はてなキーワード: アイドリングとは
前編
俺はこの、増田という日記帳に書き込んだのは実は昨日が初めてなんだ。
婆パンジーの教えに「新しいコミュニティじゃ半年ROMりゃなあかん」というものがある。
それがここまで多くの人に読んでもらえるとは思いもせず
交通安全啓発の一助となったのならチンパンジー冥利に尽きるというものだ。
(実際15年くらい2chやらSNSから離れていて頭チンパンジー)
このように書かれており、ニンゲンに従順なチンパンジーの一匹である俺は従わざるを得なかった。
また勢いに任せて書いてしまったこともあり、色々と指摘もあったのでドライバー編にも後日修正を行う。
母パンジーには幼少より口を酸っぱくして
こう言われて育ってきたため、レンタルキックボードくらいの経験しかない。
幼少の頃より憧れはあったものの、運転には才能と訓練が必要らしい。
その中で、チャラチャラしたチンパンジーが通りがかりのニンゲンの女ライダーに
パンクも直せないのならバイクに乗るな、とボコボコに殴られるような描写があったのを思い出した。
確かにバイクでツーリングする場合、山道など自然の多い場所に出掛けている人も多い。
統計的には、クルマとバイクの事故の発生頻度はそれほど変わらないらしい。
ただ、万が一事故に遭ってしまった場合の、肉体へのダメージが大きいということは容易に想像できる。
これは考えてみれば当たり前で、バイクは生身の体が飛び出しているわけだ。
ヘルメットだけでなく、グローブや肘・膝・胸部プロテクターなど最大限の安全装備を整えろ。
分かったな、間違ってもTシャツにサンダルでブロロロするんじゃないぞ、そこのチンパンジー。
近所だからいいとか、田舎だからいいとか、そういう気の緩みが事故の元なんだ。
仮にお前の装備が不十分だったために、亡くならないまでも、一生残る傷を抱えてしまったら?
もちろん、轢いた方が悪いのはそうだが、その人に一生消えない後悔の念を残すことになる。
外気に長時間さらされるということは、当然疲れるということだ。
そういったところでお土産を買うのもツーリングの楽しみ方のひとつだろう。
確かに免許は高い。高いが、免許を取ることは自衛にもつながるから
近所に子供を乗せながら、傘を差しながら、電話をしながら運転しているチンパンジーを偶に見かけるが
あまりに少ない睡眠時間だと、アルコールで酔っ払ったのと同じくらいの脳の反応速度になるらしい。
お前が営業で外回りをしていたとしても、うとうとしたのなら仮眠を取れ。
最近じゃ、俺たちチンパンジーの運転の様子を記録する会社もあるらしい。
「うるせえ!!!!!」
これは俺だけかもしれないが、眩しいと眠くなる気がする。
サングラスを用意しておけ。
夜、見づらくなるやつは、昼夜兼用のドライビングサングラスのようなものがあったような気がするから
そういうのを試してみるのもいい。
どことどことどこのPAまたは道の駅またはコンビニに寄るかきちんと考えておけ。
お前は漏らしてもいいかもしれないが、トイレが近いパンジーもいる。
それを恥ずかしがって言い出せないパンジーもいる。
冷房の温度にも気を使え。お前は毛深いから寒くないかもしれないが、同乗者は寒いと感じているかもしれない。
ブランケットも用意しておけ。
別にドラマの如くドアまで開けて、頭をぶつけないよう手をかざせと言っているわけではない。
だが肉体的な性差への配慮をこっそり行うのは紳パンジーの責務だ。紳パンたれ。
500mでも1,000mでもいい、とにかく車間を空けろ。とにかくチンパンジーだ。
お前はクルマを完全停止させるのにどれだけの距離が必要だか把握しているのか?
俺はしていない。そんなことはニンゲンに任せておけばいい。
俺たちは、とにかく車間を空けておけばいい。
50mでも100mでもいい、ちょっと空け過ぎかな?あれ、後ろに煽られてる?
