はてなキーワード: アスペルガー症候群とは
https://anond.hatelabo.jp/20240609080513
https://web.archive.org/web/20170710060035/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201110
少女マンガみたい
新居はルクセンブルクだそうですよ。
いいなー、ヨーロッパ!
そんでもって、ハロウィン
そして、酒。と、北海道の美味しいお魚。
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二十代、三十路、四十路が集って、なかなか痛々しいコスプレごっこに
発展してしもうたよ。テンションあがるな!
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日記---
2011.10.25 Tuesday00:34
引っ越し祝いに頂いたんですよ!!
どどーーーん!
噂には聞いていたけど、炊飯器ひとつでご飯の味が全然変わるのねー。
お返ししないと。
枝豆入れても美味しいよ、コレ。
ちゃんと覚えてくださってたみたいです。
世間狭いなー。
こういう事って、案外よくあるな。
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日記---
これも、kissの編集さんが送ってくださいました。
kissの連載の中で、一番気になる。
AS(アスペルガー症候群)持ちの作家さんが、ご自分の子供の頃の
体験談を、とても客観的にユーモラスに、、、描かれてるんだけど、、。
光文社から出てる「ニトロちゃん」も続けて読んで号泣しましたよ、私。
しんどいよなあ。
ほんとに思う。
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さっき友人宅でいただいた、美味しいご飯の数々も載っけておこう
ほんとはメインは餃子だったんだけど、、、撮り損ねた、、、。
ここんとこ連日呑んだくれておるよ。
ぐだぐだですよ。
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本・映画---
意識の所在とか、自分と他との境界線(精神的な意味でなく、物理的にねー。)とか、
一時量子論的なものに興味を持って、素人向けの分かり易そうな本を数冊
読んだりしてたんですけど、私の脳みそじゃ到底追いつかず、
アインシュタインが納得できないモノが、私に理解できるわけないじゃん!!
とか何とか、言い訳しながらあっさり匙を投げたんですが。。
自分の体を構成する最小単位の物質(?)が、そんな曖昧で摩訶不思議な
何かで出来てる事が、楽しくて仕方ない。
とかいって。
敢えて「日常」で、ゆる~くほんわかコミカルほろりと描いた良作ですよー。
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本・映画---
7巻予定通り、12月末に出ますよー。
日にち確定したら、また改めてお知らせしますけど、、
取りあえずご報告。
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お仕事---
Betsucomi 11月号
2011.10.13 Thursday19:22
届いた届いた!発売中ですよ~。
「Piece」も載ってます。
「爽やか学園ラブ☆」的な絵を描きましたよ。
私は未だ「Piece」を、「学園ラブ」だと言い張ってます。
「Piece」は私の中で、どこまでいっても印象が「モノクロ」なんですよ。
クールでシャープなカラーが、センス良く描ければ良いのだけれど。
話に合わせて、全然違う絵が描けるようになりたいな。
ギブミー画力!!
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お仕事---
つまってたけど、今なんとか書き終えました。
また、血まみれのプロット書いちゃった。
時間にまだ余裕がある時は、しばらく寝かすんです。
慌てて送って、後から読み返してみたら、「なんだこれーーっ!
あり得んわーーっ!」って事も多いので。(私だけかな。)
まじめ。(普通)
うちにまだ届いてないけど、、あれれ。
私の漫画も載ってるはずなので、どうぞよろしくお願いしますー!
今月号は、カレンダーがついてたっけ?
違うっけ?
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日記---
「Potager」のお野菜のケーキを、編集さんから頂きましたよー。
かぼちゃにルッコラにごぼう?(自信ない) どれもお野菜が使ってあるので、
「ケーキなんて脂肪の塊!」との友人の言葉が、いつも頭をよぎるんですけど、
これだと罪悪感うすいな。
一度に沢山食べなきゃ、べつに太んないけどなー。
私はここに載ってない、フレッシュトマトのケーキを頂きましたよ。
思った以上に、トマト!
