はてなキーワード: カゲロウプロジェクトとは
他になんかある?
米津玄師やYOASOBIのAyaseといったボカロ発のアーティストが注目され、ボカロ音ゲーのプロセカがヒット、Vtuberはこぞってボカロ曲をカバー、tiktokでもボカロ曲が普通に使われている(らしい)というこの2021年。
有名ボカロPを10人ぐらい紹介します。チョイスも順番も適当です。
代表曲は最近のヒットとそれ以外で一番人気な曲の2曲にしていると思います。
再生数ごとの曲数とイメージはかなりざっくりですが以下のような感じなのですごさの参考にしてください。
例えば100万再生以上の曲は20万曲中600曲という読み方をしてください。
再生数 | 曲数 | イメージ |
---|---|---|
1000万 | 6曲 | 神話入り・みくみく千本桜メルトマトリョシカWEDHモザイクロール |
500万 | 60曲 | 超有名 |
100万 | 600曲 | 伝説入り・文句なしに有名 |
50万 | 1000曲 | ボカロ好きなら少なくともPか曲名は知ってる |
10万 | 5000曲 | 殿堂入り・中堅ライン |
5万 | 8000曲 | この辺まではわりと何でも聴く |
1万 | 2万曲 | マイナー |
5000 | 3万曲 | クオリティー保証ライン |
1000 | 9万曲 | ドマイナー |
全体 | 20万曲 |
(プロセカがヒット?と思う人もいるかもしれないが、プロセカはユーザー男女比4:6で約半分が10代というセルランが主戦場ではないソシャゲなのでメインユーザー層と近い人でないとヒットが把握しづらい。ソース:『プロセカ』がボカロファンやミクたちに与えた影響 ― ニコニコ動画が果たしていたような役割を担うかもしれない【開発者座談会】)
最初の数曲は再生数5万程度とそこそこの伸びだったが、オートファジーがヒットして一気に有名Pになった。
歌詞は文字で見るとよく分からないが最近は音として聴いたときの感じを重視するのが流行りらしい。多分。
この人が使っているv flowerというボカロは中性的な声が特徴で、最近多いおしゃれな感じのボカロ曲によく使われている。
v flowerにも初音ミクなどのようにキャラクターイラストがちゃんとあるのだが、おしゃれな感じのボカロ曲はPVにオリキャラを出したりキャラのいないイラストだったりすることが多いので認知度が低そう。
2008年から投稿している、全曲10万再生以上の安定した超有名古参P。
2011年頃に柴咲コウなどの人間に曲提供をしていて、アルバムにも人間曲を普通に入れていたので、当時はボカロPをやめて人間の曲を作っていきたいのかと思った。
実際2008年から今までで2011年だけボカロ曲を一切投稿しておらず、2012年も企業案件系の曲のみであった。多分。
その答えは2013年のインタビューで明らかになる。(DECO*27「DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008~2012」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
2020年に突然Youtubeのみに投稿するようになったりした(ヴァンパイアで戻ってきた)ので、そういう感じのふらっとした人なんだと思う。
この人が立ち上げた曲を作るための会社「OTOIRO」が2019年に炎上したが曲人気には全く影響しなかった。
P名の由来は「みきとP」という曲名。SF-A2 開発コード mikiというボカロをテーマにした曲である。
P名は古参でもついていない人は普通にいるし、最近の人でもついている人はいる。
ただ最近は動画タイトルに自分の名前を入れる人もいるので、そういう人はP名をつける空気にならない。
作風の幅が結構広いが、どの曲も聴くとちゃんとみきとPの曲だと分かる。
「ロキ」はPとボカロ(鏡音リン)のデュエットで、こういう人間とボカロが一緒に歌っている曲はニコニコ動画では「VOCALOIDと歌ってみた」というタグで括られる。
ロキ以前には歌い手によるカバー曲以外では大きなヒットがないタグだったので、人間がいるから駄目ということではないという証明になった曲だと思う。
DECO*27も「デコーラス」と言われるぐらいには主張強めに入れる。(最近の曲は控えめかも)
あのカゲロウプロジェクトを作った人である。
カゲロウプロジェクトとはボカロ曲を軸にボカロキャラとは関係のないオリジナルのストーリーを展開していくというプロジェクトで、アニメ化もされた。
2011年の初投稿「人造エネミー」から2018年の「アディショナルメモリー」までカゲプロが展開されていた。最近10周年でリブート企画が始動した。
ということで最初から企業の仕込みだったということはないと思う。
企業の仕込みだと初投稿から半年でファーストアルバムが商業流通で出る。
カゲプロは本当にボカロの流れを変えた存在で、(以前からそれなりにいたが)ここで一気に女子小中学生がリスナー層に増えたと思う。
最盛期はアルバムクロスフェードが100万再生を達成するほど勢いがあった。
「日本橋高架下R計画」や「Sky of Beginning」はカゲプロとは関係のない曲だが再生数はしっかり伸びているので、別にカゲプロじゃないと伸びないPではない。
直近ではアニメ「魔法科高校の優等生」のOPを担当することが発表されている。
ヴィランや(ボカロじゃないけど)うっせぇわのAdoに書き下ろしたギラギラが話題になったP。
急に最近人気になったわけではなく、2010年の「アンファンテリブル・イン・ハロウィン」ですでにランキングに顔を出していた。
その後2012年に「怪異物ノ怪音楽箱」がヒット、同じく2012年の「古書屋敷殺人事件」は女学生探偵シリーズとして楽曲・小説が展開された。
女学生探偵シリーズは当時流行っていたカゲプロ的なストーリーの繋がりがある楽曲シリーズで、カゲプロ・終焉ノ栞・ミカグラ学園組曲など色々あった。
それらが厨二系だったのに対し女学生探偵シリーズは昭和レトロな雰囲気が唯一無二だったので、いい感じに地位が確立されていたと思う。
もともとリズム感重視で韻を踏みまくった歌詞をよく書く人なので、今は前述した「音として聴いたときの感じを重視する」という波に作風がしっかり嵌っている。
別名義で小説を書いている。
代表曲:「アイ情劣等生」「ベノム」
この人も自分の作風はしっかりあるが流行に合わせるのが上手い。
かなり意識的にヒットを狙いに行っていると思う。
「アイ情劣等生」と「アルカリレットウセイ」は「#コンパス 戦闘摂理解析システム」というソシャゲのキャラのテーマソング(公式)。
コンパスには1キャラ1曲テーマソングが存在し、さまざまなボカロPが曲を提供している。
コンパス曲はヒット確定という風潮もあり、実際多くの曲が100万再生を達成している。
なぜそういうスタイルがウケたのかというと、腐女子とかが「この曲はあのキャラっぽい」「このキャラはあの曲っぽい」と勝手に好きなキャラと関係ない曲を結びつけるイメソン文化を公式でやっているからである。
プロセカも腐女子とかが男キャラのMMDを作ってボカロ曲を踊らせたりボイスを切り出して無理矢理歌わせたりしているのを公式でやっているようなものなのでウケた。
(もちろんどちらもあくまでも人気になった要因の1つに過ぎないし、やっているのは必ずしも腐女子ではない)
代表曲:「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」「テレキャスタービーボーイ」
「テレキャスタービーボーイ」は2019年のショート版と2020年のフル版が両方100万再生を達成している。すごい。
