はてなキーワード: カロナールとは
東京都福祉保健局の診療・検査医療機関マップ https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/hatsunetsugairai.html
受診できる病院がないので発熱相談センターに相談することに https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/coronasodan.html感染拡大期にはなかなか受診できないらしく、市販の抗原検査やPCR検査キットの購入を勧められる。
PCR等検査無料化のご案内 https://tokyo-kensasuishin.jp
自宅療養サポートセンター(うちさぽ東京) https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/uchisapo_tokyo.html
濃厚接触者となられた方のための検査キット申込サイト https://tokyo-testkit.jp
最近だいぶ高い発熱があったので病院に行こうとすると、全国的になのかはわからないが、発熱外来というものを対応している病院に電話で先に予約をしなければ入れないということを知った。
コロナ禍になってから熱など出したことがなかったので、ここまで煩雑な段階を踏まないと病院に行けないとは、医療が大変なことになっていると散々ニュースで見ていたのにもかかわらず、思いもしなかった。
県の相談センターに問い合わせると、日曜日だったので受け付けている病院はないと言われ、翌日の月曜日に予約をすることにした。
朝、いくつかの候補の病院の連絡先を手元に、響く頭痛を堪えながら電話を開始するが、どこも繋がらない。ひとつの病院に絞り何度もかけ続けていると、ようやく繋がり、その日の午後に発熱外来の予約が取れた。
時間になり病院に向い、問診票などを書き席について待つ。症状としては高熱と頭痛、体がともかく熱く、熱が逃げない。外で体を動かしていたというのもあり、この熱だと、重い熱中症なのではないかと自分では疑っており、発熱相談センターや病院に予約する際、熱中症かもしれないと言うたびに、ともかく発熱外来に受診しろと言われ、専門家ではない自分の自己診断があてにならないことはわかっているし、特に疑うこともなく自分の行く先は発熱外来なのだと自信を持っていたのだが、それが少しずつ崩れていくことになる。
待合室には咳き込む人が多数おり、簡易なカーテンのようなもので3席間隔で仕切られていた。特に席を固定にという指示もなく、問診票を渡しに立ち上がった患者が別の席に着く事もザラで、患者が立ったところで周りを消毒するようなこともなく、アルコール除菌用のボトルは置いてあったが、熱と頭痛のせいで手指消毒しなければという意識も働かず、座った席から動く気力はなかった。
私はその予約時間の一番最後手前に診察を受けた。先生はこのコロナ禍で多忙なのか、胸ポケットの中で鳴り響く院内内線?になんども対応しながら診察をしてくれた。
私は頭痛と高熱、そして熱中症ではないかという自己観察、そしてその理由を話したが、熱中症は翌日まで熱が続かないと思うと一刺しされてしまい、そこからは″コロナであればこう言う症状が出る″というようないくつかの症状、例えば普段とは違う喉の痛みや、味覚の変化等、のみを確認され、pcr検査を受けたのち、熱が高いので解熱剤を処方され、診察は終わった。
大きな病院で、薬剤科?から直接人が赴き、薬を渡される手筈なのだが、なぜか最後に診察を受けた人よりも遅くわたしに薬が届き、そしてその薬がカロナールだとわかり、実はそれを前日飲み効果が現れず、医学生の友人に相談していたところ、コロナの熱にカロナールは効くが熱中症にカロナールは効かないと教わっており、薬剤科の方にも、前日服用したこと、効果が感じられなかったことを話たが、とりあえず飲めと言われ、頷くしかなかった。
家につき、薬を飲むも熱は下がらず、前日の悪夢のような時間を思い出す。熱が出た晩、熱いのに汗が出ず、冷房で冷やそうとすると悪寒がひどく、寒さと頭痛に苛まれながらも、保冷剤を使い体を冷やしたり、スポーツドリンクをひたすら飲み、頭痛とだるさに争いながら眠れない夜をどうにか過ごしたあの時。
