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https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。
大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都の山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制のイベントだったけど、ああいう体験って、あの時分じゃないとできない。
大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉のカフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。
教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。
大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部とか文芸サークルである。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
次
約十年前に、とある4年制大学を卒業した。名を佛教大学という。
高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったことである。
なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。
普段から増田に投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。
佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士や作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立に不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である。
なんで自分がここに入学したかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学の社会学部に進むことになった。
大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。
学業は一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。
アルバイトは金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態はサークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家のコピペだったのが記憶に残ってる笑
ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。
学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークルの飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。
冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。
大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族や兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。
でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である。
当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。
そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。
入社したところは、いわゆる超一流ではないけど、佛教大学の卒業者で会社員~という観点からすると、相当いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だろう。卒業間近には、就職活動終了者との懇親会に招待された。
さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。
入学式と最初のオリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗の大学だったので、そういう縁からか、知恩院の僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。
今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。
この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代の日記を参考に書いていく。
以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。
新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。
先生がそれから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。日記によるとスポーツ推薦で入った子だった。授業はきついのだろうか。
「もういい。お前は落とすっ!!!!」
先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。
当方は、京都生まれの京都育ちである。佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。
しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事の最中だった。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。
一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだから。マナーも常識もこれから勉強すればいい。
しかしbut。自分が学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。
(貸出物品のこと)
多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨の張り紙がしてあった。
「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」
久保帯人のブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。
キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食は禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間にステージ上で寝てる人が多数いた。
いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分の認識としては……「なんでこんな貼り紙が存在するのだろう。管理者がダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。
大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学は自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。
(コピーカードのこと)
何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的なもの(ex.学内新聞の関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味の出版物だと難しいものがある。
同じ部活にいた文学部(学科は忘れた)の女の先輩が、趣味で同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミの教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。
もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷費無料で販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。
「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。
「増田君。文学活動にはね、お金が必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」
だってさ。あまりにクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑
(参考:https://tadaup.jp/702e034b1.jpg)
※度数1000のコピーカードの画像。自分も教授から借りてそのままだった笑
早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。
そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。
次
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
赤:[高]橋真人@神奈川46 緑:松林陸@大阪20 白:片渕陽平@東京31 青:伊藤倫@千葉32
・01 タージマハル
・02 『ニルス(のふしぎな旅』
・05 WINNER ウィナー
・06 [すべて]東京国立博物館 京都国立博物館 奈良国立博物館 九州国立博物館
・07 [頭文字]みやげ
・08 MORE
・09 [近似値]459
・10 Travis Japan トラビスジャパン
・12 8(世紀
・13 マルゲリータ
・14 納言
・15 多い
・19 1(番
・25 [3択]アレグロ
・26 JPY
・27 若山牧水 わかやまぼくすい
・28e ピーチ)メルバ
・yy シンガポール
赤:宮原大豪 西大和学園高2@奈良 緑:藤城裕聖 春日部共栄高3@埼玉 白:鈴木功夫 県立一宮高2@愛知 青:大友孝祐 大阪大附高天王寺校舎3@大阪
・02 カシオペヤ(座
・03 カタール
・04 27(倍
・05 浜松(市
・09 ガリットチュウ
・11 [近似値]47万4,051人
・14 キュア)ウィング
・16 e
・25 午前)6(時ごろまで
・27 imase イマセ
・28e [3択]銀
・xx (なし)
日本人男性の平均身長は172cmのはずなのに、180cmが珍しくなくて160cm台が皆無の職場ってある
というか採用面接時に172cmで足切りされたのかなというくらい172~182くらいに身長が集中している
その職場においては平均が178cmみたいな偏り方 日本人男性の身長分布から考えると中央が171~172なんだから自然にこうなるわけがないのに
財閥系に多い気がする ジムに行っている人の率も高くて、体が薄い人が少ない気もする 100%が元運動部
男性が人事で男性を新卒採用しているんだけどルッキズム的なふるいにかけられているというか すごく画一的
男性が男性を見ためで選ぶとこうなるんだな…という ジャニーズ系ではない 細くない 健康的
髪型も似たような感じ 額を出して必ずセットしている 髪質もハリコシのある直毛ばかりというか、同じタイプばかりのような気がする
白人は色素が薄く細いカールした髪が多く、太くてコシがあってツヤのある強い直毛の黒髪は東アジア人の特徴らしいけど、そういう東アジア美意識って感じの髪質
汗だくになってもペタッとしなさそうな髪質とでもいえばいいのか…伝わる? あるよね一本一本にコシがあるせいなのか髪洗ってなくても皮脂でペトっとなりにくい髪質
(実際に清潔かは別として「清潔感」があるように見える髪!逆に、薄毛気味の猫っ毛だとペトっとなりやすく髪を洗ってても不衛生に見えがち!)
