はてなキーワード: イギリス料理とは
当然現地で飯を食ったんだが、当たりハズレの振り幅が悪い意味で少なくて驚いた。
もちろん美味い店もあったが、全体的に美味しい訳ではなく、これとこれは美味いが、他は微妙、という具合。
初めて現地でちゃんとした食事をしたのは、現地の同僚に誘われた夕食だった。
グリーンピースのような豆と小さな人参のソテーと、ローストポーク。
重い。
重すぎる。
あと、味付けが全体的に薄い。
食感も悪く、別日に食べたパスタに至っては生っぽかった。
それを見ていた同僚が、イギリス料理は卓上調味料をかけて自分好みの味にするんだと教えてくれた。
さっそくオススメされた調味料をかけて食べたが、感想は「フフッ……」である。
何かけてもクセ強くって油っこくて駄目だわ、という諦めの笑みだ。
歳のせいか揚げ物が辛くなり始めた年頃に、イギリス料理は厳しかった。
誤解のないように再度言うが、美味いものもある。
日本にだって不味い店があるように、イギリスにも美味い店、不味い店がある。
今回はたまたま不味い店に当たりやすく、ちいかわになってしまった。
それだけだと思いたい。
9日のロシアの戦勝記念日で人々が国歌を歌っている場面を偶然ニュースで見てしまったのだが、
確かに、ロシアの国歌はカッコいいという認識は以前から持っていたが、
いや、それどころではない、2位以下を蹴散らす段違いに美しくて力強い国歌なんだわこれ。
いい機会なので他国の国歌を聴いてみた。音楽理論に造詣がないので描写が稚拙なのを許してほしい。
フランス国歌: うーん・・・勇ましい、リズミカルだ。なんだろう、まるでポップミュージックみたいな国歌だ。
アメリカ国歌: 美しい。正統派の美しさだ。しかしどこか深みが足りない。炭酸の抜けたコーラのようだ。
君が代:美しい。でも暗すぎる。奥ゆかしさは申し分ない。
中国国歌:これはフランス国歌と同類のようだ。同じ調だ。申し訳ないが、雄鶏が飛び跳ねるような印象を受けた。でもラストはテンション上がるね!
イギリス国歌:掴みどころがない。こんなに掴みどころのないメロディーはいままで聴いたことがない。イギリス料理もこんな感じ?
もう素晴らしすぎる。美しさ、切なさ、心の奥底に秘める力強さ・・・
これをこの広い宇宙の対しての、人類を表す歌として制定したいくらいだ。
戦争でロシアに対して厳しい視線が向けられ、ロシアに対する嫌悪がはびこる中、久々に美しいロシアの国歌を聴いた私は不意を突かれたような気分になり唖然となった。
今やイギリスの国民食と言われているらしい、チキンティッカマサラ。
要は骨なしタンドリーチキンみたいな焼いた鶏を、トマト・クリームベースのカレーソースで煮込んだ料理。
前々から興味があっていつか食べたいと思っていたら、以前大評判になったとかいうイギリス輸入モノの合わせ調味料が地元のKALDIに売っていたので、早速買って作ってみた。
使った肉は鶏もも肉。
本当はチキンティッカもカレーソースもイチから作りたいのだが、インド料理はイタリア料理と同様、旨味を加えることがなかなか難しい(それでもフランス料理よりはマシだが)うえに、色々スパイス買っても使い切れなさそうでスルーしてたと。
なので、こういう美味しくて手軽な合わせ調味料は本当に助かる。
ちなみにこのシリーズでチキンティッカマサラは甘口カレーにあたり、他にイギリスのカレー店やインド料理店の定番とされるローガンジョシュ(中辛)、ジャルフレージ(辛口)をラインナップしている。
こっちもそのうち試すかも。
確かイギリス料理って、イギリス人の国民性なのか塩味と旨味が希薄と聞くし、そもそもイギリスは食品添加物に厳しくて、旨味を増強可能なあれこれを殆ど入れられないんでしょ?
