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はてなキーワード: ろうそくとは

2021-03-27

初代ゼルダの伝説は最高のゲームである

今のゲームと比べれば、グラフィックはちゃちいしクリアまでのプレイ時間の長さもそれほどではない。

が、なぜ初代ゼルダは最高と言えるのか。

マップが広く感じる。全体で言えば小さいマップだが分割マップが長い旅路を作る─

1スクロールごとに画面の端から端まで歩くために長い距離を歩いた気になる。

サウンド冒険しているという気持ちにさせる─

フィールド迷宮も主要アイテムを手に入れた時もトライフォースゲット時のサウンドも、

全てが次の冒険を期待させる。

それほど多くない楽曲ループしているだけなのに飽きない。

─単調なアクションだが難易度は高くなくプレイするには丁度いい─

昔のゲームと言えば理不尽難易度なんかが多かったが、ゼルダの伝説は子供向けで程よい難易度だった。

謎の村雨城よりかは難易度は低めと感じた。

─隠れたモノを見つける事や謎解きが面白い

爆弾ろうそくの火で岩を砕き洞穴を見つけたり、木を燃やすことで階段を見つけたりできるというシステムは探す楽しみを教えてくれた。

また謎解きも程よいヒントがあったりで解明する楽しみもあったし、ボス戦でも特定アイテム武器を使うことで倒せるといったギミック面白かった。

パスワードではなくセーブが出来たという画期的さがあった─

当時といえば、だいたいパスワードだったがディスクシステムセーブというシステムゲーム保存が楽だった。

─登場キャラは少ないのにドラマを感じた─

説明書ゲーム内の説明、主要キャラの短いセリフだけだったのに、

現代と違いムービーがなかった分、自身脳内ドラマの構築が止まらなかった。

─裏ゼルダさら冒険を誘う─

ようやくクリアたかと思ったら難易度の高い裏ゼルダが始まりさらにPLAYERたちを熱くさせた。

結構難易度が上がったので当時の少年少女たちは苦しんだ。


この他にも魅力はあるが、結局の所プレイやす難易度サウンドが全てを物語ったのだと思える。

追記:なぜか本人を無視して言及での諍いが始まっていた。なぜに罵りあっているのか分からないが、増田同士仲良くしたりできないのかなと。

ついでにブクマもそうだが、ゼルダの伝説が最高というのは個人の感想であって、そうじゃない人は多くいる。

からといって否定をするためにボロクソ言うのはおかしな話だよなと。

そこまで言う必要ないよね?というくらい徹底的に叩こうとする人がいることが信じられない。

ゼルダの伝説が最高という話で親でも殺されてしまったのだろうか?

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2021-02-21

ミャンマーの思い出

最近メディアミャンマー情勢を聞くことが増えている。軍部クーデター情報統制が敷かれ自由が奪われ、国民弾圧されているというのだ。ニュースを聞いていると、少し昔にミャンマー旅行したことをふと思い出したので、備忘録的に増田に書き残しておく。

2014年、私はミャンマーを旅してた。この前年、ゴールデンウィークに旅していたウズベキスタンの乗り合いタクシーで偶然出会ったベテランバックパッカーから、『早めに訪れるべき国』と紹介されたのがきかっけで興味を持ったのだった。曰く、「数年前からテインセイン政権民主化をすすめていて、外国からヒト・モノ・カネが流入しだしている。そう遠くない時期にマクドナルドコカ・コーラ等の海外資本で町が埋め尽くされ、純朴な国民性が拝金主義に染まりメジャー東南アジア観光地のようにつまらない場所になってしまう。”素”のミャンマーが見れるのは今の時期しかない」とのことだった。その翌年だっただろうか、ANAヤンゴン新規就航した。クレジットカードポイントで『丘マイル』がたまってきていたので、今しかないと思ってミャンマーに飛んだのだった。

ところで、私が旅を決めた2014年当時、ミャンマー情報書籍上にもネット上にも乏しかった。(今でもかもしれないが。)非常にベタだが、自分なりにミャンマー知識を得るために、『ビルマの竪琴』を読み、高田馬場ミャンマー人街を訪れ、増上寺ミャンマーフェスに参加し旅の前に気分を盛り上げた。それら事前に集めた情報をもとに旅程を決めた。最大都市ヤンゴン古都マンダレーとパガンを3泊4日ですべて回る。そのためにルートづくりは難航したが、夜行バスや、エーヤワディ川の水上ボート等を組み合わせて何とかめどがついた。