同じように体を冷やすように専念したところ、ようやく汗が出始め、二日目の夜にして、ようやく頭痛が和らいだ。その日はどうにか眠れ、翌日の昼pcr検査の結果の連絡が来た。
結果は陰性だった。
まだ発熱があるので、これは普通の内科に診察でいいのかと尋ねると、また発熱外来の予約を取れと言われる。勿論何かしら意味があるのだろうというのはわかるが、納得が出来ず、モヤモヤとした気持ちを抱えながら電話を切った。
むしろコロナなのであればそうであれと思った。こんなに苦しい状態のまままた予約をして診察を受けてという行為をするくらいならコロナだと認定され、処置を受ける方が楽なのでは…とまで思って、いやそんなことを思っては行けないと自分を諌めた。
だが腑に落ちない。ふと厚労省のだしている感染者接触アプリを見てみると、病院に行った日、つまりは前日に感染者との接触があったと出ている。
その日は病院しか行っていないのだ。あそこでpcrを受けたどなたかが陽性者の登録をしてくれたのだろう。
私は病院に行くことでリスクとコロナではないという証明をもらっただけで、高熱と頭痛の原因はわからなかったということになる。
そしてそんなところへ陰性で、さらに体が弱っているものをまた放り込むリスクはないのか。勿論二回目で陽性が出たという話もよく聞くので、通常の診察にグレーな患者を送り込むリスクもあるだろう。ならばオンライン再診でもいい、そういった人間をケアする方法はないのか。
これからの時期は熱中症の患者は倍増すると思う。どう対策をしていくのか、現状はどんな対策をしているのだろうか。やはり医療現場は逼迫しているのだろうし、その現場を国は補助できているのだろうか
全治4ヶ月の入院2ヶ月。
やっと明日退院になるので、この2ヶ月間の珍道中を書き記そう。
辛かったぜ、よく耐えたよ2ヶ月。
どうにかして、ぶっ飛びたい…。
看護師たちは意外とザルだ。
オーバードーズしないように薬は1日ずつ配られる、飲んだ証拠として空容器を回収されるんだけど、
飲んだ瞬間まで見られるわけじゃない。
夜眠れないと主治医に言えば睡眠薬をもらえるのでそれを少しずつ隠して貯め込んだ。
エスゾピクロン1mm(ルネスタ)を5錠、5日間頑張って貯めた。
何一つ幸せなんて感じなかった。
5日分の期待を込めた分、がっかり感でマイナスだぜ。損失回避バイアス。
くそう。
ただ下痢になっただけだ。
処方された眠剤は貰った瞬間にケツ穴に突っ込んだ。
やはり1mm程度じゃ何も起きん。
あーくそ、つまんねぇ。
酒も飲めないし、タバコも吸えねぇ。
そうだ。
ご時世でそこらじゅうにアルコール消毒液があるぜ!これだ!
アルコール消毒液は純度が高過ぎて飲むのは厳しいが、肛門に突っ込めば酔っぱらえるのではないかと考えた!
これも幸いなことにそこらじゅうにゴム手袋があるので、ゴム手をセットして中指にたっぷりとアルコールをつける、
めちゃくちゃ痛い、熱くて痛い。
高校の頃、罰ゲームでちんぽこにシーブリーズを塗った感覚に近い。
量が足りないのかと思い、
どうすればもっと量を突っ込めるのか考える。
それらしいものは病院内で手に入らなそうなので、自作してみる。
ゴム手袋の親指部分を切り取り、切り口にセロテープを円錐状に巻き、スポイト状にする。
おぉ、こりゃあ完全にスポイトだ!よし!ここにアルコールを吸い込ませてケツ穴にぶっ込もう!
そこでスポイトの原理に気付く。
吸い込めるってことはさ、押したら自動で膨らんでくれないと吸い込めないのよね。
もう、馬鹿みたいだけど口に含んで入れるしかなかろう。もう最初から馬鹿なんだからいいや。
口に含んでスポイトの中に吹き込む。成功!
見事にスポイトの中に入ったアルコール。
さー待ってました、頼むぜおれのケツ穴ちゃん、たっぷり吸い込んでくれ。
………。
おれのケツ穴は想像以上に締まりが良く、自作の貧弱スポイトではパワーが足りなかったようだ…。
ケツ全体に広がるアルコール、無駄に消毒されていくおれのケツ。
くそ。
うなだれていた時、一筋の光が。
こいつを分解して中にアルコールを入れ、閉じる。
これでアルコール入り錠剤の出来上がりだ!
よし!こいつを5錠ケツ穴にぶっ込んでみた…。
…。
しばらくすると表面のカプセルが溶けたのか、ケツの中が熱くなる。
…酔っ払うか…??
