はてなキーワード: アテネとは
ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議するために、日本はアメリカに同調してボイコットした・・・などという背景は何にも分かっていなかったが、
とにかくソ連はひどい国なので日本は参加しないことにした、というのは、なんとなく分かっていた。
「いやなものを拒否することをボイコットというのだ」ということを知った自分は、
晩飯の嫌いなおかずをボイコットしたり、全員集合のエンディングで加トちゃんが「風呂、入れよ!」と呼びかけているにもかかわらず、
風呂に入るのをボイコットして母親を困らせたりしていた・・・らしい。
大会マスコットのイーグル・サムのアニメは、自分の周りはみんな見ていた。
たしか、一年くらい放映されていて、「イーグル・サムはロス・オリンピックの公式キャラクターです」というのも喧伝されていたから、
子供たちに「今度オリンピックがある」ということをうえつけるのに、実に効果的なやり方だったと思う。
今とちがって、ネットはおろか、ファミコンがようやく発売されたころで、家庭用ビデオも普及途中、
(アニメの主題歌を歌ったメンバーの中に、後に光GENJIになる内海と大澤がいた、というのは、
かなり後になってから知った)
コカコーラのキャンペーンでもらえるイーグル・サムのヨーヨーがブームで、自分もほしかったけれど、
なかなか子供にコーラなど飲ませない家庭だったので、結局手に入らなかった。
実は、大スポンサーを活用した商業オリンピックが始まったのは、この大会だと、大人になってから知った。
そういえば、聖火ランナーの権利が売りに出されて、日本のテレビ局の金で郷ひろみが走ったような記憶がある。
開会式は、記憶の中ではすごく華やかで、とくに「ロケットマン」に大興奮した。
背中に噴射装置を背負った男性が会場をとんだ、というだけの演出で、今の時代ならばそんなに驚かないのだろうが、当時は衝撃的だった。
人が飛んで驚いた記憶といえば、このロケットマンと、はじめて宙乗りやったときの小林幸子だ。
まあ、プロジェクトマッピングなんて想像もしなかったし、今見れば、地味な開会式だったんだろうが。
大韓航空機爆破事件の実行犯、蜂谷真由美こと金賢姫が、自殺防止のために口にテープをはられ、両脇を抱えられて飛行機からタラップでおろされる映像は、
鮮明に覚えている。
あれが、北朝鮮がソウルオリンピックを妨害するための事件だったというのを知ったのは、あの映像を見る前だったのか、後だったのかはよく覚えてない。
12年ぶりに、東西両陣営がボイコットなしに集まったってことで盛り上がって、たしかロスでは140くらいだった参加国が160くらいに増えていたはず。
(いまや参加国・地域は200を越えるんだから、これまた隔世の感だが)
開会式では、聖火台にとまったハトがそのまま焼死してしまったのが話題になった。
昔は、屋外の式典なんかで、よく本物のハトをいっせいに飛ばす演出があったもんだが、たぶん、これを契機にあまりやらなくなった。
今、いっせいに飛び立つハトが見られるのは、ハトヤホテルくらいか。
バルセロナがカタルーニャ州というところにあって、スペイン語とは別に、カタルーニャ語というのが使われているのを知った。
あの、アーチェリーの矢の先に火をつけて、その矢を放って聖火をつけるという演出は、その後も含めて歴代最高だと思う。
そりゃ、大スポンサー・コカコーラの本社があるからアトランタなんでしょ? 近代オリンピック100周年だから、アテネのほうがふさわしいのに、という解説をよく聞いた。
会期中にオリンピックパークで爆破事件があり、結構な数の死傷者が出た。
当時は「爆破事件」といっていて、あんまり「爆弾テロ」という表現はしなかった気がする。まあ、いまのISのテロみたいな脅威はみんな感じてなかったし。
