はてなキーワード: エイヤとは
高! と思ってしまいます。でも、待って。タピオカは一杯600-800円。普通に買えるでしょ! と、タピオカワンクッションを置きつつ、エイヤ! と桃を買う日々です。
そういえば、梅雨が明けましたね! 関東はまだです! 明日とかに明けてほしい! いますぐ海に行きたい! いますぐ浜焼きをかっ喰らいたい! いますぐ波に立ち向かって、クタクタになるたびビールを補給したい!
暇部のくせに、ソシャゲが全然続かないことに定評がありますが、Skyというソシャゲを始めました。風ノ旅ビトが大好きだったので。ゲーム内で出会ったら、同じ増田のよしみでよろしくしてください。
茹で豚
昨日と同じ!
Railsを使うと、初速は早くなる。それは間違いないと思う。一方で、RailsはVierwからDBまで密結合したフレームワークなので、「段階的なアップグレード」とかがむずかしい。ヴァージョンをあげるときには一気にエイヤであげる必要が出てきがちである。さらに、プロダクトが巨大になってくると結局様々な工夫を凝らしてViewからDBまでの間を疎結合にしていくことになる。そうなってくると、「これRailsである意味あるんだっけ」となって、段階的なアップグレードのしにくさや気をぬくと密結合な設計になるという欠点が目立ってくる。
これは、まさに技術的負債そのものである。ここでわたしが「技術的負債」を「単なる悪いもの」として扱っているわけではないことに注意してほしい。Railsを使うというのは、そういう将来の負債を借り入れて、その借金を使って早くプロダクトを世の中に届けるという判断をしている、ということだ、ということを言っているのであって、「借金してでも早く出したい」という判断が合理的で正しい場合ってのは、腐るほどある。
ただ、Railsを選ぶときに、「今俺たちは借金をしているんだ」って思いながら選んでほしい。その感覚がないと、プロダクトが軌道にのったあとも借金を返すためのリソースを捻出しないまま、破綻したコードベースに消耗してプログラマがどんどん逃げて言って最後にはプロダクトが潰れて終わるので。
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元増田へのブコメでも指摘されていたが、ひとくちに「フリーランス」といっても業種、業態、経験、実力、性格などによってその態様は異なる。
そこでひとつのケースとして俺がWeb制作業界でフリーランスとして約13年間やってきた経験と、そこから得られた知見などを書いてみたい。Webデザイナー、Web系プログラマーには参考になるのではないかと思う。
こうして書き出してみると典型的現代っ子だなと思うが、32歳で独立開業して13年目の45歳の紳士である。
現代っ子と書いたが人間の性(さが)なんてそうそう変わるものでもないので昔っからこういう人だってたくさんいたと思うんだよね。さぞ肩身が狭かっただろうと思う。俺としては今の時代に生きられる喜びを日々噛み締める次第である。
さて、ここからは元増田に書かれていた諸々について、俺の場合。
まず「得意分野に集中できる」かどうかについては、概ね集中できている。
元増田に「デザイナーのフリーランスだったとして、デザインをやっている時間は2割くらいだろう」と書かれていたが、実はこの働き方は俺にはピンとこなかった。2割?なんで?って感じ。デザイナーにもDTP、Web、プロダクト、服飾といろいろあってどのデザイナーを指してるのか定かではないのでアレだが、WebやDTPに限れば、こんなデザイナーがいたとしたらそもそも何かが根本的に間違っているのではないか。我々は日々現金の出し入れの発生するタイプのビジネスではなく、案件など多くても月に数件、出ていくお金もたかが知れている。経理も事務作業も大して時間がかかりようがない。法人決算(個人なら確定申告)が大変だという話なら、それはそれだけ取引があるということなので、売上の一部を割いて税理士さんにお任せしたらどうか。あるいは以前noteかなんかで話題になっていた「イラスト1枚1,000円」みたいな仕事を大量受注してるのだろうか。
