はてなキーワード: カフェテリアとは
文鮮明と統一教会の麻薬犯罪について、調査報道ジャーナリスト・ロバート・パリー氏による下の記事がある。
統一教会の麻薬犯罪について、犯罪組織としての統一教会について、日本ではほとんど報道されていないが、記事の内容から、統一教会の犯罪組織性を汲み取った場合、「家庭庁が呑気に質問権を行使しているしている場合ではない」と解釈することも可能だと考えるが、どうだろう?
著者は、90年代後半から2000年代にかけて統一教会問題を精力的追及した調査報道ジャーナリストのロバート・パリー氏。AP通信やニューズウィーク誌に勤務し、George Polk AwardやI.F. Stone Medalを受賞。
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https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html
(略)
しかし、この連載が始まって以来、文氏の国際的な政治的つながりについて、さらに厄介な事実が明らかになってきた。文氏の浪費癖を考えると、最も気がかりなのは、アジアの組織犯罪やラテンアメリカの麻薬取引につながる極右主義者との長年にわたるつながりである。このような関係、そして南米で深化する文氏の事業活動は、米政府が文氏がどのようにして米政治帝国に資金を供給しているのかを正確に確認する必要性を強調している。
文氏の代理人は、遠く離れた場所でどのように事業を維持しているのか、その詳細を公にすることを拒否している。しかし、武器や麻薬の違法な密売で利益を得ているという度重なる疑惑には、怒り心頭で反論している。
アルゼンチン紙『クラリン』による銃乱射の質問に対する典型的な回答として、統一教会のリカルド・デセナ代表はこう答えた。私たちの運動は、民族、国家、宗教の調和に応え、家族が愛の学校であることを宣言しています」。[クラリン、1996年7月7日]
しかし、文氏と麻薬に汚染されたギャングや堕落した右翼政治家との関係は、アジアにおける統一教会の初期にまでさかのぼる。文氏の韓国を拠点とする教会(統一教会)は、かつてイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニを "完璧なファシスト "と称賛した日本のヤクザ犯罪組織のリーダーである笹川良一の支持を得た後、1960年代初頭に日本で最初の重要な進出を果たした。日本と韓国では、影のヤクザが麻薬の密輸、ギャンブル、売春で利益を上げていた。
笹川は日本の与党である自民党の裏指導者であったため、笹川とのつながりは文に改宗者と影響力の両方をもたらした。国際的な場面では、笹川はアジア人民反共同盟の設立に協力し、ヘロインに汚染された国民党中国の指導部と韓国、日本、その他アジアの右派を結束させた。[詳細については、デイヴィッド・E・カプランとアレック・デュブロの『ヤクザ』を参照されたい。]
1966年、アジア連盟は、より伝統的な保守派とともに、ヨーロッパの元ナチス、アメリカのあからさまな人種差別主義者、ラテンアメリカの「決死隊」工作員らを加えた世界反共連盟へと発展した。文鮮明の信奉者たちは両組織で重要な役割を果たし、CIAとも密接な関係を保っていた。
(略)
新政権を祝福するためにラパスに到着した最初の好意的な人々の中に、文鮮明の最高副官ボー・ハイ・パックがいた。文の組織(統一教会)は、ガルシア・メザ将軍と会談するパクの写真を掲載した。山深い首都を訪問した後、パクは「私は世界一高い都市に文鮮明の玉座を建てた」と宣言した。
後のボリビア政府や新聞の報道によると、文鮮明の代理人がクーデターの準備に約400万ドルを投資したという。ボリビアのWACL代表も重要な役割を果たし、文の反共組織の一つであるCAUSAは、ボリビアの主要なクーデター実行者のほとんど全員をメンバーとしてリストアップしていた。[CAIB、1986年冬号]
クーデター後、アルセ=ゴメスは、トラフィカンテのキューバ系アメリカ人密輸業者を含む大物麻薬密売組織と手を組んだ。クラウス・バービーと彼のネオ・ファシストは、ボリビアの主要なコカイン王を保護し、国境まで麻薬を運ぶという新しい任務を得た。[コカイン・ポリティクス]
「準軍事組織--バービーは新しいタイプの親衛隊として構想した--はコカイン男爵に自分たちを売り込んだ」とヘルマンは結論づけた。「ラテンアメリカにおける民族社会主義革命という考えよりも、コカイン取引で手っ取り早く稼げるという魅力の方が強かったのだ」。
レビンによれば、アルセ=ゴメスはある一流の密売人にこう自慢したという。クーデター勢力もそれを支持した。
「ボリビアはすぐに、当時まだ駆け出しだったコロンビアのカルテルへのコカイン・ベースの主要な供給国になり、彼ら自身がアメリカへのコカインの主要な供給国になった。「そしてそれは、DEAの暗黙の協力とCIAの積極的かつ秘密裏の協力なしには成し得なかった。
1980年12月16日、キューバ系アメリカ人の諜報員リカルド・モラレスはフロリダの検察官に、ボリビアの新しい軍事支配者からコカインを輸入する陰謀にフランク・カストロと他のピッグス湾の退役軍人が関与しているとするマイアミを拠点とする捜査「ティック・トークス作戦」の情報提供者になったと語った。[コカイン・ポリティクス]
数年後、メデジン・カルテルの資金洗浄者ラモン・ミリアン・ロドリゲスは、ジョン・ケリー上院議員(マサチューセッツ州選出)が議長を務める上院公聴会で証言した。ミリアンロドリゲスは、カルテルの初期には、"ボリビアは他の国よりもはるかに重要だった "と述べた。[1988年4月6日]。
麻薬王がボリビアで権力を強化するにつれて、文鮮明の組織もその存在感を拡大した。ヘルマンの報告によると、1981年の初めには、戦犯バービーと文鮮明の指導者トーマス・ウォードが一緒に祈る姿がしばしば目撃されていた。アルゼンチンの諜報部員ミンゴラは、ウォードをCIAの給与管理者であり、月給1,500ドルはウォードの代表のCAUSA事務所から支払われていると述べた。[CAIB、1986年冬号]
1981年5月31日、文鮮明はラパスのシェラトン・ホテルのホール・オブ・フリーダムでCAUSAのレセプションを主催した。ボー・ハイ・パックとガルシア・メザは、暗殺未遂事件からのレーガン大統領の回復のために祈りを捧げた。ボー・ハイ・パックはスピーチの中で、"神は共産主義を征服する者として、南米の中心に位置するボリビアの人々を選ばれた "と宣言した。後のボリビアの諜報機関の報告によると、月の組織はボリビア人の「武装教会」をリクルートしようとし、約7000人のボリビア人が準軍事訓練を受けたという。
しかし1981年後半になると、明らかにコカインに汚染されていたことが、アメリカとボリビアの関係を緊張させていた。「文鮮明の一派は、到着したときと同じように一夜にしてボリビアから密かに姿を消した」とハーマンは報告した。ボリビアの情報機関が民政移管を進める中、ウォードと他の2、3人だけがボリビアに残った。
ヘルマンの証言によると、ミンゴラは1982年3月、ラパスのホテル・プラザのカフェテリア「フォンタナ」でウォードに会った。ウォードはボリビアの作戦に落胆していた。「アルトマン(バービー)とのこと、ファシズムとナチズムのこと、あれは行き止まりだった」とウォードは愚痴をこぼした。「文鮮明とCAUSAがここにいるのは愚かなことだった。[CAIB』1986年冬号)この記事に関するウォードのコメントは得られなかった。
コカイン・クーデターの指導者たちは、すぐに逃亡することになった。アルセ=ゴメス内相は結局マイアミに送還され、麻薬密売で30年の刑に服している。ロベルト・スアレスは15年の実刑判決。ガルシア・メザ元大統領は、権力乱用、汚職、殺人の罪でボリビアで30年の刑に処せられ、逃亡中である。バービーは戦争犯罪で終身刑を受けるためフランスに戻された。彼は1992年に死亡した。
しかし、文鮮明の組織はコカイン・クーデターの代償をほとんど支払わなかった。米国の保守政治会議に資金を提供し、1982年には超保守的な『ワシントン・タイムズ』を創刊し、レーガン大統領をはじめとする共和党の有力者に取り入った。文はまた、南米に政治経済的基盤を築き続けた。
1984年、ニューヨーク・タイムズ紙は文鮮明の統一教会をウルグアイにおける「最大級の外国人投資家」と呼び、その前の3年間に約7000万ドルを投資した。投資先には、ウルグアイで3番目に大きな銀行であるバンコ・デ・クレディト、モンテビデオのホテル・ビクトリア・プラザ、新聞社ウルティマス・ノティシアスなどがあった。文鮮明のベンチャー事業は、ウルグアイの軍事政権による寛大な税制優遇措置に助けられた。「教会関係者によれば、ウルグアイは海外での利益の本国送還を容易にする自由な法律があるため、特に魅力的であったという。[NYT、2-16-84]
ニカラグアのコントラ反乱軍を支援する文鮮明の組織は、ニカラグアの国境沿いにコントラにベースキャンプを提供した強力なホンジュラス軍とも密接な関係を築いた。ここでもまた、文鮮明の代理人は、米国へのコカイン輸送を支援している疑いのある将校と接触していた。マイアミの麻薬ネットワークにつながる反カストロのキューバ人も、アルゼンチン軍の情報将校と同様に、反共の大義を推進するために登場した。
ホンジュラスとのつながり
ケリーの上院報告書は、ホンジュラスが北へ向かうコカイン輸送の重要な中継地点になったと結論づけた。「ホンジュラス軍の一部は1980年から麻薬密売人の保護に関与していた。「ホンジュラス軍の一部は1980年以降、麻薬密売人の保護に関与していた。米国は麻薬取締局のホンジュラス駐在を強化し、米国がホンジュラス人に提供していた対外援助をテコに麻薬密売の撲滅に断固とした態度で臨む代わりに、テグシガルパの麻薬取締局事務所を閉鎖し、この問題を無視したようである」。[麻薬、法執行、外交政策--ケリー・レポート--1988年12月]。
1980年代半ば、ジャーナリストや議会調査官が麻薬密売の証拠を探り始めたとき、彼らは文鮮明のワシントン・タイムズから厳しい攻撃を受けた。私がブライアン・バーガーと共同執筆したAP通信の記事は、タイムズ紙の一面で「政治的策略」と非難された。[1986年4月11日]
タイムズ紙は、まずケリーの調査官を金の無駄遣い[1986年8月13日]、次に司法妨害[1987年1月21日]で攻撃した。今、南米の麻薬に汚染された役人たちとの文の歴史的なつながりがより鮮明になり、これらの調査に対する嫌がらせは、自己防衛の可能性という別の様相を呈している。[詳しくは「文鮮明のダークサイド」シリーズを参照されたい。]
さらに最近、文師はウルグアイの豪邸に活動の拠点を移し、南米に保有する資産を拡大し続けている。彼はアルゼンチンのコリエンテス州に多額の投資をしている。コリエンテス州はパラグアイに近い国境地帯で、主要な密輸センターとして知られている。
《パラグアイ》旧統一教会敷地内の麻薬輸送滑走路を爆破=国際犯罪組織が利用、教会関与の疑い(ブラジル日報)
https://news.yahoo.co.jp/articles/64477ef04951e7916bd1426874a3e9a6064a903c
