はてなキーワード: わらかすとは
「ビッグスモールンのYou Tube月間再生回数が21億回」
と聞いて
を強く感じる
世界の人が「面白い」と思うものが「語り(話芸)」よりも「動き」である為だろう
(インドでは特に「映画がああいう感じになるのは、『隣村に行くだけで言葉通じない』といった具合の多言語国家だから。必然的に踊り等で表現するしかない」という事情もあり、エンタメはどうしたって「動き」中心になるのだろう)
「喋りでわらかす」のを基本としている日本からすると、「動き」でそこまで面白がれるというのは謎である
「履いている(安村)」「履いていない(アキラ)」といった芸は瞬間的な面白さがあるけれども、ずっと同じレベルで笑わせ続けられるかと言うと違うだろう
(仕事自体は途切れずあるだろうが、TVでメインとしてやり続ける感じではない)
日本人は「ひねりの利いた喋り」「キラーワードを打ち込む」といった、ある意味「ふら」みたいなものを芸人に求めている
(あんなものは誰でも出来ることじゃない。練習して巧くなるもんでもない。所謂センスというやつなので)
英語圏ではスタンダップコメディといった「喋り」に重きを置いた芸があるが、我々からすると「その話の何がおもろいんじゃ」という感覚がある
(彼等は「動き」の面白さと同等に「(喋りの)勢い」を好んでいるんだろうなあと思ってしまう)
子供だと(日本人でも)「動き」重視になりがちなのでそういった芸風を好むだろうが、長じてまで愛好し続けるかというと違う。「喋りの面白さ」が分かる年齢になればどうしてもそっちに移行する
だが外国人は日本人の子供がはしゃぐ如く「動き」の面白さに刮目する。そこまでウケるか?という感覚がある
斜に構えてるとかじゃなくて、単純に国民性の違いなんだろうなと。日本人は本当に「笑いまでしんねりしている」といった感じ。無邪気さが無い。世界と相容れない
でも若い日本人が愛好している日本人You Tuberのやってることを見ると「これからは余所の国とも巧くやっていけそう」と思えます
名古屋にすんでるワシにいわせれば
わりと高級そうなあんこの味はする。
豆臭くもなく皮もこしとってあり、色が半透明の上品な藤色に見える。いわゆる晒し餡だろう。
なめらかで、表面に3本の、川辺によせるさざ波を模した模様がついている。
味はアマすぎない。後味もアマすぎて口のなかが酸っぱくなったりしない。
なかの餅は、味は米の餅っぽいのに冷めてもねちっとしてやわらかい。
しかしこの餅がどうやらやわらかいままで長くは保たないらしく、
あんこのほうが賞味期限が長いからとあんこをかきとってあたらしい餅に乗せて賞味期限延長していたようだ。
今は各店まで冷凍便で運んで販売直前に秘伝の解凍をしているらしい。
(堂々と凍ったまま売ればいいんだが解凍方法は秘伝なのか絶対凍ったまま販売やってくれない)
つまり販売されているのは解凍後であって長持ちしないから買ったら早めに食べれば大丈夫であろう。
東海エリアではたとえば名古屋駅なら知ってるだけで3箇所の売り場がある。
しかし東海エリアはもともと、あんことか和スイーツにうるさい人がおおい。
小倉トーストなんてメじゃない。あんなものはシロノワールとか参画チョコパイと一緒です。
赤福もよいが、藤田屋の大あんまきとか、すやの栗きんとんのほうが好きという人も居るだろうと思う。
六花亭のなんとかの雫とかいうボンボンもおいしいし、史上最高の美味しさというわけではない。
おお、きみあのあんこのよさをわかってるね、
というメッセージを目からビームで出しながら渡しますからよろしく。
やわらかすぎてへらの上でちょっとべちょっとなっててもそのまま皿にのせてくれればいいからね。
https://togetter.com/li/1247059
これでも私は若い頃実家で説明書女と言われるくらいには説明書を端から端まで読むタイプの人間だった。
進む老眼にはこれでも抵抗したよ?
でもね、それでも度が進む。
読みたくても焦点が合わなくて我慢して恥を偲んで店員に内容を聞くときの情けなさよ!
それと身体を壊してからは多少糖分取ったって動きゃいいのに動かないほうが悪いんだよ、と心の中で思いながら、言うこと聞かない体に悪態ついて仕方なくただの水を探して飲んでる。
水道水、うん、いいよね。
でも外で薬を飲みたいときに真水が手に入らなきゃ困るんだよね。
あと、熱中症のとき、OS-1糖分が多すぎて飲めないんですけど。
でも、いろはす!おまえは…
知ってるか?
糖尿病と戦ってうん十年の母がいろはすが出たときになんて言ったか?
糖尿病の運動療法でウォーキングするとき、いろはすのペットボトルはやわらかすぎてきちんと持てない、と言ったんだ。
それからだいぶ時がたった。
もうそんなことも忘れてたよ。
でもだんだんと家系の問題が私にも出てきて、血糖値が上がってきた。
私も自由には飲み物が選べなくなったけれど、ウォーキングのできない体質だから持ち歩くということはない。
それでも家で甘くない梅干しを食べてから出かけて外で真水を飲むことはあって、過去のことは水に流していろはすを選ぶこともあった。
でもなぁ…
あと、紅茶味の透明なやつとか…
老眼にはきつすぎるんだよ。
子供のいない私には代わりに読んでくれる人もいないし、本当に困るんだ。
頼むから何とかしてくれ。
若い人が会議やら仕事中やらになぜかジュースを飲みたくて、それでもバレないようにラベルが同じようなのがほしいっていう謎の理由もわかった。
休憩時間に飲むか、どうしても飲みたかったら詰め替えてくれ、ってのが本音ではあるけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20150831022101
これに付いてるブクマみたらほとんどが「は?今が最高だろ。文句言いうな」とか書いてあるんだけどさ、
お前ら普段は「職場や学校があわないと思ったらやめちゃいないよ」とかさんざん言ってきたでしょ。
それが突然生きてる時代については口をそろえて「お前がクズだからこの時代を楽しめないんだよ」とは手の平やわらかすぎない?