日本選手団の衣装が虹色だったんだけど、なんだかLGBTの社会運動でよく使われるレインボーフラッグの色合いに似ていて、
「なんだ?日本の選手団はみんなゲイなのか?と海外の人たちが驚いている」というような報道があった。
レインボーフラッグにそういう意味合いがあること自体を知らない日本人が多かったと思うけど。自分も含めて。
LGBTとかセクマイって言葉も、ほとんど一般には使われてなかったし。
閉会式では、ドラァグ・クイーンを題材にしたオーストラリア映画『プリシラ』の登場人物の扮装した人たちがパレードしていて
実況担当だった、若かりしころの有働アナウンサーが「えーっと、このかたがたはみんな、男性なんですよね!」と、
言葉を選びつつ興奮気味に話していたことを、妙によく覚えている。
今回のリオ同様、直前まで「あの工事が終わってない」「ここが不完全」という報道がよくでていて、「大丈夫か?ギリシア」と思っていたが
まさか、その後あんなふうに「大丈夫じゃない」状態に陥るとは、さすがに誰も思っていなかった。
リオの開会式での最終ランナーが、この大会のときに、飛び出してきた男に邪魔されたマラソンランナーだったことは、
世界各地を経由して行われた聖火リレーで、チベットを弾圧する中国政府への抗議が頻発。
日本でも善光寺が出発場所になるのを拒否したり、応援する中国人と抗議する人が騒然とする仲で、
聖火ランナーだった萩本欽一に卵がぶつけられたのは覚えている。
たしか、スピルバーグも、抗議のために、開会式のアドバイザーかなんかを降りたんじゃなかったっけ?
開会式で久しぶりにMr.ビーン(ローワン・アトキンソン)の姿を見たのが懐かしかった。
男子サッカーで、韓国人選手が「独島はわが領土」とかなんとか、旗を掲げて、表彰式の参加を拒否されてた。
こうしてみると、なんだかんだやっぱり時代の政治・経済状況が忍び込んでくるのだなあと思う。
今回のリオは、とりあえず「開会式がいかにも予算なさげな割によかった」「選手が強盗にあったり、やっぱり治安が悪かった」「プールが緑色に」あたりは確実に記憶に残りそうだが、
残りの期間は無事に終わってほしい。
まあ、あんまりISのテロリストとかは、活動しなさそうな地域ではあるが。
多分、オリンピック史上最悪の事件はミュンヘンの例のやつなのだろうが、さすがに、まだこの世に影も形も無かった時代のことなのでよく分からない。
叩いて全く埃の出ない人物なんていないと思う。次のエンブレムのデザイナーが選ばれた場合
・元電通博報堂の場合、利権ガーの大合唱、謎の仲良し互助会マップが作成される
・作品に埃が出なかった場合、SNSでの発言や中高卒業文集の洗い出しを開始
・親族の洗い出しを開始
・それでも埃が出ない場合は、埃の捏造を開始(昔からの友人だけどあいつは...的な)
といったことが確実に展開されるだろう。名誉ある人が憎いというゆがんだ暇人がネットには多いみたいだから。今回は佐野が折れて終わったけど、次同じことが繰り返されたら、それこそ自殺者が出かねないように思う。
そうならないためにも次のエンブレムのデザイナーは公表しない方がいい。公表しないならしないで「利権ガー」と言われるだろうが、これ以上ゴタゴタしないためにはしょうがないと思う。
そもそも北京もロンドンもアテネも、ロゴは個人デザイナーではなくデザイン事務所が手がけていた。ロンドンは激しい批判に晒されていたけど、対個人にならなければいくら炎上したって大した影響はないだろう。でも、日本にはそういう事務所がほとんどないんだよな。
横だが、個人の印象です。英語は日常会話に不自由がない程度、その他の言語は挨拶とちょっとしたやりとりだけしかできない状態です。出張は多いが海外在住経験なし。
アメリカやヨーロッパ、中国に行った時、店員の態度がフレンドリーだと感じたことは全くないのだが……こいつの言ってる海外ってのは、脳内世界か何かか?
