はてなキーワード: やななとは
来るべき今日7歳年下の19歳のめっちゃ可愛いノンケ地雷女子と会うてデートして向こうの気分次第ではエッチしよるけど12年ぶりにレズセしよるから緊張で寝られへんしどうやったら彼女のドSスイッチ入るよう仕向けて私のこといじめたくなるようにすればええか皆目わからんし彼女が変態ドMの私の本性に気づいて欲情して私でレズセに目覚めて性欲ムクムクさせる姿を見たいていうかそれが全てなんやけど私のほうが年上だし身長20cmは高いし難しいかなって不安で中学生のときは7歳年上のビアンのお姉さんに欲情されて3年間ねっとり体撫で回されながらくすぐり調教されて全身敏感なドM体質に改造された経歴あるからなんとなくビアンオーラ出てると思うしそういうのなんとか嗅ぎつけて怪しんでもらってグイグイ設問して私の恥ずかしい過去暴いて主導権握ってもらってこの変態性癖全部告白させられて裸でベッドに手足✕の字に伸ばした姿勢で縛られてずっと見つめ合いながら胸を中心にくすぐまられまくって無様に何回もイくとこ見られたいしそんな私の恥ずかしい姿に興奮してビアン自認してマンコ濡らしてくれたら私気絶するくらい嬉しくなるけど過去私から女の子とセックスしようとして成功したこと一切ないから今回もそんなことにはならんのやろなあ寂しいなて思うしホントはずっと片思いしてる本命の子とそういう事したいのに嫌われるかもしれんから勇気がなくて全然アプローチ出来てないしなのにこんな浮気みたいなことしててマジで自分最低やななんでこんな性欲強いんアホみたいやしはよ死んだほうがええわって感じ
全然違うんだけどね。英国のほうの冗談は妻に向けたものでない可能性も高い、それで妻が(自分への攻撃だとして)怒ったから夫も怒ったというのは、妻の勝手なアレルギーだし、追従しかしない夫もあほやし、あと冗談で差別対象にされた側へも失礼やし。差別的な冗談言ったやつは元より…ただその冗談はプライベートな場の発言ではあったはず。
「同性愛は精神障害」で語る人々の大半が同性愛に気遣うあまり、精神障害にブーメラン投げ付けている事に気付いていない事が、この国全体の精神障害への意識の低さを表しているんだよなあ……。
オスカーのほうはがっつり妻へ向けたもの。いじり目的で差別が前面に出てるわけじゃないが怒るに足る発言なので、妻には理解いくというか問題と言える余地はほぼなし。
そうした、独りよがりで怒ったわけじゃない妻に対して、こちらでも夫はただ追従して怒ったのか? というと、衆目があったから微妙。だからこちらのあほさは前者と異なる。
あまりに他者への敬意がない冗談は無論ぴええなんだけど、一人相撲を取り沙汰させて同情買わせたりヒーロー視させるのもな〜って思ってた。
でもそうした感覚が情報受ける側の肌についてって一人相撲勢が台頭するかもしらんと思うとうええ〜。頭悪くて声だけでかい人が強いのは元からだけどそいつが一人相撲のくせに市民面すると思うとげえええ〜〜〜
ハラスメントが受けた側判定なのは、受けた側が正しいからじゃなく、いらんネガティブ感情を生んでしまうからなんだよな。善悪は明らかに倫理的な問題あるなら第三者の、軽微なら相互コミュニケーションの範疇で、受けた側が愚痴や陳情や感情の発露でなくただ被害者面して悪口言うのは筋が違うよな。いや加えた側にしてもそうだけどもな。
まあ、ハラスメント、道義的にはそんな感じで思ってるんだが、それと別に実用的に考えたいなとも思ってて。年下と話すときにそう言われる余地を少なくしたい。めんどいよね。
最近「褒めるのもだめ」って記事見たんだが。いいこ症候群な若者たちは褒め言葉をプレッシャーに思うからって。
ただ、それこそ受け手主義じゃない?とも思って。それこそ一人相撲だわ、年上は喋るほど損するし喋らなければ無愛想で怖い人やん。いや、わかるんだけど、無愛想怖い印象を回避するくらいの付き合い方をやればいいって。でもそれ得させる都合いい先輩しか受け入れられないことになりがちじゃんずるいわ〜切ないわ〜てなるのよな。
いや、元よりそんなもんか?
