はてなキーワード: まだ子とは
先日うちにママ友が遊びに来てて(うちはまだ子なしだけど)、だから俺はキッチンに居て、紅茶とマドレーヌを出しに行ったんだ。
するとちょうど談笑中で、妻が「うちの旦那は」って話しているのを耳にした。それを聞いて、思わずドキッとした。
紅茶とマドレーヌを置いて「ごゆっくり」と言ってその場を後にすると、自室に戻って思わずペタンと座り込んでしまった。
妻とは幼稚園からの幼馴染で、結婚してからもお互いをずっとあだ名で呼び合ってた。
でも今は夫婦の関係なんだなと改めて知ったというか、外では俺のことを旦那って呼んでることを知って今はとにかくドキドキしてる。
今はなんだか嬉しいような恥ずかしいような、力を抜けば思わず顔が綻んでしまうようなこの感情の色の名前を知らないのかもしれない。
あの時の妻の笑顔と、俺のことを「旦那」と言ってる妻の姿を思い出すと、未だにドキドキする。
俺はこの感情を、何と名づければいいんだろう
うちはだんだんよくなってる。
最近はギンギンにはならなくてちょいユルなんだけど、若い頃はできなかった体位とかできるわけ。
妻も出産後、ゆるマン気味で、ゆるマンって悪い意味でとらえがちだけど、おれはむしろ気持ちいい。ず〜っと入れてられる。
妻も気持ちいいみたい。「女は〇〇歳から燃える」とか言われるのほんとみたい、「セックスが好きになっちゃった」とか言ってる。
もっとしたい!んだけど、まだまだ子どもと添い寝しないといけない時期だし、置いて出かけるわけにも行かないし…。手が離れたらしまくるぞ〜
ウチはフリースクールでそういう課題ある系の学校からドロップアウトした生徒らの面倒を見てたから、思うところがあるんだけど…金だけで人間扱う仕事するのはやめとこうよ、増田と増田の関わる人間全てが不幸になるから。
周りも好きで真面目に働いてんじゃなくてさ、未成年者の将来ってバカみたいに重い責任を人質に働かされてんの。増田は自身が毎日テキトーに担当してる生徒が不登校なった後、どういう酷い将来が待ってるか知らんし興味ないでしょ?
ウチはその先の悲惨な状態を何とかマシな方向に持ってける様に付き合うのが仕事だったけど、学校のクソみたいに働いてる先輩もそういうの知ってるから身をすり減らしてるんだと思うよ。
増田が今のペースで働いていくのは権利だけど、増田が生徒の事に関心がない様に、ドロップアウトした生徒と生徒の保護者も事情や権利に関係なく、増田を人生を台無しにした張本人として認識するから死ぬほど恨まれるのは意識した方がいい。
教師理由でドロップアウトした生徒と保護者の担任への怨嗟は物凄いし、増田が教師を続けるほど増田を本気で恨み続ける人間が増える。ただ恨むだけで終わればいいけど、運が悪いと終わらない事もある。増田は関係ないって本気で考えてるだろうけど、あの感情の人間を目の前にするとそんな言葉は出せなくなる。
逆恨みとか筋違いとか、理屈や言葉が全く通じないとんでもない感情を向けられる。君のクラスの生徒の顔をよく見てみ?考えてることや感情は読める?全体的にはまだ子供だけど、一部の思考は大人並みに成長してたり、増田を越えてる部分もあったりする。ちゃんと把握できてるか?
20代だと仕事は思ってるより楽なの沢山あるし、本当に悪い事は言わんから別なのしとき。
ウチはフリースクールでそういう課題ある系の学校からドロップアウトした生徒らの面倒を見てたから、思うところがあるんだけど…金だけで人間扱う仕事するのはやめとこうよ、増田と増田の関わる人間全てが不幸になるから。
周りも好きで真面目に働いてんじゃなくてさ、未成年者の将来ってバカみたいに重い責任を人質に働かされてんの。増田は自身が毎日テキトーに担当してる生徒が不登校なった後、どういう酷い将来が待ってるか知らんし興味ないでしょ?