うーん…いまいち…。
もうやる気がなくなって意気消沈して終わった。
翌日、大便と供に潰れたカプセルが出てきて切なくなった。
別に反ワクチンでもないが面倒だったのでワクチンは未接種だった。
ただの風邪だろうと思っていたら、PCR陽性でコロナだった模様。
消毒やマスク等努力はしていたものの幼児を隔離するわけもいかず、入浴時にクシャミ等されていてもう半ば諦めていた。
妻からはワクチン未接種であること、元喫煙者である事で非常に心配されていた。
1日目最大38.6度
2日目最大39.2度
3日目最大38.1度
熱は少ししんどい程度だったが、喉は激痛だった。
4日目最大36.4度
5日目最大36.6度
喉の痛みはある程度あったが、次第に気にならなくなっていった。
無し。
保育園2週間行けない=自宅で見ながら仕事するのは本当に苦しかった。
これを記述したのはコロナ自宅療養の証明書を出す際に必要だった情報を整理する為で、決してワクチン接種を軽んじているわけでは無い。
支払い時にいつも領収書、処方箋、測定機器用のセンサーを受取るのだけども
今日は領収書と処方箋のみだった(この時質問していればよかったかな)。
処方箋を持って薬局に向かう。飲み忘れて余っている薬の量を伝える。
途中薬剤師から今日はセンサーを処方するか聞いているかと聞かれたので
「あ、やっぱり薬局で貰うようになったのかな」と思いつつ肯定。
センサーも見当たらない。精算して病院に電話して受取に行くことに。
センサー受け取ったと返答があったと言ってるらしい。
薬一式、手持ちのバッグ、服のポケットまで目の前でひっくり返したからか
とりあえず必要分のセンサーと処方漏れ分の処方箋を貰って薬局により帰宅。
看護師さん達の会話から自分の会計前後に同内容の患者がいたらしいというのは
帰宅後先生から改めて丁重な謝罪電話があったが、「センサーありました?」と
聞くのを忘れたのでどうなったかわかるのは来月かな。
わいは港区は森家の城下町でかわいいボーイを2人育ててるんだが、不思議と彼らの小学校/保育園(区立ね)が休校にならないことを不思議がっていた(文章力)
会社の山手外縁民は日々「今日は2,3年学級閉鎖じゃー」「Aクラスの学級閉鎖が終わったら次はBクラスじゃー」などと悲鳴をあげているのに。
この週末で似たような共働き子育て世代の話を聞いて合点がいった。
家族A)
マッマ 先週38度の熱が出る。当日は悪寒、翌日全快、空咳が残った。
家族B)
上16歳BOY、学級閉鎖。あれれ、本人も熱が出てきたぞ。
下BOY、今週が正念場
上BOYは一日39度までいったけどカロナールで全快でもとりあえずアパホテル行き、ついでにパパも。 そういやパパもこのまえ一日熱あったな?
つまり…
下手にPCR受けて陽性反応いただくと、家族全員身動きがとれなくなる。
んで、ワクチン打ってて通常の肉体をしていると、1日で終わる。
そもそも病院いっても軽症者には特に何もしてくれない(カロナールとかムコダインぐらいじゃない?
ということは、熱出ても家で寝ててリモート会議とかいしてるのが最適解となる。
そのことにみな気が付いて、受験近辺世代がだれも病院行かないから港区小学校はたいして学級閉鎖してないんじゃないのか?
リモート授業も一般的になって、学校に出席しないのもあまり違和感がないし。
1/18
午前…何の問題もなく出社。非接触型体温計の体温も平熱。体調も何の問題もない。
夕方…突然体の節が痛くなる。風邪症状と似てる…と感じるもそのまま勤務する。
知り合いにも感染者は数名いるが、みんな「午前中は何の問題もないのに突然発症する」は一致していた。気を付けて…
1/19
会社休む。孤発例の場合は保健所に電話せずに直接発熱外来を受診せよとの情報を持っていたので、最寄りのクリニックへ電話。
最寄りの発熱外来を紹介してもらう。発熱外来到着から検査まで1時間以上外で待たされる。
病院の対応は納得出来る。コロナ疑い患者とそれ以外の動線分けなきゃいけないしね…
検体採取され帰宅。昼過ぎ、陽性の連絡が来る。「後に保健所から連絡が来るはずなのでそれに従って。」
体温は38度台後半だが、鼻が通っているのでインフルよりはラク。
この日の夜以降、体温が平熱に戻る。
1/20~21
会社休む。
この感染症は体温が平熱に戻った後に頭痛・関節痛・咽頭痛・吐き気などの症状が出続けるのが特徴だと思えた。
1/22
症状が落ち着く。おかゆやヨーグルト以外のものが食えるようになる。
保健所から連絡が全くなく、上司からも「いつ出社可能になるの?」と詰められ、不安になる。
自宅療養期間は唇がガサガサになる…
1/23
・先にSMSが来て、My HER-SYSに登録して経過観察に必要なデータを入れろと指示される。URLが厚労省の本物だったので、フィッシングを一瞬疑ったが黙ってクリックした。このメールの文言が漏れてフィッシングサイト作ったら、引っ掛かる陽性者大勢いそう…その後保健所からの電話連絡が来る。
