はてなキーワード: エンジニアリングとは
科学っていうか工学の領域だから。社会においてリアルな問題として立ち上がるときに「科学」と呼ばれるものは。
原発(事故対応)は言うまでもなく核物理学だけでなく広範な分野に跨がるエンジニアリングの複合体。
抜き身の科学の原則を振りかざすことに意味があるという機会はそうないだろう。
それなのに、この世に純粋科学とそれ以外のゴチャゴチャしたおまじないしかないかのように「本来の科学的な姿勢とは〜」とか語る奴は学者馬鹿というか端的にモグリなんだろう。ガチなサイエンティストは嫌でも娑婆世間のリアルを相手に苦労を重ねているはず。
■「工学も科学だ」んなこた誰でもわかっとるわ。書き方が不十分だったかもしらんが。
科学全体の中の、現在進行形の社会との界面にある工学のレイヤー、政治や倫理が嵌入してくるその入り組んだシーンで起きてる問題において
基層から直接、基礎科学のプロトコルの断片を掬い上げてきて水戸黄門の印籠よろしくかざすことはなにか生産的ですか、ときに原理原則に立ち返ることの必要をいうなら「やれやれ、これだから一般人は」じゃなくインターフェース部分の科学コミュニケーションを本気で頑張らないと自己満足したいだけの説教バカかと疑われますよ
■「科学は当為を〜そうなの?」科学はまあなんのためというかそれ自体のために存在するとして、工学は人を幸せにしてなんぼなんだから当然そうだと思ってるけど?
アマプラで無料の『世界を変えたテレビゲーム戦争』を観てたら、
No way. We are engineers. We don't know anything about manufacturing.
(とんでもない。僕たちはエンジニアであって、製造業のことなんて何も知らないんだから)
というセリフが出ててきた。
これは、アタリ設立前のノーラン・ブッシュネルが、『Pong』の成功を受けて仲間のエンジニアに
「(Pong を大量生産するため)製造業に乗り出そうよ」と提案したのにたいする返事なんだけど、
「頭脳労働であるエンジニアリングと、手作業としての製造業をハッキリ区別してるんだ」と思ってハッとした。
というのも、日本だとエンジニアは作業服を着て仕事してるイメージがあったから(特に60~80年代は)。
作業服は無意識レベルで「あなたは油汚れや工作機械の操作が想定される現場にいますよ」
というメッセージを伝達するから、そういう価値観・世界観なんですよね?きっと。
一方、英語のマニュファクチャーの「マニュ」は「手の」に由来するから、
雇用主の「手先」となって肉体労働をする工場労働者と(現代日本では社畜と言い換えて差し支えない)
机上で設計作業を行うエンジニアを区別したくなるのかもしれない。無意識的に…
【追記】
余談だけど、リドスコの映画『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』では、
最近、pixivにアップされてる、絵師さんたちがAIに出力させた作品群で抜いてるんですよ。
AVだと局部が見えちゃってるのと、男優が映ってて没入できないので、グラビアアイドルのIVで抜く生活をずっと続けてきたんですよね。アニメとかイラストでも没入感がなくてだめ。もう10代の頃からずっと。
それでも、性癖にビシッと合う作品なんてないものだから、最大公約数的な性的興奮で対処してきたわけですよ。
それが、最近はAI技術の進歩で、ありとあらゆる性癖に向けた、レベルも解像度も高い作品が次々にアップされるようになってきたんですよね。
自分は体格のいい女性に物理的にも精神的にも見下されるのが最高に興奮する性癖なんですけど、それを満たしてくれるAVもIVもなかったんですよ。あったとしても、「う~んもう少しこういう女性だったらな…」とか「こういうシチュが欲しいんだよな…」みたいな些細な不満があって、まあそんなに理想の作品なんて無いわけで、ある程度興奮できればよしとしてきたんです。みなさんそうですよね。
ところが、AIの出力したイラストだと、性癖ドンピシャのものがゴロゴロ出てくる。しかもぱっと見リアルと見紛うような解像度とリアル度だから、もう迷うことなく絶頂を迎えることができるんです。
妥協した作品で抜いてしまうと、事後に「どうしてこんなもので興奮してしまったのか…」と自責の念が湧き上がってくるのに対して、性癖にぴたり合ったものだと、事後でも「いやこれは興奮するでしょ…」となって、全然落ち込まないから、気分が全然違うんですよね。まるで、パートナーとS○Xした後のような、心身ともに満たされる感覚。
