「アイドルおたく」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アイドルおたくとは

2021-05-14

アイドルおたくアニメ

あれ見たら一回行ってみたくなった

のしそう

2019-01-29

anond:20190129012115

三島由紀夫に生きていてほしかった

戦争論アイドルおたく眼鏡親父でなく三島が描くべきだった

ノーベル賞取れそうな作家だったのに

未来から来たエージェント暗殺されたのかと思う

2016-06-11

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしその2

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカル王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたく真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたく世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界ひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたく世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビ雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたく世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたく世界ひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたし村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想メールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたく世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたく世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるとき絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババア絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドル世界戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたく世界になってしま

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロ世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくそ美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメ世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナー世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、

そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない

だいたい女ヲタ世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い

けれど、二次元絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている

なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うから

わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる

若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元キャラ特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている

しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している

みんなでこアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている

団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う

だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ

そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。

現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。

表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい

でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない

水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う

このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか

わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる

そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる

おたくからするとこれは結構やばい状況である

わたしエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。

本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う

今の若い子達にわたしエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど

ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツール代表であるエンタメがしにそうだ

そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする

若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる

このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う

このままだと日本は確実にヤベエ

そんなもうすぐアラサーババアのつづった生産性のない、エンターテイメントがしぬかもしれないはなしでした。ちゃんちゃん

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(0) | 11:26

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2013-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20130818141939

男のほうは彼氏気取りだろうが女のほうは数ある生バイブのうちの一つ程度の認識だったんじゃないか

ゴム付ちんぽ入れさしてもらっただけで恋人同士と勘違いして他の男と生でやったら浮気されたと思っちゃう男は

握手しただけで舞い上がってアイドル彼氏候補になった気分でスキャンダル発覚したら発狂するアイドルおたくの延長線上にある

2013-04-22

アイドルブーム終わらないかなあ。

もうねえ、疲れるのよ。

から晩まで見せられて。

「嫌いなら見るな」なレベルじゃないのよね。

TVでもネットでも、アイドルばっかり。

から興味ないのよアイドル

ちなみにアイドルおたくは嫌いじゃないのよ。

趣味から自由。

何が嫌かというと

よくわからんアイドル

ロックシーンなんかとリンクさせようとして

盛り上げようとする業界ね。

ももクロオズフェス出演」もそうなんだけど、

以前あったディアフーフ私立恵比寿中学ライブとかさ。

そういう組み合わせが新しい!みたいな提案する業界がクソ、ウンコ

これから時代は~とか、かっこつけやがって。

あとソコソコのミュージシャンがさあ

「●●のファンです」とか言ってんじゃねーよ。

「衝撃的でした」とかさ、よっぽどいい音楽も巡り会わず

育ったのでしょうね。

特に悪ぶってるバンドあたりの

こういう感性もあります的なのとか腹立つわ。

で俺のようにこういう風に考える奴もまた古いとか

いいてーのよ。クソ業界人め!お前らだよ音楽衰退の原因は!

なんかまあ、結論としては

ロックファンなんかに構うなってことだ。

2008-11-27

真逆ベクトル

アイドルおたくはなぜ嫌われるのかhttp://anond.hatelabo.jp/20081127120852」について一考察

おたくの人々は、自分の「おたく」的なる欲望がどれほどドロドロとしているか、偏った、歪んだ、醜い欲望であるかを嫌になるほど知り、時には後ろめたく思っている。だから「おたくである自分」をさらけ出す行為に対して、痛い、などの批判が飛ぶ。逆に言えば、「そういう欲望を生身の人間に向けてはいない」という点で自分自身を肯定的にアイデンティファイしているかもしれない。そして「モノ」でしかないものをあたかも「人間」であるかのような貴いものとして扱う点において、自分たちの趣味の高尚さを誇っているのかもしれない。

そういう目で見ると、「アイドルおたく」は、自分たちの歪んだ欲望を恥ずかしげもなく生身の人間に対して向ける行為であり、対象が「アイドル」という商売人でなければストーカーと何ら変わりない行為であるとさえ言える、と見えるのかもしれない。そして「アイドル」という商売も、そういう人間の欲望を満たすために生身の人間犠牲にするシステム、と見えるかも。

つまり「欲望を封じて、モノを人間化する」アニメオタク「欲望全開に、人間をモノ化する」アイドルオタクは、ベクトル真逆であるのが原因ではないか、という説。

(追記)

アイドルおたくアイドルという「人間」に萌えているのでなく彼ら彼女らが身を以て描き出すアイドルという〈幻想物語〉に萌えているのだ、という反論意見もあるでしょう。上の話を元にすると、『ひょっとしたらそう説明してみると嫌われないかもしれない』可能性はあることになりますね。どこかで試してみて頂けると嬉しいですが、その前にその点について増田意見を貰うのが無難かも。

http://anond.hatelabo.jp/20081127121114

http://anond.hatelabo.jp/20081127121114増田だけど

何故か元エントリトラバコメントを書かれてしまったのでこっちに釣る

指摘したかったのは

アイドルおたく」はなぜ嫌われるのか

ってタイトルに書いておきながら、

本文中は「アイドル」について書いているという事だよ。

二次オタから「アイドル」が嫌われているって話がしたいのか

二次オタから「アイドルおたく」が嫌われている話がしたいのか

どっちなの。

区別つくかな?

それとも、元増田にとって「アイドル」と「アイドルおたく」は同じに論ずべき存在なのかな?

アイドルおたくはなぜ嫌われるのか

アニメ漫画などのおたくから卑下されるアイドルおたく。彼らはなぜアイドルおたくを嫌うのか?

よくいわれるのが、うんこもするしセックスもする、みたいなもの。アニメ漫画おたくって、そんなに人間が嫌いなんですか?

そもそも、アニメ漫画キャラクターだって、人間を描こうとしてるんでしょ?

都合の悪いことが描かれないこと、例えば、鼻の穴が描かれないことは、そんなに重要なんでしょうか?

実物の人間が演じる、アイドルという偶像偶像である時点で、アイドルアニメキャラも同じものであると思うんですが、彼らは、人間の顔が嫌いなんでしょうか?

それとも、人間であること(例えば裏表があること)が気に食わないんでしょうか?

人間テレビに映されるときの情報過多(毛穴まで見えること)が不快なんでしょうか?

追記

http://anond.hatelabo.jp/20081127121114

アニメ漫画おたくアイドルおたくも、萌えという共通概念でつながっているはずなのに、なぜ彼らはぼくらを嫌悪するのだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20081127123349

>二次オタから「アイドル」が嫌われているって話がしたいのか

>二次オタから「アイドルおたく」が嫌われている話がしたいのか

両方です。でも、強いていえば、なぜおたくおたくを嫌うのかがわからない。アイドル萌えコンテンツであるのになぜ嫌うのかと考えると、人間だからという理由しか浮かばない。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん