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はてなキーワード: アニメ監督とは

2022-05-29

anond:20220528155900

音に拘るアニメ監督と言えば大地丙太郎かなぁ。

この前TwitterマサルさんOP話題になってたけど。

レジェンズED入りとかも最高。

あとは中村隆太郎とか、山内重安とかも好き。

若い人だと山下清悟だな。

anond:20220528155900

俺は逆だと思ってるけどねぇ。犬王のセンスが古いのはともかく。

アニメ監督は音に関して前衛的過ぎてめちゃくちゃになってる。ってのが正解だと思ってる。

2022-05-28

アニメ映画監督、<音>に興味なさすぎ問題

日本代表するアニメ監督たちが<音>に鈍感なの、悲劇だと思う。

湯浅監督の犬王みてきたけど、あの古臭くてパッとしないロックは何?

なんで室町時代琵琶法師ロックをやってるんだろう?

いやわかるよ、かの時代一世を風靡した斬新で革命的な<音楽>を表現たかったのはわかる。

でもなぜそれがあん陳腐ロックなんだろう?

今の時代、最新の音楽理論とシンセサイザーを使えば風変わりで斬新な雅楽などいくらでも作れる。

コンテンポラリー雅楽じゃダメだったのか?

まあ100歩譲ってロックにしたいならそれでもいい。

和楽器ロックをやるなら、それはそれで斬新な感じは伝わるだろうから

でもエレキギターハイハットを使うなよ。

画面に存在してない楽器を使うなよ。

もし洋楽器を使いたいなら、それっぽい何か(現実には存在しないけど、当時存在しててもおかしくなさそうな自作楽器的なやつとか)を画面に描けよ。

なんで、<絵>や<動き>に対してはあんな素晴らしく卓越したセンスを見せつけてくれるのに、<音>にこだわらないのだろう。

 

思えば宮崎駿もひどかった。

そう、風立ちぬ

あの画面から唾が飛んできそうな効果音の酷さと言ったら、もう、言葉がない。

絵のこだわりに対して音へのこだわりのなさに、もうただただ悲しいよ。

2022-05-06

anond:20220506235359

ワイは途中でチャンネル変えたり消してしまうやで

視聴率1020%くらいやし目が離せない人は少数派やろ

ただ他のアニメで同じくらい視聴率が取れるわけではないか宮崎アニメ監督として優秀なのを否定する気はないやで

2022-04-29

anond:20220429203329

アニメ監督搾取される側だと思ってたけど違ったんだ

一人だけベンツ乗ってたりすんの?

はてなーアニメ監督には好意的なのが不思議

アニメ監督なんてブラック企業社長みたいなもので、スタッフ酷使搾取する側で、はてなーが最も嫌いそうな人種なんだけど、いつもアニメ監督には好意的なのが不思議だ。釈然としない。

2022-04-19

アニメ出身監督の悪い所は、演技に関して全く知識が無い所

日本実写映画レベルが低いのは、才能がある人は全てアニメ畑に行ってしまうからだと言われている

日本アニメ畑はレベルが高い。日本の実写監督が持っていない基本的な構図や撮影間隔は、下手糞な原画マンでも叩き込まれているくらい

脚本に関しても、アニメ監督レベルに行くとかなりレベルが高くなる。現代問題をうまく需要に落とし込みながら、作家性を出す。

今敏石井庵野や新海、彼らはそれぞれが特色を持ち、そのレベルハリウッド脚本家を簡単に超えてしまう。


しかしそんなアニメ出身監督にも欠点がある。

シン・ウルトラマンの予告、シンゴジラを見ても分るだろう。アニメ出身監督は、参考資料撮り方映画を撮ってしまう。

一流の構図、一流の絵作り、ライティング日本実写映画監督は基礎すらできていないが、アニメ出身は容易にそれができる。

しかしこだわりが強すぎるため、彼らの作品を見るとわかるが、俳優がある一定の構図からズレることを許さない。

ただでさえ大根役者が多いのに、俳優一定の画に押し込んで、まるでアニメのように映画を作ってしまう。


まるで役者マネキンのように、3Dソフト人形のように、絵の中に押し込められる。一枚一枚の写真は美しいが、動画となると不自然になってしまう。

それでも日本実写映画は、アニメ監督がやる実写の方がレベルが高く、面白い

枕営業問題になっているが、枕営業をしてもある程度有名になれてしま日本映画業界レベルの低さが問題

アニメ監督は実写に慣れて、無能駆逐してほしい。

2022-04-12

anond:20220412120302

漫画は絵の上手い下手さじゃない

ソース釣りバカ日誌の作者(下手だと自分で言ってる。師事した人にも言われたらしい。事実ふすまとして並べればアニメ監督とかゲームデザイナーの方がうまかった→NHK特番参照)