ウチはその先の悲惨な状態を何とかマシな方向に持ってける様に付き合うのが仕事だったけど、学校のクソみたいに働いてる先輩もそういうの知ってるから身をすり減らしてるんだと思うよ。
増田が今のペースで働いていくのは権利だけど、増田が生徒の事に関心がない様に、ドロップアウトした生徒と生徒の保護者も事情や権利に関係なく、増田を人生を台無しにした張本人として認識するから死ぬほど恨まれるのは意識した方がいい。
教師理由でドロップアウトした生徒と保護者の担任への怨嗟は物凄いし、増田が教師を続けるほど増田を本気で恨み続ける人間が増える。ただ恨むだけで終わればいいけど、運が悪いと終わらない事もある。増田は関係ないって本気で考えてるだろうけど、あの感情の人間を目の前にするとそんな言葉は出せなくなる。
逆恨みとか筋違いとか、理屈や言葉が全く通じないとんでもない感情を向けられる。君のクラスの生徒の顔をよく見てみ?考えてることや感情は読める?全体的にはまだ子供だけど、一部の思考は大人並みに成長してたり、増田を越えてる部分もあったりする。ちゃんと把握できてるか?
20代だと仕事は思ってるより楽なの沢山あるし、本当に悪い事は言わんから別なのしとき。
ウチはフリースクールでそういう課題ある系の学校からドロップアウトした生徒らの面倒を見てたから、思うところがあるんだけど…金だけで人間扱う仕事するのはやめとこうよ、増田と増田の関わる人間全てが不幸になるから。
周りも好きで真面目に働いてんじゃなくてさ、未成年者の将来ってバカみたいに重い責任を人質に働かされてんの。増田は自分が毎日テキトーに担当してる生徒が不登校なった後、どういう酷い将来が待ってるか知らんし興味ないでしょ?
ウチはその先の悲惨な状態を何とかマシな方向に持ってける様に付き合うのが仕事だったけど、学校のクソみたいに働いてる先輩もそういうの知ってるから身をすり減らしてるんだと思うよ。
増田が今のペースで働いていくのは権利だけど、増田が生徒の事に関心がない様に、ドロップアウトした生徒と生徒の保護者も事情や権利に関係なく、増田を人生を台無しにした張本人として認識するから死ぬほど恨まれるのは意識した方がいい。
教師理由でドロップアウトした生徒と保護者の担任への怨嗟は物凄いし、増田が教師を続けるほど増田を本気で恨み続ける人間が増える。ただ恨むだけで終わればいいけど、運が悪いと終わらない事もある。増田は関係ないって本気で考えてるだろうけど、あの感情の人間を目の前にするとそんな言葉は出せなくなる。
逆恨みとか筋違いとか、理屈や言葉が全く通じないとんでもない感情を向けられる。君のクラスの生徒の顔をよく見てみ?考えてることや感情は読める?全体的にはまだ子供だけど、一部の思考は大人並みに成長してたり、増田を越えてる部分もあったりする。ちゃんと把握できてるか?
20代だと仕事は思ってるより楽なの沢山あるし、本当に悪い事は言わんから別なのしとき。
ヤフコメとかTwitterとかで水季勝手すぎ!とか振り回されすぎ!こんな脚本ありえん!もうこの脚本家のドラマは見ない!!!っていう意見が沢山あった。
自分は医療職でありまぁ歴はそれなりにあってドラマを見てるとあーそーそーこれこれ!って思える場面がかなりあり家族の言葉とかにはもうほんと納得していた。
人の死の場面に立ち会うとほんと綺麗な終わりなんて全くない。そもそも死ぬ人は自分が死ぬなんて思ってないし最後の瞬間まで生きてる。
最後の瞬間まで生きて生きて止まるっていうのに近い感じ。
死に向かって生きているはずなのに誰もかれも死ぬって思っていない。水季だってそうだったはず。
だからせっかく宿った命を自分が育てていきたい。でもこれからある大好きな彼氏の将来を決めてしまうようなことはしたくない。
水季と夏がその判断をしたのは大学生。そんなあと先のことまで考えてはいないだろうしこれからの将来なんてそんなまだまだ子供の2人に想像できるはずがない。
産みたいけど彼氏のこれからのこととを考えた時にもうあの判断しかなかったはずだ。
これから彼との人生は違っていくけど自分と子供の2人であれば生きていける。
そしてようやく好きな人もできてこの長い長い先にもしかすると津野くんとの未来も見えた矢先に病気の判明。
ほんと告知を受けたら頭真っ白だったはず。そして真っ先に考えたことが子供のことだったろう。
死を宣告された人たちは子供がいると子供を第一に考えてた。私が死んだら子供は大丈夫かな。。。ってもう何度も何度も聞いた。その度に医療者としてとても辛かった。