そのくらいで丁度いい。
イキったチンパンジーが痺れを切らして左車線から追い抜いてくる、その程度で丁度いい。
※そもそも左車線を走れ。
最近職場で与えられたクルマは、よく分からないが勝手に前の車を追随し車間も保ってくれる。
三段階で車間を設定できるのだが、その車間でさえ、イキリチンポンジーはあおり散らかして左からその車間に収まってくる。
高速道路を運転するとき、バックミラーを見ないくらいの王者の風格を見せつけろ。
※ベテランドライバーはバックミラーを10~20秒に1回くらい見るそうです。ちゃんと見ましょう。
お前も、車校でベテランドライバーとチンパンジーの視野の比較映像を見せられたことがあるだろう。
例えば数台前のクルマや、隣や後ろを走るクルマや、はたまたコンビニの駐車場から出そうなクルマなどに
こういったあらゆるモノの影からびっくりチンパンジー!の可能性を常に考えている。
いきなりチンパンジー、またもやチンパンジー、あたかもチンパンジー、ココカラチンパンジーというわけだ。
そしてチンパンジーは"絶対にいる"運転へとアップデートしていけ。
そして伝説へ。
まず気をつけなければならないのが、逢魔が時。
夕方の薄暗くなった時間帯のことを指すらしい。なんと詩的な表現なんだ。
それはさておき、なぜこの時間帯がそう言われるのか。
これは、暗順応という眼の機能が関係しているとか関係していないとか、俺にはよく分からない。
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/anzen/hakubo.html
実際にこういう統計が出ているようだ。
とにかく、夕暮れ時には気をつける。それでいい。お上の言うことは素直に聞いておけ。
例えば、お前が仕事を終えて17時頃にクルマで帰社するとする。
当然お前は疲れているから、注意散漫になっている。
ドラマが始まっちゃうから早く帰らなきゃ?お前はいつの時代のチンパンジーだ。
コンビニに少し停めてコーヒーでもエナジードリンクでもいいからカフェインを入れろ。
すると今度は夜眠れなくなるのでほどほどにな。
ハイビームを使いこなせ。
田舎で鍛えられたチンパンジーは野生動物との邂逅が日常茶飯事だろうから癖づいているはずだが
最近はコンクリートジャンクルで産まれ、一度も森に触れることなくその生涯を終えるチンパンジーもいるという。
道路に寝転がっている酔っ払いをお前が轢いたとしても、お前の責任が半分になることもある。
昼間より気をつけて、ゆっくり走れ。
チンパン社会と同じだ。空気を読んで周りと同じくらいの速度を出せ。
ただし赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなチンパンは辞めておけ。
みんなで作る、平和な交通社会だ。お前だってインドのようなクラクション地獄は嫌だろう。
前回のトラックの後ろをなるべく走らないという話にも繋がってくるが
黒塗りスモーク、見たことないエンブレム(高そう)、○ル○。○、若葉マーク、もみじマーク、教習車、わ・れナンバー、他県ナンバー…
挙げればキリがないし、多少なり差別的な思想になってしまうので
みなまで言わないが、なるべくなら近づくな。
ただしBaby in the car. このステッカーだけはマジで意味不明。だからどうしたオブザセンチュリー。