初めに訪れたのはパガン。初日ヤンゴンから夜行バスで向かって、到着したその日の朝に到着。その足で宿に荷物を降ろし、仏教遺跡にむかう。パガンの仏教遺跡は当時、全く観光地化されていなかった(今はわからないが)。滅びた過去王朝の栄華を残す草原に埋もれた遺跡で、地元仏教徒が花やろうそくを備えて信仰のよりどころにしている。そんな感じのところだった。遺跡は非常に広大なため、効率よく回るために宿で中国製電動バイクを借りたのだが、これが曲者だった。バッテリーの残量メーターが適当で、まだ半分ほど充電が残っていると思っていたら、バッテリーふいにまり、南国の強い日差しのもと10km近い距離をただの重りと化した電動バイクを押して帰る羽目になったのだ。

ミャンマー古都マンダレーへは翌日の早朝に向かった。ミャンマー流れる大河エーヤワディー川観光ボートに乗って移動するのだ。朝日が昇る前に、宿の主人にお願いしてエーヤワディー川ほとりの船着き場に送ってもらい船に乗り込む。乗客ほとんどが欧米観光客で、日本人は私一人。東南アジアでよく見る中国系韓国系旅行者は一人もいなかった。船に乗り込んですぐに、日の出を見ることができた。大河から見る朝日は非常に美しく、カメラシャッターを切りまくった。だが航行時間10時間以上と非常に長く、暇を持て余す。近くの旅行者に話しかけるとドイツ人だった。大学時代に習った片言のドイツ語で、「Ich lerne Deutsch bitte.」と話すと猛スピードドイツ語会話が始まり、まったく聞き取れなかったので英語に切り替えてもらってコミュニケーションをとったりしていた。

10時間を超える船旅を経てマンダレーに到着した。マンダレー市街地は船着場から離れていたのでタクシーを借りて中心地に向かう。旅程に余裕がなかったので、そのままタクシーで主要施設を回ってもらい、観光をこなす。そのまま勢いで長距離バス乗り場へ向かいマンダレーからヤンゴンに向かう高速バスに乗り込む。ヤンゴンにはその日の夜10時ごろに到着。夜間の異動で治安不安だったが、特に問題もなく宿に到着。最終日に備えて睡眠をとる。

ミャンマー滞在最終日。最大都市ヤンゴンで街歩きをし、国民食のモヒンガーを食べたり、過去イギリス統治時代建築物を見たりして過ごす。町中の家には見たことのないような巨大なパラボラアンテナがつけられており、台風対策で軽量化する必要があったからだろうか、日本で見かけるものとは違い皿の部分がメッシュになっているのが印象的だった。街歩きついでにミャンマー国鉄で市内を移動したりもした。東京でいうところの山手線に相当する環状線ヤンゴンにもあり、Circular Lineと呼ばれているものだ。料金は非常に安く、日本円で10円くらいだっただろうか?車内に外国人は一人もいなかった。パガン~マンダレーで見たような欧米系の旅行客はタクシーチャーターして市内観光をしているのだろうか?しばらく客車に乗っていると、私が日本人とわかったのか日本滞在経験があるというミャンマー人に話しかけられたのだ。観光地で話しかけてくる現地の人は、たいていお金目当てなので警戒してたのだが、悪い人ではなさそうだったので聞くだけ話を聞いてみたら、バブル期名古屋期間工をしていたらしかった。

駆け足でいろいろな経験をしながらミャンマー観光を終えた私は日本に戻った。実際に現地を見てきたことで知的好奇心を満たされた私は、しばらくミャンマー情勢から興味を失っていた。が、最近またニュースで日々ミャンマー情報を見聞きするようになり、ふいに旅行した時のことを思い出したのだった。当時であった人たちは今も元気にしているだろうか?数年後にコロナ収束しても、軍部主導の政治体制外国人が自由ミャンマー旅行できる時代が再びやってくるのだろうか?今はただ、遠く離れた国を思い出しつつミャンマー国民の無事を祈るばかりである

2021-02-02

過ぎたるは及ばざるが如し

きっと君が欲しいものはこれだろう。

千金。無いときはない。

大金持ちがろうそく1本

受験生ろうそく1本

欲しがっているとき

あなたろうそくを1本だけもている

どっちに上げるべきか?