確かに勝手に産んだ。でも死ぬなんて思ってなかった。残された子供がいつか父親のことを知ろうとするだろう。自分の死だってきっとどんな形であれ夏は知ることになるだろう。
なら知った時のために手形を残すというのは自然のことじゃないだろうか。血のつながった子が孤立しないようにしてあげたかったはずだ。
お互い26歳。付き合ってから4ヶ月くらい。
お互い6年制の大学なので、どちらもまだ社会人歴は1年半もない。
お互い学生時代に勉強が忙しすぎて恋愛をする時間もなく、高校生ぶりの恋人とかだった。
恥ずかしい話、俺も(たぶん)彼女も性的な経験は無いままこの歳になっていて、初めてはかなりぎこちなかったと思う。
避妊については相手がピルを飲んでいると言うのでそのまましていた。お互い何が普通かはわかってなかったし今もわかってないけど、それで避妊できるならゴムは要らないよなって思ってた。
まだ病院には行っていないが、つわりのような症状が出たから検査薬を使ったところ、陽性だったとのことだ。
「ピルを飲んでいたのでは?」と訊いたところ、先月くらいから節約のために服薬を辞めたとのことだった。
なぜそんな大切な話をしなかったのかとか、服薬を止めたのにそのまま避妊をしない状態をなぜ是としてしまったのかと言う話をしたあたりで向こうが泣き出して話にならなくなってしまい、気まずい雰囲気のまま一旦昨日は解散し、有給を取っていた今日明日の予定はキャンセルした。
自分の言い分としてはやはり彼女が服薬を止めていたにもかかわらずそれを伝えてくれていなかった理由がよくわからない上、流石に付き合って半年も経たない時点で結婚を決断できないなと思っているのが正直なところ。
特にこんな大きなミスコミュニケーションが生じた以上、これ以降も大事な話を自分に内緒で決めてしまうのかな、とか考えてしまう。
収入とかはお互いそれなりにはあると思うし、ここで出産の方に舵を切ったとしても人生が詰みはしないだろうが、そうは言っても、周囲でまだ子供がいる人はかなり少数派で、もっといいタイミングがあるのではという思いもある。
彼女の反応を見るに、そもそも妊娠を伝えて俺が手放しに喜ぶことを想定したようで、難色を示された時点でもうそのショックが大きくてあまりそれ以降の話が入ってきていないように感じた。
正直それなりに頭の良い人だと思っていたので、ここまで感情的になって話にならないのも初めてで戸惑っている。
どうしたらいいんだろうな、もう考えてたら夕方になりつつあるけど、本当に答えが出ない。
だった。18の話。
SNSで繋がって漫画とアニメの話で盛り上がった男の人と会うことになった。
なんでも童貞(聞いてないのに自分から言い出した)で女の子と会うのは初めてを連呼してた。
10くらい上と聞いてたけど相手35だった……おじさんなんだけど、SNSで話してる時はあんまそんな感じしなかった。
初めて会って普通の男の人だなと思った。
それでやりたかったゲームを持ってるというからホイホイ一人暮らししてる男の家にあがってしまった。
女の子の友達はいたけど、漫画とかアニメとかゲームの話ができるコがいなかったから……
たくさんゲームして遊んで、そろそろ帰らなきゃってときに急に抱きしめられてびびった。
そのまましばらく2人でずーっと、ぎゅーってしてた。
ただ男の人にぎゅーってされてることにびびっていた。
服を中途半端に脱がされて、胸触らせてとかいわれて、これ初対面で会う人にすることなのとか思いながら胸揉まれた。
それで、揉まれながら「付き合いたい」「彼女になって」っていわれて、今断ったらどうなるのかわかんなくて、いいよといってしまった。
私、今思えば父親から性的虐待なんかなってことをされてて、胸を触られたりお尻触られたりしてた。
触らせないとすごく怒るから、触らせないといけないのかなと思ってしまってた。
父親はお前みたいなやつを触ったりできる男は俺くらいなもんだ、ありがたく思えって笑ってて、
だから、私みたいなのを他の男の人は性的な目で見たりしないと思ってたから、この人はこんな私のことでも触るんだなとか考えてた。
付き合い始めてデートらしいことはしなかった、
多分お互いどこいけばいいのかもわからなかったし、
行きたいとこなかった……
バイト終わったら彼の家に行って、ふたりでお風呂入って洗いっこして、はみがきして、テレビ見て、彼が買ってきた新しいゲーム一緒にして、付き合ってるんだからえっちするよ? みたいな感じで、初めて男の人とえっちした。