ショート版の曲長は1分で、他にも「空中分解」「エゴロック」などの1分曲を作っている。
ぐらい。他にあったらすみません。
Adoに曲提供するようなおしゃれ系の人にしては珍しいかもしれない。
カバー曲は2009年から投稿していて、カバーだとPONPONPONのレンカバーやえれくとりっく・えんじぇぅの鏡音アレンジカバーが有名。
どちらかと言うとボカロキャラのための曲を作るタイプの人で、「レン廃留置所」というレンくん大好きユニットにも参加していた。鏡音レンはそういうPを飼っているボカロである。
でも2016年前後は歌い手のれをると組んでれをる用の曲ばかり作っていたのでボカロ曲は全然投稿していなかった。そういうこともある。
代表曲に「ギガンティックO.T.N」を挙げたが、こういう曲があってこそのボカロ文化である。多分。
歌い手出身のボカロPの中にはボカロ打ち込みや編曲を他の人に任せている人もいるが、まふまふはそのあたりも自分で担当している。
歌い手としても自分で自分用に作った曲をよく歌っており、この前東京ドームで無観客無料配信ライブをしていた。
それが朝の情報番組で「まふまふさんが東京ドームでライブしました!」と普通に取り上げられていてびっくりした。そんな有名なのか。
以前ゴーストライターに曲を作らせていたスズムというとんでもないボカロPがいたのだが、そのゴーストライターをさせられていたと言われている。(未確定情報)
この時点ですでにハイクオリティで、3DSの音ゲー「Project mirai」にも収録された。
BEMANIに曲提供をしているP*Lightと同一人物で、「エレクトリック・ラブ」がボカロ処女作というわけではない。
今ほどはボカロがメジャーな存在でなかった2012年頃からボカロ界の貴公子という謎の異名を背負って何度かテレビに出演していた。
テクノポップがメインでいかにも電子音な曲を作るので、そのボカロ感がテレビウケという点で良かったのかもしれない。
(他に有名でテレビに出てくれるようなコミュ強Pがいなかったというのもあるかもしれない)
NHKのニュース番組「フカヨミ」では2012年に番組内企画で番組のイメージソングを制作し、それがEDとして使用されていた。
NHKはその頃ラジオでボカロ曲専門番組をやっていたりと、結構前からボカロと仲良しである。
代表曲:「SNOBBISM」「ロストワンの号哭」
強めの高速ロックのイメージがあるが特に最近は高速じゃない曲もある。
「脱法ロック」と「い~やい~やい~や」のPVは他アーティストのPVのパクリではないかと話題になった。
(PV製作はそれぞれりゅうせー、寺田てらなのでNeruが直接作ったわけではない)
後者はパクられた側が直接Neru側に問い合わせているが、パクリではないと返答されている。(ソース:Cluster A騒動によせて - in the blue shirt)
このはてな匿名ダイアリーにいい感じの記事があったので全体像はこちらを参照。→Neru(ボカロP)と寺田てら(動画制作者)の「Cluster A」パクリ疑惑騒動まとめ
PVパクリ疑惑とは別に曲パクリ疑惑もあるがPVパクリよりも曖昧な話になってしまうので割愛。
代表曲:「アンノウン・マザーグース」「ワールズエンド・ダンスホール」
2009年に処女作「グレーゾーンにて。」を投稿し、その後の数曲はそこそこしっかり伸びて同年6曲目の「裏表ラバーズ」が大ヒット。
ハイテンポな高音ロックサウンドが特徴で、「ボカロっぽい曲」という概念を確立したPのうちの1人だと思う。
2011年まで毎年投稿していたが人間のバンド「ヒトリエ」を結成したためボカロは一旦休止。
ちなみにボカロPが人間のバンドを組むのはよくあることである。ボカロP活動とのバランスは人それぞれ。
そして2017年に初音ミク10周年記念CD用書き下ろし曲「アンノウン・マザーグース」を投稿。ライブで最高に楽しい曲。
2019年死去。
ボカロPが亡くなるというのはさすがによくあることではないが、「ルカルカ★ナイトフィーバー」などのSAMナイトシリーズで有名なsamfree、「Q」「ストロボラスト」の椎名もた(ぽわぽわP)、「オマーン湖」の乙Pなどもすでに亡くなっている。
samfreeはあいみょんのデビューシングルの編曲やアニソン制作もしている超有名P、ぽわぽわPは「ストロボラスト」投稿時16歳ということもあり非常に注目されているPだった。乙Pは曲タイトルでお察しください。
この人たちはレーベルに所属していたり、活動仲間がいたため亡くなったことを知ることができたが、ボカロPには消息不明のPも多い。
突然帰ってくることもあるが、本当に亡くなっているPもいると思う。
ボカロをしっかり聴き始めたのは2010年なので2009年以前の話は詳しくないです。すみません。
小さい頃からぼうっとした子供で、本に顔を突っ込んで育った。自分にも他人にもいまいち興味が持てなくて、夢なんかも特になかった。
社会に出てすぐに詰んだ。同期が成長していく中、失敗ばかりで別の部署に回され、どうしていいか分からなかった。
始めは「炉心融解」を聴いて、ソフトが歌うことに感動して色々漁るも、そのレベルの調声はなかなかなく。ただ、アマチュアの人が作る曲が自由で面白かったから、最初は「歌ってみた」ばかり聴いていた。
そのうち、ソフトの声に慣れてきて、色々な曲を聴くようになった。
泣ける曲、かわいい曲、格好良い曲。トランスに民族調、テクノポップにメタル。いままで聴いたこともなく興味もなかった曲が、「初音ミク」を通して自分に入ってきた。
歌詞も面白かった。今まで聴いてきたような恋愛や人生応援歌もあったし、下ネタ、独り言のような歌詞、社会派、物語系。
「般若心経ポップ」「P名言ってみろ」「吹っ切れた」などの派生ブームも面白かったし、「踊ってみた」「弾いてみた」やMMD。いくらでも見る動画がある。
電車に乗っていて、「もしかしたらこの人が、自分の好きなボカロPかもしれない」なんて思った。絵師かもしれないし、ニコニコ技術部をやっているかもしれない。
基本的に何をやってもいい、カオスな空間。誰でも何か得意なことがあって、ネットに何かを上げれば、好きになってくれる人が必ずいる。
そんな風に思ったら、世の中が本当に変わって見えた。
ネタでつけるタグやコメント、広告。ユーザーが遊べるところも多い。検索くらいしかネットに触れてこなかった自分が、ランキングにかじりついては毎晩、睡眠時間を削ってワクワクしていた。
初音ミク発売当時は、カラオケ化やTVでの取り上げられ方で揉めたこと。発売元の会社が、創作可能なルールを作り、作る人を守るために戦ってきたこと。そんな事情を知ったのはもっと後のことだ。
「Tell Your World」がTVで流れ、「ODDS&ENDS」が発表された年が、ある意味ボカロのピークだったかもしれない。
赤レンガ倉庫で平日に開催されるライブに、有休をとって行った。自分でチケットを取るのも、人を誘うのも初めてだった。
初めて、生でボカロP(さつきさん)を見た。ウォータースクリーンだったけど、ミクが歌って踊るのを見た。チラシの裏いっぱいに感想を書き殴り、帰りは電車を二度間違えた。
八景島のイベント。ファミマコラボ。Divafのために初めて、ゲーム機というものを買った。
「NyanCat」がネットミームになったりする一方、「カゲロウデイズ」の人気が予想外の状態を生んだ。
いままで挨拶や冗談が書かれていた、曲の投稿者欄に、歌い手版との同時UPや、メジャーアルバムの発売が告知されるようになった。
勢いのあるP側とはうらはらに、コメントの民度がみるみる下がった。カゲロウプロジェクトやKEMU VOXXの人気もあり、低年齢の視聴者が、どっと流れ込んできたのだと思う。