焼き菓子も沢山頂きましたよ。
お菓子って、ほんと綺麗。
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おやつ---
昨日行った、自由が丘のカフェの階下の雑貨屋さんが可愛かった。
紅茶はパッケージ買い。丸い缶好き。中身無くなったら、ペン先入れとかに
引っ越してから、「Piece」のネタ帳、青いノートが迷子です。
失くしたら困るから、他の荷物とわけて、どっかに入れた、までは覚えてる。
相関図はさすがにもう頭に入ってるし、年表的な物もPCに残ってるので、
別にものすごーく困るわけじゃないんだけど、なんか落ち着かないよう。
早く出ておいで~。
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日記---
2011.10.02 Sunday16:01
なんて可愛いの!ドツボだよ!
この角度が、呆れるほど可愛い
昨日会った友人に、「風呂にお湯が入ったら、カノンが流れるのは普通。」
と、つっこまれました。えっ、そうなのっ。すごい驚いたんだけどっ。
くやしいので、うちのガスコンロがどんだけ賢いかを、ムキになって
ゆっくりお買い物して、抹茶あんみつ食べて、予約せずに「はん亭」に
入れて超ラッキー。
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真面目な話やくっだらない話をいっぱいして、元気を貰って帰る。
買い物し過ぎた。
本件で、中部精神事務所からの弁明、 都知事の弁明の趣旨は、請求人には、昭和63年ごろから広汎性発達障害が発現しているなどということを特に疑問視することもなく採用している。
しかし、明らかな事由として、請求人の病状は、黒羽刑務所の訓練によって発現しているのであり、逮捕以前は、田舎で祖母と暮らしていてただの日本人であったのであるから、都知事の弁明には、経時的なつながりがない。次に、黒羽刑務所の訓練で発現した病状について、出所後に、延岡市では、アスペルガー症候群と統合失調症と診断している。そして、黒羽刑務所で発現した病状が、この10年間で回復する理由が存在しないのであるから、本件で、10年前から、1級→2級→3級と次第に回復しているという主張は、合理性がない。
中部精神事務所から、申し立て人が広汎性発達障害に該当する旨の理由書および弁明書の提出があるがそこに記載されている内容は不合理に過ぎるものでとうてい認められない。
理由は、申し立て人の30,40年間の人生について都合のいいような抜き書きとまとめをしているだけの診断書で何の根拠もないこと、明らかに虚偽であること、本件診察医においても
明らかに虚偽であることを理解していてあえて診断書を書いていること。専門的技術的な知見に基づいても申立人を昭和63年以来の広汎性発達障害が存すると認定したことについて
およそ精神医学的な根拠、理由は存在していないという他ない。申立人にアスペルガー症候群が存するか否かについては結局、 申立人が、逮捕され刑務所に入るまでは明らかに祖母と一緒
に暮らしていた単なる子供であったこと、申立人がASDに罹患したのは黒羽刑務所の訓練の結果であることは明白であり、黒羽刑務所の訓練の内容の分析いかんによってくるのであるから、
その訓練の内容を分析し、訓練によって申立人がどのような精神疾患に罹患を完成されたかを決定するのが相当である。申立人の精神疾患は、平成26年9月25日からの野田クリニックでの
診察の結果、生来の自閉症で応答に乏しく母親が殆ど答える、留置所の待遇を批判し法務局に行う、気に入らないことがあると大声を上げ、暴力はない。夜間に2時間~2時間30分の
ジョギングをしており、規則に拘ることからASDで、被害妄想があることから統合失調症であって、精神障害の程度も、④で重度であると評価されていた。
関東信越厚生社会保険審査官は、幻覚妄想自閉感情平板化意欲の減退という状態を呈しており、気に入らないことがあると大声を上げるし服薬しないと寝られないなどがあるとして、
その程度も、④であり、軽いとは言えないとして、年金等級を2級としている。しかし申立人が、逮捕以前に祖母と暮らしていた子供であったこと、違法な判決で刑務所に服役したなどという
それは父親の晴生が日本年金機構に書いたおおざっぱな第三者申し立てであり、 平成27年2月28日に、更に、野田省治が検討を加えて、7月に障害等級1級の認定が下りたので。
転機は、
平成30年10月2日に上京して生活保護で生活しているため、延岡市野田クリニックでは診療中止。
晴生の第三者申し立て、 甲斐久美子、児島伸一、吉岡順子といった晴生の知り合いの申し立てと、ひかり学園の白戸智宏の申し立てなど具体的な資料があって現在、前田氏が持っている
手帳がある。
東京に来てからは、 広汎性発達障害、アスペルガー症候群、など様々に評価されており、 それを、ペガサス浮間舟渡の真ん中の2階で朝の7時30分に朝食を食べている
高齢夫婦が、最近どんどん分からなくなっているし、ときわ台メリーガーデンとリヴァージュシティは連携していて、河川敷活動がなくて家で休んでいる日はみんなで火をつけることになっていて、
レクセルガーデンの女もからんでいる、 昔は措置入院だなんだと別の手が発動していたのでもっと酷かったとも言えるが、最近は、運営本部の方針が変わっており、別の手段を模索している。
現場知らないだけで、大嶋みたいな奴に自然言語使っても無駄。 晴生がなんでに平成26年に死ぬほど気合を入れて文章を書いたか分からないが、次のように書いている。
4歳、弟と一緒に保育園に入れました。弟は園の園児と会話するのに、長男は、会話しない、毎日ギャーギャー泣き叫びなだめながら連れていく毎日。親子共々苦しい思いをした。
園長がこれほど時間経過に言葉が出ないのはおかしいと指摘され、インフルエンザのついでに医師に診てもらったら自閉症であるが普通ではないと診断された。小学校に入っても集団生活に
ついていけず先生に肩を押されて運動会で歩くだけ。高学年になると彼が発話する姿は誰も見たことがなかった。声を聞いた生徒が誰もいなかった。担当教師からは君は勉強がしうるから
勉強で頑張るようにと言われた。中学校ではサッカー部所属するもついていけず、インターネット通信に没頭、勉強で頑張ると言い出し、高校では先生に評価され加速、しかし3年生になると
学校に都合で1つのクラスにまとめられ担任との会話は必要最小限、一浪後に東大法学部に進学するが社会全般の事情に疎く父親の自分が上京して買い物や電車の乗り方を教えた。
大学生時代からアスペルガーではないかとの疑いを持ち、様々な本を調べるとその症状が見事に一致し、核心を抱くようになった。
卒業前後から段々おかしくなり、ブログランキング上位だったが、こんな作られた東大生どもだと国がダメになると文科省の方針に疑問符をつけ、ブログで強く批判して一度目の逮捕。父親として
丸尾英介警部補に呼ばれ、本当はこんなことでは逮捕しないがこの種の書き込みは今後増加するので警鐘を鳴らすために逮捕した、息子さんの東大卒の肩書がどうしても必要だ、と説明された。
有罪判決で家に連れて帰り、ますます心理不安定になり、子供が外で遊ぶ音に敏感になり、2チャンネルに何度も警察批判を書き込んで2度目の逮捕。裁判では俺は神様で俺が全てを