・大阪市では隔離メシの宅配サービスは現在一切行っていない。他の自治体と同様のサービスは出来ない。自腹でネットサービスを利用しろと言われる。
・ホテル療養か自宅かも全く聞かれない。自宅前提。ちなみにこの連絡が来るまでは文字通り自宅放置。
・要隔離期間の最終日付近にパルスオキシメーターを配布する。その数値と体温が正常なら隔離解除となる。
1/24
なぜか体温が平熱より下がる。
タイトルのとおりですが、色々トラブルもあったのでまとめます。
(※追記 2022/1/25 市区町村によってはHER-SYS(自動音声)で体調管理をしているらしく、場所ごとにオペレーションはだいぶ異なるようです。)
【陽性者スペック】
30代独身
熱はないが、朝から倦怠感と喉のいがらっぽい "風邪ひく一歩手前の体調" が続く。
喉が明確に痛くなってきたため、10時ごろ地元のかかりつけ医へ。
熱は36.4℃だったが、これから繁忙期のため念のため抗原検査をすることに。
鼻をゴシゴシし、液をたらして20秒ほどであっという間に陽性に。
先生の「あーでちゃったね」が忘れられない。
保健所の連絡先として携帯番号を伝え、そそくさとクリニックを出る。
薬局も電話でコロナ陽性になった旨を伝え、外でクスリの受け渡しを行う。
(処方されたのはムコダイン、トランサミン、カロナールの風邪薬三銃士)
その日のうちに保健所から連絡がくるということだったが結局こず。
ウエルシアの抗原検査キット(体外診断用)を実家の家族が買ってきたため、
自分も分けてもらったら、やはりあっという間に陽性になって一人で笑う。
末端がすごく冷える。寒すぎて風呂に入り、かえって38℃の熱が出る。
・医師の診断により発症日は1/12、自宅療養はそこから10日間を数えて1/22までを予定
・ホテルと自宅療養どちらを希望するか(でもホテルは空きがないとかなんとか)→自宅療養で
※電話に出れないと防護服のスタッフが自宅にくる場合があると脅される
・家族は同居か→先方が把握している住所が実家だったため、一人暮らししている旨と実際の住所を伝える
※実は濃厚接触について聞かれたらどうしようと思っていたが、一切聞かれなかった。
実家ではちょいちょい食事をしていたため、その話も伝えたが「別居していてお風呂など水回りを共有していなければ大丈夫です!」といわれ、むしろ濃厚接触者を増やしたくない圧を感じた。
熱は37℃台。
17:45 東京都自宅療養者フォローアップセンターからTEL
…がなぜか実家にかかってくる。
看護師から30分以内に改めて電話するというので待つが着信こず。
寝てて気づかなかったが、22:47に着信があった。
鼻詰まりが解消。鼻の下と唇がガサガサ。
喉の痛み、咳は若干あり。
・体調の確認
LINEは毎日10時と16時にその日の体調(症状・体温・SpO2)を報告する仕組み。登録者が4万人ほどいた。
体調がかなり快方に向かう。
ただ、なぜか体温が低くなり、35℃台~36℃ちょっとしかでなくなる。実は死んでるかも。
たんが絡む以外の症状良好。体温は依然低い。
コロナの死骸でも陽性になるので、具合悪いとき以外の療養後のPCR検査はおすすめしない(それで陽性になったらまた病院から保健所に連絡するオペレーションになっている)
・保健所から療養終了の証明書がでるので、そちらを利用しほしいとのこと
・看護師からの電話はLINEで体調管理ができていない人にかけているらしい。
食料品とパルスオキシメーターが未だにこないため、フォローアップセンターに問い合わせる。
調査の結果、伝票の電話番号が誤っていたため配送されずに東京都にもどってきたとのこと。
食料品とパルスオキシメーターが実家に届けられる。
近くなので家族に運んでもらったが、やはり住所も電話番号も訂正前のままだった。
夜、自宅療養終了のSMSが届くが、やはりスパムに分類される。
念のため本日も引きこもる。
連絡先を一度誤るとその後のすべての対応が後手に回るので、最初にしっかり確認したほうがいいです。
とどいた食料品は常温保存できて普段食べないものもあったので大変ありがたくいただいています。
↓このあたりがうまかった
本日、自宅療養2日目で使った抗原検査キットを試したら陰性になってた!
まだたまに空咳がでるので、ワンチャン陽性になると思った…これが後遺症ですかね。
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
副反応が3日目にまで伸び、なぜか3日目には吐き気や頭痛の強さが増したのに平熱になっていた。ちなみにずっと寝てたせいか頭痛で起きるようになった。目の奥が痛いんだな。
カロナールを何度か処方されていたので飲んでいたが何故か効果がなく困っていた。
