はてなキーワード: エホバとは
こちらを読んでうなづけるものがあった。たしかに免疫がないので手練に勧誘された時に、はたして自分がしっかり対応できるのかと不安になる。
https://togetter.com/li/1914405
今までずっと親が変な宗教にハマったりしたら怖いなくらいにしか思ってなかったけど、考えてみたらそもそも勧誘なんて全然されたこともないし(宗教絡みだと子供の頃エホバの人が家に来たことくらい)
20~30代の頃は色んなことに夢中になって充実していたのであまり隙はなかったように思う。
でもここ最近はというと人とのつながりも希薄になったし、以前より夢中になることはだいぶ減ったし、なにか趣味でも持たないとなあとぼんやり思ったりして
仕事も惰性でまあなんとかやれてるうちはいいかとか、わりと心の中は退屈だったり、一番大きいのは人に対して優しくなってきてしまったというか、
昔は他人の気持ちを推し量るとか全然できなかったのに、そして今もできてるとは言えないんだがやたら相手の気持ちになってみようとしてしまったりして、
相手を許容しようとか、なんか綺麗事のような感じで良い人でありたいという気持ちがどんどん強くなってしまっている。
恐らくだが、怪しい商売や宗教みたいなのはこういう気持ちもうまく利用して勧誘してくるとこがあるんじゃないかと思っている。
例えば興味本位で関心を持ったとしても、自分はお金はないしケチなので、最終的にお金の話が出たところで一気に冷めるはずと思ってはいるんだけど、
そこも時間をかけて人間関係とか作られていったりしたら、自分の居場所ができたような帰属意識みたいなのできてしまったら、残りの人生はそれで充実するならそれもいいかとか、思ってしまう可能性はないとは言い切れない。
自分本位に生きてきたから基本的に根っこのとこでは自分しか信じてこなかった。だから騙されてる人とかなんでわからないんだろうと思ってたけど、そういう人間こそいざ自分が弱った時にコロっと騙されてしまうのではないか。
自分としてはとにかくあの手この手でお金を取ろうとしてくるとこは全部おかしいと思っているし、お金を取らないなら別に宗教とか好きにすればいいと思っているんだけど、それも極端だろうか。
なんでキリスト教やイスラム教はLGBTを差別してても男尊女卑でも性的虐待が起きても信教の自由、文化の自由として尊重されるのに、
オウム真理教やエホバや幸福の科学はカルト、キチガイ扱いされて白い目で見られるんだよ。
むしろ前者だってそんなに尊重する必要ないだろと言ってるんだよ。
キリスト教やイスラム教だってそのせいで戦争が起こったり、LGBTが差別されたり、性的虐待が起きたり、碌なもんじゃないだろ。
イエス・キリストが処刑されたのだって、きっと当時の人々から見れば麻原彰晃と同じように見えていたんだと思う。
宗教なんて個人の趣味・思想と同じなんだからいちいちそんなに尊重しなくていい。キリスト教イスラム教の教えより当たり前にLGBTの権利が大事だし、女は土俵に上がってはいけないこの山に登ってはいけないとかも意味わからない。
そりゃ恥ずかしいかもしれんが、命には替えられないって人が多数派だろう。
いないならいないでこの話は終わりだし、いるならちゃんとアピールしないとダメなんじゃないか。
もしいたとして、の話をするんだけども。我々ふつうの人間は、恥より命のほうが大事です。
いろんなマイノリティの権利が大事なのはわかるんだが「いのちをだいじにしましょう」っていうのは基本的な社会の合意じゃないですか。
「人を殺す権利をください」って言われても「さすがにそれはちょっと」ってなるでしょ。
人の命を救うことにNOを突きつける権利は、人の命を奪う権利とかなり近いところにあると思うんだけどどうですかね。
エホバの人が自分への輸血拒否するの別に良いと思うのよ。これは死ぬ権利。
でも子供への輸血を拒否したり、万人に輸血可否を問うまで輸血させない権利はちょっと認め難いよな。
一刻を争うときにそんな悠長なことをやっていて助かる命が助からなかったら、その責任なんかとれないよね。
AEDもそういうことで。
だから肌を見られるくらいなら死ぬっていう思想も個人の範囲に収まるならアリだと思うんだよね。
でもやっぱりそれはなかなか想像しづらいことだからさ。意思表示をしないといけないよね。
例えばだけど、鍵がないと外せない鉄のブラを使うとかさ。
まあちょっと日常生活に支障があるだろうから、そういう意匠のマークを作って広めるとかさ。
ちょっとカッコよくない?鉄ブラ団。カッコよくないか。そうか。一応わたしはマジメに話をしてるんだよ。
まあ恥ずかしい以外にも何かしら呪術的な理由でAEDに忌避感を持つ人もいないとは限らないし。
https://ameblo.jp/lawyertanaka/entry-12724692878.html
「今はただしばらく眠り,また元の世界に戻るだけ」(第3編引用)と本気で信じている人達なんだから、
ほーんと仮に本気でそんなことを思っていたのなら、
あー死んだね、また今生きているのとまったく同様の姿かたちで復活できたんだろうね、で終わりではないの?