1996年1月2日、文鮮明は信者たちに対する説教の中で、南米の遠隔地に小さな滑走路を建設し、沿岸警備隊のパトロールから逃れるための潜水艦の基地を建設する計画を発表した。飛行場計画は観光のためのもので、「近い将来、世界中に多くの小さな空港ができるだろう」と付け加えた。潜水艦が必要なのは、"世界には国境による制約がたくさんあるからだ "と彼は言った。
その経歴と知名度から、文鮮明とその組織はアメリカ政府の監視の目にさらされるのは当然のことのように思える。しかし、文鮮明は多くの有力政治家を買収することで、立ち入った調査に対する保険をかけているのかもしれない。~
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不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記でキャプテン君が住友商事の内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。
・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会の部活に挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。
・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事が第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。
・三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。
この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって、人間関係の構築だって頑張れる人だった。
いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。
もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいからコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。
今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能性だってある。毎年、戦々恐々だ。
今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。
キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。
第一志望の企業を不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。
春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。
俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシートも筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。
志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。
相手の面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっと、ゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生のアドバイスまでしてくれた。
後日、大学のパソコンにログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。
結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所に引っ越している。
この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活期間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。
千亜子は、その年の初めから一気呵成に就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子がスチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。
この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動でサッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後の単位を取り終えるあたりで躓いていた。
フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。
秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。
もうすぐ最後のインカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子とキャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。
店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。
ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。
「そういえばキャプテンさん、最近千亜子さんにアタックしてる」
「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」
こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。
惨めな気分だった。俺が千亜子と釣り合ってないのは確かだ。内定した会社のランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。
人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。
千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学のカフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。
今日、そんな予感はしていた。サッカーの試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずにダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。
当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これからの人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。
当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶や言葉をごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。
これで結びになる。
就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代の社員もいた。
確かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。
そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会で通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。
キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixiの日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。
俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。
不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学二回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記のベースになってる。
俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。
・就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。
・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間の価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルだから、就活もサッカーも恋愛もうまくいかなかった。
・サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会で必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。
・もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。
いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。
あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分を否定したことになる。過去の自分を裏切ってる。だからダメだ。
今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。
気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。
どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。
ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田やブックマーカーのみんなも幸せにな。
たとえば、「私の父は東大卒で1級建築士。すこし前に『建築士の父がセントラルヒーティングの家についてこんな問題を指摘してた』みたいなツイートしたら『それはこういう理由で間違ってる』って素人考えの浅いリプをされた。建築士っていっても東大出てるんですけどw」とか。
東大出たのも1級建築士なのも父親なんだけどその人の意見で自分がネットでマウント取ってきて、自分にリプってきた相手を「素人考え」と断じる理由も「父親が」東大卒の1級建築士だから、というような。ね?