俺は人生でなんと5回も交通事故に遭っている生粋のADHDパンジーだ。
※身バレを防ぐために、多少盛ったり控えめにしている
なお俺は森の王者チンパンジー。一度も骨折したことはない。野生動物最大のアドバンテージが出たな。
幸いにして運転者としては無事故で、昨年ようやくゴールデンチンパンジーに相成ったところだ
チンパンジーだからこそ運転しないと商売にならないことだってある。
お前たちだってそうだろう?求パン票にも、普通自動車免許が条件の会社も多い。
ただこうした経験があるからこそ、自らへの戒めとして今回筆を執ったまで。
警察官でも教習所の職員でもない、一介の野良ADHDパンジーとしてキーキー喚こうと思っただけで
このふざけた文章にたくさんのコメントやブックマークがあることには大変嬉しく思う。
動物に例えるの分かりづらいという声もあったし
たまにチンパンジーが運転しているのを想像してニヤニヤしながら書いていて気持ち悪いし
書く方も読む方も次第に飽きてしまうような気もしている。
ただ、他にいい書き方が思い浮かばない。
あえてチンパンジーとすることで、書く側も読む側もストレスが少ないようなそんな気はしている。
バーチャル化というか、少し耳の痛いことでも頭に入りやすいというか。うまく言えないが。
これからも試行錯誤していきたいが、チン権の保護を訴える団体が現れたら削除を検討する。
このあたりか。途中で飽きたら悪いな。
車中泊マナーでモヤっとした出来事があったので愚痴を供養させてくれ。
年末年始にスキー行ったんですよ。スキー。金無いし予約するのもめんどいから車中泊するんですよ。
俺はその日、風呂入り飯食って買出しした後、八時過ぎくらいに拠点の道の駅に車停めたわけです。そんで携帯の充電が少し心もとなかったもんで、10分位アイドリングして携帯を充電してから寝よう思ってたわけですよ。
そしたら、隣に停まってるハイエースのバンコン(パッと見ただのハイエースだけど中身キャンピングカー)の関西のおっさんが近づいてきて、「これディーゼル?夜中はエンジンかけんといてね。かけるなら向こうの方行ってや」的な事言われたんですよ。で、私は寝るときは切りますよー、って感じに返事したんですよ。(※ちなみに言われなくても毎回必ずエンジン切って寝てます)
別に不快に感じるような言い方ではなかったし、おっさんのバンコンもそんときアイドリングしてたし、お互いトラブルになることは無かったです。まあ神経質で寝るとき苦労するおっさんなのかな、子供含む家族と来てるし気になるのかな、くらいに私は思ってたわけです。(しかしながら、八時過ぎてるし迷惑かなー思って、すぐエンジン切って寝たのですが)
で、それでですよ。7時間爆睡した後に尿意をもよおして目が覚めたわけですよ。夜中の3時半で外寒いしトイレ行くのだりぃなあーって思いつつ意を決して外に出たわけですよ。
今夜中の3時過ぎぞ?
人にはアイドルするなって言っておいてお前はアイドルするんかい。確かにおっさんのバンコンはガソリン車だからディーゼルの我がハイエースより静かではあるけども。それでも嫌な人は嫌だろ。
別にね、俺はアイドリングすることに怒りを覚えたわけではないんですよ。俺はいつでもエンジン切って寝るけど、隣の車がガソリンだろうがディーゼルだろうが一晩中ガラガラ鳴らしながらアイドリングしてたって爆睡できるから文句無いんですよ。
しかしね?
