はてなキーワード: はなとは
あー、確かに「腐女子文化の存続」だとニュアンス違うね、そこは訂正するよ
お金がないと安全が確保されないから、多くの利益を得ようとする。
ただ、無意識にお金を憎んでいる人は乱暴に使ってしまう傾向があるので、
お金持ちはお金持ちで、生きていても優越感にひたるくらいしか楽しみがない。
しかし、お金を手放せば危険になるし、多くのお金を所有している事が優越感につながるので手に入れようとする。
結局、世の中は金だという事になるし、自分の存在意義が否定されないためにも有力者は現状が維持されてほしい。
そして、他人の責任を自分が受け持てば権力が発生する。それは権力を行使して服従させられるということだ。
結局、どこかに逃げる場所が用意されていないと対応出来ない人間は自殺者としてこれから増えていく。
それは人生というゲームの歯医者である。あ、間違えた。敗者である。
マリオカートのように勝っても負けても楽しめるゲームではないのだ。
敗者への救援策として、イナズマの使用で他人に負担を分配する事で前に進めるようにしたり
スターで障害が無い状態でひたすら前に進めるようなシステムの用意が必要だろう。
そして、何度でも対戦出来るように再チャレンジの権利を与えるべきだ。
そうする事によって、負けるのもそれはそれで面白いと知った好奇心旺盛な人達が
あえて失敗をして状況を確認したり、逆走をするといった愚行を犯す事によって新しい可能性を探ったりするだろう。
それが社会の多様性を広げ、安定していく事にもつながる。
でも、最近はマリオカートにも飽きてきたので、もっと良い方法があるとも思う。
仮説を含めているので、間違っていたらごめんなさい。
じゃあ夫は200円の卵を買う程度の金も稼げない病気だな。
「うちは裕福ではない」ではなくて、あなたが頑張って裕福にするんですよ。
そこをすっ飛ばして奥さんだけ病気呼ばわりするのは良くないでしょ。
なにがシビアなんだか。
無茶苦茶だな。
人を笑うのは良くない、ネタを笑いましょうって話に疑問を呈しておいて、
それへの反論の論拠が「巷に人を笑うネタがあふれている」。
この話には二つの異なる問題がある。
一つは
「何が問題なんだ?」と思うものも居るかもしれないが、スキル、知識、人脈において代えがたい人と言うのはいるもので、これが抜けることに対するフォローの問題。
もちろん、これらの人が転職する事態も同じ問題を発生させるし、問題の程度に男女差はない。
転職は福利厚生の向上などである程度の対応が可能だが、「育児をしたい」や「結婚して家庭」と言う欲求はフォローが効かない。
女性に批判が集まりやすいのは、実際少なからず寿退社が存在するからで、数年にわたる長期プロジェクトなどを任せにくい状況に一役買っている。
もちろん、結婚した相手の都合(転職など)が理由であったりもするが、会社からしてみれば、それで救われるわけでもなしと言ったところ。
二つ目は
こちらは、すでにある仕事というよりも、将来を見越して投資したリソースの問題。
会社の新人育成も似たようなものだが、女性は上記で挙げたような理由により、このリソースをつぎ込みにくい側面を持つ。
投資するリソースが大きければ大きいほど、それを無駄にされるダメージが大きくなるので、通常は契約で縛ることになる。
自治医大などがあるが、「職業選択の自由」を掲げる一派からは、これすらも憲法に抵触するという主張も有り、これらの話で譲歩はあり得ないと思える。
思考実験として、市井の人はどのレベルでなら、それを問題だと思うだろうかを考えてみるのも面白い。
このケースなら、システムに批判が集まるだろう。
「無駄な投資を止めろ」であるとか、「契約で縛れ」とかである。
(これは言い換えればリソースの浪費に対する批判であるが、おそらくここでは作った「箱」に批判が向くはず)
政治家二世が参加者であれば、「金を返せ、犯罪だ」とまで行くかもしれぬ。
おそらくではあるが、政治家二世の「職業選択の自由」は左側の人間からも忘れ去られるのではないか?
