもうエヴァにはない。良かったねー、終わったねーって流して終わった。

良かったで流した層、怒って細かく説明してる層が多くて、ほとんどの人が一回見ればリピートしない映画ではないだろうか。それでも何度かリピートしていろいろ考えてる人たちが少数いるけど、お金あるなあという感想だ。考察小ネタ拾いは楽しくて好きだが、シンエヴァはそれをするには料金に見合わないと思ってしまう。そろそろ大抵の空白や説明のないところは、思わせぶりなだけでなんもない可能性が高い思いようになった。きちんと描けるなら描いてるだろうし、監督には無理だと思う。その上でエヴァは出来ないものはそれっぽく空白にしとけばファン勝手考察して想像して楽しんでくれるから、開き直って描いてないだけ。監督は25年かけても描けないものを描けるようにはならなかった。ピュアで傷つきやすく、作品成功したために人間的に成長しなくても生きていけるようになった子供のままの人。それが痛いほどわかるのがシンエヴァじゃないか? 意味があるのかわからない考察をするなら、円盤アマゾンで安く買えばいい。そもそも今回の映画考察合戦する相手も少ないのでは。

監督とは反対に、声優は成長をひしひしと感じる人が多かった。声優演技力にだいぶ助けられた映画だった。監督はそれに気がついただろうか。親子を多用するくせに父親母親も描けないところに、それっぽい色を付けたのは声優陣だ。パンフコメントは感慨深く読んだ。皆さんお疲れさまでした。緒方さん、宮村さん、山口さんは特にお疲れさまでした。シンジの声は最後まで緒方さんが良かったです。

貞本さんが参加されてなかったのは残念でした。彼の人間性とかは知らん。描く絵が好きだし、監督が投げ出したもの漫画版できちんと描ききったのを高く評価している。漫画版はキャラクターの心情もちゃんと丁寧に描いていたし、なによりきちんと完成させた。それが出来るか出来ないかが、本当のプロアマチュアの差だと思う。貞本さんだってエヴァオタのいろんなものさらされた人だったでしょうに、仕事を完遂した。傷ついたのは監督だけではない。エヴァ根本監督私小説だが、作品としてはたくさんの人の力で出来ているものなのだから、負の影響だって受けた人はたくさんいるでしょう。傷ついたからと膝を抱えて元気になるのを待ってても良いような環境にあった人は少なかっただけ。

興行収入はそれなりじゃないかな。リピートはしないけど、長く付き合ったんだ、香典くらいは払うって人は多いでしょう。

しかTV版のエンディングが一番良かった、なんて思う日が来るとは思わなかった。(二番目は漫画版)

2021-03-15

キャラ萌え映画は復習の後で

農村部分の押しつけがましい価値観イマイチ演出ストーリーの雑な回収に全然共感できなかった。

旧劇新劇全て観たけれど、今回はエンタメとしては特に楽しいものではなく、クソ映画とは言いすぎにしても、駄作ではあったと思う。

プロットには何の驚きも捻りもなかったし、わざとにしても前半の農村は書き割りというか単調というか、演技も大根だし、後半のSci-Fiも格好良くはなかったな。最後の親子の戦いだってセルフオマージュにしても絵面的にきついものがあった。

振り返ってみれば、エヴァQはまだ新規性意外性やディストピアっぽさ、あと絵面の面白さはあったと思う。うろ覚えだけど。

庵野監督私小説とかはどうでもいい民なので、もう少しエンターテイメントとして楽しめるものであって欲しかったです。

あるいは、「アニメ映画として楽しめない」ことを狙った映画なら事前に「これはつまらなく作った映画です」と言ってほしい。間違ってもそんなことはないと思うけど。

そんなわけで月曜日の「プロフェッショナル」は怖い物観たさで録画予約した。

今回のは、登場人物に対するキャラ萌えとか以外の楽しみ方をするものではないと思った。

あのアニメ映画を楽しみたいなら、少なくとも新劇場版を全て復習してから劇場へ足を運びましょう。

そうしたら各キャラストーリー回収に大団円共感くらいはできたかもしれない。

しかしもう一度観に行くのも億劫だし、とても残念だ。大まかなストーリーくらいは覚えてたんだけど、キャラ愛が足りなかった。

2021-03-11

anond:20210311104118

割とわかる。キャラ萌えはするけど。

声優が表に出ると夢が壊れる~」みたいな意見が全く分からない。脚本家アニメーター演出家、そして声優、様々なクリエイター技術結晶が「キャラ」であって、「作り物だからこそ萌える」という感覚は意外と共有できない。

まあ別に共有できなくてもいいんだけど。

私はフィクトセクシュアルなんだけど、同じセクシュアリティを自認していてもその辺の感覚結構違うんだよなー。

フィクションを見て/読んで得たいのは「これ、作り手はすごいな!」という感想であって感情移入もしなければキャラ萌えもしない

物語の展開の丁寧さに感動したいし、俳優声優の名演技を褒めたたえたい

ただオタク界はこういう捉え方をする人間があまり多くないのでオタクと慣れあえなくてちょっと寂しい(声優目当てでイベントチケットを取る奴は迷惑とさえ言われる)

映画界は自分みたいな(作り手たちについて評論したい)人多いかな?と思ってるんだけど、いくつか映画を見てレビューを見ると「それは完全に読み違えてるでしょ……」「そこまではさすがに妄想でしょ……」みたいな感想ばっかりでなんとも(ひどいものだと公式ページに載っている解説がもう誇大妄想。ミッドサマーことなんですけど)

2021-03-04

エヴァは25年の月日に潰された

1月22日、娘の前でエヴァ一挙放送の「破」を見ていた。

エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラ名前兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。

面白い?」

私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年テレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。

一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?