最初にえっちするっていわれたとき、彼がふにゃふにゃちんで、ゴム着けようとしてもなかなか着けれなくて、えっちやめよっていったら、ヤダ絶対えっちするって聞かなくて、ゴム何個もダメにして、使えなくなっちゃって、最終的にゴム無くて勃ちはじめて、それで挿れようとしてきたから、えっちしたことなくてもゴムなしはやばいと思ったからやだ!しない!って拒否したら空気悪くなって終わった。
彼氏と彼女なんだからえっちして当然なんだよと言われて、次は絶対するからなっていわれて、次ははじめてうまくいったけど、なんか痛くて生理痛みたいになって最悪だった。彼は気持ちよかったのかな、わかんないけど、一回えっちしてからは、相手の部屋に行ったらずっとえっちばかりだった。夜から朝までとか、朝から始めるとか、一日中えっちしてばかりだった。
ある日、子供は嫌いだからいらないって話をされて、こんなにえっちばかりするのに子供出来たらどうするのかな?って不安になって、それきっかけで、別れたいって話した。
別れるの大変だった。やだやだいわれた。
子供のこと話したら、えっちはするよ? ちゃんと避妊したいならピル飲んできていわれた。まだ子供とか考えれなかったしこの人は子供嫌いだしどーしようみたいな。。
私も彼もお互いのことが好きじゃないってそこではっきりして別れてよかった〜思ってる
なんか思い出したから書いた
相手によるだけでこうはならないのではって今でも思う
大学の女子枠についての話題をよくみるけど、私は最近ジェンダーについてリベラルの最右翼みたいな考えをしてるので、中等教育の共学なら男女別定員すら撤廃すれば良いと思ってる。
そもそも男女比なんてジェンダーフリーとして考えるならなんで分ける必要あるの?って感じよね。
中等教育に女子校男子校はあって良いと思うけど、共学なら男女でわかるのやめればいいよ。上から成績順に取ればいきじゃない。年によって男女比率変わったって問題ないでしょ。多少、トイレなどの設備に面倒は起きるかもだけど。男女比という概念がそもそもジェンダーフリーじゃないよね。
そう言った意味で、大学に女子枠がある必要は一切ないと思うけどね。
そういった意味では女子大は廃止にしていいと思う。学問に男女は関係ないでしょ。
中等教育までは、まだ子供として扱うことで、生物学的にわけた教育の意義を学校側が提示できるなら、良いと思うけど。これは別に明確な理由があるわけじゃなくて、なんとなく。
大学の女子枠についての話題をよくみるけど、私は最近ジェンダーについてリベラルの最右翼みたいな考えをしてるので、中等教育の共学なら男女別定員すら撤廃すれば良いと思ってる。
そもそも男女比なんてジェンダーフリーとして考えるならなんで分ける必要あるの?って感じよね。
中等教育に女子校男子校はあって良いと思うけど、共学なら男女でわかるのやめればいいよ。上から成績順に取ればいきじゃない。年によって男女比率変わったって問題ないでしょ。多少、トイレなどの設備に面倒は起きるかもだけど。男女比という概念がそもそもジェンダーフリーじゃないよね。
そう言った意味で、大学に女子枠がある必要は一切ないと思うけどね。
そういった意味では女子大は廃止にしていいと思う。学問に男女は関係ないでしょ。
中等教育までは、まだ子供として扱うことで、生物学的にわけた教育の意義を学校側が提示できるなら、良いと思うけど。これは別に明確な理由があるわけじゃなくて、なんとなく。
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
お父さん、あなたの言っていることは正しい。でも、正しさだけで世の中は回っていないんです。
私はあなたのコミュニケーションの取り方に少し不安を感じます。
あなたはきっと優秀な方で、すでに大人で自我も確立されている。
息子さんもそういったタイプなら心配はいらないかもしれないが、まだ子どもです。
お父さんとは育った環境も時代も違います。それは奥さまもです。
あなたは奥さまの主張も論点を理解しているが、あなたはそれを論点としていない。
それでは奥さまはきっと、論点が伝わらないと感じている。
一度、奥さまの論点に寄り添って、会話をするのがよろしい。
奥さまの違和感のある考えに言及するのは、その話題が落ち着いた後にすべきです。
あなたはそれを奥様への迎合と感じるかもしれませんが、コミュニケーションとはそういうものです。