アメリカは基本的にチップ文化だから、それなりの格の店に行くと基本的にフレンドリーになる。ヨーロッパは国民性次第なので、「ヨーロッパは云々」っていうのは議論が乱暴な気がするね。
まぁ、街で困ってる人を助けない文化であるのは事実だと思う(エスカレーターの出口でコケたおばあちゃんをスルーしていくサラリーマン連中とかね)。これは正直なんとかしたほうがいい。
一方で、店の応対が距離感を感じるのは、相手に踏み込まれたくない客が多いからであって、文化の違いとしか言いようがない。そのへんのレストランで「やあ僕は太郎っていうんだ!今日はきみたちをおもてなしさせてもらうよ!ところで今日はどうだい?」みたいな会話されたくないし。基準の違いとしか言いようがないような。元増田はヨーロッパ基準で東京の話をしているから、東京の良さ(一人でぶらっと出歩きやすいこととか、ひとたびコミュニティにもぐりこむと居心地がよいこととか、多様なコミュニティがあるので趣味が合う人がいる確率が高いこととか)は見えなくて当然だよね。
西洋系の文化圏から東京のコミュニティの二面性と恐ろしさを示した短編小説に「招き猫」(短編集「タクラマカン」所収)があり、東京を客観視したい人におすすめです。書評を下に貼っておきます。
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
よく考えてみて欲しい。
http://www.olympic.org/Documents/IOC_Marketing/OLYMPIC-MARKETING-FACT-FILE-2012.pdf
そのチケット販売枚数は500万枚~800万枚の範囲であろうことが推察される。
実際に会場に足を運びその熱気を肌で感じることのできる人間は、
もっと考えてみて欲しい。
例えば人口動態。
その前の年の死亡者は125万3066人。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1a.html
つまりこのまま毎年125~130万人死亡したとして、
いま「オリンピックだ!イエーイ!!」とうかれている人間の内、
あなたが運よく死亡予定の875万人に入らなかったとしても、
さらに運よく500万枚~800万枚のチケットを手にすることができる保証はどこにもない。
決して体験することのないオリンピック。
せいぜい野外巨大スクリーンの前に集まって擬似オリンピック体験するのが関の山だ。
そこでうかれているあなた。
もう一度よく考えてみよう。
やっぱブックメーカーはすげーや!
君にとって次の2024年大会は絶対パリじゃなきゃダメなんだよね
1924年にパリ大会を開催して以来、100年目の正直を何としてでも果たさなければならない
しかし2012ロンドンに2016リオ、そして2020マドリードになると2024年は確実に非欧州開催だ
これを回避する為に、きっと壮絶な根回しをしてくれたに違いない
ひょっとすると福島原発への懸念も彼らが説得し払拭してくれていたのではないか?