しかも、子どもは二人までにしようと妻と話し合っていて、二人目の子どもが2月に生まれて、その子の育児真っ最中なので、言ってみたら自分の生殖機能はもうあってもなくてもみたいなものなので、「精子を無駄にしちゃった…」という背徳感にも襲われないのも大きいと思う。
ここまで来たら、後は自分がプロンプトを書けるようになれば好みのイラストを出力できるわけだから、さらにこの道を究められるかもしれない。そのためだけにPythonやプロンプトエンジニアリングを勉強してみようかとも思ってる。
プログラミングやエンジニアリングなんていう狭い話じゃなくて、
元々俺が言っているのは、働かざる者食うべからずと同レベルって話なんよ。
その枠で考えるなら、プログラミング適正があって吹き上がってるやつらって、嫁自慢するようなやつらよ。
自分は学校でコンピューターサイエンスを修めてないし、新卒で就職もしてない野良犬みたいな経歴です。しょうもないアラサーです。
Fラン大学の文系を出て、理由もなく2年ニート、その後はバイトからはじめて、小さいソフトハウスに入るもパワハラで1年くらいで退職しました。
その後は夜中にサーバーを再起動するIT土方をしていました。月の手取りは15万で何もできなかった。
その時にコロナでの案件崩壊と自宅待機が来ました。暇で仕方なかったので、流行りのクラウドの資格をいくつか取り、しょうもないSIerに転職。
毎日やることは、しょうもないエクセル方眼紙にスクショを貼り付けたり、全力でセルを結合することなどです。
他には、技術がわからないプロジェクトマネージャに、画面共有で5000文字くらいある設計書を半日かけて説明して、得られたものは句読点をずらすことだけだった時は、耳鳴りとめまいがしました。
しかしながら、自分も技術はわかる方じゃなかったので、大流行のクラウドの資格や、国家資格とかも暇つぶしで取って、ちょっとわかるようにしました。
また、知識だけじゃどうしようもないので、慣れないGitHubを使ってOSSにコントリビュートとかもしてみました。ただのGood First Issueのバグ潰しでしたが。
こういうことをしても大して給料も上がらず、会議中にAPEXの音がするプロジェクトマネージャの方が評価が高かったのは虚無でした。
彼のAPEXの音をBGMに、転職サイトへとスムーズに登録し、外資系のコンサルに転職してみました。ここはいわゆるBIG4というところです。アーキテクトをすることになりました。
初め、貸与されたPCがMacだったので、外資はいいぞと思ったのですが、MacでやることはWindowsのVDIに繋いでパワーポイントのピクセルずらし、論点のない会議ばかりでした。
当たり前のようにコードは書けず、日々Office製品をいじり、顧客の社内政治に巻き込まれながら、毎日7時から0時まで働きました。管理職はいつ寝てるのかわからない。
外資なのに社内のワークフローは日系企業並みに複雑、裁量はあるが、そもそもの仕事量が多すぎるので実際ありませんでした。無駄にLGBTや環境への配慮の研修が多かったです。
結局ここも前職のSIerの仕事を煮詰めただけで、ストレスは上がるばかりだったので、すぐにやめました。給料は爆増したが、色々と失うものがありそうでした。
ここまでで、エンジニアリングにおいて邪魔なものが顧客だということがわかったので、次はB to Cの会社の事業部のエンジニアになりました。給料は前職据え置き。
今の所たくさんコードがかけて、割と幸せです。この会社に入ってからOffice製品は一切触ってません、あれが悪いわけではないのですが、物には適切な使い方というものがある気がします。
今思うと、自分はものづくりが好きなだけで、顧客の課題解決には全く興味がなかったと思います。昔は技術的なコンサルティングや技術営業などもやりましたが、作った後は金の切れ目が縁の切れ目で、作ったものがどう動いてるかは全くわからなかった。
また、前職と違い、事業部のエンジニアは基本的に技術力がある人しかいないので、頑張ってきたつもりの自分でも毎日不足を感じています。しかもみなさん若いので尚更焦る。
ポリコレばか女に潰された
2018年、『ネイチャー ナノテクノロジー』誌は、「レナ」を使用した論文は査読しないと発表した[20]。同年、『オプティカル・エンジニアリング(英語版)』誌を発行する国際光工学会(SPIE)も、「レナ」画像の使用を控え、その使用を正当化する説得力のある科学的理由がない場合は「レナ」画像を含む新規投稿を査読しないと発表した[21]。『オプティカル・エンジニアリング』は、1991年7月号の表紙にこの画像を掲載していたため、『プレイボーイ』から著作権侵害の可能性を指摘されていた[11]。