問い合わせ対応も上記の通り、数件の案件の同時進行程度なら電話やメール対応で作業時間がとれない・・・といった状況にはほぼならない。案件次第でたまにある程度。
営業も要らない。俺は決してスーパークリエイターでもハイパーメディアクリエイターでもないが、きちんとした品質のデザインとHTMLを、きちんと期日通りに作業進捗できれば次の仕事は来る。今のWeb業界ならこれが最大の営業活動だ。ちなみに俺は前述の通りの性格なので、作業も遅延しがちである。ただクライアントが最も恐れるのは最終的な期日を守れないことであり、そこに至るマイルストーンなら担当者の裁量でどうにかなることも多い。なので遅れそうなときは早めに相談するようにはしている(「執筆した増田のブコメ&トラバ対応が火を吹いておりましてデザイン初稿提出遅れます」・・・等)。
余談だが、DTPなどは逆にスーパークリエイターレベルでないと昨今厳しいのではないか。つまりは市場環境次第なので、ここはしっかり世の中の流れを観察する必要はある。たとえば俺が今不安を感じているのは年齢と国籍だ。50歳、60歳のジャパニーズWebデザイナーが食っていける市場が10年後、20年後あるのだろうか。
答えはわからないので、できることはなんでもやらねばならない。すなわち、スキルを磨くことは大前提として、歳取ってもトレンドにキャッチアップすること、歳取っても清潔感ある身なりをキープすること、英語力を磨くこと、今のうちもっと貯金しておくこと(これが一番できてない。子ども3人が独立するまで無理だろう)、海外の仕事を受注すること(これはやるべきなのか?やれるのか?どうすればいいのか?模索中。やってる人いる?)、アフィやWebサービスで地道に小遣い稼ぎすること(本業にいっぱいいっぱいでなかなか手が回らず)、ストックフォトで地道に小遣い稼ぎすること(同左。ちなイラストオンリー)。
自宅作業にありがちなベッドの誘惑や生活音云々というのは性格による。俺は大丈夫だったので運が良かった。
ちなみにすぐベッドやソファにゴロンしてしまう奴。性格だと諦める前にひとつアドバイスだが、まず椅子を変えろ。
世の中には座ったまま何時間でも平気で仕事ができる「高級ワーキングチェア」というものがある。最低10万〜20万出して、バロン、コンテッサ、リープチェア、アーロンチェア、エンボディチェアなど定評のあるワーキングチェアを買う。パソコン作業なら前傾より後傾タイプが適している。上の中ではアーロン以外は後傾タイプだ。高い買い物なので時間かけてショールームなど周って試座するように。
高級ワーキングチェアを使わずに「すぐベッドにゴロンしたくなっちゃうんだよねー」なんてのは当たり前だ。ヨドバシやイケアや楽天で買うなよ。ダイニングチェアも駄目だ。イームズチェア♪なんてもってのほかだぞ。椅子が原因でないならコワーキングスペース使うしかないが、当然その分利益は減る(=生産性は落ちる)な。
会議に呼ばれて生産性が落ちるというのはよくわからん。そりゃまあ落ちるがそれは「会社員と比べて落ちる」のではなくて「会議がない状態と比べて落ちる」だろう。フリーランス云々関係ない。
満員電車に乗る必要がなく、移動コストもかからない、最近はビデオ会議も増えてきた。好きな時間に仕事ができて、好きな時間に筋トレできる。夕飯も家族と一緒に食べられる。子どもと会話できる。そういう生活が気にいってる。もちろん深夜だって休日だって働くことあるが「深夜や休日働くかどうかを選べる。働きたくないなら平日頑張る」そういう選択を自分の裁量でできるのは嬉しい。