商業化への意見、ボカロ厨やカゲプロ厨への嘲笑は、ネットを沸かせる一方。
ジャンルの外側からも内側からも衝撃を受けたけれど、一番許せないのは自分だった。
ずっと、「作る人」を尊敬して愛してきたつもりでいた。でも結局、「ボカロを使わないその人」を、心から応援するのがすこし、寂しい。
それから何年も経って。
kemu氏が「拝啓ドッペルゲンガー」で衝撃的に正体を明かしたり、ハチとして戻ってきた米津さんに、ジャンルを「砂の惑星」と呼ばれたり。
色々なことがあったけれど、今もまだ、ボカロを聴いている。ヨルシカの曲も好きだ。
クリプトン公式がコラボしている曲。「ヒバナ」や「DECORATOR」を聴いて思うのは、そろそろ潮時なんじゃないかということだ。
今までの自分は、ボカロを盛り上げるために何もしてこなかったな、と思った。
自分にできることをやろう。今まで考えてきたこと、あったこと。小説にして残したいな、と思っている。
曲も作りたい。努力はしなきゃいけないけど、基本的には誰かが聴いて、1人でも気に入ってくれたらそれでいい。
ミクさん。
小さい頃からぼうっとした子供で、本に顔を突っ込んで育った。自分にも他人にもいまいち興味が持てなくて、夢なんかも特になかった。
社会に出てすぐに詰んだ。同期が成長していく中、失敗ばかりで別の部署に回され、どうしていいか分からなかった。
始めは「炉心融解」を聴いて、ソフトが歌うことに感動して色々漁るも、そのレベルの調声はなかなかなく。ただ、アマチュアの人が作る曲が自由で面白かったから、最初は「歌ってみた」ばかり聴いていた。
そのうち、ソフトの声に慣れてきて、色々な曲を聴くようになった。
泣ける曲、かわいい曲、格好良い曲。トランスに民族調、テクノポップにメタル。いままで聴いたこともなく興味もなかった曲が、「初音ミク」を通して自分に入ってきた。
歌詞も面白かった。今まで聴いてきたような恋愛や人生応援歌もあったし、下ネタ、独り言のような歌詞、社会派、物語系。
「般若心経ポップ」「P名言ってみろ」「吹っ切れた」などの派生ブームも面白かったし、「踊ってみた」「弾いてみた」やMMD。いくらでも見る動画がある。
電車に乗っていて、「もしかしたらこの人が、自分の好きなボカロPかもしれない」なんて思った。絵師かもしれないし、ニコニコ技術部をやっているかもしれない。
基本的に何をやってもいい、カオスな空間。誰でも何か得意なことがあって、ネットに何かを上げれば、好きになってくれる人が必ずいる。
そんな風に思ったら、世の中が本当に変わって見えた。
ネタでつけるタグやコメント、広告。ユーザーが遊べるところも多い。検索くらいしかネットに触れてこなかった自分が、ランキングにかじりついては毎晩、睡眠時間を削ってワクワクしていた。
初音ミク発売当時は、カラオケ化やTVでの取り上げられ方で揉めたこと。発売元の会社が、創作可能なルールを作り、作る人を守るために戦ってきたこと。そんな事情を知ったのはもっと後のことだ。
「Tell Your World」がTVで流れ、「ODDS&ENDS」が発表された年が、ある意味ボカロのピークだったかもしれない。
赤レンガ倉庫で平日に開催されるライブに、有休をとって行った。自分でチケットを取るのも、人を誘うのも初めてだった。
初めて、生でボカロP(さつきさん)を見た。ウォータースクリーンだったけど、ミクが歌って踊るのを見た。チラシの裏いっぱいに感想を書き殴り、帰りは電車を二度間違えた。
八景島のイベント。ファミマコラボ。Divafのために初めて、ゲーム機というものを買った。
「NyanCat」がネットミームになったりする一方、「カゲロウデイズ」の人気が予想外の状態を生んだ。
いままで挨拶や冗談が書かれていた、曲の投稿者欄に、歌い手版との同時UPや、メジャーアルバムの発売が告知されるようになった。
勢いのあるP側とはうらはらに、コメントの民度がみるみる下がった。カゲロウプロジェクトやKEMU VOXXの人気もあり、低年齢の視聴者が、どっと流れ込んできたのだと思う。
商業化への意見、ボカロ厨やカゲプロ厨への嘲笑は、ネットを沸かせる一方。
ジャンルの外側からも内側からも衝撃を受けたけれど、一番許せないのは自分だった。
ずっと、「作る人」を尊敬して愛してきたつもりでいた。
でも結局、「ボカロを使わないその人」を、心から応援するのが難しい。正直、寂しい。
それから何年も経って。
kemu氏が「拝啓ドッペルゲンガー」で衝撃的に正体を明かしたり、ハチとして戻ってきた米津さんに、ジャンルを「砂の惑星」と呼ばれたり。
色々なことがあったけれど、今もまだ、ボカロを聴いている。ヨルシカの曲も好きだ。
クリプトン公式がコラボしている曲。「ヒバナ」や「DECORATOR」を聴いて思うのは、そろそろ潮時なんじゃないかということだ。
今までの自分は、ボカロを盛り上げるために何もしてこなかったな、と思った。
自分にできることをやろう。今まで考えてきたこと、あったこと。小説にして残したいな、と思っている。
曲も作りたい。努力はしなきゃいけないけど、基本的には誰かが聴いて、1人でも気に入ってくれたらそれでいい。
ミクさん。
カゲプロもといカゲロウプロジェクトは8月15日に起こる出来事を描いたメディアミックス作品で、
ニコニコ動画の楽曲から派生し、小説、漫画、アニメ、劇場版等で別々の展開をする面白さが売りだった。
ご存知かとは思うが、おそ松、鬼滅、今ならツイステとかに先駆けて、キッズが多くて民度が最悪、というイメージの代名詞だった。
私は当時成人していた社会人だったがこのジャンルにいたく執心した。
元々じん(自然の敵P)の作る音楽を気に入っていて、小説を出すというので興味本位で読んだ。ハマった。
正直お世辞にも上手とは言い難い小説だったが、楽曲、動画も含めてアマチュアの手による一大作品というのは熱があった。
拙い所も含めてカッコいい!エモい!支援したい!夢がある!割と珍しい感情ではないと思う。それが大人だろうと。インディーズバンドのようなイメージ。
そういう風に素直にハマって、中に入ってみたはいいものの、確かに実際自分より年下の人間しかファンが居なかった。
沢山友人を作ったが、よくて高校生、殆ど中学生、小学生も多くて、成人していてお酒が飲めるような人は片手で数えるほどしか居なかった。
とは言え話が通じないなんて事は全くなかった。自分は大して創作などもしなかったけど、ツイッターで繋がった小学生は敬語で話してくれた。
男の子も居た。CPとか担当みたいな概念も薄くてどんな趣味でも年齢でも人種でも仲良しだった。
コミュニティの中での喧嘩や、男の子も居る事で色恋沙汰が始まる事もあったけど、むしろ今まで自分が経験してきたどのジャンルよりも平和だった。
確かに痛い、と表現されるような事もあったかもしれない。でも人に迷惑をかけるような子は誰も見た事がなかった。
カゲプロにハマった事で、コスプレや同人誌に初めて触れた子も沢山居た。どの子も知らないなりに、人に聞いたり調べたりしていた。
同人誌即売会(オンリー)では、親御さんと一緒に本を買いに来る人やスペースの後にお母さんが座っているサークルなどもあった。
本来即売会にはサークル側に年齢制限があったりするが、低年齢層のこのジャンルではイベント側からきちんと許可があった。
別に子供が趣味を楽しんじゃいけない訳でもないし、許可されているなら取りざたされる事でもない。
でも他のジャンルの所謂大人たちからはとっても笑われた。まあ、珍しい事ではあるかもしれないけれども。
私はただの買専だったが、プラバンで作ったストラップだったりとか、手作り感のあるものも多くてそれはそれでよかった。
皆このジャンルが好きで、色んな工夫をして楽しみたいと思ってるのがすごく感じられた。
