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はてなキーワード: アニミズムとは

2021-12-24

anond:20211223171928

自分はたぶんどっちかというと死刑廃止派で、だけど自分の大切な人がむごい殺され方したら「犯人を殺したい」と思うはず、という人間です。


日本における死刑議論において、当然のように前提となっているのが「司法復讐の代行機関(たるべし)」という考え方です。


しかにそうであれば胸がスカッとするかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか?


結論から言うと、歴史的経緯からは「NO」です。このあたりの話はこちらのエントリがよくまとまっているので、一度読んでみてはどうでしょうか。

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20071206/p1

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080707/p2

https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080816/p1


もう一つは、西洋における死刑歴史を紐解かなければいけません。


西洋に限らず、アニミズムに端を発する文化圏ではしばしば生贄という慣習がありました。

これは自然や不運という「命を奪いに来る制御しがたいもの」に対し、あらかじめ命をささげておくことでそれを鎮めるという狙いがありました。

なので、何らかの理由を持って定期的に人を殺害するというのは文化的には自然なことであり、その標的となるのは罪人や余所者であることが多いのも納得しやすいでしょう。


また西洋における近代法人権の考え方として、国家権力というもの暴走し、それを個人市民)がけん制しなければならないというものが基礎としてあります

フランス人権宣言以降、西洋の法というのは個人を縛るものであると同時に国家を縛るものでもあります


よって、西洋諸国家には国家あくまで法に則して虐殺恣意的死刑執行した歴史があり、その反省として死刑廃止トレンドになっているという経緯があります

日本でもたまに、政府高官不審死することがあるでしょう。あれも広義の国家権力暴走による死刑です。

冤罪だったらどうする」論もこの辺に含まれものと考えていいでしょう。つまり裁く側の権力が間違ってたらどうする?って話なわけです。


ここで困るのは、そうした西洋近代法の成立に通底する思想と、天下り的にそれを”輸入”した日本人の仇討ち感覚との間で、死刑けが異質なものとして浮き上がってしまっているのです。

刑法論には「応報刑論」と「目的刑論」というものがあり、簡単に言えば「刑罰犯人に同じだけの苦痛や損害を与える」というのが応報刑論で「刑罰でその犯罪を思いとどまらせる」というのが目的刑論です。


例えば次のような命題がそろっているなら、論理的に考えて死刑廃止に賛成する人がいてもおかしくないはずです。

・「司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」

・「法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない」

・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)


しかしこれは日本では受け入れられないでしょう。

司法歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない

 ⇒知らねーよ輸入したんだからこちとら150年前まで仇討ちやってたんだよ。

法律Hackして悪さをする権力者が出るかもしれない

 ⇒法律って市民が悪いことしないようにするもんじゃないの?

死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない

 ⇒でも犯人殺してすっきりしたいじゃん?(応報刑絶対正しいマン


これは日本人が法律に疎いと言っているのではないですよ。

日本には死刑廃止に至る十分なロジックがないということなのです。


私も親や配偶者子供を殺されたりレイプされたら、それ以上の苦痛を与えてやりたいと思う程度には俗な人間ですが、でもそれって俺の感情であって司法のあるべき姿とは限んないよな~とも思います

光市母子殺害事件なんかで遺族の男性が会見している風景テレビでよく見ていました。

非常に痛ましい事件ですが、あのあたりから「遺族の感情司法に反映すべき」みたいな意見が増えて、なんかモヤっとしていました。

そして裁判員制度までもを輸入した日本ですが、上のような議論を経ずに来ているので変なことになっているなと思います


「うるせぇ、俺は加害者殺して気持ちよくなるんじゃ!」とクールジャパン法整備をしてもそれはそれで結構なんですが、外国から「お前の国って法学無くなったん?w」って笑われるのがオチだと思います

