はてなキーワード: アイヌとは
nanaminoさんに100文字では足りないお返事。
本当に個人的な見た目の好み(ルッキズム全開で)を言うなら、私は(追記:今回の候補者の中では)安井南さんの顔が好みです。でも彼女の顔もべつにいわゆる「和顔」ではないね、。歴代のミス日本を見てもいわゆる和風美人な人ばかりではないしバタ臭い感じの顔の人がずらっと並んでいる(古いたとえで恐縮ですけど、吉永小百合じゃなくて原節子って感じ。「有色人種としての美しさ」って言われても定義は難しそう)。
ちなみにハリウッドの俳優たちの多くは(まぁ米国なので当然ではあるけれど)結構多様なルーツを持っている。世界はだんだんゆっくり、そういう方向(どんどん混ざっていく)に向かっていくのでは。
あと、まぁ悪い大人の顔をして言うのなら、ミスコン運営サイドは西欧的ルッキズムというよりも「お、ウクライナルーツなのか、反戦アピールできるし、(ミス日本をありがたがるような保守層から見たら)革新的に見えるんじゃね?」みたいな下種な話も出てたんじゃという気もしています。
なのでまぁミスコン止めろもう、というのなら共闘できるよ。でもその戦いは別の誰かや戦っている相手を差別する言葉を使ってするなら、なんかいやだなー、という感じです。
アイヌの人の監修が入ってるんですうって言いながらアイヌポリコレやめろーってなんだこれ
アイヌの前に人が住んでたりもしたよね?
先住民を大事にしたほうが良いのだろうけど、それってなんでかな?
少数の人は迫害されやすいから、その圧を跳ね返すためかな、というのはしっくり来るんだけども
どうなんだろうね
金カムの映画化で「主人公はアイヌが演じるべき」って自称映画好きの人たち(笑)が言ってる。
原作の段階からアイヌの人や研究者の声を聴きながら作られてるんですわ。
すべての人が納得するのは難しいけれど、頑張って作ってくれていると思う。
「蒙昧を啓蒙してやろう」って魂胆が見え見えなんですよ。
ハリウッドの複数の作品で、実際の聴覚障碍者が聴覚障碍者の役を演じている。
そのおかげで聴覚障碍者の演出が向上しているし、社会の理解が進んでいる。
それに比べてアイヌは1万人もいない。
年齢もだいぶ上に固まってる。
聴覚障碍者のフレームを雑にアイヌに流用するのは、聴覚障碍者にもアイヌにも失礼。
ここ20年くらいでアイヌのあつかいはだいぶ良くなったけど、私の祖父はアイヌだったと成人してから初めて聞いた。
早くに亡くなっているので私は覚えていない。
おばあちゃんに聞いたら悲しい顔をしたので詳しいことは聞けていない。
札幌で小学生だったころ「アイヌの人は指の第一関節にまで毛が生えているんだって!」と無邪気に友達に言われて「そうなんだ。私は違うな。」と思っていた。
でも背中に毛が生えてる女なのよ私www
そしてアイヌの血が流れていたわwww
平成初期にアイヌだと知っていたらアイデンティティの構築に影響があったと思う。
多感な時期に「みんな(※マジョリティ)と違う」って病んでいたかも。
金カムのマンガ・アニメ・映画で、ポジティブにとらえるきっかけになった若い子たちがいるといいな、と私は思っています。
人と違ってもいいし、受け入れられたら個性にもなる。
それを「1か0か!」「俺たちの倫理に合わないクソキャスティング」「これだからジャパンは!」って大味で叩いてる人たちには辟易しました。
社会はちょっとずつしか変わっていかないから、ちょっとずつ進むしかない。
そのきっかけを摘もうとしていませんか?
[B! アイヌ] アイヌ民族は先住民族じゃないという方へ|ヘンテコだよねノート
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「先住民などではない」って暴れてる連中は「先住民指定の結果、それを梃子にして公費を抜いている」ってのが気に入らないからだよ。
アイツラの目的はその論拠(先住民である)を破壊すること。都度都度じゃなくて永続的に「金が取れない」「承認もされない」ってのを求めてるからだよ。
アイツラを黙らせる方法は「公費は貰ってません」がギリギリだろうね。でも「承認を金に変える」ってのも否定したい輩は少なくないよね。
だからこそ「先住民である権威付けも否定するには、そもそも先住民などでは無い!」って論旨になるわけよ。
でも、アイツラバカだから学術的な理屈とかわからないし、理解しないから、そもそも無駄なんだよね。喉が枯れるまで叫ばせておけば?
南アフリカの政治家か何かが白人なのにはああだこうだ言ってたのに(それこそちゃんと南アフリカ人だから問題ないに)、
白人がミス日本で優勝しても日本国籍を持ってるんだから問題ない!と擁護してあげちゃうのって
日本人「だけ」は、文化や民族のアイデンティティを土足で踏みにじられようが何をしようが、何故か笑顔で歓迎してあげなくちゃいけないらしい
アイヌ役にはアイヌ俳優だのトランス役にはトランス俳優だの、マイノリティ俳優はそもそも母数が少ないんだからクオリティを考えるならマイノリティに限定しない方がいいだろそりゃ。
「マイノリティ俳優の母数が少ないことに差別的な背景があることを理解していない」ってカウンターが飛んでくるけど、差別的な背景から母数が少ないことを理解したからってマイノリティを優先的に使わなきゃいけない責任なんかあるのか?