そんな風に内部に居ると、カゲプロ厨、なんて言葉を投げつけられる事もむしろなかった。
あれはカゲプロのことを特に好きではない人間が使う言葉だから、好きな人間とだけ過ごしていたら聞かない言葉なのだ。
そういう中で、ニコニコ超会議が開催された。ニコニコ動画が主催する一大イベント。
カゲプロも当時大きなブースを作り、そのブース内で新曲を先行して聴く事ができた。私ももちろん朝から並んだ。
学生で中々会えない地方の友人達もこの日ばかりはみんな揃っていて、新曲を聞いたり、グッズを買ったり。とても楽しんだ。
超会議はとっても広いイベントで、ほかにも回り切れないほど催し物があったんだけど、自分たちはずっとカゲプロのスペースに居た。
もちろん皆視聴ブースでは静かに並んでいたし、話す時も出来るだけ邪魔にならないように端っこに居た。
なんと超会議のカゲプロブースで暴動が起きたらしい。視聴ブースが壊された、とか。
カゲプロ厨ではない大人の皆さんは、「カゲプロ厨こわw」「やっぱガキは・・・」みたいな事を言っていたが、
当のカゲプロ厨である面々は皆揃ってクエスチョンマークを飛ばしていた。
なにしろずっとそこに居たのだ。そんな警備員が始末するような事態が起きたらさすがに気づくだろう。
当日そこに居た人間が誰一人としてそんなものは見ていなかった。でも、起きた事になった。
待望のアニメが始まった。
私はカゲプロに利用しているツイッターアカウントのほかに身内友人のアカウントを持っていたんだけど、理解のある友人から「ログインしない方がいい」と言われた。
カゲプロのアニメが始まる前から、そちらのアカウントはバカにするような文面で埋まっていた。
「バカにしたいから今期はカゲプロ見る」等と堂々と言っている人も居た。何故全く内容を知らないのにバカにする前提なのか、腹が立つより悲しかった。
実際のアニメを見て、クオリティがどうだと言われたらそれは受け止める。でもガキが好きな作品だからゴミ、という構図しかそこには無かった。
自分に向けられた作品でない事がわかるなら、ほっといてくれればいいのに。
私はカゲプロが好きだということを殆どの人に明かさなかった。明かせばバカにされ、場合によっては引かれた。
カゲプロに興味があるけど、周囲がものすごく叩くから手が出せないと言われた事もあった。
いっそカゲプロの情報を何にも持たないおじさんとかの方が優しかった。前提条件が無ければ好まずとも「こんなんあるんだ」程度の気持ちで聞いてくれた。
「カゲプロ厨の素行が悪いからだ」と言うには私はその悪い素行を殆ど目撃したことが無かった。
若いからはしゃいで痛々しい事はあったかもしれない。でも流血沙汰とか、木の枝折ったとか、ブースを壊したとか、見ていない。
私の見ていない所であったと言えばそれまでだけど、でももうそんなのは「犯罪者は皆パンを食べている」理論で、カゲプロが悪いから何かをした訳ではないと思う。
ただ、私はカゲプロの事が今でも好きだし、人生で一番楽しい時間だったことに違いはない。
8月15日なのでそんなことを思い出した。
艦これのKADOKAWAはDMMとして育てた後にくっついてきたんだろ?
そりゃ最初は小さかろうが成長したら企業集まるし、人も集まるよな。
といってもあくまで原作者が二次創作込みで育てて強くなったところで大企業が庇を借りている程度。
で、アズレンは?後アマビエは?アマビエは権利の独占のしようがないから大企業からんでこないぞ。
結果的に二次創作込みで育てたコンテンツに大企業が寄ってくる程度であって、はじめっから大企業に食らいつかれたコンテンツは使い捨てってことには変わりない。
はじめっから大企業に食らいつかれたコンテンツは使い捨てで短命で終わる。カゲロウプロジェクトとかどうなったっけ?
今年の流行語大賞に選ばれていたので、色々思っていることをポチポチ書いていきます。本来はTwitterの裏垢で言おうとしたのですが、身内にばれるのが怖いので止めました。ビビりで申し訳ないです。
私がかつて刀剣乱舞をプレイしていたのは、2015年3月頃でした。当時、長期間SNSに触れていなかった私は「刀剣乱舞」の流行具合に少々面喰いました。イケメンの刀擬人化ゲーム。あー、まあ艦これみたいなやつかと思い、たまたまサーバーが開いていたのもあり、始めました。線の細いタイプのイケメンがあまり得意でなかったので、飽きるだろうなと思っていたのですが、琴線に触れるキャラクターがいました。
同田貫正国くんです。
当時、ヒラコーのドリフターズを読んでいたのもあり、メインキャラに雰囲気の似てる彼に完全に惚れました。線が太い。かっこいい。太刀のステータス的には一番低いのに戦わせろと言ってくる。目が綺麗。
そんなわけで同田貫くんがとても好きになりました。刀剣乱舞界隈はその当時もレイヤーが民家の桜を折ったりだとかであまり評判は良くなかったですが、カゲロウプロジェクトの時も似たようなことはあったので気にしていませんでした。
ある日、Twitterに気になる話題が流れてきました。刀剣乱舞にトレスパクや素材の無断使用があるというツイートでした。検証動画やwikiを見ると、確かにぴったりと重なっています。桜弁当からどんどんトレス疑惑の物が発掘されていきました。中には特定の宗教の神具のトレス疑惑のものもあり、訴えられたら勝てそうにない物もありました。
私はこの件で暫くあまりログインをするのは控えようと思いました。同田貫くんは好きだけど、落ち着くまでしばらくはやめよう。
同時にこの時期から再び刀剣乱舞界隈が騒がしくなり始めました。トレパクの件は広まり、運営の謝罪を求めるユーザーも出てきました。そんな時に私が見たのはTLでいつもと同じように刀剣の二次創作やツイートをしてる人たちでした。「トレパクなのは知ってるけど、推しが可愛いから……」と言ってる人たちもいました。私もどちらかというとそちら側でしたが。
そんなときでした。七月頃、同田貫正国、和泉守兼定、大俱利伽羅が刀種を「太刀」ではなく「打刀」にするとの通知が来ました。二刀開眼実装と共にした通知でした。
いや、なんでだよ。ゲームのステ値とかキャラクター性とか考えて勝手に変更するなよ。まず思ったのはこれでした。史実的にはあってるのは分かったけど、それならそれで最初からしろよ。何でもうちょっと考察しなかったんだよ。艦これはデザインの部分まで史実通りに書いてるんだぞ。
正直言うとかなりつらかったです。だって、同田貫くんが好きでやってきてたのになんでここまで急に設定を変えられたんだもの。好きだった太刀の同田貫正国は消されてしまうんだもの。
ほぼ、同時期に謝罪文が公開されました。『具体的な原因についてですが、今回の『刀剣乱舞-ONLINE-』作業に携わった社内デザイナーが、新人採用されて間もないデザイナーだったということもあり、権利処理に関する認識、教育が足りていなかったため、問題を認識することなく製作作業を行ってしまいました。』と書いてあり、この期に及んで新人デザイナーにすべてを押し付けて謝罪にするのか、と面食らいました。もちろんその後に統括責任者の責任についても書いてありましたが、結局修正されていないものもあり「謝罪とは……?」という気分になりました。
そして一番嫌だった、というかやめようと思ったのは問題をずっと見ないふりでいた「ユーザー」でした。問題が起こっても見ないふり。推しが尊ければそれでいい。好きだったキャラクターの個性を無理やり改変された人間から見ると、これが過去の自分だったんだなぁと思いました。あー、このゲームはこういう人を対象にしたゲームなんだな。もうやめよう。
今思えば、あの時見て見ぬふりをしてくれたユーザーさんたちには感謝してます。ありがとう!やめるきっかけを作ってくれて!!