2021-10-26

anond:20211026020039

でも向こうが勝つための戦略としてはそれが正しいよな

しろアニミズム社会性善説的で悪意を想像する能力が足りんところが資本主義社会と相性悪過ぎるのがあかん

2021-07-21

城門仁「うほ、アニミズム

城門仁「竪穴とかダッサ、高床に引越せよ」

2021-06-30

anond:20210630043206

同姓同名誕生日も同じな人はたくさんいるけど同じ人生は送ってないと思うぞ。所詮下駄転がしよ

下駄転がして雨だったから実際の天気も雨に出来るような魔法じゃない

引き直せないおみくじ大吉〜吉であることに越したことはない程度の験担ぎ

 

姓名ではなく生年月日が同じ人となぜか4人も縁があったのだけど

誰ひとりとして性格は似ていなかったな

遺伝子環境も異なるのだから似ている方が逆におかしいのだけど

姓名判断は陰陽五行から来てる

なので生まれた日は重要な要素のはずなのにまぁ似てないんだなこれが。当たり前だけど

 

どちらかといえば占い肯定的な方なので(宝くじ当たると言われた方が気分はいい)

『似てねぇな』って思いつつも共通点無意識的に探しちゃうけど

それは占いに対して肯定的からだな。肯定という前提ありきで補強する理由を探すみたいな

 

 

けど、占い開運グッズに大金をぶち込んだり強迫症強迫性障害)のレベルに無ければ

験担ぎいいんじゃないでしょうか

未知のなにかに敬意を払ったり怖れたり祈ったり、アニミズムシャーマニズムの類いよ

かしこかしこ

2021-06-15

anond:20210615123414

人間とはなにか並みにスコープの大き過ぎる問いじゃね?

 

たとえば宗教1つにしたって

アニミズムから教典はないが宗教

いただきます』、『ひな祭り』、『お盆』、『盆祭り』、『初詣』などあげたらキリがなく

宗教には無配慮(無言の圧力を掛けている)と言えなくもない

 

修学旅行神社仏閣などが特定宗教に対する特別扱いではないかという意見もあったな

実際、最近は減ってるらしい

2021-06-03

自然の諸法則はすばらしい。

 しか自然もつ機構は、政府が多くの人間を戦わせるように、多くの虫を争わせる。

――――――アントワーヌ・ド・リヴァロール『箴言反省

 

生活に余裕ができたら自然を過度に崇拝するやつらってアホじゃないの、人間世界のほうがいくらか秩序があってマシにきまってる。

こういうのをアニミズムっていうんだろうなぁ。

2021-04-06

anond:20210406154303

日本人は「初詣神社に行ったり、お葬式に出席したり、結婚式チャペル」を宗教だとは考えておらず、これらの宗教的な行いをマナーやただの行事と考えています

「一粒のお米には七人の神様がいる」というようにアニミズム八百万信仰無意識にあるからではないでしょうか。

日本宗教と言えばキリスト教などの有名なものか、オウムなどの新興宗教を思い浮かべる方がほとんどのため、自分はとくに宗教上の信条はないと考える日本人が多数います

2021-03-29

anond:20210329190434

それはオタクかどうかではなくて

アニミズムを信じるかどうかの話じゃないの

2021-02-05

日本人無宗教理由

日本人はよく無宗教と呼ばれるが、私はそれは当たり前だと思う。日本キリスト教のような確固たる宗教が生まれるほどの素地もないし、その資格もないからだ。

宗教が生まれる素地とは、その宗教が生まれ土地風土のことだ。風土とはその土地に住む人間気質文化形成に関わる地理的気候環境のことである

キリスト教のような一神教自然の恵みの薄い中東砂漠風土からまれた。そこでは神は人間の味方で、厳しい自然をも超越する。神の言葉である教典もその土地での生存戦略において合理的である。その信者生活のありとあらゆる場面で神を拠り所にする。

一方で日本伝統的にアニミズムという多神教宗教観に依拠している。それは四季の変化や災害の多さ、生物種の多様さに起因していると言われる。そこで(沢山いる)神とはその様な自然環境理由であり、アニミズムとはその中で人が生きる生存戦略である。故に日本において神とは必ずしも人間の味方ではなく、そこにあるだけの存在なのだ神社が行う祭祀も神のご機嫌をとり、神と人間共存共栄を図るための儀式である

このような日本中東風土の差から日本では信仰するに足る神様は生まれでてこないのだ。むしろそんな神が日本にいたらとんでもない憎き業を抱えた存在になるであろう(まあ、それを神と呼称することも無いであろうが)。日本には真の唯一絶対神存在しえないのだ。それは仏教キリスト教が伝来したときも変わらなかった。

無宗教というのは日本外来宗教が入ってきたときに、日本古来の習わしと共存共栄するための文化産物であると思う。したがって無宗教は反宗教ではなく、むしろ宗教を維持する工夫であったといえる。そうでなければ仏教キリスト教は今ごろ日本から排撃されていたかもしれない。

P.S.

