はてなキーワード: ウジ虫とは
どっちにしてもウジ虫のお前より10000倍優秀だろ
いやいや氷河期だけどこの世代はアムラー、茶髪ロン毛のキムタクワナビー、コギャル、ギャル男がイキイキしてた時代で、その下の世代に比べてもみんな普通に遊んでたよ。下層でウジ虫のように非モテを拗らせた男が、カースト中位以上へのアンチテーゼとして処女厨になったんだよ。オタクがもっと差別されてた時代で、今の若い人みたいにカジュアルに普通の子がオタクを名乗る感じではなく、オタクと名乗るようなやつは普通とは違うおかしな価値観を標榜しなきゃいけなくて、現実とはかけ離れた処女幻想みたいのを抱いたんじゃないの。
現在恋人と呼べる人はおらず、最後に彼氏が居たのはもう一年以上前になる。
恋愛下手で、周囲の人間は口を揃えて「男を見る目が無い」と言う。
今後の自身の価値観の揺らぎ方によってはこの方針が変わることも考えられるが、今のところその予感もしない。
私の意思とは無関係に、周囲からの結婚しないの圧は年々高まりを見せている。
実際もう90近い歳の祖母からは「私が生きてる間に、あなたの結婚式には参加したい」というようなことを言われたことがある。
親からも「いつ結婚するのか」「いい人はいないのか」という問いかけはもはや当たり前になり、私はその度に「相手はいないし、探さないし、結婚するつもりもない」と答えている。
孫の顔が見たい問題も、姉と弟がすでに達成していることで解決されているはずであり、是が非でも私が産まなければいけないということはない認識でいる。
もちろん子どもはかわいいと思うし、現在子育てをされている方々に対しては頭が下がる一方だ。
他人との共同生活を送ることが苦痛で仕方がない私には到底できることではない。
社会全体が子育てに関わる人々、そして当の子ども達を大切にすべきだと、私は真剣に考えている。
これは性別問わず同世代の平均年収及び中央値を越えている(はずだ)。
つまり私の市場価値は平均よりは上に位置しているということであり、それなりに頑張っていると評価されても罰は当たらないだろう。(※ あくまで社会的ルールに則った評価軸で考えているものであり、私自身が私に対してどういう風に価値を付けているかは別問題だ)
1,000万円の生活には程遠いが、多少の贅沢くらいなら全く問題ない。貯金もできるし、投資にも多少は回せる余裕がある。
正直なところ、私はこの点について全く自信がない。
ここまでで薄々勘付いた方もいらっしゃるかもしれないが、私には可愛げがない。愛嬌をふりまく、ということができない。
元来負けん気が強く、男を立てるということができない。奢られると腹が立つし、高価すぎるプレゼントも素直に受け取ることができない。後日それよりも価値の高いものを返したりしてしまう。
愚痴を黙って聞くことができず、求められていないアドバイスをしてしまう。頷くだけでいいなら最初からそう言ってくれと思ってしまう。
掃除はするが本当に必要最低限で、クイックルワイパーで床を拭くだけ。トイレ掃除は月に2回すれば良いほう。水回りは時々思い出したかのようにパイプユニッシュを垂れ流すくらい。
洗濯物だけはちゃんとするが、柔軟剤なんて使ったことはない。シミ抜きの方法は先月初めて知ったレベルだ。
通販のダンボールは全然片付かないし、ゴミ捨てを忘れることも珍しくない。幸いGやウジ虫が湧いて出るレベルではないが、割と紙一重の生活を送っていると自分では思う。
加えて食にも興味が無い。
普段の食事は基本的にコンビニ。あるいは塩むすび。一日何も食べないなんてこともザラだ。
自炊ができないわけではないが融通が効かないのでレシピに書かれた通りのものしか作れない。(もしかしたらこれは一般的には自炊ができると言わないかもしれない)
残った野菜を廃棄した経験と、作って食べて片付けるまでの費用対効果の悪さに目を瞑ることができず、調理器具には5年以上触っていない。
私自身はまるで困ったことがないため恐らくこの先もこの生活が劇的に変わることはないと思うが、上記のような人間が果たしてちゃんと生活をしている人間と対等に肩を並べられる存在であるかは疑問だ。
そういう意味で、私の女としての価値(あるいは人間としての価値)は底値を割っているのではないかと考えている。
昨今では先に述べたジェンダーレスや生き方の多様化に伴ってロールモデルも変容している。
とは言え、じゃあ私のような人間が仮に婚活や恋活といった場に出たとて、その他素敵な女性陣と比べられては見劣りしてしまうに違いないだろう。
一般男性の思う理想の女性に求めるものが私には備わっていないように思えるし、相手の年収を気にする男性は女性よりも少ない印象がある。
それに稼げると言っても大人一人を余分に養えるほどでもなく中途半端だ。子どもを産むつもりもない。極めつけは人間的価値が怪しいときた。
こんな私をだれが好いてくれるのだろうか。
仮にそんな稀有な男性が居たとして、私がその男性の友人なら必死で止めるだろう。「一緒に生活なんてしてみろ。絶対に大変だぞ」と。
いっそのこと1本〜2本ほど稼げるようになれば、専業主夫になってくれる人も出てくるかもしれない。でも子どもが持てないというのはきっととてつもなくネックになるだろう。
やはり女の価値は稼ぐ力ではなく、接するだけで癒やしてくれたり、子どもを産むところにある気がしてならない。
そう思えば思うほど、私が所帯を持つことはほぼ不可能な気がしてしまう。
あるいは「期待されている女性像」と釣り合う稼ぎが500万円では済まないのだろうという直感があるのかもしれない。
ここが解消されない限り私が恋愛や結婚願望を持つことは難しいのだろう。
白馬の王子様はいらないが、適度なヒモなら居て欲しいかもしれない。
あぁ、だから周りに言われるのだろう。
「男を見る目がない」と。
なんでお前達インターネットのウジ虫達は他人を口汚く批判できるのか、考えてた。
冷静になると、見知らぬ人が多少ムカつくことを言っただとか、倫理にそぐわぬことをしたとか、矛盾したことを言ったくらいで叩けるのはおかしいんだよな。頭沸いてんじゃねえか?
原因は育てた親がアホだったか、知能が足りないか、生きるの下手すぎてストレス溜め込んでるせい、
みたいに雑に目測してたけど、実は違うことに気づいた。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんて言うが、その逆だ。
批判対象に似た属性の人間が友達じゃないから、口汚くなれんだな。
「こういうこと書くとあの人は嫌がるかな?」
なんて最低限の思いやりの心が発生しないから残酷になれてしまう。
俺も、ゲイ野郎はキモいから全員消えてくれって内心思ってるけど、やっぱゲイの友人出来たらそういうこと表立って書くのやめよってなったしな。
政治家に友達がいれば、あの人も大変なんやなあってどうしてもなる。
フェミニストやヴィーガンやミソジニーやら鉄オタが叩かれるのもそう。
つまり、人間が色んな属性の人間と仲良くなることで、口汚い、思いやりのない批判とかは自然と消えていくってことだ。
クソくらえだな。
そうやってお友達感覚でなあなあでやってるのが良くねえんだよ。
国会なんて毎日顔付き合わせてんだからほぼ友達感覚になるに決まってらあな。
一般人も、ロビー活動が上手いやつが得するようになってるの、そういう感情のせいだろ。