今朝方観に行きました、インサイドヘッド2を。
前作は大泣きしたほど大好きで続編の特報を見てからずっと楽しみにしてた。
子供向けの映画だから多少はうるさくなるかなと覚悟はしていた。
席についたら横に女と老人の車椅子が二台止まった。
その時には彼女らに不快感なんて無く、「車椅子が入れるスペースってちょっとしかないんだな。もっとバリアフリーにすればいいのに」とすらのんきに思っていた。
するとギョっとするようなボリュームで女が予告映像にツッコミを入れ始め、老人に同意を求めていた。老人も促されるように返答していた。
一瞬凍り付いたが、まあまだ予告だし…本編始まってないし…今はまだ子供達も喋ってるし…と自分を納得させた。
本編が始まった。すると流石に館内が静かになった。子供達も食い入るようにヨロコビ達を見つめている。
そうだよね、やっぱり皆始まったら画面に集中するよね
「〜がさあ!」「これかわいいなぁ!」
横の車椅子の女だった。本編が始まっても画面に茶々を入れて老人に話しかけていた。
うちら居間でTVの金曜ロードショー観てんじゃないんだよ、二千円と交通費とドリンク代払って楽しみに見に来てんだよ。爺と孫が画面にコメント突っ込んで共有する空間ではない。お願いだから家から出ないでニコニコ動画でも観ててほしい。
ひたすら繰り返される女の声がうざすぎて「喋んなや」とキレてしまった。すると老人が明らかに不快そうな顔でこっちを見てきた。いや、私を不快にさせてるのはお前の孫だかなんだか分からない連れの女のマナー違反なんだよ爺。
映画ではライリーが厳格なホッケーのコーチから叱責を受けている場面だった。
横の女はこういう躾どころか、学校での規律教育すら受けて来なかったのでは、と連想させられた。いや、だとするならそんな訓練受けてない子供達の方が今よっぽど行儀よく静かに映画鑑賞している。なら何だ?この女は?
まあ私も体育会系でまっすぐ育ってればあのコーチのようにきちんと注意出来てたんだろうな、独り言みたいにキレるんじゃなくて。
あ、ヨロコビが頑張って何とかしようとしてる。あの女の脳内でもヨロコビが爺と喋りたがっているのだろうか。いや、恐らく私の見立てではこの女は特別不安に弱くて映像の間や演出から受けるパッションを己一人では受け止められず言語化して他者と強迫的に共有しなければならないのではなかろうか。だとするなら主要感情はビビリか?
そんな具合に、私はインサイドヘッドを観に来ているのにインサイドベットを通してこの居心地の悪さについて思考している空間になっていた。とても不快だった。
女はまだ時々爺に語りかけていた。爺も流石に空気を読んで寝た振りをしてやり過ごしていた。いや、躾しろよ爺。成人女にもなって子供よりマナーがなってないこの女を。子供ファーストの映画で子供よりうるさいこの女を。
エンドロールが流れた時、やっと帰れる…と思い席を立った。そしてはっとした。
待って、ピクサー映画なら間違いなくエンドロールにもおまけがあるはず。
そして私は出口一歩手前でスクリーンを見ていた。立ちながら。
「なんやこんだけかー」
子供は大人とは違って変な倫理観とかそういう物がないから合理的だ。
子供は普通から外れた子供をいじめる。でも、普通の感覚、共同体感覚がない子供は大人になっても生きるのに苦労し、死にたいと思うようになる。そうであれば、まだ子供のうちに殺してしまった方が、本人も楽だし、周りの人間への負担も少ないだろう。
狩猟採集をしていた頃の人類もきっと、普通とは違う人間をいじめ、時には殺していたに違いない。それが、農耕をするようになり、普通とは違う、本来であれば生きるべきでない人間も、労働力として使えるようになってしまった。
1920年代には、優生学といって、国籍障害の有無で強制的に人を殺した方が良いと言う考え方が広まったらしい。私は、これには断固反対する。本人の意に背いて殺すことはよくないからだ。
ただ、そうすると、いじめられている子供のうち、死にたくないと思っている子供は殺すべきではないことになる。そして、その子供が大人になって、自ら死にたいと思うようになってから初めて死という救済を与えられることとなる。だが、これは無駄に苦しませるだけだ。
将来苦しむとわかっているのに生かすことは果たして人道的と言えるのだろうか。
