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2024-05-18

anond:20240518144759

 従来の歴史学では、メソポタミアエジプトインダス中国世界の4大文明と言われ、日本文明中国から教わった後進地域と言われていました。しかし、この歴史観を近年の考古学が覆しつつあります

 我が国縄文時代の始まりは、今から一万六千五百年前とされています。これは青森県大平山元一(おおだいやまもといち)遺跡で、わが国最古の土器が発掘されたことによります。この終期はおよそ三千年ほど前で、そこから弥生時代が始まります。従って、縄文時代はおよそ一万四千年という途方もなく永い時代です。このことはキリスト歴の始まりからまだ西暦で二千年と少ししかたっていないことを考えれば途方もなく永い期間であったことが分かります

 あなたはご存知でしょうか。縄文人による世界最古の科学発明品を。この最古の科学発明品は、当時から2万年を経た現在でも最新・最先端材料として使われています。この世界最古の科学発明品は「宇宙船」に貼りめぐらされています。また、2020年にはロシアで4000℃に耐えるこの「最古の科学発明品」が発表され、話題になりました。

 ではその、縄文人発明した「世界最古の科学発明品」であり、最新の宇宙船にも使われるものとは、「土器」、またの名を「セラミックス」です。「土器」と聞くと、「大したことがない」と感じるかもしれませんが。実は「土器」は人類運命を2つの意味で大きく変えた代物です。

 まず1つ目の理由ですが、

 実は土器はただの「土の器」ではありません。本来は水に溶けてしま粘土を、水に浸けても溶けない、そして耐火性を備える器に化学変化させているのです。土器陶磁器ガラス、耐火レンズは総じて「セラミックス」と呼ばれますが、この「セラミックス」こそ、人類科学で得た最初の道具、材料です。つまり人類科学を応用したものこそ土器だったのです。

 また、「土器(セラミックス)」はもう1つの意味人類運命を大きく変えました。それは、土器世界最古の科学発明であると同時に、「食の料理革命」でもあったからです。というのも、土器発明されるまでの古代人は、生で食す以外の食べ方は、焼く程度のものだったからです。

 

 しかし、土器が生まれたことで、この状況は一変しました。土器は硬い食物を柔らかくする

「煮る」という調理可能にしたからです。その結果、さまざまな味付けもできるようになり、人類の可食範囲を飛躍的に拡大したのです。そして土器が生まれた結果、縄文人現代の私達よりも豊富な種類の食生活を送っていました。

 その証拠に、縄文遺跡からはなんと陸上動物60種類、魚類70種類、貝類300種類が出土しています。例えば、縄文人イノシシシカクジラウニ牡蠣アワビゼンマイワラビ、栗など、色々な食材を食べ、季節の旬に応じて自然から恵みを食していました。

 もし土器(セラミックス)が誕生していなければ、このような食生活は実現できず、人類運命は大きく変わっていたでしょう。ちなみに、日本人が四季折々の旬のものをいただく文化があるのも、日本料理に「煮っころがし」や「肉じゃが」といった「煮る料理」が多いのも、縄文の名残だと言われているそうです。

 このような、世界最古の科学発明である土器(セミラックス)を生み出した縄文文明ですが、

実はこのような事実は、縄文文明世界から注目される理由のほんの一例に過ぎません。

 縄文文明世界から注目される本当の理由世界最長の1万年以上もこの文明が続いたからです。ではその、縄文文明がなぜ一万年以上続いたのか。この謎を解く鍵は、世界中の遺跡で見つかるのに縄文遺跡でだけ見つからないものなかにありました。

 この事実を知った時、世界四大文明とは全く異なる縄文文明の姿が浮かび上がり、日本人のルーツが見えてきます

 では、世界中の遺跡で見つかるのに縄文遺跡でだけ見つからないものとは一体何でしょうか。

 それは「対人用の武器」です。つまり1万年以上も続いた縄文文明において「大規模な戦争が起こらなかった」ということです。今は、西暦が始まってからまだ2000年と少しです。1万年というと、この5倍ほどの時間があったのです。にもかかわらず、その間戦争が起こらなかったのです。

 世界史を見ると、江戸時代の250年の平和ですら、他に類を見ないほど珍しい時代です。その250年を遥かに超える1万年以上も戦争が起こらなかったのですから、もはや縄文文明人類史の奇跡でしょう。

 だから縄文文明1万年以上も続いたのですが、縄文文明が他の文明と異なるのは、単に「戦争が起こらなかっただけ」だけではありません。

 縄文文明以外の他の文明は、メソポタミア文明にせよ、エジプト文明にせよ、インダス文明にせよ、黄河文明にせよ自然破壊しています

 例えば、今のメソポタミアエジプトは、昔は森林地帯でした。特にメソポタミアレバノン杉だらけでした。しかし今、私たちメソポタミアに持つイメージどうでしょうか。砂漠、あるいは荒地

