はてなキーワード: アポイントとは
それを自分の身で実感することになるとは思わなかった、というお話。
ツイッターでわざわざ新規アカウントとって投稿することでもないしそんな気力もない、5ちゃんに書くとなると長文自分語りになる。
頭スカスカ恋愛脳クソ女と思う人が多いと思うけど、もやもやが止まらないのでここで吐き出させてくれ。
前提
発端は私自身の部署異動。入社以来総務や経理の仕事をしていたが、もともと外向きの仕事を希望していたこともあり、地域の営業職への異動希望をだし、昨年受理された。
右も左もわからない自分に新しい上司がメンターとしてつけてくれたのが相手の人だった。
その地域でもトップを争うような実績もあり、知識も豊富で面倒見の良いベテラン営業マン。多くの新人がその人の元で育っていったということらしい。
ちなみに、私の会社は組織が少し特殊で、自分とその相手の人は同じ建物で仕事をしていない。そのため毎日顔を合わせるわけではない。
ただ、営業に同行してクライアントとの話し方や提案の仕方などを学ぶ“先輩”として自分にもついてくれることになった。
相手からは本当にたくさんのことを学ぶことができたと思う。それは実務的な部分だけではない。とても楽しそうに、自信と誇りを持って仕事をしている姿は、
「営業職の楽しさ」を教えてくれているのだなと感じた。そんな姿がとてもかっこよくて、とてつもなく憧れた。
そんな日々を過ごしていたある日、クライアントとのアポイントが夕方になったため、その後お疲れ様会をしようという話になった。
もともと私は人とお酒を飲むのが好きであり、男性と2人で食事をすることに抵抗感がないことや、
(もちろん自分に彼氏がいたり相手にパートナーいる場合は配慮するが)
仕事を通して仲良くなっていたこともあったため、本当に先輩や友達と飲みに行くくらいの気持ちで、2人で飲みに行くこととなった。
先に結論を言っておくと、この時点でそういう関係になったわけでもないし、ワンナイトしてしまったわけでもない。
ただ楽しく飲んだだけ。色んな事を話して、話して、とても楽しかったことを覚えている。
ただ、不思議だなと思ったのが、“家族”の話が一切相手からでてこなかったこと。
30代後半で家庭持ちだと家族の話題って出てくることが多いから、この時点では「未婚かバツ持ちかなー」と思っていた。
ここで聞き出さなかったこと、本当に自分で浅慮で頭が悪かったなあと振り返って思う。
メンタル弱いということはこの時点で話してくれた。一時会社を休職していたこともあるらしいが今は回復しているということで特に気にしなかった。
そんな中、きっかけとなった日が訪れる。休日にプライベートで出かける約束になったのだ。
目的地で楽しみ、食事して、その後に相手から想いを告げられた。憧れていた人から自分も好かれていた事。
正直、とても嬉しかった。そしてその日から仕事のパートナーだけの関係ではなくなった。
それから真実を知るまで、とても楽しく充実していた。仕事終わりに食事したり、色々なことを話したり、セックスしたり。
仕事もたくさんのことを教えてもらって。幸せだった。でもそれは自分だけが、自分たちだけの幸せだったのだ。
ある日、とうとう相手からカミングアウトされる。相手には奥さんがいること。中学生になる子供がいること。
だけど夫婦関係は崩壊していて家庭内別居状態だということ。奥さん方の家族と同居(2世帯住宅?)しているが関係がうまくいっておらず、それがきっかけでメンタル不調が再発しているということ。
それをきいて「あー、やっぱりかー」「そりゃ家庭の話はしないわー」と思うのと同時に「不貞行為する既婚男性の常套句じゃないかーい」と心の中で突っ込みをいれた。
しかし、その時は頭スカスカ恋愛脳クソ女だった私は、正常な判断ができなかった。
「メンタル再発するくらいひどい家庭なんだ!私が支えないと!私なら幸せにできる!」
うすっぺらな自意識とバカみたいな正義感、そして発揮すべきでないところで出てきてしまった母性本能。
「とりあえず“その時がくるまで待つ”」を選んでしまったのだ。
タイムマシンがあったらあの時の私をひっぱたいて目を覚ましてやりたい。
ちなみにメンタル不調は本当だと思う。相手は食事がとれなくなり、職場の同僚だけでなくクライアントまでもが心配するくらい激やせしてしまっていたので。
(私といるときは少しだけ食事をしてくれたため、さらに一緒にいなきゃという気持ちになってしまっていた。)
カミングアウト後も、罪悪感を持ちながらも関係は大きく変えずに過ごしていた、頭スカスカ恋愛脳クソ女の私は完全に依存してしまっていた。
この関係の中で自分が必要とされていることが嬉しかった。仕事で絡みが多いので完全に連絡をシャットアウトすることが不可能だったこともある。
しかし世の中は甘くない。悪は暴かれるのである。事件は起こった。相手の奥さんが私の家に訪れたのだ。
奥さんが訪れたのは、ちょうど仕事で私の帰宅が遅くなった日で、母が対応してくれた。
家を特定されたのは奥さんが不貞行為の証拠を押さえるために興信所を雇っていたのと、雇っていたその期間に相手の車で家の近くまで送ってもらったことがあったことから。
帰宅後、母と長い時間話をした。母は冷静だった。もともと私の家は家族仲も良く、普段から色々なことを話せる関係ではあったので、母は私の話を聞いてくれた上で叱ってくれた。
こんな関係を続けて幸せになれると思っているのか?その相手と仮に一緒になったとして誰が祝福してくれるのか?奥さんだけでなく、未来のある相手の子供も傷つけている。
お互い慰謝料も払い、子供がいるなら養育費も払いで金銭的に困った生活になるのは目に見えている。母は私に苦しい人生を歩んでほしくないし、そのためにここまで育てたのではない。
また、奥さんが来訪した際に母と連絡先を交換しており、やり取りをしていたらしい。
聞いた話だと、奥さんは子供の将来を考えて離婚はしたくないこと。また、私もまだ若い年齢だということもあり、正しい道に進んでほしいということを考えてくれていること。
おおごとにせず話を決着させたいと考えていること。
頭をガンっと打ち付けられた気持ちがした。同時になんて取り返しのつかないことをしたのか、と大きな後悔が押し寄せた。
私が見ていたのは、目先の幸せだったのだ。頭スカスカの私でもさすがに理解できる。
本当に申し訳ないと思った。自分の浅はかな考えで人を凶器よりもひどい方法で傷つけていて、かつ気を遣わせていることに、「取り返しのつかないことをしてしまった」と
ようやく、遅すぎるが気がつくことができたのだ。
それから、相手とは会っていない。仕事でも一緒になることがなくなった。
しかし、相手のメンタルがきがかりで、完全に連絡を絶つことができなかった。
やっぱり好きという感情にはあらがえず、そのままズルズルと一か月がたってしまっていた。
距離をとると冷静になるもので、やっと自分の将来について考えることができた。
多くのものを失ってでも一緒にいることが最適解なのか?私は自分の家族と友達と縁をきりたくない。それに人の不幸の上に自分の幸せを創り上げることはできない。
もし自分と相手が一緒になった場合はどうか?今も奥さんの家族と不仲でそれが一因でメンタルに不調をきたしているのに、私の家族からも同様の扱いを受けてしまう可能性が高い。
「愛があればお金はいらない」建前では言うことができるけど、本当にそういう境遇になったときに笑って同じことが言えるのだろうか?私にはきっとそれはできない。
引き際だと思った。
やっと、連絡をとることをやめることができた。そして現在に至る。
結局。
相手は結局離婚することになったらしい。メンタル不調により、休職はしないまでも営業職はおりてしまうそうだ。
私は奥さんにはこんなものでお詫びになるとも思っていないが慰謝料を支払った。
きっと自分の人生は独りで終わっていくのだろう。自分が幸せになる資格はないのだから。
こんなだらだらと書いたものを最後まで読んでくれる人は少ないと思う。
ましてや現在進行形でそういう関係を持っている人や持ってしまいそうな人がここまで読むことはないとは思うが、今回私が感じたことを最後にお伝えしたい。
ばれないなんてことは絶対に、絶対にない。不倫の先に幸せはない。自分も相手もいつかは不幸になるし、周りの人も全て壊してしまう。
全てを投げ出してでも続けるべき関係なのか?今感じているその“幸せ”は本物なのか?
渦中にいるとなかなか難しいとは思うの、自分自身も冷静に考えてほしいと思う。
・社長に電話を取り次いで貰えなかったら、「じゃあ携帯にかけます」と言えと言われる(当然携帯番号は知らないが、社長に取り次いでもらいやすくなる)
・営業時間外は電話番が居ないから担当者が直接電話に出る可能性が高いと言われる
・給料は無い
・当然雇用契約書も無い
もっとヤバい話もあるけれど、知り合いが見たら身バレするのでここには書かない。
当時内定が全然出なくて、焦ってこういう会社でインターンしてしまった。
アポイント先の社長に「そんな会社は辞めろ」と諭されて目が覚めた。その社長に僕のガッツが買われてうちに来ないかと誘われたが、その会社も朝礼で絶叫するタイプだったので丁重にお断りした。
・一時保護所では1人部屋に子ども2人いれたり、食事の時間をこまかく分けたりしてた。
・冬場はお風呂は3日に1回で時間も細かく決めて15分。職員が足らない。
・なぜ定員オーバーか→児童養護施設の空きがない、相談件数が増加しているのに規模が拡大していない。
・一時保護所なのにみんな長期入所になってしまう。緊急保護の受け入れ体制を確保するために、長期の子はできるだけ家庭に帰すことがあった。
・保護するには法の壁がたくさんあり、動けないこともあった。警察はすぐ逮捕できるような案件でなければ動いてくれない。
・親が手放すことを望んでない場合、親から引き離すことは相当大変。訪問しても居留守、強引に動けばすぐに訴えられる。訪問先で保護者から逆に警察を呼ばれることも。
・配偶者の片方に虐待疑いがある場合、もう片方に被害届けの提出やシェルターを利用しての別居など提案してもなかなか動かない(共依存)
・保護者だけでなく、保護した子どもから恨まれることが多い(虐待児が親への愛着があり家に帰りたいということはよくある。)
・児童福祉司はみんな月80時間以上残業して勤務時間外に研修を受けさせられたりしていた。
・一人の職員が100人違い児童を担当することがよくあり、訪問や連絡の頻度も限界があった。
・虐待だけではなく、発達や障害、非行、育児相談なと様々な相談に乗っている
(中学生が公園でスケボーしててうるさい、コンビニに自転車違法駐輪、隣の家の夜泣きがうるさい、妻が子どもを連れて家出、子どもがいじめられてる、不登校など)
・新卒の若い子はみんな使命感を持って入職してくる。大学で福祉を学び、資格も取り、児童相談所で働くことを希望して採用試験を受けた人ばかり。そんな子が半年でうつ病になり休職してしまったりする。
https://anond.hatelabo.jp/20181111063412を読んで書いてみた
半年ほど前に2年弱付き合った彼女と別れたのを機にお一人様生活を楽しんでいたつもりだったが、やっぱりなんだか寂しい。元カノとは同棲もしていて、色々大変なことも多かったけど、今思えば充実した日々を過ごしていたんだと思う。そんな日々を取り戻したいけど、日々の生活ではまったくと言っていいほど出会いが無く、テクノロジーの力を借りてみるのも悪くないだろうと思い使ってみることにした。
使ったアプリはメンタリストが監修しているとかいう比較的若者向けのやつ。他のアプリも無料いいねだけしてみたが、一番反応が良かったので3ヶ月課金することした。写真は2年前くらいに友達と焼肉食った時に取った集合写真の自分のところをクローズアップしたもの。これしか良いのがなかった。プロフィールは全部埋めたほうが興味を持つかなと思いボリューミーに書き込んだ。
毎日ランダムいいねが5とイベントいいねが10できるのだが、それで大体1人くらいマッチングする感じ。プラス月間付与の50いいねもあるので、マッチング自体は管理しきれないくらいにはなる。数えるのは面倒。メッセージもタイミングで5人くらいと並行でやり取りしなければいけないし、その上、最初は上辺を掬うような中身のない話ばかりで骨が折れるため大変である。その中でもやり取りが続く人が何人かいたので、タイミングを見計らってアポイントを取り実際に会ってみた。
なお、当方どブラック企業に務めており、転職活動中だったため3ヶ月で5名と少なめの成果になってしまった。
マッチングしてからラインを交換して、メッセージを重ね、電話も1回してから会うことに。写真もおしとやかな雰囲気で一見可愛かったので、テンション上げ目で待ち合わせ場所へ。第一印象は思っていたルックスと全然違ったため、正直一気にテンションダウン。前日に前髪切りすぎちゃってと言っていたが、君の課題部分は前髪ではないぞ。とりあえずお腹は空いていたので、予定していたお店に入りランチ。他愛もない話をする。その後帰ればよかったが、せっかくということで、繁華街をぶらぶらし、神社っぽいところを周り、高いところに登る。ベンチに座ると「私結構、素で話せてますよ!」とアピールしてきたが、申し訳ないがこちらがその気になれない。その後晩飯まで食べ、帰宅した。
その後も少しやり取りしたが、こちらからフェードアウトさせてもらった。
メシ代-5000
高い所-1500