この作品は主人公とヒロインの関係性を楽しみながら、舞台の上だけに限らない、個性豊かなキャラクターたちのやり取りを楽しむものなのでしょう。現実の歌舞伎とは全然違って、例えば歌舞伎に興味がないのに歌舞伎役者の養子になるとか、古典歌舞伎の公演に演出家がいるとか、分かりやすく現実と違います。だから実際の歌舞伎とは違うものとして読むべきものだと思っています。
「どこかで見たことのある、誰かが演じたもののパッチワーク」という言葉、なかなか歌舞伎の本質を突いた言葉だと思います。2世猿翁の言葉にあるように、歌舞伎の本質は「学ぶはまねる」にあると思います。先人に教わって、その人のやり方をまねるところから始まる。それがあるからか、歌舞伎は故人を含め、誰かに似ていること自体が悪いことではない、珍しい分野だと思います。ほかの演劇分野だと誰かに似ていることってあまりよくないこととされていますが、例えば「吉右衛門に似ている」という言葉は、悪い意味にならない。そういうところが歌舞伎の面白いところだと思うので、「誰かが演じたもののパッチワーク」という言葉はなかなかうまいことを言っていると思いした。
「歌舞伎はなんでもあり」これは本当にその通りだと思います。先日も秀吉の物語を見ていたはずなのに、突然舞台が天界に移って孫悟空の踊りが始まり、本当になんでもありだと改めて思わされました(これがとても良かった)。18世勘三郎の言葉にある通り、「型があるから型破りが出来る」「型が無ければ単なる形無し」という側面もあるので、このあたりも描いてくれたらいいのになあと思っています。
ネット上での連載では三人吉三の上演準備が始まっています。演技へたくそと言われている人がお嬢で、華も人気もある役者がおとせになったら、ファンが公演を盛り上げるどころかなぜお嬢ではないのかと暴動を起こしそうですが、そのあたりがどうまとまるか気になります。お嬢の演技も真冬の作品なのに弁天小僧のように片肌を脱いだ演技になっているので、どんな理由がつくのか楽しみです。個人的な好みを言うとお嬢の特徴的な衣装が絵的に確認できればいいのですが、こういうところは単行本での加筆になるんでしょうか?
現実の高校生くらいの歌舞伎役者さんってまだまだ子供の範疇で、そんなに厳しく演技が下手だとか非難されていない気がします。例外的に小学生の頃から人気が高い人もいますが、ほとんどは名前すらろくに覚えてもらえないまま20代前半を過ごしているのではないでしょうか。高校生なのに演技が下手だの人気がないの、あれこれ言われて、物語だから仕方ないとはいえ、この作品の世界はなかなか厳しいですね。
およぶのは深夜か早朝。
まだ子供が隣で寝てて狭いので、激しさはなくなった。体位を変えるのは回数は減った。
いつもだいたい以下のとおり。
妻は唇や首とかは性感帯ではなく、胸や性器以外の反応がほとんどない。しかも、性器も膣に集中してて一旦スイッチが入るとすごい濡れようだが、例えば胸を長く揉んだところでそんなに濡れるわけじゃない。
一旦中を触りはじめて、よく濡らす。
そのうち、腰を持ち上げたり、横向きに捻ったり、四つ這いになったりし始める。
子供を産んでからは妻が前戯でイクことはなくなった。昔はGスポットでイケたけど、潮をふくばかりでイカなくなった。そして、潮吹きも嫌がる。
しばらく続けると膣が膨らんで子宮口がすぐ触れるところまで降りてくる。
ツンツン押し続けると、目をぎらつかせて自分から上に乗ってくる。妻の動きはいつも前後。
体を立てて、ペニスが子宮口を弾くように恥骨をグリグリ押し付けてくる。
ゴムをつけるように促し一旦抜き、再開。
やはり騎乗位だけど、冷静になったのか体を倒して密着してくる。
妻なりにすぐイカないため、奥に当たらないようにそうしてるのだと思う。
手を隙間から入れてクリを刺激して火をつける。しばらくすると、再び体を起こして、奥が刺激されるようにして、震えてイき、脱力して覆い被さってくる。
今度は私のターン。
妻を仰向けにして正常位で再び挿入。
妻が余韻から回復するまで、折れない程度にたまに動かすだけにして、「気持ちいい」と合図をもらったら本格的に動く。やっぱり奥中心に刺激する。妻の体調によっては妻はここでもう一度イクが、イカない日のほうが多い。
早めにおわす日はそのまま続けてゴムのまま出して、裸でしばらく抱き合って終わり。
もう少し妻の体で遊びたい日は、一度抜いて、再び指。潮吹きさせると嫌がるので、潮吹きの直前か、ちょっと出るくらいでやめる。
もう一度入れて、今度こそ射精してしばらく抱き合っておわり。
いつもこのパターン。