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2019-02-19

anond:20190219043926

何でそんな怒ってんの?こわい

日本語アレなのはそうなんだけど全部ってわかんないな

博物館以外は普通にたぶん日本語でも検索すれば出るくらいだと思うし特別な話ってわけでもないよ

なのに妄想とかソース求めるって事は知らないんだよね

から認識が偏ってるんじゃないかなやっぱり

ギリシャポーランドのなんて日本でもニュース流れてたの覚えてるし

ポーランドが改めてアウシュヴィッツにキレてたの最近だよ

植民地は国覚えてなかったけど調べたらナミビアだった

これは前にネットで見かけただけなんだけどインフラ投資分の請求とかだったか

植民地からの訴えガン無視してるのは知ってたんだけど欧米列強結構そういう感じっぽいって知ってビックリしたな

博物館のは2年?3年?くらい前だけどドイツ人から聞いたか眉唾じゃないならたぶんある

ナチス科学者技術者功罪の功の部分をフィーチャーした展示なんだって

観光客が来る様なとこは基本ないけどその科学者出身地田舎の方だったりすると誇るみたいにやってるとこもあるって言ってた

地元向けみたいなとこあるから自分最初ネットで知ったって

から又聞きみたいなもんなんだけど

映画帰ってきたヒトラー見てドキュメンタリーとしてもドイツ人のそういうとこ描いててこういう感じなの?って聞いたら教えてくれた

ドイツ人はこれはこれそれはそれって考え方する傾向あるから教育ちゃんとやるしナチスの罪も理解してるけどどこかでそれはそれとして功績は功績って捉えるとこもあるんだって

でも普通は思ってたとしても表立って言わないけど田舎だと悪気なくそんな程度の認識だよって

田舎じゃなくても東とかのある程度の年齢の人もそんな感じらしい職人系の人とか

イギリス人とかが見たらたぶんショック受けると思うけど自分はそこまででもなかったって言ってた

それがナチスの罪を肯定してるわけじゃないしそういう昔もよかったって人がいるのは知ってるからって

自分ドイツ賠償とかはアレだけど国内での今の教育とそういう価値観広めるのはすごいちゃんとやってるイメージだったかちょっとショックで覚えてた

結構そんな感じなんだなって

都市部田舎意識違うのはどこの国もそんな感じじゃない?って言われたけど

それナチスでやっちゃ話別だよね

でも名前失念してるしもう聞けないし博物館っていうのも違ったかもしれない

ハッキリした記憶無くて曖昧なまま知ってる感じで書いちゃったのはごめんね

2017-12-20

anond:20171220124112

元増田だけど、

発想がフィリピン麻薬撲滅もしくはアウシュヴィッツで恐いよ。

そして、この文脈の「死ね」はお前が断罪するはぁちゅうと同じだろ。

2016-12-04

死の収容所へ 3

http://anond.hatelabo.jp/20161204230447

 様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年ものゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛さらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たち労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだからまさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。

 いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。

 連行にはナチドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド青色警察」、オランダ緑色警察」、フランスルーマニアハンガリー警察ウクライナリトアニアラトヴィアエストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。

 多くの非ユダヤ系住民強制連行を目撃している。玄関から歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。

 駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方ソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可下りるまで何時間も停車していたかである

 すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。

 ヨーロッパ西部バルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパユダヤ人貨物列車ではなく客車移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。

 列車絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」

脱いだ衣類は消毒に廻された。女性衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性女性子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。

 アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれ場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。

 ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。

ナチス・ドイツが構築した排除装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり絶滅収容所ガス室をもって終わった。

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

総統意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツ占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツ占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊パイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

2016-10-12

チンコが20cm以上ある人は人間国宝とするべきである

暴論かもしれない

しかし、それこそ皆が本当に求めているもの

そして10cm以下はアウシュヴィッツ強制収容所メス化手術受けろ

2016-07-10

アウシュヴィッツは終わらない。

アウシュヴィッツはとおいむかしのこととなった。

それがいったいどのようなものだったのか、今の私たちには想像することもむずかしい。

アウシュヴィッツを知らなくても私たちは生きてゆけるだろう。私たち自由だ。

だが、事実はゆるがない。

アウシュヴィッツ実在したこと。

そこで命を落とした者たちは私たちとおなじ人間だったこと。

私たちとおなじようにさまざまな人生と、心があったこと。

その数は180万にのぼること。

180万の心があったということ。

そして、その心をなんのためらいもなく消し去ったのもまた、私たちとおなじ心を持った人間だったということ。

そのときそこには人の心をゆがませる強大な力がはたらいていたということ。

私たち自由だ。アウシュヴィッツを忘れ去ることができるほど自由だ。

それほどの力を私たちは手にした。

でも、その自由が血塗られた歴史のうえにあるとしたらどうだろう。

過去を忘れて自由をとなえることは、自由というもの意味の重さを取りちがえることになりはしないか

人の心をゆがませる力を、ふたたびまねくことになりはしないか

それは危険なことではないか

自然な心を持ち、自然に生き、自然死ねることがどれほどすばらしいかを、世界中の人々がわかりあえる日は来るだろうか。

いつか来るかもしれないし、永久に来ないかもしれない。

それは私たちしだいだ。

かれらにかわって未来をになうことができる、私たちしだいだ。

そして、その日が来るまでアウシュヴィッツは終わらない。

遠い昔、私たちとは関係のない場所で、かれらの叫び時間とともに消えていった。

180万の名も知らぬものたち。

でも、耳をすませば聞こえるはずだ。

心を開けばわかるはずだ。

まれた国がちがおうと、生きた時代がちがおうと、私達はみな同じ心を持った生き物だ。

物言わぬ者たちの声を聞こう。

さまよう者たちの姿を見よう。

かれらの心を受け入れよう。

それを糧に私たち未来へのぞもう。

アウシュヴィッツを繰りかえさぬため。

アウシュヴィッツを終わらせるため。

 

・昔、あるイベント使用したアピール文の草稿がでてきた。

つたないが、今につうじるものをかんじるので記した。

犠牲者総数は1990年代半時点でのポーランド国立オシフィエンチム・ブジェジン博物館公式発表のもの

具体的には、

アウシュヴィッツビルケナウでの殺害実証可能 150万

実証困難か不可能だが状況証拠からそう推断できる 30万

現在犠牲者総数とはことなっているが原文ママとした。

2015-07-06

夜って絶滅危惧種だよな

とか言うと、「瀕死の夜ちゃんを救うための募金活動をしているんじゃないか」くらいに勘ぐられるかもしれないけど、俺は昼のことも好きだよ。

暗いより明るい方が安心かつ安全だし、利便性も高い。いや、好きというよりは生活必需品みたいに感じているのかもしれんな。

でもさ、何でもかんでも照らし出しすぎじゃね?照らし出しさえすれば何でもわかるとか思い込んでね?照らされてない世界に住めない奴は落ちこぼれレッテル貼るところまで行ってね?

昼の全体主義だこれは。夜のアウシュヴィッツだ。昼は欠かせないけどさ、いくらなんでも侵出し過ぎでしょ。

煌々と光る中でも平気で情事を交わす人より、「いやだ、消して」って言う人の方が俺は好きだ。

夜は暗くて見にくい(醜くはない)。妖しさがある。でもその妖しさは想像力の活きる場所なんだ。アタマの方だけじゃなくて、身体性も夜のほうが活きるのかもしれん。エロい意味じゃない。暗いと彼我(彼の大正は必ずしも人間とは限らない)の境界がわからなくて融けだしそうになるでしょ。それを食い止めるために身体を意識するのだ。でもこれってやっぱりアタマ仕事だろうか?

ひと目でわかると助かるものは多いけど、必ずしもすべてのもの適用できないはずなんだ。抽象的だろ。夜っぽいだろ。夜の男だ。でも夜の○○ってのは大体擬似夜だ。そんなわかりやすい言分け((C)丸山圭三郎)は無用長物なのだ

俺は真っ暗な空間音楽を聴いていたい。これこそきっと夜だ。踊り出すかもしれん。でも考えたら、これってクラブじゃね?って思った。

はいわゆるクラブは好きではない。あそこに行くやつらは大体イケてるからな。自分の踊ってる姿が照らし出されても恥ずかしくないやつらだ。むしろ恍惚とするやつらだ。他人目線バッチコイだ。ちょっと前に流行ったファレル・ウィリアムスの"HAPPY"動画シリーズなんてサブイボしか立たない。

俺はイケてないから誰にも見られないところで粛々と(上から目線)踊りたい。巷にあるクラブはすんげえ昼って感じだ。でもオウテカライブは真っ暗でよかった。他人無意識が混ざってくる感じがした。言葉交流するのが苦手だから無意識交流出来たらいいなと思う。

2015-01-07

[]

荒川 修作さんは、1936年7月6日 - 2010年5月19日)は愛知県名古屋市出身美術家で、

死なないために

意味メカニズム

建築-宿命反転の場-アウシュヴィッツ - 広島以降の建築実験

生命建築

建築する身体-人間を超えていくために

死ぬのは法律違反です-死に抗する建築

とか有名な人らしいね

けっこうおもしろ作品書いているね

2012-10-27

死をポケットに入れて

最初に言っておこう。

失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。

愛し合った分、憎み合うように。

すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。

父を亡くしたのは、14歳の時だ。

2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。

告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、

一時帰宅ときに、家族食卓自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。

今思うと、とても不思議病気だと思う。

癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。

部位的なその特徴から喉頭癌の進行は早い。

正月一時帰宅を終えて、

(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)