 

答えは簡単大金持ちに上げればいい。同じことだから。これが経済法則

2021-01-29

義兄、ありがとう

先日、姪っ子が4歳になり、

誕生日ケーキろうそくを消す動画が義兄から送られてきた。

本当にありがたい。

 

私達姉妹父親は私が3歳時に病死した。

から父親というものをよく知らない。

義兄の振る舞いというか感じ?を見て、

これが父親なんだーといつも感心してる。

仕事で朝も夜も休日もいなかったりするけど、

大事イベントの時にはいてくれて、

ここぞという時は諭すように話してくれる存在らしい。

うわーこんな大きいのかあ。

まあ子供の頃は分からないだろうけど。

 

小さい頃に失われた何かは戻らないけど、

姪っ子と義兄を見ていると嬉しくなる。

そして私の父親いかに無念だったか。母がずっとどんあ気持ちだったか

 

 

義兄、生きてくれてありがとう

長生きしてほしい。

姪っ子に「ウチの家?フツーだよ」と言わせてやってほしい。

そして思春期に姪っ子とバチバチ喧嘩してほしい。

ウチの家系は女でも壁殴って穴を開けるよ。

私は3箇所。

姉は5箇所です。

気をつけて。

2021-01-07

anond:20210107033613

ファミマ基本的アブライズラブで有事にはろうそくの代わりになりそうな具材がウリだ

たぶんシャケおにぎりハラミアブライズラブの精神なのだろう

2020-12-17

参ってる

自分誕生日をめでたく感じない祝われてもあまり喜べないのは当日知人の自死だったりろうそく吹き消すタイミングでゴタゴタがあったりと思い出したくもない思い出が多いか

失った死者に捧げる祈りの方がよっぽど重たい

2020-12-06

[]2020年12月5日土曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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2020-12-04

さなろうそくが欲しい[追記しました]

反応いただけたので、追記します。ありがとうございます。本文と齟齬がある場合は、こっちが正です。

一番のターゲットは死後の名声を欲しがるような人たちです。「今は批判だらけでも、俺の名前歴史に残る」みたいに思ってる人。

そういう人たちに「適当なことを言うとアレに載せられる」という感覚を持ってもらうのが一番の目的であって、

将来「こいつ過去にこんなことしてたんやで」って自分がニヤニヤするためのものではありません。

  

以下、いただいたコメントへのレスポンスです。ニュアンス近いのはまとめちゃってます。ごめん。

Q:事実認定をだれがするんだ。デマをどうやって防ぐのか。火のないところに煙がたつ。

 A:テレビで本人が言った、統計数字が出ている、裁判で結果が出た、現物がある、等でも十分。疑惑だけなら入れません。

Q:編集合戦になるだろ。一人でやったほうがいいよ。

 A:Wikiと書いてしまってごめんなさい。追記要員はごくごく限定で良いと思うのです。判定基準結構シンプルだし。

Q:削除要請されるよ。訂正追記だけではだめ。履歴すら残せないようにしないと。事実でもあかんのやで。

 A:法的に正しければ対応せざるを得ませんね。なので、その人が死んだ後に復活させるかもしれないという風にしましょうか。

   ほかにも、コピーサイトを大量に作って(ミラーサイトではない)そっちは別とするとかどうでしょう

Q:訴えられるよ。

 A:将来的に海外在住の人にお願いするとかではどうでしょうね。追記なんて誰でもできることだし。

Q:名前候補うんこ.jp増田てる、悪行pedia、実名サーチ、ロー速、閻魔.com

 A:ありがとうございます。いわれてみれば閻魔帳のイメージですね。老人にもわかりやすくていいかも。

Q:仏壇用のろうそくなら小さいよ。ダイソーにあるよ。

 A:ありがとうございます。早速買いに行きます元ネタベニスの商人からですが、あまり深く考えずにタイトルにしてます

  

追記ここまで~

  

はてなーの皆様には言うまでもないが、最近政治家は図々しい。たまに政治家以外も図々しい。

何かあっても強弁してやり過ごせばいいと思っているのだろうし、実際にそれでどうにかなってしまっている事が多い。

これはまずい。思想がどうこうより、もっとずっと根本的な所でおかしい。

そういう人達への、民主的抵抗手段の一つを考えてみたんだけど、現実的かどうかわからないので意見が欲しい。

長くて冗長かもだけど、まじめに考えてるから許して。太字だけ読めば大体おkです。

  