フランスは誰もが認める先進国であり、優れた核技術を持つことでも広く知られている
放射能の議論はどうしても感情的になるので、当事者よりも第三者が喋ってくれた方が話は早い
それは日本のこの数年で僕たちが身に染みて学んだことでもある
ありがとうフランス、次の開催地がパリになることを僕は支持するよ
豪州→アテネ→アジア→欧州→南米→アジア→欧州の流れは自然な持ち回りだからね
おそらくそうなったのは君たちがテコンドーなんてのをプッシュし過ぎた為に
おかげで米と露とイランが共闘するオリンピック精神が発揮されたりもした
ひょっとするとIOCの西欧派閥への対抗を産みだしたのかもしれないね
となるとおそらく今回の投票が会長選挙や理事選出を睨んだものにさえなったかもしれない
ここで非西欧にバトンを渡すことで次の開催地や会長を西欧、とバーターさせる
それはマドリードとレスリングの目先のバーターよりも重要なこと、IOCにとっては
妥当な持ち回りだと24年がパリ、28年が米国だろうから、アジアが開催出来るのは早くて2032年か
2009.01.03 小学校教科書クイズ 全60+30+2=92問内70問
●1-01 [小1目標80%]を3419[0:30] ID:-
●02 5(本)[26]3815 63 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:35:51.63 ID:b5gojdqH 5
●03 3920あさがお[28] 111 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:39:00.55 ID:b5gojdqH あさがお
●04 まばたき 4215[16] 148 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:40:27.09 ID:b5gojdqH まばたき
●05 4350後ろ足,前足,尾[3] 210 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:43:02.80 ID:b5gojdqH 後足 前足 尾
●06 やじろべえ4609[23] 263 :(,,゜∀゜)(,,゜∀゜)さちももんが(げっ歯目) ◆cySATIJJdM :2009/01/03(土) 18:45:16.54 ID:c78GpIrj ?PLT(29541) やじろべー
●07 ウ リ4935[30] 324 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:47:14.22 ID:i5culDFE ウ リ
(*** C 3人)
●2-01 [小2目標80%]5335[19]B細かい 427 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:53:19.22 ID:b5gojdqH B
●02 5437 3cm5mm[30] 459 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:54:17.17 ID:b5gojdqH 35mm
●03 さなぎ5846[28] 498 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:55:13.20 ID:b5gojdqH さなぎ
●04 かまくら0042[29] 625 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 18:59:45.40 ID:b5gojdqH かまくら
●05 0249みずいろ[20] (まあOK)683 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:01:21.45 ID:b5gojdqH 水色
●06 0737DBAC[3] 766 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:03:36.16 ID:oW6ZhHe+ DBAC
●07 0922ろくぼく[5] 906 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:08:56.72 ID:wMg2p1QW ろくぼく
(告白しました 7? わ)
(ガリレオはA レインボーブリッジはA 国民の祝日はBこどもの日(父の日) ユニフォーム新しいA オーストラリアはB(四国)