そこでふと思ったのが持病の肩こり頭痛じゃないかと思い頭痛ポイントを探したが、見つからず、とりあえず両肩と首に貼って寝た。
即効ではなかったが、4時間後には頭痛はほぼ引いて楽になった。なのでよく聞く頭痛持ちの副反応の頭痛は、元々の頭痛が発生したのかもしれない。
自分の場合はずっと寝てたからどっかでへんな姿勢を取ってたのかなと思う。もしくは血流が悪くなったか(血圧がずっと上下ともに10上がっていた)
3回目接種が有り得そうなので自分の体から出た反応とその対策をまとめておく
打ったのはファイザー製
・1回目と同じく5、6時間ほどでじわじわ接種箇所から肩と肘までが痛くなってくる
一番痛みが酷い時は痛くて肩より上には上げられないと思っておいた方がいい
・12時間程度で発熱が本格的になる。最高で38.2度までは確認したがもっと上がったかも知れない
熱が上がるに連れて頭痛が酷くなっていく
・熱は1日で収まる。が、頭痛は2日続くと思っておけ
・丸1日免疫細胞が活性化した結果めちゃくちゃ疲れる。全身筋肉痛みたいになる
・3日経ってやっと全快かなという感覚になった。休みは3日取れ
対策など
・数年前に処方されたカロナールがあったのでそれを飲んだが、効き始めは目眩のような嫌な感覚があった
・風呂は必ず接種前日夜~当日朝までに入っておけ。2日は入る気になれないしほとんど寝てる
・接種の帰りにゼリー飲料やカロリーメイト、スポーツドリンク系は必ず多めに買い込んでおけ
・アイスクリームやカップ麺やみかんゼリーなど簡単かつすぐに食える美味いものがあると気分が上向く
・スマホやタブレットは寝込む前に満充電しておけ。布団から動きたくなくなる
こんなもんか
とにかく寝るか飲むか食うかスマホ・タブを弄るかという感じだったのでそこ重視で
幸いなことにほぼ冬装備になった後に接種できたから寝具や服は問題なかったが、3回目があるとしたら初夏あたりかと思うので一考した方がいいかも知れない
【要約】
30代男性がモデルナ製ワクチンの2度目の接種を受けたところ接種翌日に副反応として悪寒、発熱(39.2℃)、不眠、全身の痛みを経験した。
増田はこれらのうち、もっとも辛いものは悪寒だとし、悪寒への対策のため「エアコンのリモコン」「厚着の衣類」を手の届く場所に置いておくべきであると主張した。
なお、これらの副反応は翌々日には解消した。
【詳細】
なんか要約書いたら満足しちゃったわ(´・ω・)
まあ記念だと思ってゆるゆる書くか…
・30代前半
・男
・B型
・ややデブ(BMI25)
用意したもの
・ポカリ
・OS1
・ウイダー的な奴
・解熱剤(カロナール200、500)
・レトルト食品多数
・冬用布団、毛布
1日目 1200 肩が痛み出す
1日目 1500 36.7℃
〜以降、微熱が続く〜
1日目 2200 就寝 。熱を下げた方が安眠できるかと思い、カロナール200mgを飲む
2日目 0053 尿意を感じて起床
2日目 0053 37.1℃
2日目 0054 布団を出る。妙に寒さを感じる。(お、これが悪寒ってやつか?)とまだ余裕モード
2日目 0055 用を足す。ここで急速に寒気が増す
2日目 0056 喉が渇いていたが寒すぎて断念。布団で冬用装備にくるまる
2日目 0057 寒い。全身が震える。右腕、左腕、胸、背中、お腹、右脚、左脚、首、全てが震え歯がガチガチなる。全身バイブレーションで携帯電話になった気分
2日目 0100 震えが止まらない
2日目 0110 少し震えがおさまってきた。布団の外に出ようとするとまた震え始めて慌てて戻る
2日目 0115 (え、ちょっと待って。これ行動できなくない?)と詰んだ感を若干感じてくる
2日目 0123 38.5℃
2日目 0125 意を決して布団から出てエアコンのリモコンを手に入れる。すぐに布団に戻って震えに耐える
2日目 0126 暖房をつける
2日目 0130 喉が渇いたので布団の横に置いてたウイダーとOS1を飲む。寒いので布団にくるまって飲む。ついでにカロナール500を投入
2日目 0200 38℃
2日目 0210 部屋も暖まり、恐る恐る外に出る。震えない。喜ぶ
2日目 0230 熱のせいか眠れないので割り切ってカップラーメンを食う
〜以降、眠れないけど画面を見る気力もないし、頭痛や全身の痛みでだるいので、ボイスドラマ的なのをぼんやり聴きながらゴロゴロする。暑いのでタオルを水で濡らして額に置いてた〜
2日目 0700 39.2℃
2日目 0830 39.0℃
2日目 1000 39.1℃
2日目 1100 38.2℃
〜以降、1700頃まで38前後。1700以降は37.5前後〜
2日目 2330 就寝
3日目 0745 起床
3日目 0745 36.3℃
肩の痛みと、倦怠感、腰の痛み等はあるが、概ね無事副反応を乗り越えられた模様
思ったこと
・悪寒が思った以上につらかった。厚着の服とエアコンのリモコンを布団の側に置いておくべきだった
