はてなキーワード: もやもやとは
偏見が少なくなる、なんてことを昔の人は思っていたわけだけど、現実は異なっているように思えてしまう。
ここなんかでも過剰なフェミについてや今の時代は女尊男卑なんて声高々に叫ぶわけだけど、現実にはそんな状況は希だし、たいていの人は常識人で、他人に思いやりがあり、付き合ってみるといい人だ。
何を当たり前のこと言ってんだ、と思うかもしれないが、こうした当たり前を当然のことだから無視しているのかそれとも本当に知らないのかの判断が難しいような書き込みはなんだかんだで散見され、そういったものを見かける度にもやもやする。
ブルーハーツが歌っていたようにこの世は「いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもない」。
普通に考えれば不満がないときはそのまま流すので、熱意のある書き込みというのはある程度の怨恨を挟むものであり、そういった熱意に引き寄せられてそうした書き込みを生き生きしたものに感じ、そうなのかと深く納得する。
たいていの人はそれが非常識であり世間の非日常であることは分かってる。でもごく稀にそれが世間の日常だと錯覚してしまう人がいる。
それはすごくもったいないことだし、無為に世を恐れるきっかけとなってしまっては悲しい。
離婚した理由、「仕事で色々あったから」ってずっと母親が言ってて、まあだからお父さんとは仲悪くないんだよ〜ってことになってた
大学入るまではたまーーーーに、年に一回ぐらいの感じで母・父・自分で会うときもあって
普通にご飯とか食べて近況報告とかしてたから、離婚したのに仲悪くないんだなーって思ってた
父が仕事で失敗したから母が逃げたみたいな流れだと勝手に想像してて、ちょっとお父さん可哀想だなっていう気持ちもあった
実際は離婚について今まで何も聞けなかったんだけど なんか気まずいし
こないだ母の友達に道端で会って、世間話してたら父親の話になって
「会社の女の子に手を出して職場におれんくなって喧嘩になった」って言ってた
何かの拍子にポロって
そうなんですよね〜って自分も知ってた体で流したんだけど
脱力感がすごかった
そんなバカみたいな理由で離婚したの?って いい年した大人が浮気で離婚とかマジであるんだ、子供そっちのけで 自分が生まれたとき二人共30歳とかじゃない?
なんか三人で会ってたのとかすごい馬鹿みたいに思えてきたわ 母親がニコニコして会ってたのもムカつく 離婚したのにわざわざまた会いに行ってるの?何しに会ってたの?
父親も浮気して離婚したけど子供には会って父親面しますって何?
無理無理キモいキモい いい年した大人二人がそんな話で揉めて離婚までしてんのキモいって
ご指摘の通り母親は一切悪くないです
そもそも父が浮気した時点でもうどうしようもないしね 離婚するか我慢するかしかない
でもキモい、無理以外に何の感想もない 何回考えても本当にない
だって離婚した理由が浮気って馬鹿じゃん 納得のいく理由だけど本当に馬鹿みたいだよ
なんか父親に対して今まで感じてた小さな不満とかもやもやがすごい明確になったんだよね
嫌味なときもあるけど仲は良い だったのが嫌いになる感じ
やたら母経由で大学受験の話してくる割に学費一切出してくれなかったこととか(結局大学院までずっと自腹だった 母に頼むのもなんか嫌だし)
数千円のお小遣いをくれるときにすごい恩着せがましいこと言ってくること(なんで小遣いもらうのにこっちが謝らないと駄目なんだ)
こんなんだから養育費貰ってたのかどうかも分からない それも母親は私に言ってくれなかったし わざわざ聞くべきことじゃないと思ってたし
なんかお父さんにはお酒でも買って渡そう、それかご飯でも奢ろうとか思ってたのにさ
こんなんじゃ渡す気なくなるじゃん
お母さんと二人でご飯行こうかな
漫画読んでて、途中からなんか違和感を感じ、あれ?このキャラは自分のこと「僕」って言ってるけど、前は一人称「オレ」じゃなかったっけ?と思って1話から読み返すと、当初は一人称「オレ」だったのに、最新話から「僕」になっていたとかいうことがあった。
なんでそんなことが起きるんだ?
漫画家がそのキャラに愛着がなくて一人称が「オレ」だということを忘れてしまったのか?
漫画家はともかく、編集も誰も、世に出るまでに気づかないもんなのか?