マッチングしてから比較的短期間で会った人。私としては会う前に電話でもして印象を把握しておきたいところだったが、居住環境から頑なに拒否され、メッセージのみで約束の日に。第一印象はとてもとてもにこやかで明るくハキハキとした活発女子。美人さんではないかもしれないが、愛嬌がある。そのままイタリアンでランチ。普通に楽しく会話していたのだが、どうも上辺感が抜けない。この子の心を開かせるのはなかなか難しいぞと察する。そのあと軽く商業施設を見て回る。今まで付き合ったことのないメリハリ感で面白い。そのままその日は友達とご飯に行くとのことで晩飯前に解散した。
その子とはその後もやり取りし、もう一度会うことに。話題のテーマパークに行くことになった。合流し、食事をしてテーマパークへ。そのあと商業施設も見て回ったが、なんとなく合わない感じ。それは相手も感じていたらしく、もう今日は帰ろうということで駅へ向かい解散。その後はやり取りなし。
メシ代計-5000
テーマパーク-7000
ラインで電話もして、会話も楽しかった子。ただ非常に忙しいらしく、メッセージは1日に1回のみ。話の流れで会ってみようということになった。合流するとニコニコして愛嬌があるタイプ。こちらも美人さんというわけではないが、惹かれるので、俺は愛嬌がある子が好きなんだと再確認。そもそも元カノもそういうタイプだ。お腹すきましたねということで、ハンバーグランチ。終始おしゃべりしていたし、上辺感もないように感じたので、良い感触を得る。ただ後で考えれば無理して話続けていたのではとも思う。その後、たまたま共通の趣味があるとのことでショップに入り、少し見て回った後、友達と会う約束があるということで離脱。いきなりそっけないぞと思い嫌な予感を感じたので、もう一度会いたい旨伝えて解散。
その後もやり取りを続け、次のアポイントを取ろうと尽力したが、伝家の宝刀、親戚の法事を使われてしまい、これは駄目なやつだと思い手を引いた。
メシ代-2500
前にあった人から時間が空き、暇になったので会ってみた人。写真からしてあんまり好みではなかったが、会ってみないと分からないなと思い会うことに。第一印象は予想通りというか、それでも別になしではない。ただ会話するに連れて、話のテンポがそこまで合わないなと感じる。いつもどおり適当にランチ。なんとなく入ったピッツェリアだったが、ホールの方のサービスが行き届いていて良いなと思った。ロケーションも良い。適当にお話するが、なんとも会話がいつもちょっとめんどくさい感じだった。いい人あなのは確かだが、なかなか難しい。その後は甘いものが個人的に食べたかったので、少し甘味を食べ歩きし、家でやらなければならないことがあったので、変える流れにして解散した。その後もメッセージは続け、あちらはもう一度会いたいような雰囲気だったが、フェードアウトさせてもらった。
メシ代-4000
正直2ヶ月目くらいからめんどくさくて真面目にマッチングアプリを使ってなかったが、テンポよく会う流れまで行ったので、会うことになった。なお外国人で今ま外国人と交流したこともなかったので、単純な興味もあった。カフェで待ち合わせしそこで少しおしゃべり。意思疎通は完璧に出来るが、ところどころ日本語が間違っており、それも含めて面白い。リアクションも基本オーバーなので楽しい。外国人悪くないやんと思いながらいつもどおりランチへ。もう相手の食べたいものなどを考えずに、自分が食べたいものを休日に食べに行こうみたいな感じだったため、寿司を選択。普通に旨いので満足。そのあとテーマパークへ行き、話の流れでお化け屋敷へ。怖いのはそこまで得意じゃないそうで、会ってまだ2、3時間だが、少し密着しながら前に進む。吊橋効果全開である。そのあと、またカフェに行きおしゃべりした後、晩ごはんへ誘ったが、今日は帰るとのことで解散。白黒はっきりしている性格なのは理解していたので、明日も仕事だし帰りたかったのだと思う。
その後も少しやり取りし、今度紅葉を見に行く話になっているが、基本的にメッセージはこちらからで、あちらから来ないので、そんな乗り気ではないのかもしれない。そこは分からない。
メシ代-1000
3ヶ月と区切って使用したが、彼女は出来なかった。というか私も相手もスペックやルックスを見合いながらの判断になっているし、もっといい人がいるかもしれないという気持ちがあるため、交換不可能な存在に昇格させるまでの苦労が他の出会より多分大きい。真面目に使えば使うほどその傾向が顕著になると思うので、少し遊ぶようなつもりで使うと良かったなと思う。ただ、他にも話のタイミング的に会えそうな方はいたが、こちらの日程がなかったために見送った方が結構いて、もったいないことをした。単純にいろんな方に会うことが出来るため、その点面白いが、小さい失恋や、こちらから振る心苦しさもあるので精神力をすり減らしていくアプリだと思った。
小計-26000
アプリ3ヶ月-8800
計-34800
https://anond.hatelabo.jp/20181005233454
↑これを書いたものです。書いたとおり会社を離れることになり、次の職場も決まっている。8月から9月いっぱい活動し、複数社内定をいただいた。アラフォーのジョブホッパーだが、人生の中で最も就職活動がうまく行った時期だった。別に自分が優れているわけでも何でもなく、超売り手市場の売り手職種だったというだけである。しばらくは転職したくない。
以前高内定率のハイスペックジョブホッパー増田がバズっていたが、自分は平凡なおっさんジョブホッパーなので、多分この増田は誰かの役に立つと思う。
※例によって身バレすると現職と次職と面接受けた会社に迷惑かかるのである程度ぼかす。
はてブもGoogleもすっかりアフィスパムに汚染され、ビズリーチやワークポートへのアフィブログばかりだったから。増田に書いたのもタダで拡散するため。
正直、並レベルの実力があるWebエンジニアならエージェントやビズリーチを使う必要はない。ヘッドハンティングがほしければ、Wantedlyにレジュメを登録して、Qiitaに何個か記事を投げておけば勝手に来る(役に立つかどうかは保証できないが)。
Qiitaじゃなくて増田に書いたのは、Qiitaはテック系の記事を投稿すべきものでQiitaにある転職系の投稿は全部ゴミだと思っているから。そもそも規約違反だしね。
エンジニア転職の定番である。ここにレジュメを登録しておくと、確度の高いスカウトが来たり、「気になる」が届いたりするので、これを利用して気になった会社とコンタクトを取りカジュアル面談をする。
職務経歴書&ポートフォリオも書面ではなくWEB(今流行りのサーバーレス)で作った。個人情報もあるので認証付き。去年あたりはやったOSS職務経歴書はやっていない。
試しに何社か自分から気になるを押してみたがほとんど反応なかった(自分がポンコツだったからもしれないが)。基本的にオファーを待つサービスである。
去年上場時にDCMA悪用で炎上したWantedlyである。はてブにいる理想主義者の人達はこのサービスを嫌うが、正直なところ代わりになるサービスもないので使った。採用側のときも使ってたし。
ここもレジュメを充実させて、ポートフォリオへのリンクを張ってスカウトを無制限に受け取るように設定。スカウトが来た会社の中で、特に気になるところにコンタクトを取ってカジュアル面談をする。社員数名のガチスタートアップから、上場したばかりの有名ベンチャーまでいろいろなオファーが来る。流石に創業メンバーをWantedlyで募集しているようなところはお察しなのでスルー。
この2つで合計15〜20社ほどとカジュアル面談し、数社を除いてほぼ「ぜひ本選考に来てください!」となった。旧来的な転職活動の書類選考はほとんどなかった。というか、レジュメとポートフォリオのおかげでほぼ書類はパスできていたと思う。いちから自己応募をせずにダイレクトリクルーティングを最大限に活用した。
今回は転職エージェントは使わないと、固く心に誓ったのだが、Wantedlyに以前から登録してたり、会社ブログを書いてたりしてたせいか何社からメールが来たり、会社の電話に連絡が来たりした。
正直なところ、数千万プレイヤーでもない限りこの手のサービスを使う意味はないと思っているのだが(実態は単なるプッシュ型エージェントだし)、興味本位で数社ほど会うことにした。結果1社だけいい感じのカジュアル面談をセッティングしてきたので、それだけ会うことにした。
上記の通りヘッドハンターは1社だけあったが、転職エージェントは使わなかった。以前の転職活動のときに、的はずれな会社を紹介され続けたのですっかり嫌になっている。採用側から見てもアレな人の紹介が多かったし。
ジョブホッパーで転職なれしているせいで、レジュメの添削も面接対策もスケジュール調整も年俸交渉も不要で、自分にかかる高額な採用費のほうがマイナスになるからである(Greenもそれなりに高いけどね)。
あれは一見すると採用側が負担するように見えて、実は最終的に求職者側にも見えない形で金銭的負担がかかる。交渉無しで全社希望額よりプラスでオファーをくれた。転職エージェントは基本的にポジショントークしかしないので、あまり頼らないほうがいい。ただ、大企業に行きたければ意味あるかもしれないが。
実は転職活動を全くしていなかった頃に知人に誘われたのだが、今回あえて連絡を取らなかった。
リファラルはM社(田町)やM社(六本木)のようなエリートベンチャーが、ハイスペックエンジニアを採るのにはいいかもしれないが、自分の場合その知人の会社に会いに行く→不採用or辞退なんてなったら気まずいので行かなかった。
ちょうど自分が活動を始めたとき、某有名フロントエンドエンジニアがTwitterで仕事くれと言ったら大量のDMが届いたそうである。ハイスペックエンジニアならこの方法も有効だが、業務以外に大きな実績もないエンジニアには無関係な話である。
以前は使ったのだが、例えば@typeやDODAなどは全く関係のない職種のメール爆撃がひどかったし(東建コーポレーションと夢真ホールディングス、あと外食やドライバーとか)、ビズリーチは圏外。FindJobはGreenやWantedlyに比べて求人の質が下がっている気がする。リクナビNEXTは行きたい会社がまったくない。Miidasは眼中になかった。
転職ドラフトは長い長いレジュメを書かされる→レビューでやり直し→オファーが来ても通常の採用フローに回される、というのを見て工数オーバーだと思って使わなかった。通常の採用フローがある時点でドラフトでも何でもないやん。
東京でWebエンジニアがハローワークで本気で仕事を探すことなんかあるんだろうか(嫌味でも何でもなくて素)?
東京以外で何回か利用したことあるが、求職者相談に関してはいっその事民営化して、悪名高いR社にでも委託したほうがマシな気がする。少なくとも金がかかっている分彼らのほうが真剣であるし、失業保険だけせしめるだけで就職する気のないような輩は追っ払ってくれるだろう。
以前の転職活動は自分から辞退することはほとんどなかったのだが(選べる立場じゃなかった)、今回は落ちることも少なく多忙を極めたため、何社か辞退することとなった。
ほとんどの会社がコンタクトから1営業日程度でアポイントを返してきていたのだが、何社かは信じられないほど遅い会社があった。
余裕のをとり広く日程を提示したにもかかわらず、返事に1週間もかけてよこしてきたり(当然他社のアポイントが入っている)、相手側都合で約束していた日程が合わなくなりリスケ依頼してきたり(当然他社のアポイントが入っている)。こういうところは人事が回っていないか、面談するエンジニアを用意できないかのいずれかで、入社してもいいことがなさそうなので辞退した。
自分の面談は自分の業務終了後希望しておいて勝手なのだが、流石に深夜未明とか日曜日にメールを寄越してくる会社は、労働環境に問題がありそうなので辞退した。休むときは休むべきである。
自分側の問題だが、ハイスペック系やフルスタック系を求めてくる会社もカジュアル面談の時点で辞退した。まず次の選考が通らないし、間違って採用されても多分自分が苦しむことになるから。そもそもなぜ自分にスカウトを出してきたのかが謎だったが。
辞退以外のお見送りが3〜5社ほどで、内定が2〜4社ほど。それ以外は選考中に辞退。上に上げたような理由がなくても、スケジュールが合わずに辞退した会社もある。
内定をくれた会社はいずれもレスポンスが早く、スケジュール調整もかなり早くしてくれた。辞退防止のためか人事もかなりフォローを入れてくれる。新卒はかなり辞退率が高いそうだが、中途採用も高くなっているのであろう。最終的に辞退する会社には申し訳ないが、丁寧にお詫びするつもりである。
年収も30〜70万円ほど上がった。現職と同じから+50ぐらいで希望していたが、思いの外高く評価いただいている。あとフレックス制や副業OKやストックオプションなど、福利厚生や労働条件も今どき風になった。しばらくは転職したくない(2回目)。
なんかトラバでフリーランスがどうのとかって言ってるけど、自分がフリーランスになってもせいぜい800〜900万前後の年商(年収ではない)をうろうろすることになり、社畜で500〜700前後でうろうろしたほうが楽だと思ったので社畜を続けることにした。技術ゴリゴリの人とか金金金の人ならいいんだろうけどね、そういう人は楽勝で1000超えるしw
あと年収1億のやつが転職サイト使うわけ無いだろ、少しは考えろw
バックエンドはどうだと言われてますが、スキルによるが基本的にフロントエンドよりも年収は高いです。フロントはHTMLコーダーレベルの人も含んでいて参入障壁も低いしね。領域が違うので単純比較は難しいですが、同じぐらいのレベルの人で50〜150ぐらいの差はあるんじゃないでしょうか?