話のスケールが大きくなっただけで言ってる内容は「今の職場はマジブラック。でもやむをえない理由があって変えられないんだわ」ってのと大差ないよね?
それに対して普段のお前らは「ほんま今の労働環境糞だよね。どんまい」とか言ってたじゃん。
でも話のスケールが大きくなった途端にコレよ。
お前らちゃんと自分の頭で考えてる?
他の人が言ったことばを条件反射で口にしてるだけじゃない?
30代になって飯尾のチョイスが
それまでの自分と比べて格段に成約率上がったので、
●大物司会系のゴールデンは絶対に避ける
大概は感動させられないし、番組選びを手抜きしたと思われてしまう
http://www.fujitv.co.jp/tokyo-airport/index.html
いわゆる、こういうチョイス。
わらかす下心が丸見えで、いきなりだとかなり気持ち悪い。
あと大概この手の番組は雰囲気重視で、面白さがそこそこな場合が多い。
ただし2~3番組目のチョイスとしてはアリなので知識としては抑えておく。
●必ずネタの下見をする。
一度も見たことの無いネタを飯尾に振ったりしてないだろうか?
絶対Noだ。下見のあたりをつけるのにブログは大変便利だが
下見の時に相方の人にオススメのワードを教えてもらったりすると
●相手の好みは事前に抑える。
好き嫌いや生理的嫌悪感の多さなどは、事前に調べるか聞いておく。
キャイ〜ン好きを公言している女子などは、ライブに行こうというだけで
デート持ち込めたりもする。
コント55号からやってる伝統ある事務所は、アミューズメントとしても
価値が高いし下心を隠すのにも一役買ってくれる。
●2組目もあたりを付けておく。
2組目の予約を入れる。2組目はマジックとかが良い。
出してくれるふじいとか使える。
1組のコンビは二人でワンセットが基本。
17時~22時ごろまでが1番組目。23時~25時ごろまでが2番組目。
深夜番組がチョイスできるようになる。
●1回のネタで全て決めようと思わない。
ようやく相手に「この人のしょうもない言葉は面白いし、楽しい」
と思わせることができる。初回の出演で舞い上がって
ケツ出しとかはしたらダメよ。
●番組中に次回の出演をとりつける
その気持ちをそのままに、次回の出演をとりつけよう。
ふぅ。たくさん書いて疲れた!!けど、
全部無意味な語呂合わせなので忘れてみてください。
なんか質問あっても答えないよ。
食事中に変な音をさせるのはおかしい
羽音がするのに虫が見えないのはおかしい
炎の音がするのに熱くないのはおかしい
大きな犬が低い声で鳴くのはいい
大きな犬が高い声で鳴くのはおかしい
なぜおかしいと思うのか
絵に例えると、右下がなんか暗い
料理に例えると、いらない甘みがある
香水に例えると、とげがある
始まる前にその告知がされ、演奏者も江戸文化にのっとり行動する
すなわち、日本人が西欧で学んで江戸城で演奏するのであれば、むしろ良い
始まる前にその告知がされ、演奏者も江戸文化にのっとり行動するのであれば、バッキンガム宮殿でもむしろ、良い
直感とは何か?
単純な作業をしながらでも、感じることのできる心の叫びだと思う。
それは我、ともいえるかもしれない
その叫びをなくすためにはどうすればいいのだろう
ひとつ、何かに深く集中する
みっつ、何もしない
また、集中、大人になる、リラックスする、とも呼ばれる状態。
「ホンダはどうした」「ホンダらしくない」という批難の声が、社内外のあちこちから聞こえてきた時があった。現場で車を作っている身としては、針の筵に座らされているような日々を送っていた。そんな時に本田さんが言った。
「君たちは、腹がへって死にそうな人に、『すき焼きの肉を買いに行きます』なんて言うのか!」
それは、どんな人たちの声よりも鋭くわたしの胸に突き刺さった。
[中略]
上級車思考が進んでいた時のことだ。わたしたちも、従来のものよりずっと性能のいい上級の車を投入したり、アメリカ向けに開発した大型車を急遽、日本市場に投入したりしていた。が、いずれもお客様の動向を的確に捉えているとは言えなかった。
お客様のニーズを最優先するという仕事の基本原則を忘れてしまっていたのだ。その結果、頭でっかちになり、地に足の着いていないことを考え、お客様にそっぽを向かれてしまったのである。
以来、わたしは、仕事では「お母さんのおにぎり」をお手本にしようと考えるようになった。
材料は決して特別なものを使うわけではない。しかし、なんと言っても母親は子どもの好みを知り尽くしている。「好み」とは、好き嫌いや味だけではない。どれだけ食べるか、どんな大きさなら食べやすいか、食べやすい形は何か、栄養的にどうか、暑い時期ならいたまない工夫も考える……。
さらに、そのおにぎりが日々のお弁当なのか、遠足なのか、いつどこで食べるのか、体調はどうか……までを考えて、作り方を変える。そして、こう作ろうと決めたら、子どもが喜ぶ顔を思い浮かべながら、やわらかすぎず硬すぎず、心を込めて握るのだ。
それは、どんなに仕事に慣れても、いや、仕事に慣れた時こそ、忘れてはならない仕事の基本だと思う。
おなかをすかしている子どもに、先々のすき焼きの話をしたって喜びはしない。