そして丸の内勤務の財閥系の正社員の異様なほど画一的な印象と逆で、工場勤務は容姿がばらばら
163cmもいれば181cmもいる すごい不細工もいればイケメンもいてあまり容姿のパターンがみられない バラバラ
「こういう人、工場勤務に多いよね」という容姿の特徴が何もない
丸の内勤務の財閥系の正社員の男性の画一的な印象はナチス親衛隊に近い
ナチス親衛隊の条件、金髪、青い目、厚い胸、23歳から35歳まで、身長180cm以上、「純粋のゲルマン民族」
ナチスとイコールではないけど 長身の筋肉質の健康体の純粋な日本民族という感じのなにか コシのあるツヤツヤの黒髪で額を出した髪型が「美しい純粋な日本民族」の象徴?
忘れてた、あとメガネのひとがいない IT系は眼鏡だらけ、工場勤務は意外と眼鏡がいる、財閥系の若手は本当に眼鏡いない 視力が良いのではなくコンタクトレンズらしい
なんか財閥系にやたらいるよねの容姿を芸能人でいうと、俳優の小泉孝太郎っぽい人と、お笑いコンビ「さや香」の新山っぽい人がいる
顔もそうだしなによりスタイルがあんな感じ スーツ着た感じとか髪型とか髪質とか本当にあんなかんじ
野村萬斎っぽい人もいる YouTuberだと東海オンエアのりょう 典型的なプルゴリより、いかつさが少なくて顔が薄い気がする でも貧相ではない
買い物依存症を診る専門の精神科医はおそらく都内にいると思うが、精神医学の世界では「買い物を繰り返すことが行動嗜癖だというエビデンスは希薄」ということになっていて、買い物依存症というものは公式には存在しないということになってる(DSM-5にもICD-11にも載ってない)。
なので治療してる医師がいたとしても、しっかりとした科学的根拠に基づいた治療をしてるわけじゃなく「ぼくが考えたさいきょうの買い物依存症ちりょう」をしてる可能性が高いと思う。
依存でないなら何なのかっていうと、止めたいのに止められず苦しんでるわけだから、いちおう強迫症カテゴリになるのかな。
それにしても都内ボロアパートって狭そうだけど、それだけモノを買って置いておけるスペースあるのかという疑問が……。モノを買うだけ買って要らんもんはフリマで売ってるの?
増田はそういう妄想したい子でもマジでそういう子いるみたいなのでお可哀想にって思ってるよ
これ結局はお金の問題ではなくて親が愛してくれなかったに繋がるんだと思うんだよな
性トラブル防止のためにここは婚活業者も別に勘違いを利用者に与えていないと思うんですけど、
婚活はお手軽に恋人が出来てデートができるシステムでは無いです
配偶者候補と"面接"ができるシステムです
ただ、出会いは出会いなので、配偶者候補としてお互いに出会っても、
一目惚れや自然と恋人関係になれるということもあるというシステム
フツーは稼いでる方が出すよね。出したくないなら同じ所得の人か1人で過ごしたら?
金持ってるのに金ない風を装ってキャバクラ来る奴はやっぱいるそうな
いや実は俺キャッシュで3000万持ってたんだよねとドヤっとネタバレに対応したことがあるとのこと
ってかYouTubeの動画企画でもヒカルと気づかれず塩対応されとったのあったような・・・?
ワイの知り合いの夜もどこぞの御曹司がそういう遊びしてるの対応したことあるそうな
美女・イケメン・かわいいだったら人生無敵?自己肯定感モリモリ?