いっこ考えてたのが、自分に長けててかつ美徳としてそうな概念であんま積極的に褒めんほうがいいのかな〜と。
痩身頑張ってる人が「痩せた?」て言う感じのやつ。悪意はないけど価値観の押しつけになるので。
自戒。誠実に仕事してる自分マンセーで「あの人は誠実に仕事されてて…」みたいな言うもんな。いや職場が誠実さを求めてるならいいだろうが、それより作業効率増やせよってとこならいらん価値観だもんな。職場燃えろ。
差別についてだったかな、輪投げの近さで表現されている言説があって。
自分のほうが近い目標物について、そのように語らないのがいいよねというか。
別の目標物があることを、ちゃんと認識して、その認識がうまく相手に伝わるような(伝えるのではなく伝わるように)コミュニケーションをとれればいいよね、という理想。
同時に他者への敬意もそうだよな、と思ってた。
これ、今思うと、横に切り離すなら自他境界線で上下に切り離すなら差別だな? 上でちょくちょく触れた一人相撲なら自他境界線が引けてないってこと。
これさ〜上下に切り離しときながら私は横に切り離してるから〜みたいな面する人結構いるよね。他者蔑みながらそいつらが自分の正しさをわかるべきだと周りにアピールするけど当の他者には無関心面して受容させようというコミュニケーションはとれない人。愚かなコミュ障が正義を騙るな。
みたいな感じ。
よしまとまった。すっきりした〜
総合点は★★★★☆(星4つ)
2回目の前に制作陣のインタビュー記事などを読んで細かいネタが仕込まれているのに感心しつつ楽しめました。
良作画で動いていたのはすごく良かった。
特に「編集」作業シーンを「切る」ことに注目してアクションのある絵に再構成していたのは面白かった。せっかくのアニメなんだから動きのあるシーンはあってしかるべきだなあと。
あとこれは明確には示されてなかったので多分なんだけど。
「撮影」パートのクライマックスである「みんなでアイデア出して偶然虹まで撮れたカット」も切ったんだよね?
「撮影」パート成功の象徴のようなカットまでも切ることで、ジーン君の「映画のためには他の全てを切ることも厭わない」という面を表しているんだと思う。
しかし、それを明示してしまうと「空気を読んで仲良くすることを大事にするマス層」には理解不能で嫌われてしまうだろうから匂わせるにとどめたんだろうなと思っている。
ところで全体的にジーン君がウェットというかシリアスというか常人の枠から半歩しか踏み出していないという感じを受けた。
原作ではもっと狂人なんだよなあ、特に巻が進むほどに。「友情を、会話を、家族を、生活を、切れ!」とか原作ジーン君は言わない。
当たり前すぎるからわざわざ言わない。「息を吸え! 息を吐け!」って普段はあんまり言わないじゃないですか。
でもまあ1巻ベースだとああいう解釈もアリだと思う。むしろジーン君の物語って感じも出たと思うし、そもそもあまりに狂人狂人してるとマス層がまったく感情移入できなくなるから映画版としてはあれで正解だと思う。
さて、ここから減点材料なんだけど、アラン君および資金調達パートがぜんぜん響かなかった。
まずアラン君、お前は何なんだ。
再会して「あの時はノート悪かったな」とか言ってたけど、特に謝るほどのことでは無くないか。
たまたま雨の日にぶつかったらジーン君がノートを水たまりに落としただけじゃん。寝坊してメモやななにやらぶちまけつつ部屋を飛び出すような粗忽なジーン君なんだし。
ところでそういえば、その粗忽シーンもちょっと違和感あるんだよね。映画だけの男ジーン君が大事なオーディションの日に寝坊したり資料ぶちまけダッシュしたりするかね?制作陣インタビューによるとナタリーちゃんとの出会いのシーンをインパクトあるものにするためにすれ違い構成にしたっぽいんだけど、それってストーリーのためにキャラが捻じ曲げられてるよね。いや、構成自体は悪くはないんだけど、やっぱりそのためにキャラを捻じ曲げられると違和感あるんだよねえ。違和感と言えばナタリーちゃんがニャリウッドに上京するためにバイトで金貯めたっていうシーンでビルの窓磨きしてたけど、あれって上京してからのバイトじゃないとおかしいよね。原作にも窓磨きバイトのシーンあるけどニャリウッドでのことだし。ナタリーちゃんの故郷は農村地帯みたいだしビルなんてあるの?いやいまどきドコにでもそれなりのビルくらいあるのかもしれないけどミスマッチだとは思う。
まあ話を元に戻してアラン君ですよ。