レナ・ソーダバーグ本人は、2019年11月に北米で公開された『Losing Lena』という「レナ」画像の使用の中止を呼びかける短編ドキュメンタリー[22]の中で、「私はずっと前にモデルを引退しました。そろそろ技術からも引退したいと思います」と語っている[23]。一方で、同年1月のインタビューでは、より良い報酬を得られれば良かったと思いつつも「あの写真をとても誇りに思っている」と語っている[13]。
有望なスタートアップに入社して、事業を伸ばして、上場したい。ストックオプションを使ってお金持ちになりたい。
そんな考えはもう古い。
勢いのないスタートアップとは、資金調達のニュースが結構前に出たきりあまり露出がなく、社員数も増えていない、停滞していそうなスタートアップのことである。
私は歴10年ちょっとの中堅もとい中年エンジニアなのだが、エンジニアとしての実力は贔屓目に見ても中の下程度だ。
しかし、勢いのないスタートアップでは私のような凡庸な人間であってもとても重宝される。
勢いのないスタートアップの経営陣は能力が高くなく、すごい社員もあんまりいない。
みんなすごくないから、黙々とほどほどに仕事をしているだけで貢献を認めてもらえる。
つよつよエンジニアがすごいスピードで開発しているのを見て劣等感を感じることはないし、よくわからないエンジニアリング議論を浴びせられることもない。
勢いのないスタートアップは知名度がなく採用競争力も弱いため、エンジニアに対してとっても優しい。
万に一つも辞められたくないからか、ガラス細工のように扱ってくれる。
ツーブロックなゴリゴリ営業がとってきたよくわからない案件に巻き込まれることはないし、上の人が勝手に引いた謎スケジュールのために残業させられることもない。
勢いのないスタートアップに転職してから、自己肯定感が高くなり、体調も良くなった。
転職時に年収も100万くらいあがったし、入社してからもなぜか50万くらいあがった。
「謙遜してるだけで実はちゃんと実力があるんでしょ?」と思われてしまうかもしれないが、本当にそんなことはない。
私は今までコピペとググり力でなんか雰囲気で開発をしてきただけのエンジニアなので、本当に中の下だ。
中の下というのも言いすぎなくらいで、下の上か、下の中かもしれない。
最近少し開発スピードが早くなったと言われたが、その理由もChatGPTが登場してくれたからだ。
ChatGPTのおかげでググる時間が減り、コピペがとても捗っている。
話が横道に逸れたが、私のようななんちゃってエンジニアレベルの人間にはぜひ勢いのないスタートアップへの転職を勧めたい。
これからもずっと勢いのないままでいてください。
もちろん、プログラミング経験がない57歳の日本人女性でもOpenAIのエンジニアになることは可能です。年齢や性別、国籍に関係なく、プログラミングやエンジニアリングのスキルを学び、習得することは誰にでも可能です。
OpenAIエンジニアになるためには、以下のようなステップを考慮することが重要です。
1.プログラミングの基礎を学ぶ: プログラミングの基本的な概念や言語を学ぶことから始めましょう。Pythonなどの初心者に適した言語を選ぶことが一般的です。オンラインの無料コースや教材を利用することができます。
2.エンジニアリングの概念を学ぶ: プログラミングだけでなく、ソフトウェアエンジニアリングの基本的な概念も学びましょう。アルゴリズム、データ構造、ソフトウェア設計などについての知識が役立ちます。
3.プロジェクトを作成する: 学んだスキルを実践するために、小さなプロジェクトを作成してみましょう。自分のアイデアを形にすることで、より実践的な経験を積むことができます。
4.オンラインのコミュニティに参加する: プログラミングやエンジニアリングのコミュニティに参加し、他の開発者と交流することで、学びやサポートを受けることができます。質問をしたり、助言を求めたりすることができます。
5.関連するスキルを学ぶ: OpenAIのエンジニアになるためには、機械学習や自然言語処理など、関連するスキルも重要です。これらの分野について学び、実践的なプロジェクトを行うことで、知識と経験を深めることができます。
6の途中で止まってしまった。俺もまだまだだな。
最近、ピクシブにアップされてる、AIが生成した作品群で抜いてるんですよ。