・熱はどうでもいいけど、たまにする頭痛が痛くて嫌だった。これが頻度高かったらもっとつらかったと思う
・解熱剤飲まなくても良かったかもしれないもしくは飲むタイミング悪かったかもしれない
・汗はかかないけど水はいっぱい飲んだ
https://togetter.com/li/1771668
SNSは叩かれるの嫌だし、ブログもやってないのでここに書く。勢いで書いたので乱文でごめん。
1日目
先月半ばのお盆の朝、実家に帰省(よくないけど)。寝て起きたら喉に違和感を覚えた。喉の奥の方が局所的に乾いている感じ。実家が東京より寒かったので、寝冷えして、ちょっと熱っぽいけど風邪かなと判断。
2日目
微熱は翌日も続く(37度くらい)。両親(ワクチン接種済み70代)、子供(6歳)、兄(40代・ワクチン未接種)も一緒にいて兄も微熱っぽいと話す。喉は軽く咳がでるくらい。
その日のうちに兄と自分は帰ろうということになり、夏休みの子供をおいて車で帰京。自分が車を運転し、2時間くらい車内で兄と一緒に過ごす。帰りに薬局で自分でできる抗原検査キットを買ってお互い試すも陰性。
でも、という不安もあり帰京後は妻とはあわず、仕事場に(フリーランスのセカンドハウス的な事務所。寝床もある)。翌日、熱が39度くらいまであがって、やや痰がでる。食欲はあり、uber eatsであれこれ頼む。
3日目
高熱が継続。さすがにヤバみを感じて、ロキソニンで熱を下げたタイミングで、近くの病院を調べて発熱外来受けてるところを検索。ほとんどの病院が予約いっぱい、即日は無理でダメだったが、近くの少し離れた各停駅のクリニックが今日できるとのことで、自分で運転してPCR検査を受けに向かう。食欲はまだあった。一応レントゲンで肺の検査をしてもらうも、肺はいまのところ問題はなかった。
PCRの結果は翌日とのことだったが、もう待たずして普通の風邪の熱の出方じゃないし、コロナ以外なら逆になんだと思っていた。咳はあまりでなかったが、喉の痛みが独特で、普通風邪なら中が腫れる感じがあるけど、そうでなく、喉にカッターでいくつも切り傷をつけたような、喉に紙やすりでもかけたような、外傷的な痛みがあった(この痛みは10日目くらいまで継続)。
4日目
高熱継続。38度半ば〜39度半ばをずっとキープ。咳はでないが、体の節々がいたい。ただ自分の場合、この痛みは普段の風邪でも出る症状なので、そこまで辛くはなかった。カロナールの方が良いとのことだったが、ロキソニンよりも効きがよくないため、ロキソニンを6時間ごとに常用。ロキソニンの副作用などこの発熱に比べたら軽いもんだと思っていた。飲んで熱下がって1時間くらいは元気モードになるので、そのタイミングで簡単かつ緊急の仕事をこなしたりもした。病院から連絡きて、コロナ陽性。保健所から連絡がいきます、とのことだったが、連絡きたのはそれから3日目だった。都内市部だが、特に家族構成も聞かれず、食事配達の連絡もなし。漫画家のレポートにもあったけど、もう濃厚接触者は追っていないという。感染経路の心当たり聞かれたが、ない、というと、「今はもうそういう方がほとんどなんです」と言われる。結局、意味あったのはやばかったらここに連絡してください、という電話番号を教えてもらったくらいだった。
この段階で一人でいるのは不安になったので、家に帰る。戸建てでトイレは二つあったので、妻とは完全に隔離して、部屋にキャンプ用のMakitaの電源付き冷蔵庫を持ち込んで飲み物を部屋に常備。アイスノンも部屋で大量に冷やして、後頭部と額を冷やし続けた(これはかなりおすすめなので、皆さんもコロナ対策にキャンプ冷蔵庫あるといいと思う)。薬の飲み過ぎか、胃のもたれもあり、食事はほとんどおかゆとかおじやくらいしか食べる気がせず、何とかそれらを口にいれた。飲み物はポカリと炭酸水。
ちなみに前日に兄も発熱し、PCR受けて陽性発覚。兄も自分と同日に喉の痛みを訴えていたので、どちらが先かはわからないが、発熱の順番からいえば自分が先にかかっていたのだと思う。ただもちろん飲み会などは言ってないし、仕事もフリー、かつ車移動なので普段電車も乗らない。どこで感染したかさっぱりわからない。
念のため、妻もPCRを受けたが陰性。あと両親と子供もPCRを受けたが陰性でほっとする。実家にいた時はそれなりにマスクなしで近距離で彼らとも喋っていたが、うつってなかったのは両親はワクチンのお陰で、子供は単に運がよかったのかもしれない。
5日目
高熱継続。ロキソニン、カロナールは有効だったので、対症療法で熱下げて、その間にご飯を食べたりする生活。薬は市販の喉薬とあとは大量のビタミン系サプリ。特にビタミンCを朝晩にわけて、1日2000mgとった(CDCか何かの推奨をみて)。一度深夜に目が覚めて妙にすっきりしてたので「あれ、治った?」と思って熱測ったら40度に達していて、本気でヤバみを感じた。自分の場合は夕方6時頃と朝方5時頃が熱のピークだったので、その時間にあわせてロキソニンを飲むようなローテーションを組んだ。