だから実際これの原材料には、それっぽいもの(アミノ酸とかタンパク質加水分解物とか…)が全く見当たらない。
でも、そういう背景があることなんて信じられないくらい、とんでもなく美味しいってヤバくない!?
一体全体どういう魔法を使ったら、こんなに美味しくできるんだろう…。
いつも「油・塩・旨味!」で料理を攻めている(例えば卵かけご飯だったら醤油・オリーブオイルそれぞれ小さじ2、味の素3振り入れたりする)自分としては素直に驚くと同時に、少なからず敗北感を味わったのだった。
「何故チョコレートに対してそこまでむきになるのか?」という疑問で喧嘩腰になっているが、その人達の共通点はイギリスの風土に言及しないこと。
留学経験がある人ほど「下手に語ればジャップがどう曲解するかわかったもんじゃない」と警戒しているでしょうね。
イギリス料理が不味いのはもはや常識。むしろイギリス人にとっての食事事情は日本人にとっての校則と同じぐらい深淵と考えた方がいい。
むしろ、日本を舞台にしたこんなディストピアを想像しましたよ。
「イギリスの独善は健康なのに日本の独善は性犯罪取り締まりなんだから恥ずかしい!!」
「日本のクソガキはたかが制服でガタガタ言い過ぎだ! チョコレートアンダーグラウンドを読め! 下セカは日本の恥だ!!」
偏見を開き直って書かせたもらいますと、ぼくらの七日間戦争が露骨もとい堂々とした理不尽校則によって誕生したのに対し、チョコレートアンダーグラウンドはイギリスの貧しい食事事情によって誕生したのです。
っていうかさぁ 【ぼくらのチョコレート戦争】 という副題の方が日本の恥じゃないの? それとも「これがジャップランドの学級委員女性です」と紹介したいの? よくフェミニストに叱られないよね。
制作関係者を非難する悼んでいる人への批判として、「それを言うならお前らだって酷いだろ」というのは、悼んでいる人のロジックの都合の良さを指摘しているのであって、悼んでいる人を責める事は眼目にない。悼んでいる読者が「たしかに何も言わずに消費していた私たちも悪いんだけどさ…」と自省しているなら彼らの論理のスジは通るが、そんな人はいない。
関係者に弔意が無いかはわからない。「外在する読者」にとっては弔意が無いように見える、たとえ関係者が釈明したとて「だから何?」で、そう見えてしまっているだけで十分非難に値するということなのだろうけど、そういうのを認めていくと、歴史は真実を無視した大衆の印象で決まる、ということになってしまう。
少なくとも明治時代から広告・宣伝業者に節操がない、というのは正しいのだろう。けれども、フェミニストなどの粘り強い批判によって、彼らのモラルも変わってきた。批判もまた表現だから、読者が作者からの影響を受けるのと同じように広告サイドも変化する。反省するし、人員が入れ替わっていくことで作る体制が刷新される。だから良心を期待しない方がいい、なんて事はない。
ところで、お書きになった増田の本論自体はとても面白いですね。「作品は誰のものか論」。作者と読者が相互に影響を与えあって歴史に意味を刻んでいくなら、「面白い」とか「良い作品」とかの概念はなんなんだろう。その時の人間たちがどんな感性をしているかで作品の価値が決まるなら… ある時点から見た価値はなんら正しい保証はなく、それどころか評価する人間のグループによっても変わってくるということにならないか。イギリスの料理はマズイ、マズイと昨今の日本人はいうけれど、「イギリス料理はマズイ」と言い切れる人はどこにも居ない、発生しえない。そうなってくる。さらに、作品自体のクオリティをあげるのではなく、ファンに働きかけることで作品の評価を向上させる、そんな戦略も有りになってくるはずだ。そういうのは邪道だと思っていたのだが、この見方に基づくと、戦略の優劣、それを比べる意味は消えてしまう。ならば何を持って作品を評価していけばいいのか。クオリアというか、寄って立つものが無くなってしまう。