そして、この後何件か連続して起こった「エンディングトレスアニメ」や「設定・構図パクリゲーム」、「脚本パクリ疑惑を指摘したユーザーを複数ユーザーでフルボッコにするゲーム」等を見ていると、問題を見て見ぬふりをするユーザー様様なんだなぁと思います。
もうそろそろ、危機感を持ちませんか。設定やUI、トレスや盗作疑惑のあるコンテンツをたくさん持つ「クールジャパン」が他国のコンテンツを見下している図って、とっても滑稽ですよ。
もろもろで再投稿
『カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。
前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲、小説、漫画、アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能しています。ストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒのエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。
小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハの世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルートの共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚、個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌います。SNSもカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味がパーカーとジーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。
(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)
ある日、アニメ化の情報が明らかになりました。制作会社はシャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロのキャラクターがガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。
そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。
面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかしツイッターに流れてくる意見は肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います。
あまりにも無茶が過ぎる脚本に構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドのルートになったこのアニメを公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。
いやにあら探しばかりしてしまう性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなものは否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。
暫く経ってからまとめサイトの嘲笑う記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツがおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。
勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDのボーカルはじんさんがよく使うボカロのIAの人が!)、楽曲のアレンジ版ではアニソン歌手のLiSAさんが歌ってくれたり。
でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから、子供ながらに、アニメのDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。
アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブへめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画の情報を確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調にラブライバーでした。まきちゃん。
じんさんは自分の音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。
長らく音沙汰の無かった小説の新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶとあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。
映画の公開は11月。作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクターを担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思います。シャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。
私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクトの面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクトの違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。
公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画や20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。
容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんなクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリー、メアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄な4DX、ぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)
一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的な言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。
広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています。批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです。
これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。
そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いものを提供してくれたっていいじゃないですか。
良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから。
辛いのでFGOやります。以上です。
『カゲロウプロジェクト』が好きです。すごく好きで、だから映画が公開されると聞いた時はとても嬉しくて、前売りも買って、初日に見に行きました。だから、あの作品をどう捉えればいいのか分からないんです。捉えたくないと言うのもあるのかも知れなくて、あれから何日たっても消化しきれずにいます。「駄作だった」の一言で割りきれないんです。認めたくないんです。いままで好きだったことを、否定したくないんです。そういう話です。
前提として。カゲロウプロジェクトというのは(知っている人も多いだろうけれど)所謂メディアミックス型のコンテンツで、楽曲、小説、漫画、アニメ、それぞれが同じ夏の日を繰り返すルートの一つとして機能しています。ストーリーとしては「目にまつわる能力」を持った少年少女たちが、繰り返される夏の日の謎とその能力について迫っていく~という感じです。ハルヒのエンドレスエイトの設定が細かい感じ、と捉えると分かりやすいです。
小説なんかが発売される前、楽曲しかなかった頃。作者の「じん」さんの手によって投稿された楽曲群の一つ(コノハの世界事情、というボーカロイド曲)にドはまりしました。中学二年生のなんともアレな感性にあの熱い中二的世界観ががっちりはまったというか。それまでろくに曲を聞いたことの無かった私にとって、あのニコニコ動画という友達の知らない場所の、ボーカロイドという大人は知らない「特別」なコンテンツはすごく心を惹きました。それぞれのルートの共通点、明らかになる事実から徐々に全容を割り出す謎解きの感覚、個性豊かなキャラクター。今も好きです。初めて買ったCDも、初めて手を出した二次創作も、初めて買った同人誌も全部カゲプロです。アルバムは何百回も繰り返し聞いて、カラオケに行けば必ず一曲は歌います。SNSもカゲプロを語り合うために始めました。青春全部捧げました。服の趣味がパーカーとジーンズに固まったのも影響受けてます。それぐらい大好きで、多分相当にこじらせてます。私は、そういう人間です。
(勿論、パーカー着てる奴を蹴り飛ばしたりとか絡んでくるとかデマかよく分からない厨とか呼ばれるそういう輩と私は違います(同じに見えるだろうけれど)。ああいう輩のせいで普通に好きな人たちまでひとくくりにされることがすごく嫌でした。)
ある日、アニメ化の情報が明らかになりました。制作会社はシャフトでした。西尾維新さんも好きな私はアホみたいに舞い上がりました。あの大好きなカゲプロのキャラクターがガハラさんと同じシャフ度を!シャフ度をかましてくれる!放送まで毎週1人ずつ公開されていくキャスト、この子の声は誰だろう、とワクワクしながら同じく好きな友人と語り合いました。
そうして始まったアニメ。私は「どうして、こんなにつまらないんだろう」と首をかしげることになりました。
面白くないんです。なんというか、脚本が無理矢理な感じがして、うまく没入できない。ぎこちないというか、詰め込みすぎているというか、無闇に前衛的な表現をして失敗しているように思えました。画面前で、何度もいたたまれなくなりました。これをみている一般の人たちのことを考えると胃がいたくなりました。しかしツイッターに流れてくる意見は肯定ばかりだったから(フォローしてる人がクラスタしかいないんだから当たり前)、私は、己の認識を疑うばかりで、それにうまく返せなかったと思います。
あまりにも無茶が過ぎる脚本に構成で作られたこのアニメを、エンディングから考えるに恐らく最後の繰り返し=トゥルーエンドのルートになったこのアニメを公式と認めたくなかったです。でも、否定したくもありませんでした。
いやにあら探しばかりしてしまう性格だった事をすごく恨みました。ダメだった、という意見を口にすることが自分のせいで憚られるばかりで、盲目になれたらきっと幸せだったのかなと思います。拗らせていたはずなのに、結局私はその程度にしか好きになれていなかったと、そんな風に思いました。だって好きなものは否定したくないんです。大好きで大好きで大好きだっていい続けて二年たって、もうこの頃には私にとってカゲプロ大好きということは義務でした。というか、なんで嫌いって言わなきゃいけないんですか?という感じです。『カゲプロ大好きであることが私』、みたいな。
暫く経ってからまとめサイトの嘲笑う記事をみて、ああ、私の感性は間違ってないんだと思う反面、けれど大好きなコンテンツがおもちゃにされていることにすごい不快感を覚えました。否定したくないし、否定されたくもありませんでした。それが事実なんだとわかっていても。