あとこの日、コロナを心配した知人(心配性で未感染ながら色々情報を集め、対策ガジェットを集めたり、薬を個人輸入している)からイベルメクチン(インドから輸入した人間用)が送られてきた。副作用はないとのことだったので、信じて飲んだ。正直、ネットでは色々言われているのは知っていたけど、この時は熱が辛すぎて、よくなるなら何でも飲んでやるくらいのヤケクソな気持ちだった。
結果、翌日には症状の「悪化」が止まったような印象はあった。それまでは体内で続々とウィルス部隊が増えていたのが、増加が止まって、体内に残った既存ウィルス部隊と体の対決になった感じがした。ただこれについては「じゃあ飲まなかった場合はどうなってたのだ」という比較ができないので、効いた気もするけどそうでもないかも、と言われたらそんな気もする。健常者が聞いたらプラシーボだと思うだろうが、当時は確実に気休めにはなった。そのあとイベルメクチンは5日間飲み続けた。胃というか食道が気持ち悪くて食欲が落ちたけど、それがイベルメクチンのせいなのか、他のロキソニンなどのせいなのかわからない。
余談だけど、自分はほぼ野々村真の罹患と時期的にはパラレルで、症状の急変というニュースもこの頃多かったので、自分が悪化してるのか回復してるのか、ウィルスと拮抗状態にあるのかわからないのが何より辛かった。自分の症状もこれでも「軽症」。ただ実際かかってみると、個人の体験として全く「軽」くはない。それから「急変」という言葉もメディアで安易に使われているけど、どのくらいの症状の人がどのくらい「急」に変化したのか、さっぱりわからないから、自分もいつか急変するんじゃないかと戦々恐々だった。
6、7日目
基本的には5日目同様。ただ熱が39度台まであがることは少なくなり、38度半ば37度後半で続いた。でも気を抜くとまたすぐ悪化しそうな気配もあり、終わりが見えない。
兄とは連絡を取り続けていたが、兄の方が症状やや軽く(自分より年齢は6つ上だが、痩せ型)、一番あがっても38度半ばだったらしい。変な話だが、一緒に感染した人がいて情報交換しながら過ごせたことはまだ気休めにはなった。あと余ったイベルメクチンを兄にも送って4日ほど飲んだそうだが、効いたか効いてないかはやはりわからない。
あとこの頃、熱が下がらないので妻が保健所と連絡をとり、症状を伝えたところ、年齢(40代前半)の割に「そこそこひどい」とのことでホテル療養を勧められた。ホテル確定まで行ったが、「ホテル内では自分で洗濯しないといけない」という事実を知らされて、やめた。毎日ロキソニンやらで解熱、着替えを何度もしていたので、とても10枚程度の持ち込みではローテーションがもたないと思った。あとは正直、自宅がまあまあ広く一定の隔離できていたので、これなら(妻には申し訳ないが)自宅の方が環境としては良いだろうと思ったから。ホテル療養のメリットは一応看護婦がいることと、いざ悪化して病院送りになる場合に、自宅よりはいくらか優先的に入れることだったが、一応微々たるものながら回復している感覚があったからやめたけど、ひとり暮らしの人とかは絶対にホテル行った方がいいと思う。
8、9日目
やっと熱が下がり始める。37度半ばの日が続いて、ロキソニンを飲んでいる限りはほとんどの時間、普通に過ごせるようになる。ただ、毎朝起きるとやはり37度半ばに戻っていて、まだ終わってないとゲンナリする。食欲はまあまあ戻っていて、うどんやそばなど食べられるようになったが、例によって味覚というか嗅覚異常があり、「風味」的なものが一切わからない。全部の味がズレているような変な感じ。特に好きで飲んでいたコーヒーがただの苦い汁になったことがショックだった。ただ結果的には毎日飲んでいたコーヒーが自分の味覚の判断基準になっていたので、そういうものがあると味とか嗅覚異常の回復判断に良いとおもった。
10日目
朝起きて熱を測ったら37度以下。やっと終わったという感じがした。映画など見て過ごせた。嗅覚異常はあるので、食欲はそこまでないが、肉とか味が濃いものが食べたくなり、キムチ鍋などを食べた。そのあと吐きそうなくらい胃がもたれた。
自宅療養期間の10日目ということで保健所から連絡がくるかと思いきやSMSが1通きただけ。書いてあるのも緊急連絡先くらいだった。なお、いまは回復時のPCRはやらないらしい。回復後もウィルスの死骸などで一ヶ月程度は陽性判定になるため。一応保健所の基準としては3日平熱が続いたら回復、という判断らしい。(が、漫画家さんのケースを読むとその後に肺炎悪化ということもあるみたいなので大変だ)
兄も10日目くらいで保健所から連絡がきたそうだが、陽性判定から13日後に食事が届いたらしい(自分は一切届かず、また聞かれもせず)。保健所はとっくに崩壊している。