すぐに目に見えて容態は悪くなった。

口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。

皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。

だけど、そんなことは何も珍しいことではない。

ありふれた病気の、ありふれた悲劇

どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。

何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくそ匂いだ。

甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。

今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。

もうすぐ死にゆく人の、その匂い

人は自分の信じたいことしか信じない。

そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。

たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、

意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、

そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。

「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。

病院時間は、緩慢なようで、あっというまに過ぎる。

廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。

病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。

不思議もので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。

クリスマス解放を願うアウシュヴィッツ収監者のように。

病棟でもまた然りだ。

中学生だった私は、医学書を読み、信じることを拒否し、

それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。

どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。

こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたかなのだと。

静かに、いつの間にか彼は死んでいた。

母親と弟が仮眠を取っている間に。

わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。

最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。

何のために、あの8か月は必要だったのか。

母親がこっそりと医師に手渡した、あの金は何だったのか。

何でもないと、今ならば思う。

すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。

少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。

見たくないものを認めるために。

後悔をしないために。

誰のせいにも、しないために。

すべての物から得ることはある。

どんなに酷いことからも、経験を。

失ったものからは、愛情を。

束縛からは、解放を。

あるマンガで、しゃれこうべに怯える主人公魔女は言った。

頭蓋骨が怖いの?自分も一つ持っているのに?」

そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。

から、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。

私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。

馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。

事故で良かったと。

それなら誰も憎まないですむ。

大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、

検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。

仕方のないことだ。警察葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。

(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)

2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、

誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。

誰かのせいにすること、

誰かに責任を見つけること、

憎しみを将来に繰り延べることは、

自分迷路に追い込むだけだ。

死をポケットに入れて。

棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。

放蕩の限りを尽くした詩人は80歳を超えても生き長らえ、

20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。

途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、

火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。

どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。

恥ずかしくて、恐縮するぐらいの健康人間だったのに。

どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。

弟の婚約者は、ショックで髪の毛が抜けてしまった。

私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。

それが自分バランスを取るために、丁度良かったからだ。

今でも、ふと思う。

自分の中の死を。

自分の周りの死者を。

どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。

昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。

何かを失ったと思っている人へ。

何の慰めにも為らないかもしれないが、それは間違いだ。

失った分、同じ大きさの何かを得ている。

何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものあなたが受け取っていたからだ。

得たもの、それが憎しみならば、手放してしまえばいい。

あるいはその痛みは、あなたあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。

それならば、誰にも渡さずに、自分のものだけにしてしまおう。

それから数年して、私は妊娠した。

まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。

大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。

愛と呼べるような感情は、まだわからない。

だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、

わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。

死は、私の中にもセットされている。

その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。

どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。

釣合いなんて、とれていなくていいから、

たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。

まり陳腐さに自分で笑って、また少し、泣いた。

2011-07-25

潜在的ナチス支持者のはてな民のみなさま、こんにちは

どうもこんにちは。重度知的障害者兄貴です(7/27「まとめ」に一部追記。「自分の苦労を他人に押しつけるな」という「書いていないことを読み取る」コメントにくたびれたので。別に自分理不尽なほどの苦労をしたとは思ってない)。この記事とブクマみて血圧上がってます

出生前診断で異常発見中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm

いやあ、日本って民度いねえ。ヒットラーもびっくりですよ。

まずこれ読もうね。

T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4、英: T4 Euthanasia Program)は、ナチスドイツにおいて優生学思想に基づき1939年10月から1941年8月にかけて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき第2次世界大戦後に付けられた名称である一次資料には E-Aktion(エーアクツィオーン、E作戦), もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。この政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている(ニュルンベルク裁判検察側による見積もり)。(略)

この政策の目的は、ドイツ国民の「遺伝的な純粋性」を守るためのものであり、また身体障害者精神障害者組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは、普通病院と違う特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに 「Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」の結果として強制的不妊手術の対象となっていたが、この政策の対象にも含まれた。

T4作戦 - Wikipedia

読んだら次にいってみよう。君らが1930年代ドイツにいたとして、自分が「ナチス投票した4割」と「投票しなかった6割」のどちらだったか、よく自問自答しながら下を読んでくれ。

出生前診断中絶って違法なんですけど?

まず、こういうことが罷り通るってこと自体、日本法治国家としてダメダメってことなんだけどね。これを読もう。

第十四条  都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。

一  妊娠継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体健康を著しく害するおそれのあるもの

二  暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

2  前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。

母体保護法

子供に障害があるからって中絶できるなんて書いてないよね?母体危険がある場合か、貧乏で育てられないかレイプ被害の場合のみだよ。日本中絶は無原則に自由とか思ってるの、それ完全に間違い。つまりDQNカップルとかが避妊もしないでできちゃった子供中絶するのって違法ですからね。堕胎ですから一年以下の懲役ですから。覚えとけよ。

中絶する親は被害者なんかじゃない。法律的には間違いなく加害者

そして倫理的にもそうだよ。胎児はいえ命は命。まさにレイプとか母体危険とか経済的理由とか、そういう「緊急避難」的なものでなければ圧殺していいはずがない。違うか?良心の呵責ぐらい持てよというのはおかしなことか?こういう連中を「被害者」呼ばわりできるとか、どんだけ世の中なめてるの?

「健常者」の自分は一生「健常者」だと思ってるの?

で、ここまでは割とどうでもいい。イントロここからが本題

皆さん好き勝手に、「障害者を育てるなんて無理」とか色々言ってくれるけど、言われた方がどう思うかわかってるの?中絶する両親には同情しても、中絶される障害胎児には同情しないんだね。ふーん。

もっと馬鹿げてるのが、先天的に障害がなければ障害とは無縁だとか思ってること。あのね、人間はいつでも障害者になります事故とか病気とかね。統合失調症とか一番わかりやすいと思うけど。そうなったら「育てるの無理」とか「生きていけない」とか下らん御託言ってられなくなるよ。とにかく育てなきゃいけない、生きなきゃいけない。そこに現実があるからにはね。やってもみもせずに「できない」とか、何を甘っちょろいこと言ってるのかね?

うちの例でいうと、弟は生後僅かな間は「健常児」だったよ。ところが詳細は省くが医療ミス脳出血起こして、それでその後遺症知的能力のほか色々障害を負った。そんじょそこらの先天性の軽度障害者なんかよりよっぽど重いのをね。そういうことが起こりうるってわかってるのかな?出生前診断中絶で問題を「なかったこと」にできるとか思ってる君ら、本当におめでたいよね。それとも我が家みたいなのは弟を間引けるようにすればよいとでも思ってるのかな?すごいね、まさにT4作戦だよ。ハイルヒットラー!君も将来歳を取って認知症になったときアウシュヴィッツで「人道的」な「安楽死」を迎えることができると思うよ。

ちなみに、メガネコンタクト族の皆さん、君らの多くは近代以前だったら生存能力のない「視覚障害者」だからね。そこ覚えておくように。社会制度技術で少なからず「障害」は「障害」でなくすることができるんだよ。育てられないとか生きていけないとか、そういうことやって見てから言ってるのかね?

障害者は生まれながらに不幸だって

で、ブクマに書いてあるので多いのは「障害者は生きていても不幸だ」みたいな話。すごいね。まさに「生きるに値しない命」だよね。ハイルヒットラー

ヘレン・ケラーから乙武洋匡にいたるまで、いろんな人がそんなの迷信だ、とどれだけ説いてもわからない人はわからないんだね。確かに障害者は生きて行くに「不利」があるよ。でもそれは絶望的なものってわけじゃない。

それこそ上に書いたみたいな目の話をするならさ、メガネ族・コンタクト族は既にパイロット宇宙飛行士になる夢は絶たれている。矯正可能な近視・遠視・乱視だって立派な「身体障害」であることの証明だね。しかし、あなたそれで人生絶望する?しないよね。程度の差はあれ障害者人生って同じことだよ。そしてその「不利」の程度を弱めていくのは「健常者」のつとめだよ。あなた自身やあなたの親兄弟子供がいつ障害者になるかわかったもんじゃないんだから、それは保険と同じようなものだ。それを問題視するならT4作戦発動するしかいねハイルヒットラー

障害者を育てることなんてできないって?

