はてなキーワード: りぼんとは
https://twitter.com/huffpostjapan/status/1562231293475442689?s=21&t=oYmFSf-DkfEdWpUCWOvBqg
みんな大好きハフポストがりぼん編集部の作った「生理カンペキBOOK」を紹介しているが、これがそこそこ男性と思われる人から反発を受けている。
このように女性の生理について「男性も知ってほしい」と言うと男性から反発があるのが何故か考えてみたが、やはり恋愛経験の格差が影響しているのではないだろうか。
所謂非モテ男性は恐らくだがこの手の言説を見ると「女に嫌われてキモがられてる俺が、なんで女に気を遣ってやらなきゃならんのだ、ふざけるな」と怒りを覚えてしまう……そんな気がしてならない。
個人的には妻や彼女がいる男性は生理について知ってもいいんじゃないかと思う。その知識で何かと得することがあるかもしれない。
大人になってもジャンプ読む人は多いが、大人になってもりぼん読む人は少ない
元々女性のみ(男性はほぼ読まない)な上に子供向けは子供読者のみ、大人向けは大人読者のみと年齢層も固定されてるから
(追記)
ブコメ「増田の観測範囲が、りぼんちゃおに偏りすぎていて、不安。うーーーーん、山岸凉子あたり、手薄すすぎる」
ちなみに自分は少女漫画は花ゆめ、LaLaからぶ〜けで育ち、作家買いなら萩尾や山岸なのでむしろりなちゃ方面をよく知らない。(読んでいないわけではない。)ヤングレディースも当然ながらflowersくらいしかまともに読んでいない。(これも他を読んでいないわけではない。)それらも全て「少女漫画」というジャンルで括られてるな、男性向け漫画とはジャンル分けの方法が違うな、と考えてこの増田を書いたわけだ。
(追記終わり)
りぼん、ちゃお等の小学生向けからフラワーズみたいな30代以上向けまで
全部「少女漫画」と呼ばれている。
と一応細かくジャンル分けはされているらしい。でも読者は全部少女漫画呼びしてる気がする。
ちなみに「レディコミ」は性描写もメインコンテンツの一つである、大人女性向けのジャンルだが、これは少女漫画とは呼ばれてないな。レディコミ、と明白に区別されている。
あと主に少女漫画的手法で書かれているBLも少女漫画とは呼ばれない。
世間では少女漫画のイメージは未だに子供〜中高生向け恋愛キラキラ、で止まってそうな気がしてる。実際恋愛もの多いような気がするが。最近はそれ以外のやつは青年誌で連載出来るようになったから、余計に恋愛ものが少女漫画雑誌に残りがち、という気もする。
少年漫画レーベルで連載しているから少年漫画のラブコメっぽい演出は入るんだけど、どうも作者さんのラブコメの基礎は少女漫画にあるっぽくてちょくちょく少女漫画的な演出がこぼれ出るんだよ
ただ少女漫画と言っても少女漫画誌で言えば「少女コミック」とかそういう高いレベルの少女漫画ではなく「ちゃお」とか年齢層を上げても「りぼん」「なかよし」レベルの演出にしているっぽい
だから悪女は出てこないけれど、宇崎ちゃんと仲の良い女友達とかは出てくる
あとちなみに補足するけど、宇崎ちゃんは遊びたい!の登場人物は圧倒的に男性比率が高いのもポイントだな
先輩、先輩の悪友のイケメン、先輩の悪友の三枚目、宇崎ちゃんの女友達の親父であるイケオジ、宇崎ちゃんの親父、先輩の親父、宇崎ちゃんの弟etc...