仮に金額の多寡が問題であるとするなら、さて幾らなら許容範囲か。
このケースはどうであろう。
もちろん、発生頻度のとてつもなく低い仮定ではあるが、やってしまったらニュースにはなりそうだ。
育成するための設備や関わった人たちのコスト、組織としての面子、とんでもないダメージだろう。
もちろん、余剰育成はしているだろうから、プロジェクトへの損害は軽微になるとしても、だ。
こうした、多大なリソースを使う極小枠で、そこへ志願しておいての辞退は、さてどのレベルなら「職業選択の自由」だと言えるだろう。
「職業選択の自由」を絶対不可侵とするなら、どれだけのレベルでリソースが使われようが、個人が非難されてはいけないはず。
けれど、市井の判断として、おそらくそこまでの絶対視はないだろう。
今回のケース「学生の育成程度」の話題ならば、ほとんどの人は「職業選択の自由」を優先するのは確か。
だから、「医学部」の話を「文学部」などと比較するのだよね、必要なリソース(お金だけじゃないよ?臨床の現場とか含めて)が違いすぎるのに。
と、ここまで書いておいてなんだが、おそらくその主婦が事故の現場などで人を助ければ、市井は大絶賛だろう。
家庭が安定したら、どこかで医学知識を活用してくれるかもしれず、ずっと死蔵するのが「社会的損失」程度の話でもある。
「犯罪」といったから皆が議論してるともいえ、これで学生が一人でも自身の身の振り方を真剣に考えたなら、むしろ御大は上手くやったのではなかろか。
大変な思いをされましたね。
ただお父さんお母さんの頑固さも、問題の根は同じ気がします。
大変はずかしいだとか、
そういう羞恥や恐怖をお父さんお母さんに抱かせているのではないでしょうか。
ただの地震だったら、被災地でもない限り、元の生活に戻って当たり前だ。
だけど今回の地震は違う。
そして今も続いている。
テレビや新聞では何事もなかったかのように、以前のようなお笑いとお涙系の番組が報じられている。
そして許せないのは、
ニュース番組でさえも震災を利用してお涙系の放送を流していること。
ニュース、せめてNHKは、原発が今、どのような状態になっているかを
昨日の夜9時のNHKはさすがに腹が立った。
震災で子供をなくして毎日子供の遺品を捜す母親の姿が報じられていた。
確かに、かわいそうな話だ。
見ていて涙が出る。
だけど、このようなお涙系はナニもわざわざNHKが報じることではないと思う。
民放にまかせておけばいい。
今、私たちが一番知りたいことは、
御用学者ではなく、きちんとしたことをはっきりと言ってくれる専門家の話を聞きたいのだ。
政府から「パニック」になるから。という理由で放送を禁じられているのかもしれない。
なんとも悲しいことだ。
大事なことを隠し通している。
311を過ぎて、政府とマスコミは信じられないとはっきりと悟った。
そして、食べるものや飲むもの、空気、身体に触れるもの、全てに神経を尖らせて生きていかなくてはいけない。
今まではある程度受け身でも生きることができた。
だけどこれからは受け身では生きられない。
世の中で嫌われる人間の性質ははっきりしている。それはルールの内側なら何をしてもいいと考えている人間である。ルールに欠陥があるのは仕方のないことであって、その欠陥はモラルによって埋められることが暗黙に期待されている。ところが世の中には、公的なルールにさえ反しなければ完全に自由だと勘違いし、ルールに従っているという体裁をとっていればどんな醜い悪行をしてもよい、極力自分の利益を図ってよいと考えているヤクザ的人間がいる。こういう人間は、本来はルールに従っていてもその人格の醜悪さから嫌われて当然なのに、ルールに従っている者を嫌うのはおかしいなどと思い上がった考えをしており、自分を嫌う人間をルールの名の下に断罪するという卑劣な態度に出ることが多い。また、これと同様に、公的なルールの妥当性自体を検討しようとしない衆愚的な思考も罪である。これでは、一部の権力者が、自己の主観を、正義や現実性の名で覆い隠し、一般人に押し付けることになりかねない。場合によっては、権力者自体が巨悪であり、苛烈な法を有無を言わさず押し付けていることもある。これでは、順法やモラル以前の問題である。さらに、警察によく見られるように、確固とした人格がなく、自分たちのルールに従う人には優しくし、反発する人には、自己の人格を発露して善導するのでなく、徹底的にいじめるという矛盾的態度を示す者が実に多い。つまり、統一的な人格がなく、自分が好きな人だけ優遇し、嫌いな人はいじめるという、ご都合主義的な人格をしているのである。