あと、ブクマに目立ったのが「この日本の国で障害者を育てる事なんてできましぇ~ん」みたいなの。ふざけるな

謝れ。日本全国の障害者の親に謝れ。さっさと謝れ。

みんな育ててるんだよ。多かれ少なかれ苦労してな。別に同情なんていらん。だがな、その「苦労」の中身にはお前らみたいな連中の無理解と偏見が少なからぬ比率で混じってることぐらい覚えておけよ。

でな、「日本の国」の制度が悪いのは(7/27追記:本当にそこまで悪いとは思わないが、まあ完璧ではないので一応「悪い」として)誰のせいか知ってるか?お前らのせいなんだよ。曲がりなりにもこの国は民主主義国家だ。主権者は国民だ。この国の制度国民が作るんだよ。それをやってこなかったツケが回ってきてるんだよ。

ただし勿論、当事者でなければわからないことは色々ある。例えば世の中のエスカレーターは大抵は「上り」ばっかりだが、足の悪い人にとっては「下り」こそが重要だというのは自分がケガしたり身内に足腰弱った老人がいないことにはわからんだろう。逆に言えば、当事者が声を上げるというのは民主主義国家における国民権利であり、義務でさえある。そういうことを石頭のお役人やら政治家やらに硬軟とりまぜて教え込んでいくことで、障害者が生きやすい環境というのは少しずつ整備されていくんだよ。

何?この国は民主主義でもなんでもないって?そうだね、すべてはアカユダヤ陰謀なんだ。ハイルヒットラー

まとめ

長々書いたが、俺の言いたいことは要するにこういうことだ。

この辺のことをよく考えた上で、諸君がナチス的な思想をさっさと卒業してくれることを祈るばかりだ。

追記

はてなの連中は普段リベラルぶってるくせに障害者問題になると本当に差別的でカスだと思ってきたが、本当になんとカスの多い事よ。

なんでそこまで先天性の障害が特別だと思ってるんだ?お前の子供病気事故に遭わないとなんでわかる?「健常者」であっても犯罪者引きこもりニートにならないとなんでわかる?その覚悟なしに子供を生み育てようとか思ってるわけ?それ、ほとんど確率の問題だぞ。

大抵の障害児はそんなケースに比べりゃずっと楽だぞ。障害児なんて育てられないというんだったら、病気事故に遭った子供、あるいはDQNニートが親の子供も育てられないか育児放棄して殺してもいいって話になる。お前らが言ってるのは要するにそういうことだ。なんでその程度の想像力もないの?

要するにお前らの「育てられない」なんてのは「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って子供ダダをこねてるのと同レベルなんだよ。子供先天的な障害がなくたって四苦八苦。親になるってことはそれだけ大変なことなんだよ。その覚悟を持て。

以下、目立ったブコメに返信(7/27追記 以下、ブクマの傾向を見て適宜加筆・修正・削除する)

md2tak 障害というか知障ね。理性なき者は社会合意できないか社会倫理に委ねられる。「俺ができるんだからお前もできる」はマッチョ意見。少なくとも社会保障の議論を。コストの話になると経済的理由が適用できちゃう 2011/07/25

「知障」とか差別用語使いやがってカスが。だいたい読売の元記事は知的障害に限った話じゃないだろう。

ああ?何がマッチョだぁ?ふざけるな。うちの場合みたいに後天的に障害を負うことだってあるんだよ。そんなとき「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って言ったらどうなるんだ。育児放棄児童虐待殺人だ。違うか!違うなら言ってみろコラ。社会保障なんて曲がりなりにも日本にはあるわいボケ。調べもせんとなにを贅沢ぬかしとんじゃカス障害者の親が全員金持ちだとでも思ってるのか。障害児を養うと明日の飯に困るような貧窮なんてないわ。

sankaseki だからと言って、本人に「障害を持ち人生を歩む」と 親に「障害を持つ子供の親」という重責の強制はできないと思うがな。ややもすると「自分がやっているから他人もやれ」という押し付けに見える

じゃあ、うちみたいな後天的障害の場合はどうするの?「押しつけ」だとか能書き垂れて育児放棄とかできるわけ?だいたい「親」であること自体が超絶的な重責なんだよ。障害があるかないかなんてそれに比べたら微々たる差でしかないだろうが。つーかうちの親をはじめ障害者の親なんて別に「重責」に耐えた偉人なんかじゃないぞ。その辺のオッサンオバサンだよ。その辺のオッサンオバサンができることをやれというのが過重な重責なんかだとは思えない。

send (略)無理に育てようとして家庭一つ壊れるより中絶の方が良心的だと思う

自分子供を殺してまで守る家庭なんて守る価値なんかないわ。しかも「良心的」とかどこまでカスなんだお前は。それは「ポア」の思想だよ。

p__o__n 私は障害者になりたくないし、子供障害者として生まれて欲しくないし、可能な限り障害が治れば良いと思う。これを優性思想だと言われればそれはしょうがないです2011/07/25

いや、それはそういうもんでしょう。社会を生きて行くに不利があるからこそ「障害」なわけで。矯正可能な近視がもはや障害とは呼べないのと同様に、「障害」は克服できるもんだし、そうすべきなんだという話ですよ。

zedosho あるいは、間引きの考え方はナチスに限らず、人類の中で脈々と受け継がれてきたものだし。(略)

虐殺の考え方も人類の中で脈々と受け継がれてきたものだね。これはもっと受け継ぐべきだね。ハイルヒットラー

egpehcbd 西原の夫が「もし障害児だったら?沢山産めばいい、そうすれば弟妹が助けてくれる」と語ったというハナシがあったと思うが、あれはたいしたものだなと思った。

いえ、それは結構微妙です。障害児の兄弟にもそれぞれの人生があるわけで、親から「助けてくれる」ことを期待されると非常に辛いです。元々子供なんて親に全面的に「助けてもらう」存在なわけで、自分のことで精一杯なわけですから

私の場合は余りそういうことはなかったですが、それでも無意識のうちに「親に負担を掛けないように」と過剰に空気を読む癖がついたりで色々苦労がなかったわけでもありません。これに親の過剰期待が加わっていたらと思うとぞっとします。

とにかく、特定の子供に他の子供奉仕させるというような考え方はよくないです。これは障害の有無に限ったことではありませんが。

tikani_nemuru_M 個人レベル優生思想と共同体レベル優生思想は異なる。また、経済的理由による中絶が認められていることで、現実には「どんな理由で中絶してもいいよ」といっているのと同じ。 2011/07/25

そんなわけがない。例えばビル・ゲイツが「経済的理由」を持ち出せば当然しばき倒されるべきだろう。また、個人レベルであろうとそれが共同体内で容認されるなら同じこと。胎児どうこうでその意味がわからないのなら「寝たきり老人を介護なんてとても無理だから姥捨て山に放り込んでもよい」という法律ができたとしたらどうなるか考えてみればよい。それをナチス的と呼ばないとすればそいつの頭の構造こそがナチス的だろう。

fatpapa (略)障害児産まれて逃げる男親が多いのも現実2011/07/26

産む前からそんなに信頼できないことがわかっている男の子供なんて最初から産もうと思うなというだけの話だし、母親だけに責任を押しつけているわけでもないし。

tswi (略)生命倫理について何ら学問していた形跡が見えず、反射的に自分が正しいと思うことを書きなぐっているだけという印象。 2011/07/26

そんな「学問」様を語ってるつもりはないんでね。こちらは当事者としての率直な実感を述べている。それを蹂躙する「学問」様ならば、実験事実を無視する「科学」と同様無価値だろうよ。

mujin これは完全に同意イヌときは「病気になって育てられないならイヌを飼う資格はない」って言われて、なんで人間ときは「育てきれないなら仕方ない」「生まないほうが子どものため」になるのか。森岡正博を読め。 2011/07/2

愕然としました。確かに、犬や猫の話なら普通にわかってもらえますね。要するにみんなそこまで子供が嫌いなんですね…。

annoncita うちは中間所得層のちょっと下だと思うけど、日本では結構やっていけるものですよ?重度障害児がいても。(略)

くその通りですね。日本で「障害児を抱えてやっていけない」なんてのは大嘘。

junmk2 この問題については障害者側の人よりも、本当の本当のそもそも論を考える側の人の方が、社会的に不利で意見を表明できない。(略)

じゃあその「そもそも論」というやつを述べてみろよ。この件で「障害者差別するな」以上に「そもそも」なことがあるものか。あるわけがない。

FAEB 少ないコストで避けられるリスクを避けるのがそんなに批判されることか?

まり、生きるためにコストを払うのではなく、コストを払えなければ死ねということですね。ハイルヒットラー

border-dweller (略)”普通の人”ができることをできない人もいる訳だし(略)

自分が親として「普通の人」以下だと思うなら子供を持たなきゃいいんです。でなきゃ「普通の人」並に慣れるように努力しなさい。障害云々と関係なく当たり前でしょそんなの。

yoko-hirom 増田自分の記事をご両親に読んでもらって意見を聞いてみては?/増田幸せそうに見えないし,出産前に挫ける人がいても仕方ない/健康面の問題で心中自殺を選ぶ人もいる。増田はそれらの人を非難するか? 2011/07/26

それ以前に出生前診断の話なんてガキの頃から家庭内で頻出の話で、「論外」という共通認識。そんな話ができないような家庭環境どころか、親の方が俺を教育しようと熱心だったよ。それから俺は十分すぎるほど幸せだ。まあ、こんな断片的な文章から俺の人生の幸不幸を推し量れると思い上がったあんたが俺の増田記事(障害ネタはこの一件だけ)にことごとくアホなコメントしてくれるのは全然想定外でも何でもないが。そして自殺自分が死ぬだけだが他人を巻き込む心中は非難されて当然。

Crone 増田の怒りも分かる。でもただでさえ不安定な中、自分のせいかもと苦悩する妊婦さんへの共感なしには届かない。(略)

自分のせい」とかいまどき思う人がいるとしたら勉強が足りないの一言でしょう。

orihakat-71 (略)障害児を回避しようとする親心への洞察力が無さすぎで途方に暮れる。。

「障害児を回避」というそ目的が「生存圏の確保」並に間違っているという洞察が君こそ足りてないよ。

2010-08-02

誰が誰をホロコースト

はじめに

途中で腹の立った人、題名で既に私の言いたいことがわかった勘のいい方、時間のない方は「本文」を飛ばして「おわりに」を読んで頂きたい。

本文

あなたは、

あなたの旦那さんは、

あなたの息子さんは、

戦争に負けて、巨額の賠償を強いられて、ハイパーインフレの国に生まれたら、家族を養えますか?