作者さん女よりも男を描きたいっぽいよな!w
・頼むから誤解するな
誤解しないで欲しいのが俺は普通に巨乳キャラがたくさん出る漫画やアニメを消化しまくってる。
エロ本含めたらこの文章を読んでいる10000人中の10000人より読んでる。
ちなみに好きなサイズは顔よりも大きくて乳首も大きめ、パフィーニップルでロケット型が好きだ。
・目元が描かれない事と、その理由
本題に戻るが、単刀直入に言うと「男主人公の目元が描かれていないのが気持ち悪い」。
良く知らない人のために説明すると、エロ漫画において竿役(まんこにちんこを挿す男性役)の個性が強すぎると読者が集中できなくなってしまう現象がある。
それを避けるために竿役男性の外見の個性を減らしていった結果、「竿役の目を描かない」という表現を手に入れたのが現代のエロ漫画だ。
もちろん一般の少年漫画にも内気な少年や物理的に髪の毛で目が隠れてる男性キャラというのは存在する。
でも前者は個性を消すための目消しであり、後者は引っ込み思案や感情を表に出さないという個性のための目消しである。
ここまで説明すれば分かったと思うが、月曜日のたわわの主人公の目元を描かない表現は明らかに前者だ。
主人公は引っ込み思案なキャラでもなければ感情を表に出さないキャラでもない。
ヒロインが性的に魅力のあるキャラとして描かれており、男性主人公は「読者に気を散らさない竿役として個性を減らされたキャラ」として描かれている。
俺はこれこそが本作最大の問題だと考えている。
作中世界の1人格をもつ架空のキャラではなく読者として描いてしまっていることがたわわの最大の問題点なのだ。
作者の比村奇石はリスクを背負ってでも男主人公に人格をインストールするべきだったと思うし、
結局男の人格を生み出せなかった結果、次回作で相当な苦労をすると予想される。
エロ漫画というのは基本的に読者に抜かせることをゴールに作られている。分かりやすく言うと勃起して射精させれば勝ちである。
そのため、過去の時代では爆乳扱いだった胸のサイズも年々増大した結果、今では一般的に巨乳キャラ扱い。
過去の巨乳キャラは普通サイズとなってしまい、過去作を読み返すと違和感を感じるほどになってしまった。
他にはスレンダー派よりもムチムチ体系が主流になりつつあり、ライザのアトリエの下半身ややムチ体系の発達と周知により、グラマーどころかちょい太めまで世間のストライクゾーンとして確立されたのが現代である。
とにかくエロ漫画というのはモテない男性であろうが、モテる男性であろうが抜ければ何でもいいの精神で進化してきた。それがエロ漫画の根幹となる文法なのだ。
同人などで必要以上に胸のサイズが盛られるのも「抜ければ何でもいい」の精神だし、眼鏡かけさせるのも然り、とにかくシコリティ(シコシコしたくなる度合)が高ければ勝ちなのがエロ漫画の世界なのだ。
エロ同人というのは自由なようでいて実際は外的にも内的にも売り上げという数字で殴り合う過酷な生存競争の世界なのだ。
その結果、進化したエロ漫画業界は胸を盛ることを覚え、上半身は太らせずにふとももやケツの下半身をムチムチさせることを覚え、寝取られによって快楽物質を操ることを覚え、
メスガキによってロリコンの需要を満たしつつユーザー層の拡大を増やす手法を覚え、大爆発的な進化を遂げてきたのがこの30年間のエロ漫画業界である。
女性キャラに対して「スレンダー体系から下半身ムチムチ爆乳体系への進化」があったのなら男性はどうか?
その中の1つの表現や文法として「竿役の徹底的な無個性化」と「テンプレート化」が行われた。
竿役の無個性化は先ほど説明したように男性に必要以上に個性を持たせない徹底的な引き算の美学だ。
竿役が奇妙な語尾を使ったり竿が2本だったりあまりにも不細工だったりギャグ風のデフォルメだったりすると
女性キャラよりも男性キャラが目立ってしまいエロシーンに集中できないという読者は少なくない。
というか男性に個性は要らないと思うシコり手の方が多数派なので改善すれば数字として必ず結果が出るくらい鉄板と言われてる。
一方、無個性化の発達と共に「テンプレート化」も発展を遂げる。
ここまで書いたけど横道にそれ過ぎて長くなるし眠いので寝よう。
言いたいことは
たわわはエロいから問題でもないし巨乳だから問題じゃなくて、「エッチな青年漫画」ではなく、「エロ漫画の文法で描かれたエロ漫画が青年漫画のフリしてる」から気持ち悪い。
ふたりエッチはエロいけどエロ漫画じゃない。でもたわわはエロ漫画なんだ。ふたりエッチは「エッチの勉強として読める」けどたわわは「エッチの勉強として読める」か?