決めていると吐くようになり実刑判決で服役、満期出所で出てきてからは、症状は更に悪化し、専門家に見てもらうと、アスペルガー症候群と統合失調症と指摘された。
当時小学生だった。
子供ながらにあの頃は発達障害についての情報がほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。
じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強は自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。
運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。
子供なんてちょっとしたことでいじめてくる。田舎から来たからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロだからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。
教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。
それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことなき事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校に行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。
(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)
叩くものが母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。
ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。
普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親はノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。
真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園や児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子は私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなたは幸せだよと言われている。嘘だろ。
子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間、ゲームのような、簡単なテストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。
アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。
なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。
それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校を基本的には許すようになった。この子はアスペルガーだから、頭の病気だから仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーだから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件の犯人が、発達障害だったからだそうだ。
私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校は名前を漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初の数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分の名前の漢字と平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないかと試行錯誤した。相変わらず短距離走や球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。
途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイトの給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。
今本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初は本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害の自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。
ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してからは遅刻も寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人だからなんとも言えないけども…。
最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまでそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。
おっす。オラ工業高校卒。以前に学力テストについて話をかいてみんなにいろいろ突っ込まれたおかげで知見がすげえ広がってうれしかったぞ。
最近、はてなのスター、シロクマ先生が以下のような記事を書いてたんだ。
https://blog.tinect.jp/?p=85698
こうした認識があったものだから、『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んだ私は安楽死の導入に大きな不安を抱くようになった。欧米、とりわけアングロサクソンの国々で安楽死が制度化されるのはまだ理解できる。だが、日本のように自由と責任の建付けの曖昧な国で安楽死が制度化したら、その安楽死はいったい誰の自由意志によるものなのか、その安楽死はいったい誰のためのものなのか、やっぱり曖昧になるだろう。
と、「人権感覚の進んだ欧米では安楽死制度は運用可能かもしれんが、人権後進国の日本では無理」みたいな感じで書いてあったんだ。
でも、この文章のネタ元になっている『安楽死が合法の国で起こっていること』では、安楽死制度を導入した国で起きたエグい問題についての話がガッツリ書いてあって、人権先進国だろうがなんだろうが、とても人間には運用不可能な制度って印象なんだ。
でも、シロクマ先生記事だけ見ると「多少の問題はあるが、人権意識の進んだ国ならおおむね運用可能だし将来の有望な選択肢」みたいに見える。本を読んだオラからすれば、地球人を信用しすぎてないか?って気がするぞ!