リプしてきた人は「東大卒の1級建築士の意見」とは違う意見を持ってたかもしれないけど、それだけでその意見が即間違いということにはならないし、東大卒でも1級建築士でもない娘にはどちらの意見がどれだけどのように正しいのか間違っているのかは判断できない、というような状況。
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これは関係あるようであまり関係ない話だが、数年前駐車中の自分の車がバックしてきた車にぶつけられたことがあった。
現場は当時私が働いていた大学の駐車場。ぶつけた人は感心にもぶつけたという事実と自分の連絡先を書いたメモを残していたので修理屋で見積もりを取った後電話すると、ぶつけた車を運転していた女性が電話に出た。被害は後ろのウィンカーのカバーが割れて穴が開いた程度だが、それだって部品を買って修理すれば1万くらいはかかるということなのでその旨伝えた。その場では了解とか言いつつ改めて謝罪の言葉を述べていたはずだ。
翌日、今度は相手から電話があり修理の件で会ってお話がしたいといってきた。彼女も同じ大学の院生ということで学内のカフェテリアで待ち合わせた。
ぶつけられたとはいえちゃんと連絡先を残してくれたし被害も大したことはなく、こちらとしては少し面倒くさいというだけで全く怒ってもいなかったし
ここまでで怒ったような態度を取ったということも全くない。これまでと同じように「連絡先を残してくれて助かりました」のように話を切り出したのだが、今回はどうも相手の歯切れが悪い。「アノー、エットー...」とか言ってる。
少し訝しく思ったが、話を聞いてみるとどうも「ちょっとぶつけただけでそんなにお金がかかるのはおかしい」と言いたいらしい。あらためて言うが一万円程度の額である。その内「後方に注意を払わずバックして何かが当たったような気はしたが、今考えるとあなたの車に当てたかどうかわからない」とか言いだした。
こっちだってその場には居なかったのだから実際に何があったかなど分かるはずがない。それを彼女が「ぶつけた」と言ってメモを残したから時間を割いて見積もりを取りにも行ったし、こうして話も聞きに来たのである。ここで「わからない」とはどういうことなのか?そんなことここで私に言ってどうなる?ぶつけていないと思ったのならメモなど残さず立ち去ればよかったのである。
もう少し話を聞いてみると、どうやら修理や弁済に関して彼女のお父さんが「それはおかしい」と言ったということらしい。何がおかしいのかは全く要領を得なかったが「お父さんが納得できないと言った」ということだ。事故の現場にいたのは彼女一人であり無関係な第三者である父親が「おかしい」も何もないはずなのだが、父親がおかしいと言ったら彼女も「そう言えばおかしいな」と思ったらしい。もう一度言っておくが、ぶつけたのもぶつけたというメモを残したのも彼女の方で、私はこのメモがなければ何が起こったのかなど全くわからず、彼女自身この日会うまで事故のことは認めていたのである。
いずれにしろ唯一の目撃証人である彼女が「わからない」とか言いだしたのだから、もうこれはどうにもならない。事故は二日前で両車両ともすでに現場にはない。現場に事故の痕跡もないだろう。公道ではなく私有地で起こったことだし、被害額は一万円程度。警察に届けても科学捜査などして犯人特定などしてくれるはずがない。
この状況を前にして事故後初めて少し腹が立ってきたが、目の前では彼女が「ごめんなさい」と「でも私じゃないと思う」を交互に繰り返している。なんだかすべてが馬鹿馬鹿しくなって私は「あなたがそれでいいならいいですよ」と言って席を立った。彼女は少しホッとしたような顔を見せたがそれ以上何も言わなかった。
その場は「それでいい」と言ったが(どうせ他にできることは何もないし)この出来事に関しては「それでよくない」気持ちがしばらく残った。
あれはなんだったんだろうか?
彼女は不注意で駐車中の私の車に自分の車をぶつけ、そのことを申し訳なく思っていて、だから自分の連絡先を書いたメモを残した。
それがその場にいなかった父親が「おかしい」と言ったら何も無かったことになってしまった。
私はもちろん釈然としなかったが、彼女はそれでよかったのだろうか?彼女の表情からは彼女自身自分の言っていることを信じていないように感じられたが、実際彼女はどのような気持ちだったのだろう?