自堕落なので生産性は常に低いかもしれない俺だが、会社員時代だって遅刻したり頻繁に休憩とったり隠れてコソコソはてぶや増田執筆したり、とにかくダラダラやってたので、フリーランスになって生産性が落ちたということはたぶんないな。
これは元増田に書いてあるとおりだな。
会社員にとっての上司や会社が、クライアントに変わっただけ。上司に振り回され疲弊するように、クライアントに振り回され疲弊することはある。ただ上司はよほどのことがないと選べないのに比べると、クライアントはある程度選べる。選べなかったとしてもそのクライアントの売上に占める比率が1/10なら、ストレスも1/10だ。ちなみに、比率次第ではこちらから切ってしまうこともできるといえばできるが、俺はやらない。ひとりの担当者と折り合いが悪くても、別の担当の人が見ててくれて密かにかばってくれたりこちらの対応を逆に評価してくれたり、そもそも担当が変わってやりやすくなったり・・・好転することもままあるからだ。この辺は割り切って我慢である。
ただ肝に銘じておきたいのは、受託である限り「誰にも雇われない生き方してる俺カッコイイ!」などという状況にはなりようがない。電通だって「クライアントの犬」に徹することでビジネスをしている。鬼十則!なんつってイキってみてもあれは所詮犬の遠吠えだぞ(まあ電通の場合、犬は犬でも負け犬ではないがな)。自分のビジネスで金を稼いでる奴、世の中にとって有益なプロダクト、サービスを提供している奴は規模の大小問わず尊敬する。
収入といいつつ、元増田では支出への言及がメインだったのでまずはそこから。
この段落は長くなるので結論から書く。Web系フリーランスの場合・・・
つまり売上700万なら、年収500万〜600万の会社員と同じレベルの収入とみなせる感じ。さらに消費税納税義務のあるフリーランス(前々年度の売上が1000万超)なら、支出に消費税納税分をプラスしよう(これが痛い!)。ここではエイヤで消費税50万で計算すると、売上1000万なら、すなわち年収750〜850万くらいの会社員と同等。売上1200万で、年収950〜1050万くらいの会社員と同等だ。これプラス原価(この業界の場合ほぼ外注費かな)がかかる場合は、それも支出に加えてくれ。
仮にフリーランスが法人成りすると(俺がそう)労使折半といいつつ実質的には「俺」の稼ぎから全額出ていくので単純に倍。簡単な計算だ。
法人成りしない場合は国民年金と国民健康保険になるが、後者は収入が同じならやはり単純に倍。これも簡単。
難しいのは法人成りしない場合の年金。国民年金保険料は月額1.6万だっけ?なのでよほど会社員時代の給与が低くない限り払う額自体は安くなるのだが、受給額も低くなる。なので普通は小規模企業共済や国民年金基金やイデコなどに追加投資する。どの程度追加投資するか(しないか)は各自の自由なので一概には言えないが、仮に会社員と同じだけの年金受給を得たいと思うなら、やはり支払う額は倍、イデコとか頑張るなら3倍。さらにさらに会社員には無料でついてくる退職金。フリーランスではそんなものないので単純に老後資金積立として貯金するわけだが、豊かな老後のためにここも頑張ると4倍は覚悟がいる。会社員で社会保険料年額45万の人が独立開業したなら、社保で90万〜135万(会社員と比較するとプラス45万〜90万)、プラスお好みで老後資金貯蓄でン十万てことだ(ちょっと誤解を受ける書き方かもしれない。当然ながら会社員時代の年収が独立後の社保料に影響するわけではない。あくまで会社員を続けた場合と同程度の老後資金を得たいとするならば・・・の話である)。
