はてなキーワード: イモムシとは
江戸幕府の外交方針は、麺類の話とは関係性が少ないと思います。
ラーメンを音を立てて食べるなと言うのは、西洋文化に合わせればいいという感覚を感じるのです。
中国や韓国では犬を食べますが、欧米人の前では隠そうなんていう意見もあるそうです。(日本人が馬肉を食べるというと、韓国人はかなり不快に感じるようです)
それぞれの自国の文化を大事にしてほしいなあ、と僕などは思うのですが。
他国の文化を無条件に否定するかつての欧米人のような感覚こそが、野蛮なのだと思います。
中国では食器を手に持って食べるのは下品なのだとか。でも、日本ではご飯茶碗を手に持って食べるのが普通ですよね。
イモムシを食べる民族もいるようですが、日本人からするとかなり違和感があるのではないかと思います。
他国の文化で素晴らしいものがあれば取り入れるのはいい。だけど、無条件でなんでも取り入れるのは、その文化の取り入れ元(欧米など)からバカにされるだけです。
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
なんなんだよ女。
昨日見事にふられたわ。
どうすんだよ俺活躍出来ねーじゃねーか。
子供育てさせて食わせて働いて税金納めてやるっていってんのに女は何が不満なんだ?
何が#保育園落ちたの私だ だよクソ。
金があるのはいいけどお前と結婚するとか無理だからwとかいわれて女を養うやつなんていねーよ。
オリンピックしてもいいし不倫するのもどうでもいいから女を家に入れろよ。
消費減税とかどうでもいいから女を家に入れろよ。
シンママ(爆笑)に払うナマポがあるんなら女をきっちり躾ける教育をしろよ。
どうすんだよ親戚に説明しないとといけねーだろ。
ふざけんなよ女。
男と同等の権利も主張もしたいけど優遇もされたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかボケ。
国が子供生ませないでどうすんだよ。
女が引き下がれば子供養えるってやつはゴマンといないだろうけどとりあえず所得税下げろよ。
反日活動にうつつを抜かしてる貧乏人や外国人見繕って本国に送還するかナマポ停止すれば財源作れるだろ。
まじいい加減にしろよ女。
コンパンとバタフリーのデザインが似ていることからバタフリーとモルフォンは入れ替わっているのではないかという推測がある。
まずバタフリーとモルフォンは入れ替わっていると思う。コンパンとバタフリーは明らかに似ている。つまり「キャタピー→トランセル→モルフォン」と「コンパン→バタフリー」が本来の進化である。
次にその理由について考えた。
まずコンパン バタフリーは可愛いが虫として不自然すぎる。哺乳類に虫っぽさを加えたようなデザインである。
逆にキャタピートランセルモルフォンは気持ち悪いほど虫である。
こういう分担があったのだと思う。
しかし開発中に「コンパンバタフリーは虫として不自然すぎないか」という声が出たのではないだろうか。
可愛さと虫っぽさを両立するにはどうしたらいいか。その答えがバタフリーとモルフォンの入れ替えだったのではないか。
バタフリーの可愛さは残しつつ、進化前のキャタピートランセルで虫っぽさを加える。そして余ったコンパンとモルフォンをくっつけて終了である。
アニメにおいてバタフリーはキャタピーから成長過程が描写される重要キャラとして活躍した。イモムシからサナギへ サナギから羽化というリアルな描写によってストーリーの説得力が増した。バタフリーとモルフォンの入れ替えは成功だったと言えよう。