父親が貴族やユンカーでもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても、恐慌と重税下で家族を養える20代の男性なんてほぼ皆無です。外国を侵略したとか言われてるけど、外国を侵略せずに必死で働いてたら、食べていけたと思います?

多くの若者を死なせた国が終戦したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。

支援するのは誰?

・旧敵国(賠償免除、借款)

米国

中立国国際機関

でしょうか。現実的には、戦火を交えた旧敵国(旧敵国も戦争で荒廃してるでしょうし)が自分の生活物資に加え“7000万の敗戦国民の生活物資”を維持し続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。

つまり、1910年代世界大戦を起こした国が敗戦した場合

(1)本人が貴族やユンカーで高額収入がある

(2)旧敵国に相当の稼ぎがあり、敗戦国民7000万名の生活物資を何年にもわたって供給し続けられる

(3)中立国が助ける

で、ないかぎりは、

(4)東方拡大により生存圏を確保する

しか、敗戦国に生きる道はありません。

だったら、ヴェルサイユ講和条約を受け付ける時に、

・父親が貴族やユンカーではなく、

政府が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、

・旧敵国に、生活物資を支援する財力と予定があると確認できなければ、

「では、このままオーストリアとズデーテンラントに行って、手続きしていってくださいね」と、講和条約を調印する係の人が、講和条約と引き替えに合邦協定草案を渡しながら言う必要があるんじゃないの?

違うのかな・・

「育てられないのに降伏するなんて無責任」という人は、1910年代帝国主義をしちゃダメだと言ってるの?

敗戦する可能性”は誰にでもあるでしょ。“敗戦しても自活できる経済力を付けてから戦争しろ”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何世紀くらいのこと?22世紀くらい??何世紀まで働いたら“賠償しても国民7000万人養える経済力”なんてつくの?

民族自決ってのは、同じ民族は一つの国家に住みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために国際連盟まで設立したりしてんじゃないの?

★★★

記録のための事件概要

1914年6月サラエヴォで、兄弟国の皇太子暗殺される

1914年7月兄弟国は戦争を決意。当事国に最後通牒(後に期限切れで宣戦布告)。

・当事国の同盟国も戦争に備えて総動員を始める。

1914年8月国家防衛のため総動員を開始、自動的に戦争突入

1918年11月 革命と共に終戦。隣国は皇帝を引き取り、共和国としての歴史が始まる。

1921年3月 ロンドン会議が開催され、賠償額が決定。総額1320億マルク。

7月頃から国内争乱開始か。大統領緊急令を連発するなどし法によらない解決を繰り返す。

国内に賠償踏み倒しの声が聞こえ、隣国による保障占領が相次ぐ。イギリス調停を試みるが、国会が運営できず。

1930年ヒンデンブルク(当時大統領)が議会依存しない内閣の結成を命じる。

1933年1月軍部による反大統領クーデターの噂(未確認)

大統領国防軍には屈服せず、ヒトラー首相に指名する。

ポーランド西部のアウシュヴィッツでは、虐殺されたユダヤ人無数が遺体発見される。

1945年4月30日 ベルリンが陥落したところを、ヒトラー自殺

今日時点で報道されている範囲でのまとめです。)

★★★

ホロコースト”の意味は、虐殺とか、抹殺という意味だと思うのだけど、

この事件では、誰が何をホロコーストしたの?

A) ナチスユダヤ人ホロコースト

B) 国民民主主義ホロコースト

C) 旧敵国が敗戦国再建をホロコースト

★★★

この総統が苦学生だった20世紀初頭、ヴィーンでの親友だった音楽家の証言より再構成

彼が総統となってヴィーンに来たときですか?私を接見してくれましたよ。

監視?もちろんなしです。本当ですよ。

それではどうしてあなたはあのいまわしいヒトラーを殺さなかったのですか、ですって?

どうしてって…。彼は私の親友だったからです。

民族自決もいいけど、既に分裂している国家も、もうちょっと合併したらどうかな、旧敵国。

600万人のユダヤ人ご冥福をお祈りします

おわりに

言うまでもないが、改変元→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

冗談抜きで、ふざけるなと言いたい。「盗人にも三分の理」というが、同情する余地のない人間などどこにもいないのだ。しかしだからといって、追いつめられれば何をやってもいいかのごとく触れ歩くのは単なるデマゴーグに留まらない、犯罪的な言説だ。そもそもこの手の言説は、子供虐待することなく立派に育て上げている圧倒的大多数のシングルマザーに対する侮辱であることに気がつかないのか。恥を知れ恥を。

まして、「なんでも環境のせいにするな、全ては自己責任」という俗流過激ネオリベ思想を推進しているこのデマゴーグブロガーが、こういうときだけ全て環境のせいにするなど、ふざけるにも程がある。

そして、「ジェンダー」という錦の御旗を振りかざされれば目が眩んでことの本質が見えなくなる馬鹿はてな民よ、恥を知れ。

人を殺すぐらいなら、もっとまともな手はいくらでもあったはずなのだ。いくら追い込まれての行動とはいえ、同情の余地にも限度があるに決まっていよう。同情の余地があれば全てが免責されるわけでもなければ、悲惨な境遇に追い込まれれば誰もが罪を犯すわけでもない。

勿論、仮にヒトラーが生まれた時期があと50年遅ければ、誰一人を殺めることもなく平穏に生を終えることができたのかもしれない。逆に、私が当時のドイツに生まれていたらヒトラーと同じことをやったかはともかく、その下手人にぐらいはなっていた可能性だってあることは重々承知している。それぐらいの「想像力」は当然ある。しかしそんなことがヒトラーを免罪することになどならないのは言うまでもない。もしそれを赦すことができる者がいるとすれば、神仏のような超越的な存在でしかあり得ないだろう。いずれにせよ、現実社会ではヒトラーは赦されることは未来永劫あり得ない。それが世の道理というものだ。

この事件、いったいそれと何が違うのだ。「ネグレクトしない自信はない」そんなことはあたりまえだ。母子家庭であろうとなかろうと、ネグレクトをしてしまう可能性はある。人間とはそういうものだ。しかし、その責任を自ら引き受けることなく子育てなんてそもそもできるわけがない。育児に限らず、一寸先は闇の現実世界というのはすべてそういうものだ。誰も、他人が過ちを犯す可能性を零にしてやることはできないのだ。なんとか自分を律するように最善を尽くすしかない、それが本当の意味の「自己責任」ではないのか。

2009-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20090412155022

しばらくお返事も無いことだし、いつまでもここに居座るのもアレなんで、勝手に総括して終了にしたい。この後、なんかレスはあるかもシランが(あー、トラバちゅうのかな?レスじゃなくて)もう俺は見ないよ。まぁ、議論じゃなくていわゆるお話だから勝ったの負けたのもナシ、でお願いしたい。

元増田の人は

>修正主義批判の人達の発言の方がレッテル貼り、かたよった見方の思い込みにしか見えないんだけど。

て書いてらっしゃいましたが、今回のお話でご本人もそういう見識でいらっしゃる事が解る、と思う。「正史派」てレッテルを貼って、こういう説を信じてるはずだ!てお話を進めてくるんだね。「正史派」なんて人はいません。強いて言えば歴史学者さんがそれにあたるかな?俺は「歴史学に信を置く人」にしか過ぎん。

純粋疑惑を持つ人を抑圧する人達を許していいのか!」てのがおためごかしにしか過ぎん、てとこでしょう。俺がちょっと気に障るのはこのへん。まぁ、でもお行儀は良い方の人だった。同一人物が書いてた、と素直に信じてはおらんですが。2chでは良くあることだし。でも、否定論を信じることに文句は無いよ。それは自由だからがんばって。

もう一つ、否定論というのは今回見られたように「史料」とその背景となった被害者関係を、ぶつ切りにして解釈したりする。今回もそうだった。診療記録だけ見て、その人の人生を振り返らない。アウシュヴィッツから救出された子供たちの写真を見て、「死の収容所子供がいる」としか思わない。どうやったら元気な盛りのはずの子供たちが、あんな死んだ魚のような目になるのか、まで思い至らない。こういう思考が俺たちをアウシュヴィッツに送り込む。卑劣だな、と思う。

トラバの中に「死者の冒涜は考えなくていいんじゃないかなぁ」てのがあったけど、とんでもねぇな、と思う。俺はどっちかっちゅうと、あんまり被害者感情考慮に入れたりはしないほうだが、(考える人はこんな議論はしない)確実に被害者がいる事件でそれは無いだろと思うぐらいの事はできる。そこに思い至りながら、史実を求めていかなきゃならんのが歴史学じゃないのかな。

俺は否定論者を纏めてレッテルを貼って叩くことを良し、とは思わない。思わないが、そうせざるを得ない状況、てのもあるんじゃないのか、とも思う。はっきりいってキリが無いんだな、この話は。たぶん、このまま4年でも5年でも続けられると思う。ちゅうか、それが目的みたいなところもあるわけで。そんな事に時間を割ける人もそうはいないでしょ。だったらレッテル貼ってさっさと片付けたほうが早い、と判断するのを責められんとも思う。