ただSSRとかBFFとかその辺を出来る人は逆に年収高くなります。あとサーバーレス。この辺をちゃんと出来る人(開発から実運用まで考えられる、例えばCI周りとかね)はバックエンド一本の人よりも年収高くなりますが、フルスタック的なスキルを求められるので並レベルではなくなります。
あと職種関係ありませんが、年齢行ってるとある程度マネジメント経験求められます。正直なところ技術的なとんがり度では若者に勝てるわけがないので(フロント界隈の有名エンジニアは皆20代)、この辺で勝負していく必要があります。年齢的な不利は老獪な社畜力で乗り切りましょう。
https://www.jleague.jp/release/article-00001013/
J1合計¥9,200,000
↑
それで、反則金を取るだけでは金持ちのチームが反則しまくるだけと気づいて、
https://www.jleague.jp/release/article-00003330/
J1合計 ¥1,200,000
奢ってもらったけどやられなかった。
何度も高級レストランに連れて行ってもらって仕事の相談をしたり、ライフプランとか、趣味とか、ペットの話とか、とにかく色々話した。
もちろん、少し好きだったかもしれないし、だからこそ奢られるアポイントの度に下着をチェックし身体中のムダ毛を処理し化粧もおちにくいように整えて、おごられにいった。
やられなかった。
それどころか、「増田さんは綺麗で魅力的だけど、○○なところが結婚とか恋愛から君を遠ざけているのかもね」なんて、アドバイスを貰った。
はぁぁー。
ねやられる方も大変なんだよ。
色々必要なんだよ。そもそもやられるかもなって思ったら生理中を避けてアポを切って自分の裸や下着がおかしくないかちゃんと準備していかなきゃいけないんだよ。
二人きりの食事を奢られたらやるのが普通って言うなら、はじめからアナウンスしといてくれよ。それから、自分たちで決めた不文律には従ってくれよ。
二人で食事にいく、奢られることが合意基準だと言い切るならまずはそちらがわが100%それを守って、奢った女にはそっちのテンション如何でなくお誘いをするべきでしょ。
オナホじゃねーから手入れにもコストかかるし、面倒なんだわ。ちんこつけて生まれてきたかったな、そしたらこいつとセックスしたいという相手に食事を奢るだけで、やらしてくれたら万々歳だし、やらせてくれなかったらこうやってその女を悪者扱いして愚痴ることが正当化されるんだもん。
たまには「まとまらない考え」を書いてみるのも良いのかも知れない。
イスラエルでは、妊娠も出産も誰もが当たり前に通る人生の過程である。「子どもかキャリアか」という問いの立て方は確かにあるが、とにかく誰もが子どもを育てることの重要性を確信しているので、育児のために仕事に影響が出ても多少は仕方がないという暗黙の前提が社会全体に共有されているのだ。例えば私は、博士課程を修了させるために夫と上の子と共に日本に四年滞在した後イスラエルに戻ってきたとき、妊娠していた。しかし夫は、すぐに大学での就職活動を始めろと言う。大きなお腹を抱えて面接に行って果たして職が見つかるのかと思ったが、夫は「妊娠期間がいずれ終わるのはだれもが知っている自明の事実である。明日から働きたいと言っているわけではないし、今妊娠しているということは仕事を始めてすぐにまた産休を取ることはないとの判断材料になる」と言うのだ。
確かに一理はあるが、半信半疑のままハイファ大学とテルアビブ大学に直接電話をかけて関係する学科の責任者たちとアポイントを取って会った。どこでも出産後いつから働き始められるのかを聞かれ、適当に答えているうちにテルアビブ大学での職が見つかってしまった。また働き始めたら、バギーに乗せて赤ちゃんを大学に連れてきている学生がけっこういる。大学と幼稚園や小学校では休みが微妙に違うので、ベビーシッターの見つからなかった教員が自分の子どもを授業に連れて来ることもある。私もずいぶん連れて行ってクラスの後ろに座らせておいた。
産休は三ヶ月なので、生まれたら早急に預ける所を見つけなければならない。公立や私立の保育園、保育者が自宅で数人の子どもを預かるミシュパハトン、個人のベビーシッターなどがその選択肢である。親も保育者も、とにかく子どもに「温かさ」を感じさせるということをその基本方針としている。「冷たい」とか「乾いている」というのは、イスラエル人にとって徳性とは最も相容れない要素であり、逆に「温かい(直訳は「熱い」)というのは最優先事項である。抱き上げ、頬ずりし、キスをするという身体接触を重視するだけでなく、絶えず話しかけたり歌を歌ったりする。少し大きくなると、分かっていてもいなくても本を読み聞かせる。その一方で、哺乳びんやおしゃぶりからの卒業はそれほど重視されない。日本の保育園でよく聞く「自分のことは自分で」という衣服の着脱等に関する自立教育もあまりない。イスラエルでは四歳になってもおしゃぶりを離せない子も珍しくないが、大人たちは「二〇歳になる頃には大丈夫」と言ってさほど気にしない。確かに日本とイスラエルの二〇歳の若者を見比べた際に、日本の「自立教育」がさほど効果をあげているようにも思えない。
(山森 みか. 「乳と蜜の流れる地」から 非日常の国イスラエルの日常生活 (スマートブックス))
陰謀論ね~、と思わないでもないが、イスラエルはアメリカの黒幕の一つとされている訳だが、トランプも含めた保守も、ハリウッドやシリコンバレーにも多大な影響を持っているからかリベラルも頭が上がらないように見える。
それはともかく、上の文章の前提として、イスラエルはユダヤ人の民族主義の国だ、という点はあると思う。
(ユダヤ人というと、金融やITに強いというリベラル的なイメージもあるが)
それ故に、「産めよ増えよ地に満ちよ」と妊婦や小さな子供を抱えた母親に対して寛容なのだろうと思う。
少なくとも、「女性の権利」の主張の延長上にある、ということではないし、セクハラ問題に厳しい人達も、シングルマザー問題に対しては冷淡だよな、とは思っていたが、「思想的に反対」と考えると色々腑に落ちるものもあった。
「では、(妊婦が肩身の狭い思いをしている)日本でも民族主義を勃興させるか!」という話でも無く、何かうまい落とし所があれば良いね、という話なのだが。
反面教師と言ったら良いのかは不明だが、北朝鮮があれだけしぶといのも、民族主義が根底にあるからだろうし。
ちなみに日本だと、チラッと聞いた感じだと、自衛隊内でも「民族主義派」というのはほとんどいないらしいし、安倍首相にしても、その経済政策が左気味であるように、思想にしても世界基準で考えると左の人だと思う(逆に、日本から不自然なほど「民族主義」の匂いが除去されている、とも言えるし、その結果としての個人主義、個々の分断、同胞意識の希薄化、他人への冷淡さ、みたいなことにも繋がっているのかも知れない)。
ちなみにアメリカでは、「子供を沢山育てることは国への貢献である」という価値観がキリスト教の影響の強い保守の一部では残っているが、白人のマイノリティ化が進む現在、その美徳がどこまで残るかはやや疑問が残る。
イスラエルの場合、周囲の国が全部敵性国家である故にそれが国民の団結に繋がっている部分もあるのだろう。
繰り返すが、別に「民族主義」を推奨している訳ではないし、合わない服を着ても死ぬ確率が上がるだけなので、日本は日本なりのサバイバル方法を見つけ出せればいいのかな、とは思う。
WEB評判の高いワクワクメールに登録して、30分後には高島平の人妻とアポイント取れて
とんでもねーモンスターがそこに立ってたよ。
しかもだ
こともあろうに、即ホテル行こうなんて言い出す始末。
そして、断れなかった自分。
殴りたい。
そんなモンスターのテクニックに負けて、15分でいってしまった自分。
バッドで殴打したい。
そして、また違う女を物色してる自分。
あっぱれ!
◆書いてる人
◆聞きたいこと
弊社の状況は労基違反といえるか?
