はてなキーワード: イラストレーションとは
■本文。
今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲームの場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。
なので、ダーク系のゲームの場合、プレイヤーがダイレクトに投影できるような、無個性な主人公では駄目なのだ。もっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲームは例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤーの代理人である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的な超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存のポルノ小説を支配する概念だったりもする。
そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディアは本来、男性原理が基盤となっているものだから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうもの」なのだ。
そういう意味では、ゲリラ戦の天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である[比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格が狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチな主人公に近いと思う。特定のイコンに対する執着……竜二の場合はスカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。
まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。
ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分のコンプレックスに言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。
例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分に恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供的であるが故に、一定の共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。
そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品の系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説の世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。
そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまり、マッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議な立ち位置のゲームだったりする。
無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議な立ち位置を確保していることが、昨年あたりからの手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?
でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛系ゲームの場合は、主人公の意志がプレイヤーの意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精の代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。
だから、表面的な情念をノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。
何故なら、恋愛は情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味でフォーマットが確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。
これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームでえっちシーンになると、途端に主人公が饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性の限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写とセックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立を助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化の余地を残している証拠でもある。
さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。
ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的に言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズムの類型的なイメージを排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。
そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系のジェンダー化運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標が曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存のジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。
■畜生にも劣る総括。
萌え不能症気味の筆者は、センチメンタルな感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ、物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。
仕事っつってもキーボード用意してofficeなら別にandroidでも遜色なくいけるだろうし
プッシュ通知と共有メニューのおかげでSNSはandroidのほうが大幅に有利だし
androidアプリとwinのフリーソフトがタメ張れるかというと、ことライトユースではアプリのほうが利便性高いし
タブレットはがっつりやるにはスペックもモニタサイズも足りないし、デジタイザついてても仕事で使うような3Dはおろか2Dデザイン、イラストレーションですら無理だし
https://twitter.com/Eguchinn/status/425181251914321921
なんだけど、この、ハンドルネームでネット上で絵を発表してる若い人たちに共通して感じるのは「世に出る」という感覚の希薄さ?僕らの世代だと絵でも小説でも音楽でもなんでもいいけど自分の技量で「世に出たい」というのがまずあったんですよ。この「世に出たい」という感覚がもう古いの?ダサいの?
“「世に出る」という感覚の希薄さ”を「ダサい」の一言に要約しちゃう感覚にはすげえ違和感を覚える。ダサいという形容がもうダサいっす!っていうかそれ死語っす先生〜!
――まあそれはさておいて。『虚無的なのがかっこ良く、お金儲けは下品』という昭和ベクトルでこの世代を眺めるのはいささか古い。いや江口寿史Disってるわけではないすよ? ただ、見方として、江口寿史がこのたび想定しているPixiv世代についていえば、個人もしくは仲間内でひったすら趣味活動を醸成しつづけた結果、プロ並の技量を得てしまった、とみるのが(おそらく)正しい。趣味であるゆえそれに注がれる熱量たるや凄まじいんすよね。実際生産量がムチャクチャに多いしアホみたいな書き込み量だったりするんで本当にビビリます。
技巧やノウハウについてはPixivやブログに「講座」というかたちで星の数ほどアップされていて編集者や先輩イラストレーターから教わらなくてもよい状況にありますし、できあがった完成品はPixivやTwitterという超強力ツールによって24時間いつでも品評されます(Favや評価点という定量的数値として)。なんだったら同人誌にしたためて売りに出すこと売れても売れなくても強烈なリアクションが期待できます。
――このようなサイクルに放り込まれたPixiv世代は、趣味のスタンスをまったく崩さないままプロ並と呼ばれる水準にまで到達できてしまうことも充分可能でしょう。パッと見『「世に出る」という感覚』が希薄だったり、自分の技量にやたらと無頓着だったりするのも、お金を取れるレベルに自分が達していることに気づいていないか、『プロ(=専業)』という生態を至上とはしていないせいと考えられます。
同人活動をしている知人の話になりますが、イラストレーターの報酬額には毎回とても悩むといいます。金額をまったく提示してこないからです。好きでやってるんだからタダでいいよというケースすらあるそうですよ(ちなみにイラストレーター氏は受賞歴が複数あり、Pixivではオリジナル非エロが評価点5桁レベルの技量ということです。プロで通用するレベル)。
技法や知識はネットで調べられる、絵道具はペンタブとソフトで充分、Favや評価点でレスポンスが超ハッキリ提示され、気のあう仲間と盛り上がって楽しくすごせる……。そんな環境に囲まれたPixiv世代を外部から理解するにあたり、それこそ江口寿史くらいの年齢層ならば出世欲の希薄さにフォーカスしてしらけ世代との近似を想定するのも無理からぬ話ではあります。ただし言われたほうはコレジャナイ感に満ち満ちる。以上に書いたとおり「しらけ」とは程遠い熱量を持っているからです(イラストレーターごとの個体差はもちろんあります)。むしろオタク的情熱がインプロージョンして世間から観測しづらくなったと言えるのかも。
昔のように身を賭してイラストレーション関係の賞に積極的に応募してこないのは――内部事情をビタイチ知らないので憶測ですが――リスクヘッジが働いていると見るのが妥当でしょう。プロで生きていくより平日ふつうに働いて土日の余力でちょいちょい仕事もらうほうが精神的には遥かによろしい。先が見えなさすぎるイラストレーター稼業のリスクを加味したならば、あえてプロ化しないのも至極まっとうな選択と言えます。そりゃ誰だってジジイババアになってから路頭を迷いたくはない。そういう算段を皆しっかり行うようになったんで「賢くなった」ように見えるのだと思います。
個人的には『無謀こそが最善手』とするのは精神論すぎると思う。トキワ荘のみんなは死んじゃったし。バブルも弾けて華やかな未来は霧散したし。専業はやっぱ怖いすよ。