まぁ、そんなところで。ではまたどこかでね。

2009-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20090411171244

ソ連前科があるからね。カチンの森事件とか。あれも捏造でした。

あなたが疑惑持った理由を聞いているわけではないんだが。

>しかも、ご丁寧にゲッベルスの「ドイツがやった」という捏造日記付きで。

現在歴史学ではゲッベルス日記の真贋についての論争なんかないよ。あれは「ドイツがやった」んではなくて「カチンの森事件を追及するとこっちの腹まで探られかねん」てな話が書いてある、てことだ。「ドイツ語原文を確認しないと納得できない」て人もいたが、「じゃあ確認ヨロ」て言われてそれっきりだ。まぁ、ドイツ近代史研究家語学で挑戦するのも良いワナ。ちなみに全体を捏造するにはページ数が多すぎるし、差し替えするなら、その前後をすべて入れ替えなければできない。まぁ、その他にもユダヤ人絶滅に言及した部分もあったりするから、差し替え説は意味無いだろうなぁ。やるなら全面捏造しかない。ゲッベルス日常生活も含めて全てを史実に合わせながら捏造する必要がある。

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20060112Gerlach41-12-12Hitlersbefehl.htm

あといろいろ、でっち上げだ、ちゅうならでっちあげの証明をお願いしますよ、ね。でっち上げなり、捏造の公式文書でもあるんでしょ?手紙日記メモなんかは信じないんでしょ?それから、誰もガス室の話なんかしてないよ?「後だしじゃんけん」とか言われたけど、あなたが先走りしすぎなんじゃないのかなぁ。

リンク先ちゃんと読んだ?

なんの話をしているんだい?「ユダヤ人問題の最終解決」の話じゃなかったかい?で、俺は「絶滅」てどこかに書いてたかい?(今回は除く)

アウシュビッツを訪れたロセル博士キャンプ外部で収容者と接触できたこと、ガス室の噂はあるけど収容者は何も言わなかった事、指揮官の家が噂のあるガス室と非常に近いのに何の言及もないことが事実とされてますね。

そのロセル博士ちゅうのは、テレジンを視察にいったDr Maurice Rosselと違うんかいな。俺があげた資料でその時の詳細が語られてたはずだがね。

>この記述。明らかに連合国側のインフラ破壊を非難していますね。これらのレポートがツンデル裁判で嘘であるとされた、という正史派の主張とは真逆ですね

だからね、それがホントなら44年以降の話でないとイカンのよ。連合軍は全面爆撃なんてできなかったんだから。44年だとしても、ハンガリーユダヤ人アウシュヴィッツへ移送されてる。人間が運べても小包は運べない、てんなら話は別だが。んで、それが正しいと仮定してなんで敗訴してるの?今度はカナダ法廷捏造かい?それにしちゃあ、控訴理由を変えたらあっさり勝訴しちゃうんだよなぁ。世の中解らないことだらけだよ。それと、赤十字の件、立証にこの裁判を使おうとしたのはあなただよ。信用できないなら、なぜ立証に使おうとした?

2009-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20090406165853

そりゃおめぇ、「子供人体実験」ちゃあメンゲレだからよ。wwwおっと、言葉が乱れたね。

まぁ、これら事件についてはIMT裁判もされてるよ。http://www.ushmm.org/research/doctors/index.html

メンゲレも含む医療犯罪記録はここ。

http://www.jlaw.com/Articles/NaziMedEx.html

日本語で「ニュルンベルクコード」について解説。

http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/vuniv99/exp-lec3.html

実は俺もよくわからん。wどうも人体実験に関する基準が、これを機会にできたようだね。

>対して医療記録は残っています。

で、その記録に残っている人物はどんな生活をしていたかな?

>低コストで灰になるまで殺処分できるんなら殺した方が安上がりじゃないですか。

へー、低コストで殺処分できるんだ。いや、知ってて書いてるわけだよ、ここは。w

>あるいは、収容所ソ連の手に落ちるとしても「死んでしまってもかまわない」ユダヤ人なら、放置してソ連に殺されようと知ったこっちゃ無い、SSだけ逃げればいい

なんでソ連軍に殺されるの?収容所の実態が知れてもいいの?一応、国家機密だったと思うが。

>44年に大規模な移送がありますが、同時期にガス殺の証言があるんですよね。

大規模な移送ってなに?ハンガリーユダヤ人アウシュヴィッツへの移送の事?そりゃ、アウシュヴィッツクライマックスだからなぁ。

http://www.annesrosechurch.com/yudayahangari.htm

>そういう派閥があるというのは対立しているという事にはなりませんか。

派閥じゃないんだがなぁ。それに真贋で議論があるわけじゃあ無いよ。「ホロコースト」が「ホロコースト」となったターニングポイントはどこだ、ちゅう話だね。ちなみにターニングポイントについて結論が出ているワケではない。今のところ主流となっている説があるてだけの話。個人的なことだけど、「歴史修正」の可能性があるなら、ここらへんがポイントだと思ってる。でも誰も突っ込まない。w

>文書の偽造の有無とかでなく明確にヴァンゼー会議についての事を語ってるとしか考えられませんが。

ええ、俺もそう思いますがね。じゃあ真贋に関する論争は今現在は無い、てことで。

>違いますね。別の本です。

http://revisionist.jp/pressac/pressac_02.htm

ここの冒頭参照。プレサックの代表的研究は基本的に2つ。「The Machinery of Mass Murder at Auschwitz」だけでなく、このシリーズ建築家ペルトとの共著。日本語訳はこれ。

http://revisionist.jp/pressac/pressac_01.htm

そう理解しているんだけど、違う?

それと国際赤十字の件ね、キャッシュですまんね。URLコピペして読んでくれ。

http://72.14.235.132/search?q=cache:zukdWsAylsAJ:www.law.hiroshima-u.ac.jp/profhome/nishitan/doc/01998-redcross2.htm+BBC+%E8%B5%A4%E5%8D%81%E5%AD%97%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%85%89%E3%81%A8%E5%BD%B1&hl=ja&gl=jp&strip=1

ツンデル裁判にしても、1.2審で敗訴してるんだから、ツンデルの配布したパンフレットが虚偽である、て判決がでたんでしょ?違う?

2009-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20090401230953

丁寧な説明で痛み入るけど、ますます解らない。

普通ユダヤ人であろうと診療は受けられてたのは自明の理なのに、

いつの間に「自明の理」になったんだろう?そのあたりの正否の話をしてたんじゃ?

提示された「入院記録」の背景にこういった話がある以上、同じような「入院記録」が幾つあっても同じてな話はしたよね?Solomon Radaskyの入院記録は彼の証言を裏付ける資料になってるよ。

>対して悪名高き人体実験は?手紙だけ?

報告の手紙があれば資料としては充分だと思うがね。証言を裏付ける資料になってる。

>全く労働力のない子供収容所にいたこと、この質問もまだちゃんと答えられていませんね?

これも意味が解らない。俺は「子供はいない」て書いてないでしょ?トラバ読み直しちゃったよ。「子供もいるでしょ」みたいな事は書いてるが。出産の話でしょ?違う?

>一度読んでみるといいですよ。

そこには裁判結果は書かれてないようだが。自分で調べたよ。

http://www.nizkor.org/hweb/people/z/zundel-ernst/supreme-court/1992-on-appeal.html

俺は少し認識に間違いがあったようだ。1・2審で敗訴、控訴審言論の自由ではなく「表現の自由」を憲法違反ではなく「カナダ国連憲章違反である」との判決で勝ち取っているね。

>「絶滅収容所なら他へ移送するのはおかしい」とも答えたはずですが、それはどうなんですか?

これはね、ソ連軍アウシュヴィッツに迫ってきた際に行われた移送でしょ?アンネがベルゲン・ベルゼンに送られたのもそうだよ?Solomon Radaskyもダッハウに送られてるね。

>私の提示したリンク先全然読んでないんですね。

いや、読んだよ?そこでの論調は「この文書が偽造されたものであることを証明しているわけではありません。」に尽きると思うが?俺の認識では、今ではヴァンセー会議メモの真贋に関する論争なんか無いよ。

>そしてこれらが偽造だったとしても、内容はユダヤ絶滅を示していないという、正史派の意見

これがまた解らない。俺は「ユダヤ人絶滅」が書かれている、とは書いてないんだよ。書かれているのは「労働とそれによる人口減少」だがね。なお、イェッケルにせよバウアーにせよ、ヒトラー意図を最大限に考える学者意図派というよ)はヴァンセー会議メモを重視はしないよ。官僚によって政策方針が決定された事になるんでね。

あと、プレサックの件なんだが、多分「The Machinery of Mass Murder at Auschwitz」だと思うんだが、そういう記述が確認できない。

http://revisionist.jp/pressac/pressac_01.htm

「ヴァンセー」でも検索できないんだが、どうなってるの?それどころか

>ゆっくりとではあるが、経済管理局のメンバーは、「ユダヤ人問題の最終解決」を新しい焼却棟の処理能力と結びつけ始めた。

との記述があるんだが。どういうこと?

ちなみに「Technique and Operation of the Gas Chambers」の45pにもそういう記述はない。

http://www.mazal.org/Pressac/Pressac0045.htm

2009-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20090329232233

はてな記法てのがあるんだね。気づかなかったや。2chよりは便利だね、ここ。とか思ったらダメじゃんか。wはてなつかえねー!