簡単に言えば、ろくでもないニュースだけ集めたWikiを作る。良いことや業績は載せない。

それを数十年単位運営していけるよう、ゆるーく体制を作り、それなりにSEO対策をし続ける。

すると、〇〇太郎検索すると、その名前に紐づけられた悪事がぞろぞろと表示されるサイトが出てくることになる。

時間が経てば経つほど悪事が忘れ去られるのではなく、汚名けが目立っていく可能性を当事者が知れば、圧力として成り立つのではないかと思うだがどうか。

賛成が多ければそのうち作るつもり(出来るとは言っていない)だけど、そんなの俺がやったらあ!って人が居たらどうぞどうぞ

  

以下、仕様?について書いてみた。

異論反論はいっぱいあると思う。

  

サイト名:[募集中] ヨイナマエ タノム

概要:人や会社に関するニュース等を収集し、当人や団体に紐づけるWikiサイト。ただし・悪いニュースのみ載せる・個人意見は載せない。

   解説必要場合記事へのリンク。・悪いねボタン付ける。・コメント欄...は作っていいんだろうか。

目的:上に書いた通り。その他、悪習因習等をやめさせる圧力として。

目標10年後20年後に、その人の名前検索するとTOPに出るサイト企業名は無理だよね...)

掲載対象の人:他人人生コントロールできる立場にいる、日本国内の人や団

   (例)政治家政党上級公務員企業重役、テレビ局、新聞社警察ライター文化人芸能人学校教育委員会宗教団体など。

掲載対象外の人:上記対象に入ってない一般人犯罪者も含む)、日本国外での事象

掲載対象事象一般的マスコミ会社により報道されたことのうち、ろくでもないことほぼ全て(エビデンスのあるもののみ)。その他の掲載ルール合致した場合

掲載対象外の事象:不慮の事故不可抗力不利益を被った人がいない事件私生活関連、推測によるもの個人によるリーク。

ライセンスWikipediaと同じ感じで。(コピーサイト大歓迎)

  

~太字ここまで~

  

その他、掲載対象にしたいもの

法律には触れてないけど系:偏向報道科学的根拠のない製品や薬、画像による謝罪文、謝ってない謝罪文、人の弱みに付け込んだ商売、糞みたいな企業文化 など。

未だに〇〇している系:セクハラパワハラ容認ウナギセールをしてる大型店、ブラック校則記者クラブ、無記名報道水素水売ってる、元記事へのリンクや参照資料記載が無い記事手書き強要転売屋巣窟サービス など。

例外的に業績を載せる系:長年続く悪習因習を既定し、それを表立って真っ先に止めた場合掲載ウナギ売らない宣言とか、報道をすべて完全記名式にするとか。

  

脳内FAQ

Q:お前性格悪いな。

 A:その通りなんですが、掲載されるような人は、もっと悪いと思うんです。

Q:誰が更新するんだよ。

 A:対象範囲が狭ければ自分だけでも余裕す。見出しリンク概要を週一で追加します。賛同者が居てくれるならそれはそれで。

Q:サヨクWikiですか。

 A:犯罪や嘘つきや厚顔無恥は、右左の思想とか関係ないでしょ。

Q:観点によっては良し悪しが逆転するニュースもあるよね。

 A:事実しか載せないので、グレーゾーンは読む人次第でいいと思います

Q:編集合戦にならんかね。

 A:ニュースの内容を転載するだけなんだから基本的に追加しかできないようにしてもいいと思うんだけど、どうでしょ。

Q:消せないの?誤報とかどうするの。

 A:誤報も消さず、目立つ訂正を追記する形で。(エビデンスつけてね)

Q:ソース東スポとか赤旗でもいいの?

 A:内容が事実かどうかで決めましょう。関係者筋の話とかそういうのは全無視

Q:役所とかの不祥事は出してもあまり意味なくない?

 A:上司がまともならこんな事起きない!という場合なら、お偉いさんは晒されてもしょうがない。いじめが無かったと言い張る教育委員会会長とかも。

Q:誰が悪いと言えないこともあるよね

 A:一応「変える力を持っているのにしない奴」も対象にしたい。報道の自由度ランキングが低い→マスコミ各社の社長や、そのとき政権とか。

Q:死んだ人や消えた人も対象

 A:対象にした方が、現役の人への抑止力となるんじゃないかな?

Q:なんで一般犯罪者対象外?

 A:そういう人は元々名声も何もないので、あんまり抑止力にならないだろうし、更生しづらくなるのもどうかと。

Q:訴えられないか

 A:報道済みの周知の事実しか載せないんだけど、駄目ですか? 誰か教えて。

Q:刺されるぞ。

 A:自分死ぬと増えるようにしておきます

Q:その他の掲載対象はてなー的すぎるだろ。

 A:しゃあないやん。

Q:チラ裏なの?妄想なの?さっさと作れば?