シロクマ先生はこのあたりの事件はセンセーショナルすぎて、持論を書くには邪魔になると思ったのかもしんねえ。確かにこういう事件に感情的な反応をする人が多いから、本質的な議論ができなくなるってことはありそうだ!
でもオラは、シロクマ先生が書かなかったことはみんな知っとくべきだと思うんだ!ブコメでもあんま突っ込まれてなかったしな!
詳しくは『安楽死が合法の国で起こっていること』を借りるなり買うなりして読んでほしいんだけど、本で挙げられている「安楽死制度を導入した国で起きたエグい事件」について参考リンクを示しながら書いてみるぞ!
参考:https://www.bbc.com/news/world-europe-49660525
最初に書いておくが、安楽死を担当した医者は安楽死のガイドラインを逸脱はしていないとして無罪となっているぞ!
アルツハイマーを患っていた患者は、以前から「介護施設に入るようになるまで症状が悪化したら安楽死したい」「死ぬ時期については自分で決めたい」と意思表示していて、書面に残していたんだ。
で、実際に症状が悪化して施設に入ったんだけど、患者の状態が悪化していて意思疎通ができなったので、医師がほかの医師とも話し合って安楽死の日取りを決めたんだ。
当日、家族が見守られる中、鎮痛剤入りのコーヒー(これはガイドライン違反)で大人しくして安楽死をさせようとしたんだけど、安楽死用の薬剤を注射しようとしたとき、手を引っ込めちゃったんだ。
どうやら鎮痛剤が効かなかったようだ。そこで医者は家族にその患者を押さえつけさせて、抵抗する中で薬剤を注射して安楽死を行ったんだ!
これが「本人の意思を確認したか」という点で裁判になったんだ。死ぬ直前になって怖がるなんてこといくらでもあるからな!
結果、最初に書いた通り医者は無罪になったぞ!ついでに安楽死前に鎮痛剤とか使って大人しくするのも合法化されたんだ!
うっひょー!そんな死に方はちょっとしたくねえな!
参考:https://www.frontiersin.org/journals/psychiatry/articles/10.3389/fpsyt.2022.933748/full
19歳のときに境界性パーソナリティ障害と診断された患者がその障害の重さから仕事や私生活で苦労し続けていて、大学を卒業してパートナーを暮らし始めて安定したところで、薬物使用とパートナーからのDVとそれによる別れで鬱を発症、なんとかうまく行きかけてた人生で大きな挫折をしてしまうんだ。
もとからあった希死念慮がさらに強くなってたところにセカンドオピニオンで他の医師を受診するんだけど、その医師は安楽死を推進する団体をやっているような人で、患者がアスペルガー症候群であると新しい診断をしたうえで、それの治療を試みることなく、アスペルガーとパーソナリティ
障害が併発していることを理由に安楽死を申請して、認められ、患者を安楽死してしまったんだ。
この件は本だと無罪になったとされているが、現在は遺族が大陪審に上訴して現在も争ってるぞ。
たぶん、
こういう記事をふむふむって読んで知識仕入れてる層は原典どころか取り上げた本すら読まねえから、適当に書いてインプレ稼いだもん勝ちだしどうせバレない。
って思われてるんじゃねえかな?Webで物書いて飯を食うには確かにこのスタンスは強いと思うぞ!でも見習いたくねえな!
ちなみに、本だと
あたりも書かれてる(むしろ、こっちのほうが議論になりうそうな問題が多い)ので、このあたりの知識がない人間が安楽死制度の問題を考えるなら、まず一読するべき本だぞ!
