はてなキーワード: オーストラリア人とは
https://anond.hatelabo.jp/20200805173410
注文したわけでもないのに勝手に誤配達された食事を誤配達側が処理してくれと言われたことに対して納得できないというものだ。
ちなみに、私はオーストラリア在住だけど、生まれも育ちも日本で、日本人的な思考や感覚が染みついているせいか、この人に同意する。実際に、この人と同じように勇気を出して理不尽だと主張できるかどうかはわからないけれど。もし事実ならUber eatsはやっちゃダメなことやっちゃてるなーって直観的に感じる。
仕事柄、オーストラリアに住んでるいろんな文化的バックグラウンドをもつ人々と話す機会があるんだけど、おもしろいトピックだなと思って、周りのオーストラリア人にこの話をしたところ、「そんな細かいこといちいち気にするの!?」、「Uber eatsに電話したりするコスト考えたらそっちのほうが面倒だしバカじゃない?」、「その人、性格悪すぎ!」というようにみんなから驚かれた。
私はオーストラリアに住んでる人しか知らないので、アメリカやヨーロッパの人々がこの話にどういう反応をするのかわからないけれど、おそらく欧米圏で生まれ育った多くの人は同じような反応をするんじゃないかなと思う。実際、オーストラリアに住んでる欧米圏からの移民の人にも聞いたけど、同じような答えだった。
このUber eatsの話に対するオーストラリア人の反応はひとつの例に過ぎなくて、こっちに住んでると他にも日常生活のいろんな場面で、日本人と欧米人の正義や公正に対する感覚の違いを感じる。
たとえば、オーストラリアでは少額決済でもカード決済が主流だと思うんだけど、たまに現金で決済するとき、レジの人が細かいお金はお釣りとして渡さないときがまれにある。小銭なんだし面倒だし渡さなくてもいいよねという感じで。
オーストラリアにはチップの文化もないし、彼らがお釣りを持ち合わせていないわけでもない。なので、ちゃんと「私はお釣りが要ります」って言えば、しょうがねーなーという感じで渡してくれる。
つまり「面倒だし、そのくらいいいでしょ。」というのが彼らの常識的な感覚なんだと思う。そして、オーストラリア人の客も多くはそれを自然なこととして受け入れているようにみえる。
まぁ実際、小銭なんだからそのくらいあげてもいいし、もしここにチップの文化があったら小銭ぐらい渡すことはやぶさかではないんだけど、なんかもやもやするのはなんでだろう。Uber eatsの誤配達を自分で処理してくれと言われたことに納得できなかった人と同じように、同意してないのに勝手にされたことを不正義だと感じてしまうからだろうか。このもやもや感をいろんなオーストラリア人に伝えたんだけど誰からも理解や同意が得られなかった。日本人は正義や公正について敏感過ぎなんだろうか。
<追記>
いろんなコメントをいただいたので、いくつか返信してみたいと思う。
・オーストラリア人が寛容なんじゃなくて、オーストラリアのごみ捨てが楽なだけ➝オーストラリアといっても、日本と同様に、地域によってゴミの捨て方が異なるようなので一概には言えないみたいだけど、少なくとも私が住んでる地域では、一般ごみ、リサイクルごみ、植物の3つに分けられている。週に一度、回収車が来る日に合わせて、外にゴミ箱を置いておく。日本みたいにいろいろ細かく分別するってことはあんまりないんじゃないかな。なので、一般的には日本のほうがゴミ捨ては面倒だと私も思う。
・レジのお金合わなくなるのではというコメント➝私もいつも不思議に思っている。
・じゃあお金が少し足りないときでも、べつにいいよって言ってくれるの?➝そう言われてみて思い出したんだけど少し足りないときにべつにいいよって言われたことはあった。これがオーストラリア全土にわたる一般的傾向かどうかはわからない。
・「店員が釣り銭めんどくさいから渡さない」という話は正直驚愕モノ➝オーストラリアに来てすぐの頃はいろんな違いに私もよく驚いてた。
・日本人だから差別されてお釣りを返されなくてかわいそう➝身近な人に聞いただけなので、なんとも言えないけど、いわゆる白人のオーストラリア人でもお釣りを返されなかった経験があるとのこと。アジア人だから差別されたということではないように思う。
言いたかったことを伝えるための例が悪かったせいか、ゴミの捨て方が日本とオーストラリアで違うから反応が違うんじゃないってコメントが多かった。たしかに、それは一理あるかもしれないけど、この話はひとつの例えであって、オーストラリアでの生活のいろいろな場面で日々感じる違和感について言いたかった。
・「以前話題になったスジ論対量論の話が参考になる。 https://business.nikkei.com/atcl/opinion/16/041100064/052100004/ 」➝納得。「常に規範を重視し「こうあるべき」を目指す理念追求型の日本人、現状に即した臨機応変な合理性を重視する現実主義の中国人」。多くのオーストラリア人もこの中国人とだいたい同じように私には思える。教えてくれてありがとう。
この辺りはなかなか分かってもらえないと思うが、オンライン上だと日本みたいにガイジンとその他って区別はないっていうかそもそもガイジンって誰なんだ?て話である。英語が多数派なだけで、それがイギリス人なのかオーストラリア人なのかタイ人なのかスペイン人なのかコスタリカ人なのか、どこからがガイジンでどこからがナイジンなのか。たしかに拙い英語のpostはあって、ネイティブじゃないだろうなとは思うけど自分にとっていけてない創作を避ければいいだけでそれ以上でもそれ以下でもない。語学はグラデーションで、美麗な文章を書く人もいるしそうでない人もいる。増田は留学生や駐在を例に挙げたが、ああいうコミュニティの問題点はそこで固まって孤立することで、オンライン上で自分は英語圏のプラットフォームで他の日本人と自覚的につるんだことがないので、それと同じだと言われてもぴんとこない。
まあそれでも、お前がガイジンでアウトオブコミュニティなだけ、きっとガイジンの中では日本の女性向けみたいな忖度合戦があるに決まってるだろって言い張るなら仕方ないが...