◆状況
1 弊社は営業職にのみ「事業所外みなし労働時間制」を採用している
2 営業職の業務は恐らくその辺の一般企業と同じで、たまに直行直帰もあるが普通に客先にいって営業活動をする形
4 会社に申請すれば個人のスマホで会社メール、カレンダーの閲覧編集可能(ほぼ全員申請している)
5 上記3,4から、「労働時間の算出が困難」ではないと筆者は推定している
6 また、あまり詳細は書けないがクライアントは官公庁がメインであるため、ほぼすべてのアポイントは9:00~18:00の間である
7 労働時間の集計は配布されるエクセルファイルに手打ちだが、営業職はそもそも時間を記入する欄がなく、業務内容と有給取得などの休日のみを記載する
8 7によって、営業職の人間はどれだけ時間外労働を行ったとしても9:00~18:00の所定労働時間勤務したこととなっている(もちろん事業所外に出た・出ないにかかわらず)
10 一方で、「営業職には残業手当はありません」の記載がある
11 詳細な金額は不明だが、営業手当として営業職には一律月1万円~2万円程度が支給されている
12 雇用条件に関する一切は労組ではなく労働者代表によって合意がされている(少なくとも私が入社以来合意を拒否した代表はいない)
◆考える事
不勉強で申し訳ないが、弊社の営業職の業務内容を考えると「事業所外みなし労働時間制」の要件を満たしていないと考える
また、この環境を改善するためにはどこにどのように、何を揃えて提出すればよいかを教えてほしい
おねがい~♪
男子高を卒業し、理系の大学に進学して院卒で技術職。新卒で入った会社は中途半端な田舎(日帰りで都心に行くことはできる)にあって、実家もたまたまその近く。
金銭的には実家にいた方が良かったんだろうけど、貧乏で自分の部屋が与えられるほど大きな家ではなかったから、流石に自分だけの空間が欲しくて、やっすいアパートを借りた。
中学の頃、少しだけ彼女と呼べる存在がいた。けれど、当時のボクはそこまで性的に成熟してなかったのだろう。
「周りの人って結構経験済みなんだって。○○ちゃんは××先輩としたって言ってた」
という言葉にただただ
「ふーん」
と答えてしまったせいだ。多分この時が生きてきた中で、唯一の卒業チャンスだった。
高校の時は彼女を作ろうなんていう発想すらなかったし、サークルなどに一切所属してこなかった大学時代も周りに女子はほとんどいなかった。
女友達もいた。けどたいてい彼女たちには彼氏がいたし、彼女たちとどうこう、とも考えなかった。
で、就職だ。メーカーの技術職だと、女性が少ない。フロアを見渡して目に入るのは、事務職のオバさんだけだ。
必死でググって見栄を張って、恵比寿の小洒落たダイニングバーで会食。
高学歴で語学も堪能、可愛らしい女性だった。女性経験がない割には会話は弾んだと思うけど、今にして思えば会話を途切らせまいと、必死で喋ってただけだった。
しかも、元来胃が弱くて少食なボクは、この日も緊張で胃が食べ物を受け付けず、コース料理を残してしまった。
男らしさとは真逆。食事を終えて別れた後、ボクが彼女に送ったメッセージに返信が来ることはなかった。
それ以降、マッチングアプリは自分の顔面だと、どの程度マッチするのかを確認するだけのツールになった。
たまに、そうじゃない人とマッチして何通かメッセージを送りあっても、会うアポイントを取り付けるまでに面倒臭くなってしまう。
次第にアプリは開かなくなった。
だから、女性と触れ合いたかったらアイドルに会いに行けばよかった。
それに、彼女たちが頑張ってる姿をみると、こっちも頑張ってる気分になるし、ものすごく満たされた気分になった。
でも、片田舎からアイドルのイベント会場に行くのは、元来出不精なボクにとってはしんどくて、社会人になってからはほとんど行かなくなった。
そもそも土日は仕事で疲れた体を休めるか、家事をするかで終わってしまう。
だから、週末は基本的に家に引きこもっていて、暇な時間は、一人暮らしだからこそできる行為にふけった。
高画質で見たくて、某アダルト動画サイトからちゃんと購入している。
オナホールを隠す必要もないし、VRゴーグルで観られる映像も最高だ。
と、考えてしまうところにあった。
そこで、どこかに筆下ろししてくれる人はいないか、と再びマッチングアプリを始めた。
しかし、1人だけLINEまで交換して会ってくれるという女性が現れた。
私の住むところから往復3時間以上はかかるところを指定されたが、童貞を捨てられるなら願ってもない。
意気揚々と指定された場所に向かったが、約束の時刻を過ぎても彼女は現れない。
そして、居場所を尋ねたメッセージに既読マークが付く事はなかった。
冷やかしの中でも最悪のやつだ。
何もしないまま、ただ来た道を戻る中、行き場を失った性欲が、今、この文章を打っている。
もう、女の人が信じられない。
しんどい。
追記
多分ほんとうに冷やかしだと思う。
じゃなきゃ「何日なら会えるよ」とか「やりたいなー」とか送ってこない。
ただの議事録です。
よろしくご査収ください。
○櫻井充君
今まで石破四条件を満たしていた満たしていたと言っていますが、いかにうそであるかということがお分かりいただけるかと思います。もう山本大臣、答弁結構ですから、いいです。
四月の二日に、パネルがあるかと思いますけれども、(資料提示)まず、四月の二日に不思議なことが起こりました。これは、今治市職員が首相官邸を訪問しています。
国民の皆さんに知っていただきたいのは、首相官邸に入る際には首相官邸のどなたかにアポイントを取らないと入れません。私はこの間、萩生田官房副長官にお会いしたいんですがと言って断られて門前払い食いました。国会議員でも入れません。
今治市の職員は急遽呼び出されまして、四月の一日に急遽変わって、四月の二日の三時から四時半に首相官邸に行って何をしたのかというと、そこにあるように、獣医学部系の設置に関する協議ということを行っています。前日までは実は県の出先と、それからもう一つは内閣府に行くということだったんですが、急遽変更になりました。四月の一日に急遽変更になっていて、非常におかしな話なんです。
誰と会ったのかというのが全く分からないんですが、総理、この三時から四時半の間というのは、この日は何をされていたんでしょうか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) そのときに私が何をやっていたかという時系列のことでございますが、私は今治市の職員とはこれお会いをしていないということはまず申し上げておきたいと思います。
その上で、当時の記録を確認したところ、御指摘の時間帯でございますが、午後三時頃から河村建夫衆議院議員とお会いをし、そして、三時半頃から当時の下村文科大臣から四月七日に予定されていた教育再生実行会議の説明を受けました。そして、午後四時頃から定例の安全保障に関するブリーフを谷内国家安全保障局長から受けていたところでございます。
○櫻井充君 こういう都合のいいやつはみんな出てくるんです。都合の悪いのは全く出ておりません。
さて、柳瀬参考人にお伺いしたいと思いますが、柳瀬さん、久しぶりでございます。柳瀬さんとは、特に原発の事故のときには大変お世話になりまして、柳瀬さん、私、柳瀬さんと今日久しぶりにお会いするんですが、前にお会いしたの、いつだか覚えていますか。
○参考人(柳瀬唯夫君) いつ頃でしたでしょうか、多分七、八年前でしょうか、ちょっと正確じゃございませんけれども。
○櫻井充君 そうなんですよ。七、八年ぐらい前に財務省の当時の主計局長さんが会合を開いてくださって、官僚のこの方々が優秀で、これから先は日本の将来を担っていく人だから、副大臣、お付き合いしてくださいと言われてお会いしたのが最初だったと思いますが、それでよろしいですよね。
○参考人(柳瀬唯夫君) 財務省の方が当時の櫻井副大臣にどう御説明されたか、ちょっと私は存じ上げませんので、申し訳ございません。
○参考人(柳瀬唯夫君) 夜、お食事をさせていただいたのをよく覚えてございます。
○櫻井充君 さあ、七、八年前のことを覚えていらっしゃるんですから、去年、おととしのことは覚えていらっしゃると思うんですがね。
そうなってくると、これは記事でしかありませんが、今治市と会ったのがその当時の柳瀬首相秘書官だと、そう言われているんですが、これは事実でしょうか。
当時、私は総理秘書官として国家戦略特区、成長戦略担当してございました。その関連で内閣府の担当部局と打合せもしておりました。私の記憶をたどる限り、今治市の方とお会いしたことはございません。
私が秘書官をしていました平成二十七年の前半までは、そもそも五十年余り認められてこなかった獣医学部の新設をどうするのかという制度論が議論されていまして、この後、先生の御指摘のあったよりも多少後に、今、石破四原則とおっしゃった、再興戦略二〇一五というのをまとめて、いわゆる石破四原則というのをそこで書いたわけで、その過程でございまして、制度を具体的にどこに適用するかというふうな話は全く、当時の段階では全くございませんでした。
したがいまして、この段階でどなたにお会いしても、今治市がいいとか悪いとか、そういうことを私が申し上げることはあり得ないと思ってございます。
○櫻井充君 そうすると、簡潔に答えてください、今治市の職員とは会っていますか、その日、会っていませんか。
○参考人(柳瀬唯夫君) 私の記憶をたどる限り、お会いしていないということでございます。
○参考人(柳瀬唯夫君) 私の記憶する限りはお会いしていないということでございます。
○櫻井充君 済みませんが、それは事実としてもう否定したということでよろしいんですね。
○参考人(柳瀬唯夫君) 事実としまして、私の記憶のある限りはお会いしていないということでございます。(発言する者あり)
〔速記中止〕
○参考人(柳瀬唯夫君) 記憶している限りはお会いしたことはございません。(発言する者あり)
〔速記中止〕
○参考人(柳瀬唯夫君) 会った覚えがないということでございますので、それで御判断をいただくということだと思います。
○櫻井充君 それでは、和泉補佐官は今治市職員と会っていますか、その日に。
○櫻井充君 今のように、会っていない方ははっきりと会っていないとおっしゃっているんです。
○参考人(柳瀬唯夫君) 記憶たどっても会っていないということでございます。
○櫻井充君 そうすると、総理、首相官邸には、先ほど申し上げたとおり、誰かとアポイントを取っていない限り入れないんです。総理も違うとおっしゃる。それから、萩生田官房副長官はあの当時はその職になかった。この間は菅官房長官からも違うと言われた。
であったとすると、今治市にはこういう記録が残っているんです。じゃ、なぜ、なぜですね、この一時間半の間こうやってアポが取れた。この点について、総理ですよ、総理、この点の疑惑を晴らさない限り、総理、こういう懸念、おかしいじゃないかという懸念は払拭できないと思いますが、総理、いかがですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) この今治市の職員の方が誰と面会したかについては、既に萩生田副長官が国会で答弁しているとおり、確認できなかったと承知をしております。
○櫻井充君 今回、私は参考人招致で今治市長をお呼びしたいと。要するに、今治市には明確な記録が残っているので、今治市の方に来ていただければはっきりすることだと思っています
具体的なフローはこうだ。
1.出会い系サイトでメッセージ。フリーメールアドレスを聞く。
→相手はメッセージが課金制なので、フリーメールの方がありがたい。なので、割と簡単にメールアドレスをゲットできる。
2.アポイントが決まって待ち合わせ場所をFIX(ここまでは金銭的な要求はないように思わせる。)
3.相手が待ち合わせ場所につく時間をあらかじめ聞き、その手前ぐらいで、「実はお金に困っているので初回だけ助けてほしい」アピールをする。
→相手からすると移動してしまっているので、合理化や一貫性の心理が働き、援交だとわかっているのに「どこかこの子だけは違う事情があるのかもしれない」と信じたくなる気持ちが生まれている。
4.もし相手が「どうせ2回目以降もないんでしょ」疑ったら、「私は嘘はつかない。あなたは真面目そうな人だから、今回がよければ次回以降はお金無しで会いたい」とプッシュする。
→ちなみに、「無料での出会いを求めるなら美人局やヤクザとの絡みがあるので注意してね」という煽り文章を送ることで、ある意味お金を要求してくる方が目的がはっきりしていて安全かも、と思わせることができる。
5.それで実際にホテルに行くことができたら、フェラと手コキで即抜き。プレイ時間は10分未満。(それで2万円)
5-1.相手がキスしようとしたり、胸を揉もうとしたり、手マンしようとしたりすると、「それ嫌いだから」と言ってハネる。
→この時点で相手の性欲は減退。事実上ただの高級ピンサロと化す。
これにより、2回目以降のリピートはよほど頭のおかしい人じゃないと起こらない。なぜなら抜くだけならピンサロや風俗に行けばいい話だからだ。
ひたすら事務作業のように新規アポを繰り返している。練りに練られた新規刈り取りビジネスである。
もし、出会い系サイトでいきなりこちらのフリーメールアドレスを聞いてくる女性がいたら、この一連のフローを思い出してほしい。
最初に著者の経歴を書くと、
学部卒業後、SIerで2年弱勤務→某大学院修士課程進学(旧帝大より1ランク下)
という流れで、現在修士1年です。ストレートで来ている人とは、2年ほどの差はあります。
今回は、社会人にとっては特にイメージしにくい『大学院入試に突破するにはどうしたら良いか?』
大学院生活とか就活については、また別なタイミングで意欲が湧いたら書きます。
※MBA等の社会人向け大学院は当記事は対応していません。ご了承ください。