誤解なく言うと、私は日本において一神教の神を信仰することを否定したりとか、あるいは神道アニミズム以外の信仰を認めなかったりするのではない。むしろ日本に住むどの人も何かしらの信仰を持つことを望んでいる。その時に同じ神を見ることは無いのだ。同じ所で安全平穏暮らしているその事実がより重要なのだからだ。

2020-12-29

anond:20201229071059

まあたとえば生物学でいうと魚類は痛覚があるかないかという点で議論されているし、

農耕・宗教学から日本ケガレ概念とかアニミズム議論だな

もちろんすべての分野で専門なんて人間はいないわけだが、

菜食主義とか動物福祉の話をするときには、少なくとも現代法学倫理学観点だけで語るのは不可能だと伝えたかったわけだ

人間近代以降定義したロジックだけで判断できる問題じゃないってことだけわかってくれればよい

また、それで判断しようとすれば肉食の肯定になるのは自明であるから議論意味がない

2020-09-26

anond:20200926153957

特定宗教信仰はしていませんがアニミズム日本先祖崇拝と万物の霊的な概念自然と受け入れ

宗教に関しても神の存在に対してもそんなキリキリすることか???って思います

 

いまこの瞬間、下記の増田↓ を見て思うことは

宗教と呼ぶとアレだが、世界的に流通している思考なので「常識」と呼ぶべきでは?

社会的動物としての当たり前を受け入れる形で生きていくほうが、まあ幸せにはなれるよね。

ドーキンスと同じく、

『あらゆる宗教人類進歩にとって有害もの。全ての宗教神秘主義批判的になることこそ科学と思うわ

 

実際、アメリカじゃ「進化論事実として教えることを支持しない」という教育委員もいるくらいだ

[Florida Citizens for Science] New Florida Board of Education Chair: “I won’t support any evolution being taught as fact at all in any of our schools.”

http://www.flascience.org/?p=3494

 

ちなみに社会的動物人間だけじゃありません

 

 

リンク切れてもいいように繋げておこ(anond:20200926151532)

2020-07-04

さらの『天気の子感想

感想要約

『天気の子』は"子どもたち"(陽菜さんと帆高さん)が自然災害対立する話ではなく,実際には"大人たち"と対立する話であるという視点大事だと感じた。

『天気の子概要

『天気の子』では"大人たち"や社会は,"子どもたち"と"世界の仕組み"のふたつを無視していることが描かれる。

そして偶然にもそのふたつを兼ね備える子どもたち,つまり世界の仕組みを担っていた子どもたち(陽菜さんと帆高さん)が,今度は今まで自分たち無視してきた社会無視するという決断をする。

この決断が天気の巫女をやめて東京沈没を選ぶということだった。

『天気の子』内容の確認

自然災害無慈悲かつ強力なので人々は受け入れるしかないが,天気の子人柱にするなどの方法はあった。(これが"世界の仕組み")

しか世界のことに興味を持つ"大人"はほとんどおらず,大人の多くは自分生活を優先していた。

同様に子どもたち(帆高や陽菜さんたち)を優先する大人もあまりいなかった。

たとえば警察は帆高の天気の巫女の話を無視して仕事を進めた。

児童保護施設陽菜さんたちがあのまま暮らしたいという意思無視した。

須賀さんも家出した帆高が東京で暮らすことを手助けしていたが結局は娘のために帆高を島に帰らせようとした。

大人たちが良識的で常識的対応を続けた結果,帆高たちは追い込まれしまった。

帆高は一度は手に入れた3人暮らし幸せをもう一度実現するために,人柱になった陽菜さんに対して帆高は自分たち幸せに生きるために社会のことは無視しよう,と伝える。

陽菜さんが天気の巫女をやめて雨は降り続き東京沈没する。

④数年後に帆高が東京に戻ると,何人かの大人たちは東京沈没を受け入れている様子が見られた。(もともと海だった場所を埋め立てた土地がまた海に戻った,など)