という印象ではないでしょうか。それは縄文文明以外の文明が、自然管理支配し、破壊してきたからです。しかし、縄文文明自然共生し生きていました。

 四季折々の旬の恵みをいただく食生活をしていたのも、その証拠の1つです。 要するに、他の文明縄文文明生き方は全く異なるのです。

 すなわち、文明の持続可能性と言う点から言っても、縄文文明は、自然との和、共同体の和をベースにした持続可能文明だったわけで、対して、黄河文明インダス文明メソポタミア文明エジプト文明長江文明などの世界古代文明は、畑作、牧畜による自然破壊で、持続不可能文明だったということです。

 しかし、この素晴らしい日本人のルーツ戦後GHQに消され、今や忘れ去られようとしています日本人を日本人たらしめていると言っても過言ではない、縄文文明を想い出しましょう。

日本日本人が目覚めるためにも!!

anond:20240518143516

日本世界最古の文明です


縄文時代は16,500年前に始まり、14,000年続いた世界最古かつ最長の文明で、黄河文明エジプト文明シュメール文明インダス文明などの代表的古代文明よりも古いのです。

縄文人たちは高度な航海術を持ち、天文学地理学精通し、暦や建造技術芸術や加工技術など、高度な文化レベルだったことも分かっています。また、縄文時代1万年以上も戦争が起こらなかった平和文明としても知られています

2022-08-03

anond:20220803142943

エジプト文明時代はまだ家畜技術が乏しく豚が丸々と太れるほどの豊かさはなかった

エログリフじゃないじゃん

𓂺こんなのモロちんこだろ何が非エログリフだエジプト文明滅んでしま

2017-09-09

anond:20170909071331

ゾロアスター教エジプト文明も無くなってるし、そんだけしか無いってのが面白いね。

ゲイ歴史上至る所にあると思うけど。

それを有りにしてしまうと、廃れていってしまう何かがあるのかもね。

2011-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20111226235951

結婚指輪文化もっと長い。エジプト文明の頃から

日本社会で認められるようになったのはここ60年。

で、これを四六時中つけていて大丈夫なのは、ある程度肌に擦れて回転してるから

回転しないと皮膚が圧迫される。だから定期的に外さないと皮膚にはよろしくない。

指輪危険じゃない?無自覚で腎臓疾患のある人が指輪はめっぱで壊疽起こして切断とか知らないのか?

ピアス場合金属アレルギーというのを聞いたことはある。

金属アレルギーピアスでなくても起きてますネックレス、ヘソピアス、甲冑、様々な金属でおきる可能性があります

起きにくい、起きやすいは接触する体の部位でもアクセサリーの種類でもなく、金属の種類に依存します。

どの金属アレルギーを起こさないとは断言できません。比較的起きにくいとされてるAu,Ptがよく使われてるだけ。

DNAは鑑定コストがかかりすぎる。専門の機関分析してもらうので時間もかかる。

あいた口がふさがらない。LED電球が家庭で購入できるほど技術進歩したのに?

今後もコストがかかり続けると思ってるの?

遺伝子登録は研究用としてはもっと低価とかご存知?

あおるならもっと勉強してからにしてくれ。

2010-11-02

母の苛烈すぎる性格

母親性格が苛烈すぎる。

いままで色んな趣味に手をだしてきたが、ドクターストップ人間関係不和破綻している。

スポーツ系のドクターストップならとにかくとして、およそ怪我のしようがないインドア趣味でさえドクターストップがかかるまで熱中する危ない人だ。

書道ヘルニア家庭菜園で疲労骨折だ。

飲まず食わずではないにしろ、一旦没頭しはじめると水分とカロリー補給の時間以外は止まらない。

当然、家事は手につかなくなる。

家族から文句は出るが、

母の趣味友は

あなたが頑張ってる姿をみて、みんな勇気付けられるんだから」

他人事だと思って適当な励ましを与えてくれる。

そんな母の友人たちも母の激しすぎる性格を嫌って、遅かれ早かれ去っていくわけだが。

今度きたブームは海外旅行だ。

国内温泉巡りの時もかなり危なかった。

苦行のようなスケジュールで出かけては疲れ果てて帰ってくることを繰り返していた。

車の運転が出来なくなって帰れなくなったりもした。

車の運転が出来ないってのは、故障とか、眠気とかじゃなくて、俺には理解できないんだけど頭の中が沸騰しすぎて運転出来なくなるらしい。

そして、今度は海外旅行の熱が高まってきている。

ヨーロッパをさらっと巡る旅をした。

得意気に添乗員に説明された文化遺産にまつわるエピソードなんかを家族にしたものの、たまたま母以外にとっては常識だった。

なんか悔しくなったらしい。

そして、俺の高校の世界史教科書を読み始めた。

久々に帰省したら、教科書最初の数章の余白にはびっしりとメモ書きがされ、付箋が挟まれ。ページは擦り切れかかるほどだった。

ヨーロッパの次はエジプトだった。

世界史勉強したら行きたくなったとか。

最初の章の勉強を終えるなり即現地に行く行動力がやばい

次は、インド、その次はパキスタンだった。

エジプト文明インダス文明ときたら、メソポタミア文明イラクは渡航できないだろうし次は中国あたりかな?っと思ったが甘かった。

エジプトパキスタンイスラムの魅力にとりつかれたようだ。

せめて英語が通じる国とか、せめて先進国とかいう発想はないらしい。

いつの間にか教科書イスラム世界の章まで進んでいた。

イラントルコ、そしてこの間はレバノンに旅立った。

レバノンイスラム国ではないが)