一般入試という手が真っ先に上がりますが、時間がとれない社会人には相性が悪いです。
しかし、社会人入試といっておきながら、通常の学部生と全く同じ受験科目の場合もあるので、
そこの確認はすべきです。
ちなみに、働き始めてから数年であれば学部時代の成績を元に推薦入試を受けるという抜け道もあるので、
募集要項を見つつ検討してみて下さい(社会人で推薦入試で入ったのは私だけでした・・・)。
推薦入試で受けると社会人で課されている小論文すらなくなる大学院もあるので、格段に入りやすくなります。
という訳で、オススメ順は
となります。推薦入試を受けれそうになかったら社会人入試で合格を目指しましょう。
ちなみに、どのレベルの大学院を受ければ良いか?という話ですが
大学院入試の倍率で見て1倍を下回っていれば、合格基準に達していれば全入ですので
目安としては中堅国立・MARCH以下は全入のところが多いです。
しかし、心理学系etcの大学院はネームバリューによらず倍率が高いので、
倍率はちゃんと確認した方が良いです。
それらよりネームバリューで上の大学は、ペーパー試験を考慮する必要があり、
先ほど述べたように、大学院入試はかなり門戸が広いので社会人経験を持ち合わせていれば
ただし、より注意すべきことは、『受け入れ先の研究室に枠が存在するか?』という
問題です。受け入れ先の指導教官(=教授)にOKを貰えないと、いくらペーパーで点数がとれても、
試験的に大丈夫そうな専攻×自分の興味のある研究室という2つの視点で調べ、
大学に願書を提出する数カ月前に、受け入れ先の指導教官に一度会えないかアポイントをとるべきです。
何故直接会うことを薦めるかというと、受け入れ先の指導教官に直接会った時に
入試に合格するためにするべきこと(ペーパー含め)も教えてもらえるからです。
ですが、入学してから思うのは、本当に研究が好きでないと大学院生にはならない方が良いです。
学歴目当てで受験すると、貴重な2年間を棒に振るのでオススメしません。
私が入学してから思っていることとしては、学部時代よりも勉強意欲の高い方が多く設備が整っているという点で、
2018/01/18 追記
遅くなりましたが、励ましのコメントありがとうございます。頑張ります。
ど田舎の町で育って、小中高と虐めを受けてきた。
小学校の時、中学校の時、高校の時、死ぬことしか考えてなかった。
図書室は静かにするところなので、いじめっ子は入ってきて自分に暴力を振るうことが出来ない。
虐める奴らは本を読まない奴らが多いので、図書室に偶然立ち寄ることもない。
休み時間になると走って図書室に行って、図書室にある本をカウンターの下で隠れて読む生活。
高校はさすがに人がいたが、小中は、本当にほとんど誰もいなかった。
学生生活、いかに「人が来なくて来ても隠れられるところ」「気づかれないようにその場から消える術」を学んだと言ってもいい。
虐められないためには接触しないのが一番である。
暗殺教室で、虐めに遭っている女の子が、テストだけ受けに来て終わったら速攻帰る、とやっていたが、あれは正しい。
お金の問題で、高校までは地元に拘束される田舎者も、都会に出るのを許されるのが大学だ。
もうこんな狭い人間関係はまっぴらだったので、高校はひたすらひたすら勉強した。
とにかく地元を出たかった、国立の金の掛からない大学に行きたかった。その二点が勉強意欲だった。
。
自分は塾にも行けなかったので(行けばいじめっ子がいるので虐められるだけ)学校の授業がすべてだった。
高校教師というのは、やはり素行がよく、頭のいい生徒を可愛がる。当然だと思う。教師は勉強を生徒に教えるのが仕事なのだから。
休み時間に聞きに行ってもいいか、と先生によくアポイントを取った。
この作戦、休み時間に人をどこかに連れて行って虐めようとしている奴らにも効果がある。
「先生と約束していて職員室に呼ばれている」その言葉が出るといじめっ子もそれをバックレろとはいえない。
学年一位、市内一位を取るレベルになると、先生の態度が変わった。
先生の態度が変わると、いじめっ子が関わってこなくなった。おそらく私に手を出したら分が悪いと思い始めたのだろう。
いじめっ子の中には秀才と呼ばれる奴がいて、この人達は、少々悪いことをやっても先生に疑われないので、影でいろいろやらかしていた。
だが、私の方が成績を上回り始めると、引き落とそうと嫌がらせがエスカレートしてきて、先生にも気づかれるようになってしまった。
怒られたのはいじめっ子の方だ。これには驚いた。昔なら、なぜか虐められた私の方が注意されていて終わっていただろうに。
最終的に、偏差値70クラスの大学に行った。学校では私一人だった。
お金がないが口癖だった親も、さすがにこのクラスの大学に行くとなると、頑張って入学金を用意してくれた。
金持ちの子供って歪まないんだね。いい人が多かった。友達もたくさん出来て、楽しかった。
二十年くらい経って、地元に戻った。祖母の調子が悪く、もう長くはないからだ。
会える間に、会える距離でなるべく楽しいことをしてもらいたいと思った。
一応ニートもなんなので、地元で開業してみたが、未だに地元のカーストのまま話しかけてくる人が多いことに気づいて面白い。
この人達は、地元の人間が都会に出て行くまでのカーストで脳内が固定されていて、それから脱却できないのだなと気づいた。
都会で住んでいたのが二十年以上の人間が、二十年以上前と同じメンタリティで田舎に戻ってくると思っているのだろうか。
こいつらの中では、まだ自分はいじめられっ子で、覇気がない子分なんだろうなあと思うとしみじみする。
ばかばかしくなってきたので、店を閉めたら、慌てた人たちが飛んできて、なぜ閉めるのか、困る。と訴えられたので、
「いやー、さすがにカネ持ってんだろ、くれよ、とか、息子連れてきて、息子に色目使ってないわよね、あんた変態だから、とか言われたら
心折れますわ……」と今回は素直に言ってみたら、何か長老会の闇のパワーが働いたようで、それも驚いた。
闇の長老会パワーで、まず、店まで来てあれこれ言ったもといじめっ子と親が謝りに来た。隣には謎の老人が目を光らせていた。
過去のことを許してくれ悪かったと謝罪されたが、意味不明だったので、いや、顔を見せないでくれたらそれでいいと言ったら、そしたら
困ると言われたのだが、困る相手になんであんな言葉を言うのかと問い返せば黙った。謎の老人が一喝していた。誰だおまえ。
次にいじめっ子の女(既婚パート)がのきなみパート先を解雇されたらしいと聞いた。
後日、もう奴らは店に来させないから、再度開業して欲しいと老人数人が頭を下げに来た。来させないとか、そんな権限君らにあるのか。こわい。
しかし長い田舎者だったので、田舎では長いものに巻かれるのが最適だと学んでいるので再度開業したら、本当に変な客がいなくなった。
長老会ぱわーすごい。
田舎で虐めに苦しんでる子供達は、とにかくひたすら勉強して、都会に脱出することをおすすめする。
田舎は権威に弱いので、カースト上位にさえ上り詰めれば、こちらが勝てる。
いじめられて、しくしく泣いていた自分が、今や、虐めを食らっても、鼻でせせら笑って「こいつバカじゃないの」と思えるレベルになるのだ。
まず木島英登さんのサイトを見てみよう。これは過去にあったANAでのトラブルの話である。
http://www.kijikiji.com/self/ana.htm
私が乗りこむ番が来た。
係員は助けるというが、最初に「乗せない」と言われているので、助けなんていらない。
それに、私は一人で乗ると言った。実行してやる。
また、助けるといっても、おんぶして担ぐと予想され、おんぶされる経験豊富な私は
その人が、おんぶで担ぐのは無理で、途中で崩れ落ちたりするだろうとも予想された。
おんぶの場合、途中で崩れ落ちる予想があるから嫌と言っている。
階段に乗り移り、一段ずつお尻を上げて、足を乗せて、登っていく。
過去にも自らの意思で階段を這い上がって上るのはおこなっている。
これらの経緯もあって、余計なトラブルを避けるため、車椅子であることを告げない。
規定を超えた大きな車椅子や電動車椅子がある場合は、航空会社に伝えるべきだと思うが、
どの航空会社でも事前連絡をして欲しいというアナウンスに対しては、要望はアイルチェアーのみであり、過去に伝えたら拒否されたことがあり、現場レベルでの対応は要らないと思っている為、事前連絡はしていない。
伊丹~羽田間は問題ないから、他の便でも同じように利用できる筈だろうということだろう。
この記事で分かる事は、いずれも問題が起きているのは『ボーディングブリッジ』を利用しないケースである。
※伊丹~羽田間はまずボーディングブリッジ使用なので利用できているかと思われる
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha08/12/120303/05.pdf
http://www.mlit.go.jp/common/001091414.pdf
伊丹~羽田間のPBB利用率はほぼ100%(平成19年10~12月、平成27年1~3月)
http://www.kijikiji.com/self/vanilla.htm
同行者が5人いるので「同行者の手伝いのもと乗降する」というので説得して搭乗しました。
同行者に手伝ってもらって乗降するといって了解を得る。
本来であれば、この時点でバニラエア側はこの行為を止めていなければならなかったと思う。
この行為を認めてしまったため、同様の事を奄美空港でやって、奄美空港では止められた。
空港用意のにするのは、移動により万が一車椅子が破損した場合にその対応処理を楽にする目的もある。
設備はないのはわかっているので、同行者に階段を担いでもらうのには自分の車いすが簡単。
できるなら自分のを使いたいと返答。すると15分ぐらい待たされて、ようやく回答が。
「同行者のお手伝いのもと、階段昇降をできるなら」という条件で、ようやく搭乗が認められる。
ここが今回の件における、一番の問題だと思う。
本人が乗った状態で同行者が車椅子を担ぎ上げるのは違反と告げられている。
それでいて「同行者のお手伝いのもと」で許可を貰ったのに、再び違反と告げられた方法で搭乗しようとしている。
ここで許可された「同行者のお手伝いのもと」というのは肩を貸すとかであり、禁止といわれた『本人が乗った状態で同行者が車椅子を担ぎ上げる』ではない。
木島さんは確信犯とも言えるようなことをしているように見える。
一段一段、階段を這い上がったのは空港側、航空会社側の指示ではなく自ら選んだ方法である。
駄目と指摘受けても無視してのぼっている。
同行者は私の足首をもってお手伝い。途中でキャビン・アテンダントが手伝うと駆け下りてきた。
バニラエア側は何もしていないかというとそうでもなく、CAが手伝おうとしていたり、機内に専用の車椅子を用意している。
ブコメなどで、「事前連絡なんてする必要ないだろ!」と言っている人達が多く見かける。
なぜ「事前連絡」が必要かといえば、それは車椅子利用者が安全に利用できるように準備するからである。
http://www.cilmsa.com/cilmsa/advocacy/advocacy_barrier_lcc.html
・肘掛けが上がらない席があり、そこにあてがわない為
JALやANAなどレガシーなら人材に余裕がありサポート要員も容易に確保は出来る。
しかしLCCといった格安航空会社では人材はギリギリで設定しており、容易に確保が出来ない。
35歳の節目、私は家を建てた。
会社のマドンナだった女性を妻にして、子宝にも恵まれ、平凡だが充実した毎日を送っていた。
自然な流れで、更なる幸せの象徴、そして家族の夢である「マイホーム」を手に入れようとした。しかし、この時悲劇がおきた。
まさか、東証一部上場企業勤務の私が「住宅ローン」でこんな絶望に追い込まれることになるとは。。。
過去、あなた個人に自分では見過ごすほどの小さなミスがあれば、いくらいい会社に勤めていても住宅ローンに通らない可能性がかなりある。
住宅ローンなんて実際に借りようと思わなければ、その業界にいない限り詳しくは知らないものだ。
家族や友人は、住宅の申込みをした時点で既に家は手に入ったと思っている。
私は本当に運良く、一度は落ちた住宅ローンを他行から借りることができ、今ではマイホームを手に入れ、以前より充実した生活を送ることができている。
「こうすれば落ちることはなかったのに」と
後悔していることをあなたに伝えたいと思い、
この体験談を書いてみようと思った。
興味があったら読んでみてください。
自分で言うのも何だが私は平凡だ。見た目も普通。特に華やかな青春時代もなく 地方の公立から、そこそこの大学を出て、運良くまあまあ大手企業と呼ばれる会社に滑りこむことができた。
クラスにいるあまり目立たないやつというのが、他人が抱く私への印象だろう。
平凡だと思っていた私の人生にとって最もインパクトがあったのが、妻との出会いだ。社内のマドンナであった妻はなぜか私の素朴さを気に入ったようで、 数回デートを重ね付き合うようになった。会社中に驚きが走ったのを今でも覚えている。
1年程付き合った頃、妻の妊娠が発覚し、自然な流れで結婚に至った。
自分にはもったいないくらいの女性と結婚ができた私は、家族のために生きることこそが私の人生だと。強い決意をもち仕事にも精が出た。
子供が出来た時点で28歳、まだまだ給与も低く、妻は専業主婦を望んだため、生活はなかなか厳しく、日々の生活で手一杯という感じだった。だが決して楽ではないが幸せを積み重ねている実感はあった。
結婚から6年程たったころだ。 子供が来年から小学校に上がるタイミングで妻から
「そろそろマイホームを考えてみるっていうのはどう?」
という提案があった。