これは①の自然災害は受け入れるしかないものという態度が一貫している。

帆高はこれで本当に良かったのかと自問する。そして自分たちならきっと大丈夫だと確信して終わる。

感想タイム

改めて,帆高と陽菜さんの決断はよかったかと考えるとあんまりよくはないだろう。

最も良い可能性とは大人たちが子どもたちのことを理解し,世界の仕組みを知り,一致団結して自然災害対峙することだった。しかしそうはならなかった。

じゃあ陽菜さんの命と東京とでどっちが大事か,とか聞かれてこっちですとか言える人もあんまりいないだろう。それはつまり帆高のやったことが間違ってると言える人もあんまりいないということである

から自分は帆高たちのことはあんまり悪いとは感じない。

そもそも帆高たちには人柱東京を選ぶトロッコ問題スイッチたまたま与えられただけで(陽菜さんにとっては自殺東京かを選ぶスイッチである),彼らは別に英雄総理大臣とかじゃない。彼らが人々を助けなきゃいけない理由特にない。

だがしかし陽菜さんは一度は晴れを届けるという形で人々と関わることを自分生き方の形として納得していたので,陽菜さんにとって人柱になることはそういった生き方の延長線上にはあったかもしれない。

帆高の言葉は,そうやって新たに獲得できたばかりの天気の巫女というアイデンティティも捨てて生きていこうという提案だったわけだ。

この辺は前作の『君の名は。』より話が一段階難しくなっているなと感じる。『君の名は。』では,三葉は隕石から町を守るにあたって父親(大人たち)の協力を得られなかったが,結局子どもたちだけでうまく問題解決することができた。

一方で『天気の子』では東京沈没はうまく回避できなかったし,世界の在り方だけでなく,これから陽菜さんたちはどう生きていけば良いのかという彼ら自身問題まで提示されている。

君の名は。』の話を出したので,『天気の子』含めこれら2作における"世界の仕組み"観についてちょっと振り返る。

これら2作では何か神様のようなものもつ絶対的ルール(黄昏時とか入れ替わりとか天気の巫女とか)と,自然が持つ絶対的な脅威が関連している。

これらは新海誠監督の美しい自然描写や生々しい街の描写によってより説得力を持つものになっている。

まず世界に都会(東京)と自然があり,そしてその両方を支配している絶対的ルールがある,というのが世界観の基本にある。そして2作ではその絶対的ルールに巻き込まれ若い男女がテーマとなっている。

都会と自然の中に同じ神秘的な仕組み現れるというのは現代アニミズム的な思想を感じる。

君の名は。』では神秘的な存在というのは,神の領域としてしか現れず,つまり肉体(?)を持つ神様のようなものが目の前に現れるということはなかったが,『天気の子』では雲の魚や龍のような存在が描かれていて,神秘的な存在の具体的な描写が新しく行われていると思った。あの龍みたいなやつかっこいい。

ちなみに雨が続くやつは台風ではなく巨大な寒冷前線(真夏に雪が降ったのも特徴)として描かれている。これは非現実的災害として描かれていた。

『天気の子』の大人たちについて,彼らの対応が極端に間違ってたかというとそうでもないだろう。一応,陽菜さんが空に消えた夜に多くの人が陽菜さんが泣く夢を見たらしいが,それでも天気の巫女とか信じて行動するのは難しいだろう。

とくに刑事たちの働きぶりは淡々としていて彼らの思想が見えてこないと最初は感じたがむしろ仕事内面が出ないというのがまさしく大人らしい態度だったのだろう。

高井刑事が帆高にイラついたり,安井刑事が泣いている須賀さんに声をかけるというシーンは彼らの人間味を出しているが,しかし彼らはとくに雨や天気の巫女については言及しなかった。(つまり世界の仕組みを認知していないあるいは興味がなかった)