>私は赤ちゃん病人が殺されてた、ガス殺があったとは書いていませんが。

あなたが書いていなくても、あなたが根拠として出した資料の周辺資料がそう語ってるんだよ。意味が解らんのかな?俺もガス殺については取り上げてないけど?

>違う人物が同じ状況を発言したらそれが真実となるのですか?

信憑性は高まるね。もちろん、「ガス室を見た事が無いという証言」は尊重されるでしょう。例えそれがガス室が無い収容所でなされたものであってもね。てかラッシニエの事いいたいんだろ?はっきり書けよ。w

>運がなければ収容者は病院に入れなくて、殺されるか人体実験の悲惨な状況だったって話になりますが

何か微妙に違うなぁ。俺はね、病院に入れなかったなんて書いてません。レイヴィーも、オットーも、あなたの上げた資料のSolomon Radaskyも入院してるよ。(ただ、彼は知り合いの好意で病院に隠れ、巡回前に脱走を進められたが、幸いにも発覚せず助かった)人体実験については、クラウベルグなんかの資料を上げたはず。本人の書いた手紙が残ってる。また、あなたの上げた資料の背景にそれを否定する証言がある。収容者は14f13に従い、回復が望めるものは放置され、そうでない者は殺された。「第二の選別」が行われた場所のひとつだ。

>これはアウシュビッツが「絶滅収容所」であったとしたらおかしい事です。

アウシュヴィッツ強制収容所の最終形態だ、と俺は考えている。もちろん、異論は受け付けるが。w

ヴァンセー会議で決定された「労働ののちの死」が実行された。労働力の提供と死が同居した場所だ。

それと、焼却炉がな、チフス患者用だとしたら、クレマ1一基で事足りるぞ?そしてクレマ1はその他のクレマが稼動した時点で使用を止められた。これは新しく処理能力の高い焼却炉が必要とされた事を示しているよ。

>あなたは証言者のいうことが全てなのですか?本物の歴史資料ですよ。

あのな、ちゃんと読め。その資料を担ぎ出した当初、否定論者達がそう言ってたんだよ。自分らの信憑性を高める意図でな。そして、実際に販売もされてるその名簿は収容者のみしか記録されていない資料だ。つまり、ナンバリングされなかった人々は記録されていない。アウシュヴィッツに送られた人数は鉄道運行表から推計されたものがある。ただし、あくまで推計だ。

証言については、俺は資料の一部として扱う。もちろん、歴史学で資料とされている物を中心にね。

子供がいないって言ったら今度は老人を持ち出してくるのですか。

だれか子供がいないって書いたか?出産の件は助産婦の証言の話だろ、と言ってる。

赤十字は物資不足を連合国側のインフラ破壊によるものと非難しています。

国際赤十字は公式に否定してるがね。

http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08b03g.html#08521ドイツ赤十字ナチス党員だぜ?

そこにも書かれているが、空爆後もユダヤ人の移送自体は続いているぞ?

解放された人もいます。

それはある意味、正しいが、アウシュヴィッツから釈放された収容者の数は42年、44年、45年で

あわせて1549人。ちなみに40年、41年、43年のデータは残っていない。だがこれはユダヤ人の釈放とはほとんど関係ない。

この釈放数は、当時社会問題化していたニート青年収容所という厳しい環境で叩きなおすという6週間の教育プログラムの終了者、そして悪名高いディルレワンガー師団に参加したドイツ人刑事犯などからなっている。

その他ならローゼン通りの妻たちのデモ映画化されているほど有名な話だな。それによってアウシュヴィッツから釈放されたのは25名だ。 社会的パフォーマンス以外に解釈は難しかろう。

>1平方メートルあたり12人をガス室に押し込んだ等

収容所名前間違いは有名な話だが、全体に影響するほどの話じゃない。ついでに書いとくと、被害者数も「よく覚えていない」と書いてる。正直だと思うがね。ガス室についてホェスてそんな事書いてたか?

>あなたの考える「ユダヤ人問題の最終解決」とは何ですか。私(修正主義者)はヨーロッパからの移送と考えます。

ヴァンセー会議で決定された方針どうりでしょ。それを話し合った会議なんだから。移送ってどこによ。マダガスカル

2009-03-28

あー、なんかチガウよなー。ダルいなー。w

http://anond.hatelabo.jp/20090327200606

あんな、「矛盾だらけです」てね、俺が書いた「矛盾だらけの収容所像」はね、あなたの上げた資料とその周辺の資料と、あなたの信じてるサイトに書いてある事から、組み上げた収容所像ですよ?まぁ、子供の絵と焼却炉は俺の資料だけんども。あれか?ここは笑うところか?

あのね、あなたの上げた人の証言は診療記録等が裏づけ資料となって信頼性が上がるワケなんだけど、解っとるかい?オレも最初のトラバで「プリーモ・レイヴィーの本に実情が書いてあるよ」て書いたよね?イタリア人とポーランド人の証言がなんで同じような収容所病院の実情を示しているのか、てことだよ。あと、こういった証言がある以上、何人分の診療記録があろうが、病院の実情を否定する材料には為らん。オットーフランクをだそうが、それは彼の運と体力の問題でしかない。それに治療を受て回復した人が多いというなら、何故巨大な焼却炉をアウシュヴィッツは必要としたのか。何故、収容人数が10万人程度のアウシュヴィッツパンクもせず大量のユダヤ人を受け入れ続けられたのか。治療甲斐なく人々は死んでいった、というなら何故解放しなかったのか。ユダヤ人は運べて医療物資は何故運べなかったのか。証明する必要がある。

それからね、死亡記録の件はご本人達がそう書いてあったんだよ。「ゴルビーから秘密で見せてもらった」てな。実際は遺族向けに販売もされとるよ。そんでな、その死亡記録は収容された人のみしか記録されていない。収容前に処理された人達記録されとらん。「選別がなかった」というなら何故、アウシュヴィッツには老人がいないのか、鉄道会社の運行記録が残っているそうだが(ヒルバーグの被害者推計の根拠)、送り込まれた人数の15%ほどしか記録されていないのは何故か、残りはどこに消えたのか。「別の場所に再移送された」というならそれはどこか。証明する必要がある。もちろん、あなたがそれを証明するのではなく、否定論者が証明するんだけどね。大体、物資が不足して死者が大量にでるような環境を、普通とは考えにくいんだがね。あなた寄りに解釈しても、証言者が語るような悲惨な状況に繋がるんでないの?

出産記録はね、俺もブラウザ検索くらいやるわいな。w それでもよう見つけられんから訊いとるのよ。

それからね、野焼きちゅうか屋外焼却も行われてます。ホェスの告白書(出版されたほうね)では廃油やら染み出した脂やらと材木を燃料に燃やした、と書いてるね。アウシュヴィッツの地下からはその灰と見られるスラグが見つかってる。

言葉遊びじゃないけれど、「ユダヤ人絶滅計画」でググるのと「ユダヤ人絶滅政策」でググるのと、結果を見比べるとおもしろい。ちなみに海外では「ユダヤ人問題の最終解決」だね。今現在の学説で「ユダヤ人絶滅計画」なるものがあった、てのも無いんだがね。さぁ、「ヒトラーの命令書」なんざ無くても学問は進んでるちゅう事の証左にはなっただろ。

何に腹を立ててるか、ちゅう事には興味無いんだろ?じゃあ訊くな。感情論くらいなモンだよ。俺の矜持ちゅうかね。

2009-03-27

おお、資料あったか。

http://anond.hatelabo.jp/20090326222016

あー、診療記録あったんだねー、てその方随分な目に合ってらっしゃいますが。

http://www.holocaustsurvivors.org/cgi-bin/data.show.pl?di=record&da=survivors&ke=7

隠れてたんじゃねーのこいつ。マイダネクからの知り合いの好意で。なんなのこの病院(つーかバラックてかいてありますが)。ドイツ人医師が巡回してきたらヤバイ、て書いてありますがなんなのこれ。おまけにすでに何人か殺されてるみたいですけど、なにこの病院。貴重な生き残りの証言と裏付け資料をありがとう。けっこう腹たってるけど、まぁいいや。

んー、提示されたサイト出産記録、て語句が見つからないんですが、どこらへんに有るんかの。あのね、前に2chでこの話題になった時にStanislawa Leszczynskaて方の証言が大元のお話だ、てことになったんですが違うかの。

http://www.seattlecatholic.com/article_20050104.html

これによると出産場所はバラックで、しかも生まれてすぐに樽に漬けられて殺された、てなっとるが違うかの。その写真赤ちゃんは、収容所職員の赤ちゃんではないんかの。うん、ちょっと腹立ててるけど。まぁいいや。

なんか色々エスパーしてる(論点先取りのことね)けど、なんかあなたの方が妙なベクトルが掛かってるように見えるんだがね。トラバに答えて「両論比較した」とか書いてたけど、比較した結果がコレなんかの。それとな、なんでこの記事で確実にあります、て言い切れるの。コレも比較したかい?>http://www.annesrosechurch.com/1995terezin.htm なんつかね、まぁいいや。

つまり、アウシュヴィッツてところは、病院施設が整ってて、収容者は病院に隠れ、見つかったら殺されて、倒れるまで労働して、ちゃんとした産婦人科病院があって、バラックで3000人の赤ちゃんが生まれて、すぐに樽の水に漬けられて殺されて、死の恐怖の怯えながら絵を描いた子供たちは、喜んで合唱団を作って歌って、一日平均91人もの人が(ある日は970人の人が)、優れた医師がいながら整った施設で死んでいく場所なワケかね。どんなとこなの、それ。なんか、俺の矛盾とか書いてるけど、あなたの思うアウシュヴィッツてコレ?