正直貯金も十分に用意できていない状況だ。今までは憧れはあったが具体的に考えたこともなかった。
マイホームなんて。。。と思ったが、よくよく考えてみると会社の同期達はもうすでにマイホームを持っているものも多い。
私は彼らと比べても、仕事の成績は悪くはなかったし、特に給与に違いがあるわけではない。なぜだろうと思い、同期の一人に聞いてみると、 うちの会社の信用が大きいので、住宅ローンが降りやすく誰でも結構簡単に家が建てられるとのこと。
妻、そして家族の夢であるマイホームが一気に現実を帯び、急激にそれを手に入れたくなったのを覚えている。
持ち家を考えた時は建売、中古住宅、若しくはマンション全てを選択肢には入れていた。
とは言え、私が住んでいた場所は駅近くで全体的に値段が高く、なかなかよい物件は見つからない。
私は、場所を変えて広い場所で広い家もありだなと思っていた。過去に同僚が家を新築で立てたばかりのタイミングで、家に行ったことがあったのだが、 郊外だが非常に広く、とても魅力的に私は感じた記憶があったからだ。
しかし、そこに反対をしたのは妻と子供。子供にとって転校というのはかなり抵抗があるらしく、妻にも猛反対されてしまった。
結局、現状と同一学区希望、大きな場所の移動はなしという制約条件の中、私の家探しは始まった。
家を建てようと思い切って決断はしたものの、まず何をしていいかわからない。
「俺って家に関して何も知らないのに、こんなに意気込んでいたのか・・・・」
私は自分のあまりの無知ぶりに驚き、恥ずかしさがこみ上げてきた。同僚に何から何まで聞くのも忍びないので、まずネットから情報収集を始めた。先程の通り、場所は現状からさほど変えられないため、近隣で値段を軸にリサーチをした。
まずは値段が安い中古物件から開始。予算内で良さそうな中古物件いくつかがあった。早速、仲介業者に数社にアポイントを取る。最初の数社はだいたい建売かマンションを紹介したが、どこも予算がオーバー。
加えて頭金0を希望すると「それはさすがに難しいです」と一刀両断。中には鼻で笑うような会社もあった。3社目に出会ったA社さんは非常に誠実かつ親切な対応で安心感があった。
ところが、A社は一通り私の現状と希望を伺った後、注文住宅を提案してきた。
建売やマンションですらキツイのに注文住宅なんてとんでもない…と思っていた私は既に注文住宅をなんとなく選択肢からは外していた。
と思い始めてきた。
中古、建売、マンションの欠点を考えず目先の金額だけを追っていた私は
・建売はほとんどが建てられた後に購入なので、中身が見られない。よって購入後、不満が出ることが多い
・マンションは、自分固有の土地が持てず、何かあった時に何も残らない。
・また、マンションだと部屋の購入以外にも、毎月に修繕費などの積立等があり、割高感はある。
・中古住宅も同じ理由で中身がわからないし、安く買えても結局リフォームをするケースが多く、結局かなり高い。
という説明で
「必ずしも安ければいいものではない。」
という考え方に変わった。
ところが、「さあ、注文住宅にしよう」と言ってはみるものの、最も大事な「お金の話」が出てくる。
中古住宅、建売ともに頭金0でというので断られ続けている。まして注文住宅となればなおさら。
「今回も無理だろうなー」 そう思っていた。
しかし、A社さんは「頭金0でも構いませんよ」と言ってくれた。
私の年齢がまだ若いことと、大手企業勤務というところを評価してくれたようだ。これまでの誠実な対応、親切な説明、そして頭金0でもやってくれるという経済面での提案。全てが私にとってポジティブだったので、A社さんに注文住宅をお任せしようと決定した。
早速詳細な話をA社さんと始めることになった。
資金が潤沢にあれば、住みたい土地から決めていくのだろうが、先程の通り頭金0で進めるので、予算がいくらぐらい確保できるか? というところから打ち合わせを始めた。
私は年齢がまだ若い部類に入るので、35年ローンと長めのローンがいいのではないかとの提案をもらった。
具体的な予算としては月8万程度の返済を前提に、利息も考慮して、3500万円が適正ということに。
但し、家を建てるには単純に土地+家を建てるお金だけではない。土地の登記や仲介手数料、土地の状態によっては地盤改良も必要となる。それをすべて踏まえての3400万、となると実質土地にかけられる値段は1200万。
ここまで話が進んだところで既に8月くらいを迎えていた。
妻からの強い要望で子供の学年が変わる4月には新しい家で住みたいとのことなので、かなり突貫な形で進めることとなった。
A社さんは私の事情を理解して、土地探しをかなりの急ピッチで進めてくれ、結果、数週間で現在の賃貸マンションから3km程度のところに良い土地を見つけてくれた。
現状と同じ学区であることで、妻の要望も満たしていた。実際に見に行った際に、確かに広くは無いが、私も周辺施設、雰囲気含め気に入った。加えて、価格も予算内だったのですぐにOKを出した。
土地が決まれば次はいよいよローン審査。銀行を選んで審査を受ける。
銀行の審査など受けたことが無い私はさっぱりだったので、色々と伺うと、いきなり本審査というのは今はやらないらしく、事前相談という形を取るという。今までもA社さんに任せきりだったため銀行の選定もハウスメーカーに行ってもらった。
「一応、東証一部の企業に努めているし特に大きな借金もないから審査は余裕だろうな-」
そんなことを思っていたのを覚えている。今思えばこの決断が住宅ローンにおける私の苦難の始まりだった・・・
ハウスメーカーと取引が多くあるのでコミュケーションが取りやすい、
かつ ・利息が低めである という理由でS銀行、Y銀行、R銀行の3行を選定された。
この時、提出した書類は以下の通り。
そして、いよいよ申し込みだ。 しかし、この3銀行に申し込むにあたり少し不安になることが出てきた。審査基準は明確には説明がされないため、ちょっと気になって調べてみたのだ。
② 勤務先の安定性、及び勤続年数
④ 既存の借入の有無
とのことだった。③、④は思い当たる節があったのだ。
まず1つは過去に1~2回ほど携帯の支払いを滞ったことがあった。これについては、その時偶々銀行に入金し忘れており、督促が来た時点ですぐに支払いをしていた。不安に駆られ率直にハウスメーカーに聞くと、やはり返済忘れ、滞りはかなり印象が悪いとのこと。
2つ目はクレジットカードのショッピングリボ&キャッシングの金額が残っていたこと。支払い自体は毎月ちゃんと行なっていたのですが、額は40万近く残っていた。そのうちキャッシング枠も10万位使っていた。
私の場合、この③と④に引っかかりそうな部分が多々あり、かなりの不安を持っていた。
そんなことを言ってももはやどうにもならない。流れのままに、R社さんとの建築請負契約締結も完了。 家族も「いよいよマイホームだね」と頭の中では家が既に完成している。
もう引き返せないところまで私は来ていた・・・・
審査結果は2週間以内に返答が来るとのことだった。全ては「考えすぎだ」と思うしかなかった。
ハウスメーカーを通じて思ったよりも早く事前相談の結果が返ってきた。
結果としては、3行全てNG。。。。
NGを聞いた瞬間。私は頭の中が真っ白になった。 その後に家族の期待を裏切ることになる絶望感、同僚を含めた周囲からの目線への恐怖心がこみ上げて来ました。 そこそこ名の知れた会社で真面目に10年勤めてきたのに、たった数個のポイントでこれまでの人生を全て否定されたような感覚に陥った。 まさに絶望の縁といった状態だったと思う。
「これでは仕方ありませんね。ローンが降りなかった場合に解約できる特例条項はついているので契約自体を解約されますか?」
と即座に聞いてくる。
物腰は柔らかだったが、私には手のひらを返したような対応に感じて「あなたも敵か」と一瞬感じてしまった。
ただ、私はどうしても諦められなかった。 妻、子供平凡な私が手に入れた身に余る幸福を手放すわけにはいかない。なによりローンが通らなかったなんてかっこ悪くて言えるわけがないのだ。
自分にはもったいないほどの妻が私に愛想をつかしてしまうかもしれない。これまで積み上げてきた幸せにヒビが入っていくのを感じた。
「少しお時間をいただけませんか」
その場はそれを言うことで精一杯だった。
私はその日から誰にも相談できない大きな悩みを抱えることになった。時間がない。同僚にはこんなこと言えやしないから人脈もない。ここからどう住宅ローンの問題を解決したらいいか。正直、仕事中も住宅ローンのことばかり考えていた。
結果、
という結論になった。
審査が通りにくくなるから複数の銀行に行くのはやめたほうがいいという意見もあるが背に腹は代えられない。
「だがどうやって?」
銀行に一つ一つ連絡を取って審査を行うことはできなくは無いが、私は会社員、平日は動きにくいため膨大な時間がかかる。ハウスメーカーからもそんなに長くは待てないとの回答も来ている。
妻からも「家の件どんな感じ-」と数日私から報告がないことを怪しんで来ている。
私には時間がなかった。
ここまで追い詰められて私はやっと「人に聞く」という選択をした。同僚で最も信頼できる聡志に電話をした。去年マイホームを手に入れ、私が一戸建てをいいなと思ったきっかけになった友人だ。
聡志は私が家を建てようとしていることを知っていたのもあるだろうか。電話で話をしてみると思いの外すんなりとローンの悩みを打ち明けることができた。
「おー、そりゃ大変だな。実はさ、俺もそれ苦労したんだよ。うちの会社ってちゃんとしてるから余裕で通るかと思ったんだけど、カード支払いの遅延が結構あってさ、かっこ悪いからなかなか人には相談できないし、相談したところでどうにもならんし大変だよな。」
聡志もなのか!と同じ立場の人間が同じことに悩んでいたことに一瞬安心した。
しかしすぐに
「こいつはなぜ家を持ってるんだ」
という疑問が湧いたので、質問をした。
「あー、時間ないし、一行一行あたるのもキツイからどうしようと思ってたんだけど、複数の銀行をまとめて審査してくれるサイトを使ったら2行くらい手を上げてくれてその後、すぐ審査してもらっていけたぞ。」
と回答があった。なるほど。
私は藁をもつかむ思いで即座に住宅ローン一括査定サイトを調べ、早速仮審査申込みを行った。 一括査定のサイトを使うと複数の銀行に審査を取っても金融機関にはその情報はいかないそうだ。 私は既に3行に直接相談をした経緯があったので、この部分の安心感はかなりあった。
早速アポイント調整を行い、面談。こちらの現状を伝え、資料は既に揃っているので全て提出。
結果は・・・
金利も最初に審査を行った3行とさほど変わらず良い条件だった。
落とされるのではないかという恐怖感に支配されていた私は条件付きであれど、あらゆるプレッシャーからの解放が見えたからだろうか。一気に喜びが爆発した。
条件付きの「条件」とはクレジットカードのリボ払い、キャッシング残金の精算だ。借入とみなされるものがあると、月の返済がそちらにもあると見なされる。
結果、住宅ローンの月返済見積もり額を減らされ、最終的には希望する額の借入ができないという問題となるようだ。これは40万円ほどであったので、親に頭を下げて借りて解決をした。
親は少し渋い顔をしていたが、これまでの経緯など説明を尽くしなんとか理解してもらうことができた。
すぐにA社、ハウスメーカーさんに審査を通過したことを報告。融資が確定したので、まず土地の金消契約を行った。
そして1月ほど経ち(この間、家の間取り等の大まかな計画はR社さんと進めてきました)、12月初旬。土地の決済が行われました。
ここまで行けばあとは家の完成を待つばかり。もちろん家の打合せ等はたくさん入り、ほぼ毎週A社さんの方や、各メーカーの展示場を見たりした。
決済は以下のように行った。
中間金として、建物代金の半額を決済。2回目の決済で全額決済を行いました。 最後の建物決済は、銀行にて行った。
約半年ほどで住宅は完成。 狭い土地とはいえ、短期間で且つ内部もしっかり作っていただき、とても満足いく出来に仕上がりになった。
完成した家を見た妻の表情、子供のはしゃぎぶりをみて、男として、父親として一つ大きな仕事ができたかなと安心したのを覚えている。 全てが解決した今でも、未だに住宅ローンで問題を抱えていたことは家族には言えていない。やはり男のプライドも関わるこの問題は悩みが深いと思う。 思ったより多くの人がこの問題で悩んでいるのではないか。 誰にも言えず、たった一人でどうしたらいいか絶望しているのではないか。 私の経験、解決策が全てだとは思わない。
親に頼んで保証人になってもらったりという選択肢がある人はそれでもいいと思う。 ただ、そういった選択肢がない人は、私の体験を少しでも役に立ててくれれば嬉しい。
ある意味、一昔前にあった「研究者は異民族の神聖な儀式を見てもいいか」問題の現代版なのかも。
ほらあるじゃん、余所者には見せられないと言われてる神聖な儀式だけど、研究のためにどうしても見たい……! みたいな。
たぶん今の人類学では、外の人間が、異文化の人が大事にしてる儀式にズカズカ入っていっちゃ駄目ですよ、ということになってるんだと思う。
ただ厄介なのは、その異文化の神聖な儀式、昔は山奥とか孤島とかでやってたんだけど、今ワールドワイドウェブで全世界から見れるんだよね。
おたくとか腐女子とかの文化、本人たちにとってはすごい大事なもので、外から踏み込んできてほしくないし、自分たちの文化の尊厳を尊重してほしいと思ってるし、ついでに言うと昔偏見にさらされてきたという過去もある。だからすごいセンシティブな存在、ああ見えても。
外部から見たら、そりゃウェブで公開されてる二次創作小説も文芸誌に載ってる小説も同じに見えますよ。実際「自分で読まれたくて公開してる」作品だもの。そういう意味では同じですよ。後者は引用して分析してあれこれ論評していいものとされているんだから、そりゃ前者に対してもそうしていいと思いますよ。