絵が上手きゃなんとかなるという自信があるならお前も連載三本獲得してみろ

2022-04-10

オールオタク表現規制について思うこと

エロゲ作家エロ漫画家が、「表現の自由規制すべき」という規制論に組するのは、珍しくない。

なぜなら、「オタク向け作品を作っているから」と言って、オタクを好きなわけではないからだ。むしろ自分も含めて嫌悪しているケースも有る。

もうちょっと話を広くすると、「オタクオタク嫌い」っていうケースはたくさんある。

オタクだけれど、自分以外のオタクを(場合よっち自分も含めて)否定することでアイデンティティ確立した人間って、実はたくさんいる。

まあ、いわゆるオタ差別という時代があったわけでそこはもう語らない。ただまあ、色々鬱屈してる人がいるわけで。

その鬱屈によって創作してた人は山ほどいるんだなこれが。

オタクだけれどオタク否定原動力に変えていたアニメ監督

オタクだけれどオタク否定原動力創作するエロゲライター

オタクだけれどオタク否定原動力ペンを握る漫画家

オタクだけれどオタク否定原動力萌えを書くラノベ作家

彼らの鬱屈した感情は、まさに卑屈な変態というべきものであると同時に、一時代、確かに創作の大きな原動力だったことは認めざるをえない。

ただもう、その鬱屈した感情が伝わる世代じゃなくなってきたんだよなあ。

オタク社会に受け入れられない。オタク作品欲望のままに生きているゴミの山だからだ。しかし俺は違うぞ。本物を作り出してやる、と、オタク社会鬱屈を悩み抜いて結局ぐるぐるまわって自分も含めて同胞dis否定しつつそれでも創作せずにはいられない感情の爆発」

なんてものが、伝わる時代じゃない。

あの時代は大変だった。それはわかる。

赤松健のように「自分パンチラ漫画家と言われても仕方ない」と笑い飛ばせる強さは誰もが持ち合わせていなかった。

杉田智和のように他人否定することなく、おたく情念を込めて好きなものを語るという強靭さは誰もが持ち合わせていなかった。

「俺の作品は、他のエロ漫画エロ同人エロアニメエロゲとは違う。俺の好きな芸術なんだ。エロの他に高尚さを持ち合わせている。わからないやつはキモオタだ。しかし、しかし、ぐぬぬぬぬぬぬ」

みたいな謎の鬱屈した芸術感情は、確かに過去においては創作原動力だったのだと思うが、今はもう「馬鹿なの?」で終わってしまう。

しかし、残念ながらそういう「自己否定自己肯定を繰り返した自意識の化物」みたいな存在は、たくさんいる。

嫌いな言葉だが、「オタク価値観アップデートできない」という現象だ。

いつまで経っても「社会オタクは最下層の中、なんとか社会と折り合いをつけたいと自己否定を繰り返して悩み続ける」という精神構造から抜け出せない。

それはかつては得難い才能であったと同時に、現代においてはしち面倒臭いと嫌われもするのだ。

今の時代、「オタク否定して悩みながらオタクをやる創作」なんて変態所業ウケるけがない。

そんなことやってる暇があるならSNSFGOアズールレーンイラストを一枚でも上げたほうがよっぽど建設的って状況だ。

自己否定して悩み続けるならともかく、こういうタイプは周囲の人間喧嘩を売りまくるから始末に負えない。

こういう態度は耳目を引くが結局嫌われる。「愛されキャラが最強」のSNSでは、珍獣として消費され尽くしてしまう。

いまさらオタク作品ダメなんだ。堕落している。こんなものばかりでは業界が腐る。オタクは腐っている」なんてアジったところで、「老害オタクがまた発狂してる。でもお前の作品は、まさにそういうダメオタクなんですがw」と鼻で笑われているだけだ。

そんなことは描いている本人がよくわかって悩んでいて、それでも言わずはいられない宿痾の業なのだが。

そして、それらの悩み続ける時代デフォルトオタクが唯一存在証明をできる場所が、SNS政治だった。

そう、政治場所にはまだ彼らの需要があったのだ。

「ぎゃーぎゃーぎゃー」と騒いで与党やら野党やらをバッシングし続ける珍獣としてならば、「オタクバッシングしながら自意識をこじらせオタクでも迎え入れてくれる」という需要があった。