次に税金。これはフリーランスの場合ある程度コントロールできてしまう。Web系の場合必要経費があまりないので経費を膨らますのにも限界があるが(後述)、法人成りしてる俺(外注費はあまりなく粗利率が90%とか)の肌感覚的には売上700万くらいまでは法人税ゼロでいける(もちろん法人住民税7万、個人としての所得税、住民税はかかる)。なので会社員とほぼ変わらん。そっから先は法人利益の30%くらい引かれる感じだな。会社員の累進課税+住民税10%を足してもこの辺の所得帯(課税所得900万以下)だとだいたい30%になるのではないか。ひとつ言えることは、売上5000兆円でも税金ゼロ円のアマゾンさんにはかなわんということ。ほんといい加減にしてほしい。
あと税金で痛いのは消費税だ。売上1000万超えると次々年度は消費税を納税しなければならない。請求を次年度に立てるなどして1000万未満にできる感じならしたほうがいいよ。
次に経費。ことWebデザイナーに関する限り「独立開業してるからこそ発生する経費」ってあまりない。PCとネット環境は会社員だって自宅用に自腹で買うだろうし、自宅なら家賃も不要、水道光熱費も不要、事務用品費なんてご家庭レベルで十分、むしろこれらすべて会社員なら単純に出費でしかないが、事業者なら経費にできる。スマホも通信費も外食も書籍もアプリも英会話も車も駐車場もはてぶスターもぜんぶ経費だ。
会社員より余計にかかる出費といえば上にあげたワークチェア(しかし一度買えば10年以上使える)、ソフト・フォント・オンラインストレージなどのサブスクリプション(最高でもAdobeやモリサワの月約5000円)、自社サーバ費(月3000円以内)くらい。打ち合わせにしょっちゅう呼び出されて交通費が辛いレベルのクライアントがいるなら、見積もりにこっそり積んでおけば問題ない(しかしそんなクラ今日日ほとんどないのでは?)。もちろんPCもスペックは盛るし外部ディスプレイや周辺機器も多少はかかる、通信費は普通の家庭よりかかる、一日中いるので水道光熱費も余分にかかる、そういった諸々を考慮して、そうだな、会社員よりもプラス年50万も見ておけば十分ではないか(経費が年50万ではなく、会社員と比較して余計にかかる部分として年50万)。
そんなこんなで会社員時代と同等の実入りを得たいならば、社会保険料でプラス45万〜135万、経費でプラス50万、合計100万〜200万くらいの収入増が必要になる。そして売上1000万円超えたら、消費税納税分で何十万が別途出ていく(原価+経費次第)。
一番肝心の話。スーパークリエイターでない人間が独立して売上をあげるにはどうするのがよいかという話を少し。
まあ俺も大して稼いでないのででかいことは言えない。というか反省からの知見という意味合いもある。
テックウィンドのキーボードPC初代を持っているんだけど、これがとんでもない迷作機で、2年の間に2回だめ食らった。保証外だったし2回とも交換で1万6千円支払った。リカバリはなぜか修理センタでは出来たとのことなのだが、信用できないから新品交換を頼んだ。それが先月の話。
で、本題。また壊れやがった。windowsUpdateで止まりやがって、この野郎馬鹿野郎。
HDMIでは表示できるということなんだが、うちのHDMI端子のあるモニタでは起動画面とかBIOSが表示されない。
VGAは推奨しませんとかアホなことを言われたが新しくモニタを買えということか?と問うたら、ごにょごにょ。そりゃ言えないよな。
現に中古の富士通Esprimo(パーツは取り替えたりしてる)では、VGAでもBIOSから見えるのだから、問題はモニタかPCのどちらかに起因するのだが…正直PCが悪いのではないかと思う。
クイックスタートガイドとかいう紙っペラ一枚入っているだけで、windows10のディスクも入っていない。光学機器無いからだろうけど。
その説明書には、推奨解像度もあるけど…それ以上の解像度のモニタが追従できないって事は、何かがおかしいとしか思えない。
ほんとにこんちくしょう、いくらかけてると思ってんだ発売時から考えたらそれなりのノート買えちゃうんだぞてめえ、という気分なのだ。