後者への論評なり分析なりは、「トンチンカンな批評言いやがって! くやしい! ころす!」みたいな反応を呼び起こすかもしれないけど、「学者がおれの小説を分析するなんてゆるせん!」「身の危険を感じる!」みたいなことはあまりない。でも前者への批評はそう言われてしまう。これ、その文化を全然知らない外部の人から見たら理不尽なことなんじゃないかな。でもやっぱり、調査対象から嫌悪・拒絶されるような分析は、やっちゃだめだよね。
研究者の扱える対象は増えているけれど、〈外からはそう見えないだけで実は地雷〉な研究対象も増えていて、そういう対象とどう向き合うか、というテーマなのかなあと思いました(こなみかん)
hachi09 でもその異民族にも普通アポイントとるもんでないの? 今回はそれすらないし知らぬ間に素材として調理されたことも踏まえておこなんじゃないのかな…
そりゃ異民族側がメアドさえあれば誰でも見られる場所で誰でも見られるように神聖な儀式やってるんだから、アポなしでも見ていいんじゃね? と思っちゃうのは仕方ないのでは。
こんばんは俺です。
森友学園への国有地売却問題解明プロジェクトチーム(民進党)が行った、籠池泰典氏のヒアリングを文字起こしました。
なのでミスはあるとおもうです。
二次利用する人はそこんとこよろしくです(自分で確認してください)。
はい、えー、それでは、ただいまより、えー森友学園の、国有地売却問題解明PTを開催していただきたいと思います、
えー、では改めまして皆さんお疲れ様でございます、今井議員と共に共同座長を仰せつかっております参議院の川合でございます。本日のこの会議の趣旨は、既に皆様もご承知のとおり、ここへきて国有地の払い下げの手続きに関わる、近畿財務局の説明資料と、新たな証拠が出てきたということを受けての会議の開催ということでございます、本日は籠池前理事長にも、お越しいただきまして、直接皆様にご説明をいただけるということでございますので、この機会を設定させていただきました、あらためて、確認するまでもないことでございますが、私どもがやらせていただいておりますのは、事実の確認ということでございますので、その視点から、ぜひとも、議論深めていただきたいと思います、限られた時間ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
はい、あのー、お手元に資料が二つあると思いますけれども、ここ最近、近畿財務局からの説明資料という「今後の手続きについて」という、紙が出てまいりまして、それともうひとつ、田村室長との面談の時の、録音というのが出てまいりまして、いま国会でもこれが非常に、注目されておりますので、今日、1時半から、役所のほうとヒアリングをさせていただきたいと思いますが、両側から話を聞く必要があるということだと思いますので、今日はあの、籠池、当時の森友学園理事長に、お越しいただきまして、お話を伺いたいと思いますので、宜しくお願いしたいと思います。
どうも皆さんこんにちは、えー、貴重な時間を設けていただき、まことに有難うございます、あのー、まずもって、えー、皆さん方からのお話をうかがう前にですね、私ちょっと纏めてまいりましたので、えー、そのことを、ちょっと、お話させて頂きたいと思いますが、座らしていただいてよろしゅうございましょうか、はい、失礼します、えー、まずこの、はじめに、えー、この度、思いもかけず、民進党の方々のほうから、瑞穂の國記念小学院建設に伴う、土地取引、ならびに学校設置認可について、説明せよと、要請をお受けしました、私といたしましては、証人喚問でも申し上げました、あー、とおり、自分の反省すべきところは反省し、えー、自分の承知しておりますことは出来るかぎり、率直にお話を申し上げる方針には変わりはありませんので、えー、このご要請に応じ、出来るかぎり、議員の皆様方のご質問に誠実に、お答え致したいと考えております、えー、まず、あの、昭恵夫人との関係につきましては、えー、おそらく、あの、議員の皆様がた、につきましては、本日のご興味はですね、えー、先般明らかに致しました、私と、財務省の田村室長との会談の録音テープで、あろうかというふうに、思っております、えー、まずはあの会談に至るまでの経緯について、申し上げたいというふうに思っております、えー、瑞穂の國記念小学校の建設構想が、具体的に走り出しました直後の、平成24年の10月ごろ、まず真っ先に、この構想についてご相談申し上げたのは、あー、尊敬する安倍晋三首相のご婦人、安倍昭恵先生でございました。当時まだ、安倍晋三先生は、自民党総裁に返り咲かれる前でしたので、えー、安倍先生応援するためにも、ぜひ当園にお越しいただき、ご講演をいただければと思い、えー、安倍先生サイドと接触を図ったところ、おー、安倍昭恵夫人とお会いすることが出来まして、えー、その際、安倍晋三先生のご講演の依頼をすると同時に、えー、小学校建設構想についても、お話申し上げた、いうことでございます。
残念ながら、自民党総裁選挙等の影響で、安倍晋三先生のご講演はかないませんでしたけれども、その後、平成25年の9月に、財務省に対し、安倍晋三記念小学校として土地所得要望書提出すまでにも、おー、安倍昭恵夫人にも、小学校建設プロジェクトのす、進捗については、適時、ご報告を致しておりました。安倍晋三先生が総理に就任されたため、ご講演はかわな、叶わぬ、うー、だろうというふうに思っていましたところ、おー、思いがけずに、えー、安倍昭恵夫人からご講演をいただく運びとなりました。ま、平成26年の3月、講演の最終的なご依頼のため、昭恵夫人と、東京のホテルオークラでお会いすることになりまして、その席で、えー、昭恵夫人から、小学校建設、うー、運動について、えー、お話をし、主人にお伝え、えー、伝えますと、いうことを言っていただき、更には、何かすることはありますかと、までいっていただき、嬉しかったことを記憶しております。この際、昭恵夫人は、安倍事務所の秘書の方と、を帯同されておりましたので、当時の昭恵夫人のスケジュール等に関しましては、安倍事務所のほうに、ほうがお詳しかろうと存じます。また平成26年の4月、塚本幼稚園に昭恵夫人がご講演たまわった、あと、昭恵夫人を豊中の、おー、野田の、小学校建設用地にご案内申し上げました。この際、昭恵夫人が帯同されておられた秘書は、えー、コウタケさんと記憶しております。昭恵夫人には、小学校建設予定地をご視察たまわった際も、当然のことながら、財務省との交渉についてもご説明申し上げた次第でございます。その後、昭恵夫人には適時、財務省との交渉内容について、電話でご報告をしておりました。当時、私は、あの土地を、定期借地、定期契約にて借り受けたいと考えておりましたものですから、その交渉のため、半月に一度は、あー、もうちょっと多かったかわかりませんね、15日、十日間くらいに一度は近畿財務局に出向いておりました。昭恵夫人には、この交渉の都度、交渉の経緯などを報告申し上げて、えー、おった次第であります。また、当時の財務省の担当者、マエニシさんには、当時から私が交渉経緯を昭恵夫人に報告していることを、お伝えしておりましたので、財務省のほうも、このことは当然、認識しているものと思われます。それまで定借契約に難色を示しておりました財務省が、平成26年夏ごろ、えー、突然、定借での契約に前向きになってくれました。なぜ財務省が突然、態度を、おー、変えてくれたのか、私には知る由もありませんが、あの録音データの中で、タムラ室長が言う特例と言うのは、ま、このことを指していたのではないかと、いうふうに考えております。そのの、その後、財務省との賃料に関する値段交渉が始まり、財務省の統括官から、値段にはストライクゾーンがあると、ストライクゾーンは上と下がある、という話があり、高いほうは2,700万、低いほうは2,100万、という、具体的な、金額の提示が、ありましたので、低いほうにしてくれとお願いしたという経緯もございます。この、定期借地にむけた、けいし、えー、契約交渉についても、適時、安倍昭恵夫人にはご報告申し上げて、おりました。平成26年末、きんぶ、近畿財務局がその後の契約書の雛型を一式揃えた文書を提示してくれました。この時私は、この雛型とおり手続きをすすめば、土地取引はスムーズに動くであろうという、ということを感じ安堵いたしました。しかし、翌年、平成27年になりまして、建設予定地でゴミが、大量に発見されるにおよび、このゴミの場内埋め戻しを財務省が、建設業者に指示しているという話を聞くに及んで、土地の値段のことよりも、工期の遅れひいては開校の遅れが心配になり、近畿財務局のイケダさんに頼んで、財務省本省のタムラ室長の直通電話を教えて頂き、アポイントをとって、お会いする運びになりました。あ、失礼、しかしこの翌年というなことは、平成28年でございます。今般、問題となっておる録音データはその様子を録音したものです。この会談の後も、昭恵夫人には、交渉の推移を、適時、ご報告しておりました。昭恵夫人に、名誉校長にご就任いただいたのは、土地取引の交渉がまだ完全に終わる前でしたが、名誉校長就任後は、当然のことながら、業務の一環としてご報告を、続けた、次第で、ございます。結びに変えまして、録音データーの素性については概略以上のとおりであります。冒頭にも申し上げましたように、私は、私の承知しておりますところを包み隠さずお話申し上げる所存であります。証人喚問で、維新の会の、下地先生が仰ったように、大阪府にもたくさんの、梯子をかけていただきました。その御恩に報いるためにも、答えられる限り誠実にお答え申し上げる所存であります。どうぞご遠慮なくご質問いただきたいというふうに思っています。どうぞ、議員各位そして、メディアの皆様も、この問題を有耶無耶にしないように、しっかりと、解明のほど、よろしくお願い申し上げたいと思います。以上でございます。
ありがとうございました。それではあのー、ご質問を、承りたいと
えー、参議院議員の風間と申します。ご説明有難うございました。あのー、2点うかがいたいんですが、今の籠池さんの、おー、ご説明を聞いていますと、結局、総理夫人が、あの、今回の件で果たされた役割というのは、えー、この問題に関するコンサルタント的な役割、を果たされたと、結果として、えー、そういう印象があるんですけれども、えー、籠池さんは、あの、どのように受け止めてらっしゃいますでしょうか。それからもう1点。あの、稲田防衛大臣、に対する、籠池さんご夫妻の個人献金について、えー、お伺いをしたいんですが、あのー、私あの、収支報告、稲田さんの、入手しまして、えー、献金者の氏名を、調べておりましたところ、えー、籠池さんご夫妻を含んで、えー、数多くの、保守系文化人が、えー、献金をされていました。で、その中の何人かに、えー、ヒアリングを、しました。その結果、えー、自分は、あー、当時、稲田さんの、おー、後援会の役員を務めていたと、この役員のもとに、えー、稲田さん側から、えー、献金をして欲しいという、依頼の、手紙が、あー、来たので、それに応じて献金をしたと、こういう回答が得られました。で、お尋ねは、あのー、籠池さんは当時、稲田さんの、おー、後援会の役員、いー、をお勤めになったのかどうかと、この点、2点をお尋ねします。
えー、ではお答え致します。えー、安倍昭恵夫人がコンサルタント的な、えー、立場をさして、して、おられたかどうかと、いうことですけども、あのー、コンサルタントという、ことではなくてですねぇ、あのー、私の、おー、考えておること、ご説明申し上げて、えー、そして、それが、えー、まあ、どのような、状態になってるのかということをお知りいただいて、で、そして、えー、そのことを、おー、通じてですねぇ、えー、色々と、おー、各方面にわたって、えー、対応していただいて、いたのではないかと、いうふうに考えております。えー、稲田先生の、献金のことにつきましてはですねぇ、えー、私はあのー、役員はやっておりませんが、えー、麻生大臣がお越しなったときに、えー、私が麻生大臣の、おー、アテンド役という立場をいただきましてですね、えー、そこにずーっと付き添って、おる役をいただいたということは、あります。それでよろしゅうございましょうか。
2点お伺いいたします。えー、先ほど、おー、昭恵夫人には、ま、適宜、ご報告を、されていたと、おー、いうことでした。あのー、多い時には10日に1ぺんぐらい、その財務、うー、局に行くというお話でしたが、あのー、例のあの、おー、タニサエコさんのFAXの返答、等の場合などは、まあ単なるご報告にとどまらず、ま、お願いということで、具体的に動いていただいたということだと思うんです。そのように、具体的に何か、あのー、動いていただいた、あー、ということは、あー、この、その、先般の、おー、FAXで返答があった例の件以外にもあるのかどうか、これを1点お伺いしたいんです。えー、もう1点はですね、えー、昭恵、えー、夫人が、えー、名誉校長をお辞めになった時の話ですが、えー、ご家族のツイッターだったと思いますが、その退任のときの、そのご連絡が、昭恵夫人ご本人ではなく安倍晋三事務所から、あー、きた、あるいは、そのー、ま、退任させてくれ、ホームページから削除してほしいということが、自民党の国会議員から来たというような、あのー、ことが、ちょっとあったと思うんですが、そこらへんの事実関係をお伺いできますでしょうか。