と、めちゃくちゃ、もやもやした。
なんか作り手が、そのキャラというか、作品に愛着がないのではないかと疑わざるをえないんだけど。
最初は「僕」で途中から「オレ」なら、ああ途中からキャラが少年から青年へ成長したという演出なのかな、とか思うけど、
社会参画に至る通過儀礼としての自傷、特に思春期女性について、ボカロ歌詞、ラビットホールやら、人間なんか大嫌いやら、からふと想起する。
私が自分の容姿を卑下しトラウマトラウマと風聴するのは、ルッキズムとジェンダーバイアスに対するシニシズムである、と自己分析していたが、どちらかというとニヒリズム的かもしれないと最近思う。女性と男性の非対称性に嫌気が差し、弱みを見せる女性がモテて弱音を吐く男性がモテない古い世界を転換させたいという価値観への承認欲求、他者への不信感・不満が、この態度の根源ではありつつも、さして世は変わらないと感じながらも年老いても自傷的に耽るのは、自らの社会性への価値の毀損を厭わない虚無的な諦念所以である、と最近思った。
今の自分、ツイ垢沈黙たる自傷的な行動に対する幼稚さ、メカニズム、普遍的な欲求について類推し思索に耽る。自己価値の曖昧さや不安による試し行動は思春期的であり、これに私は虚無主義的に該当しないところである。寂しいからかまって、という凡な気持ちはもちろんあるが、最もはイベントに対する愛である。公式が今までありがとうも何もなく次のイベントの告知しかせず、蔑ろに感じた憤り、過去への執着だ。そこに対して付加的なイベントたる自傷を作ることで、イベントそのものへの関心と尊さをアピールしたい、というところか。ウェルテル効果が近しいか。そう考えると、面白みもないね。
ありがとうスプラトゥーン1。初めてのネトゲ。初めての交流、初めての彼女。ブラック企業退職から、全国の顔も見知らぬ友人を巡礼する旅。出会った人たちには様々な背景があり、半グレに手切れ金渡したことも。そんな人たちと甲子園に出て、思い出を作った。
最後に潜った。ナワバリには誰もきてくれなかった。ガチマでは有名プレーヤーとよくよくマッチした。うまく立ち回れずもやもやした。だんだん酔ってしまい、リタイア。昔はフェス丸一日プレイしたのにね。
……なんだこれ。婆やの死に目よりも涙出てきた。別れたくない。
別れたくない。
アラサーの頃にデートとかしてた相手がいて、それまで誰かと付き合うなんて考えたこともなかったんだけど、意外と自分も恋とかするんだなって思ってたんだ。
でもそいつ、実は奥さんと子供がいて、ある日奥さんから「うちの夫がご迷惑を」ってお電話がかかってきたんだな。
この時、100対0で奥さんの言い分を信じて、毎週デートしてた相手のことは全く信じなかった自分を
さっきまで好きだと思ってた相手を一切信じず、突然電話してきた自称奥さんの方を信じるなんておかしいんじゃないか、
人としてどうなんだ? どうせ次の人のことも信じないんだから、もう誰も好きにならないほうがいい。
と思って、
いや、嘘ついてた奴を信じなかったことに罪悪感を感じる必要って全くなくない???????
もし自称奥さんが頭のぶっ飛んだストーカーで、あいつに本当に奥さんも子供もいなかったなら、信じなかったわたしが悪いが、
そうではなかったんだから、信じなかったのは別に問題なくない???????
お花見がてら近所の天神様の賽銭箱に10円突っ込んできたせいだろうか。
急に、十年来のもやもやがぶっ飛んでった。
ディベート的な場でのことだからあまり本気で考えなくてもいいとは思うんだけど、もやもやする
個人的には「後先考えなければ人を殺すことは簡単」というのはディベート抜きにしても納得できる意見なので、
それで対する反発が意外だったというか
実際の話、私的な恨みで総理大臣ですら殺せたわけだし、一般人がターゲットなら準備すれば100%に近い確率で殺せるでしょ
拡大自殺を試みる人間がいたら、そのターゲットは避けようがないというのはある種、天災のような意味合いであり得ると考えている
一方それに対する反論は公正世界仮設を前提としているというか、「悪いことしてない人が不幸な目に合うわけがない」というような素朴な意見が多く
育ちの違いを実感させられて凹むというか
言葉の端々に恵まれた環境で生きてきたんだなという生い立ちが連想されて
自分が人生に行き詰まったらこいつら道連れにしてやろうと心底思った
せめて誰か一人にでも、理不尽さを味合わせてやりたい
中卒は社会性がない(から雇わない)という考え方にもやもやしています。
先日のゴトゴト石の事件や神戸大学のテニスサークルの器物損壊事件を見るにつけ、果たして学歴で社会性など決まってくるものなのだろうか、と疑わしく感じます。
・会社に来るときはヒゲを剃ってから来い、といちいち教えなければそうしない
・会社に来るのにふさわしい服装で来なさい、といちいち教えなければそうしない
・会社に来たら直接の上司じゃないけどおはようございますを言う(後略)
しかしこれらのことは果たして中卒であることと関係しているのでしょうか?