AVだと局部が見えちゃってるのと、男優が映ってて没入できないので、グラビアアイドルのIVで抜く生活をずっと続けてきた。アニメとかイラストでも没入感がなくてだめ。もう10代の頃からずっと。
それでも、性癖にビシッと合う作品なんてないものだから、最大公約数的な性的興奮で対処してきたわけですよ。
それが、最近はAI技術の進歩で、ありとあらゆる性癖に向けた、レベルも解像度も高い作品が次々にアップされるようになってきたんですよね。
自分は体格のいい女性に物理的にも精神的にも見下されるのが最高に興奮する性癖なんですけど、それを満たしてくれるAVもIVもなかったんですよ。あったとしても、「う~んもう少しこういう女性だったらな…」とか「こういうシチュが欲しいんだよな…」みたいな些細な不満があって、まあそんなに理想の作品なんて無いわけで、ある程度興奮できればよしとしてきたんです。みなさんそうですよね。
ところが、AIの出力したイラストだと、性癖ドンピシャのものがゴロゴロ出てくる。しかもぱっと見リアルと見紛うような解像度とリアル度だから、もう迷うことなく絶頂を迎えることができるんです。
妥協した作品で抜いてしまうと、事後に「どうしてこんなもので興奮してしまったのか…」と自責の念が湧き上がってくるのに対して、性癖にぴたり合ったものだと、事後でも「いやこれは興奮するでしょ…」となって、全然落ち込まないから、気分が全然違うんですよね。まるで、パートナーとS○Xした後のような、心身ともに満たされる感覚。
しかも、子どもは二人までにしようと妻と話し合っていて、二人目の子どもが2月に生まれて、その子の育児真っ最中なので、言ってみたら自分の生殖機能はもうあってもなくてもみたいなものなので、「精子を無駄にしちゃった…」という背徳感にも襲われないのも大きいと思う。
ここまで来たら、後は自分がプロンプトを書けるようになれば好みのイラストを出力できるわけだから、さらにこの道を究められるかもしれない。そのためだけにPythonやプロンプトエンジニアリングを勉強してみようかとも思ってる。
そこそこのWeb企業が基本的に経験者しか採用しないことについて、教育コストを他に転嫁しているとか、IT業界が先細りする行為で未来を潰しているみたいな言い方をされているときがある。
自分もこれについて課題意識はあって、ここ数年Web企業での採用活動と実際の業務に関わりながら、色々考えたので少しまとめてみたい。
ここではいわゆるキャリア採用ではなく、新卒採用やポテンシャル採用の話をしていると前置きしておく。
Web企業でよく求められるスキルは以下の3つだが、これを満たすような人材はもれなく経験者である。
この3つの条件とそれを満たす応募者について、この記事では以下の様に呼称する。
当然レベル4以上はそう多くなく、それを求める企業では応募者のほとんどは書類選考で落とされてしまう。それでも毎年雇いたいレベルの人が来る(来てもらえるように色々やっている)ような企業ではこの採用基準を下げる意味はないため、いわゆる「経験者しか採らない」と言われる状態になる。
一方で世の中はそんな人気企業ばかりではない。それらの企業ではこの基準を落とすのだろうか?自分の感覚としては「一部を諦める」みたいになっていると感じる。つまり、チーム開発の経験はないとか、自社では使ってない言語の経験しかないとか、コンピュータサイエンスはよく分からないなどを許容するという方式になっていそうだ。よってレベル3以上あたりを狙って、レベル2~4くらいのグラデーションで採用する。
よって、本当の未経験者がWeb企業を受けるためにはまず最低レベル2、できればレベル3に到達する必要がある。そこまでしてようやく「面接に到達する資格がある」という状態であり、おそらく有名な企業では軒並み一次面接で落とされてしまう。
一方で満たしている人は本当に全部満たした上でプラスアルファが多数あるみたいな状態で、多数の有名企業の内定を取って手のひらで転がして悩んでいる。
このような一部の外れ値のような人はどんどん内定を取るが最終的に選ぶのは一社なので、それ以外の企業は内定辞退され辞退率が上がる。すると「それなりに合格は出しているのに人は足りない」みたいな状況になってしまう。
自分は応募者に基本的にレベル4以上を求めている。これは教育に対して年単位で割いているほどの余裕がなく、教育を施しても難しい問題を解決する能力が身につかない可能性のある人を採用段階で落とすことで「当たりを引く確率を上げる」ためである(誤解の無いように言っておくと、単に既にできる人は更に色々と(しかも早く)できるようになる可能性が高いというだけで、レベル4未満は絶対ダメとかそういう話ではない)。