我が国の法の最大の欠陥は、ただ法の形式ばかりが完璧かつ用意周到に整備され、実際場面では、個々人がその法の範囲内で極力自己利益を図るように行動したり、人格的統一性がなく、相手に対する好悪で態度を変えるという日和見主義、八方美人的発想をしていることである。これでは法治国家として4,5流であって、とても世界に冠たる先進国などとはいえないし、子供たちの前で立派なことを大言壮語しておいて、実際の努力が偏狭な欲望と見栄を満足させることに費やされているのでは、あまりにも情けない。そもそも当の日本人自身が、机上では高邁な論議を尽くしながら、実際には実行に移さないとか、一定期間は実行してみるが、どういうわけか長続きせず、むしろ反動で高邁どころか徹底的に下劣になることが歴史的傾向としてあり、これでは日本国家以前に日本人自体がある種絶望的な人種であるというほかない。これを克服するには日本人自身が自己を反省すべきことに行き着くのであるが、現状は反省するどころか開き直っている日本人が多い(こういう人間に限って「学校からはもはや学ぶものは何もない」と嘯いているが、まったくもって何も学んでいない)。これでは、過去の高邁な議論は実を結ばず、すべて水泡に帰し、知的偉人たちの人生が無駄になってしまう以上に、日本人自身が単なる存在悪であることが証明されてしまったも同然であり、現代日本において正義が廃れ、社会が卑劣な人間の共同犯罪や阿鼻叫喚の物理的精神的戦争状態と化し、力で他を制した者こそが正義だという古代以前の未開社会に堕するのも蓋し当然である。ここまでくると、日本は北朝鮮や北アフリカの独裁国家以下の犯罪国家であり、日本自体存続に値するものとは思えない。日本の首相(もはや首領か)は今すぐにでも国際刑事裁判所の御世話になるべきではなかろうか。
育児をしたいから主婦になるという考えそのものが批判されるべきなのかもね。たぶんあなたは「べきではない」という前提から考えているのだろうけど。
選択・責任・結果がすべて一致しているならば、叩かれることはない。ずれがあるから叩かれる。
「こんなに子育てに冷淡なのは日本だけ」とかいうけれど、「こんなに女に甘いのは日本だけ」だよ、実際。
この場合の甘いというのは、選択・責任・結果の不一致に寛容であるというけれども。
女を雇っても離職する。女を専門職に養成してもいずれ主婦になる。
それなら、女を雇用しないようにしましょう、女に教育なんて不要ですねということになる。
きみたちはなかよしさんだな!
うらやましい!
でも気になって気になって結局いらいらしちゃう、とかよりは、ちゃんと言ったほうがお互いいい気がします。
言い方の問題はもちろんあるけどね。
単に合わないだけのような
この議論は相手の話を聞かないと本当に何とも言えない
仕事で、俺は褒めたり怒ったりという手段をされるのもするのも苦手な口です
正直、褒められても嬉しくはない
こいつ駄目だなと思われている時点で、純粋なアドバイスは貰えなさそうですね
怒るのはプライベートでやってくれませんか?
駄目な奴(これから書くのは「仕事が遅い・出来ない」奴の事を指す)をまともに動かすのが上司の努めだと色んな人が言っている。
確かにそうだと言う事は頭では理解できる。しかし、駄目な奴は何をやってもどうしても駄目だと思う。なぜか。それは「本人が自覚して改善しようと思わないから」以外にない。つまり、周りの人間がいくら言っても無理なのだ。
山本五十六の名言「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」をいつも思い出すが、これをやってもどうにもならない奴が存在する。そしてそういう奴に限ってこちらの意見を否定する。俺が「こうしてみれば良いんじゃないかな?」と言う事をいつも否定し、代替案も出さない。
「そんな奴、見放せばいいじゃないか」と人に言われるけども、会社は俺がそいつを育てる事を期待している。だから俺の部下につけたんだろうし。会社の期待には応えなければ社会人ではない。
そう思って3ヶ月頑張ってきたが、毎日のノルマをこなせない彼の仕事ぶりを見ると、やっぱり「駄目だな」という結論に達してしまう。
病的なほどで、集合時間に時間通りに到着することが決してできない。
どんなに重要な待ち合わせにも、必ず5分遅れて到着、ひどいときは1時間も遅刻していた。
時間に縛られることが、自分を否定されているように感じていたことと、