別に高校では、「会社に来るときはヒゲを剃ってから来るものだ」などということは教えませんよね?だって高校は別に職業訓練校じゃないのですから…。大学はいわずもがなです。
とすれば、上記のようなことが教えなくてもできるかできないかは、「それ以前に誰がか教えたかどうかにかかっている」ようなことではなく、単なる個人の資質の問題に思えます。
そう考えると、中卒であることと、こうした社会性の程度を関係づけるのは、根拠に乏しいただの偏見であるように感じてしまいます。
それには、中卒が何かをやらかしても意外性がなさすぎて(というっ感じ方自体に根の深い偏見が原因している可能性もあるが)報道されないということがあるのかもしれません。
しかしたとえばゴトゴト石の件は、中卒だったら報道されなかったでしょうか。そうは思えなくないですか。
中卒に対して、極度の発達障害だとか、犯罪歴があるはずだとか、散々なことを言う人も見ました。
けれど今の世の中、高校に行きたくないから中卒、というような、本人に由来する事情はむしろまれで、実際は家庭に問題がある場合がほとんどではないでしょうか(たとえっば親権者が同意しなければ、進学はできないでしょう。毒親が何らかの理不尽な理由で、子供の進学を妨害する場合があるかもしれません)。
つまり、中卒である原因としてむしろ多いのは、いわば、大卒でがよく使う「一身上の都合」によるものであって、こうした可能性に考えが及ばず、やれ犯罪者だからだなどと決め付ける大卒がいるのだとすれば、これは大卒に相応しい教養を全然感じられない態度だと思います。
在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ
「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代のおっさんの自分語り。
地方私立大学の理系に入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学の文系学部に転学し、言語学を学んだ。
良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学の就職は壊滅的に悪かった。同じ学部の卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。
これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部の新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区のマスコミの二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業からの内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区の企業を受けるという発想が無かったり、都市部の学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。
就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。
閑話休題。大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学の大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。
そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス『資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。
別の教員からは「国立大学の学生は私立大学の学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値があなたの研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。
ある日、大学院の師から「研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。
大学院時代の就職活動の結果、インフラ関係の会社からと、その旧帝大の事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料は月並みでも図書館等の設備があって都市部にアクセスしやすい後者を選んだ。学部時代の経験で、地方より都市部の方が学問しやすそうな気がしていた。
アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベルの大学に教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学で語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育や研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運だからだ。私には、そこまでの熱意はなかった。