勿論、良いことも一杯ありました。主人公のシンタローは寺島さん、その相方のエネは阿澄さんが声をつけてくれたし、彼らが動くところをみられました。新しい曲も作られて(dazeというめっちゃかっこいい曲、EDのボーカルはじんさんがよく使うボカロのIAの人が!)、楽曲のアレンジ版ではアニソン歌手のLiSAさんが歌ってくれたり。
でも、やっぱり私はアニメが、カゲプロに自ら汚点のレッテルを貼ったように思えたアニメが嫌いでした。だから、子供ながらに、アニメのDVDを買わないことを唯一の反抗としました(それ以外の関連商品は全部買ってました。ここで一旦、カゲプロに関する私の収集癖が止まったのでそれは良かったです)。
アニメの後、それまでバカみたいに追いかけていたのが多少我に返ったのか、カゲプロに対する熱は冷めていました。逆にラブライブへめっちゃハマりました。曲からハマったカゲプロと同じようにハマりました。クラスでもスクフェス(アプリゲーム)が流行っていて、カゲプロは、時折ちょこちょこ入るカゲプロ漫画の情報を確認、発売する小説を読む程度でした。カゲプロクラスタじゃなくて絶好調にラブライバーでした。まきちゃん。
じんさんは自分の音楽活動に絶好調のようでした。私が好きなのはカゲロウプロジェクトを作ってるじんさんなので、さっぱり興味もわきませんでした。それ以外ほぼ何の動きもない期間が二年くらい続いて、今年。
長らく音沙汰の無かった小説の新刊が出て、舞台となる夏にはいつもよりこったイベント(ニコ生)があって、そこでアニメ二期と映画化が発表された時、久しぶりに己の中の炎が燃え上がるのを感じました。ああやっぱり私はカゲロウプロジェクトが好きだったんだ!と、その時何処か安堵しました。じんさんはカゲプロを忘れていなかった。わくわくが止まらなくて、嬉しくて嬉しくて。ものすごくテンションが上がりました。皆とうらぶとあんスタの話しかしてなかったのに、またカゲプロの話をしていて、その光景によくわからないけどありがとうって思いました。
映画の公開は11月。作画監督を、カゲロウプロジェクト全体のキャラクターを担当している「しづ」さんが務めると知りました。個人的には、しづさんの実力は文句のつけようがないと言っても過言ではないくらい、全てにおいて長けていると思います。シャフトの絵は私はそうでもなかったけれど、否定的な人も多かったので、今度こそ、ととても期待が持てました。
私はこの時点で、映画にたいして「カゲロウプロジェクトの面白い作品」ではなく「カゲロウプロジェクトの違和感を持たない作品」を求めていました。エンターテイメント性ではなく、普遍性をお願いしたかったんです。「最高の作品」じゃなくていい、「いろいろ言いたいことはあるけど、でも良かったと言える作品」が見たかったんです。変なギミックも要らない、無駄な挑戦も要らない、普通の、贔屓目にみられる人なら躊躇いなく面白かったと言えるような。
公開前に投稿された主題歌は控えめに言って最高でした。もう高ぶりが止まらなくて、ヘビロテしまくりました。若干判明していた作画や20分という短さへの不安が瞬間吹き飛びました。これ、いけんじゃないか……?アニメを忘れさせてくれるような、そういう存在になってくれるんじゃないか、と僅かながらに期待して。
容赦なく希望を踏み潰されました。なんだあれ。今でも言葉がないです。あんなクオリティーに1900円とか詐欺じゃねえか。意味のわからないストーリー、メアリースーじみた超展開、観客を置いてきぼりにする視点変更、ファンであることが前提だとしてもあまりにも置いてきぼりな紹介。無駄な4DX、ぶれる作画、絵すらないエンディング。たった二十分すら安定させて持たせられない。かくかくしたキャラクター絵はシャフトの方が数倍増しだと思わざるを得ません。(詳しくはねばーまとめとかとぅぎゃったーとかに物好きがまとめてると思うのでそれを)
一番嫌なのは、それなりを払って、期待して、好きなのに。それなのに、そんな否定的な言葉しかでないことです。認めたくないです。好きなんです。どんなものでもよかったって受け入れたいのに。周りの皆は絶賛しまくりで、私だけがおかしいみたいで、まるで二年半前のアニメ放送時の再現のようでした。
広げすぎた風呂敷は畳むことが出来るんでしょうか。アニメ二期もこのクオリティーなんでしょうか。日にちが経つにつれ不安ばかりが増していきます。なんで私は自分の好きなものが落ちぶれる様をみなくちゃいけないんだ、と変な怒りすらわきそうで、でも、嫌いになれないんです。きっとどんなひどいものを見せられても、イヤになったってキライにはなれないと思います。それくらい好きなんです。今だって好きになりたいと思っています。批判された所を否定したくて、でも否定できないことが一番悔しいです。辛いです。
これからも好きでいたい。でも、好きでいることで幸せになれないのなら、私はなんで好きになってしまったんでしょう。もし、むやみに話を広げすぎて謎すら解明されないまま終わってしまったなら、私が追いかけてきた意味はどうなってしまうんでしょう。今、そう思わせるだけのものがそこにはあるんです。昔は、期待ばかりあったはずなのに。
そんなに金が欲しいんですか?雑で手軽なコンテンツで大量に搾取できればなんでもいいんですか?ふざけるな、といえるような偉い立場じゃないことは分かってます。でも、少しくらい、良いものを提供してくれたっていいじゃないですか。
良かったって言わせてください。好きで良かったって言わせてくださいよ、お願いだから。
辛いのでFGOやります。以上です。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251
この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライターが仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村と野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。
まあネットを巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか。
で、内容は
東浩紀や渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気が天才的なんだと。ううん?
ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。
>こういう風にお互いに共通する世界観、作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサーの仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。
中略
>高木正勝や山口一郎や野田洋次郎や中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さらに主題歌と劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画と音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気のプロデューサーとしての天才性だと思う。
おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい。
なんか知ってるなあ。こういう物語と音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌のタイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名を同人誌のタイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲を脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。
結局川村元気においての映画と音楽なんてのはこういうことを東宝のプロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。
本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生のポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツで君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌の歌詞の考察でアニメ映画の評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章にブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本のアニメシーンで最高峰の人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。
チャーリーのポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。
君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。
そして新海誠が作った山崎まさよしのPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年、ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。
つまり、アニメ文化とPV的映像センスの親和性と消費者のリテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空の世界、二次元キャラアニメ世界に没入させる技術が今の10代20代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。
そしてさらにカゲロウプロジェクトや告白実行委員会、ボカロ小説といった、若者向け物語文化がさらにそういうPV的な音楽と物語の需要にさらに拍車をかけた。
はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。とカゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春ドキドキ胸キュンストーリーだし。
震災をダシにしつつ実際は自分の恋愛の成就にしか興味がないウスラバカのための映画で子供の背伸びにもピッタリ。
というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影のキラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものはスピリチュアルでスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムしちゃう連中。
田中将賀のパンピ向けデザインが安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム超作画で青春ドキドキ胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸な物語センスの新海誠と凡庸な音楽の仕掛け人であるところの川村元気のセンスが大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当な見解でしょうよ。
物語コンテンツの需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝を大衆向けの物語でやったから川村がすごいんだと単細胞な意見でつっかかってるんだね。ガンダムとマクロスをたとえに出して、君の名は。とカゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリの文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。
君の名は。をバカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気は他所の畑で実った果実を自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない?