というよりこれすら読んでない人は””制度としての””安楽死の是非についてはあまり語らねえほうがいいと思うぞ!自分が死にたいとか言うのは勝手だけど、他人を殺す基準を作るなら感情ドリブンで話しちゃだめだ!
Amazonのリンク置いとくから、気になったら買ってくれよな!:https://www.amazon.co.jp/dp/4480075771/
こういう話はありふれているし、診断をもらえなかった人は当事者達から”セカンドオピニオン”を勧められるのが普通。だから精神科の多重予約問題が起きてる。
ここ7、8年ほど、診察室に時折こう訴える人たちがやって来るようになった。多くは女性だ。
「私、発達障害なんじゃないでしょうか。たぶん注意欠陥障害(ADD)か注意欠如・多動性障害(ADHD)だと思います。あ、コミュニケーションも苦手だから、アスペルガー症候群の可能性もあるかもしれません」
略
では、その「片づけられない」というのがどの程度なのかと尋ねても、「もう春なのにまだ冬物のコートが出しっぱなし」「家族で食事をした食器を翌日まで洗わない」など、さほど深刻ではないことがわかる。
「書類をすぐに提出できずに溜まってしまう」といった仕事上の支障について語る人もいるが、それでも会社勤めを続けていたり、中には役職に就いていたりするところを見ると、「どちらかといえば苦手」という程度なのではないか。
「私は発達障害についての専門的知識は乏しいので、絶対に正しい診断とは言えませんが」と断ったうえで、「あなたには何らかの発達上の問題があるとは思えません」と告げると、これまで経験した限りではすべての女性は失望の表情を見せたのだ。
「えっ、そうなんですか。私、ADDじゃないんですか。アスペルガーでもない? そうか……」
最初はその失望の意味がよくわからなかった。「障害の可能性は低い」と言われて、なぜがっかりするのだろうと不思議に思っていた。
しかし、何人かに話を聴くうちに、「なるほど」とそのわけがわかった。やや厳しい言い方をすれば、彼女たちは自分が思うどおりに整理整頓や書類の提出ができないのは、「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」と思いたがっているようなのだ
略
この薬は現在、「おとなのADHD」に対しての有効性も認められており、いま多くのおとなが「私が仕事を仕上げられないのはADHDだからではないでしょうか? よいクスリがあると聞きました」と診察室を訪れるようになった。
また、テレビなどのメディアも最近、こぞって「発達障害を理解しよう」といった趣旨の番組を放映したり専用サイトを作ったりしている。
これらはもちろん、薬の売り上げのためではなく啓発の目的のキャンペーンであるが、実際には「私もそうかも」と見る人の「疾患掘り起こし」につながり、結果的にはその人たちが受診し、医師が診断し、さらには薬の処方を、となるケースも少なくないはずだ
それ、ASD(自閉スペクトラム症)と広汎性発達障害(PDD)を混同しちゃってるね。
APAのDSM-IVがDSM-5にアップデートされたとき、アスペルガー症候群を下位分類に含めた広汎性発達障害(PDD)という概念が自閉スペクトラム症/自閉スペクトラム障害(ASD)という概念に移行したんだよ。
このアップデートにより、DSMからはアスペルガー症候群という病名は消えた。
さらに、WHOのICD-10がICD-11にアップデートした際、APAのDSM-5を踏襲したので、同じくPDD→ASDとなった。
このアップデートによって、ついにDSMだけでなくICDからもアスペルガー症候群という病名は完全に消えて無くなった(下位分類にも存在しない)。
増田は操作的診断基準における下位分類という概念が分かってないっぽい?