 A:そもそもこんなのに賛同者がどれくらいいるかからない程度に、自分感覚に自信がない。致命的欠陥があるかもしれないし。

    「賛同者が多いけど誰も作らない」なら、金貯めて時間を作って自分でやるつもり(さっくり作れるスキルはない)。

   でもこういうのって作ったあとが勝負どこよね。

  

質問意見ツッコミサイト候補、こんなの載せたい...等々、なんでもどうぞ。

出来るだけレスポンスします。でも時間はかかるかも。

2020-10-14

anond:20201014114758

ろうそく握ってデモ」でお偉いさんの首が挿げ替えられるどっかの国よりは全然マシだわ。

2020-10-02

スウェーデン若者に絡まれwww

追記すみません。あるブログ転載です  

  

スウェーデンの夜を覚えている。2月スウェーデン坂道を歩く。サーブフォルクスワーゲントヨタ、表情豊かな車が路肩に並び、眠っている。不思議とどの車もくすんだ色になる。

  

北欧の夜には不思議な静寂がある。凍ったアスファルトが音を吸いとってしまうのかもしれない。街灯の光子彫刻のように止まっている。

  

あの冬、仕事北欧にいた。同業者と一緒に北欧を回る出張だった。みな、巡礼者のように、同じような黒のダウンジャケットに身をつつんでいる。凍った道に足を取られないよう、歩幅を狭くして、冷気で化粧した街を歩く。

ペリカン」という名のレストランに入ったのは、北欧に着いてから何度目かの夜だった。タイル張りの床、チークの壁、スカンジナビア特有の、あのとろけたような飴色の照明。ビアホールスタイルペリカンレストランダンスフロアのように広く、笑い声とグラスを打ちつける音に溢れている。今までに見たどのレストランよりも薄暗いが、しかし、今まで見たどのレストランよりも客の顔が明るい。

  

僕らは4つのテーブルをくっつけた一角に座る大所帯で、めいめいが好きなビールを、あるいはワインを、ぶっきらぼう英語で注文した。テーブルろうそくが子熊のダンスのようにゆらめく。人の瞳を大きく見せる、不思議な炎だった。スウェーデンで覚えた「スコール!」の掛け声とともに、琥珀色の液体を冷えた胃に流し込む。

  

ざらざらとした紙のメニューは、スウェーデン語と英語の2つが印刷されていた。チーズ、魚、マッシュポテト、そして子猫の頭ほどの大きさがあるミートボールテーブルに並ぶ。肉厚な白磁の上で、てらてらと光る料理を見ていると、夢と現実境界曖昧になる。メニューに刻まれた”smaklig spis!”の文字が滲んでいく。

  

ふと隣のテーブルを見ると、やけに騒がしい。スウェーデン若者が盛り上がっている。年の頃は20代テーブルではしゃぐ8人全員が屈強な男たちだ。不思議なことに、全員が純白のナプキンを頭にかぶせている。ナプキンの四隅を結び、帽子のようにして。

  

水夫のようだ、と思った。彼らはだいだい色の髭と睫毛をろうそくの光に透かし、歌を歌い始めた。樽いっぱいの勇ましさに、ひとさじの寂しさを混ぜたような合唱。なぜかその歌と、その力強い瞳と拳とは、バイキングを思い出させた。

  

アルコールの助けもあるのだろう、バイキングのひとりが、僕らに話しかけてきた。君たちはどこから来たのか?トウキョウだと答える。すばらしい!乾杯!と男が叫ぶ。テーブルでできた国境曖昧になって、アジアスカンジナビアが溶け合った。トウキョウの明かりは闇を削る。北欧の光は、闇をぼかすようなやわらかさがあった。

  

日本の歌を聞かせてくれ!——スウェーデン若者テーブルの向かいから叫んだ。僕らは困り果ててしまった。この異国の地で、ここにいる日本人が詰まらず歌えて、しか日本代表するような歌……それは一体なんだろうか?