今の会社では新卒であっても入社後半年もすれば手取り足取り教える段階ではなく、社内で自走していけるようになっていると感じる。
これが健全でないと言われればそうであろうと思う。
コンピュータの世界は恐ろしいほどに親の資本力に左右される。レベル4以上の人は早ければ中高生の頃からコンピュータと関わりがあり(自分専用のPCがある、部活動で触る、地域の習い事で……etc)、更に大学に進学して関連分野を学んでいる。これを親の資本力と関わりないと言うのは難しい。
更に地方よりも都会の方が、コミュニティの発達においても、そこに集まってくる人材のレベルについても圧倒的に勝ると学生時代に感じていた。これも当然都心に住居を構える/一人暮らしさせられる親の資本力とは切っても切れない関係にあるだろう。
レベル2くらいに到達することは全くの未経験からでも十分可能である。例えばJava・JavaScript・PHP・Ruby……なんでもいいので一つ選んでちゃんと勉強し、いくつもプロダクトを作ってみればよい。現代ではこれはPCが一台あればできる。動画講座も安価で手に入るし、大抵のことは検索すれば出てくるし、Twitterにいるエンジニアはみんな教えたがりだし、ChatGPTだってある。PC自体もそんな高価な物ではなく、中古で買えるやっすいThinkPadで十分できる。
しかしレベル2~レベル4までの間の壁があまりにも高い。コンピュータサイエンスの広範な知識を身につけるには基本的に大学に行くのが一番コスパが良いと思っているが、誰しもが大学に通える経済力を持つわけではない。チーム開発はやはりどこかのコミュニティに参入できないと難しい。手っ取り早いのは企業のバイトで雇われることだが、これは鶏と卵問題だ。
本来ここの教育は企業が担うべきではなかったか?そういう意識が学生時代から漠然と自分の中にあった。これをやらずに、レベル4以上しか採用しませんというのは他のどこかに教育コストを押し付けていたり、更なる格差拡大に繋がっているのではないかという後ろめたさを感じていた。
企業に入ってもまだしばらくは上記の意識を引きずっていたが、最近は別の考えになってきつつある。
まず、Web企業の使う技術は割とオープンになっていることが多く、隠すインセンティブがあまりないため、企業間での教育はおそらくかなり共通化できる。企業内に囲い込んでから教育を施す意味があまりなく、入る前から知っているという人も多い(Web企業の研修が知っていることばかりでつまらないと思った人も多いのでは無いか)。
これを実現する一つの手段として、入社前の広い母集団に対して何かしらの形で援助を行っていることが多い。例えば以下の様なものだ。
これらは広義の教育であると考え始めた。それらの中で企業はスポンサーセッションなどを通して採用枠をアピールするし、実際それ経由で就職する人も居る。
もちろん支援企業に就職しない人の方が多いが、最終的にどこかWeb企業に入ってくれるなら、これはWeb業界全体で人材教育を行っていると言えないだろうか。
次に、大変残念な現状として「学生時代から触れているのにいまいち地力が伸びていない人」とか「そもそも触れていない人」がその後ぐっと伸びるという事例はかなりレアだと感じる。つまり、未経験ですが頑張りたいです!という人を雇っても伸びず、「これくらいやっています」という人は更に伸びるという(ある意味当たり前の)現実がそこにある。
故に先に挙げた広い範囲での教育を進めていくと、選考よりも前の段階でたくさんの機会をどんどん与えていくことになり、自然と「やったがあまりうまく行かなかった人」とか「機会はあったがやらなかった人」がどんどん可視化されていく。すると選考の段階では今後も投資の価値がある可能性の高い人材が自ずと絞れてしまい、経験者のみが採用されていく状態になるのではないだろうか。
自分はこういったことを考えているうちに、積極的に未経験を雇って教育するよりも、選考よりずっと前の段階から様々な教育機会を提供していく方がお互いにとって幸せなのではないだろうかと思うようになった。
学生は自分の興味ある方向にスキルを伸ばしてそれがマッチする企業を選べば良いし、企業はある程度既存社員を使った教育コストを下げつつ優秀な社員を雇えるようになる。そもそも選考前の段階でエンジニアリング楽しくないなと思う人は素直に向いていないので、参入するのを辞めたほうがよい。
さっき言ったような教育への投資はまだまだ経済的に豊かでない層に届きづらい現実があるように感じている。