なんかもう、色々痛すぎる。

見ていて痛々しいわけだが、本当に、どうしてこうなった感がある。

「誰もが批評家だった時代

矛盾を抱えて悩み続けることがオタク証明だった時代

そういう時代は気がついたら終わっていた。

今はそういう時代ではない。

SNSでどんな悩みもオタク生体の鬱屈した感情も共有できたのは救いだった。しかし、「それは珍しくないただの鬱屈した感情」で「別にあなた特有特別な悩みではない」ことがバレてしまって急速に求心力を失ってしまった。

悩めば偉いオタクなわけでも、苦悩したから上等な人間なわけでもない。

結局の所、そんなものより愛されることが重要なのがSNSだった。

オタクが悩んだ長文を上げるよりも、コスプレイヤー自撮り写真お絵描き実況のほうがよっぽど需要がある。

そんで、そういった中年のどろどろしたオタク情念をぶつける場所SNSでは限られていた。単純にSNS社会では政治しかなかった。

オタクネトウヨ。でもおれはネトウヨにならないオタク」という謎の偏見構図に乗っかって、twitter政治オタク批判を繰り返すのみである

それが中年オタク政治から足を洗えないたった一つの理由だ。

で、それだけならまだ救いはあるが、彼がが一番憎んでいるのは、開放されたオタクだ。

悩みから開放され、もう自己否定を繰り返さずに社会と折り合いをつけている、普通若い世代オタク自分たちと同年代なのに、悩むことをやめてしまったオタクたち。

許すことができない。

もう、社会においてオタクは最下層民ではないと自認したオタクたちは悩むことをやめる。当然だ。しかしその状況を許せない。

もし、「もう悩む必要がない」と悟ってしまったら、「彼らが存在する」というだけで自分を卑屈な変態だと認めざるをえないからだ。

から自民党表現規制を捨てつつある今、自分たちが規制論を叫ぶという本末転倒が起きている。

「最下層民のままで悩み続ける生き方

うそろそろ捨てていいんじゃないかと思う。

2022-03-18

オタク自分富野庵野宮崎駿アニメ監督として三流と思う理由

自分古今東西アニメを見ている重度のアニメオタクだ。

少ない給料ほとんどをアニメにつぎ込み最新の作品だけでなく過去の名作をもチェックしている。

アニメのために生きている自分アニメのお陰で自殺せずに踏みとどまれたと言ってもいい。

最早人生のものアニメなのだ

そんな自分だが世間で持て囃され文化功労者勲章まで授与された富野監督アニメ監督としては三流だと思っている。

これは庵野監督宮崎駿監督にも言える。

理由はこの三人の顧客軽視・顧客蔑視にある。

詳しくは思い出したくもないので割愛するがこの三人は事あるごとに消費者暴言を吐いている。

名越というゲームクリエイター顧客容姿差別するような発言をして退社に追い込まれ事件があったがこの三人が何故アニメから追放されないのか不思議でならない。

業界に自浄作用が無いのだろう。

いくら面白い作品が作れても消費者を大切にしない、消費者リスペクトできない作家が優秀な訳がない。

消費者説教せず馬鹿にせずただ同じ目線消費者が望む物だけを作り続けるのが真の優秀なクリエーターだと自分は思う。

エヴァンゲリオンなど作品を通してファン罵倒侮辱説教するという見るに堪えない自己満足ムービーなのに世界中で受け入れられているのが本当に理解できない。

真面目な話この三人よりツイッター萌え絵師や小説家になろうアマチュア作家の方がまだ顧客の求める物を顧客目線で出している分クリエイターとして上と言えよう。

真のクリエイターとは顧客の求める物を出し社会的弱者に寄り添い消費者リスペクトする物だと思う。

話は飛ぶが自分小学生の頃ドラえもんが嫌いだった。

社会被害者であるのび太秘密道具で本来得られるべき報酬を得たり悪を退治したりすると必ず最後破滅してしまうのが理不尽でならなかった。

から高校生の時魔太郎が来るを読んだ時はこういうのが読みたかったと思った物だ。

まりクリエイタードラえもんではなく魔太郎が来るを作るべきなのである

自己満足説教ポルノでは無く顧客が求める世界想像するべきなのである

クリエーターと言うのは視聴者を楽しく気持ちよくさせるのが仕事であり

視聴者に都合がいい作品を作れない、視聴者批判するクリエーターはどんな良い作品を作ろうが全員クリエーターとしてド三流なのである

そもそもこの三人に共通しているのは想像力の欠如だ。

アニメを見るな、人と関われとこの三人は口を揃えて言うが他人と関わろうと努力しても他人から拒絶される事を想像できないのだろうか?