トラブルはエロいけど少年漫画なんだ。でもたわわはトラブルより肌の露出なくてもエロ漫画なんだ。「トラブルはラブコメディとして読める」けど「たわわをラブコメディとして読める」か?
いちご100%はエロいけど恋愛漫画なんだ。というか恋愛漫画って結局恋愛という戦場でのバトル漫画なんだ。たわわをバトル漫画として読めるか?
たわわを最近流行ってる人気のラブコメ漫画やファミリー漫画みたいに角度や解釈を変えることで読むことができるか?できないだろ?
エロ漫画なのが悪いんじゃない。エロ漫画の文脈で描かれたエロ漫画なのに青年誌で連載している。ルールから逸脱してるのが問題なのだが、それについて作者本人が全く気付いてない。
なんとも説明しづらいんだが、なぜフェミ婆から標的にされるのかというと、そういうことなんだ。
エロ漫画の文法は表に出しても知らない人は知らないが、感覚的に本質はバレてしまう。
しかし知らない人にとっては原因が分からず不快感だけをずっと抱え続けることになり、最終的に攻撃という行動に出てしまう。
昨今のフェミ問題の根底にはエロ漫画の文法・表現は表の世界に出してはいけないというオタク・製作側の自制心が欠けているのではないか。
もちろんこれはBLや行き過ぎたジャニーズの裸露出にも言えることだ。
確かに表現の自由は守られるべきだがエロ漫画の文化というのは裏に隠すからこそ発展してきた歴史がある。
それをもう一度考え直してくれないか。
・少年漫画から「女の裸」が日常的に消えたことによって起きた問題
・当事者が誰も気づかないフェミニストが攻撃的になってしまう最大の理由
・女性の権利を守りつつエロティシズムという芸術を子供に継承するためには
・「月曜日のたわわに対する批判の正体」と「フェミニズムによるグラマー女性(実在・非実在)への表現規制活動」は別軸で考えるべき
・無個性男性キャラは男の読者から非実在キャラと向き合うリスクを消失させかねない
でもたわわ、おまえという作品は創作の世界において守るべきルールを破っている。
まずそれから反省しなければこれからも問題は起き続ける。まず個人として解決しろ。
「りぼん」に新連載「りぼんの拳伝承者」を掲載して売り上げトップ飾って雑誌に貢献したとしても、それは絶対に許されないことなんだよ。
もしも日本で、「ハゲ盗撮」「ハゲ触り」という行為が社会問題になってて、
でも女性を中心に「ハゲをバカにして面白がる」のが、DLsiteやpixiv、ananやちゃおなかよしりぼんといった多媒体で楽しまれてて、
DLsiteやpixivだと「ジャンル:ハゲいじり」で検索できるくらい人気になってて、
そんな中で「月曜日のハゲ」っていう漫画がハゲいじり漫画の一つとしてあったとして(脱毛症の人に「よく頑張ったね毛母細胞」ってLINE送って楽しむみたいな内容)、
朝日新聞で「月曜日のハゲ」っていう漫画の広告が一面に出てたら、
表現の自由戦士確実にブチギレるだろ
動物のお医者さん、バナナ・フィッシュ、ここはグリーン・ウッド、ポーの一族、恋愛描写があってもBASARAとか、ぼくの地球を守ってとか、絶愛とか、ガラスの仮面とか、ドラマチックなストーリーに生きるか死ぬかで派手な展開なら結構楽しかった。
りぼんくらいの対象年齢低めな雑誌でも、有閑倶楽部、ちびまる子ちゃん、お父さんは心配症等々大人でも楽しい漫画は多かった。
何か気がついたら少女漫画に学園恋愛物とかがどっと増えて、恋愛好きなティーンに対象絞り込んだ感があって、オタクは少女漫画読者からはじき出されたような気がする。
今の時代に少女として生きてたら、多分初めから少年漫画に行ってるだろうと思う、恋愛に関係しないで生きてるヒロインが沢山いるから。