参議院の白眞勲と申します、今日は有難うございます、えーっとー、今の宮崎さん、との話と同じなんですけど、あのー、この前あのー、予算委員会において、えー、籠池さんから、この、今ここに議事録あるですけども、平成27年10月の、おー、ことです「留守番でしたのでメッセージを残しました。すると後日、内閣総理大臣婦人付きのタニサエコさんというかたがご連絡をいただき、なかなか難しいとのお返事をいただきました」というお答えをされてるんで、あのー、その時、ご証言をされてるんですけども、その、普通、メッセージってそんな長くは、なかなか、残せないんじゃないかと私は思うんですね、ですから、それに対してはたぶんお電話を頂きたいみたいな話が、をされて、それに対してタニさんからお電話、ふつう来たのかなと私は勝手に想像したわけなんですね、それで、それに対して、なお、たぶん籠池さんのほうがご説明されたらちょっとそれじゃなかなか難しい、あのー、話がよく分かりにくいので、えー、ということで、えー、お手紙を、このー、具体的なお手紙を、それはコピーいただ、みましたけど、そういう経緯がここにあったんではないのかなと私は、こう、勝手に推測したんですけども、そのへんをもう少し詳しくお話いただければありがたいというふうに思います。以上です。
えー、順番にお答えいたします。えーっと、10日に1回、安倍、昭恵、夫人のほうに連絡したというんではなくて、私が、近畿財務局に行っておりましたは、えー、10日に1回くらい、えー、でありますと、えー、ですからその、報告を、せないかんなぁと言う時は、適時考えてやっておったと言うことであります。えー、それと、タニさん、のこと、えー、えーっと、タニさんのことですか、えー、タニさんのことですねぇ、はいはいはい、そうですねぇ、えー、当然ですねぇ、えーっと、平成にじゅうー、うー、ろく年、に、の4月に、えー、初めて、学園に、ご講演に、お越しいただきました時に、えー、もう、そのまま、学園の野田町の、えー、小学校建設用地までご案内いたしました。で、そのなかでですね、あのー、これ学園なんですよって、この土地のところで、えー、小学校建設させていただきたいと、それについては今、このような状態で、えー、近畿財務局と対応しておりますがなかなか難しいですと、うん、ということをお話しまして、そうすると、あのー、なにかすることはないですかと、いうことでありました、ですから、えー、その時に具体的に何をと、いうのは、もうこれなかなかー、もう前に進まないんでと、いうことの状況と、早くあのー、これは、えー、工事を、していきたいということでありましたので、それは心の中に留めていただいたと、その後、どのように動いていただいたか、ちょっと私は具体的には触れませんけども、しております。で、その後、えー、それぞれですねぇ、えー、難局に、あの差し掛かりました時は、こういうことがあるんですああいうことがあるんですということは、電話で、えー、対応さしていただいておったと、いうことであります、また、私だけではなくて、やはりあのー、家内のほうからですねぇ、あの女性同士ですから、えー、私はもうたかだか2~3分で終わる話ですが、家内の場合でしたら1時間2時間ほど、携帯電話で話をしておりますので、その中で、いまの状況についてはこうなんです、ああなんです、という話は、あの、必ず入って、おりました、はい、でー、それと、えー、あっ、それは今のでよろしゅございますか、はい、えー、それと、あー、めー、名誉校長を、退かれたとき、えー、平成29年の、おー、2月の23日、えー、これは、安倍事務所、えー、国会の中、国会というか議員事務所、議員会館の中の、えー、国会、えー、議員事務所の中から、発信されました、えー、FAXが、届いておりました、えー、そこに、あのー、私に対しては23日、えー、ちょうど、えー、財務省の、えー、理財局長のほうから、身を隠しといてくださいということでありましたので、えー、身を隠しておりました、23日の、えー、昼過ぎでしたかね、ハツムラさんという、秘書のほうから、連絡がありまして、えー、非常にコワモテの声で、えー、もう降ろせと、えー、いうなことでありました。えー、FAX流してるから、流しとくんで、今日中に、えー、顔写真全て外せと、いうことでございましたので、そのようにしたと、いうことで、ございます、えー、FAXの、番号のほうは、全て私どもの、FAX、うー、機ののなかの、おー、えー、記録器に残っておりますので、これは確かなもんであろうと、いうふうに、思っております、えー、それとタニさん、それはよろしゅございますか、
国会議員のかたが、あの、きてお願いされたというのは、それは、ちがう
あ、えーと国会議員の方は、来られました、えー、それは、えー、2月の21日、えー、国会、えー、なんていうんですかね、あのー、国会の、運営委員か、ていうんですか?えっ?国対、国対、あのー、副委員長で、えー、あられるですね、えー、豊中市選出の、大塚たかし議員が、えー、その前日の、日曜日に、秘書の方と来られたんですが、私ちょっと留守しておりまして、お会いできません、ですから、その次の日に、あの秘書の方が来られましてですねぇ、えー、昨日は、えー、当人と来たんだけどもと、いうことで内容は、いまこのような国会を、おー、騒がしてるので、えー、なんとか、安倍昭恵夫人の、おー、写真を外してほしいと、いう、お願いでしたけども、ちょっとそれはなかなかできにくいですねぇというふうなご回答をして、お帰り頂いたと、いうことでございます。それでよろしいでしょうか、それで、はい、それと、タニさんのことでございますけど、これはですね、えー、安倍昭恵夫人が、えー、まあ外遊されてたんだと思うんですが、そこの、おー、ところにむかって私が電話をさしていただきました、えー、電話さしていただきまして、あの、すぐに、えー、ちょっとこう、急ぎますのでと、いうなことを、まあ、入れておりましたんで、えー、昭恵夫人のほうからきっと、あの、タニさんに連絡がすぐいったんだと思いますが、すぐに、あのー、タニさんのほうから連絡をいただきましてですね、えー、お急ぎのようだから、えー、どういうことなのかお聞きしてほしいと、いうこと、だったわけですねぇ。ですから私は、電話でそのことは、一応お伝えしたんですが、あのー、タニさんのほうから、えー、これはもう大切なことなんで、あの、きちっと文書にして、したためて、出してほしいということでしたので、私のきたない字でしたけども、書きまして、で、えー郵送さしていただいたと、いう経緯でございます、はい、はい、そいでよろしいでしょうか、はい、
えー、衆議院議員の辻元です、えー、昭恵夫人にですねぇ、えー、ご報告をされたり、お願いをした折にですねぇ、えー、昭恵夫人のほうから、例えばですねぇ、じゃあその件は財務省にちょっと聞いたげるわとか、そういうことはなかったかどうか、それから、えー、証人喚問の折にですねぇ、えー、稲田朋美、いー、防衛大臣の、夫の弁護士の方が、の事務所で、えー、近畿財務局等と打ち合わせをしたと、いうご証言をされたんですが、これは1回だけなのか、稲田朋美大臣の、夫の弁護士さんに、どういうお話をそのときに、お願いしてたのか、それから、橋下徹知事、えー、松井知事の前は橋下徹知事だったわけですが、えー、維新等に対してですね、えー、どういうお願い等をして、橋下徹、えー、知事の直接のコミットメントはないのか、で最後に、加計学園という、うー、学校法人があるんですが、この理事長とはお知り合いかどうか、えー、お願いします。
はい、えー、では、あのー、えー、先に、安倍昭恵夫人に私どもがお話さしていただいたときに、じゃあここに、連絡したらいいわねって、えー、いうのは、例えば、あのー、私が加計学園の、、に行きたいんで、ちょっと、あのー、連絡を取って頂きたいと、いうなことでしたらすぐ連絡は、とって、いただくことができたり、でー、まあ、あのー、財務省に云々と、あー、いうことは、えー、具体的にじゃあ連絡しますということは、ありませんでしたけれども、えー、まあ、なんというんですかね、まあ、聞き置いて、そして、それを、まったく、聞いただけで無視をする、うー、というようなことでは、なかったように、えー、感じております、はい、えーっと、それと、えー、稲田龍二先生の事務所には、1回だけ行かしてあーっと、いまご質問の趣旨で言いますと、えー、私どもの顧問弁護士だったころと、は別にしましてですねぇ、最近は、近畿財務局と、そして航空局の職員を伴って、一度、行かして、いただきました。その内容につきましてはですね、えー、先に、えー、有害物資を出しましたときの、おー、こちらのほうが、えー、立替払いしておりました金額について、えー、まだまだ返してくれないので、なんとか、これ、ならないですかね、と、いうふうなご相談をさしていただいたと、いうことで、ございます、えー、それと、えー橋下知事、いー、そして松井知事、のこの時期ですが、んー、まあ、私も、あのー、大阪在住でありますんで、えー、まあけっして、えー、維新系の府会議員の方とか、それとか市会議員のかたとか、また現職の国会議員のかたとか知らないかたは、あの、まあまあ、知っておるかたは多少いらっしゃるわけですけども、えー、この、維新のこのことにつきましてはですねぇ、当時、あのー、維新は、あー、平沼先生の、おー、直轄下に、いたときがありますね、でー、その時に、この我々の、小学校はですね、やはりあのー、平沼先生がですねぇ、あのー、もう素晴らしい学校だからというふうな、添え状も頂いて、私は意気揚々と、あのー、東京に行って帰った、あー、記憶があるわけですけども、やはり、あの、その時期に、えー、平沼先生の、はああいうご実直なかたでございまして、立派な方でございますので、まあどのような経緯で、えー、松井さん、あるいは橋本さんのほうに、口添えをしていただいたのかわかりませんが、えー、あのー、党が同じだったときはですねぇ、やはりあの、ある程度の、事柄については、えー、お声をかけていただいておったんではないかなぁというふうに、思っております、えー、それと、加計学園につきましては、今先ほどもうしあげた、とおりでありますが、あのー、すぐに連絡をとっていただきましてですね、インターナショナルスクール、これは西宮にありますが、これはあのー、すぐに行かしていただきました、そして、えっと、広島にあります小学校、のほうにもですね、えー、連絡をとって頂きましてですね、えー、私の、と事務局のほうが、すぐに行かしていただきまして、むこうの事務局の方と合わしていただいたということでございます、ただ、あのー、仰っていただいております、理事長との面識は、ございません、はい、よろしゅうございましょうか、はい。
えー、あの、有難うございます。参議院の杉尾と申します。えー、1点伺いたいのがですね、いまちょっと、ばーっとあのー、おー、このテープ起こしの、おー、スクリットを見さしていただいたんですけれども、例えば、えー、あのー、二つ目のですねぇ、えー、ホッチキスで閉じられてる例えば7ページのところに「昭恵夫人のほうからも、たしかここも聞いてもらったこ Permalink | 記事への反応(0) | 19:54
今の日本、40代で非正規雇用から正社員になるなんてできるもんか。
そう思っていた。私も80年生まれ。大学も出たのに、非正規雇用しかまともな職が無い。
どうしてそんな職歴なんだ、と聞かれてもどうしようもない。新卒で入った会社が思った以上にブラックで、初日の研修で、「3日間徹夜なんて当たり前。利益が出せなきゃいけない」と諭され、翌日の夜、セクハラとパワハラ織り交ぜた接待に放り込まれた。見知らぬおっさんに「まず脱ごうか」と言われて、翌日辞めた。マイナビなどでいまだに新卒採用やっている会社の話だけど、正直無理だった。
それから実家に戻って就職活動して、派遣社員とか色々やってきて、資格も取って正社員として何度か働くチャンスがあったけど、どこもブラックで、身体を壊して辞めて非正規に戻るのを繰り返し、自分でやっていこうとして個人事業主になって、ふと気づけば10年たっていた。多い時で16万円。少ない時だと4万円の個人事業主。年収150万円。時々アルバイトで小銭貯める個人事業主。
このまま結婚もできない。子どもも作れない。何のために生まれてきたのか。そもそもどこで人生間違ったのか。そう思っていたある日、ハローワークの職員やっている友人が、「転職しなよ」と言ってくれた。「今、好景気だよ。いい職が出てるよ」と。
もう転職する気なんてないよ。そんな力が残っていない。このまま使いつぶされて終わるんだ。そう腐っていた私だったが、その数日後、新聞の「好景気」「アベノミクス」という言葉が、目に飛び込んできた。
政治には踊らされるばっかりだった。でも、もう一度かけてみようと思った。
個人事業主ではない、安定している正社員で、今のような仕事がしたい。
ただ開き直った私は、かたっぱしから企業にオファーをしていった。
雇ってくれ。こんなことやってきたんだ。非正規雇用や個人事業主のキャリアの方が長い。でも、こんな経験を積んできた。雇ってくれ。頼む。こんな努力をしてきた。ただ働いたんじゃない。こんなことをしてきたんだ。子どもの小遣いみたいな仕事を頼まれても、プライドでここまで仕上げたのは、こんな経験が積みたかったからなんだ。
職務経歴書を10回ぐらい書き直して、笑われてもかまわないとポートフォリオ作って、30社以上電話かけて、20社近くアポイントが取れた。そこを一社一社まわって、必死で売り込んだ。
結果、採用したいと言ってくれる企業が3社。その中で、一番気に入ってくれた会社に入った。年収550万円の正社員だ。
定時で上がっても家でやる仕事なんてない。
ダブルワークも考えなくていい。
働いて3ヶ月経つけど、4月で昇進&昇給もしてもらえたよ。マジかよ。マジだよ。
就職氷河期で冷や飯食らった同世代。今だよ。今ならいけるよ。マジだよ。就職氷河期は見捨てられたとか言ってるやつ、今だよ。正社員になるなら今だよ。
俺ら就職氷河期世代ってもう忘れ去られたのかな(http://anond.hatelabo.jp/20170422041028)の人の話読んで、いてもたってもいられず書いた。売り込んでいる時に、「うちも30代40代の中堅層が足りないんだよね」ってすごく言われたよ。売り込むなら今だよ。