アラン君が謝るってことは、元々のシナリオ的には学生時代のアラン君はもっとひどい奴にするはずだったんじゃない?それこそ、一度拾ったノートを破るとかまた捨てるとかするはずだったんじゃない?それなら「あの時はノート悪かったな」「暗記してたから平気」に違和感無くなるんよね。でもそこまでやっちゃうとあまりに悪すぎて資金調達したとて許されないというか、ジーン君とお茶することすら「なにこいつ?」って感じになってしまうから描写をぬるくしたのではないかなとか思いました。
でまあアラン君からも一回離れて資金調達なんですけど、最悪、ポンポさんなりおじいちゃんなりの私財とかコネクションとかで調達できないものなんかね?二人とも超有名ヒットメーカーなわけだし、財産もコネクションもすごいだろうし、なんなら主演のマーティンさんだって世界一の俳優なんだから金だってうなるほど持ってそうだしスポンサーになってもらえないもんかね?縁もゆかりもない銀行に出資を頼むより先にいくらでもアテはあるんじゃないの?いや、もちろんそういうアテを全部当たって、それでも足りなかったんだっていうならハイソウデスカとしか言えないんですけども。
まずアラン君、クビを賭けたギャンブルをした風だけど、そもそもその職場を辞めようかと思ってたくらいだからノーリスクなギャンブルだよね。なんだかなあ。
そんでクラウドファンディングに生中継でって無茶にもほどがあるけど、それ以上にひどいのは役員連中の手のひら返しの速度ですよ。頭取が出てきてOKしたとたんに「融資成立だー! ワッハッハー!」じゃないんだよ。お前数秒前まで大反対してたじゃねーか頭取がOKしたらまるで「ボクも本心では融資したかったんだけど立場上できなかったんだよね。結果として融資成立してヨカッタヨカッタ」みたいなポーズ決めてんじゃねーよ。いや、そういう変わり身の早さで出世してきたヤツだと言われたらハイソウデスカなんですけど。
アラン君に話を戻して、彼は「クリエーターでないマス層の感情移入先」として作られたキャラなんだと思うんですよ。
監督である平尾隆之氏のインタビュー記事(例えば https://gigazine.net/news/20210720-pompo-the-cinephile-takayuki-hirao-interview/)なんかを読んでいると「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマをお持ちのようなんですね。
「マジョリティ」=「マス層」ですよ。
このテーマは商業作品で表現するのは非常に難しいテーマだと思うんですよ。
だって多数の人に受け入れてもらうことが商業的成功なわけですよ。マジョリティに快感を得てもらわないといけないわけですよ。そうしないとお金が儲からないわけですよ。
しかしね、「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」ストーリーで「一矢報いられたマジョリティ側の人間」が快感を得るかっていうと難しい。だって矢が刺さってるんだよ。痛いじゃん。それで快感なのってドMくらいじゃん。
そこでアラン君の登場なんですよ。アラン君はマジョリティ側の人間なんだけどマジョリティ世界の強者である上司や取引先をしくじったりして、いまいちうまくいっていない状態なわけですよ。つまり、マジョリティ世界という巨大なピラミッドの底辺層なんですよ。でもピラミッドの底辺だから数的にはかなりのボリュームゾーンなんですよね。この層の人たちが「なろう系ヒットの母数」だと思うんですけどね。マジョリティ世界に身を置きながらもうまくいかず底辺をはいずっているのでいっそのこと異世界転生して現世のしがらみリセットしてチート能力で無双したいとみんな思っている。「みんな」ですよ。つまり「マス層」ですよ。
そんなアラン君はマイノリティ側と見下していたジーン君が思いのほか成功していたもんだから、マジョリティ側からマイノリティなジーン君を手助けするポジションに立とうと思い立つわけですね。異世界転生強くてニューゲームですよ。コミュ障マイノリティが苦手な資金調達ネゴシエーションをリア充なオレ様がやってあげようってーわけですよ。同じ立場ならみんなそう思う。コミュ障な天才クリエーターのマネージャーになってソイツと社会の架け橋になるだけでオコボレもらいてえなあって誰だってそう思う。オレだってそう思うんですよ。コミュ障だから無理なんですけどね。そんな知り合いもいないし。
つまりアラン君は、平尾氏の「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマ実現のために生み出された舞台装置なんですよ。いまいちうまくいっていないマジョリティの感情移入先であり、途中からマイノリティ側に与してマジョリティ側への一矢となる存在なんですよ。テーマと商業的成功を繋ぐための存在なんですよ。