わざわざ見知らぬ人に要求するほど自分がされたら嫌なことを、あなたは他人に対してやるんですかと。自分は静かで暖かい睡眠を享受してるにもかかわらず、人にはうるさくて寒い睡眠を押し付けるんですかと。ディーゼルはアウトでガソリンならセーフとおっさんは思ってるかもしれないけど、ガソリンだからといってディーゼルよりマシな程度で音はこっちの車内にちゃんと入ってきてるからね?そういう理不尽で自己中な所にイラっとしたわけです。
自分がアイドリングしたいなら他人のアイドリングも許せよ。許せないなら自分もやるなよ。
そもそも立派なバンコンなのにアイドリングしなけりゃ寝れないってどういう装備よ?俺のハイエースは荷台にベッド(ただの台)組んだだけの「ひのきのぼう」装備だけど、毛布+羽毛布団+夏用寝袋の寝具で、薄着でヌクヌクよ。
暖冬なのにアイドリングを要するような装備で豪雪地帯来るなよ。例年ならマフラー雪で埋まって酸欠か凍死で子供もろとも死ぬぞ。立派なバンコン買う前に布団を買え布団を。
新しいわりにネガティブな話題になる某アリーナの近くに住んでいる。近隣住民として、某アリーナができて困っていることを羅列する。
規制退場をさせていたとしても歩道に広がる人には閉口する
たしかに警備員が駅までの歩道には数名配置されているが、その配備される範囲や時間は公演によるのか昨日はひどかった。また、アリーナから駅に向かう人があまりに多く、駅から帰宅する我々が交差点を渡れないこともある。
観客を迎えに来ているのか、終演に合わせたと思われる時間の路上駐車がかなりひどい
アリーナから1ブロック挟んだ先にはマンションが複数建っていて、周辺の道路は生活道路の側面もあると認識していた。しかし来場者はそうは捉えないようで、片側1車線の道路に最低限の間隔で車が停まっている。昨日のように寒いとエンジンはつけっぱなしだし、非常に迷惑
楽しい公演終わりにテンションが上がるのはわかる。が、奇声を発する人がいる
もともと、大きなバイクなどが週末に通ることもある地域なのである程度の騒音には慣れているつもりだったが人の奇声はまた種類が違うようで、夜も遅い時間に大きな声を道路で発せられると犬も驚くのか騒いでしまうし怖い
これは新しいアリーナに限らず数年前にできたアリーナに関しても言えることだが、開演前の周辺路上や商業施設内で時間をつぶすために座り込んでいる女の子たちが邪魔
そもそもなぜ開業に合わせて歩道橋を完成させなかったのか。そしてあの歩道橋が完成していたとしても、混雑はそう変わらないように思う。行政はマンションの建設も許可したのになぜあんなホールの建設も許可したのか。1ブロック挟んでるから大丈夫と判断したのか。
26歳OLです。
私の悩みを聞いてください。
うちのマンションの前に、パールホワイトのトヨタ86(※新しいほう)がアイドリング状態でよく停まっています。
ご近所さんのマイカーなのか、このあたりによく用がある人なのか、そこらへんはわかりません。
とにかく、窓を開けていると、一日に一度や二度はどこからかドロドロと「あの」排気音が聞こえてきます。
みなさんもご存知のとおり、スバルの水平対向エンジンの排気音はとても低い重低音。
あの独特の音が、我が家の間取りや私の聴覚特性などととことん相性が悪いらしくて、とても不快なのです。
ほかの車ならいつまでアイドリングしてても別に平気。とにかく86がつらい。頭の両側から耳をボンボン叩かれてる感じ。
窓を閉めれば聞こえなくなるので、あれが聞こえだしたら閉めています。
大きな掃き出しの窓なので、窓を閉めるたびに私の全裸の姿が外からすっかり見えてしまうことに悩んでいます。
窓の外には白い86が、すぐ目の前に停まっています。
ああ、今私の、恥ずかしい姿が、あの86のドライバーに見られている、
そう思うと気が動転して手がふるえてしまい、窓の開閉や鍵のかけ締めがうまくいかず、かえって長々と裸身を晒してしまいます。
早く閉めなきゃ。あっ、やだ、網戸が引っかかっちゃった。だめ、私今、裸なのに……
去年温泉旅行に行った時、友達から「雪見だいふくみたい!」とほめられた私の白い乳房が、自分でもかわいいと思うピンクの乳首が、すっかり見られてしまう……