恋愛必須な感じでヌルい恋愛物に溢れてる今の少女漫画界が息苦しい。
詳しく知らんだけで今のオタク少女を受け止める少女漫画も沢山あるんだろうけど。
てゆーかあってほしいな、ないと寂しい。
初めに断っておく。これは全部俺の実体験だ。
最近、壁を歩く男に会わなくなった。
日本中どこにでもいて、みんなが見たことがあるだろう、あのニンジャだ。
なに、ニンジャを見たことがない? 車や電車の窓からぼんやり外を眺めていると、風景と並走して走っているのを幻視した子供は多いと聞く。
俺はニンジャを見た記憶はないが、これから話す男は、それに属するものだ。
学校、午後、お昼時。
眠気に耐えながらぼんやり授業を聞いているときに、そいつはよく現れた。
窓の外なんてもんじゃない、室内の、目と鼻の先をそいつは歩いている。
壁は泥のように変化し、足首まで壁にどっぷり浸かりながら、そいつはえっちらおっちらと室内を歩いている。
俺の足は壁に浸かっているし、足には苦労しながら壁を歩いている感覚がある。
そして同時に、椅子に座りぼんやりと授業を聞いている俺の感覚と意識も確かにある。
本来の俺と壁を歩く俺、二人の体の感覚を共有しているかのような、そんな奇妙な感覚だ。
俺はたぶん、三半規管だか何だか、とにかく脳の重力に関する部分に欠陥か緩みかがあるんだと思う。
お昼時のように意識が緩む条件のとき、その箇所が無意識からささやく。「あれ、おかしいぞ? 重力が真下じゃなく横を向いてるぞ?」と。
両者を脳がうまいこと折衷した結果が、「壁に立つもう一人の俺」であり、「足首まで壁に埋まってなんとか踏ん張る俺」なのだ。
子供の頃、俺は満天の星空や青空の大伽藍を異常に怖がる子供だった。それと何か関係があるのかもしれない。
脳科学者、オリヴァー・サックスならどういう診断をしただろうか?
そんな壁を歩く男だが、成人を超えてからも時々見た記憶がある。しかしここ最近、年をとってからはめっきり会うことがなくなった。
年をとったことで、脳のその辺の配線が変わってしまったのかもしれない。
もう、あの男には会えないのだろうか。もう一度、あの男に会いたい。
そして俺はあの男になって、もう一度壁を歩きたい。
ので、元記事では *近年の百合の勃興* と近代をつけさせていただきました。
少女文学も少女漫画も、かじった程度でしか把握できていないのですが、エス小説の系譜は少なくとも昭和50年代あたりではいったん途切れていた印象だったので、そう書かせていただきました。
コバルト文庫などの少女向け小説は炎の蜃気楼やなんて素敵にジャパネスク、ハイスクール・オーラバスター、丘の家のミッキー、破妖の剣、姫神さまに願いを、など男性主人公だったり、女性が主人公であっても男女の恋愛ものだったりで、マリア様がみてるが刊行されるまでエス的な作品はあまりなかった印象です。
あ、でも新井素子さんの星へ行く船のレイディとあゆみにはなんかそんな雰囲気があったようななかったような……。
少女漫画はなかよし、りぼん、ちゃおいずれも、登場人物の少女同士の友情はあっても友情止まりで、恋愛対象はいずれも男性のものだけだった記憶です。
例えば、星の瞳のシルエットとか個人的には当時の少女漫画の名作だとは思いますし、香澄ちゃんと沙樹ちゃん、啓子ちゃん、真理子ちゃんは親友ではありますが、親友止まりで百合とかエスとかの雰囲気も感じられないと思います。
エイリアン通りやそのスピンオフのCIPHER、ALEXANDRITEなどもエス的なお話はなかった記憶です。ただ、うっすらとBLちっくなものはあった気はします。
いずれも素晴らしい作品であることは間違いないですが、エスとか百合とかではないような。久しぶりに読み返したくなってきた。