あなたや家族やお友達が差別主義者の日本人に嫌がらせを受けて困っているのであれば、周囲の日本人に相談して助けを求めれば良い。
あなたの友達やご近所や職場の同僚の日本人は助けてくれるだろうし、私も相談を受けたならば助ける。
でも、日韓関係の政治については口を出さない方が良い。今ホットな、慰安婦や徴用工、日韓基本条約などは話題にしない方が良いということだ。どんな意見を持っていたとしても。
私がオーストラリアに住んでいた時、オーストラリア人と話していて唯一非常に不愉快に感じた(たぶん相手のオーストラリア人も不愉快に感じていた)話題が、日本の政策、というより捕鯨問題だった。
私の主張は、
「過去の日本のように南半球まで絶滅の危惧があるシロナガスクジラを捕りに行くのはダメだけど、日本の経済水域内で資源量が十分に回復した種類のクジラを捕るなら問題無いだろう? オーストラリアの漁師がロブスターを捕るのと同じように」
という物だった。
ここで私が鯨の資源回復の数字を挙げたように、相手も数字を挙げて反論してくれたなら、良いディベートになったのだと思うけど、オーストラリア人の言うことは、
「とにかく鯨は、牛や豚やロブスターやスポーツハンティングで遊びで狩っているシカなんかとは違うんだ、鯨は知性のある生き物で食べ物じゃなんだ」
(これも差別的な言い方だが)現場仕事帰りのオッチャンとバーで口喧嘩してるんじゃなくて、大学のカフェテリアでもコンピューター・サイエンスやカルチュラル・スタディーズの修士コースの学生相手の議論がこのレベル。
君たち専攻している学問で身に付けた論理や他文化理解のフレームワークはどこに置き忘れてきたんだよ! って絶望的な気分に何度もなった。
普段は気さくで朗らかで本当に「良い人たち」としか言いようが無いオーストラリア人たちの顔が捕鯨の議論をしている時だけは相当にうんざりした表情になっていて、相手も私の話の通じなさに絶望しているのが見えて辛かった。
話が私の自分語りに偏っちゃったけど、あなたが韓国政府の主張を擁護する立場で政治を話題にしたならば、少しは日韓関係の知識を仕入れている日本人の多くから、まるで話が通じないと思われる危険がある。
逆にあなたが文政権に批判的な「保守派」の韓国人だったとしても、わざわざ日本政府の見解を支持するような旗幟鮮明を日本人に対してする必要も無い。
あなたは在日の代表でも韓国政府の代弁者でも無いのだから、ただただ自分や家族や友人が受けている具体的なハラスメントについてだけ、困っている、助けて欲しい、と訴えて平穏な暮らしを得るために行動すべきだ。
オーストラリア人が一番うるさいのはそれもあるんだろうな。
世界中で進む同性婚の合法化の潮流。日本でも同性パートナー制度が各地の地方自治体で制定され、遂には大阪市という第2の都市までもが同性カップルを認めるまでになっています。
しかし、安倍首相とも繋がりの深い極右団体「頑張れ日本!全国行動委員会」やカルトの「統一教会」、
産経新聞などを筆頭に、同性愛嫌悪(ホモフォビア)を丸出しにして攻撃を加える勢力も存在していました。
もちろんこうした同性愛嫌悪はもちろん日本だけに存在しているわけではなく、世界中で問題となっています。
こうした中でオーストラリアのクイーンズランド大学の研究者らは知能と同性カップルへの態度の関連を調べました。
この研究はIQの低さと同性愛嫌悪や人種差別との関連性を調べた先行研究を踏まえたもので、ジャーナル「Intelligence」に掲載されています。
研究を主導したFrancisco Perales博士は「重要で普遍的な主題であるにもかかわらず、
これまで認知能力とLGBT問題との関連性に特化した研究はほとんどなされてこなかった」と指摘しています。
この研究は11564人のオーストラリア人を対象としており、研究者らはIncome and Labour Dynamics in Australia(HILDA)が行った調査を分析しています。
2012年のHILDAの調査では認知能力を査定しており、また2015年の調査では対象に平等の権利についての質問を行っています。
今でも友達なのは、カナダ人、イギリス人、イタリア人、ドイツ人、タイ人、中国人、台湾人
あまり歓迎しない同僚は、アメリカ人、フランス人。いい奴もいるんだけど、メンタルマッチョのスノッブすぎて疲れる。
中国人は、気が強いけど、そんなに日本人との差は感じなかった。