>「そもそもそういう医師と普段から連携していてそうした医師を紹介できると,あなたたちは普段から公言してるんじゃないんですか?」
等々と批判をしても、教義に従って生きてたら復活するでしょ何怒ってんの、究極にはそれくらいしか思わないと考えるけどね。
勿論ではあるが、死にはしないが治療をしないと著しい苦痛が伴う傷病について、
輸血拒否、は有名だし知っている。 うちの父の知り合いは手術の前に自分の血液を増やす薬を使ってそれを貯めておいて手術の時に使うというやつをやったらしいんだけどエホバのひとはそれもだめなのか?
「エホバの信者の皆さん!エホバの信者の手術でお困りの医療機関の皆さん!私に任せてください!」てM医師は言ってたそうだ。別件でテレビにもよく出ていたし、外れ値レベルで自己顕示欲が発達していたのかもしれない。
仏教系なら「すいません、うちエホバなんです」って言うて、キリスト系なら「学会なんです」って言う。そしたら、ああ、そうなんですね、すみませんと帰っていかはる。
家庭教師の勧誘電話には「私の父が教師」、新聞の勧誘は「学会なんです」再登場。
こういう嘘つくと電話ガチャンと切られたりしないし、すぐ引き下がりはる。あと、だんだん楽しくなってくる。
何かほかにある?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/lawyertanaka/
のブコメがあまりに医療現場の感覚と乖離してて、はてブのブコメが本記事から受けた感情に流されて
ろくに背景や問題点も考慮せず言いっぱなしの考え無し脳無しブコメばかりになるのはいつもの事だが、
・医療現場では命を救うのが最優先で、日々それを目的としてみな仕事してる。
・宗教や精神的な充足を求めるなら病院ではないところでやって。病院は疾患を治す所なので。
・たとえ法的に問題ない自己決定権の行使だとしても、「助けられたのに死なせた」て心にしこりが残るの。クビつってもがいてる自殺志願者が目の前にいて自分の手にロープを切れるハサミがあるとき、みんな平気でハサミ使わず死ぬのを眺められる?輸血無しで体を切るって、そのレベルだよ。
・無輸血は完全な無作為ではない。その前に医師が体を切って出血させてるのだから、トロッコ問題のような降って湧いた厄災に対する選択とは違う。切らなければ出血せず、切ったのは執刀医なのだから、半分作為で半分無作為という感覚。
・高齢だから尊厳死に近いてブコメがあったが、高齢を理由に尊厳死は認められてねーよ。高齢を理由に死にたがってる患者の生命維持装置を止めたら単なる自殺幇助、場合によっては殺人罪だよ。尊厳死の厳しい条件わかってんのか。
・無輸血希望者へのガイドラインは各病院が整備してるが、「本人希望に関わらず生命維持に必要になれば輸血すると説明し、それに同意できないなら転院を勧告する(緊急輸血に同意しないとオペしない)」が多い。要は無輸血やってくれる病院を自分で探して出てけ、と厄介払い。ほんと手間も職員の心労もかかって厄介なの。
・転院させる余裕がない急患は「無輸血のせいで死んでも病院のせいにしない」という免責同意書にサインさせて無輸血でオペやるしかないが(輸血して助かったあと訴えてきたら病院が負けるからな)、こんな死なせる同意書なんて誰も取りたくないし、普通にやれば助けられるのに制限のせいで死なせる可能性の高いオペ担当したくねーよ。関わる職員の心理的負担考えてる?だから来てほしくない。みんな助けるために働いてんだから。