こっちはライターがフェアな関係であるべき対象を天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。
文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈を歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。
なぜヒットしたのか? 天才プロデューサーの仕事だからでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライターがプロデューサー褒めそやしてバカな素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。
このライターの人も君の名は。をRADWIMPSの音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。
そういえばあの作品どうなった?確か去年アニメになった…皆で馬鹿にしていた…えーっとなんだっけ、ほら、そうだ
カゲプロだ。
ファンが若年層ということもあり根も葉もない低能な悪口が蔓延していたカゲロウプロジェクト、最近では全くその話題を見かけなくなった。そもそも私はカゲプロの総本山と思われるニコニコ動画にもアニメ最新話の配信をチェックしに行くのみで、ユーザーの投稿動画なんて滅多に見ない。そして去年の夏、その最新話をチェックするリストにカゲプロのアニメ「メカクシティアクターズ」も入っていた。一応全話見ている。しかし本筋のストーリーが驚くほどに存在しない上に、設定だけ事前にチェックし期待していた能力バトルもほぼ皆無(最終話付近に少しあるがしょぼい…なにこれ…アクション監督つけてくれよ!!!えっ予算的に無理?そうかごめん…)で、なんていうかかなり落胆した。でもそれは「カゲプロに失望する」ということとはどうにも違う感じがしたのだ。私はその答えを導き出せないまま、こうして一年が過ぎようとしていた。
しかし最近、何故かこの落胆に対しての答えがふっと出たのだ。多分一年ぶりにアニメを見直したせいだと思う。
視聴し直した後、私はメカクシティアクターズにまた落胆した。
だって中高生があんなに夢中になっていてさ、きっと自分のほんの少しのお小遣いやお年玉をつかってカゲプロのCDや漫画を買っていたに違いないでしょ、そういう作品なわけでしょ。自分の親に自分の好きなキャラのこと熱く語っちゃったり、学校に行く途中でカゲプロの曲をipodで聴いて自分のこと最強だって思っちゃったり、アマチュアで趣味で音楽を作り絵を書いていた人達が事務所と契約して作り上げた数々のMVを見て、自分もこういうことがしたい!とかクリエイティブなことに目覚めちゃったり、そういうキラキラしたものを若い子達にきっと与えていた作品なんでしょ。キラキラした世界をすごくすごく身近に感じられていた作品なんでしょ。そのアニメがこれ。本当に落胆した。
カゲプロはきっと若い子達の夢だったんだと思う。夢を見させるなにかだった。そしてその夢がみんな大好きだった。それが意図も簡単に崩れるところを見せられた気がしたのだ。
「君達が夢を見ていたカゲプロはこんなに中身の無い作品で、アニメにするとほらね、どうしようもないレベルの作品なんです。大人達もそうレビューしているしね。」
とてもとても居たたまれなくなった。
なんでもっといいアニメにならなかったんだろう…。ツイッターで単語検索をすると中高生ですらもうカゲプロの話はしていない。黒歴史だと語る者まで居る。カゲプロはもっと凄くなる、カゲプロを好きでよかったと若い子達に思わせるだけのアニメになってほしかった。
きっとそれは色々なところに要因があるのだろう、これは殆ど私の推測でしかないが、原作者の物書きとしての経験不足、話題性と即効性を重視したのであろうアニメ化企画、キャストを含めたスタッフへの説明不足、他にも色々あるのだろうね、わかるよ。なんかもうね、悲劇のカタマリって感じのアニメ化。誰もあんな出来は望んでなかった感じすごくした。試しにオーディオコメンタリーなんかも聴いてみたわけだけれど、これも凄いこと言ってんだ。原作者がアニメ見て「このキャラこんなだったっけ!?」と驚いた話をしたり、出演者が設定資料集見ても「全然話がわからない」って言ってたり……いやもう……ここまでユルい作品初めて見たよ。話がわからないとかそれもはやカゲプロのお家芸のようだけれどね…駄目でしょそれ…駄目でしょうよ!
私はきっとカゲプロを好きだった若い人達の夢をメカクシティアクターズに守り続けてほしかったのだ。
カゲプロを作ったじん(自然の敵P)氏もしづ氏も驚くほど若い。2人ともまだ二十代前半だろう。
メカクシティアクターズの出来と評判はある意味この2つの若い芽にお灸を据えてやったという雰囲気もあってイヤなのだ。
しかしその一方でカゲプロがこうした未熟な部分を剥き出しにされ晒されてしまった作品になってしまった要因についても私は考える。それは前述したように原作者と事務所側の単純な実力不足、経験不足だろう。興味本位でカゲプロの小説や漫画を読んでみると、やはりその物語の希薄さにもどかしさを感じる。だってカゲプロが若い子達に夢を見させたのは、紛れも無い事実なのだ。その夢を実現させられるのが経験豊富な出版社の編集の手を借りて作るそれらだったのではないか?アニメ制作のプロの手を借りて作るメカクシティアクターズだったんじゃないか?でも現実はそうじゃないわけだ。そうじゃなかった。商業主義とか流行とかそういう色々なものが頭を駆け巡る。私の夢想が甘いことも察する。
じん氏もしづ氏も若い。数年前のtwitterでの発言やニコニコ生放送の内容を調べると「ひえ…」と声をあげたくなるほどにこの二人は"若い"。そしてそれらを"痛い"とだけ処理して突き放し見下すことは大人側の私はどうにも厭だった。だってあの"痛さ"は私たちが過去に持っていたもの、持ち得ていたものだからだ。
メカクシティアクターズの放送が終わり、今月で一年経とうとしている。二人の"痛さ"はメカクシティアクターズの放送以降すっかりナリを潜めているように見受けられる。
2人もまた"大人"になり始めているのだろうか。
カゲプロ、実はまだ完結していない。小説と漫画がいまだに展開中なのである。
今年発行された 小説6巻 は感触としてかなりのBLなのだが(余談だが腐女子のファンの比率は恐ろしいほどに低い)、サトリ世代真っ只中の登場人物が現状を受け入れ思考停止し運命に謀殺されていく様子は、じん氏の現状を物語っているようにもとれて興味深い。
ファン達が夢を見なくなったカゲプロ、これからが作品にとっての正念場なのだろう。にわかファンながらそう強く感じている。
この崩れかけた夢を、両名が今後どのように再建していくのか見守っていきたいと、今は思っている。
さて題名のとおり,ボカロ界の考察を自分なりに書きとめようと思う.
筆者はボカロファン(特に初音ミクのファン)であり客観性は必ずしも担保されないことをはじめに断っておく.
海外シーンやセガのゲームタイトル,MMDなどの派生分野は全然考慮しないでメインの曲分野だけ注目したので,いろいろ間違っているかもしれない.
https://www.yano.co.jp/press/pdf/1334.pdf
特にボカロを含むオタク市場をカテゴリ別にまとめた表に注目する.(表3)
ボーカロイドは一人当たりの消費額で一番下に位置しており,オタク趣味の中でもっともお金がかからないといえる.
お金がかからない理由として,ボカロ自体がニコニコやyoutubeに無償でアップされた曲たちを中心とし,
版権などの商業化の絡まない雑多なクラスタだったことがあげられる.
動画サイトの隆盛とともにボーカロイドも盛り上がり,ユーザーは動画サイトを適当にブラウジングするだけで
遺法ではないメインコンテンツに簡単にアクセスすることができた.
・ライト層が大部分を占める
これは平均消費金額やアクセスのしやすさからみて,ライト層との親和性がもっとも高いと推測されるからである.
さてボカロのメインコンテンツである曲の盛り上がりを示す指標として,ボーカロイド曲ランキングがある.
「週間ボーカロイドランキングまとめ」の上位10曲の合計再生数の推移をみてほしい.
http://vocaran.jpn.org/stat/points?img=view
週間ボーカロイドランキングとは,その週にもっとも再生されマイリストに入れられた,すなわち盛り上がった曲をソートして動画にしたものだ.
その中でも「上位10曲の合計再生数」は,もっとも盛り上がった曲の盛り上がり度を示す指標としてふさわしい.
上位の曲はライト層でも一回は再生した可能性が高く,ボカロのメイン層であるライト層がその週にどれだけ盛り上がったかを示す指標になる.
普段はボカロに興味はなくてもこの曲だけはふとしたきっかけで聞いた人もいるだろうし,そのような層は容易にライト層に転化する.
他の指標の「マイリスト数」は動画を気に入ったファンの数でありある程度ヘビーな指標となる.
さてグラフをみると,#310あたりに最後のピークを記録したあと,徐々に減少し回復していないことがわかる.
これは最近のメインのボカロシーンが衰退しており,中心となるライト層を捉えられていないことを示す.
では最後のピークである#310に何か手がかりはないだろうか.
「週間ボーカロイドランキング#310」で1位に輝いた曲は,【IA】サマータイムレコード【オリジナルMV】だった.
カゲロウプロジェクトはボーカロイド界で有名すぎるので説明は省くが,この曲はカゲプロ最後の曲であり,
作曲者のじん氏は投稿者コメントで「また、何処かで。」と締めくくっている.
