はてなキーワード: やつあたりとは
愛してるつもりではいるけど、十分に愛せてるかは自分じゃどうしても分からないから、そこを突かれると「俺の愛し方が足りないのがいけないのか……?」みたいになる。
でもそれってなんか「不幸が起きたのはあなたの信仰が足りないからです」「そうか、俺の祈りが足りなくて……もっと念仏を唱えよう!」みたいな、絶対に自信を持てない部分を突く論法だと思うんだよね。
もちろん、信仰と不幸よりは、人を愛することと愛されることの間の因果関係はちゃんと存在してそうだけども、防御不能な部分を突いてて言われた方はシュン…となるしかないみたいなとこが似てる。
おまけにフェミの人らは「男がやたら性欲を向けてくるのが不快」「それは愛じゃなくて束縛や依存や暴力」「カンチガイした愛し方」みたいのをガンガン責めてくるから、女性を愛することは暴力とほぼ同じって風に感じられて、他人を愛することが滅茶苦茶萎縮させられるんだよね。
「政治的にもジェンダー的にも倫理的にも正しい愛し方」しか許されないのに、自分がそうできる自信はないから躊躇われて、しかし一方からは「自分から愛することが大事」とか言われて、何その板挟み、っていう鬱憤がめっちゃある。それでも俺なりにできるだけ正しく気持ちを配ってきたつもりではあるけど、フェミの方々からの言葉にはいつも罪悪感を刺激されて苦しい。
なんだか恨みつらみが湧きあがってやつあたりみたいになっててちょっと申し訳ないわ、最初の一文で理解を示してくれたのにごめんな。
ところで、フェミニズムが目指す世界っていうのは多分2つの方向があって、ひとつはそっちが言う「好きなものに好きって平等に言えてそれによって性を理由に不利益を蒙らない世界」という自由さを達成した世界で、もうひとつは「無遠慮に好きと言われたり求められることにより傷つけられる弱者である女性を保護するため、好きの発揮を適正に抑制・制御する」という弱者保護を達成した世界だと思うんだ。
どっちもフェミニズムって言われがちだけど、これは実は自由vs保護管理という対立しやすいものなんだよなあ。
自由を主張する方は女のみならず男の俺を力づけてくれるけど、保護管理を主張する方は俺に遠慮や罪悪感を身につけさせる。そんでネットで俺の目につきやすいのは保護管理の方だったりする。正しい愛し方、愛され方のみするべきですっていうのは、女性が恋愛に積極的になった時に自分の手足を縛ると思ってんですけどね。女オタクの人たちが女性向け内のマナーやルールが厳しいせいで学級会したり義理立てしたりで消耗してるみたいにさ。
今時は珍しくないのかもしれないけど、まあまあ複雑な環境で育ちました。片親、親戚に預けられる、義理の親などなどは体験済みである。
辛気臭いことこの上ないので、子供の頃から自分の家族話は人様に言えるものではないのだという自覚があったため他人に相談したり話したことはほぼありません。でもやっぱり、吐き出したいので増田になります。
経済的には良くも悪くもなく、人間関係がこじれた系家族です。親はお金を出してくれる人くらいの感覚しか持たずに育ちました。この感覚はは世間一般に好まれない感覚だろうというのは想像できます。いくら複雑だったとしても養われてきたのだから感謝の気持ちを持つ方が美しい心根というものだろうとわかっていても持てません。
そんな身の上だったからか生来のものなのか、根暗に性格悪く育ったうえ、特技もなく、就職活動時期はリーマンショック直撃で面白いくらいに面接に落ちまくる。
そのため自分には絶対に向いてないと避けていた教育系の仕事に足を踏み入れました。それがもうショック療法かなというくらいに自分のコンプレックスを激してくるんですね。結局は家庭教育が全て、問題行動を起こしたりするのは家庭環境が複雑な子供が多い、エトセトラエトセトラ。そんな話題が出るたび、自分のことを話してるのではないとわかってても動揺するよわよわメンタル。
しかも周りは大体がお育ちの良い方々ばかりですので、ますます育つコンプレックス。
あなたには想像できないかもしれないけど、大変な家庭も多いのよ、と言われるも、むしろ大変な家庭に親近感を持っていた。これは人によっては強みになったかもしれませんが、いまだその壁を乗り越えられていない私は強みにはできませんでした。
暴力を受けた訳ではないし、学費も出してくれたけど、家族はみな不器用で余裕がなく常に誰かが誰かにやつあたり怒鳴り散らし喚く家庭で育ったやつが、他人の子供を良い方向に導くことができるだろうか?いや、できないだろうと日々育っていく劣等感。
子供の頃は、この家さえ出れば何とかなるのだと思い生きてきましたが、家を出て一人暮らしを始めても、この育ちの悪さとそれによって形成された私という人格からは逃れようがないのだという確信を強くする日々です。
でもこの精神不安定さは、大人になった私にとってはもはや家族のせいにはできない、自分の問題なのだというのはさすがにわかります。理由はどうあれこの非常に個人的な問題を解決できるのはやはり自分だけなのですから。どうしたらこの劣等感を受け入れてることができるようになるのだろうか。家族のせいにしても意味ないし、ただつらい。
旦那から、旦那の母(わたしの姑)がガンになったという話をきいた。
ガンだとはわかったが、まだ詳細は調べないとわからないと。
そこまで聞いて話を判断して、
ガンになったのは悲しいね。(私は姑が好きだ)
でもまだ詳細がでるまで悲観するのはやめようよ。
と話してその場を離れ、別室でゲームやっていた。
そしたら切れた旦那が追いかけてきて、
俺がどんな気持ちでいるのか察しろ
といったことをまくしたててきた。
わたしは正直、姑とは仲良いし大好きだし、
本当に病状が悪いことが決定したらとても悲しい。
なのに、旦那にお前はやっぱり自分の親のことしか考えない奴だと
言われて心底傷ついた。
慰めてほしかっただけに感じたので、
ごめんね、病状がまだそこまで深刻じゃないと受け取ったから
さっきはそういう反応しちゃったけど、
って聞いたら、おちついて、病気のことと、ただ結局今の時点ではわからないことを話した。
そのあと彼は落ち着いたのか、寝るといって寝室へいき、
わたしはなんとなくやりばのない鬱憤を感じて、家を出てみた。
深夜でもやってる店でビール一杯のんで時間をつぶし、4時間後にかえった。
旦那は寝ていた。
わたしには、何が足りないのだろう。
今も旦那への不信感が溢れている。