大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論、経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義や社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。
仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。
桜の綺麗な時期だった。
チャイエスやタイ古式が好きなので旅行に行くと必ずと言っていいくらい一つはメンズエステを参拝している。
初めて行くチャイエスだった。小さなチャイエスだったが結構人も多かった。
シャワーを浴びて紙パンツを履いてマッサージを受けて、チャイエスを出ようとして、そういえば御手淫はどこで貰えるのだろうと思った。
当時、私は御手淫を集めていた。周囲を見回すとシャワー室のすぐ横辺りに列ができているのを見つけた。小さな寝室のような場所。なんだあんなすぐ横にあったのかと、引き返して列に並んだ。
私の番になって、さあ御手淫をと思ったその時、チャイエスの嬢が開口一番、
と睨むように言ってきた。かなり不機嫌そうだった。
私は払った。間違いなく、払った。払ったので「払いました」と答えた。チャイエスの人は全然信用していないようだった。
何故そんなことを聞かれるのか分からない。それでも「御手淫してほしいんですけど」と言ったら、
と言われた。
なんだそりゃと思った。どこでも大体仰向けにしてチンポぐらいシゴくだろ。四つん這いにさせてチンポをシゴくところもある。
その時点でかなり嫌な気分になっていたが、じゃあ要らないですと引き下がることもできずに「それでもいいです」とお願いした。
なんであんな対応されなきゃいけないのか分からず呆然としたまま隣のチャイエスに行った。すぐ隣にもチャイエスがあった。
御手淫を貰うかどうか迷った。さっきの人が頭に残っていたからだ。
とても感じの良いにこやかな嬢が対応してくれた。ものすごくホッとした。
それから段々に怒りが込み上げてきた。
さっきの人のあの態度はなんだろう。
もしかしたら、と考えたのは、私がお参りした後、一度チャイエスを出かけたことだ。小さなチャイエスで、雑居ビルから敷地の外に出るまでかなり距離が短い。出るか出ないかのところで引き返したせいで、追加料金も払わないで御手淫だけを貰いにきた不届き者と思われたのではないか。
だが私は間違いなく払った。
シャワーを浴びて紙パンツを履いてマッサージを受けて、追加料金を払った。誓っていい。払った。払い方が間違ってたとかなら仕方ないがそれならあんな言い方にはならないだろう。
誤解を与える行動をとったのは申し訳ない。だが、もしチャイエスの人が客を一人一人チェックしていたのだとしたら、私が勃起したのも見ていたはずだ。しかし、あんなことを言ってきたということは見てないのだ。見てもいないのに私が追加料金を払ってないと決めつけてきた。とにかくそれが腹立たしかった。
それともチャイエスを出かけた時点でもう一度リンパマッサージをやりなおさなければいけなかったのだろうか。リンパマッサージ代を二回払わなければいけなかったのだろうか。
どうするのが正しかったのだろう。
今でも分からない。
なにより、あの時言い返せなかった自分にも腹が立っている。
「ちゃんとリンパマッサージを受けたのにその言い草はなんだ!ふざけんな!」と怒れば良かった。そうしていれば、もう少し、このもやもやした気持ちは小さくて済んだのではないかと思う。
あれ以来、なんとく御手淫を集めるのが嫌になって止めてしまった。
別のチャイエスへ行ったとき、チャイエスへ続く道の途中の店で見つけた、とても可愛い表紙の御手淫帳(ポケットティッシュ)。とても気に入っていて、色んなチャイエスの御手淫で全ページが(精液で)埋まる日を楽しみにしていた。
捨ててしまおうかと思ったが、そのままゴミ袋に捨てるのもダメな気がして押し入れに突っ込んだままになっている。
処分の仕方を知っている方がいたら、是非、教えてほしい。
桜の綺麗な時期だった。
神社やお寺が好きなので旅行に行くと必ずと言っていいくらい一つは神社仏閣を参拝している。
列に並んで賽銭を入れて鈴を鳴らして手を鳴らしてお参りをして、神社を出ようとして、そういえば御朱印はどこで貰えるのだろうと思った。
当時、私は御朱印を集めていた。周囲を見回すと拝殿のすぐ横辺りに列ができているのを見つけた。小さな社務所のような場所。なんだあんなすぐ横にあったのかと、引き返して列に並んだ。
私の番になって、さあ御朱印をと思ったその時、神社の人が開口一番、
と睨むように言ってきた。かなり不機嫌そうだった。