・もし大量出血しても輸血で対処できるいつものオペと、大量出血したらほぼ確実にアウトというオペは、精神的負荷が違う。患部だけに集中できない。通常なら対処法がある稀によく起きるアクシデントに対して、対処法が使えない縛りプレイを強要されてる状態。
・成人してる本人やその子息が無輸血を希望してても、死後に親戚や他の兄弟子息といった遺族から「やるべき医療をしないから死なせた」と訴訟されるリスクが怖い。
・無輸血に同意してた遺族が死後に気が変わって「本人が何を言おうが医療者として標準医療(輸血)で救命すべきだった」と訴えてくるリスクもある。(他の病院で実例がある)
・仮に訴訟されたとして負ける事はないが、院内で報告書や答弁書をつくるための調査対応にかかる手間と時間、弁護士費用(顧問はいるが訴訟対応は別費用)がかかる。勝訴しても原告からその費用はとれない。
・民事訴訟や刑事告発まで行かなくても、死後に感情的になった遺族から「本当に全力を尽くしたのか!(無輸血なんだから尽くせてねーよ)」「大量出血が死因なら、なぜ出血させない方法をとらなかったんだ(好きで出血させてない)」「緊急で輸血すれば生きていたのに!」と責められる事がある。それは死者本人に言ってくれなんて言えない。どんな顔して受ければいいの?
・そういう本業でない負担を病院の現場にかけてるって自覚してほしい。それでも無輸血やらせたいの?病院現場の余計なリソース消耗させたうえで?
・エホバ信者で金出し合って、エホバ信者の医師看護師コメディカル集めて、無輸血専門病院つくってそっち行ってくれ。うちに来ないでくれ。ただでさえ救える患者を治すのに忙しいのに、治すより優先する希望を病院に押し付けて余計な手間と負担かけさせんでくれ。
特定のタトゥーを入れることで「私はこの宗教を信じています」ってことのアピールになってる。
オウム・創価・幸福の科学・エホバといった宗教に対して悪いイメージを持つようなものばかりがニュースで報道された結果、日本人は宗教に対して拒否反応を起こすようになった。
言うなれば「宗教に対しては葬式と芸術鑑賞のときぐらいしか興味を持たないのが正常な人間である」という宗派に国民の大部分が加盟してるってこと。
まあ宗教というよりももっと広い意味で特定のなにかに熱中することを「オタク」「キチガイ」扱いして気持ち悪がる文化があるんだよね。
昔はスポーツ・仕事・家庭・恋愛・アルコールがそこから特例で除外されていたけど、今はそれらに関しても熱を入れるのはキモいと言われるようになってきてる。
反熱中教みたいなもんなのかね。
マジでミスった。モルモン教徒に「へー、オタクの教派はー」みたいに攻めたら、「その問題はこうやって解決した」って感じで返されて、本当に窮した。統一教会のレン中にチャレンジしたら、未だに旧ロゴのレン中が対応してくれて、なんか韓国の連中の劣化している愚痴聞かされた。エホバの連中は「輸血問題」で闘おうとしたら、「私はするよ?」と返されて、逃げてきた。なんか知らないババーが「キリストの愛を信じるか?」と言うもんだから「アタナシウス派とアリウス派の三位一体の齟齬」をついたら、俺以上の知識で返されて、危うく「全く知らない新興キリスト教」に入信しそうになった。コエーよ。