その一方で,世界のことに興味があり,また就活中の身でありながら帆高や陽菜さんを助けるためにバイクでお尋ねものになってくれた夏美さんは"大人たち"には全く当てはまらない人物として描かれていると感じた。

夏美さんのこの作品における存在意義,特に就活に失敗するような描写がなんの意味をもっていたのか,夏美さんが持つ就活問題が帆高たちとの関わりでどう変化したのか,あるいは変化しないならなぜそんなシーンを入れたのかを結構不思議に思っていたのだが,こう考えるとあのシーンは夏美さんが大人たちの側の人間ではないことを描写していただけだったのかもしれない。

ついでに帆高が銃持つ必要あったのかという疑問もあって,最初陽菜さんの天気の巫女の力と対比するための帆高の力として与えられたのかな〜〜くらいに思っていたがあれもやはり帆高と社会対立を深めるための舞台装置だろうと思っている。

『天気の子』は大人たちと子どもたちの対立を強調しているが,これらに当てはまらない大人も当然いた。

天気の巫女人柱の仕組みについて知っている老人や,雲の上についてはしゃいで話す研究員などは世界の仕組みに関心のある人たちだった。また立花さんや天気の巫女の一環で関わった人たちのように,誰もが帆高たちの邪魔をしていたわけではない。

須賀さんについて振り返ると,家出理由を明かさないがとにかく東京暮らしたいという未成年の帆高の意思を初めて尊重仕事と住処を与えたひとだった。しかしやがては帆高を匿うことのリスクを考えて,万札と帽子を渡し帆高に帰るように伝えた。

(よくあんなにパッと出せるお金があるなと思った。)

帆高の家出理由最後まで明かされなかったが,深刻な事情あるかないかに関わらず意思を受け入れるというのは尊重の仕方として正しい形だろう。

須賀さんは最後は帆高のもう一度陽菜さんに会いたいという心に,妻を亡くしもう一度会うことが叶わない自分と通ずるものを感じたのか,警察対立し帆高を解き放つ選択をとる。

ここは帆高解放連盟のなかでも夏美さんや凪(先輩)たちとは全く違う動機を持っている感じがする。須賀さんはなんというか常に帆高を対象として動くキャラだなという感じがした。初対面でビールたかるシーンから想像できないキャラクターの広がり方だった。

そんな感じで『天気の子』はどうにもならない話だったという感じがあるが,帆高はまだ未来があると確信してたので今後に期待大。

帆高まとめ

家出し,東京ホームレスになり,高1で好きな女の子ラブホ宿泊し,東京沈没させた。

2020-06-12

大学極右サークルに入っていた話

私が大学生に入りたての頃、勧誘に乗って極右サークルに入ってしまった悲しい過去がある。

表面上は教師志望の学生児童交流するためのサークルを装っていたが、その実態児童極右思想を植え付けるという恐ろしいサークルであった。

サークルと繋がりのある児童クラブや養護施設OBが関わっていることが多い)に訪れては、天皇の偉大さをひたすら説いていた。

天皇のおかげで日本平和は保たれている」「日本世界からまれるのは天皇のおかげだ」といった天皇万能説を延々と説き、大東亜戦争アジア解放嚆矢となったのだから日本人は偉いなんていう始末だった。

もちろん彼らは今でも天皇現人神、もしくはそれに近い存在だと考えていて、明治政府権威付けのために天皇が担がれて、国家神道なるものができたなんてことは毛頭信じていない。

そもそも神道なんてものは、多神教的でシャーマニズムアニミズム的なものを含んだ比較的おおらかな宗教であったはずだが、政治的理由天皇のような一介の神主絶対的権威を持つ一神教改悪されてしまった。

それをさも昔から信じられていたかのように喧伝する奴輩には今でも腹が立つ。

サークルOBの中には天皇機関説を激しく非難する奴もいて正直言って頭おかしいと思った。

当時の私があまりにも愚かだったために、やむなく2年ほどそのサークルにいたのだが、このサークルのせいで私の大学生活の6割は無駄になったと言っていいくらいひどいところだった。