何か、たかだかフィクションの中の題材として使ったというだけのことで現実のその人たちへの責任が発生するのっておかしいよね。直接的に実在人物の名誉や肖像権を侵害する内容でそのことの責任を問われるとかならわかるけどそうじゃないじゃん。
マイノリティを扱った映画でもマイノリティ以外の無数の要素が劇中には映り込むわけだけど、それらの現実の何かを考慮する責任ってある?
ただ、その手の作品って作り手側も「現実のその人たちのことをしっかり考えてます」「この作品が架け橋になることを祈ってます」的なポーズ取っちゃいがちなのも問題だとは思う。そこまで言っちゃったら現実の窮状に配慮しろやって反応されても反論しがたい。
「あくまでフィクションの題材として選んだ、それ以上でも以下でもありません」って感じでフレンドリーな姿勢なんか最初から打ち出さん方がいい。
ゴールデンカムイが全話無料だったので読んだけど、めちゃくちゃ面白いと同時に読んでて「狂気を計算で演じててネットの評価をハックするのに最適化されてる〜!」と感じた漫画でもあった(実際には一般人気もあることは前提として、あくまで作風の話)
「一見トンチキだけど実は真面目に読んでも面白いんです!」みたいな、「不良がたまに犬助けるとめっちゃ褒められる」理論を本来優等生をやれるスペックのある奴が再現して人気を最大化しようとする手付きを感じた
例えば作中屈指の異常者である宇佐美の異常性は主に「例え親友であっても腹が立ったら躊躇なく殺す殺人への抵抗感の無さ」と「精子探偵や門倉のケツを叩きたがる性的倒錯」の2つがあるんだけど、前者は鶴見の殺人理論の確立や尾形との対比の説明として重要なのに対して後者は作劇上必然性が全く無いんだよね
「作劇的な意図に関係なく作者の狂気が勝手に漏れ出てきたのでは?」という可能性もなくはないけど、少なくとも描写的にはウケ狙いに見えるというか作者が射精する男性にフェチを感じている可能性は低い
でも「アイヌの金塊を巡る真面目に面白い群像劇」みたいな紹介より「アイヌの金塊を巡る、精子の飛ばし合いで犯罪者と戦う奴が出てくるけど真面目に面白い群像劇」の方が注目を集めるのみならず真面目な部分の面白さも引き立つわけだ
このやり方って特にインターネット受けを重視する上ではめちゃくちゃ効果的で、ギャップによる魅力の上昇を狙えるだけじゃなくて「自分この作品好きじゃないわ」みたいな評価に対しても「まあ精子飛ばすような作品だし人選ぶよなw」で作品の本質的な欠点から批判をそらしてダメージ軽減することも出来るのよ
インターネットや評論家に受けやすいのは本質的な欠点が目立たない漫画なんだけど、「本質的な欠点が少ない漫画を愚直に作る」という選択肢の他に「表面的な『人を選ぶ要素』を散りばめてそっちに批判を誘導+真面目な面白さのギャップのためのトリガーとしても利用する」というクレバーな別解もある(そしてゴールデンカムイはかなりの精度で後者を成功させている)
だから作者は相当真面目で読者とネットの評価に目配せしまくってんな〜って印象だったんだが破天荒な作家扱いされてるのが結構不思議だった
別の漫画だとハイパーインフレーションもそういうハックをするタイプの作品に見えたし(そしてこちらも癪なことに面白い)、こういうあえて突っ込みどころを作ってギャップで評価の最大化+批判の誘導を狙う作風は今後一つのジャンルになるかも知れないな
ペナンペはいつも、僕と結婚してくれる女の子がいたらいいなあ、と思っていた。
そんな彼の様子を見ていた男友達のパナンペは、ある時ちょっとからかってやろうと思って、
そして、ペナンペが仕事をしている留守に家に入って、掃除、洗濯なんでもこなし、美味しいお料理を作って待っていた。
ペナンペは感激して、美少女と食事をし、彼女を布団に連れ込んだ。
すると美少女は笑って、手を叩きながら家の外に飛び出し、男の正体を現した。
しばらくしたある日、パナンペが家に帰ると誰もいないはずの自分のうちから煙が出ている。
そっと窓からのぞくと、美少女に化けたペナンペが掃除を済ませ、食事の支度をして、自分を待っている。
パナンペは内心で笑いながら、気付かぬ振りでペナンペと食事をした。
そしてペナンペを布団に連れ込むと、やはりペナンペは笑いながら逃げ出した。
が、その時ペナンペよりも強力な術者であるパナンペが、ペナンペに術をかけた。
すると、ペナンペは身も心も女となって、へたへたと居間の床に座り込んだ。
ペナンペは本物の美少女として、パナンペの妻になり、夫婦として末永く暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
例えば
「黒人の犯罪率が高いのは単なる事実なので、黒人を警戒するのは善良な市民の権利。私はマイケル・ジャクソンやマイケル・ジョーダンのファンなのに、黒人差別者なわけがないだろう」
などだ。
ここではわかりやすく黒人を挙げたので「そうだそうだ」と思う人もおるだろうが、おそらく貴方もまた同じような論法で何かを差別している。
ジャップオスとか、アップデートされてない田舎の高齢者とか、キモオタとか、AV女優とか、日本人とか。
杉田水脈だって「アイヌを自称していつまでも公金チューチューしようとしているコスプレおばさんを批判しただけ。普通のアイヌのことはなんとも思っていないので差別ではない」と本気で思っているだろう。