あらためて言うがこれは一万円程度の弁済の話なのである。車をぶつけて連絡先を残そうと思ったときに「そんなにかかるとは思わなかった」という額では決してない。彼女は大学院生とは言っても私よりむしろ年上に見えた。それが事故の責任を自ら取るよりも、一万円支払うことよりも、「お父さんがそう言ってるからそうだと思う」と言うことを選んだわけである。
事故から数年経った今でもふとした拍子にこの出来事を思い出すことがあり、その度に私はかなりイヤーな気持ちに襲われる。
彼女が自分でも信じていないことを「父親がそう言ったから」という理屈で押し通そうとしたこと。そして彼女が父親とは何の関係もない私に対してもその理屈が通用すると思った、その事実に。
シアトルの高校に1年半通ってた。当時その高校にはアジア系は何人かいるけど東アジア系はいなかった。今は中国系の生徒がかなり増えてると思うが。
当初友達がいなくて基本一人で過ごしていた。挨拶すれば返ってくるし、大多数は普通に接してくれる。けれどまあ人を揶揄うのが好きな奴がいるわけだ。アメリカのいじめっ子は基本的にいじめられっ子を無視しない。積極的にいじめる。最初は吊り目のジェスチャーをされたり、教科書を投げられるくらいだから無視してた。いじめ集団がいなくなると比較的大人しい男女が「気にするなよ」みたいな感じで言ってくる。
ある日カフェテリアで一人でご飯を食べてると、いつもの白人四人組が来て俺のトレーをひっくり返した。宙を舞うマッシュポテトとベーコンとスクランブルエッグ。その時たまたまイライラしていたのもあって、ひっくり返した奴を思い切り殴りつけて背負い投げした。柔道は小学生の時に習ってただけだけど、向こうの背が高かったから投げやすかった。そして「Are you fucking kidding me? I’m gonna fucking kill you!」みたいな感じで喚いた。やり返してくるかと思ったけど向こうは「sorry!sorry!」と繰り返して去って行った。
そのあと冷静になり、これは嫌われたかな、とショックを受けていたんだけど、その逆だった。次の日からみんな向こうから挨拶してくれる。人目を気にしながら話しかけてくれてた大人しい男女たちも明るく話しかけてくれるようになった。いじめっ子の奴らも何事もなかったかのように「週末にDanの両親がいないからパーティーをやる。来ないか?」みたいに絡んでくる。その後の生活は比較的平和だったが、よくわからない国だなと思った。
私達はとっくの昔にすでにコロナにかかり、自分でも気づかないうちに治ってしまったのだ。
ここ最近、ちょっと熱っぽかったりノドがイガイガした日はなかっただろうか?
それがコロナだ。
驚くほどに軽症だから気づかなかっただけで私達はすでにコロナに感染し終えているのだ。
なぜ、コロナに感染したのにこんなにも軽度で済んだのかはわからないが、きっとBCGのおかげだろう。
コロナに感染しているはずがないという人は、試しに計算してみて欲しい。
ウィルスは人間が密集して1時間も一緒にいれば感染するという。
つまり、満員電車やヴィレッジヴァンガードでマスクもつけずにたまたま出くわしたらアウトなのだ。
もしそこがレストランやカフェテリアであれば、もう間違いなくどうしようもない。
そんなことが日本中で起きている。
1人の感染者が潜伏期間の約5日でどれだけの感染者を増やせるだろう?
満員電車で1日にすれ違う人の数は車両2つ分としても100人を越えるし、レストランやカフェでは1度に10人程度なら感染ってしまうだろう。
もしも咳き込んで産まれたエアロゲルを吸い込ませたのなら、横断歩道の待ち時間程度でも他人に感染せてしまうはずだ。
大雑把に1日100人としよう。
1人が500人を新たに感染させることになる。
500人が500人に感染させれば……それでもう25万人だ。
もうとっくに東京の人間は全員コロナにかかっていると考えるべきだ。
そして、東京の人間が地方に行って、地方の人間が東京に来て、それで日本中は既に蔓延し終えたあとだろう。
だが、皆こうしてピンピンしている。
もう終わった。
終わったのだ。
グアテマラってどこにあるのか知らないひとでも
その経験で思うところを書いてみる。
中米地域は北はグアテマラから南はパナマ、コロンビアあたりまで、コーヒーは主要産業なので
とても安く手に入り、日常的に飲んでいる。
グアテマラといえばコーヒー豆の名前だと思い込んでいたこともあり、
さぞかしおいしいんだろうと思って現地で買って飲んでみた。
ところが、どれを選んでも美味しくない経験を何度もしてきたので、そんなはずはない、と思って
口コミを頼りにブランドを選んでスーパーマーケットで買ってみた。
イザベルブランドのコーヒー。今のところ、グアテマラではこのコーヒー(銀のパッケージのほう)がマイベスト。
これが現地では評判のブランドだったので、試しに飲んでみたら、まさにこれ!このおいしさ。
というわけで、コーヒーの本場グアテマラだからといって全ておいしいわけではなかったというのが教訓。
グアテマラから飛行機で南にひとっ飛び2時間のところにパナマがある。
そして街で売っている激安コーヒーはどれもひどい味。
パナマ産のコーヒーとして外国でもっとも知られているのはゲイシャコーヒーというブランドだろう。
街のカフェで一杯10ドルとか、信じられない高値。1パック7~8千円などとても手が出ない。
一度は試してみたいところだが、たかがコーヒーに、、、である。
国名すら知らない人もいるかもしれないが、ホンジュラスは中米では有名なコーヒーの産地。
やはり地元の人に教えてもらって勧められたコーヒーの中から二つ選ぶと
http://cafecopan.com/es/inicio/
https://www.facebook.com/CafeDonJeronimo/
街のスタンドで挽いて袋につめてくれるのだが、ホッカホカしていてうれしい。部屋に戻ってドリップすると
泡の立ち上り方がすごい!ドリッパーからあふれんばかりの泡が醸し出す芳醇な香り。
人によっては、あるいはドリッパーによっては苦みが足りず、粉を増量してする人もいるようだ。
恐らくコーヒーメーカーでは調整がうまくいかず、手で注ぐほうがいいのかもしれない。
しかし、中米地域のコーヒーのなかでは、一番、日本人のテイストに合うと思っている。