どこの大学規則上、政治的団体に関わりのあるサークルは創設してはならないのだがこのサークルだけは黙認されていたようだ。全くもって恐ろしい大学である

2020-03-25

anond:20200325153941

・「苦痛」の有無強弱が知能の有無に寄って変化する、という発想への批判皮肉

 

日本的アニミズムの現れ。生命万物に宿るという倫理観の表明。西欧倫理観への反発。

 

だいたいこの二つ。

ただし本人たちはこれらに無自覚であって、単に相手論理矛盾を突いた気になっていることが多いだろう。

実際に突いているのは文化倫理哲学思想差異だ。

2020-03-18

anond:20200318225421

いやそのままそうじゃなくて

アニミズム的に神様みたいな存在っていうか

ひた隠しにするもんじゃないっていう例

anond:20200318224240

学部時代ちょっとかじった程度だけどその指摘は正しいと思うよ

ただ今みたいに西洋観念が入ってきてなくて土着のアニミズム仏教が合流した時点では

女性器の秘匿性は現代とは違う捉え方をされてた筈

西原理恵子漫画で、二人乗り自転車の荷台でまんこおっぴろげて見せてる女に

観音様じゃーってジジィ達が拝んで小銭投げてるシーン思い浮かべてもらうとわかりやすいか

あとホトケの語源ひとつには、当時流行ってた疫病のほとぼりとかの熱さになぞえて

シカみたいに流行りに乗る奴らを揶揄したという説がある

anond:20200318132553

バークリ的な汎心論ならコイン自由意思なんて肯定できないけどアニミズム的な意味で使ってるの?

2020-03-05

anond:20200305061410

アートっていうのは手偏の漢字すべてだよ

人がなにか加工したものアーティフィシャルの語源

まあここでは日本人の大好きな「芸術」つまり狭いアート限定しておこう

術というのも行の部分で両手をつかっている状態を示す形象文字にすぎないんだが

日本人芸術といえば茶道みたいに(意図理解しなければただ空虚笑い種しかみえない)

儀式セレモニー)として奉ることが正当だとおもってるから

 

中世アートだってコンテクストはあり、空気読めない作者は

ミカン農園股間じわのついたミニスカート女を立たせた絵を描いたごとくにさんざんに怒られた

たとえば受胎告知というタイトルなのに聖母マリアらしき女性が青い服着てない、天使百合の花もってないなどは

いくら上手くてもけちょんけちょん、「なに考えてんの」「おまえ破門な」だ

 

しかるにこういったコンテクストによる価値づけは日本人卑近唾棄すべきとおもっている

フェミニスト価値観のほうがずっと自分の頭や感性をつかってる分芸術に近い

無知日本人は「自分が知らない・理解できないものから無条件にえらいものだろう」と奉るへんなアニミズム癖がある

二次元スカートはいてるからエロくなんてありませ~ん」もその派生

そうだな二次元萌え絵でまつ毛ばっさり深海魚あるいは0歳児みたいなデカ目に描かれてるのは神秘的で素敵だな

そして作者側もこれに積極的に乗っかっていくw

現代アートにあふれる「無題」w 

どうして無題か聞いても「おれ頭悪くてかっこいいタイトル書けないから」w

マクドナルドでふとおもいついたくだらないアイデアを発展させたものだとは

知らせない方がかっこよくみえるだろうという中二病同士のじゃれ合いw

 

漫画でゲジヒトだのノイシュシュヴァルツシルトだのドイツ語流行るのもドイツ語中学校選択できないからだ

ドイツ語がすらすら読める人にとってはなんで冠詞つけねえの変化させられねえからかなプゲラなのに

 

まあしょうがないよ 前沢氏だの麻生氏だのお金もちで芸術理解ありそうな人だってたいした基準で選んでるわけじゃない

日本にはまともな批評ができる芸術批評家がいないのだ

民衆芸術としてのアニメ映画でいいよもう

2020-02-18

anond:20200218120631

アニミズムなので教典はありません

行動様式があるだけです

いただきます』、『ひな祭り』、『お盆』、『盆祭り』、『初詣』などが馴染みが深いと思います

で終わらんか?

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