実際に自分が大学院時代に奨学金を探すと、地方メーカーが自社への就職を前提に出している奨学金などが多く、国から借りる以外にはあまり選択肢がなかった。
もっと広く機会を提供できると良いなと思っているし、奨学金とかは(下手な条件を付けなければ)かなりフラットな教育への投資であると思うので、企業が給付型奨学金を実施することに対してもっと何らかのインセンティブを付けられないだろうか。
また、イベントやコミュニティはどうしても都心に偏りがちで、地方では開催されなかったりWeb企業の影が薄かったりする。これも年に1回とか2回とかでいいので地方のコミュニティと何かやって、細々とした縁を持てるようにしていけないだろうか。
https://blog.tinect.jp/?p=81116
要は家庭運営は「プロジェクト」であるのだから適切なプロジェクト運営を行う必要がある、という趣旨で内容については概ね同意ではあるのだが、これを実践しようとするには大きな問題がある。
普通の人は「プロジェクトマネージメント」なんてできないのだ。
私はいろいろな会社の小さめのプロジェクトに参加して開発を請け負うエンジニアなのだが、まともなプロジェクト責任者に当たるのは20%もない。
ここでいう「まともな」というのは、
という、プロジェクトマネージメントを行うにあたっての最低限のスキルがある人である。
もちろん優秀な人が集まる大企業であれば多くの人が簡単にこなせるだろうが、私が参加するような中小企業にいるような人たちには難しいのだ。
つまり、「夫婦の人生というプロジェクト」において、プロジェクトマネージメント的な方法を用いて適切な運営を行おうとしても、なかなかに難しい話なのである。
そして更に大きな問題が1つある。
誰かが明確なプロジェクトの責任者であるなら、モチベの管理はその人の責任ですけれど、家庭運営というプロジェクトで「主従」があるべきではない
これはその通りなのだが、人生というプロジェクトにおいて最も大変と言える子育ての初期はそうもいかない。
相対的に妻が家庭運営にかけられる時間が多く、それにより知識の差もできてしまい、結果として妻側がマネージャー、夫側が指示を受ける側、という立場にならざるを得ないのだ。
そして妻側にプロジェクトマネージメントの経験がない場合に、プロジェクトが崩壊へと向かってしまう。
初産の年齢でなんらかのプロジェクトのマネージメント経験がある女性がどれだけいるかを考えれば、多くの家庭が機能不全に陥ってしまうのは想像に難くないだろう。
まずは、妻の方がマネージャーとならざるを得ない状況が大きな問題なのであるから、夫も妻と同等かそれ以上の時間を家庭運営に割けるように、育休を妻と同期間かそれ以上の期間取得すれば良いのだ。
これはとても簡単な話だ。
次に、それができたとしても若い夫婦にはそもそもプロジェクト運営は困難だ。
それを解決するにはエンジニアリングの世界からヒントを持ってこよう。
ソフトウェアエンジニアの世界には「ペアプログラミング」というものがある。
ソフトウェア開発をペアになって行うのだ。一人がコードを書き、一人がナビゲーターとしてサポートする。
一見すると一人しかコードを書いていないため作業が遅くなるように思われるが、二人がそれぞれコードを書くよりも開発が早く進む場合が多い。
これはペアで作業を行うことで、ミスを発見しやすくなる、知識を共有する時間が不要となる、チームワークが向上する、といったメリットがあるからだ。
家庭運営でも同じことをすれば良い。
まずは全ての作業を一緒にやるのだ。
分担するのは全体感の把握と個別作業の理解が十分にできてからで良い。
ネットの書き込みを見ると「夫はこの程度のこともちゃんとできない」という愚痴をよく見る。
「こんなこともわからないのか」と責めるようなマネージメントのアンチパターンではすぐに無能な夫が出来上がってしまうので、そうではなくて「一緒にやろう」と声をかけて、何度か作業を見てもらって、その後実際にやってもらって、それで何回かすれば期待する作業をやってもらえるようになるだろう。
逆に、「何か手伝うとすぐに怒る妻」には「ちゃんとやりたいからまずやり方を見せて」「今度は俺がやるから見てて」というコミュニケーションをすれば良い。
日本の多くの家庭は話し合いの場を持つということすら苦手だと思うので、この「一緒にやってみてそれから分担を考える」というプロセスは導入しやすい。
これから子供が生まれる家庭で、夫婦共にプロジェクトマネージメントのプロフェッショナルでない場合は、「育休を取る」「家事はペアプロ」この2つだけはぜひ覚えておいてほしい。