その死亡記録にせよ「ゴルバチョフ秘密で見せてもらった」てなに?これが信頼性高くて、歴史学記述が信頼性低い、てどういうことよ。

焼却炉が廃油で動いてた、なんてどこの学説ですかね。俺が提示した資料にキチンコークス、て書いてあるはずだがね。それに、グーゼンのタイムシートを見たね?焼却数の多少と燃料の消費は関係ありません。この焼却炉は連続式の焼却炉で、2体目以降は遺体の焼けた熱を利用して焼却するので、燃料消費を抑えられるんだよ。イェーリング技師の報告書にも、そう書いてあるだろ?

さっき書いたのに付け加えよう。天国みたいな収容所だけど、一日に5000体近く(カムレルのメモ基準)処理できる遺体焼却炉が必要だった、と。

なんかねー、俺はね、今はてなでちょっと問題になってる「否定論者を寄って多かって叩くのは魔女裁判と同じ」て話に興味もって、そんなエントリー書いてたあなたにトラバしたワケ。そのあなたは結局は、はてな村民と同じメンタリティーなワケだ。なんか色々、どうでもよくなってきた。

被害者総数について本を見ろ、つーのはめんどくさいから。長くなるけどヒルバーグの例だけ上げたる。

1 DEATHS BY CAUSE

Ghettoization and general privation: over 800,000

Ghettos in German-occupied Eastern Eu-rope: over 600,000

Theresienstadt and privation outside of ghet-tos: 100,000

Transnistria colonies (Romanian and Soviet Jews): 100,000

Open-air shootings: over 1,300,000

Einsatzgruppen, Higher SS and Police Leaders, Romanian and German armies in mobile operations; shootings in Galicia during deportations; killings of prisoners of war and shootings in Serbia and elsewhereCamps: up to 3,000,000

GermanDeath camps up to 2,700,000

Auschwitz 1 ,000,000

Treblinka up to 750,000

Belzec 550,000

Sobibor up to 200,000

Kulmhof 150,000

Lublin 50,000

Camps with tolls in the low tens of thousands or below: 150,000

Concentration camps (Bergen-Belsen, Buchenwald Mauthausen, Dachau, Stutthof, and others)

Camps with killing operations (Poniatowa, Trawniki, Semlin)

Labor camps and transit camps: 150,000

RomanianGolta complex and Bessarabian transit camps: 100,000

Croatian and other: under 50,000Total: 5,100,000

Note: Ghettos in German-occupied Eastern Europe, open-air shootings, Auschwitz figures are rounded to the nearest hundred thousand, other categories nearest fifty thousand.

2 DEATHS BY COUNTRY

Poland up to 3,000,000

USSR over 700,000

Romania 270,000

Czechoslovakia 260,000

Hungary over 180,000

Lithuania up to 130,000

Germany over 120,000

Netherlands over 100,000

France 75,000

Latvia 70,000

Yugoslavia 60,000

Greece 60,000Austria over 50,000

Belgium 24,000 Italy (including Rhodes) 9,000

Estonia 2,000

Norway under 1,000

Luxembourg under 1,000

Danzig under 1,000

Total 5,100,000

Note: Borders refer to 1937. Converts to Christianity are included, and refugees are counted with the countries from which they were deported.

3. DEATHS BY YEAR

1933-1940under 100,000

1941 1,100,000

1942 2,700,000

1943 500,000

1944 600,000

1945 100,000

Total 5,100,000

Note: Rounded to the nearest 100,000.

あああああ、めんどくせぇ~。大概みんなもメンドクサイんだと思うよ。

2009-03-26

ああ、ほな会ってるね俺ら。w

http://anond.hatelabo.jp/20090326170144

そうか、2ch(もうええよな、書いても)も行ってたか。否定論否定のスレに行ったなら、多分俺とも話してるはず。おひさしぶりー。wちうかね、「黙ってるしかない」「人前で言えない」つーてたのはウソか。この嘘吐きがっ!人前で書いとるやんけよー。おう。ww

間違ってるのもあるけど、「歪んでる」て書いたのよ?正確に理解できてない、てとこでしょうかね。ホロコーストの全体像が掴めてないのに、細かい点のみ詳しい事とか、病院だのなんだの知ってるのにタイムラインに詳しくない、とか。歪んでるでしょ?

間違いについていうなら、子供出産記録なんか無いはずです。提示できるね?3000人の赤ちゃん記録とかいう話でしょ?違う?

絵についても、それテレジェンで描いた絵のお話でないの?アウシュヴィッツ医者治療記録も見たことないなぁ。提示できるね?産婦人科医のクラウベルグちゅう人はアウシュヴィッツ不妊処置の研究はしてはったけどね。これはヒムラー宛の手紙が残ってます。シューマンちゅう人もX線照射で不妊処置する方法を開発してはったんよ。これも報告書がありますな。>http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Holocaust/aumed.html

死亡報告書ちゅうのはアレですか、ゴルバチョフ秘密でもらった資料ちゅうヤツですか。違うかったらなんですが、あれみても一日に970人も死んでる日があるんですが。天国みたいな所ですな、アウシュヴィッツて。

焼却炉についてはまだ記憶に新しいですな。ざっと書けば、焼却炉の燃料はコークスちゅうて、石炭を蒸留処理したもんです。製造元のトプフ社の資料によれば「30~45分で人間1体を焼却できる」ちゅう焼却炉です。グーゼンていう収容所にあったその焼却炉のタイムシートによれば、実際には最高で25分で1体焼却してます。それと、焼却炉の実働期間、台数を考えて100万体近く処理できます。燃料消費量はあんまり参考にならんです。グーゼンの資料でも、バラバラで焼却数少ないのに大量の燃料がつぎ込まれたり、多いのに燃料は少なかったりしてます。大体、トプフ社の資料でも連続焼却によって燃料消費量は下がる、とか書いてあるし。グーゼンのタイムシートとかの資料、見てみますか?>http://www.holocaust-history.org/gusen-cremation-timesheet/gusen2.gifイェーリング技師の報告書>http://www.mazal.org/Pressac/Pressac0224.htm焼却炉の使用方法メモ>http://www.mazal.org/Pressac/Pressac0136.htmこんなとこかの。

被害者総数のキチンとしたのは、各学者さんの本で見てくださいな。てかそんくらい見ろ。

T4作戦とホロコーストの繋がりについて書くなら、T4作戦から引き続き「社会貢献しない生命の抹殺」が指示されたのが14f13という政策だよ。>http://www.holocaustresearchproject.org/euthan/14f13.html思想的にホロコーストに繋がってるやろ?なんせ「労働に適さない生命の抹殺」だからね。それとね、わずか2年後とか言っちゃいけんよ。ホロコーストだって「わずか5年間」のことだから。

この話題でするお話が議論しかないワケがないでしょ。w じゃあ、あなたの元増田はなんの議論よ。もしかしたら今まで俺が書いて来た事はなーんも伝わってない、て言いたいんかな?それはサスガに失礼てもんじゃないかな?もしかしたら「肯定派」とやらを見つけたら叩くか議論吹っかけるしかしないんかな?それじゃあ、あなたが文句いってたはてな人達となーんもカワランじゃないか。同属嫌悪てヤツか。そんなら関わるんじゃなかったなぁ。ちょっと後悔。

なんか「まともに反論できねぇでやんの。ケケケ」みたいなトラバ付いてたからちょっと意地になった。ww スマンの。

おぉ、そうか。

http://anond.hatelabo.jp/20090325213119

昨日、「なんちゃって関西弁が気持ち悪い」てトラバがあったから押さえ気味に書くわな?俺、ホントに関西在住なんだけどな。wちょっとキツく感じるかもしれんけど、詰問しようとか、そんなん無いからまぁ気楽に。議論じゃなくてお話だし。

先に訂正せなアカンことを。「歪んでる」って書いたのはあなたの人格の事ではないよ?知識つーか情報のことだよ?つまり否定すべき「ホロコースト正史」とやら(これもラベリングやな~)についての情報が歪んでるちゅうこと。人格関係ない。俺、あなたのこと知らないし。知ってる気もせんではないけど。w ホロコーストについてアツく語る人なんて限られてるし。

エサをバラすと、俺も某巨大掲示板ホロコーストスレで長年否定論者とお話してきた人なんよ。もう4~5年になるかな。だから、大概のネタは知ってます。w 昨日上げた爆発濃度のお話も皮膚吸収も解答は知ってるんよ。爆発する前に即死するし、皮膚から吸収する前に即死するのよ。焼却炉もマットーニョのエッセイとズィンマーマンのエッセイを比較検討して、グーゼンのタイムシートから計算したら、100万人位は焼けるじゃろ、てなお話になっとるし。被害者推計についてもよくコピペされる文面だけど、被害者数に言及したものをかたっぱしから取り上げただけなんね、あれ。全体数も個別の数もゴッチャですわ。歴史学上はもっとキチンと出てます。もちろん学者ごとに違いはあるけど。