ゆっくりと時間をかけて窓を閉めると、そのうち86は走り去ってしまうので、窓はまた開けておきます。いつ来てもいいように……
どうすればよいでしょうか。
・・・昔は球の性能が~やらバッテリーの持ちが~とかなんとかで消してたけど、性能向上によりもはや不要。
というか今どきの車ってライトは「AUTO」がデフォになっててわざわざいじる気にもならない。
2.走行前の数分間暖気
・・・昔はエンジン回りに油回らせるために~とかなんとかで水温計が動き始めるまでアイドリングしてたけど、性能向上によりもはや不要。
というか今どきの車って水温計が、ない。そもそもエンジン自体がなくなってきている。
・・・昔の車って素人でもちょっとコツつかめばPPバンド一本で鍵が開けられたけど、電子化により不可能に。
というか今どきの車ってキーレスエントリーになってて車内に鍵ある状態だと閉められないようになってるからキー閉じ込めなんてなくなった。
元記事
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/94042.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/94042.html
何人かの指摘があるが、あの場所で公園(遊園地)に隣接してる民家は二軒しかない
そして、クレームを入れた人は、説明を受けてないと主張している
これを否定する主張は現時点で表れていない
この公園の被害を受ける住宅は二軒しかないという状況で読んでみると、味わい深いコメントが多い
いや、周囲の家1軒が反対したら公園設置できないっていう方がおかしいだろ。
一件のクレームで中止はあり得んよ。
検証してみたら……1軒だけじゃなかったというオチかと思いきや、やはり苦情を言っていたのは1軒だけだったという逆張りのオチ。
“住宅街に大勢の子供が集まる公園を「なぜ作ったのか」” いやいや住宅地に作らないでどこに作るんだよ
結局1件の苦情で閉鎖されたことには変わりない…?
何かこのコメントをしてる人ら
周りに沢山民家がある宅地の真ん中に公園が出来たが、一軒だけがクレーム入れてる
みたいなノリだよね
これ見てみようよ
クレームが一軒だけ?
それがこの件の何に影響するの?
なんで説明しないのよ
ありえなくね?
説明をきちんとしてれば、ボタンを掛け違えずに済んだかもしれないよ?
18年だよ?
ありえなくね?
大雪立ち往生でも、バッテリーが半分残ってれば24時間以上凌げる。一酸化炭素中毒になることもない。EVで凍死は未だに一件も起きてないけど、エンジン車で一酸化炭素中毒は毎年起こってる。ハイブリッドも暖房を使うにはアイドリングが必要だから、一酸化炭素中毒の心配をしないといけない。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/23413325/
停電時もEVの方が役に立つ。巨大なモバイルバッテリーとして、電気のあるところまで走って充電して、停電してる家に電気を持ち帰れる。この機能があるEVは、国の補助金が少し高くなってる。
というエントリで
じゃあもうお互い「戦争?受けて立ちますよ」でいいだろ/長野の件が騒がれてるのだって珍しいから。本当に社会全体で殴り合いを始めりゃ白黒付く/そんで十中八九施設側が勝つよ、結局お前らは社会的合意を得られない
っていうブコメを書いたんだが、なんかフワッとした言論で反対してくる奴がいたので当エントリに対する俺の考えを引用しつつまとめたいと思う。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
この文の後に「子供のことを考えろ主義」がいかに詭弁であるかのよくわからん例が続くわけだが、あえて言わせてもらう。
同dBの騒音問題でも原因が子供となれば途端に寛容を押し付けられる事。
もちろんお前は納得しないだろう。
「子供はそういうもんだから」とか「子供に優しい社会を作るためだから」とか言われてもお前はきっと首を傾げたままだと思う。
結局大手を振ってお前に我慢を強いることができるのは「そういう論が社会的合意を得ているから」というだけ。