また、2019年、ホンジュラスのコーヒー零細生産者の葛藤を描いた
Café con Sabor a mi Tierra というホンジュラス映画がオスカーにノミネートされている。
https://www.youtube.com/watch?v=CDPB0WT7sAc
続いて紹介するのは、コロンビア。
コロンビアとコーヒーのイメージが結びつかないひとはいないだろう。
しかし、意外にも、JUAN VALDEZの名声が日本ではあまり聞こえない。
フアン・バルデスはラテンアメリカでもその名を知らないひとはいないくらい有名なコーヒー生産者である。
フアン・バルデス・ブランドのカフェテリアも世界に出店しているが、数はそんなに多くない(世界約300店舗)。
日本にはまだ上陸していない。現在韓国とマレーシアには店舗があるそうだ。
フアン・バルデスのカフェ、高品質のコーヒーを堪能できるのもさることながら、
面白いサービスのひとつとして、カフェで豆を選んでから、さまざまな抽出方法をチョイスできるのもうれしい。
サイフォン、水出し、いろいろ。中には京都式という名前の抽出メニューがあって気になっているがまだ試したことはない。
長くなったので、最後にコスタリカを紹介して終わることにする。
コスタリカには、チョレアドール(Chorreador)と呼ばれる、伝統的なドリッパーがある。
木材のスタンドに針金で布のドリッパーがついている簡素なものから、お土産で買える家具調のものまでいろいろ。抽出方法は日本でネルドリップとして知られている方法。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB
コーヒーの生産地である山岳地域の田舎にいくと、大量につくってみんなで飲むのか、巨大なチョレアドールをみかけたりする。
コスタリカ大手のコーヒーで有名なのは、なんといっても1820ブランドだろう。
参考ウェブサイトのリンクが安全じゃない様子なので、リンクは張らないことにする。
しかし、1820がコスタリカでは、安くて家飲みコーヒーとして定番中の定番といっていいだろう。
以上、紹介してきたが、
いずれも日本では入手が困難。
せめてコロンビアのフアン・バルデスだけでも、日本出店を果たしてくれれば、日本人のコーヒー経験値はグンと跳ね上がるだろう。
日本特有のイキリカフェとかね、最近話題になっていたけれど、美味ければなんだっていいんだよ、勝手に枠にはめて世界観押し付けんなと。
もう洗い流されてほしい。
あなたや家族やお友達が差別主義者の日本人に嫌がらせを受けて困っているのであれば、周囲の日本人に相談して助けを求めれば良い。
あなたの友達やご近所や職場の同僚の日本人は助けてくれるだろうし、私も相談を受けたならば助ける。
でも、日韓関係の政治については口を出さない方が良い。今ホットな、慰安婦や徴用工、日韓基本条約などは話題にしない方が良いということだ。どんな意見を持っていたとしても。
私がオーストラリアに住んでいた時、オーストラリア人と話していて唯一非常に不愉快に感じた(たぶん相手のオーストラリア人も不愉快に感じていた)話題が、日本の政策、というより捕鯨問題だった。
私の主張は、
「過去の日本のように南半球まで絶滅の危惧があるシロナガスクジラを捕りに行くのはダメだけど、日本の経済水域内で資源量が十分に回復した種類のクジラを捕るなら問題無いだろう? オーストラリアの漁師がロブスターを捕るのと同じように」
という物だった。
ここで私が鯨の資源回復の数字を挙げたように、相手も数字を挙げて反論してくれたなら、良いディベートになったのだと思うけど、オーストラリア人の言うことは、
「とにかく鯨は、牛や豚やロブスターやスポーツハンティングで遊びで狩っているシカなんかとは違うんだ、鯨は知性のある生き物で食べ物じゃなんだ」
(これも差別的な言い方だが)現場仕事帰りのオッチャンとバーで口喧嘩してるんじゃなくて、大学のカフェテリアでもコンピューター・サイエンスやカルチュラル・スタディーズの修士コースの学生相手の議論がこのレベル。
君たち専攻している学問で身に付けた論理や他文化理解のフレームワークはどこに置き忘れてきたんだよ! って絶望的な気分に何度もなった。
普段は気さくで朗らかで本当に「良い人たち」としか言いようが無いオーストラリア人たちの顔が捕鯨の議論をしている時だけは相当にうんざりした表情になっていて、相手も私の話の通じなさに絶望しているのが見えて辛かった。
話が私の自分語りに偏っちゃったけど、あなたが韓国政府の主張を擁護する立場で政治を話題にしたならば、少しは日韓関係の知識を仕入れている日本人の多くから、まるで話が通じないと思われる危険がある。
逆にあなたが文政権に批判的な「保守派」の韓国人だったとしても、わざわざ日本政府の見解を支持するような旗幟鮮明を日本人に対してする必要も無い。
あなたは在日の代表でも韓国政府の代弁者でも無いのだから、ただただ自分や家族や友人が受けている具体的なハラスメントについてだけ、困っている、助けて欲しい、と訴えて平穏な暮らしを得るために行動すべきだ。
「NHKから国民を守る党」。
NHKから守っていただけるのはありがたいが、それ以外の政策について一切書いていない。
貴方たちが万が一与党になった場合、まあNHKから国民を守ってくれるんだろうが、その後どうするのか。
増税はどうするのか。外交はどうするのか。年金は。景気は。労働制度は。
安楽死制度を考えるのは誠に結構なことだと思う。でも他の政策を一切書かない党に入れる気はしない。勘弁してほしい。
極端なのは上の二つだが、他の弱小政党も似たようなものである。
増税反対に全振りしていたり、原発廃止に全振りしていたり、何か2つくらいのテーマに半振り×2していたりする。
その点、自民党だったり国民民主党だったり、規模があって歴史も長い政党はちゃんと多岐にわたって書いてるなと思う。
それでどうしてもそういう政党の中から選ばざるを得なくなり、「入れたい政党がねえ~」とか言うことになるのだが、
俺の場合、今のNHKのシステムに賛成か反対かと言われたら反対なわけだし。
個別の政策レベルなら、まあ賛成してもいいと思える党は(政策ごとにそれぞれ別々の党で)いくつかある。
そんなふうな選挙に変えられないだろうか?