でも、なんかつまらねーんだよなあ。
思うに「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマと「ポンポさん」という題材の相性が悪かったんじゃないかなあ。
原作ポンポさんはね、マジョリティのことなんて基本的に無視してるんですよ。あくまでも映画業界の中でクリエイターや役者などの能力があり個性的な人々にフォーカスして活躍を描いているんですよ。「すごい人がすごい能力を発揮してすごい活躍をしました。」っていう話なんですよ。これは「チート無双系」にも通じると思うんですけど、すごい人がすごい活躍をするだけでも面白い話は作れるんですよ。
そんな原作ポンポさんに「マイノリティがマジョリティに一矢報いる」というテーマを盛ろうとしたら、そのままじゃうまく盛り付けられないよね。なので、アラン君&資金調達パートで補強したんだろうね。でも、原作にはまったく存在しなかったテーマを盛り付けるために、かなり強引でイビツで不格好な補強になっちゃってるんだよなあ。
結論。
原作ファンとしては、ポンポさんには原作に存在しないテーマは乗っけずに素直なアニメ化だけしてほしかったなあ。
と思いました。(小並感
どうすんだよ私満員電車乗れねーじゃねーか。
日本の鉄道は事故が少なくて安くて皆に愛されているって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
満員電車に耐えられることはいいけど痴漢を列車から排除するのほぼ無理だからwって言ってて好き好んで満員電車乗るやつなんかいねーよ。
鉄道会社に就職してもいいし株主になるのもどうでもいいから鉄道から痴漢を叩き出せよ。
四季島やななつ星や瑞風とかの観光列車で何人喧嘩を世間に売ってんだよ。
儲かる鉄道作りとかどうでもいいから痴漢に怯える叫び声を聞けよ。
高校生や大学生に自転車だのオートバイだの車だのを押し付けられている現実を見ろよ。
ふざけんなこの野郎。
痴漢が鉄道から出て行かないならバイク通学とバイク通勤OKにしろよ。
鉄道が民営だから鉄道にお金を投資したがらないし公権力から嫌われているけど乗客の民度が高いから良かったよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
金と土地と道路の余裕があれば満員電車乗らないってやつがゴマンといるんだから、国も都道府県も市町村も地主も取り敢えず道路作るか駐車場や駐輪場を整備しろよ。
撮り鉄問題でいくつか思いつくことを書いてみる。
撮り鉄は、昔からいる。現存している昭和50年台までの写真は、写真のコストがとても高かった時代のもので、かなり道楽ができる人でないと写真を残せなかった。戦中、終戦後10年くらいに写真が撮れた人は貴重な存在だった。
今は、携帯にもスマホにもカメラが付いている。3DSにもカメラがある。選ばれし者の趣味ではない。
廃止が決まりました的なイベントやその周辺の時間のキャパシティは限られている。電車が撮れる時間は一瞬だ。しかし、最後だよという情報は、一瞬で全国を駆け巡ってしまう。都市部は潜在的人口が多いので、反応する人も多い。
伝統的な撮影ポイントは、すでにお立ち台通信という書籍で情報が知れ渡ってしまっている。本来、鉄研や友の会的な人の口伝だったものが、全国の潜在的趣味者に知れ渡ってしまった。いい場所は限られることと、列車のダイヤと天気と太陽の位置が理想的な状態になることは稀なので、集中してしまう。
JR東や大手私鉄は、基本設計が同じ車輌を発注しているので、どこにいっても同じ金太郎飴のような電車が増えた。ゆえに地方線区に残ったお古のほうが雑多で趣味的に面白くなる。
業績至上の鉄道会社の本音としては、地方の路線はお荷物であり、社会的使命という方便がなければ、廃止したい。旅情よりも都心の手持ちの土地を効率よく運用したほうが圧倒的に儲かる。
情報の共有と蓄積が進み、最適解を常に得続ける鉄ヲタが増えた。18きっぷの乗り継ぎパターンや最適な座席位置を体得していたり、きっぷの予約も最適解を常に得続ける鉄ヲタに独占されるようなった。人気列車の指定席の転売が問題になり、乗り放題の企画きっぷが廃止されるに至った。
博物館はこども向けで、トワイライトエクスプレスやななつ星などのクルーズトレインは、富裕層老人向けで、20台から40台向けの楽しめる企画がない。
定年後の趣味として出戻った人が参入。お金があるのに昔の貧乏鉄をやっている。
鉄道旅行や鉄道趣味から失敗をしながら試行錯誤を繰り返すことがなくなり、常に最適な収穫を得るような趣味に変節してしまったためにリソースが大幅に制限されるようになったのではないかとうすうす感じる所存。