https://twitter.com/takokainahare/status/425185441478766592
“@Eguchinn 書く事と収入のバランスが悪い。「世に出て」安定した収入を得るまで年月がかかる。働きながら趣味で描いてる方が安心ですよ。”
あと、江口寿史が働きはじめたくらいの頃はメディアたる雑誌の「賞」という入口のほかに不特定多数からリアクションを獲得する手段が存在しえなかったと思います。PixivもTwitterも21世紀のサービスですからな……。今日ではそういったSNSでいくらでも褒めてもらえることが出来る。飯の種を探すことすら可能です。今昔の違いが雑誌の賞に現れるのも、まあ妥当な作用なんじゃね?って気はします。
月刊"Model Graphix"誌上で、もっともエクスキューズの少ない(というか皆無の)ページは明貴美加の『MS少女』である。
ミリタリーやオート・モデリングはいわゆる"大人のホビー"としての正当性を主張し、
キャラクター・モデリングは"メディアミックスがどうたら……"と詭弁をたれることが可能(僕のことだ)でも、
「キャッ♡♡」の前には、どんな言い訳も成り立たない。一網打尽。万事窮す。
ということはすなわち、『MS少女』が、模型雑誌といういわゆる"病気"の世界の、
そして僕らの欲望の、もっとも"生"な部分であるということだ。
『MS少女』にの生理的拒否反応を示す"良識的な"ミリタリー・ファン(じゃあ自衛隊にでも入ればいいのに…)が多いのも、
明貴美加の『MS少女』がその部分を、無邪気に暴露してしまうからに違いない。
社会派でもある宮崎駿御大と同じ雑誌に連載されているという事実なのである。)
この8年の間に、もともとの『ガンダム』というブランドも、あの手この手で消費され続け、
TVアニメーションとその周辺のトレンド自体も二転三転している。
それどころか、ビデオ・アニメ・ゲームソフトとメディア自体が拡散しつつある。
その内容はつまるところは"メカ+コスチュームつけたキレーなネーちゃん"に尽きてしまうのである。
とくに最近は、後者さえあれば、前者は"魔法"や"スポーツ"でも代用できる。
世代にかかわらず「ファンである」と口にするのが気恥ずかしい。
だが、一見大人向け…とかシリアスなテーマ(もし、あれば…だが)の作品も、
それを抜いてしまえば、つまるところ残るのは、『MS少女』と同じなのだ。
いや、それどころか、ヤマトと森雪、ガンタンク(死語)とセイラさん、
過去の名作/ヒット作も実はこの鉄則を守り続けているのであった。
つまり、『MS少女』の存在は、一見TVアニメの副産物のように見えて、
明貴美加自身が知ると知らずとにかかわらず、
実はかなり正確な批評として機能していたことに気がつかなくてはならない。
実は(量的にはともかく精神的に)かなり貧しい我々のアニメ文化を、
知らず知らずのうちに語っているのである。
そして、その文化の本当の名は"特筆することのなさ"という文化であり、
そこに童話の『裸の王様』の中の聡明な少年のように君臨しているのが
最終的に笑われているのは僕のような
"特筆することのなさ"にまぎれもなく属しながら、
理解出来ない者なのかもしれない。
『超音速のMS少女 明貴美加ファースト・イラストレーションズ』(大日本絵画、1994)より
http://www.amazon.co.jp/dp/449922635X
(ただし、ブラウザ上での可読性を考え、引用者が適宜改行を加え、
各段落間にスペースを挿入した)
「ストパン」「ガルパン」「艦これ」とミリタリー美少女ものが大流行で、
ところが事業内容は未定。
「世の中には優秀な若者がいる。
そして、彼らと話し合って事業内容を決める。」
勤続30年を超える彼は自信満々の顔でこう言った。
仕事の知識はあるが語学や資格も無い。海外旅行どころか国内旅行の経験も少ない。
ごく狭い地元と、NHKの激動中国みたいな番組が彼の世界の全てだ。
それが、企業や大学のオープンセミナーに参加しただけで業界を理解したような気になっている。
3DCADが、金型が、テクニカルイラストレーションが、等々、彼の口からは脈絡なく単語が出てくる。
金型について、俺は基本的な質問をした。
彼はしばし固まったのち、
「マイクロソフトの正社員のセミナーに出た」「この教授のセミナーに出た」
と答えた。
だから、どうしたというのか。
彼は他の業種も批判していたが、万事この調子だ。
なぜ既存業者がそうしてるのか、基礎的な知識も実際のヒアリングも無く、自分がより高い位置から物事を見ている旨を滔々と述べるのだ。
彼はセミナーの類が好きだ。
役所の同僚と違ったことをしてるというだけで彼の自尊心は満たされるのだろう。
しかし、あんなもんで企業人レベルの知識が得られるわけがない。現場からすれば鼻で笑われるような内容だろう。
地元企業の社長連中と交流を深めていると言ってるが、ビジネス経験の無い小役人がまともに相手されてると思ってるのだろうか。
具体的なアイディアも無いのに人を集める。彼らと事業を決める。元役人。
集まった人材で出来る範囲のことを事業化する。これ自体はアイディアとしてありうるだろう。
が、楽天の三木谷社長ならともかく、事業経験も無い元役人に、誰が自分の人生を賭けるというのか。
県の補助金が出ると言ってるが、これで出すほど役所も馬鹿ではない。
これで我が家系は途絶えるのだろう。
9/26に京都で行われた「第21回 CGアニメコンテスト」の感想です。
http://animeanime.jp/news/archives/2009/09/cg_anime_ex21cg.html
入賞した全作品が上映されるかとも思っていたんですが、「CGアニカップ」に出品される作品は上映されませんでした。