http://blog.yuryu.jp/2012/05/blog-post.html
当時とは状況も違うしね。
といっても、〇芝や〇菱と違って学閥は感じられないのでほとんど影響はないんだと思う。
学部生は、主務昇進前の同期横並びになってる時期は、院卒の2年遅れ。
あとは様々。実力(いつ昇格研修に推薦されるか)次第
入社3年目くらいまでは夜10時くらいまで働くことも多かったけど、働き方改革の旗印のもと、8時以降の残業が禁止になり、定時日が週1設定され、
40時/月以上の残業についての手続きが煩雑になり上司もやりたがらなくなりました。
入退門システムと勤怠が連動してるので、サービス残業はありません。
GAFAとか行っちゃう強い人は↑で年収600万はあまり高くない・・と思うかもしれないけど、
結構な額の住宅補助と、ほぼ全額の通勤手当が出ます。自転車通勤でも出ます。(安いけど)
入社数年は寮か、寮扱いのレオパレスに月5000円で入居でき、
転勤すると自分で選んだマンションに住めて数年間家賃半額補助されます。
首都圏・大阪・名古屋だと補助倍率が変わり、もう少し安い。(東京勤務だったのでだいぶ助かった)
上司推薦の上研修に合格すると主務職という等級になり、お給料が一段踏みあがります。
平均給与ランキングみたいなので比較するとソニーとかと比べて安いのは、
工場の要員いっぱい抱えてるのと手当てを数字に反映してないせいもあると思う。 (借り上げ社宅だと所得税がかからないのでそこは有利)
あとは生命・傷害・自動車保険料がすごく安かったり、カフェテリアポイントがついたり、社割で家電とか買えたりします。
このあたりの福利厚生や人事制度は聞けば教えてくれると思うので、興味があったら就活生は人事に聞いてみて下さい。
とりあえず、この記事の内容について気になるところにコメントしていきます。
元記事の筆者の言う通り、パナソニックは事業部によりかなり風土が異なり、一部の全社共通の事項以外は結構異なります。
これは本当だと思う。
社員はエクセル方眼紙の仕様書を書くのが仕事で、バリバリコーディングすることはないという部署もある。
ただし、この点は事業部の中ですら風土が違い、僕のいる部署では協力会社にコーディングさせることもあるけど、
みんなプログラミングはするしできる。事業部と部署によるかな。
例えば、メモリ 1GB ぐらいの遅いマシンでビルドしている、ディスプレイが17インチ、
きちんとしたソース管理がない、などです。PCスペックやディスプレイなどは入社の時期によってはそこそこいいものになるんですが、
「壊れるまで使う」のが基本のためなかなか新しくなっていませんでした。
これは明確に違う。少なくとも、入社した2013年時点ではCAD用PCはメモリ16GBでQuadro積んだものが与えられてたし、デュアルモニタも使えた。
ラップトップはまともなスペックのレッツノートが与えられ、どちらも4年更新のリースなので、レッツノートのメモリが4GBだった次期はちょっと不満でしたがそれなりに使えるものでした。
ソース管理についてはメカ屋なのであんまり詳しくないのでノーコメ。なんらかの管理システム使ってたと思うけど・・・
具体的には書けませんが、改善提案をしたときには「新入社員(または入社2年目)なのに」というリアクションがついてまわりました。
中には「話を大きくすると、新入社員が思いつくようなこと何故今までやっていなかったのか」と問題になるのでと却下されたこともありました。
これはある。「物を作る前にひとをつくる」社風のため、若手は修行中とみなされる。
2年前くらいまではそうでした。
しかしここ2年くらいはセクハラに関する判定は厳しくなり、アファーマティブアクションとしてむしろ女性を優先して昇進させるという方針がトップから出されています。
逆にそれはどうなんだ・・?という気はしなくはないですが、「アファーマティブアクションである」と言い切られると納得できるところもある。
なんだかんだトラディショナルジャパニーズカンパニーなので言いたいことはいっぱいあります。
ほとんどの部署では毎朝・毎昼・毎夕のどれかで部署全員をあつめた会をやると思います。
そこで「綱領・信条・七精神」と呼ばれるチャントをみんなで唱え、小話をする儀式が発生します。
小話は持ち回りなので、人前で話しをすることが苦手な人はきっついと思います。
話が長い人も多いし・・
あなたがパナソニックで仕事を始めた場合、この3つに出会わない日はまずないと思います。
ワークフローシステムはあるんだけど、なぜかみんなエクセルの帳票を作りたがる。当然のように検印欄つき。
2001年にテンプレートの初版を作ったエクセル方眼紙でプロジェクト管理をするなボケ
研究所でもわりと「まとも」なことをしてる人ばかりです。
居室をドローンが飛んでるとか、そんな愉快なことはないです。夢のある話より事業貢献。当たり前といえば当たり前か。
新しいことに対してはまずリスクを考え、製造に根回しをし、品証、法務、営業エトセトラエトセトラに合議をとりつけないと何もできないので、
必然的に新しいことはしにくくなります。年初の計画にないことは予算付かないし。
でも偉い人がオッケーっていったらぜんぶオッケー!予算もつくし忖度してくれるぞ!
カイゼン活動やQC活動もやらせたがる。別にいいけど、本当に役立ってるかなぁ・・?