この曲を投稿する以前からカゲロウプロジェクトは漫画化などのメディアミックスが進行しており,曲投稿後もアニメなどで盛り上がった.
ボカロシーンの表面的な盛り上がりは,カゲプロ最後の曲の投稿とともに盛り下がって行った.
ここで次のことが推測できる.
・ボカロのライト層のある部分はカゲロウプロジェクトのファンに変わった
ライト層はヘビー層に比べてコンテンツへの拘りが小さく,たやすく自分にあったコンテンツへ乗り換える.
ボカロのファンからボカロでもっとも有名であったカゲロウプロジェクトのファンになることに障害は少ない.
カゲロウプロジェクトがボカロ曲投稿という活動から手を引くと同時に,カゲプロのファンもボカロ界から消えたのである.
筆者はカゲロウプロジェクトを糾弾するつもりはないし,むしろカゲプロがなければボカロの(一時的かもしれないが)盛り上がりはなかったと思う.
商業だろうとアマチュアだろうと作曲者の投稿は自由であり,好きなときにやめてよく,ただの受け手に文句を言う資格はない.
それよりもボカロの衰退はコミュニティに弾力性がなかったことが大きな原因に思える.
ひとつのコンテンツが終わったときに,それ以上の新たなコンテンツを生み出して盛り上げるエネルギーが足りていなかった.
「週刊ボーカロイドランキング」は#259で「週刊UTAUランキング」と合併し「週刊VOCALOIDとUTAUランキング」になったのだが,
その前後でランキング動画自体の再生数が大きく減少しているのである.
これは「週刊ボーカロイドランキング」がライト層向け動画であったのに対し,UTAUコンテンツがヘビー層向けで,合併によりミスマッチを起こしたせいではないかと考える.
ランキング動画は今流行りのコンテンツを優先的に表示し,探す手間を省いてくれるので,ライト層には都合がいい.
しかしUTAUというヘビー層向けコンテンツも表示されるようになり,ライト層が興味を持続できなくなったのだろう.
ちなみにsippotan氏がいなければそもそもランキング動画自体存在しないので,彼への感謝の念はすべての分析を上回る.
さてボカロシーンに活気がなくなると共に,昔のコンテンツが再び相対的に盛り上がるようになってきた.
たとえば2007年10月に投稿された「初音ミクオリジナル『えれくとりっく・えんじぇぅ』Full ver.」の小説化が最近発表された.
http://www.php.co.jp/electricangel/
この曲は初期の初音ミクのイメージ形成に大きな役割を果たし,派生作品も多く,長らく定番の曲として親しまれてきた.
なぜ今頃小説化するのかというと,ライト層がじゅうぶん大きくなった(と出版側が考えた)からだと思う.
一つの曲のイメージに拘泥するヘビー層より,多様な解釈で多様な媒体を受け入れるライト層に訴求する効果のほうが重視されるようになったのだろう.
ボカロの柱であり財産でもある曲たちは,ネット上に半永久的に残り続け,その容易なアクセスを提供する.
艦コレやガルパンなんて戦争が始まるころには歳とって戦力にならないオッサン連中しか見てないんじゃないの
若者には妖怪ウォッチとかカゲロウプロジェクトだろ
十代に人気を博しているカゲプロにはまった。当方二十代後半である。
4月12日、アニメ第一話を視聴し、本編のストーリーはありきたりなもので、盛り上がりに欠ける演出が逆に目につき、全く心惹かれなかった。
しかしOP映像が気になった。これめちゃくちゃかっこいい 曲も結構よくない?
(ちなみにこの映像は未完成版である。三話の時点でもまだ完成していない)
調べてみるとどうやら絵コンテを切ったのはカゲロウプロジェクトのキャラクターデザインやMV制作を担っているしづ氏とのこと。作曲作詞はプロジェクトの中心人物であるじん(自然の敵P)氏である。
元々カゲプロはニコニコで何かやっていて、ファンが若くて痛い言動が目立つ作品という隔たった知識しか無かったのだが、それをキッカケにニコニコに投稿されていたカゲプロ関連のMVをいくつか視聴してみることにした。
しかしいくつか視聴してみたもののカゲプロの実体は全く掴めなかった。どうやら楽曲の中でストーリーが展開しているようなのだが、突然出てくる新しいキャラクター達の関係性を上手く把握できないのでそれらが全く頭に入ってこない。アニメ一話目のおかげでシンタローとエネのことはわかるのだがそれ以外はさっぱりである。コメントで流れてくるキャラクターの名前らしきものにも、いつ名前出てきたっけ?という頭の固い見方しか出来なかった。あ、やっぱり無理かもと、思ったので気持ちを切り替えてやんわりとした知識をネットで集める事にした。
まずキャラクターと話の大まかな内容を調べた。そこでこの作品がどうやらニコニコで展開している楽曲とはまた別に漫画や小説、アニメで補完されていることを知った。カゲプロはループ作品だ。それぞれの媒体で設定を小出しにしながら個別のルートを描いている。楽曲や小説、漫画で展開されたストーリーをアニメ化しているわけではない。アニメはアニメ独自のストーリーになっているらしい。つまりこの作品、まだ完結していない。まだハッピーエンドに至るまでの過程が描かれていないのだ。(既に完結している楽曲ルートはバッドエンドである)
あっつまりこれは「ひぐらし」と同じ事を別媒体でそれぞれやっているわけだなとやっと合点がいった。
とりあえず関連書籍を購入し読み漁った。正直なところ作曲家のじん(自然の敵P)氏が手がけているだけあってストーリー展開があまりにも稚拙で愕然としたのだが、世界観やキャラクターの背景、関係性がこれまたなかなかに面白い。そうして再度MVを視聴してみることにした。すると、それまで意味が分からなかっただけの歌詞達がすっと頭の中に入ってくるようになった。この曲はあのシーンの歌なんだとか、このカットはどういう意味なんだろうとか、自分の持っている情報を楽曲で答え合わせするのが楽しい。まだ小説や漫画、アニメでは触れられていないこれからの展開も楽曲では多く示唆されており、今後の展開に対して想像を膨らませるには十分な刺激がそこに詰まっていた。気付くとブックレットの歌詞と睨めっこしどういった意図がそこにあるのか考えるのが楽しくなってきていた。限られた断片的な情報の群れが想像力を掻き立ててくる。
そう素直に思うようになっていた。
同年代にカゲプロに詳しいアドバイザーが全く居ないので、どこから手を付けたらいいのかさっぱりわからなかった。ニコニコ動画も開設された当初は楽しんでいたのだが、あのアグレッシブな文化についていけなくなり、どちらかというと嫌悪する姿勢ではあったし、あの場所で始まったというだけで作品の評価を決めていたのは実際のところだ。勿体ない事をしていたというのが正直な今の感想である。もっと早く知って、リアルタイムでニコニコ動画に新しい楽曲が投稿されるのを待ちたかった。アニメは現状ではあまり評判が良く無いが、カゲプロに触れるきっかけを作ってくれたことは確かでとても感謝している。雑誌のインタビューによると、今晩放送される4話は他の媒体のルートとは少しずつ話が変わっていくらしい。私もリアルタイムで新しいカゲプロの情報をを追えるんだと思うと嬉しくなった。それも毎週である。毎週決まって30分やってくれる。なんて贅沢なんだメカクシティアクターズ。
今時の若い子達はこんな面白い作品にはまっていたのか!と今とても羨ましい。
これから手を出そうという人には、前述したように各媒体のストーリーの完成度については手放しでおすすめできないのが歯痒いので、複数同時に視聴したり読む事をお勧めしたい。アニメも単品だけではカゲプロの面白さを理解するのは難しいのではないだろうか。是非とも他の媒体に手を出して欲しい。