生キャラメルでもうけているのはA(田中よしたけ) 右手はA だてまきはA(ロールケーキ) 北京の一回前の夏季B(アテネ) 汐留の女性100人イケメンはB谷原(不正解)
ノーベル賞はA下村 羽子板《はごいた》はA(熊手) 単三電池はB(単一) 羞恥心はA(ひそうかん) リラックマはA(くーまん)
きねはB[手にもつほう] 人気アーティストはA東方じんぎ 役職が上はB専務(A常務) 量が多いのはA 2Lペットボトル しまこうさくはA(サラリーマン金太郎)
ことわざは花よりB団子 09年のえとはA(うし) 結婚式でB三三九度 橋田すがこはA(しばたりえ) カイヤはA(B鬼)
せんとくんはA(なーむくん) ひょっとこはB(Aおかめ) もりそばはB(ざるそば) アーチェリーはA(B弓道) コンセントはB(Aプラグ))
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
■TOUR OF THE UNIVERSE 2009/ヨーロッパツアー全日程
May/5月
Sun 10th テルアビブ, Ramat Gan Stadium / イスラエル
Tue 12th アテネ, Terra Vibe Park / ギリシャ
Thu 14th イスタンブール, Santral Istanbul / トルコ
Sat 16th ブカレスト, Park Izvor / ルーマニア
Mon 18th ソフィア, Vasil Levski Stadium, Tuborg Greenfest / ブルガリア
Wed 20th ベオグラード, USCE Parc, Tuborg Greenfest / セルビア
Thu 21st ザグレブ, Arena, Tuborg Greenfest / クロアチア
Sat 23rd ワルシャワ, Gwardia Stadium / ポーランド
Mon 25th リガ, Skonto Stadium / ラトビア
Wed 27th ヴィルニアス, Zalgirio Stadionas / リトアニア
Sat 30th ロンドン, O2 Arena / イギリス
Tue 2nd ハンブルグ, HSH Nordbank Arena / ドイツ
Thu 4th デュッセルドルフ, LTU Arena / ドイツ
Sun 7th LEIPZIG, Zentralstadion / ドイツ
Wed 10th ベルリン, Olympiastadion / ドイツ
Fri 12th フランクフルト, Commerzbank Arena / ドイツ
Sat 13th ミュンヘン, Olympiastadion / ドイツ
Tue 16th ローマ, Stadio Olimpico / イタリア
Thu 18th ミラノ, Stadio San Siro / イタリア
Sat 20th WERCHTER, TW Classic Festival / ベルギー
Mon 22nd ブラティスラバ, Inter Stadium / スロバキア
Tue 23rd ブダペスト, Puskas Ferenc Stadium / ハンガリー
Thu 25th プラハ, Slavia Stadium / チェコ
Tue 30th コペンハーゲン, Parken Stadium / デンマーク
July/7月
Fri 3rd アルヴィーカ, Arvika Festival / スウェーデン
Sat 11th ポルト, Superbock Super Rock Festival / ポルトガル
http://www.emimusic.jp/intl/news/?id=intl_news&no=100?rssno=941
「火の七日間」と呼ばれる最終戦争から千年余り。高度な文明は滅び、世界は瘴気が充満する腐海とその住人である獰猛な蟲たちに浸食され続けていた。そんな腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」は、大国ティターンズとの戦乱に巻き込まれた。「風の谷」の族長レコア・ロンドは、攻め入るティターンズの将軍達に取り入ってかろうじて国を存続させていたが、女将軍エマ・シーン率いる大軍による攻撃で「風の谷」はとうとう滅亡の危機に瀕する。
苦悩の末、レコアは腐海の奥深くに封印されているという古代兵器「パラス・アテネ」を探すため腐海へと赴くが、蟲たちにあっさりと捕らわれるのだった。しかし、人間の女と蟲との邂逅こそが、古代兵器「パラス・アテネ」の封印を解く鍵だったのである。