さすがに2日連続で京都までは行けずアニカップは断念しました(^ ^;)
http://animeanime.jp/report/archives/2009/09/cg_anime_excg.html
●全体の印象:
僕もこのイベントを10年以上見に行っていますが、
今回は「JAPAN国際コンテンツフェスティバル(CoFesta)」の一環の「KYOTO CMEX 2009」
http://www.kyoto-cmex.com/ のイベントの1つという位置づけで、
今までとはかなりイベント自体の位置づけが変化した感じです。
主催者によると、外との繋がりを強化したい、という考えがあるとのことです。
「CGアニカップ」もNHK取材で、数ヶ月先に放映されることと思います。
イベントのパンフレットからして、フルカラーのグラビア紙。今までの白黒コピーとはまるで違いますし、
会場も巨大な電子専門学校の視聴覚ホールで、映像・音響設備も今までとは段違いです。
専門学校側としては、このイベントに協力することで、そっち方面の学生を集めたいという事でしょうね。
作品は、例年とそれほど変わりないといった感じです。
1つ気になったのは、3Dで入賞した作品は、全部3DSMAX製作だったことです。
座談会でその話も出たのですが、どうやら専門学校で採用されているのがMAXだったので、
MAXを使う人が多いということのようです。
「そこにあったから」「MAXしか使えないから」といった解答がされていました。
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●トークショー「イヴの時間がとりあえず終わって」
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00502/v05087/
の制作・Gyaoでの発表が終了した吉浦康裕監督のトークショーがありました。
最初から高質な動画を製作し、スポンサーもついて制作も順調、順風満帆に見える吉浦氏ですが、製作の舞台裏を見せてくれました。動画製作プロセスがたいへん参考になりました。
レイアウトは3Dで先に決める、ナマのCG背景では2Dのキャラとの親和性が悪いので、イフェクトをどのようにつけるのか、など。
やはりこの方の作品で考えたのは、アニメというビジネスについて、ですね。
「イヴの時間」は、わずかに作家性が強い点の他は、現在の日本の商業アニメと寸分違いのない作品です。
こういった作品はどの程度需要があり、どのルートで、どのようにビジネスとして展開ができるのか。
つらつら考えたのですが、多少手間がかかることを我慢すれば、現在の商業アニメプロダクションは、
どこでもこの方法をとることができる、ということです。
CGとデジタル撮影の発達で、従来ではありえないクオリティの「アニメ」も、非常に低コストで製作することが可能となってきている訳で、そのような作品をどうやってビジネスとして軌道に乗せるか、実験の段階を抜けつつあるように感じます。たとえば、米国で発売できれば、10倍は稼げるだろうな、と思います。
次回作は、アニメの「動き」にこだわった作品を製作したい、とのことでした。
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●以下、作品の感想など。
第21回CGアニメコンテスト受賞作品
『スターマイン』 KAN
→「CGアニカップ」発表なので未見。
作品賞
『恋するネズミ』 ひだかしんさく
→http://d.hatena.ne.jp/hidakashinsaku/
にHPを持っておられますね。
基本2D作品です。とりあえず2Dアニメが非常に巧いことに感心しました。
http://www.youtube.com/watch?v=ZVFbfByTXAs
が、各国の賞を取った、とさらっと言っていたのがたいへん印象に残りました。
なるほど、そういう方法もあるのか、といった感じ。
賞狙いでそのまま個人作家のような形になれるとオイシイかもしれません。
佳作
『the TV show』 椙本晃佑
→「CGアニカップ」発表なので未見。
→「CGアニカップ」発表なので未見。
『memory』 山元準一
→「CGアニカップ」発表なので未見。
『百鬼』 大森清一郎
→2D。CFやWEBコンテンツ等を手がけているプロの方々の作品です。
http://www.100hito.jp/cg/cg.html
こういった仕事もやっていきたい、というプロモーションの意味があるそうです。
グラフィックデザインが動いているような、さすがプロのクオリティでした。
声優さんはあっと驚く加藤精三氏。さすが格が違うといった感じでした。
入選
→「CGアニカップ」発表なので未見。
→2D作品。実写的な・・手書きのアニメーション作品には割とよくあるタイプの作品かと。
実写作品も撮っている作家さんらしいです。
ぐぐったらこういうページが出ましたが、大阪芸大の学生さんでしょうか。
http://www.daigei-eizou.com/award-2008/dfa2008hep/title/hyogen.html
『みちゃだめ』 奇志戒聖
→DVD「ひきこ」等を作っていらっしゃる3Dクリエイターの方です。
http://www.h3.dion.ne.jp/~kaisei_k/
特筆すべきは、驚異的な作品制作ペースで、2週間で1本の作品を作るそうです。
どうやったらそんな事が可能なのか、座談会のお話でもよくわかりませんでした。
背景に実写を多用し、その分モデリングの必要がないからでしょうか。
『真夜中のこども』 さよならの果実
→2D作品です。四畳半フォークなSFというかなんというか。雰囲気がいいですね(^ ^)
→ギャグ作品です。