ノートにしなかったのは、ノートより手が掛かるが、持ち運べて店を開いて、なんやかんや出来るというその一点なのだ。中身ショボいというか、まあゴミですね。
ストレージ32GB/メインメモリ2GBしか無いしAtomだし。やる事はネットブラウズや文章書きと編集作業なので、全然いいんだけど。
気に入ってるんだけど、なんというか、馬鹿な子ほど可愛い、というやつなのか…。
そんなわけで、エイヤッと力技で起動させたら、今度はBluetoothマウスを認識しなくなりやがった。他の機械では認識するので…もうやだこのPC。
恐ろしく保守的だし、百年に一度の天才がやってきてエイヤっと条件出すと五十年は変化が無くなる世界。
ブローニングのコルトM1911が正式採用されたのは1911年だし、ストーナーがAR-15/M-16の原型を完成させたのは1956年だし、改良版のAR-18は1963年、CETMEとAK-47は1949年。新参で樹脂部品の劣化がないのかと度々話題になるグロックですら1979年。
これらのデッドコピーで銃器市場の2/3が語れて、米軍では3回か5回くらい代替品や強化版や発展コンセプトが提案されては「重い、壊れる、動かない」と却下されてるくらい、一度固まってノウハウを積み始めた設計が覆せない世界。
だから銃器にフォーカスするより話に集中するべき。漫画版エヴァでは「かっこいいし描くのが楽」というだけの理由で全ての小銃がHK G11だし、特に銃知識披露したいんじゃなければ、今だったら世界中どこでも何の話でもMk18とグロック19とAKMで全て済ませられるし、そうすべき。
この界隈って、IT関係の人が多いから、どうしても目線がそっちになるので、
「どうせ顧客が今までと同じにしろ」とか「無理な要求したんだろ」とかの
自分も一応エンジニアという職について、上流の仕事をしているが、
この案件をあくまで外側から見る限りIBMに落ち度がありそうな気がしてならない。
なぜなら自分たちでRFPを作って、自分たちで開発しているからだ。
RFPを作っている段階である程度開発の提案の形は見えていたはず。
RFPを作る段階で最上流の要件定義ができるはず。それが全くなされていない。
要求の変更が多かった。とあるが、その時点で最上流のRFPの失敗だし、
RFPは顧客と一緒に作っていくものだ、顧客が丸投げであるのなら、
顧客のシステム開発に対する意識をこの段階で変えなければいけないし、
だが、それを怠り、言われたままのRFPを作り、何とかできる形で、
後は開発部門にエイヤ!っと丸投げたら、それは失敗するに決まっている。
逆に顧客のシステム開発に対する認識ギャップをRFPの段階で埋められないなら、
だが、IBMは受けた。受けた以上QCDに責任をもたなければならないし、
それが履行されなかったのだから、損害賠償は当然となる気もする。
だが、一方で、顧客はどうだったんだろう?
IBMがもしそういった働きかけをしていたとしたら、それにどれくらい応じれたのだろう?
システムの刷新に対して業務が変わることを極端恐れ、RFPから多くの変更を
強いる形になっていなかったか?
そういうところはこれから明らかにしていく必要がありそうではある。
もう少しで入眠できそうっていうタイミングで「ジワーー」って感じの音(頭や耳の中で鳴っているイメージ)がしてきて
つぶった目の中ではテレビの砂嵐みたいなジャワジャワしたものがグニョグニョと見えて、眠るどころか身体が硬直してくる
「身体は寝ているが頭は働いてて云々」みたいな金縛り・睡眠麻痺的なものだということは分かっているので
無理やり目を開けたり、エイヤと身体を横に向けたりしてリセットする
けどまた同じようにグワングワンいいながらジワジワして寝かせてくれない
そのうちオバケではないけど、気味の悪いものが湧いてきたり、騒がしくて全然眠れない
疲れやストレスが原因だったりするんだろうけど、こういう現象が起きた時に
サクッと眠れる方法はないでしょうか?