  

君が代。いや、堅すぎる。「翼をください」はどうだろう?しっくりこない。誰かが言った。「『ふるさと』だ」

  

そして僕らは、声を揃えて歌った。

  

兎追いしかの山……小鮒釣りしかの川……夢は今も巡りて……忘れ難き故郷……

  

北欧の地においても、当然ながら僕らは日本語でコミュニケーションをしていた。でもそれ以上に、「ふるさと」は日本語で話していることを意識づける歌だった。

  

8000キロ離れたスウェーデンの地で、この歌の持つ郷愁は凄まじいものがあった。僕らは住んだこともない日本原風景を思い浮かべて、目頭を熱くした。バイキング若者たちはその大きな手で拍手する。ペリカンレストランの客にとって、「兎」や「小鮒」からかぶイメージは、僕らのものと随分違っていただろうが、歌の持つなにかは伝わった。

  

そして彼らは返歌とばかりに、彼らの故郷の歌を歌った。いや、実際は故郷の歌ではなかったかもしれない。けれど、僕らが言葉メロディ故郷表現したことを、彼らは彼らなりに感じとって、故郷の歌を口ずさんだのではないかと思う。そう思いたいだけだ。独りよがりかもしれないけれど、ペリカンレストランの光は、そう思わせるに十分な魔力を持っていた。

  

歌の交換が終わり、場が落ち着いて、ひととおり肉と魚とアルコールを胃におさめた後、僕らは三本締めを派手に決めてやった。これもスウェーデンにはないものだ。隣のバイキングに威勢を張るため……あるいは、友好の意を示すため、僕らは目配せし合いながら手を掲げた。「イヨォーオ!」という掛け声とともに掌を打ち付ける。スウェーデン若者がワッと歓声をあげる。「俺にもやらせてくれ!」誰かがスウェーデン語で叫んだ。「よし!」日本語が応える。片言の「イヨーオッ!」、それに呼応する柏手。そして都合3回の三本締めを終え、スウェーデンの夜はふけた。

  

あれは夢だった、と言われても信じてしまうくらい、全てが出来すぎた夜だった。

  

ホテルに戻り、ベッドに倒れ込む。

  

頭の中に、凍りついた道と、白い息と、温かなテーブルと、チョコレートのようなミートボール、人懐っこいスウェーデンの男のきらきらした眉毛がこびりついている。

2020-08-16

わかりやすくいえば、誕生日ケーキろうそく他人が吹き消すが2度あるから

これはもう警備もグルということで、信用しない

医者も同様 信用しない

こいつらじゃ 他人誕生日ケーキろうそくを吹き消すやつ。

他人結婚式で 冗談必要を濾してできる人間というのはいる。

それを披露宴ではなく式によぶやつがわるいし 女性側の要望となると

から事前に聞いて

破断をお願いする

 

死ぬまで親戚関係はつきまとう。

ごめん、

数年たえたけど

むりだった

ならしならしとかで やろうとして

自分たちは変わろうとしない。

それに、これはさすがに、同居は無理と男性側が判断した

anond:20200816132744

誕生日ろうそく冗談で吹き消した

おとなげないというが

店を交換しろ

警備を交換しろと言うレベル

えらそうなことをいっても

誕生日ろうそくはふきけされたか

その冗談を言ったやつが15年 せきにんをとって主役だ

そうだろ?

けいごしっかりしてやれ なぜこの状況で冗談が言えるのかはよくわからない

anond:20200816132359

そうすると、メインディッシュのお肉は?ってなるけど 交換しますか?という話にはなるよな?

コースのものをすべて交換ということもおきえる。

だってケーキからひとつながりだからな。

そうなると、

冗談ろうそくをふきけしたやつにでていけ 

というはなしになっちゃうから

それはしのびないから、

主賓のオレが出ていくかOK

それで主賓がいなくなるから 交換の必要はもうない

簡単解決する

さようなら

それだけ

anond:20200816132223

蝋燭の火を おれが 主賓より毛先に消しただけだから ろうそくに もう1回火をつければいいじゃない

 ↓

普通ケーキ全交換するんだよ だれかがろうそくを吹き消したケーキを 中古でだせるか?という

おまえなら

だれかが舐めたケーキを だせるか?

唾液がとはいわん

でもおまえ、ろうそくを消すっていう行為をしたから、

これ、

使用済みだよな?

anond:20200816131856

自分誕生日ケーキろうそくを消された

やったほうは冗談だったんだろう

だけど

ろうそくを抜かないと かわりのが させないか

けっかろんケーキごと交換するしか無い

 

だれかがろうそくを消した おさがりの 中古ケーキ

主賓に出すわけにはいかない

わかるよな?

ケーキ全交換なんだよ

2020-08-15

anond:20200815165502

誕生日ケーキろうそくに火をつけてくれっていわれたら

そりゃ、よろこんでってつけるよ?

