はてなキーワード: アナウンサーとは
クリーンなイメージかつ昼(主婦層がメインの時間帯)の番組に出まくってたから、そら反発喰らいまくって死ぬよね。
ボッチ営業とか男苦手営業してたアナウンサーだかがテニスプレイヤーと結婚して爆発炎上してたのと構造的には一緒で、不祥事だから番組側も切りやすかったって話じゃない?
「結局のところ誰も責任など取れないのだ」というのはふと俺の口をついて出た言葉なのだが、それなりの真理だと思う。後輩アナウンサーの自死について後悔の念を滔々とテレビで垂れ流す、というような記事を見たが(いつの話だかは知らん)、自らの浄化の道具として使いつつ「失った人を忘れない」なんて言うのは人間らしく優しく弱く醜いなと思う。かく言う俺も、他人は他人である、という突き放しができるほど強くはなく、実際には交わったり重なったりしない人生であることは認識した上で、関わりたいと常に感じているのだ。つまり我欲である。欲というとどうしても醜く響くが、やりたいからやる、という開き直りでいいんじゃないかというのが最近の境地である。何がしたいって、頭を使いたい。俺に知性というものがあるのであれば、知見と知恵と経験と想像力をすべて動員して、彼女の役に立ちたいと思う。頭を使うというのは実はかなり快楽を伴う作業で、小一で自由帳に迷路を描き、低学年から『頭の体操』を読み耽り、ルパンよりホームズに憧れた俺は、頭脳的解決というやつがしたくて仕方ないのかもしれない。これも子供っぽい欲だが、役に立つならなんでもいい
こういう大規模震災のときに何が一番まずいって、秩序をぶっ壊されること。
たとえば私営の給水所(たまたま井戸水が出る家があって、でも水を出すのに独特のコツがあるのでその家のオーナーが操作する必要がある、とか)があって、オーナー自身の休養を考えて水の提供は9時から17時まで、みたいに決めているところがあったとして。
18時に来た人にもお水をあげていたらキリがない。病気の子どもがいるんです、とか言われても、時間は厳守してもらわないと、結局はオーナーさんが疲労で倒れて給水所自体が運営できなくなるかもしれない。実際、その子どもが本当にいるかどうかもわからないしね(嘘を言っているかもしれない)。
でも「病気の子どもがいる」って言ったら時間外でも水をくれたとしたら、こういう時って美談になってしまう。本当の美談はみんなが運営時間を守って水をもらうことだと思うのだけど、当たり前すぎて話題にならない。
ルールはルール。赤信号でも強行したら事故るでしょ。そういう日常なら守られている規範が、非常時だからと破られる。それが横行すれば町がおかしくなる。おかしなことになった町を正常に戻すのは本当に大変だろう。だから、こういう時こそルールを守ることが本当に大事なんだけど、そういうことをいうべき自治体がきっぱりと言わなかったら、その町をぶっ壊してもいいってみんなに思われても仕方がない。
地震発生直後、NHKアナウンサーさんが大声で「高いところに避難してください!」って呼びかけていたけれど、いまはあれくらい「ルールを守ってください!」って市長が言わないとヤバい時なんだと思うよ。ゴミ捨てにしろ何にしろ。
ともかく、何とか耐えてください。
どうか人間性を失わないで欲しい。
20年前くらいは毎回必ず一回は大ブレーキが起きていた気がする。
それで、カメラがトップから最下位近くを走っている泣きそうな顔をしているブレーキの選手を大画面で映して、テレビのアナウンサーが本当に嬉しそうに三文芝居としか思えない精神論や根性論を下品にがなり立てて、本当に微笑ましくて面白かった。
それがここ10年くらいほぼない。
結局のところ昔は精神論や根性論が幅を利かせていて、スポーツ科学が無視されていて、無茶が横行していたのだろうな。
今はしっかりと選手の体調とかも管理されて、そんな根性論唱えていた監督もパージされて、選手たちに無茶をさせずに走っている……。