「コードF84 広汎性発達障害」の下位分類のひとつが「アスペルガー症候群(F84.5)」
【参考】https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/main/002/004.htm
↓
【参考】
やめろよそれはさすがにアスペルガー症候群のお方に失礼だぞ
私がアスペで辛い点
②理想への執着が凄すぎること
最近、そもそも幸せになれる人間と幸せになれない人間がいるよな、などと思う
よくこういう場でさ、「青春はもう取り戻せない」「いくら港区やマッチングアプリでどれだけで会おうがあの頃は取り戻せないのだ」みたいなメタ認知(笑)が流行るが、理想に囚われて目の前のことを素直に大切にできないその心根のせいで青春時代に青春できなかったんだと思うよ
どうせその頃、「学生の勘違い恋愛wwwどうせすぐ別れるくせに」などと思っていただろ
青春時代に青春してたやつは、港区飲み会だってきっと楽しめるし、マッチングアプリで出会った人に「所詮マッチングアプリだから、自然な出会いの恋愛とは違う」とか思わずに、素直に目の前の人と幸せな時間を積み重ねていけるだろ
上記のような意見を誰かと分かち合ってはしゃげる人たちは、私の人生よりマシな人生を送るんだろうな
それはさておき、そう言う性根って何から生まれるんだろうね?多分アスペだと思う
大抵の拗らせた思考の全ては、幼少期や環境に問題があると語られるけど、残念ながら掘っても掘っても、私の幼少期や環境に問題はなかった
両親は喧嘩もするが仲が良く、伸び伸び育ててくれたし、子供がやりたいことに金を全て出せる経済力があり、思春期の私にもきちんと向き合ってくれた
人間性が終わっている私でも、歩み寄って私のことをよく理解してくれるような友達ができる環境で過ごしてきた
自分の生まれ持ったスペック的にも何かコンプレックスが発生するようなものはないと思う
タイトルが「アスペルガー症候群が辛い」だけど、発達障害を持つ人間たちの中では、限りなく恵まれた立場で生きていると思う
だからこそ絶望的な気持ちになる、私の幸せでない原因が多分、生まれ持った障害である、アスペに収束するから
冒頭、そもそも幸せになれる人間と幸せになれない人間がいると言ったが、幸せになれるやつは多分周囲のひとつひとつを大事にしている
様々な自分の理想よりも、現状、つまりは、自分の今大事な周りの人間がどう思うか、どう感じるかで行動できる
そんなことわかりきっていて、私はこんなに終わっている(空気の読めない発言、ADHDの遅刻、約束破り、その他諸々)自分のことを受け入れてくれる周囲の人間が大切だし、感謝しているし、愛しているから、私もそうありたいと思うんだけど、
でも実際そうあれるかというと、自分に超余裕がある時しかできないのだ
「そんなのみんなそうだよ」
って、多分発達障害じゃない人は言うと思う。で、それは多分その通りだ。でも、余裕がある時って、発達障害にとってはめちゃめちゃ少ない
毎日、朝起きて、仕事に行って、仕事をして人と会話をして、ご飯を食べて、お風呂に入るだけで、もうすごく疲れている
その上で、多分普通の人は、余裕がない時でも、相手の痛みが自然と想像できて、色んなブレーキがかかるんだ
でも私は、それを重々承知していても、落ち着いて考えて、相手の立場になってみようと心を決め、頭をその人に切り替え、順を追って、物語を読む時のように状況を追走しないと、その痛みが想像できないんだよ。
(それは、サリーとアン問題を解くのに一拍かかることの延長線上にある)
しかもその痛みも結構ぼんやりしていて、漠然と「こー思っちゃうよな」とかは思うんだけど、たとえば悲しい話を読んだような、心から痛みを想像できているものではなくて。出来の悪い映画を見た時のようで。輪郭はわかるのに、はっきりと掴めないことが、すごくもどかしくて、悲しくて、自分にがっかりするし、人間になれない感じがする
人の立場になって考えようとするたびに、考えることしかできなくて、感じることのできない自分が、何か人間ではない化け物のように思う
人生を何回やり直したって、私が私である限り、周囲の人間を、普通の人ほど大切にできないし、だから私が歩みたいような、あたたかな人生は送ることができない。
こんなにも恵まれているのに。
いかに私が苦しんでいるかの話を聞いてくれて、「そうなんだね、それでも周りのために頑張ろうって思えているのがすごいよ」と心から言ってくれる友達だっている。
そしてそんな友達が一握りいることが幸せなんだと頭では分かっていても、自分の送りたかった謎の「あたたかな人生」という理想に囚われて、苦しい気持ちになって、時にその人たちを羨み、妬んでしまうことが、きっと一番絶望的なんだ。
とか言われそう
改行が反映されないー
アスペルガー症候群って病名はもう消えたけどね。
はじめに、どこにもそう書かれてないのに「有徴化イコール差別」って読んじゃった誤りもそうだし、きっと現代文苦手だったんだろうねえ。
まず自分が何が正しいと思うかを答えるんじゃなく、書いてあることを答えるんだよ、って習わなかったかな?
