はてなキーワード: アルファーブロガーとは
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
アルファーブロガーに突っかかることを生きがいにしている人と言えば誰だろう。
http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091025/p1
既存の仕組みに異を唱えるだけで、何故それが今現在の形に出来上がっているのかという点については全く考えようとしない
いや、すばらしいね。あの人の毒々しいスタイルが苦手な方もこれは読むべき。これだけでいいので読んでほしい。稚拙な知識で現状否定しかできないブロガーの低俗さを一刀両断している。KoshianXさんの主張だけでなく、存在そのものにすら踏みこんで斬り捨てている。チンケな想像力と自分のおもちゃ(ネット)に対する過剰な期待と現状認識の甘さと社会への批判的な立ち位置を単にブログで表明したいだけの数多のブロガー達の否定でもある。彼らのやっていることはただの自己満足という名のオナニーブログであり、社会に影響を与えるセックスブログでは無いと言い切った。同意である。エントリーを読みながら100回ほど頷いてしまった。興奮してまだ寝られない。
今年のアルファーブロガーアワードが去年と同じ記事単位での募集ならば私はこのエントリーを推薦したいぐらい。そこまである。そのくらいの価値がある。彼はただの罵倒男ではなかった。このようなエントリーをもっと彼には書いてほしい。個人的な恨みから発生する罵倒エントリーが多すぎるのでもっと大きなものを斬っていただきたいと思う。
既にオナニーブロガーは世に必要とされておらず、今後のブログ文化の成熟のために彼らには退場していただきたい。オナニーブログの終焉をここに宣言する。
荒らしではないけれど、こちらに対して好意をもっていないのは確か。
元々、100pv/day行かないようなブログだからコメントをもらうのが久しぶり。そのため、このコメントが目立つ。
一週間前に有名なblogにトラックバックをしたところ、pv数が一気に増加。そんな状態の時に上記のコメントがされていた。
正直言って、こちらの言いたいことをほとんど理解していない。多分、脊髄反射で書いたんだろうなという内容。
反論の文面をつくってupする直前にふと思った、このコメントに反論して意味あるの?
自分の想いに対する反発のコメントなので、反論したいのは山々だけど、たぶん、先方はこちらのコメントにコメントをしてくるに違いない。
お互いの根本の考え方が違う以上、建設的な議論にはならない。ブログ主の私が自分の文章を噛み砕いて説明して、先方がそれの問題点を
指摘する(揚げ足を取る)。文章だけで行われる不快度100%の議論。
そして、ジャッジをする人がいない以上、決着はつかない。議論が議論を呼び、どちらかが疲れた時点で終戦。
以前、人のブログで議論した時の徒労感を思い出した。その時は、対立する建設的な意見の議論だったのだが、数日にかけて行われ、非常に疲れた。
身のない議論に時間を費やしても仕方ない気がしてきたので、一度書いた文章は破棄。アルファーブロガーでもコメントに対してコメントをしない人も
いるので、それに倣うことにした。
幸い、コメントにコメントをしたことはほとんどない。ブログを見た人には、反論できずに黙っているのではなく、元々コメントにはコメントしない
財産として見られようがなんだろうが、ブログは売ったらおしまいの気がする。
匿名で書くブロガーばかりの中、突然私のブログを誰かに親族が売りつけたとして。
こんなエントリを書かれたらどうだろうか。
教えてあげるよ。
ホームページを作る人のネタ帳が書きそうな事だから誰も不思議に思わないよ。
ここは悪気があっていうわけではなく、あくまでアルファーブロガーという影響力を考えて書きますが、例えば90万PVを誇る404 Blog Not Foundの著者、dankogai氏が亡くなられた場合、あの方のブログというのは、ある意味『財産』になるのではないだろうか。
そこから発生するアマゾンの売り上げなど、会社としての利益ではなく、個人として銀行口座に売り上げが振り込まれているのであれば(仮定)、それはきっと財産として見られ、銀行口座は凍結する。
・・・・凍結って・・・なぜ?
国内ブログユーザーNo1(スパムユーザー含む)FC2がもしも本気でユーザーを無視した広告展開をするとなれば、本当に絶大な力を持っているんだなという事が、今回の考察のたどり着いた答えになりました。
http://anond.hatelabo.jp/20071107085350
例えば、「増田」で時間つぶしてる友達がいたとして
その友達から、「ガチでブチマケられる!。すごいいい!。仮面だらけの、**ブログとは全然違う!」と言われたとして
いくら肥溜めそのものの、益田とはいえ、普段ブログ自体、いやネットを毛嫌いしている女友達が、ここまで薦めたら、きっとアカウントとってしまうだろう。実験とはいえダラダラ続いてるのもには、
なにかしら心にひっかかる素晴らしいものなのだろう、と
そこで「ガチでぶちまけられる」の言葉を信じ、期待度が高まった状態で増田とやらを読んでみる。
ところが、残念ながら自分には合わなかったとする。
普段ネットにはまらない女友達のような人間居は、薄っぺらい騙しのテクニックで感動させられたとしても、私のようなアルファーブロガーは騙せない。
増田は、普段はてなダイアリーでまともに書けない人間向けの場所…
(いや、場所と呼んでしまうこと自体、ほんとうのブロガーを侮辱することになるのだけど)
であって、私のようなネット中毒者が陥っては逝けないものなのだ」
と率直に感じたものだから、増田で感動した女友達に、「合わなかった」とだけ伝えたとする。
後になってネットでの評判を見て、あらかたの人は自分と同じ印象を持ったんだなぁと安心して、今度は、
増田(笑)で屯して、「ガチでブチマケられる」と言ってるガキは、完全に頭がいかれてる。ゆとりの弊害。
というように、益田を非難する人がいたとする。
なんで自分が理解できなかったからって、それを読んで感動した人まで批難してしまうわけ?
どういうものに感動するか、共感するかなんて、人によって違うわけでしょ?
自分の価値観だけで、全てを押しつけてしまうのなんて間違ってる。
増田で「ガチでブチマケられる」と感動した女友達を、増田以外の本当のブログで感動させることができるわけ?
できないでしょ?
ネットに興味のない友達にブログを書かせただけでも、十分素晴らしいものだと考えるべき。
「増田(笑)は、場所でさえない」などと、自分の価値観を押しつけることは、例えばこう言ってしまうことと同じ。
)ry
アルファーブロガーになれなかった人の妬みは怖いよ。
誰かに承認して欲しいとせつせつと訴えるなんともわかりやすい人はいるものだ。巷だとアルファーブロガーだったりいろいろ。エントリーのタイトルに「αを支持する------(論旨)」とまでつける人を見たことがあり、これにはまじで腰をぬかした。「(論旨)------αを支持する」だとまだいいのだが。
賛成する箇所はリンクで示すことができ、TBもとばせるのだから何もそこまでしなくてもいいだろう。僕はネット上で一面しか晒していない著名人に全力で賛意を示すなんて怖すぎてできない。せいぜいその意見に賛意をちょこっと示すことならできる。なにか著名人へにじり寄る不潔な依存性をみて寒気がした。
反動が怖い気もするが、予防線を張っているだけ賛意をよせられたαは無駄に歳をとっていないのだろう(笑)
まあ、そんな党派ごっこなら、リアルの世界で存分にしてくれればいいのに。たぶんリアルの世界では「おれってなになに派」とかいって肩で風をきっているのだろう。やっぱりリアルの不完全部分を補うネットでありたいという願望は無駄に歳をとった人につぶされるのだろうか。