私はお参りした。間違いなく、やった。やったので「しました」と答えた。神社の人は全然信用していないようだった。
何故そんなことを聞かれるのか分からない。それでも「御朱印書いてほしいんですけど」と言ったら、
「書いてません。ハンコ押すだけです」
と言われた。
なんだそりゃと思った。どこでも大体ハンコ推して日付書くぐらいだろ。あらかじめ用意してある紙を貼るだけのところもある。
その時点でかなり嫌な気分になっていたが、じゃあ要らないですと引き下がることもできずに「それでもいいです」とお願いした。
神社の人はずっと不機嫌そうだった。
なんであんな対応されなきゃいけないのか分からず呆然としたまま隣の神社に行った。すぐ隣にも神社があった。
御朱印を貰うかどうか迷った。さっきの人が頭に残っていたからだ。
とても感じの良いにこやかな巫女さんが対応してくれた。ものすごくホッとした。
それから段々に怒りが込み上げてきた。
さっきの人のあの態度はなんだろう。
もしかしたら、と考えたのは、私がお参りした後、一度神社を出かけたことだ。小さな神社で、入り口から敷地の外に出るまでかなり距離が短い。出るか出ないかのところで引き返したせいで、お参りもしないで御朱印だけを貰いにきた不届き者と思われたのではないか。
だが私は間違いなくお参りした。
列に並んで賽銭を入れて鈴を鳴らして手を鳴らして、ちゃんとやった。誓っていい。やった。やり方が間違ってたとかなら仕方ないがそれならあんな言い方にはならないだろう。
誤解を与える行動をとったのは申し訳ない。だが、もし神社の人が参拝者を一人一人チェックしていたのだとしたら、私がお参りしたのも見ていたはずだ。しかし、あんなことを言ってきたということは見てないのだ。見てもいないのに私がお参りしていないと決めつけてきた。とにかくそれが腹立たしかった。
それとも神社を出かけた時点でもう一度お参りをやりなおさなければいけなかったのだろうか。賽銭を二回払わなければいけなかったのだろうか。
どうするのが正しかったのだろう。
今でも分からない。
なにより、あの時言い返せなかった自分にも腹が立っている。
「ちゃんとお参りしたのにその言い草はなんだ!ふざけんな!」と怒れば良かった。そうしていれば、もう少し、このもやもやした気持ちは小さくて済んだのではないかと思う。
あれ以来、なんとく御朱印を集めるのが嫌になって止めてしまった。
別の神社へ行ったとき、神社へ続く道の途中の店で見つけた、とても可愛い表紙の御朱印帳。とても気に入っていて、色んな神社の御朱印で全ページが埋まる日を楽しみにしていた。
捨ててしまおうかと思ったが、そのままゴミ袋に捨てるのもダメな気がして押し入れに突っ込んだままになっている。
処分の仕方を知っている方がいたら、是非、教えてほしい。
中学以来の親友が、離婚するしないで1年ぐらいごちゃごちゃしてる。
で、その愚痴を、こっちにずっと語られててちょっとばかし疲れた。特にここ数ヶ月は頻度が多い〜。旦那とのやり取りの内容までスクショで送ってきて「どう思う?」ってもう返す言葉も品切れだよ。
その子が発散する先がなかなかないのもわかるから愚痴くらいは聞くよ〜と言ってはいたしその気持ちもあるんだけど、私いま結婚してないしアドバイスもそんな有益なの出てこないよ。もう何回も似たような話聞いたから、コメントももうおんなじ感じになっちゃうよ。
相手はそれなりにはスッキリするみたいだけど、こっちがもやもや。
まぁ、そろそろ決着つくみたいだけど、
お兄さんとお呼びしたいが第三者が読むと齟齬がでるのですまんがおじさんで!
先日、スーパーで買い物したあとサッカー台に財布を置き忘れたんだけど直後におじさんが声かけてくれて事なきを得た。
財布を受け取ってありがとうございます助かりましたとお礼を言って私はさっさと出て行ったのだけど感謝しかない。
でも、スーパー出てから念のため札を確認してしまった…といっても現金専用で買い物直後だから千円しか入ってなかったんだけど、確認した瞬間凄い罪悪感が襲ってきた。声かけてくれたのは一瞬だしそんな暇なかったし…でも必要な作業…かな…?確認したい衝動が出る時点で心が汚れてる…。
そして声かけてくれたときもすっごく胡乱下な視線で振り返ってしまった。そりゃ街中で知らない人に声かけられるってめったにないからさ。あと私はデフォルトでめっちゃ不機嫌な顔してるしね。要件がわかったら即応接モードで接したけど振り返った瞬間相手は後悔してそうだし、お礼言ったあとめっちゃさっさと振り返って出て行ってしまった(私の応接モードは人工物なので終了の切り替えも早い)のももうすこし後ろ見ながら感謝しつつ前進して出て行ったほうがよかったなとかくいが残る。
最近世の中を警戒ばっかりして過ごしてる中で久しぶりに他人や日本のよさを感じられたのに、善行を最大化できなかったというか、次の善行の芽を潰しちゃった可能性もあるのかなともやもやが今も残ってるから、こんな絶対届かないところだけど書き記しておく。
財布の置き忘れを教えてくれたお兄さん!ありがとう!