整理してて懐かしい日記を見つけたので、お前が昔作ったももたろうだよと子供によんであげた
「ももたろうは犬猿キジと兎と象とキリンと閻魔大王を仲間にして鬼ヶ島に行きました」
「閻魔大王は戦いました、鬼は残り五人です」
「閻魔大王強いな」
「鬼怖い」
「残りはももたろうとウサギと猿ですが猿も負けました、閻魔大王も負けました鬼は残り一人です」
「熱い展開や」
「じゃんけん」
「ももたろうが家に帰るとおじいさんが犬猿キジとウサギと象とキリンと閻魔大王はどうしたと聞きました、犬とキジはカレーになって、ウサギと象とキリンは鬼ヶ島で鬼になりました」
「鬼になってたん?」
「おじいさんは、きびだんごは、きびだんごはどうした?!と聞きました」
「何でそこに必死なん」
「残り一つだと言うとおじいさんはズコーとこけました」
「そこに閻魔大王鬼が来ました、ももたろうがエイヤーとやっつけると閻魔大王になりました、おしまい」
その後も調子に乗って
「また最初からね、今度は海の中のクラゲ蛸イカが鬼ヶ島にいきたくて仲間になりました、クラゲ蛸イカがそれーっと飛んでいって桃太郎はまてーと追いかけました」
「鬼ヶ島でクラゲ蛸イカは怖いよーと震えました、手がないから戦えません、桃太郎さん戦ってください、桃太郎はじゃんけんしました」
と語っていたけど眠ったのでおしまい
俺はあの子のことが、本当に、本当に大好きだった。
でもあの頃はそれの正体がよくわからなくて、なんて言ったらいいのかもよくわからなくて、結局、俺は最後まであの子に自分の気持ちを伝えることができなかった。
中学1年の夏休み、あの子は家庭の事情で突然住んでいた街から引っ越していくことになって、終業式の日に教室で見た姿があの子についての最後の思い出になった。
あれからずいぶん時間が経って大人になり、人生の大きな選択みたいなこともいくつかあったけれど、事あるごとに「もしも」「あの時ああしていたら」というようなことを考えることがあると、真っ先にあの中学1年の終業式の日のことを思い出すんだよね。
あの時、あの子に「好きだ」と言えていたらって、その頃の中学1年生によくありがちっぽい、そんなささやかな出来事を考えてしまうんだよ。
別に、もしそのもしもが叶っていたとしても、きっと何も変わらないんだとは思う。あの子は何も変わらずあと何日かしたら遠くへ引っ越していくし、そのあと何ができたわけでもないんだろう。でもあの時、俺はあまりに幼くて、かっこ悪くて、無力だったよ。
あの子は小学校の真ん中くらいの時に転校してきて、それからずっと同じクラスだったんだ。
あまり女の子の友達がいなかったけれど、あの子とはその時からとても気が合ってよく一緒に遊んだ。俺の小さな世界にいる数少ない女の子だった。
きりっとした綺麗な顔立ちで、ちょっと気が強くてお姉さん肌の明るい女の子だった。実際、同級生だったけどほぼ1年誕生日が早かったあの子はいつも少しだけオトナで、俺はよく背伸びをしていた気がする。それこそ13歳のときの奥菜恵みたいな誰から見ても完全無欠な美少女、というわけではなかったとは思うんだけど、間違いなく、俺にとっては世界で一番の女の子だったんだよね。
そうこうしているうちに中学生になったんだけど、入学式に行って最初に確認したのは、あの子がどこのクラスにいるのかだったのを覚えている。
あの子は俺と同じクラスだった。その頃地域のマンモス校だった中学校で1学年9クラスもあるのに、同じところに一緒に名前が載っていて、嬉しかったのもあるけど、なんだかとても安心してしまったのも覚えている。ああ、これから不安もあるけど、きっと、2年生になっても、3年生になってもまた一緒のクラスになるんだ、なんてなんとなくぼんやりと思ってた。
1学期の間、あの子とは隣同士の席になった。なんだろう、子供だった俺はその状況に満足して、当然のように思って、そしてそれ以上何かをするということは無かった。学校に行って、好きな漫画やアニメの話なんかを話して、ずっとこの席にいられたらいいななんて思ってた。
俺があの子のことが好きなことは、おそらくクラス中にバレていた。同じ小学校から来た友達もいたし、何より俺がずっと隣の席を見ていたからだ。
でも、そんな日は長く続かなかったんだよね。
あと一週間で夏休みだ、となった7月の半ば、俺はあの子の様子がなんとなくおかしいことに気づいて、とんでもなく不安な気持ちになっていた。