先読みができず、出発時間間際に必ず他にしなくてはならないことがみつかるという悪癖が主な原因だった。
それに、時間にルーズというのは自分の個性だとかたくなに信じていた。
そういう自分の個性を認めてくれる友人こそ、本物の友達だと考えていた。
仕事で遅刻することも多かったが、親友と会ったりデートをするときこそ、余計に遅刻してしまう。
そもそも時間にうるさい女性とはつきあわないようにしていたが(とはいえ、いい顔をする相手は皆無だったが)、
時間にルーズなところを変えようとした彼女には、だんだんと嫌気がさして別れたことがある。
しかし、30を超えてから、ほんの些細なことがきっかけとなり、今では、集合時間の30分前に到着するのが当たり前になった。
人間は変わる。
その自分の経験からいって、彼女のその悪癖は、治すことができる。
まず、増田の彼女が家で片付けをしないのは、増田のことを本当に信頼したいからだろう。
片付けできないことは世間では嫌がられるということは、彼女は知っている。
しかし、だからこそ、それを許容してくれる男性こそが理想なのだと、彼女の潜在意識に刷り込まれている。
このかたくなな思い込みが、片付けできない性格を下で支えている。
そういう人間は得てして、仕事や勉強が優秀なことが多い(自分を認めてもらうために)。
しかし、それなりに仕事ができるようになっても、いつまでも自分に自信がない。
その証が、父親のように、片付けられない自分を許してくれることなのだ。
もしもあなたが「俺は君のそういう点は、嫌なんだ」ということを粘り強く伝えることで彼女の性格を変えたいと願うのなら、それは間違いだ。
彼女の潜在意識は、片付けをできない自分を認めて欲しい、という思い出いっぱいだから。
もしも彼女が好きならば、まずは義父のように、彼女の代わりに部屋を片付け続けて欲しい。
ただ、それだけだと彼女の実家のように、いつまでもそれが続くことになる。
それを変えなくてはならない。
まず、不十分ではあっても、掃除の日を決めて、彼女には掃除をする習慣をつけさせること。
まずは、習慣が必要。
加えて、家庭の中の余計な物は、増田がやる気を出して、すべて捨ててしまえ。
いらないダンボール、いつか使うはずの包装紙、読み終わった雑誌、そのすべて。
彼女が急に片付けを頑張ろうと決意したときに、簡単に始められるように、生活全般をシンプルなものへと変えておくべし。
それから、増田には、彼女に睡眠と栄養を規則正しくとらせ、運動をさせるという、一見片付けとは無関係のことを辛抱強く続けて欲しい。
実際のところ、彼女は夜ふかしをするひとなんじゃないのだろうか?
バランスに欠けた人格や思い込み、異常な空間認識等は、脳みそがうまく働かず、精神的に不安定だったことが大きな原因になる。
私が時間を守るようになったのは、
遅刻に寛容な友達と仲良くするようになり、数年ののちに、遅刻をすること=自分を認めてもらうことではなくなったこと、
(なぜかある時、急に楽になったのだ)
睡眠の重要性を知って、規則正しく同じ時間に必ず7時間、とるようになったことだった。
一時期、ADHDだと信じ、自分の時間にルーズな性格は治らないと諦めていた。
しかし、それが変わった。
幸運を祈る。
卵が100円と200円があって、特売で安い方がお得で100円を購入する人がほとんどだと思うけれど、妻は何も考えずに200円の方を入れる。
うちは裕福ではない。
カードで決済させているから、彼女にとっては、節約という概念がない。
欲しいものを好きなだけ買う。
観察していてわかったことは、高いか安いかは、彼女にとっては、二の次。
お金がないのはわかっているのに、節約が出来ない。というより、「節約」という概念がすっぽりと抜けている。
言いたい事は、ここだよね?
ボクは中学英文法を150時間程度、単語を6000語レベルまで勉強した後に再度海外ドラマにチャレンジしてみたら、かなり聞き取れるようにはなっていた。この単語はこういう使い方をするんだという感動があった。ただ意味はほとんど取れていないのでおもしろいとはまだ感じられていない。
横だけど、このTogetterの腐女子たちは「“マナー”を守ること/守らせることで日陰状態を保つことが、腐女子文化を存続させる手段だ」と考えているわけで、
それが「手段」として有効ではなく、単なる「旧世代の腐女子文化への帰属の奨励」でしかないってことを、元増田は指摘してるんじゃないの?
何なんだ。
今ゆとりゆとりと馬鹿にする人たちは小学生の時、中学生の時、自ら望んでその教育を受けていたんですか?