11~14日目
日中はだるさが続いて、やたら眠い。熱はないのに、朝起きて、昼ごはんまで寝て、昼ご飯食べたあとはまた夕方から夜まで寝て、という寝たきりみたいな日が続いた。痰はまだ結構でて、(汚い話で恐縮だが)最初は緑色のいかにも「がんばった白血球の死体」みたいな濃い痰が出続けて、徐々に薄い透明な痰へと変化した。3日ほど寝たきり生活が続いたものの、徐々に外に出る生活をはじめた。
結局、体のだるさはネットでもよく見た上咽頭炎というやつと、寝たきりによる筋力低下、精神的ダメージによるやる気の低減、の合わせ技な感じがする。
15日目〜現在
まだ軽く咳はでるが、もうだいぶ日常生活に復帰している。嗅覚異常もほとんどない。筋力が落ちたせいで、ちょっとした物を持つとその後二日間くらい筋肉痛になったり、体がどっと疲れたり、肩こりがすごくなったりはするが、後遺症症状そのものとしては軽い方なんじゃないかと思っている。
総括
自分の場合は戸建てで隔離もできて、かつ妻のサポートもあったり、子供が夏休みで不在(実家帰省、よくないけど)だったこともあり、かなり恵まれた状況での罹患だったから助かったと思う。だけどこれが一人暮らしだったりしたら確実に死ねるな、と思うくらいにはきつかった。罹患した時期はちょうど仕事が忙しく、この山を超えたらワクチン予約しようくらいに思っていたところでの罹患だったのでそれがまずかった。いま忙しくてまだワクチン打ってない人はいますぐ打った方がいい。万が一罹患したら二週間は確実に飛ぶ。
こんなのSNSに書いたら袋叩きにあうだろうが、実家に帰った時に発症したのに両親に罹らなかったのはまじで不幸中の幸いだった。
あと気休めながらパルスオキシメーターは買った方がいい。自分は最初数日アップルウォッチ のでなんとなく見ていたが、全然当てにならないこともあり、楽天で1万以上するやつを買った(今は在庫不足で価格が高騰していてバカバカしいが仕方なかった)。
それからキャンプ用冷蔵庫があると、いちいち人に頼まなくてすむのであると便利。アイスノンもすぐ熱くなるのでローテーションできるように10個くらいあるといい。
男:40台、CADオペのような
女:40台、内職業(傘張り)
モデルナをそれぞれ1週間ずらしで接種
女:接種翌日から腕に筋肉痛的症状。当日から軽い食欲亢進(翌日夜まで)。
男:X日 1700頃接種。ノーガード戦法。2000頃から、接種部位に筋肉痛的症状。次第に憎悪し、最終的に腕の可動域がXYZ3軸とも3時から9時方向程度が限界となる。近づけるだけで痛い。超えるとやばそうなので無理せず。押すと痛み。指先等は痺れなし。料理、増田、ブクマなどして過ごす。フライパンを煽る・入浴時の洗髪が結構難儀。翌0600頃就寝。
X+1日(休み)接種側に寝返り打てず。1500頃起床。”筋肉痛”終日継続し、ややこの部位だけが発熱。可動不域がやや狭まり4時から8時位まで。力を入れると痛いので起き上がるときなど難儀。翌0600頃就寝。接種側に寝返り打てず。
X+2日(休み)1500頃起床。症状緩和。可動域はほぼ回復も10時から2時方向に向けるとかなり痛い。翌0500頃就寝。接種側に寝返り打てず。
X+3日(出勤)1300頃起床。可動域は完全回復。筋肉痛やや残る程度。業務支障なし。
女:接種翌日から倦怠感。体温計測せず。接種部位に冷えピタシートも効き目無し。筋肉痛的症状は前回と同じぐらい。倦怠感があり、2日目にカロナール服用×2。3日目も倦怠感で、しばらく若干後を引いたよう。
男:X日 1700頃接種。帰宅後に、筋肉痛的症状が出たので、接種部位に湿布剤(市販品の一番安い奴。針跡から成分が滲みるのが怖いので、止血絆創膏の上から)。料理、増田、ブクマなどして過ごす。可動域は11時~1時までとかなり広い範囲を確保。翌0600頃就寝。押すと痛いが、腕を上げられるだけ上げてからならば寝返りが打てる。就寝時「エアコンがきついな」と思い夏掛け布団をかけるが、これは悪寒であった。
X+1日(休み)1200頃起床。全体的に倦怠感。立ち上がるとやや眩暈。寝付けなかったこともあり、寝たり起きたり。寝ているせいか、途中から背骨を中心にやや強めの倦怠感。できるなら背骨だけ外して生理食塩水ですすぎたい感じ。時折後頭部に頭痛の前兆のような感じ。うどん、前日用意の中華がゆなどでしのぐ。消化のいいものを食ったせいか、始終小腹がすくので、プリン、ゼリーなども食べる。
1700頃、体温37.5度。2400頃、体温37.9度、0500頃、体温38.0度。1800、2400、0500頃にカロナール服用。ただし、風邪などの発熱時に感じるいくつかの症状(吐息が熱っぽい、発汗、触感が鋭敏になる)は出なかった。
腕だけは調子がよく、1回目接種の2日目相当。この日まで湿布は継続。翌0600頃就寝。
X+2日(休み)1500頃起床。全体的に回復。腕の痛みは1回目の4日目相当。