急に態度が冷たくなった、とかそういうことは一切なくて、その逆のことが起こっていた。終業式の数日前からいつになくいろんなことを話しかけてきた。初めて会ったころのことや、小学校の林間学校のときのことを話した。何か、とても嫌な予感がした。
終業式の前の日の放課後に家に帰ろうとしていると、掃除当番だったあの子が後ろから
「掃除、一緒に手伝ってよ!」
一瞬時間が止まった気がしたよね。あの感触を、今でもありありと鮮明に覚えている。
絵に書いたようなお約束の少年だった俺は、たぶん嫌だよヘヘーン、みたいなことを言って、あの子から逃げた。
クラスの他の女子からなんかヒューヒューと茶化された。廊下に出ると、心臓がバクバクしていた。
俺は教室の前の廊下で前の入り口と後ろの入り口の間を5往復くらいウロウロして、やっぱり教室に戻れなくて逃げるように帰った。
そんな日々はその次の日に、映画みたいな出来事もなく、あっけなく終わった。
終業式のホームルームで担任の先生はあの子を黒板の前に呼び出して、突然ですがご家庭の都合で転校することになりました、と紹介した。
本人の希望があって、今までお知らせしていませんでした。
なんとなく薄々様子がおかしいことに感づいていたから、動揺はしなかった、フリを全力でした。
あの子のことを見ることができなくて、礼が終わった瞬間隣の教室にやっぱり逃げるように入った。特に用事は無かったのにね。頭が真っ白だった。
隣の教室でぐだぐだしていると、小学校のとき一緒のクラスだったちょっとおませなお節介焼きの女子がやってきて、俺を見るなりあんた何やってんの、あの子にちゃんと自分の気持ち伝えて来たんでしょうね?ちゃんと告白してこいよ、後悔するぞとかなんとか言いやがった。12歳の世界において、女子は男子よりもだいぶオトナだと思い知らされたね。
その時俺が口走った言葉を思い出すと我ながらひどすぎて死にたくなるんだけども、確かこんなことを言った。はぁ!?ばっかじゃねーの!?やめろよ、そんなんじゃねーよ。
って、漫画かよ。今でも死にたくなってくるよ。
でも、それもそうかとなんとか思い返して、人影もまばらになってきた自分の教室にエイヤーと戻った。
が、それとあと2人くらい、普段あまり話したことのない女子が何やら残念だねと話していた。
そこで俺は黒板の前にバン、と立って、ちょっといいか?今日は俺と一緒に帰ろうぜ!
と言い放つ妄想をあとから何度もしたのだけれど、現実の俺はそんなことはなくて、2人の女子に怯んでまた廊下に出てしまい、やっぱり前のドアと後ろのドアの間をウロウロウロウロとしていた。
そうしていると、友達が通りかかって、何やってんの帰ろうぜ、と言った。
お、おう、そうだねみたいなことを言って、学校を出た。
帰る途中、意味もなく遠回りをした。また、とんでもなく受動的なバッタリに一縷の望みを掛けていた気がするけど、すぐに忘れようともしていた。
その友達が、ああそういやあの子転校するんだろ?と言ってきた。ああ、そうみたいだね。と答えたら、ふーん、と返ってきた。そいつになぜか無性に腹が立った。彼は別に何も悪いことしてないんだけども。
歩きながら、無理やり色々なことを考えて納得しようとした。そうだよ、そんなどうせあと何日かでいなくなるのに、今更何か変なこと言ったって迷惑だ。俺の自分勝手だ。そうだ、どうにもならないんだから、何も言わないのが正しいのだ。だから、これでいいんだ。とかなんとか。
何もできなかった。あまりに子供で、勇気が無くて、情けなくて、後悔とも無念ともなんとも言えなくて、ほろ苦いというか、苦かった。
あの時こうしていれば、って何度も何度も繰り返して、何パターンもの別ルートを妄想した、そんな10代の時間だったよ。
大したことじゃないってことはわかってるんだよ。誰にだってあることで、よくあることで、ちっぽけなことだよ。
でも、12歳の心の風景っていうのはとても、とても不安定なものなんだよね。オトナでも子供でも無くて、気持ちだけそこにあるけれど、どうしていいのかわからないんだよね。イマドキの中学生はまた違うんだろうなっていう気もするのだけれど、少なくともあの頃の12歳はそんな感じだった、きっと。