すっげえ時間と手間のかかる昇格研修(日立のケンロンみたいなやつ。5~10年目の中堅の昇格と、管理職候補のときにやる)とかね。
社内のシステムは全部クソです。20世紀のシステムが平気で動いてたりして驚く。
PLMシステムはほんとクソだし、
これにエクセル方眼紙を組み合わせた地獄の業務基盤が構成されてたりしてひっくりかえることがあります。
エクセル方眼紙をアップロードして印刷して・・・っていうのは構築時に誰かおかしいと言わなかったのか。
こいつのせいで設計資料どこだっけ(図面はあるけど設計書がない)などがおこりがち。
後述のe-チャレンジのセカンドチャンスがあるとはいえクソ度が高い。
入社時の話と配属の話が違うのは残念ながらあるっぽい。
というのは、どうも採用時点では部クラスまでは決まってるけど、
その中での課クラスの割り振りは後で決めるやりかたをとってるところがあるようだ。
例えば、xxxx事業部 開発部 までは決まっているけど、担当機種やシリーズは決まっていないとか。
これも事業部単位でやり方が違う。僕のときは研修時にヒヤリングがあった。
採用後、配属の決裁が下りてしまうと覆すのは結構たいへんなので、
やりたいことが明確な人は早めに人事部長と
明確にしておけば一応考慮はしてくれるはず。
僕のいるコネクテッドソリューションズ社(カンパニー)に限定されますが、
カンパニー社長が変わってからは上記の「ここがクソだぞ」を消していこうとしてくれてます。
問題を素直に言って改善しようとしたり実験的なことをやることを推奨しよう、というメッセージは発信されています。
ボロボロだったトイレや食堂も現代基準に合わせて改装されたし。
朝会の呪文詠唱はなくなっていないですが、鶴の一声で小話は、苦手な人は特にしなくてもよくなりましたね。
工場文化と研究開発のイノベーティブな文化を切り分けようとしてくれてるっぽい。
ただし、中間層まではまだ意識改革が行き届いてないっぽく、まだ保守的なことをいう人は多いです。
経営層の品位に関してははっきり言って経団連で迂闊なことを言って燃える他社よりはかなりましじゃないかなと思ってます。
事業部が変わるとほぼ他社な感じの会社なので、それまでの社内の実績を持ち込んだまま転職できるのはそれなりに普通に転職するより利点があります。
この制度の利用に関しては現職場にはすべて終わってからしか伝えられないので、どうしても無理になったらスッと転属するという、セカンドチャンスとなりえます。
長期所得補償保険に加入できますが、グループ社員は精神障害も対象になります(普通の保険は対象外)
鬱になってもなんとかなると思うと精神的に逆に鬱にならなくなるっぽい
少なくとも、僕の周りにいる人間は何かしら優秀なところがあり、人格的にもまともな人がほとんどです。
「ほとんど」としたのは、僕の知る限り数名頭のおかしいとしか思えない人もいるので・・・
ただ規模に比して無能・性格的に問題のある人は少ないと思います。
毎年25日付与されて、付与から2年超えても消化できない場合は毎年10日積み立てられます。
退職前にはちゃんと消化させてくれるし、普通に申請すれば休めるのでありがたい。
クソみたいだと思ってるところもありますが、案外、世間で言われるよりも変革に向かってる空気はあります。
車載部品や自動運転システム、電子部品組み立て装置やセキュリティシステム、工場ロボットやデジタルサイネージ、プロジェクターなど、
ぶっちゃけ家電以外の部門のほうが面白いと思ってます。地味なところでいろいろやってるよ。
家電も異常に軽い掃除機とか謎の球体扇風機、卓上燻製機など尖った製品は面白そうなんですけどね。
なんだかんだ家電もすげえまじめな作りしてるし。同期が調理家電の開発のベンチマークでコロッケ揚げてたら、見飽きすぎてプライベートでコロッケ食えなくなったとか言ってた
組織の慣性はあってクソなところもありますが、一つ一つつぶしていって、規模と革新性を両立させようと頑張っているところです。
改革が成った暁にはとても強い会社になりそうな気はするので、敬遠せずにぜひ話を聞きにきてみてください。
特に通過儀礼的な要素を含む新入社員研修、すごくリソースを取られる主務・主幹研修やエクセル方眼紙文化、根回し文化だのは、
IT基盤も現代の基準で構築してほしいし、提案活動や小集団活動はお手盛のパワポ発表会じゃなく、
データやノウハウも個人単位で溜め込まずにオープンに蓄積できるようなIT基盤にしてほしい。
社外の技術者や学生、そして僕とお客様にとって魅力的な企業であるために頑張って下さい。僕も頑張ります。
新卒でパナソニックに6年勤めましたがまだ退職しません。最先端の設計をしながらお給与も一定水準をクリアできる会社はなかなか多くはないと思うので、
最近よくNTT(事業会社含む)の退職エントリを目にするので、あえて逆の立場で書いておこうと思います。
端的に言えば「NTTグループは就職先としてそう悪くないよ」ということ。
もちろん当然万人にとっていい会社というわけではないので、
就職 or 転職でNTTグループに少しでも興味を持った方の判断の助けになればと思い、筆を執りました。
「NTTグループ」と言いつつ私は1社しか知りませんので、他のグループ会社では異なる点もあるかと思います。
NTT事業会社(茸の会社)に新卒で入社。30代前半。開発業務に従事。
開発といいつつコーディングは外部へ業務委託しているので、業務範囲は要件定義とプロジェクト管理。
要件定義も実際のドキュメント作成は常駐BPが担当し、プロパーの私は専らレビュー専門。
この辺はNTTによらず大手企業の開発部門やSIerはほぼ同じだと思います。
はじめは「良い点」「悪い点」に分けて書こうと思ったのですが、それは私見でしかないので、
「特徴」として淡々と事実を書いていこうと思います(とはいえ多少バイアスはかかっていることは否めませんが)
経営は非常に安定しています。なんたってNTTの筆頭株主は財務大臣です。
民間企業ではありますが、NTTがつぶれるのは国がつぶれるとき、と言っても過言ではないでしょう。
また労働組合の力が非常に強いため、他の大手企業のようにリストラや早期退職募集なども考えにくいです。
私自身の年収は800万ほど。年間300時間程度(20~30h/月)の残業代を含むので1秒も残業しないと700万弱でしょうか。
扶養手当(妻+子供1人)が毎月32,000円出ているので、独身だともう少し減ります。
私は子供が一人なのと給料以外の収入がそこそこあるので生活や教育資金に困ることはありませんが、
一馬力の給料収入のみだと、少々不安のある額だと思います。周りはたいてい共働きです。
残業の多寡や家族構成、家賃補助の有無や後程述べる昇格次第で変わりますが、年齢別のおよその年収はこんな感じです
20代前半:400~500万
20代後半:500~600万
30代前半:600~900万 ★このあたりから昇格によって差が出てくる
30代後半:650~1200万 ★管理職にならないとどう頑張っても1100万程度が限界
40代以降:650~1600万?