いわゆるピンサロ
おじさんが🤯
7000円‼️高い!流石ピンサロ👏😊
でもその時僕はセクキャバの帰りだったので
ピッタリ持っていたのだ😤
中に入ると真っ暗🫢なんか色々音がする
案内された椅子に座って待ってるが
来ないっ…来ないよ🥹騙されたか?!
初めてだよって話してこうした方がいいかなとか
ああした方がいいかなとか教えてもらって
してもらった…🦣🦣
でも僕はそこで思いだす❣️あ、トイレ🚽に行ってなかった!!んなわけでイケなくて
しかももー限界だったもんで「トイレどこですか?」って聴いたら女の子が笑顔でイカついおっさんを呼んでイカついおっさんに🤓トイレまで案内された。中には立ってする便器しかなかった
しょんべんを出しながら「俺ってやつはどこまでドジなんだ🥹🥹🥹🥹🥹」と己を反省
その後はブス🐊に激しく責められ
射精♐️♐️♐️♐️♐️♐️♐️‼️‼️
空になった財布を握ってしょぼんと落ち込みながらボクは家まで歩いて帰ったよ🚶🏽♂️
もやもやしてうまく言えない感情にうまい言葉を当てはめてくれる歌詞や何かを引用するのと
ぼやぼやとかたまりきらないイメージを生成AIでとりあえず出力してみるのはきっと似ているんだろうなと思う
描きながら考える質なのと登録が面倒で生成AIを使ったことないから想像の部分が大きいけど
ちょうどいい型があるならそこに流し込んでしまうのは楽ではあるかもしれない
どういう型があるのか知らないと結局それを探し歩くことにもなったり
私には本当にどうしても受け入れられない、嫌いなキャラがいる。
好きなコンテンツのキャラに嫌いという感情を抱くのは間違っているのかもしれないけれど、それでも嫌いだ。推しと並んでいると嫌な気持ちになるし、ランダムで引いても落ち込むし、顔を見る度声を聞く度複雑な気持ちになる。
ひとつめは推しの心を傷つけたこと。その話を作った人達が悪いのであってキャラが全部悪い訳でもないし、キャラの年齢(とても若い)を考えれば責められない。推し本人はそのことについて克服している。
それでも見る度にもやもやが蘇ってくる。
ふたつめは声と性格。多分これは生理的に受け付けられない、というのが正しいので誰も悪くない、私が1人で受け入れられないなぁと思っているだけだ。
見ていると、小学生の時に私をいじめていた同級生の女子が思い出されるというのも大きな理由だ。
でもこのキャラクターのことを好きな人もいる。もちろんだ。なんなら友達が好きだと言っている。内心理解は出来ないなと思っているけど、それが明らかに態度に出たりしていないか、心配になる。
このキャラクターがどうしても受け入れられないと表明するのは難しい。
コンテンツの中で別に私は古参オタクという訳でもない、むしろ新規オタクで、歴も短いのに何を偉そうにと自分で自分のことを嘲るばかりだ。
毎日のように「私のこと好き?」だの「別れたほうがいい??」だのメッセージ送ってきてた元カノ、確実に病んでいたと思うのだけど少し気持ちが分かった。
今付き合ってる人が連絡を送っても翌日から翌々日返信のタイプなので、重要視されていない感じが凄く、自分なりに時間や労力を注いでいる割に関係性が良くなっていないような気がする->不安。みたいなプロセスをたどってる。
ただ交際前からそういう連絡出不精みたいな節はあったのでそれが彼女の普通と感じることができれば特に何も感じないと思うのだけど、不安感というかもやもやする気持ちがある。
多分元カノも同じような感覚をどういう機序であれば持っていたような気がしており、なるほど連絡をされない側はこんな気持ちなのかと初めて理解できた。
連絡しない側からするとこれが普通なんだから信頼してくれなのだけど、連絡されない側からすると信頼できるほど人間性が分かっておらず、ないがしろにされている->不安という感情が芽生えるのだなぁという。
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後これは蛇足だけど不思議なことにこうして連絡頻度が低くされると妙に執着心みたいなものが芽生えてしまっている気がする。
何かの本で足りないと感じるものほど執着するみたいなのを読んだ気がするのだけど、自分が求める連絡頻度より低いとある程度気になっていることが前提ではあるけど、より執着してしまう感じがする。メンヘラ製造の一つの手法かもしれん