彼女作れ、結婚しろと言うなら中学引きこもり通信制高校卒で零細工場低賃金で働いている自分彼女を作る方法を是非とも編み出して貰いたい物だ。

社会的弱者説教をして悦に浸る社会強者はただの卑怯者のいじめっ子である

あくま個人尺度だが富野庵野宮崎駿作品よりいい作品はいくらでもある。

その作品信者中傷される恐れなあるため明言はしないが。

2021-12-28

anond:20211228133030

すでに書いてある、ワイヤーアクションバレットタイム含むアクション演出。当時、日本アニメ監督アニメーターの人が言っていたのは「非常にアニメ的な演出であるってこと。映像における時間操作やけれんみ、キメのポーズだとか、日本アニメ独自演出として誇っていたようなものが、高いレベル実写化された。それがエポックメーキングだった。

2021-12-03

劇場アニメ『アイの歌声を聴かせて』を見た

俺はアフタヌーンコミカライズ入り口だった。単行本1巻も買っている。

映画面白かったことは間違いなくて、はてなー含む多くの人に見てほしいと思っている。

ただ、俺は本作のクライマックスを少々物足りなく感じた。

AI企業ビルシオン奪回しに行くクライマックスは、シオンの正体や行動原理の謎が明かされる伏線回収の見所と共に、

壮大な電脳イリュージョンが展開される。本作を絶賛する人は、謎が解明される快感や贅沢な画面に魅了されたのかもしれないが、

俺は今一つ乗れなかった。おそらく、あまり映画然としたクライマックスだったせいだろう。

本作のクライマックスは、熟慮を伴なわず固定観念的にサプライズや壮大なスペクタクルを配置した感じがして引っかかるんだよ。

 

クライマックスの前に、シオンメガソーラープラネタリウムを描き、サトミとトウマの距離が縮まるシーンがある。

無機質な人工物のソーラーパネル青空が映し出される皮肉で粋な描写を含む美しいシーンだが、

ならばそれに続くクライマックスには、さらに粋なもの知的ものを描いて見せるべきだ。

別にクライマックスが派手である必要は無くて、メガソーラーのシーンがクライマックスでもいいし、

シオンサンダー柔道をするシーンをクライマックスに持ってきて、そこで撃たれて終わってもいい。

なんにせよ、非アニメーターな人がアニメ監督をやるなら、作画アニメと張り合えるぐらいの“知的な芸当”を見せてほしいのだ。

 

まあわりと大きな不満点を挙げたものの、全体としては良作だし、ぜひ見に行ってほしい。

一つ面白かったのが、アヤちゃんの二人の友達のうち、黒髪ショートじゃないほうの子ちょっとシオン風のキャラデザなこと。

俺はこの子ロボットだと思ってたよ。たまごっちよりもずっと強い伏線臭がしていたが、裏切られた。

アヤちゃんがゴッちゃんと仲直りして性格が直ったのと引き換えに、二人の友達フェードアウトしてしまったのが気の毒だった。

2021-08-15

二次創作は黒だのグレーだの言っても

当の作者自身漫画家だったりアニメ監督だったり)が他人作品二次創作イラストを描いてTwitterに上げたり

公式アカウント二次創作リツイートしたりしているという、

一次創作者側が二次創作肯定するともとれる行動をとっているという矛盾めいた現実があるわけで

そこの折り合いをどうつけるんだろうって思う

突き詰めると

一次創作者VS.二次創作さなマン

っていうよくわからない対立構造になるよね

誰のための戦いなのこれ

2021-07-27

anond:20210727065156

セクハラパワハラに近い演技指導してるアニメ監督なんていくらでもいるし今後どんどん叩かれて規制されてくと思うよ

2021-07-20

anond:20210720125705

アニメ監督でいうとパヤオや禿や庵野人格よりは「新海がエロゲ原画やってた」が一番火種になりそうだとは思ってる

2021-07-03

おおかみこどもに対するデタラメ考察が多すぎる

というよりは「自分視点での感想」をさも「考察であるかのように語る輩が多すぎるということかな。

ネット感想を書き続けると人間の次式は肥大化してゆくゆくは感想考察区別がつかなくなるのだろうか?