1995年当時、エヴァ社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリーコンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。

後世に残る大ヒットをかまし作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間しか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァ時代を超えるアニメになったのだと思う。

当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリー理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。

新奇性がそこにあった。時代先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメリーズが作られ続けたのだ。

しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメ表現自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。

スペースオペラ金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代先駆者は、往々にしてその後のフォロワーから突き上げあい自分立ち位置時代性を見誤る。オリジナルからブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者時代遅れへと追いやっていく。

それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。

その神話エヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。

しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。

それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。

隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ面白いと思う?」

「うん、面白いよ、きれいですごいし」

私が子どもときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。

子ども面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。

娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterTikTok動画のようなインスタント面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。

「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。

Twitter散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァ世界に参入してきた人は見かけなかった。

もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波アスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世から20年経ち、時代エヴァを完全に置き去りにしていた。

でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。

そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。

私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。

その「エヴァらしさ」とは何か?それは「意味不明さ」である

何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。

エヴァとは何か?メカか、キャラか、ストーリーか?

制作者が出した答えは「意味不明さ」であった。

Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。

だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さらシンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。

もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ


一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?


3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。

しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。

ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様なのだと思う。それはまるで野球選手引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。

2021-02-19

ヒプノシスマイク、ハマりかけてる

2nd D.R.B.、まだ2戦だけどみんなかっこよくてもう夢中

なんだけどどこ見ても界隈がバチバチというかネチネチというか、とにかく荒れてて

クラスタの一員にはなれないなって感じ

女オタ特有の学級会みたいなのも苦手だし

同じレベルコンテンツを楽しむけど、キャラ萌えはしないしそこまで没頭しない)で好きな相手見つけたいけど、むずかしいわ

オタク友達とのエピソードとか見てると羨ましい

2021-02-01

anond:20210130094240

CoC初心者向けシステムではないよな。

データも複雑だし、ホラーであり人が死ぬあたりはメンタル弱い奴がメソメソするし。

にもかかわらずCoCしかやりたがらないライト層というのは沢山いる。Twitterでも、絶対向いてないからやめろという奴がCoCがいいということで起きた不幸を、本人や周囲の人間がしばしば報告している。

あいつらなんなん? なんでそこまでCoCしかやりがらないん?

その答えは、ニコニコCoC動画流行たから以外にない。


TRPGじゃなくてCoCがやりてえんだよあいつらは。

向いてないのにCoCをやりたがるのは、TRPGジャンル全体のオタクじゃなくてCoCとそのコミュニティオタクなわけ。自称TRPGオタクだったりするけどな。

マンガオタクって言いながら鬼滅しか読んでないとか、格ゲーオタクと言いながらギルギアしか知らないみたいな感じ。

ニコニコCoC動画を見て憧れた、その動画自体は見てなくても動画の影響で活動した人や他のオタクのワイワイを見て憧れた、だからCoCがやりたい。

いわばCoC動画二次創作三次創作、四次創作がしたいんだ。

そんで、「お前のやりたい二次創作は別ジャンルの方が向いてるからジャンル変えしなよ」と言われた同人書きのほとんどがそんな理由ジャンル変えしないように、CoCオタクCoCから移る気にはならないってわけだ。

アイドル作品二次創作マフィアやらせるなら元々裏社会作品を楽しんでその二次創作をやれとか、女体化男体化させるなら最初からそういう性別キャラが多い原作でやれとか言われても聞く耳は持たれない。

コンボゲー苦手ならギルギア向いてねえぞ、そもそもお前ガンフレイムもろくにコマンド入力できない動画勢じゃねえかと言われても、でもキャラ萌えしたのはギルギアだし……となる。

そういう感じ。

から

最近RP中心のシステムとか、ファンブル存在がないシステムも出始めたけど、そういう人にそんなシステムを進めると絶対にやりたがらないんだよね。なんでそんなにCoCにこだわるんだろう。ルルブ高いし、その割には情報が多すぎて慣れるまでは探すの面倒だし、わりと今のシステムの中では理不尽な方だと思うんだけど。

なんて言われても、CoC以外をする気にはならないんだな。

まあ中にはCoC入り口TRPG全体が好きになる人ももちろんいるけど。

2021-01-21

気に入らない他人を追い出そうってDMで連絡してきたぐれおばたん!

頼むからもう連絡してこないでくれ〜〜〜〜〜!

相互からって限界だぞ〜〜〜〜〜!

キャラ萌えイベント企画したくせに参加者の一人が気に入らないからってとんでもね〜〜〜〜〜!!!

ホモnl男性向け同人誌下位互換おばさん、ガキもいるんだから引退してけろ〜〜〜!

オラたまげたぞ!!!

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