その区別がつかなくて成績が悪くて、問題が悪いとか作者の気持ちがーとかキレてる子、昔いたなー…懐かしい気持ちにさせてくれてありがとうね。
それで、文中にある「何が差別か」は見つけられた?
さて、後半で「レッテル」を出したのはね、
有徴化の問題とレッテルの問題がイコールだからじゃないんだよ。
はじめは
と主張していたのに、あとからは
これでは、差別意識→有徴化の順になるから、有徴化されたものはすべて差別になってしまうよ。大丈夫かな?頭に血が上っちゃったかな?
多分言いたかったのはそうじゃないよね?
言い返そう言い返そうと頑張らなくていいから、ゆっくり考えてごらん。
ヒントをあげるね。
発達障害という言葉が広く知られるようになったのは十数年前で、それまでは精々「付き合いづらい人」とか「落ち着きのない人」のように見られていた。
たとえば発達障害の中のひとつにアスペルガー症候群がある。これはもちろん医療現場や療育、一般的な書名でも使われている。
過去には「精神薄弱」なんて言葉でひとまとめにされていたのが、より細かく、またより軽度なものも診断名がつくようになったんだ。これは、過去に区別されていなかったものを区別する、「有徴化」のひとつだ。
では、医療現場や療育の現場でアスペルガー症候群と名をつけるのは差別かな?
では、インターネットで「お前アスペか?」なんて煽る言葉を言うのはどうだろう。
または、実際にクラスにアスペルガー症候群と診断された子がいたとして、あだ名を「アスペ」にしていたらどうだろう?
この3つはどう違うと思うかな?
考えてみてね。
そして、元の増田には「〇〇するのが差別である」といい切っている部分があるよ。まずはそこを探してみようね。
自分で混乱させた定義に混乱しながら言い返したところでまともな議論は生まれないよ。
その感じじゃ、これまでも苦労してきたんじゃないかな?
オランダで発達障害を持つ21歳の女性が安楽死したとか。羨ましすぎる。
身体は健康でも頭脳がポンコツならば安楽死させれてもらえるんだなぁ。さすが人権意識に優れた先進国だわ
日本はどうしてこうならないのか…
日本は何かと発達障害認定して労働市場から爪弾きにするくせに何故か発達障害者を安楽死させようとは絶対に言わない
少子化高齢化問題だって、希望者が速やかに安楽死出来るようになれば簡単に解決するじゃん
欧州先進国を持ち上げるリベラル出羽の守達は、何故か絶対に安楽死には言及しないのが本当にむかつく
それとも奴隷根性から安楽死は白人様の特権で、自分達をも含めた有色人種は奴隷労働の末苦痛死しろって思ってるのかなあ
「愛の中で逝かせて」21歳の娘は安楽死を選んだ 受け入れた母の思い 世界で初めて合法化したオランダ、21年たってどうなった
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d0e9d2faf8efd955ebe2d8bf6fc981130a62009
オランダ北部フリースラント州に住むビアンカさん(54)は2021年、長女デニーセさん=当時(21)=を安楽死で亡くした。ビアンカさんによると、デニーセさんには自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)があった。他の子どもとうまくコミュニケーションが取れず、12歳の頃からパニック症状が現れるように。家庭では対処が難しくなり、14歳で施設へ入所した。
15歳の時に自殺を図り、施設を変えるなどしたが、不安定な精神状態は良くならなかった。その後も自殺未遂を10回以上繰り返し、18歳の時には「1人で死ぬのは嫌だから、安楽死したい」という手紙を両親に書いた。
「娘は『ほかの人ができることが自分にはできない』と苦しんでいた」。ビアンカさんはそう話す。「私たちは『あなたはあなたのままでいい』と何度も言った。でも、本人がそれを受け入れられず、苦しんでいた。『死にたい』というより『これ以上、生きることに対応できない』。それが娘の気持ちでした」
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。
■いきなり結論
正直、ホモサピさんの中の人である伊藤くんが結婚しようが不倫しようがどうでも良かった。