ンなわけね~~~~~~~~~~~~のです
具体的にはコンカフェや水商売やエロ撮影&販売やアプリで立ちんぼ始めます
DV野郎となぜか付き合ったり、まさかのお手当や仕事の口利き無しで不毛な不倫・セフレもします
性の安売りしてない人は何をしてるのかというとフツーに会社員として働いてます
見目が良い人に対しては甘い人がやたら多いので、あからさまに能力が足りなくても面接まで辿り着ければまず落ちませんし、
血迷って技術畑に来るとひたすらに迷惑な人だけど、営業畑であれば若い間はある一定の成績は確実に出せます
あいました。しかも、おかあさんとかおがそっくりなのです。でもせっかくあってくれるんだしな
とおもいいっしょにすごしてみることにしました
まちをあるいてると、おんなのひとが「ここにちょっとよっていいですか」とほんやさんをゆびさしていったので「ええどうぞ」とわたしはいいました。それでほんやさんにはいると、おんなのひとはいりぐちふきんのしょうぎのほんをなんさつかてにとってよんでいました。「もしかしてしょうぎがすきなのかなそしたらまたおかあさんといっしょだ」わたしはやっぱりふしぎでした
ほんやさんからでておなかがへったので、おそばやさんにはいることにしました。
おんなのひとは「もりそば」を
ぼくは「カツどん」をたのみました
するとおんなのひとが「いいですねぇ、かつどん
わたし、すぐもたれちゃうから…」ともうしわけなさそうなかおでいいました
それもまたおかあさんといっしょでした。おかあさんはあげものがにがてなのです…
とうちゃくしたりょうりをたべていると、じっと
おんなのひとがこちらをみているのにきがつきました「なんだろうなやっぱりかつどんよくなかったのかな」わたしがそうおもってるとおんなのひとが「あの…ちょっといいですか?」と
おんなのひとはぼくのはしのもちかたがどうやらきになったみたいで、それでみていたらしいの
「すいませんこれでおぼえてしまって…」とぼくがいうと「じゃあいまからでもなおせるかやってみましょうか」とおんなのひとはいいました
それでおはしのもちかたをおしえてもらったわけだけど、これもまたおかあさんといっしょでした
おかあさんもよくぼくのおはしのもちかたをあーだこーだいうのです
で、いろいろあって
ぼくたちはホームセンターをうろついてました
そのホームセンターでめっちゃかわいいジンベイザメのぬいぐるみがあり、おんなのひとがべつのものをみているすきにぼくはかおうとしたけど
サイフのなかみがたりません。うう…そんなぁ
ぼくがあきらめようとしたそのとき「ふーん、これがほしいんだ」おんなのひとがうしろでつぶやきました。ぼくはいきなりだったのでびっくり
「いや、その…みていただけです」とごまかしましたが、おんなのひとはなにかさっしたみたいで
にんまりわらって「かってあげよっか?」といいました。で、けっきょく50センチぐらいあるぬいぐるみをかってもらったわけで
「はしのもちかたはれんしゅうしたほうがいいよ
てかしてね」といわれたのでいまもなんとかただしいもちかたをれんしゅうしています
にしてももっとおんなのひとにかっこいいっておもわれるようなおとなになりたい
お疲れ様です。
本日は何の日なのでしょうか、貴方にとって特別な日か、何でもない日であることを祈りたいところです。
さて、一昨日まで何とか続けてこれた増田朝礼でしたが、この日記で終了となります。
理由としましては、連続かつ連日で似たような日記を書き続けるという動作を維持できなくなったからです。
こんな夜更けに表明するような内容ではありませんが、昨日日記を書いていないことに今更気付いたので今、書いておこうと思ってここで筆を取っております。
元々サボりぐせのひどい人間だったものが二年以上も連続で日記を書けたことは結構頑張った方なのではないでしょうか。
これで強迫観念に追われずに済むと思うと少し清々とするような、この程度も維持できない精神状態なのかとうんざりするような気持ちです。
なんというか、中身のない日記をそれっぽくテンプレートのようにして、そこに文字を書き連ねてしまっていただけですので、まぁこれがこの情熱の無い殴り書きの最後なんだなぁと思うと、それらしいっちゃらしい最後かもなぁと思います。
まぁ最後と言えども、別に私自身が増田を止めるとかそういうことは多分ないんじゃないかなぁと思います。
というか、私が個人的にダラダラと続けてきた増田朝礼はここで終わろうと思っていて、本日より後に出てくる増田朝礼は多分もう私が書いたものではないので、そこら辺は上手いことやっていきましょうって感じです。
まぁつまり、誰かが増田で朝礼ごっこをしてもそれを止める権利みたいなものとかは元々ないし、私がそういうのを主張することは一切ないし、序盤に似たようなことをされて『本日二度目の増田朝礼ですよ!』とかしていましたので
最初から勝手に増田の朝礼を名乗っていたものを返上し、誰かが誰かのユニークで書くもののその自主性と自由度を尊重したい形です。
そんなことを言いながら終わる終わると書いているのは矛盾しかありませんが。
そんな感じですので、長々ダラダラと続けさせていただいた増田朝礼を本当、気分的に、刹那的に終わろうと思います。
褒められる終わりようではないのですが、やはり、単純に私個人に限界が来ていたのでしょう。
情けない結果となりましたがここで終わりとさせてください。
二年以上もの長い間お付き合い頂き、誠にありがとうございました。
ということで、締めの挨拶らしく【お世話になりました】と【お疲れ様でした】で締めようと思います。
大変お世話になりました!
それでは、ありがとうございました!
「どう見ても中指なんか立ててない、マスゴミのいちゃもんが酷すぎる」
って戦線張ろうとして即座にハシゴを外されたネトウヨくんたちは、謝れるんやろか
フジテレビが「自衛隊員が中指立てた!」って騒いでるらしいけど、どう見ても顔掻いてるだけにしか見えないし、そもそもこの曇った光しか感じ取れないと思われるビニール窓越しに自衛隊員から外のどの辺りに誰がいるかなんて判らんだろ。マスゴミの被害者意識酷すぎるって証拠になっちゃってるよこれ pic.twitter.com/BodsgbsARl— りょうちゃん@Ver.1.0.2 (@SAIKYO_Ossan) November 6, 2023