もしこれに納得が行かないならお前なりの理屈を引っ提げて堂々と殴り合えばいい。
そうすりゃ「子供のためにこのくらい我慢すべきだよね」ってラインが引き下がるかもしれん。
別にお前が例に示した通り、子供がいりゃ親の行動が何でも許される訳でも無いわけだしな。
来るならかかってこい。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。
文章の中盤では「自分は子供と戦っているのではない。子供は悪くない。大人が問題なのだ。」という論に移行するため上記のような例を挙げつつ、例の長野の件を交えながら論理展開を行っている。
行政や施設の対応に関してはどこまで行うのがヨシとされるか、それは各々に基準があり曖昧なモノだろう。
しかし騒音トラブルから派生して嫌がらせまで発生したら流石に擁護できない。
なんか中盤から「騒音トラブルが発生すると子供を盾にして親が無茶苦茶やりだす」ことが前提であるかのように論理が展開されている。
長野の件もそうだが「子供が密集する施設において発生せざるを得ない騒音」以外は社会的合意は取れておらず、現に100台近くの車が送迎しアイドリングしっぱなしだった件は擁護する声もほぼ無い。
「騒音問題から派生することがあるインシデント」として紹介したおかげでそれらしい論になっているが、
その実「配慮に欠けた行為(嫌がらせとか)はよくないよね」というだけで、何の意味も為していないパートだ。
そこは別に非難されるべき点として否定しようがなく、それっぽく文章を彩るミスリードにしかなっていない。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。
話の組み立てとして引用する文が前後しているが、この部分も疑問がある。
それは「適切な対応とは何か」ということだ。
①でさんざん語ったが、こちらとしては理屈抜きで「いやなんか色々言ってるけど子供なんだから我慢しろよ」としか思っていないし、それで突っ切るだけだ。
まぁクレーマーとして黒い噂が立ち込むようなら②で言った通りやり返し過ぎだろうが、対応の無さにキレ散らかすようであれば同情するのも厳しい。
『子供の声がうるさくてうるさくてノイローゼになりそうなんです!』って社会にアピールするしかない。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
どうもコレが結論らしい。
まぁ書いた本人はセンチに浸っているんだろうから仕方ないが、この文章に同意した方々に聞きたい。
ちょっと冷静に考えてみて欲しい
もしお前が戸建ての家を建ててその横に幼稚園ができちゃったとしよう
そんな中ふとこのエントリを思い出す…
「あぁ…あの人も大変だったんだ…」そう思い、心の荒みが緩和………
まぁされたとしても一瞬でかき消されるだろ。騒音問題解決してねーんだから。
最終的には「こんなボクにも配慮して欲しいんだなぁ〜」って感じのボヤっとした主張で終わってるからだ。
ハッキリと権利を主張できない理由、それこそ「社会的な合意を得られない」と尻込みしているからだろ。
バカ!そうじゃないだろ!
「世界にそういう人はたくさんいる」んだろ!だったらそいつ等引き連れて社会に訴えろよ!
「『我々』と戦争することになる」じゃねぇよ!戦争しろよ!今から!!!
それでも負ける気は全くしねぇけどな!
来いよ!!!
子持ち側にとって話はめちゃくちゃシンプルなんですけど、他人のやることに強制力を働かせたいならお気持ちじゃなくて根拠となる法令やらルール、つまりは基準をもってこいって話なんですよね。例えばベビーカーの利用に関しても公共交通機関は大抵ベビーカーの利用をルール化していて、折りたたまずに乗れることになってるんですよね(元増田は乗ること自体は良いといっているが、トラブルにあう例は未だにある)。スタバだって公に子連れ歓迎していて子供用のドリンクも用意されてるのに、なんで子連れでスタバを選ぶんだとかネットで言われている。基本的に世の中の基準は子供、子持ちに対して優しい方向に変わってきているのに、世の中の流れについていけないクレーマーがお気持ちで嫌がらせしてるっていう現状をまずは正しく認識したほうが良いんじゃないの?