だがこのまま私が黙って「感想考察区別もつかねーのかこのカスは」と思い続けていても自体解決しない。

どうやら私が書いてやる必要があるらしい。

おおかみこどもの雨と雪考察」を。

長いの面倒だからシンプルに行くぞ!

考えるべきは細田守視点だけである

脚本奥寺佐渡子細田守の考えを「一般人に伝わる形かつ、一般人も楽しめる形」に落とし込むための存在であるため、作品において「なんでここがこうなったの?」に対しての答えを彼女に求めても「作劇的にその方が面白くなるから」以外の要素は出てこない。

から考察をするのならば奥寺佐渡子意図はあまり考えなくていい。

気をつけたいのは、「でも細田守がそういう意図を持っていたのなら、作品の質を落としてでもここはこうしたのでは?」という部分に関しては「奥寺佐渡子うまい具合にハンドルブレーキ操作した」と判断すべきであるということだ。

脚本に2人が名前を連ねていることが、おおかみこどもの雨と雪考察を若干難しくする。

おおかみこどもの雨と雪を作った時期の細田守

おおかみこどもの制作が始まる2年前、サマーウォーズ製作中に細田守母親祖母を無くしている。

父親の方はそれより11年前に既になくなっている。

おおかみこどものキャラクター造形において、この3名の死は深く関わることになる。

この辺については詳しくはインタビューを読んで貰ったほうが早いので手短いに言うと、細田守自分で「作品作りにおいて影響があった」と口にしているのだ。

主人公母親であること、父親が途中でなくなること、そういった要素についてフェミニズムだの男女平等社会だの社会派気取りだのあーだこーだと考える必要はなく、「そのとき細田守境遇がそういった家族像を作中に描くことを求めた」で説明は終わるのである

細田守≒おおかみこども

母親モチーフ細田守の実母であるということは、おおかみこどものモチーフ細田守自身となるわけだ。

ちなみに細田守は幼少期に吃音症を患っており、この感覚社会普通の子供として上手く馴染むことが出来ない幼少期の雨と雪を形作っていくことになるのは想像に難くない。

それぞれは自分性質出会人物に合わせて、人間社会と山という全く別の社会における適応を目指すことになる。

また、それぞれが目指そうとする場所は途中で交差して入れ替わる。

全く異なる2つの社会をそれぞれに目指す姿は、細田守アニメ業界という力と才能が支配するオタク世界と、宣伝社会性が重視される一般的社会という2つの世界を行き来しながら有名アニメ監督となった細田守人生観の反映であろう。

まり、山において師匠に野生の生き方を学ぶ雨は、アニメ業界で才能を頼りに生きることを選んだ細田守であり。

一方、現実世界で恋をして普通に生きることを選んだ雪は、細田守の妻子持ちとしてのプライベートの姿である

才能を振り回しケモノとして生きる道と、人間らしく生きる道に対して、細田守が感じる二足のわらじの感覚が、おおかみこどもを二人にするという設定を構築しているのだ。

流石にちょっと言い過ぎでは?

と思った人はバケモノの子未来のミライを通して答え合わせをして欲しい。

おおかみこどもの雨と雪はいわば細田守考察における出題編であり、その後のバケモノの子未来のミライによって、おおかみこどもで考えた考察深読みだったのか、実際にそうだったのかが徐々にハッキリするという構図になっている。

バケモノの子7月9日金曜ロードショー未来のミライアマゾンプライムビデオで見ることができる。

性癖の話は?

それはおおかみこどもの雨と雪だけでやるとゲスの勘ぐりみたいになる。

バケモノの子未来のミライ伏線回収が終わってから戻ってくるとまあ露骨にそうなんだよねって分かりはするんだけどさー。

かると言えばサマーウォーズ家族観とかもあとから見るとなるほどねーってなるんだけど、この辺もやっぱバケモノミライを見てからじゃないと分かりにくいんだわ。

答えから逆算すると簡単迷路ってたまにあるけど、細田守映画世界観もあとからだと分かるけどサマーウォーズとかの頃は上手くやってるなーって。

まあまさにこれは「奥寺佐渡子ハンドルブレーキを上手く使ってた」ってことなんだけどさ。

凄いわあの人も。

2021-06-28

ドラマ監督ってアニメ監督みたいな炎上例がない気がするけどなんでかな?