ただ、事はそううまくは運ばない。蟲との邂逅時、レコアは無垢な肉体ではなかったことによって、「パラス・アテネ」の封印解放は不完全なままに終わり、「パラス・アテネ」は暴走を始める。自ら呼び寄せてしまった「火の七日間」の再来に、既に深く傷ついたレコアはそれでも立ち向かう……。
――シロッコ「フハハハハ!見ろ!クズどもはやはりクズだ!」――
――あのお姉さんは まだオーストラリアにいるのです。たぶん。――
1950年代のオーストラリア、メルボルン郊外にある開拓移民たちの暮らすとある小さな街。界隈では仲睦まじいことで有名なカップル、カツ・コバヤシとサラ・ザビアロフであったが、「結婚するまではダメよ」と頑なに身体を許してくれないサラに対して、カツのフラストレーションは溜まる一方であった。
そんなカツの誰にも言えない趣味は、隣人ベルトーチカ・イルマの寝室を覗くことである。今日もまた部屋の明かりを落として双眼鏡を強く握るカツであったが、黒と赤に染められた服に身を包んだ集団に、ベルトーチカが掠われてしまう現場を目撃する。
忽然として姿を消したベルトーチカ。日が経つにつれて街はその噂で持ちきりになった。ベルトーチカの身を案じ、軍から街へと戻ってきたフィアンセ、アムロ・レイの悲壮な姿に心動かされたカツは、ベルトーチカが掠われた現場を目撃したことをアムロに告白する。「黒と赤」というカツの言葉にはっとした表情を浮かべるアムロ。これによってカツは、思いもよらぬ巨大な暗躍との闘争の中に身を投じることとなり、そこでガール・フレンド、サラとの悲痛な遭遇を果たすのだった……。
――やさぐれたりしたけど、今は反省してます――
ホンコン・シティに住むどうしようもないワルガキ、ヤザン・ゲーブルは、両親にも愛想を尽かされ、13歳の誕生日に、女主人ミライ・ヤシマが運営する更正施設「シャングリラ」に預けられた。
ミライは、持ち前の運動神経も生かしてハングライダーによる宅急便の仕事をやってみたらどうかとヤザンに薦める。迅速な仕事、また、エイのような形が特徴のハングライダー、派手な黄色の仕事服も相まって、ヤザンの宅急便は瞬く間に街で有名になった。しかし、その裏でヤザンは更正施設内で意気投合したダンケルやラムサスらとつるみ、昼間の仕事の傍らで物色していた家に夜中に押し入っては盗みを繰り返し、ジャンク屋ゲモンから盗品と引き替えに回してもらったマリファナを楽しむ日々を送っていた。
そんなヤザンであったが、いつものように強盗する家を物色していたある日、街の学校で飛行クラブに所属しているという女の子、ロザミィに出会う。ヤザンのことを何故か「お兄ちゃん」と呼ぶロザミィを最初は煙たがっていただけのヤザンであったが、ロザミィと徐々に親しくなるにつれ、また、ロザミィの背負う過酷な運命を知るにつれて、次第に更正の道を歩んでいく……。
――愛とは、こういうものか――
最重要国際指名手配犯シャア・アズナブルは、人口の極端な減少でしか、これ以上の地球の汚染を食い止めることはできないという思想の持ち主であり、これまで数々の無差別大量殺人テロおよび要人暗殺に手を染めてきた。その過激だが確固たる思想と綿密かつ鮮やかな犯行によって、市井のごく一部ではあるが影で支持する者が後を絶たないシャアは、クワトロ・バジーナという偽名を取得し潜伏した次の要人暗殺計画先のミラノで、身寄りのない少女ハマーン・カーンと出会う。
常に冷静沈着なクワトロことシャアであったが、何かにつけて目の前に現れるハマーンに心を許し、うっかりと暗殺計画に関するメモを見られてしまう。ハマーンを始末することを一度は決めたシャアであったが、拳銃を突きつけられてもひるまずに「撃ってみて」と呟くハマーンを見て殺すには惜しいと思い、部屋に軟禁する。
暗殺計画を着々と進めつつ、軟禁したハマーンに対して辛辣に応対するシャアであったが、その裏腹でハマーンにどんどんと惹かれ、ついにはベッドを共にする。事が済んだ後、ハマーンの凛々しくも優しい眼差しに、シャアは、かつて狂おしく愛した女ララァ・スン、ひいては、うっすらとのみ記憶に残る母のぬくもりすら感じるのだった。今や、シャアの精神はハマーンの虜となってしまった……。
サイド2宙域において廃棄されたと見られる小規模コロニーを発見したアーガマ一行は、ティターンズ艦隊の追撃をかわすため一時的に身を隠すこととし、リック・ディアスに搭乗したアポリーとロベルトをコロニー内探索に派遣する。
生命維持システムはいまだ稼働しており、空気も存在し広大な草原が広がっているコロニー内に驚きながらも探索を続けるアポリーとロベルトであったが、突如としてカラス型MA「ユ・バード」を駆るバーバ・ユ・バーバの襲撃を受ける。廃棄されたと思われたコロニーは、巫女バーバ・ユ・バーバを教祖とし、八百万の神々を崇拝する海賊ゲリラ宗教組織「ユヤ」の根城だったのである。