まぁ、ここらは余計なお話。俺はあなたが否定論を支持する意思を曲げる意図は無いよ。信じればいい、と思う。だけど「情報を素直にみれば」というのは間違ってる事は伝えたい。その情報自体が「素直」では無い。あなたは素直だけれども。アウシュヴィッツに資料が残ってるはずだ、というなら、何故提示されないのか。命令書が必要だ、というなら何故、T4作戦まで否定しようとする(ヒトラー承認書有り)のか。T4作戦が事実ならば、その流れ上にあるホロコーストにさらなる命令は何故必要なのか。14f13の存在を知っていながら、「社会貢献しない生命の抹殺」を否定できるのか。考えてみたほうがいいよ。

で、はてダとかで否定論(俺は修正主義という言葉は好かん)を攻撃する人達は、あなたが知ってる「情報」が歪められてる事を知ってるワケよ。で、「おまえはアホじゃ」って責めるワケ。その事自体の善し悪しのお話をしよう。

俺はあなたと違って否定論自体は「トンデモ」だと思ってる。「素直に情報を見て」ね。だから、ハマりそうな人には「ダマされるなよ~」とは言いたくなる。ハマっちゃった人はもうしょうがないです。wその代わり、俺の目の前でそのウソを垂れ流すヤツは叩くよ。あと、自説の証明を他人任せにするヤツとかね。あなたみたいに「思ってるだけ」の人は別に良いと思う。まぁ、増田に書いた時点で思ってるだけじゃなくなってるが。実際、俺は反応したわけだし。wこういう公然と人目にさらされる場所で、ホロコーストを否定する、てことは被害者に対してもう一度ホロコーストを行う事になる、ちゅう事も覚えておいて欲しいな。まぁ、否定論にならえば「被害者なんぞおらん!」てことになるんだろうけど。収容された人達にもう一度恐怖を植え付け、痛めつける行為なんだ、ちゅうことよ。あなたのその手を血に染めるな、て書くとカッコいいかもしらんわな。w

話がそれた。否定論に取り合わず、罵倒して流すっちゅう背景には「否定論と議論する者は、その協力者である」ていう考えもあるんよ。まぁ、俺もそこから逃げをうつ為に「お話しましょ」ていう体裁をとってるんだけど。wこれは否定論の狙いちゅうか効果として「いかにも歴史学上、論争がある」て思わせたいちゅう側面もある、と思われてるからやね。実際そうですわ。お話、ちゅうてるのに議論ふってくるとかね、で取り合わないと「逃げた」て言われるの。wあなたも覚えがあるでしょ。この短い間でももう発揮されてるわけだぁよ。おもしろいね。俺自身は思いっきり議論してみるのは悪いこっちゃないと思ってるんよ。消極的に黙殺するだけでは、その場はおさまっても、あなたのように、深いところで燻り続ける場合があるから。でも、議論しても納得してもらったこと、ないんだよなぁ。wこれはなんでか解らないんだけれども。反論は無いのに、しばらくしたら同じ事が出てくるのね。わからんなぁ。あなたも議論してみたければ、積極的にすれば良いと思うよ。

ただ、増田でやるこっちゃない。某巨大掲示板ならともかく。書いたように、否定論との議論を嫌う傾向はあるからね。某巨大掲示板正論が通じないところだから、議論できるよ。そのかわり、叩かれる時ははてな以上に叩かれるけど。だから、あなたも思いっきり議論がしたいなら、某巨大掲示板へどうぞ。世界史板がオススメ。キチンと議論してくれる「正史派・肯定派」(イヤなレッテルだこと。w)のスレもあるよ。注意点としては、固定ハンドルコテハン)は名乗らないこと。粘着しないこと。かな。

2009-03-24

おーし、お話したるわ。

http://anond.hatelabo.jp/20090319235938

一個一個片付けてこかー。

まずはなんや、ヒトラーの命令書か。確かに発見されとらんなー。せやからなんやっちゅうねんな。ホロコースト歴史研究で、命令書を基本にした研究なんか無いやろ?あるんか?あるんやったら教えてェな。そんなんナシの状態でここまで研究は進んどる。その内容を検討もせんと切り捨てるその態度は気に入らんな。

次はなんや、遺体かいな。終戦前後しか連合国側にガス殺遺体とやらを確認する術は無い、ちゅうことはわかるか?ちゅうことはおまえさんのゆーとる事は、「戦後解放された収容所にガス殺遺体が残ってないのはオカシイ」ゆーこっちゃけど、エエか?んでな、ガス殺ゆうのんは、終戦1年ほどまえから、中止命令がでとったのは知ってるわな?ちゅうことはお前さんは「1年に渡ってガス殺遺体放置されてないのはオカシイ」ゆーこっちゃわな。オレが考えてもお前さんのゆうとる事のんがオカシイで?わかるか?わからんか。まぁええわ。次いくで。

次はなんや、病院か。病院あったらオカシイか。ほな警備しとった親衛隊の人らはどないすんねんな。死に放題か。それオモロイな。ついでゆうたらなんやけど、芝居小屋売春宿もあるんやで、収容所にはな。まぁ、冗談はええわ。収容者用の病院アウシュヴィッツには確かにあった。せやけど、別にオカシイこと、あれへんねや。アウシュヴィッツ労働収容所でもあったことは知ってるわな?労働力も確保せなアカンわけや。せやから病院もある。せやけど、病院の実情はどんなやったやろ?プリーモ・レイヴィーとかが書いてるわな、実情を。ひどいもんやな。東京にも大阪にもようさん病院はある、せやけど救急患者は死んでいってる。これは事実とちがうんか?「病院ようさんあるやんけ」言われても困るわな。そういうこっちゃ。

んでな、もうひとつあんねん。「大量虐殺計画」てなんや?そんなんあれへんやん?ヴァンセー会議ていつあったんかは知ってるわな?あっからやで、始まったん。それでも「死んだらしゃーないわな。w」くらいなモンやで、あれ。ちがうか。でや。

あー、も一個あったな。見落としとったわ。すまんの。人間石鹸な。RJF石鹸お話とな、別のお話があんのは知ってるわな?アレをな、いっしょくたにお話したらアカンねん。ごっちゃになんねんやわ。たぶん、あんたもそうなってるんちゃうか。歴史学者も否定して、博物館から物が引き上げられたんはRJF石鹸のほうで、も一個のスパナー教授研究してたヤツはまだ検討中やねん。べつもんやからワケとかなあかんで。

以上やけど、なんぞあるか。あんな、いらん世話やけどな、一遍、歴史の本は読んどいたほうがエエで、ほんま。ほなな。

2008-02-23

死をポケットに入れて。

最初に言っておこう。

失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。

愛し合った分、憎み合うように。

すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。

父を亡くしたのは、14歳の時だ。

2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。

告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、

一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。

今思うと、とても不思議病気だと思う。

癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。

部位的なその特徴から、喉頭癌の進行は早い。

正月の一時帰宅を終えて、

(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)

すぐに目に見えて容態は悪くなった。

口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。

皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。

だけど、そんなことは何も珍しいことではない。

ありふれた病気の、ありふれた悲劇。

どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。

何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。

甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。

今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。

もうすぐ死にゆく人の、その匂い。

人は自分の信じたいことしか信じない。

そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。

たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、

意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、

そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。

「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。

病院時間は、緩慢なようで、あっというまに過ぎる。

廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。

病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。

不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。

クリスマス解放を願うアウシュヴィッツの収監者のように。

病棟でもまた然りだ。

中学生だった私は、医学書を読み、信じることを拒否し、

それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。

どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。

こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。

静かに、いつの間にか彼は死んでいた。

母親と弟が仮眠を取っている間に。

わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。

最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。

何のために、あの8か月は必要だったのか。

母親がこっそりと医師に手渡した、あの金は何だったのか。

何でもないと、今ならば思う。

すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。

少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。

見たくないものを認めるために。

後悔をしないために。

誰のせいにも、しないために。

すべての物から得ることはある。

どんなに酷いことからも、経験を。

失ったものからは、愛情を。

束縛からは、解放を。

あるマンガで、しゃれこうべに怯える主人公魔女は言った。

頭蓋骨が怖いの?自分も一つ持っているのに?」

そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。

だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。

私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。

馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。

事故で良かったと。

それなら誰も憎まないですむ。

大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、

検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。

仕方のないことだ。警察葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。

(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)

2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、

誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。

誰かのせいにすること、

誰かに責任を見つけること、

憎しみを将来に繰り延べることは、

自分を迷路に追い込むだけだ。

死をポケットに入れて。

棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。

放蕩の限りを尽くした詩人は80歳を超えても生き長らえ、

20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。

途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、

火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。

どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。

恥ずかしくて、恐縮するぐらいの健康人間だったのに。

どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。

弟の婚約者は、ショックで髪の毛が抜けてしまった。

私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。

それが自分のバランスを取るために、丁度良かったからだ。

今でも、ふと思う。

自分の中の死を。

自分の周りの死者を。

どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。

昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。

何かを失ったと思っている人へ。

何の慰めにも為らないかもしれないが、それは間違いだ。

失った分、同じ大きさの何かを得ている。

何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。

得たもの、それが憎しみならば、手放してしまえばいい。

あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。

それならば、誰にも渡さずに、自分のものだけにしてしまおう。

それから数年して、私は妊娠した。

まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。

大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。

愛と呼べるような感情は、まだわからない。

だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、

わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。

死は、私の中にもセットされている。

その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。

どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。

釣合いなんて、とれていなくていいから、

たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。

あまりの陳腐さに自分で笑って、また少し、泣いた。

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