別にとんでもない大事件なんか起きなかった。宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこないし、況してや隕石が落ちてくるようなことなんてないし。
でも、12歳の世界にとって、好きな女の子に「好きだ」って言えるかどうかっていうのは、時に隕石が落ちてくるよりも大きな問題だったりすることもあるんだな。
あの頃の、あの「純度100%の『好き』のカタマリ」って一体なんなんだろうな。
なぜそうなのかという理由も問わず、えろい下心もなく、ただただ純粋な何かだった。あの頃のあれと同じ気持ちって、一生戻ってくることは無いんだろうな。
そんなことを考えていた。
インターネットの普及した現代のせいだ。俺はムクムクと出来心が湧き上がって、ついFacebookを立ち上げて、検索窓にあの子の名前を入力してしまった。
便利な社会は残酷だ。ものの10秒だった。この長い長い時間は何だったんだっていうくらいあっという間に、あの子がそこに存在しているのが見つかった。
どこからどう見ても、間違えるはずもなく俺が知っているあの子の顔がそこにあった。
あの時の歳の何倍もの時間が経って相応の歳の女性になってはいたけれど、変わらずちょっと気が強そうな美人だった。
その写真を見て、今まで薄々感じながら自分に気づかないフリをしていたことにやっぱり気づいてしまった。
俺はどうやらその後の人生において、好みのタイプだとか、好きな芸能人だとか、そういった気持ちの基準が、すべてあの子になっていて、いつも面影を追いかけていた。
そんなことをしていたらハッと我に返って、今度はとても自分が気持ち悪くなって、そっとその画面を閉じ、Facebookの検索履歴を消した。
子供の頃、初めてあの子の家に遊びに行った時に一緒にコースを作って遊んだエキサイトバイクのプイーンというBターボの音と、出してもらった麦茶の味と、あの日グイッと引っ張られたシャツの裾の感覚がぐるぐると回って、それからゆっくりと消えていった気がした。
もう、検索することはきっと二度と無いだろう。
そんなこんなで挙動不審になりながら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を3日連続で観に行こうとしていたら、今年中学1年生の息子が、あーあれ俺も観たいんだ、一緒に行くわとかなんとか言ってついてきた。
映画を観終わったら、息子が
「何だよ、めっちゃいい映画じゃんか。何で評判イマイチなんだよ。俺すげー好きだよこれ。」
と言った。
オッケー、わかったよ。
君がそういうなら、俺はもう、それでいいよ。
なんでベンチャーに入りたいの?
しかも、組織体制もできてないからいろいろ段取りもきちんとできないというか、段取りからやっていかないとならない。
わからんけどやらないとならない事なんていっぱいあるから調べてエイヤでやっての連続。
「なにか新しいものを作りたい」というのなら、以前わいが書いたこいつを読んで、それを踏まえて自分で何かつくってみ。
https://anond.hatelabo.jp/20170726073834
あと、こいつも読んどいたほうがいい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/NBD/20121026/238610/?ST=pc
これよんで、それでもやりたい何かがあるならイカれたこっちの世界にきてみな。
あと、本ではこのへんがおすすめ
「リーンスタートアップ」とか「未来を切り開くための5ステップ」とか
ベンチャーに入るより、自分がベンチャー社長になったほうが遙かに手っ取り早い。どうせ20万円で社長にはなれる。
それから、ITベンチャーなんてほぼ金いらんから、学生生活や、仕事世界の合間になにか自分でプログラミングやったらいい。
それで、ある程度できたとおもったらいろんな所に顔出したらいいだろう。恥かくの覚悟でいろんな所に売り込みにいけ。
けども、そういういろんな場所には「自分には何も能力はないけど、なにか良さそうな奴に潜り込んでおだてて上前をはねよう」ってやつがいるから注意しなよ。
まあ、、、、、今のきみの逆版かもしれんけどね。
一人知り合いがそういうのに取り込まれてもう完全にダメになってるね。何でもおだてまくられるから何がいいのか悪いのかわからなくなって