バーバの猛攻をなんとか凌いだアポリーとロベルトではあったが、2人を除くアーガマ乗員は既に「ユヤ」に捕らえられており、投降を余儀なくされる。2人は先の戦闘振りからパイロットとしての腕を買われ、「ユヤ」の新人パイロット養成を言い渡される。
バーバの命令通り従順にパイロット養成を行いながらも、人質解放と脱出の機会を窺うアポリーとロベルト。しかし、バーバは新人パイロット養成と同時に、アポリーにロベルトを、ロベルトにアポリーを名乗ること、アポリーに口髭を伸ばすこと、ロベルトに口髭を剃ることを命じており、2人は次第にどちらがアポリーでどちらがロベルトなのかがわからなくなり、アイデンティティの喪失に悩まされるのだった……。
――シロッコ「ジ・O!動け!ジ・O!何故動かん?!……あ、動いた。」――
データはこちらから借りてます。何人か増やしてますが。
誕生日データベースhttp://thebirthday.net/y/1982
自分も82年でデータベースを見てたらなんかすごいなと思ったので取り上げてみました。
結構すごいと思うんですがどうですかねw?まあ他の世代も充分すごいんですがw
これ以外にも居ると思うし知らない有名人もいっぱい居ると思いますw
あと有名な犯罪者も入れてます。
自分はソニンと加藤あいと藤原竜也などが同学年なのに驚きました。
年下と思ってたのでw
まあ興味あったら見てください。
1982年 4月21日生まれ 安田美沙子 タレント・グラビアアイドル
1982年 4月24日生まれ イリーナ・チャシナ 新体操選手
1982年 5月22日生まれ アポロ・アントン・オーノ ショートトラックスピードスケート選手
1982年 6月21日生まれ ウィリアム王子 英国・チャールズ皇太子の長男
1982年 6月29日生まれ 矢嶋佑 映画監督・演出家・プロデューサー・実業家
1982年 8月13日生まれ シャーニー・デービス ショートトラック/スピードスケート選手
1982年 9月9日生まれ 大塚愛 シンガーソングライター
1982年 9月13日生まれ 出雲阿国 (お笑い) お笑いタレント
1982年 9月15日生まれ エジミウソン・ドス・サントス・シルバ サッカー選手
1982年 9月27日生まれ 中田敦彦 お笑いタレント(オリエンタルラジオ)
1982年 9月28日生まれ 加藤智大 秋葉原通り魔殺人事件容疑者
1982年 10月5日生まれ 吉田 沙保里 レスリング 金メダリスト
1982年 10月6日生まれ 伊調 千春 レスリング 銀メダリスト
1982年 10月10日生まれ 中野大輔 体操選手 アテネ団体金メダル
1982年 11月10日生まれ ザ・たっち角田拓也・角田和也 双子お笑いコンビ
1982年 11月22日生まれ たかし ミュージシャン(R.O.B)
1982年 12月13日生まれ 恩田美栄 フィギュアスケート選手
1982年 不明 伊藤ちひろ 脚本家 美術スタッフ スカイクロラなど
1983年 1月4日生まれ 植村花奈 シンガーソングライター
1983年 1月14日生まれ 上原多香子 歌手 | 元SPEEDメンバー
1983年 1月19日生まれ 宇多田ヒカル シンガーソングライター
1983年 1月20日生まれ 矢口真里 歌手 | 元モーニング娘。メンバー
1983年 2月8日生まれ 篠宮暁(オジンオズボーン) お笑い芸人
1983年 2月23日生まれ 近藤春菜(ハリセンボン) お笑い芸人
1983年 3月13日生まれ 桜井良太 バスケットボール選手
1983年 3月17日生まれ 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) お笑い芸人
一通り見て思ったけど男性歌手少ないねwてかいなくね?もっと頑張れよww
古代ギリシアのアテネで行なわれた僭主の出現を防ぐための市民投票。危険人物の名を陶片に記入して秘密投票し、六〇〇〇票を越えた者は一〇年間の国外追放とした。ostracism(英)。
本来の目的は、市民の不満を煽り立てて利用し非合法的に政権を握る独裁者、いわゆる「僭主」の出現防止にあった。しかし、この制度は本来の目的を失い、悪用されるようになる。例えば、実績を挙げた者が嫉妬により投票され、政争で相手を陥れるために誹謗が煽り立てて宣伝されるということも起こった。結果として、多くの優秀な人間や市民のために尽力した人間が追放されるに至った。