はてなキーワード: ウヨサヨとは
はてウヨ・はてサヨのそれぞれ両側について、それら界隈内に対する自浄作用などは無い。
彼らは同胞にとことん甘い。揶揄や侮辱、悪意ある妄想で相手を決め付けたり、セクハラ染みた暴言など、普段は批判の対象としている振る舞いでも、身内側から敵側に向かってさえ向いていればいくらでも許容するし、無限の詭弁を弄して擁護する。
流石に言葉では擁護し切れない酷いものであっても、スターを付けたり、「特に苦言を呈さない」という形の援護を行う。
そしてそういう酷いユーザーがまた別の案件で、それなりにまともなコメントがあれば、そちらにスターを付けて支持する。お前を見放していないぞと勇気付ける。それをただの是々非々だと嘯く。
ただこれを「はてウヨとはてサヨを合わせた一つのコミュニティ」と見た場合、実は自浄作用の様なものが見えて来る。
ここ10年くらい継続して見て来ている人なら感じられるかも知れないが、ウヨサヨ各位はものすごく行儀が良くなっている。「○ね」「キ○ガイ」の様なキャッチーな暴言は今や殆ど見ない。暴言を羅列するブックマークタグも大幅に減った。相手を揶揄や批判するつもりが行き過ぎて差別発言や誹謗中傷が出た時も、それを諫めるコメントの方にスターが集まる様になった。
敵の目があるから自分を律する。敵の落ち度があれば全ての力で攻撃する。その結果でしか無いものではあるが、どうあれ「自浄作用をそれなりに備えたコミュニティ」の様な体裁ができている。
何が言いたいか。
お前の最大の味方は、お前を甘やかし堕落させる同胞などでは無く、お前が敵だと思っている相手である。はてウヨユーザーにとってははてサヨが、はてサヨユーザーにとってははてウヨが、手の付けられない怪物であるお前を少しマシにしてくれる厳しい教師なのだ。
仲良くせよ。憎むな。ケンカすな。
これはウヨ・サヨの対立軸に限った話では無い。はてなに限った話でも無い。自分に甘く他人に厳しい愚か者の寄合いは、同レベルの敵対勢力と融合する事で中和される。
敵と仲良くせよ。万事仲良く。
https://anond.hatelabo.jp/20231005063225
の続きといえば続き。
「NGリスト」のおかげで、また妙な方向へ話がドライブしている。
そりゃあんだけ大暴れしてたら後回しにされない方が変だろう。
一方でそんな内々の処理をダダ漏らす無能ぶりに震える。バカくらべか。
望月だって説明責任全く果たしてないとか弟が云々というのは無理筋というか「それはそれ、これはこれ」である。
「ジャニーズと望月記者のどっちの肩を持つんだ!?」というような問題ではもとよりないのだ。でもそういう対立構図でしかものごとを捉えられないレベルの人々が蝟集している。
(さらに言うなら人だかりにはそれ自体に人を呼ぶ力がある。「対立構造でしか考えられない」どころではなく、ほぼ何も考えられないが火事場の雰囲気にあてられて興奮して走り回る種類の人間が集まってくる)
「児童に対する性犯罪とその組織的隠蔽」事件までウヨサヨ対立ネタになってしまう、奇妙な社会を我々は生きている。
と、ここまでは前置き。知ってるか?正義のヒーローがいると社会は悪くなるんだよ。
ポスト核戦争の無法の荒野ではケンシロウは力無き民の唯一の希望だが、
警察とかがそれなりにある社会で、ヒーローが自由に徘徊して悪人をこらしめてまわってたら社会は悪くなるよ。偏頗な正義は分断と憎悪の母だから。常識だろ?えっ知らないの?なんかもっとマンガとか読んで勉強するといいよ。
それぞれの人間がそれぞれの利益・思惑でめいめい勝手に動き回る社会で可能なのは手続き的な正しさだけだ。要は法秩序。民主主義。
別に望月衣塑子だけを念頭に言ってるわけではない。「文春砲」だってそうだ。
スキャンダリズムは「正義を売らない」という旗印を掲げる。朝日新聞的に自分たちが大衆を導いてやるというのではなく、大衆の動物的関心に応えているだけだと。
ずっとなんのことやらわからなかったけど2年くらい増田見ててわかってきたのは
「無神経な形で古くからある問題に首をつっこむ非当事者」っていいたいらしいなってこと。
じゃあ「無神経な形で古くからある問題に首をつっこむ非当事者」っていえばいいんじゃないかなあ。
リベラル(こちらは増田でカジュアルにつかわれてるほうではなくhttps://www.amazon.co.jp/dp/4121026217 にあるような本来的な意味)にしろ、
野次馬的な行動を取る人も取らない人もいるわけだ。
あなたはリベラルですかとたずねられて自信をもってハイといえる増田はおそらくいないし罵倒語のつもりでつかってもきょとん、どこにむかって弾撃ってんの?ってなるだけだ。
ならばと一歩内部にたちいってどちらが合理的であり野次馬でないかを判定しようとしても
そういうタマネギ的レイヤー層の深さをもつ問題が(たとえばジャニーズ問題とかのように)
現世ではたくさんでてるわけだ。
どちらが野次馬であるかは事後的に決定されるのだから神でも即時判定はできない。
というわけで一層外側の知識しかなさそうという理由でキライな増田を自分勝手にリベラルと命名することに意味はないよ。
「おまえのいうことは乱暴だ。おそらく俺より一歩外の知識層にしか到達していないようにみえるが野次馬認定していいのか?」
これならまだ議論が成り立つだろうと思う。
ウヨサヨにも飽きたんだろうけど新しく誤ったレッテルつくって貼るなよ。
まあでもあれだな、中国ヘイハイズあたりの(現代日本人とは常識の違う)人からみたら「リベラル」は死罪に値するというのが常識なのかね。
それ自体はいいんだ。いい大人で触るのは苦手だけど造形見るのは好きだから。
たださ、昆虫好きの人達ってさ「美しくかっこいい素晴らしい種類です」って昆虫を褒めそやした直後にピンでブスブスにさされて固定して標本を作成してる写真をアップするんだよね。
俺は怖くなったよね。「こいつらサイコパスだ。自分が美しいと感じるものを殺さずに居れない殺虫嗜好者だ」ってね。
後、自然保全と昆虫採集との競り合いで、ウヨサヨバトルにも負けずとも劣らない醜い論争バトルをやってるのもげんなりした。どこ行っても日本人はSNSを人を殴る為の道具にしか使わないんだなって。