役職とは別に「社員資格等級」があり、一般資格→エキスパート資格→管理職(→役員)となっています。
各資格等級ごとに複数階層になっていて、一般資格は平社員、エキスパート資格は主査(いわゆる係長)~課長、管理職は課長~部長までの役職に相当します。管理職は非組合員です。
管理職の最上階層からさらに昇格する(一般的に本部長以上)と役員になりますが、雲の上の話なので詳しくは知りません。ここでは管理職以下について述べます。
在級年数と年一回の評価で昇格するかどうか決まることになっていますが、
実情は入社1~2年で決まる通称「最早コース」に乗っているか否かで大きく差があり、
最早コースの人は評価なんぞ関係なしにガンガン上がっていき、最速30歳でエキスパート資格(主査)、35歳でエキスパート資格の課長、37歳で管理職の課長まで昇格します。
その後部長クラスまで上がるのはさすがに狭き門のようですが、最上級の管理職社員であっても年収は1500~1600万程度、執行役員になってようやく2000万を超える程度らしいので、その点では夢のない会社だなと思います。
一方で私を含む一度最早コースから外れた人はゆったりとしたスピードで昇格し、評価と運が良ければ40代で管理職になり、課長や部門長(担当部長)まで上がる人もいます。
私も最早コースの同期に比べて数年遅れで主査に任用されましたが、中にはまだ一般資格等級の同期や先輩もいます。
ただし勤続年数によって昇給する賃金要素(一応評価によって変わる)があるので、長く勤めていれば万年平社員でも600~650万くらいはもらえます。
再早コースや昇格の決まり方がブラックボックスなのと、お世辞にも優秀とは言えない人が再早コースになっていたりする点は多くの社員の不満点だったりします。
特に最近は「女性管理職を増やせ」という政府の圧力(?)のためか露骨な女性優遇が目立つため、女性は非常に昇格しやすく、男性はなかなか昇格しない傾向にあります。
なお非組合員の管理職になると役職定年があり、役員まで上がる一部の人を覗き、だいたいは50代でグループ会社に転籍になります。
一度退職金が出て再雇用扱い(いわゆる天下り)ですが、転籍後の年収は3割減程度と聞きます。
管理職の下っ端で終わって転籍するよりは、エキスパート資格で定年まで勤務した方が生涯賃金は上がるようです。
住宅関連の手当てはそこそこ手厚く、①社宅 ②賃貸の家賃補助 ③持ち家の住宅ローン補助 があります。
単身なら1万円程度でワンルーム、世帯持ちなら2万円程度で2LDKに住めます(家族構成によって値段や部屋数は変わる)
35歳までの年齢制限がありますが、会社都合(異動)により社宅に入る場合はその限りではありません。
地域や物件のグレードによりますが、家賃のおよそ半分を会社に負担してもらえるようなイメージですね。
こちらは45歳までの年齢制限がありますが、会社都合(異動)により賃貸物件を借りた場合はその限りではありません。
受けている融資の種類や金利によって利子補給だったり返済補助だったりと名前は変わりますが、最大でも25,000円/年しか補助が出ません。
一番ショボいです。NTTは社員に家を買わせたくないのか!?と思えるほどです。
以上を見てもらえれば分かる通り、なぜか持ち家所有者の冷遇が半端ないので、家賃補助が貰えるギリギリまで賃貸に住んで住宅財形をたんまり溜め、
キャッシュで持ち家を買うスタイルがスタンダードになりつつあります。
私は若いうちに家が欲しくて買ったので、翌年は年収がガクッと下がりました(補助が840,000円→25,000円ですから当然ですね)。
余談ですが、今の超低金利と住宅ローン減税による所得税還付を考えると、あながち持ち家が損とも言い切れません。
住宅関連以外では無料で受けられる人間ドックや持ち株会の補助金などが人気ですが、最近カフェテリア制度のポイントが減らされる改悪があったので、社員の不満が募っています。
1日の所定勤務時間は7.5時間で、標準勤務時間は9:30-18:00(休憩1時間含む)です。部署によってはフレックス制を採用していたりします。
時短勤務も最短4時間から選択できたり、リモートワークも浸透してきているので、子持ちの女性もたくさん働いています。
PCのログイン/ログアウト時刻と残業申請のアンマッチが15分以上発生すると上長に通知が行くため、サービス残業はあり得ません。
また残業自体の規制も厳しく、月間38時間を超えていいのは年6回までで、そこを超えても上限は60時間です。
年間200時間を超えれば忙しい人(部署)、年間300時間を超えたらかなり忙しい人(部署)という印象になります。
毎週水曜日(部署によっては金曜日も)と毎月1回の給料支給日はノー残業デーです。
土日祝日以外に付与される年間の休暇は以下の通りで、100%消化させられます。
・夏季休暇:5日
・創立記念休暇:半日
・ライフプラン休暇:勤続5年ごとに5日(最大40日まで繰り越せる)
年次休暇の消化期限が9月末なので、例年9月はオフィスの人口密度が非常に下がります。
なお年次休暇は1時間単位で使えるので、まるまる20日休む必要はありません(もちろん休んでもいいです)。
「役所に行きたい」「寝坊した」「なんとなく」といった理由で当日朝に1~2時間休を入れたり、
逆に「ライブに行きたい」「早く飲みたい」「なんとなく」といった理由で数時間早く帰ったりすることもできます。
NTTグループの中では若い会社かつ社員の年齢も比較的若いので、”NTTっぽさ”は比較的低い方かもしれません。
・危機感が無い
・意思決定が遅い
といった印象を持たれるようです。
非常に低いです。産休・育休からの復帰率もかなり高い印象です。
ただ、特に最近は優秀な若手(上で述べた「再早コース」に乗っているような社員)の離職が増えています。
転職先は多岐にわたりますが、開発系だとベンチャーや開発ベンダーなど実際に手を動かす職種への転職が目立ちます。
・給料は中の上でいいので安定が欲しい人
・影響力(エンドユーザ数や顧客企業数)の大きな仕事にやりがいを感じる人
・自分の手を動かすより、人(プロジェクト)を動かすことにやりがいを感じる人
・ガッツリ稼ぎたい人(30代前半以前に1000万~)
・仕事に刺激や変化が無いのは耐えられない人
・PowerPointやExcelが嫌いな人
・多くのエンドユーザよりも、目の前の一人のお客様に価値を提供することにやりがいを感じる人
・自分の手を動かして物を作ったり売ったりすることにやりがいを感じる人
私は
「給料は中の上でいいので安定が欲しい人」
「影響力(エンドユーザ数や顧客企業数)の大きな仕事にやりがいを感じる人」
なので、今の仕事は天職だと思っています。ということで、NTTを退職しません。