きっとそんなところなんだろう。
AIのイラストやら動画やら文章やらの生成技術が上がってきたおかげで、今回の地震に対するX上の反応は、これまでのそれとだいぶ違うと思うんだよな。
あとイーロンがXを金稼ぎ乞食用ツールとして舵を切ったから、やっぱ今までと違うよ。
なんだったら初めてじゃないかこういうの。
コメントでもお前らどんどん書いてくれ。重複かまわん。あとで当時を振り返れるようにしよう。抜けまくってると思うけど後でコメントからもらって追記するわ。
●インプレッション乞食が震災にかこつけてクソみたいなツイート連打して閲覧数増そうとして正確な情報が伝わらない。
●「早く逃げろ」と声を張りあげるアナウンサーに対して「新年早々なんやねんコイツ」と噛みつくやつ
分かるよ。
自分にとって大切な人から、自分との関係性を人質に脅す言葉を、怒号のように高圧的に浴びてると、そのトラウマが呼び起こされる、っていうのがあるのかな…。
今、アナウンサーの口調は必要だっていう声が大きくなってるし、俺もやむを得ないとは思ってる。
けれども、こうやってキュッと傷つく気持ちは大切にして欲しい。
多分東北の震災以降だと思うけど大きな地震や災害が起きてアナウンサーが必死に避難を呼びかけるのを見聞きすると胸がキュッと締め付けられるような感覚があって涙が出そうになる。
あの地震で自分自身が大きな被害を受けたとか、知り合いが大変な目にあったということはない。
確かにあの頃は首都圏で仕事をしていて震災当日はすごく不安だった。周りのビルはグニャングニャンに揺れ、自分がいたビルもなかなか揺れが収まることはなかった。電車もほぼ全て停まったし、かなりの距離を歩いて帰った人もいた。私はたまたま動いてる電車に乗ることができたので難を逃れることができ、被害は周りの人と比べても少なかったと思う。
そう。自身には大したダメージは無かったのだ。それなのに何故だろう、涙が出てきそうになる。自分の気持ちがよくわからない。
しかも、地震で揺れたからといって涙が出るわけではなく、あの避難を呼びかけるアナウンサーの声を聞くと涙が出そうになる。
もしかしたらただ歳をとっただけなのかもしれない。もしくはアナウンサーの技量により心が揺さぶられているのかもしれない。
でも、何か自分の中で消化不良のようなシコリが残っていて、地震の避難の呼びかけのようなものを見るととても揺さぶられているように感じるのだ。
こんな事で実際に被災した時に上手く対処できるのだろうか。とても不安に思う。
この気持ちを上手く言語化できなくてモヤモヤしている。誰か共感する方や腑に落ちるような言語化できる方いらっしゃいませんか?
なぜ新しいしかもクルーズコントロールつきのくるまで、高速道路にのったらダメなのだろ?のりたい。
ちょっと美人の妻ちゃんがそういうのだ。テレビ局のアナウンサーに似ていることに気づいた。
どっか中距離ドライブしたい。できれば行った先で美味しいものたべたい。
なぜダメなのか
高速道路に新しい車で乗ることがダメな理由は、新しい車を運転する際には、エンジンやタイヤなどの部品がまだ十分に慣らされていないため
また、高速道路での運転は、高速道路に慣れていないドライバーにとっては、緊張感がある
新しい車での中距離ドライブは、適切な慣らし運転を行い、適切な速度で走行することで、問題なく行うことができます。
美味しいものを食べるために、どこかに行くことをお勧めします。
というか最近高速道路の延長とかトンネルの開通とか立て続けにイベントがあったけど、それがことごとく晩秋なのはなぜ?
冬になって雪が降ったら通行止めになるのに・・夏の内に開通しといてって思う。
高速道路の延長やトンネルの開通は、様々な要因によって決定されます。
例えば、工事の進捗状況、地形や地質、環境保護などが挙げられます。
また、工事が完了した時期については、予算やスケジュール、天候なども影響するため、晩秋に開通することもあるかもしれません¹.