2020-07-16

あたらしい長者どんのお話

むかしむかし。ある村で、重税で首を括るものが頻発しておったそうな。

その村の、長者どんの息子どんは、その噂をいつの間にかに聞きつけて、いつも首を括る村人の最後個人的自主的に立ち会っていたそうな。

今にも首を括ろうとしている村の衆を、膝を抱えてじっと見ていたそうな。

重度のうつから若干の改善が見られる頃にもっとも多くの患者が首を括るから、多くのものは、長者どんの息子どんが眺めていることを知っていても、頓着せずにぶら下がったそうな。

あるとき、今まさに首を括ろうと台から足を踏み出そうとした者がおってな。長者どんの息子どんに気づいて、たまたま、こう言ったそうな。

「長者どんの息子どん。オラは払える税は全部払って、嫁も娘も売りに出した。でも、税がきつくて、それすらももう何も残っていないのです。どうか、せめて死に際くらいは目をそむけてもらえませんか」

長者どんの息子どんは、功徳を積んだ優しい声でこう言いました。

「まだ税が足りないのだね。お前が死んだあと、さらに厳しく税をかけよう、お前の名でね。あと、嫁も娘も俺が抱いた。締まりのないババア醜女だったぞ」

ろうそくの炎が燃え尽きようとするとき、はげしく光り輝くように、首を括ろうとした村人は、長者どんの息子どんに掴みかかろうとしたそうな。

けれど鍛え抜いた長者どんの息子どんに押さえつけられると、ピクリとも体が動かなかったそうな。

泣きながら「もう嫌だ、助けて」という村人に、長者どんの息子どんは、為政者としての矜持をその後光に輝かせながら、

「つまらない死に方だな」

と言って、踏み台を蹴ったので、村人は無事昇天したそうな。

長者どんの功徳が、また高く高く、積まれていった。

めでたしめでたし

2020-06-10

やす気持ちがいい

自分は燃やすのが好きだ

やすといっても放火癖とかそういうのではなく

暖炉の火って落ち着くよね、とかそれくらいの一般的レベル

人が焚き火暖炉の火を見ると落ち着くのは太古に火を使って暖を取ったり外敵から身を守っていたので安心象徴として記憶のどこかに深く刻まれているとか、炎のゆらぎが心を落ち着かせるとか色々な理由があるらしい