令和版さかなクンさん、あるいは令和版でんじろう先生を感じさせる、「ホモサピさん」というキャラクターを延々と見ていたかった。
それをブチ壊したのは他の誰でもない避妊をしなかった&不倫した伊藤くん自身なんだけども。
でもそれは伊藤くんだけが悪いわけではなく、周囲にも…というか奥さんが元凶なんだろうな正直思っている。
■お前は誰だ
ホモサピさんのことは元気先生の助手だった頃から知るイチ視聴者。
2021年頃から本格的に親子で動画を楽しみに視聴していた層。
■ホモサピ
親子ともに博識で生き物好きなところをリスペクトしていた。
好青年で喋り方にも気をつけていたり生き物への向き合い方が誠実な一方で、ゲテモノ喰いなど常軌を逸脱した行動をするギャップだったりテンポの良い編集が最高に面白い配信者だった。
8ヶ月の乳児を育てる妻と別居中に19歳地雷系女と不倫したことをコレコレから暴露される。
ホモサピさんは動画を面白くするために個(伊東くんの顔やプライベート)を極力出さないようにする人だった。
それなのに2022年9月、突如「撮影するためにわざわざネイルした女性との手つなぎ指輪写真を投稿しての結婚発表」。
「この奥さんは『ホモサピさん』というキャラクターを潰すタイプの人だ」と何となく察しがついていた。
その悪い予感は的中して、2023年8月、奥さんが夫ホモサピさん(伊東くん)のXアカウントを乗っ取り「離婚した」と投稿。
それが原因で別居…など。色々あるが、プロ彼女とは対極にある人だと感じた。
なぜそんな人を伴侶としたのかというと、恐らくではあるけども、ホモサピさん(伊東くん)は本当に生き物以外のことは無頓着で流されるままそうなっていったんだろうな、と思う。
女運がなさすぎる。
■何が悪かったのか
イチ視聴者としては本当にどうでも良かったので、やっぱりそもそも伊東くんの結婚発表が要らなかったと思う。
ホモサピさん(伊東くん)にとって、目茶苦茶怖い人だったのではないか。
サレ妻を責めているわけでない。
悪いのはホモサピさん。
でも本当に女運がなさすぎる。
■今後の提案
「ホモサピさん」の動画は素直に面白いからこれからも観ていたい気持ちはあるが、不倫した伊東くんを見たくないので二度と親子で観ることはないだろう。
「ホモサピさんの中の人は不倫した人」「子供向けにビジネスをしておきながら子供の夢をぶち壊した人」っていう印象のせいで親子で素直に楽しめなくなってしまった。くやしい。
なのでホモサピさんは今回の反省を活かして、何年後かホモサピさんのことを皆が忘れたタイミングで生物系vTuberとして転生して動画を配信してほしい。中の人が伊藤くんである旨は絶対にはバレないようにして。
それで二度と己の子供や全国のホモサピキッズを悲しませないようにしてほしい。
■あとこれは完全に余計なお世話だけど
Xでも似たようなことをつぶやいている人が結構いるけど、彼はアスペルガー症候群の偉人によくあるような、一芸に長けているけど人として何かが欠けてしまっている人だと思う。
そんな人に対して「普通」を求めるのは酷だし、本人の能力を潰してしまう。
本当にもったいない。
■締め
それをブチ壊した本人とその周囲が憎い。
という話。
今後伊藤くんの動画を親子で観ることは二度と無いだろうし、購入した著書も売る予定。
子供はまだ幸い低年齢なので、半年もすればホモサピさん(伊藤くん)のことを忘れることができるだろう。
増田です。ありがとうございます。私の読解としては、筆者は「何かの枠に嵌めて自分が作られる」ということを、主人公の病的な性格(アスペルガー症候群と思われる)とコンビニにおけるマニュアル接客を通じて描いたのだと理解しています。なので、筆者自身のコンビニ勤務経験があったとしても、主人公自身の描写はそうしたテーマ性に沿ったある種のメタファーであって、必ずしもコンビニ店員や小売業従事者の内面をリアルに描くことを意図したものではないだろうということは理解しているつもりです。
ただ、言い訳がましくて申し訳ないのですが、「コンビニ人間」の最初の1ページにおける、お客様の気配を感じ取ってスムーズに接客へと移る描写に対して、小売業従事者としてノックアウトされてしまい、ちょっと感想を書きたくなってしまったというところです。