その上でクレームを入れる人について「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」とは思わないし子供の声がストレスな人にとっては辛いんだろうけど、子供の声が騒音規制法の対象になってない以上はお気持ちでしかないわけで、クレームを受けた側の対応としても可能な範囲の対応(長野県の例で言えば、入口や遊具の場所を変更、植樹)にしかならないのは当たり前だよね。自動車騒音に関して騒音が一定限度を超えるのであれば規制の対象になり得るが、1車線に面している場合に65dBが基準なのでアイドリング音程度では厳しく、こちらも可能な範囲の対応(利用者へのお願い)にしかなり得ないだろう。
元増田の主張は「元々個人と個人の正義(権利)の戦いであってそこに絶対的な善悪はなかったのに、子供を盾にすることで善悪の関係がうまれてしまった」的なことなんだろうけど、そもそもクレーマー側の主張が世間の基準を超えるお気持ちベースのお願いでしかなく、子持ちや行政側にとってはお願いに対応すればするほど本来定められている基準よりもクレーマー側が有利になっていくっていう前提条件を意図的にか馬鹿だから気づいてないのかはわからないけれども無視してますよね。
もちろん基準はあくまで基準なのでトラブルを避ける目的でも実態に合わせて配慮することはよくある(電車は出来るだけ混雑時を避ける、子供の多そうな店舗を選ぶ、奇声などを上げ始めたら諫める)けど、別にそれって人に強制されてやることではないし、少なくとも現状の社会は一定範囲の騒音については各人の努力で許容することを前提に成り立っているのでそこに対してお気持ちクレーム入れるならもう立法やらの方向で、子供の騒音を法規制しようみたいな運動をされたほうが筋が良いんじゃないですか?賛同を得られるとは思わないですけど。
追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすくしました。文章自体は改めていません。簡単に趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブルは戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題のトラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。
長野市の遊園地の問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。
自分は長野市の住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。
まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものである。NIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償は特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的な視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である。簡単に例えよう。
あなたが限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなたは限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子どもが可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)
別の例で例えると、ベビーカーで子どもを載せて電車に乗る行為は問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在は邪悪である」という信念を持っている。
こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストがフェミニストと名乗るようなものである。普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分に利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符でしかない。
誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子どもを排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想な子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子どもの騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単にすり替えてくるからだ。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。長野市で言えば多くの車の長時間のアイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子どもの騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市の問題については自分は意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子どもが可哀想であるのはそのとおりだと思う)
子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話は不可能である。そもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明なクレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマーを擁護したいわけでもない)
「子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつうに暮らしているだけなのに、騒音を解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である。
これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体も警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。
「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見も散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかるものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万円単位で金が変わってくる。つまり、人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通は我慢ならないだろう。
そして、トラブルが悪化すると、人生で最も嫌いな存在が自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音で存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。
「死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。
もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロな個人単位の我慢で解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしまう論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。
「近隣トラブルが戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子どもの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもだからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。
これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。
ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分や自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。
つまり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」と戦争することになる。
オイルも変えたばかりだし、ベルトやウエイトも交換してまだ1万キロも走ってない。
原因はわかる。バッテリーだな。
先輩が壊れた2stのYB-1を持っていて、修理できたら1万で譲ってくれとお願いした。
完全初心者だったが見様見真似で手を入れ始めた。
約束通り譲ってもらい、だましだまし乗っていた。
本当に金がなくて、タンク洗浄剤とキャブクリーナーを買っただけで金欠状態。
いつも悩まされていたのは、エンジンをかけてしばらくはアイドリングが安定しないこと。
だが20~30分くらい走っていると急に良い子になる。
俺は2stという言葉すら聞いたばかりの素人だったので、エンジンが温まらないと普通に走れないのだと思いこんでいた。
今ならわかるけど、アレはバッテリーが死んでいたな。
今はアイドリングストップ車用の高性能バッテリーをなんの気無しに買うようになってしまったな。
車も軽だし、バイクも110ccだし。
でも、あんなに貧乏でも歳を取ると普通に生活できるようになるもんなんだと、なんかしみじみ思っただけよ。
さて、それじゃあバッテリーの交換でもするかね。
そのあと飯くったら、ちょっと走ってくるか。