どんな世代にだって、常識のない人や気の使えない人、頭の悪い人は居るでしょ。
俺は平成生まれのゆとり世代です。(台形の面積の求め方も習ったし、円周率は3.14だったけど)
馬鹿だし常識もないし、不目地目な人間だけど、それはゆとり世代だからではない。
周りを見てみると同じゆとり世代でも常識ある人は山ほどいるから。
真面目な人も沢山いるから。
これだけ沢山いる人達を全部ひっくるめて否定する言葉「ゆとり」。
否定したいならその人を否定すればいい。
結局何が言いたいのかと言うと…
うぜーんだよおおおおおおおおおお!!!!
馬鹿は文系に行くことが多いから、相対的に文系に馬鹿が多いように見えるだけで、文系自体が馬鹿なわけではない。因果関係が逆。
まず前提として"英語が話せる人"とはどんな人かと言うと、学生時代から海外文化に興味があって、英語が好きで留学経験があり、外人ともがんがんにコミュニケーションがとれる、要はリア充の方々のことである。
翻って"ボク達"というのはつまり童貞で、学生時代のTOEICの点数は280点で開き直っているボクのことである。ボクのことでした。ボク達っていっぱいいるように書いてすいません。
では、何故ボクは無視するのか。単純にほとんどの場合、役に立たないから。じゃあ、何故役に立たないのか。英語の勉強を始める動機やもともと持っている英語基礎能力、それから英語に対する積極性があまりに違いすぎるからである。ボクの場合はもう完全におっさんになってしまってから必要に迫られて英語を勉強し始めたのだけれど、そもそも英語の勉強なんてしたことがないから一般動詞とbe動詞の区別もつかない段階からスタートする破目になった。
具体的に勉強法として一つ例を挙げる。
ボクが英語の勉強を始める際にたくさんの人に勉強法を聞いた。もちろんそれは英語が話せる人ばかりだ。そんな英語リア充の方々からほぼ100%の確率で言われたことがある。それは「英語で海外ドラマや映画を観ること」だ。
英語で海外ドラマや映画を観ることには思いつく限りいくつかの学習メリットがある。
といったところだと思う。
この中で映画、ドラマである一番大きなメリットは3つ目。映画やドラマはおもしろいから見続けることができる、だから自然と学習できる、といった学習するうえで最も大きな課題である"継続"の問題を解決してくれる学習法ということだ。しかしながら、実際にやってみて思ったのだが、TOEIC280点程度の人間がいきなりネイティブの会話を聞いて分かるわけがない。何度も繰り返して見ていればだんだん分かるようになってくるよ、というのは英語リア充の弁だが、おっさんがそれをやるのは非常に効率が悪い。単語力もまるでないので、かろうじて聞き取れたとしても意味がさっぱり分からない。ディクテーションしてみても、何故こんな文になるのかの構造が分からない。そして分からないからさっぱりおもしろくない。
つまりこの学習法は英語学習中級者向けなのである(≠英語中級者)。
そもそもボク個人のことでいえば、日本語であろうがドラマも映画もそれほど好きではないし、特にハリウッド系の勧善懲悪モノが苦手だ。にもかかわらず、英語リア充達はドラマや映画を英語学習に使うメリットを完全に置き去りにして頑なに勧めてくる。そんなの無理だよ。だって全然分かんないし。おもしろくないし。見続けるのは苦痛だよ。
おそらく英語リア充の方々はもともと英語に対して前向きで、ある程度の基礎文法力と基礎リスニング力は(知らず知らずに)持ったうえで海外ドラマや映画を観始めたのだろうと思う。ところが、こちとら英語童貞の落ちこぼれなもんでハローくらいしか聞き取れない。もともとの土俵が違うのである。
そりゃあ、あまりにも勉強してないおまえが悪いんだろ、と言われてしまったらその通りなわけだが、その通りだからこそ童貞には童貞なりの勉強法というものがあるのだ。
ボクは中学英文法を150時間程度、単語を6000語レベルまで勉強した後に再度海外ドラマにチャレンジしてみたら、かなり聞き取れるようにはなっていた。この単語はこういう使い方をするんだという感動があった。ただ意味はほとんど取れていないのでおもしろいとはまだ感じられていない。
やはりボクにとって海外ドラマは苦行なのである。お願いだから『フレンズ』とか『セックスアンドザシティ』とか勧めないで。何回繰り返し見ても全然おもしろくないのアレ。