ニコ動で大人気!笑えます(^ ^)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6463254
→http://www2.ocn.ne.jp/~tf_life/tf_kipora_.html
自主製作でこういうコンセプトで成功した作品は初めて見ました。
映像はイマイチなのですが、脚本と演出と声優の演技力で魅せます。
本当に泣ける作品は、CGAコンテストでは初めてです。
20分近い長尺を感じさせません。
→http://web.mac.com/mirai_mizue/iWeb/MIRAIwebsite/Enter.html
偏執系イラストレーションが動いているような作品です。
ここ数年、同じ作風で入賞されていますね。
国際コンペティションでいくつもの賞を取っている作品です。
座談会によると、最初からこのような作風を目指していた訳ではなく、
美大時代に教官から、このイラスト、動かしてみたら?と言われたのがきっかけだったそうです。
『2.あるいは3』 マスダガク
完全に2Dには見えませんでしたが、確かにかなりうまくいっているように見えました。
『ヤマイグイ』 金子修
→テスト版 http://www.youtube.com/watch?v=zbFoEg-pklw
http://kaneko036.art-studio.cc/
水彩風の絵がアニメーションします。
手慣れた感じで、NHKとかから今すぐにでも仕事がきそうな感じです。
初心者部門賞
『犯人は…?』 しいお
→かわいい作品ですね。一口コントといった趣です。
2位:『恋するネズミ』 ひだかしんさく
3位:『百鬼』 大森清一郎
→中学星は予想通りです(^ ^)
フリーター生活を終わらせるため、
用意したものは、
勉強したことは、
・HTML(XHTML含む)、CSS、Javascript、フラッシュ(基礎的なことのみ)、
PHP(基礎的なことのみ)
・色彩検定
・MTとWP(基礎的なことのみ)
バイト先のパソコンにフォトショップとワードとエクセルがインストールされていたため、
こっそり勉強させてもらった。
イラストレーションや、Macは触る機会が得られなかったのでちょっと不安。
で、面接は大成功。準備したかいがあったなー・・
と思ってたら、面接官が時間があるなら社内見学しないか?って誘ってくれた。
凄く嬉しい。もう採用決まったようなものだ!と思った。
で、社内見学したんだけど、何か色々ひどい。
webデザイナー、ディレクターとされる人がHTMLの参考書見ながら打ってる・・
フリーソフトかよ・・ドリバを使うんじゃなかったっけ?・・
真面目そうな人と思ったらニコニコ動画みてた・・
最後に面接官が、
今も昔も芸大とそれ以外しかないんだね。建築だけは違うんだろうけど。
美大なんて職人になれる几帳面な奴か、あとそれ以外の脳内芸術家しかいないんだし。芸大以外の出身者だからなんとなく雰囲気はわかるんだけど。まったく生活力とかとは直結しないのがこういう学校と関係者たちのムーブメントだよね。大学入試程度のスキルならさ、結局のところ訓練でしかないわけなのに、そこにアーティスティックな幻想が抱かれていたりするわけだから始末が悪いよね。美大に行ったところで芸術家として世間が認めてくれるわけじゃないからね。芸大に入れる才能とアートで生活できる才能は別物なんだから ...もし才能があるとか時代にフィットしたアート感覚があるっていうならば、美大は履歴書に書くためだけに行けばいい訳だし。
もうなんていうかイラストレーション系の公募とか出しまくって賞とって名前だけ売っておけるなら高校ぐらいから活動しててもいいんじゃないかな的なところだと思うけどな。
○上さんのアートプロジェクトとか単なるハーレムだから就職先には厳しいでしょう。なんか一味に入ってしまえば成功しそうな雰囲気は昔からあったけどね。一夫多妻制的なけん制がダメで精神的にまいっちゃって自分探しに旅立つとかノイローゼとか多いし。っていう
ことを考えるなら、進路としてはあんまり勧められないかもなあ。言ってしまえば、世界で認められるトップバレリーナになりたいみたいなモンとあんまり変らないと思うんだよね。あとプロ野球選手になりたいとかJリーガーになるっていうのと同じ意識でいいんじゃないの?
イラストレーションの分野に関してはそう思う。韓国イラストレーターのレベルの高さはすごい。
だけど、アニメ、ゲーム、漫画になると日本は他の国には全然追いつかれる様子が無い。はっきり言おう。何年経っても、他国のそういった作品は、日本に追いつけていない。近年の韓国の最新の漫画(マンファ)でさえ、日本の80年代で既にやりつくされた感が強いものしか出せない。絵面は良くてもストーリーが弱すぎる。抑圧された自分がイヤボーンの法則で解放、なんてネタは日本の雑誌じゃまず編集の段階で蹴られる。
何故日本の漫画のストーリーがすごいのかというと、日本ほど自由な発想の国は無いからだ。他国には、他国の素晴らしい文化があるが、日本ほどいろんなものを笑顔で受け入れてしまう国は無い。社会的に抑圧されてないし、ニートなんて存在さえも大量に生み出す。その自由な発想から描かれるから漫画は面白い。
抑圧された社会では、抑圧された社会に反発する漫画ばかりしか書けない。そう、かつての日本もそんな漫画であふれてた。中国も韓国も抑圧されているから、漫画にそれが現れる。実際イヤボーンをはじめ、抑圧ありきの漫画ばかりだ。
そういった意味では韓国も中国も、資本主義にならない限りは土台の部分さえも日本には絶対に並べない。
そして、韓国も中国も、資本主義になるのはまだまだずっと先で、更に資本主義がこなれるまでは更に先。俺らが生きてる間に成されるかどうか不明なぐらい先。
という事だ。