理由はどうあれ燃やすという行為は心が安らぐのは確かだ

自宅待機しながらなにをしたら一番気分が落ち着くかなと考えたら燃やすことだった

ただ燃やすといっても気持ちよさとしては条件によって色々だなと思っている

基本的には焚き火暖炉ろうそくなどは別物と考えている

もちろん焚き火などそれはそれでとてもいいムードなのだけど、自分が最も気持ちいいのは

「部屋の机上などでなんかちょっとやす行為なのだ

具体的には灰皿的なものの上で燃やすのが一番気持ちいい

色んな物を燃やすのだけど煙が出すぎて火災報知器が反応しても困るし

やすのはあくまちょっとしたもの

そのちょっとした物が燃えて灰になっていくのを眺めるのが気持ちいい

やすものによって趣も色々と違ってくる

レシート

スッキリとした燃え方で後味は悪くない

ただ匂いはややケミカル臭があり微妙

炎そのものはそれなりに動きもあり楽しめるが燃え尽きるまでがわりと早い

つまようじ

花火でいうところの線香花火のような儚さがあってなかなかよい

さな木を燃やしてるわけで時間的にはそれなりに楽しめるが燃えやや重たさもある

はがきノートの切れ端

炎の動くという意味ではちぎるサイズとたたみ方により無限可能性を秘めている

燃えスピードはかなり速いので余韻などはないため後味としてはカジュアルおつまみ感覚で楽しめる

割り箸

ハードコア

火災報知器作動もあり得るため基本的にやらない

ただ木の爆ぜる音が聞けるのでどうしてもそれが聞きたい時にやってしまうことがある

ティッシュ

洗練という言葉が似合う

丸める時の圧縮具合で超軽量から極太まで幅広い燃え方を楽しめる万能型

燃焼後にチリチリと細かい粒子が線を描くように走る残り火はなんともいえない複雑さで美しいバレエのようでもある




自分ノートの切れ端→ノートの切れ端→つまようじ→ティッシュというコースで楽しむことが多い

以前は換気扇の下で延々とティッシュを燃やしたりもしたことがあるが、最近デザート的に1回だけ味合うようになっている

ちなみにティッシュなどは燃え尽きた後の灰は非常に軽いので鼻息だけで燃えカスが舞い上がるため注意が必要

2020-06-08

バンクシーの新作

https://www.cnn.co.jp/showbiz/35154935.html?ref=rss

解説がザルなのでこっちの見解を述べると、ろうそくホワイトなことに意味がある。

ホワイトろうそく自分自分星条旗を燃やしていて、ブラック(色)は星条旗を取り囲んでいる。

この構図は両者ともに星条旗を恨み、燃やしているという図案。

2020-04-05

翻訳

知恵袋質問した質問なのですが字数制限がきたのでここに載せます

Negli ultimi anni, mi sono sempre preoccupata di procurare delle candele che illuminassero l'angolo di strada su cui affacciava la finestra della camera da letto di mia sorella, il punto in cui sorgeva il cumulo di macerie in cui mio padre iniziò da subito a scavare e da cui il suo corpo, abbracciato dal piumone e dai soccorritori, in gran parte amici, dopo 13 ore, tornò alla luce. Era giorno, dopo 13 ore, e faceva anche caldo. Eppure, il buio di quella notte e di quella strada resta inciso nella mia memoria, insieme a tanti altri particolari che spesso ho condiviso, senza che le parole mai bastassero né riuscissero ad essere definitive. Quest'anno, a causa di quel che tutti stiamo vivendo, non potrò illuminare quel pezzetto di strada, né dare spazio a quel gesto simbolico che mi dà serenità. Va bene così.

Illuminele mie finestre con le candeline che sempre ho in casa e alla cui luce spesso mi cullo e, nel farlo, mi farò aiutare da quel figlio adorato che ha per la zia pensieri di affetto che riescono sempre a stupirci, nella loro disarmante spontaneità.

Come Comitato dei familiari delle vittime abbiamo chiesto a chiunque possa e ne senta il desiderio, di accendere una luce o una candela, nella notte tra il 5 e il 6 aprile: in ricordo dei nostri cari ma anche di tutti i connazionali deceduti nelle ultime settimane , a causa del Covid-19. Un pensiero di vicinanza che non possiamo non esprimere in occasione di un dolore che per noi si rinnova immutato ma che per qualcuno è soltanto all'inizio.

So che tanti di voi mi saranno vicini con il pensiero, so che tanti di voi mi stringeranno e mi aiuteranno a fare luce, nel buio.

Vi ringrazio. Con il cuore.

6 Aprile 2016, via XX settembre 123.

5 vittime: Anna, Claudia, Katia, Piervincenzo, Rosina

[Ph. Giovanni Max Mangione]

近年、姉の寝室の窓が見える通りの角を照らすろうそくの取り方にいつも気を使っていました。瓦礫の山があり、父はすぐに掘り始めました。 そして、羽毛布団と救助者に抱かれた彼の体は、13時間後、ほとんどが友人で、明かりに戻りました。 13時間後はもう昼間であり、暑かったです。 それでも、その夜とその道の暗闇は、私がよく共有している他の多くの詳細とともに、はっきりとした言葉が足りなかったり、管理できなかったりして、私の記憶に刻まれたままです。 今年は私たち全員が経験していることのせいで、その道路の一部を照らすことも、静寂をもたらすその象徴的な行動に場所を与えることもできなくなります。 わかりました。

はいつも家に置いてあるキャンドルで窓を照らします。そしてその光の中で私はしばしば揺りかごを立てます。そうすることで、私はいつも私たちを驚かせることに成功した彼の叔母への愛情の考えを持っている愛する息子によって助けられます

犠牲者家族委員会として、私たち4月5日から6日までの夜にライトまたはキャンドルをつけることを望んでいる人や感じている人に尋ねました。私たち愛する人だけでなく、過去数週間で亡くなったすべての同胞たちを思い出して 、新型コロナウイルスのために。 苦しみの時に表現し損なうことのない親近感は、私たちにとっては変わりませんが、誰かにとってはまだ始まったばかりです。

あなた方の多くがその考えをもって私の近くにいることを知っていますあなた方の多くが私を抱きしめ、私が暗闇の中で光を当てるのを助けることを知っています

感謝します。 心を込めて。

2016年4月6日、XX Settembre 123(住所)。

犠牲者5名:アンナクラウディア、カティア、ピエルビンセンツォ、ロジーナ

[写真: ジョバンマックスマンジョーネ]

Facebookから転載しています2009年ラクイラでの地震に関する文章です。

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