次はシリアパレスチナに行きたいと言っている。

もちろん、どの旅行も友達も家族も連れ立たず、一人でツアー参加だ。

「夫の稼ぎで暮らしてる専業主婦なんだからもう少し大人しくしとけ」

っと誰かいうべきなんだろう。

あるいは言ったのかもしれない。

しかし、言ってどうなるというのだ。

言って聞くような、理性的人間じゃないことは誰よりも知ってる。

そして、母がいない家は母がいるときよりもずっと平和なのである。

母の存在雷雨であり台風であり活火山なのだ。

欧米人ってさ、たまに極端な人がいるじゃん。

毎食ずっとビッグマックしか食わないアメリカ人とか、ヒョウに憧れて裸で暮らすフランス人とか。

たぶん母親はそっち側の人間なんだろうね。

そして、少なからず自分と弟にもその病的な凝り性の血は流れてる。

声を上げた記憶がないのに、ジム

「バーベルを上げ下げするときに叫ばないで下さい」

と注意されたことがある。

反動をつけずにゆっくりストレッチをしていただけなのに、肉離れするまで伸ばしてしまったことがある。

弟は考え事があると左右を確認せずに道路を渡る。

気付いてないだけで自分もそうなのかもしれない。

なんか怖い。

2010-09-07

農法の進化

農法の進化の過程を見ていると、紀元前から続く農業肥料との戦いであったことに気づく。

ヨーロッパの原始的な農法として二圃制というのがある。

冬に小麦を育てるのだが、その後はなんと一年間放っておき、休耕地にする。

これは別に農家が怠慢だとかではなく、そうしないと小麦が育つ地力が回復しないからだ。

次に北ヨーロッパに農耕文明が伝わってしばらくすると、三圃制というのがでてくる。

二圃制に加えて夏に大麦を育て、大麦→小麦→休耕のローテーションにする。

これは当時としてはかなり便利だったらしく、長く続けられた。

ところで、別にそんな面倒なことをせんでも成り立つ非常に便利な農法が古代にもあった。

氾濫を利用する方法だ。

メソポタミア文明エジプト文明、その他いろいろの文明の発祥地ではこれが非常に便利に使われていた。

土が枯れたら雑草に癒して貰うのではなく、川に流してもらい、新しい土を持ってきてもらうのだ。

そうすれば毎年なんの憂いもなく農業に励める。

現在では大河の氾濫など、人間に害があるばかりでダムでも作って治水してしまうものだが、化学肥料がなかった時代は氾濫は農業にとって非常に重要であった。

ところで、農地の地力とは、主に窒素分のことである。

大気中に腐るほど存在している窒素も、窒素酸化物などの形で地面に入らなければ植物が利用できない。

日本では古来、カミナリのことを稲妻と呼んだ。雲中で大放電現象が起きることで空気が灼かれ、窒素酸化物ができそれが雨に乗って地上に落ちる。無論、稲妻最初に呼び始めた人たちはそんな現象は知らぬだろうが、その関係性は知っていたのだろう。

窒素を大量に固定してくれる植物は、マメ科植物だ。

大豆などが有名だが、大豆肥料として利用されていた。日本では満州大豆を大規模栽培し、油などを取った絞りカス日本に輸入して肥料にしたりしていた。

化学肥料がいくらでも手に入る現在では、行われていないが、日本田圃では収穫後の田圃レンゲソウマメ科)を植えた。

幻想的な風景だが、昔は田圃に一面のレンゲソウが咲いていることが日常風景であった。(その蓮華は枯れる前に花ごと地面に巻き込んで肥料にした)

ヨーロッパ農業革命と言われるノーフォーク農法(輪栽式農業)では、クローバーを栽培した。

クローバーマメ科であり、この時やっと人間が「肥料を作る」という現象が発生した。

これまではずっと「肥料はどこかから持ってくるもの」だったのだ。(たぶんこの辺の意識の違いが近代近世あたりの歴史認識重要になってくるんだろう)

ノーフォーク農法は大麦小麦クローバーの他に、あまり地力を必要としないカブを育て、そのカブ家畜に食わせることによって家畜を年中飼育することができた。

クローバー家畜の糞でようやく、紀元前から続いてきた慢性的肥料不足は改善されるようになったのだ。

その後の化学肥料農薬の現代農法が確立されるようになり、肥料の問題は(少なくとも量的な側面では)農業から消滅した。

今や肥料をえるために四苦八苦していたのは歴史の事柄である。

 
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