まあこんなこと言ってる自分だけどいまだにたつき監督とやらがけもの関係でなんで炎上したのか詳しい経緯全然知らんのだけどね。

2021-06-26

すごく好きになったアニメ監督がいて、もうアニメを見なくなった今でも、その監督作品は見る。

ただ、底抜けに明るいか全く動じない主人公が、持つものすべてを失った上で叩きのめされるような目に遭う。

乗り越えるのは分かっている。でももう生まれからずっと酷い状況だったのに、少し上向いてきた頃にこんな目に遭わなければならないのかと思って辛くなってきた。

幼少期に読んでいた漫画の螢子ちゃん呆然とするシーンの意味をやっと知った。どうしてここまでしなくてはならないの。正確な言葉は思い出せない。検索しても見つからいくらい、大したシーンでは無かった。でもその漫画クライマックスに不自然に大きいコマでそう呟いた表情だけが焼き付いている。

子供はどんなに現在価値観として幸福でも、人権侵害されて生きなければならない。逆らいたくても生きる術は無い。見方によってはそうとも言える。辛く無かったわけじゃない。やっと自由を手にしても打ちのめされるような目には遭った。みんな遭うだろう。

今はもう大人になって、社会システムに取り込まれると、大抵の理不尽自分の力が足りなくても憲法に守られている。何かしたければ成し遂げられる人脈と資本もある。

でも乗り越えただろうか。年齢が上がったら、今までも蔑ろにされるべきでは無かった人権が、他人勝手尊重されるようになっただけだ。あの頃の無力感絶望もなあなあのままで、年齢だけ同じ状況になったら耐えられない。

何がしかの力を得たはずの存在なのに、主人公が打ちのめされ、乗り越えていく様を、眺めることしかできない。今の自分にあの頃の自分が救えないように。

何かできただろうか。今なら何かできるだろうか。何もできない。言葉ひとつかけられない。待つしかない。

主人公子どもたちも、きっと何もしなくても乗り越えて生きていく。残るのは宙に浮いた無力な手とただ大きくなった身体

あん主人公の印象のままで終わりたく無いから、続きを見たいけれど、なんかもう、悲しくて辛い。そんな目に遭うべきでは無かった。

良い作品を見て、ただ見ているだけの自分を脱して、かつての自分だったかもしれない子を救いに駆け出すべきなのだ。でももうただ辛い。乗り越えられなかったし救われ無かった子どもとして横たわってしまう。主人公たち程では無かったのに。

2021-06-06

アニメ監督系の知識2010年くらいから止まってるんだが

福田己津央神山健治榎戸洋司

それ以降はあまり仕事してないんだな。

2021-06-04

今期アニメ「オッドタクシー」の最終回を予想する

事件を終えた小戸川のタクシーに一人の男が乗り込む

小戸川「どちらまで?」

客「スタジオPICSまでお願いします」

客「運転手さん、最近なにか面白いことありました?」

実はこの乗客アニメ監督だったのです。

こうして監督が小戸川の実体験を聞き出して出来上がったアニメがオッドタクシーでしたとさ、めでたしめでたし

anond:20210604024256

京アニがまだ有名でなかった(=有名女性アニメ監督がいなかった)ころのアニメ界隈では、

腐女子解釈は、たいてい男性スタッフ解釈と180度食い違っていた。

男性女性ではおなじ仕草、おなじセリフに見出す意味が違う。これは日常三次元同士の会話でもそう。

端的にいって「蔵馬はそんな事言わない」というようなことを男性は平気でいわせちゃう

女性がこうに違いない!とみんなで指差し確認しあって進んでみれば

スタッフに「は~い違います解散~」な続編つくられて叩き潰されることの連続だった。

今でいうと松がそれやね。まあアニメよりゲームのほうが楽しいということで移住先つくられてるんで文句はないみたいだけど。

なので、今も昔も、ほっといてくれ。余計な続編ならつくらないでくれ。みたいな感じはある。

コミュニケーション曖昧にしておいてくれるか、

しっかり調査してファンの集いとかで媚びたといわれようが好きにもりあがらせてもらえるほうが

いつまでもふわふわしていられて楽しいけどね。

ただ推しスタジオがあまりにもバッキバキに明瞭感情定義派なので胸張って言えない。下手というよりまあ動画特化型なんよなあ

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