はてなキーワード: はこねとは
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20230107233400
昨年8月に生後おそらく2ヶ月で行き倒れて保護されたこねこを10月にお迎えしたので、今月でちょうど1歳を迎えることになりました。そのお祝いとして獣医師さんに三種混合ワクチンを接種いただいたことを記念し、ここに駄文を残しておきたいと思います。
今年の年明けにねこエイズの検査をしていただいた時と比較すると体長体重とも成長はほぼ止まった感じですが、見た目はこねこから一回り大きくなったくらいのイメージなので、けっこう小柄なほうのねこだと思われます。とはいえ抱きかかえるとずっしりみっちりしていて、増田の腕に残っている同じくかなり小柄だった先代ねこの重さの記憶との違いに、ぎゅっとつまった密度を感じたりします。もちろん22歳の老ねこと比べる方が間違っていることは承知していますが、ツチノコを想起させるシルエットからの猛然としたダッシュと、空気がいっぱいつまったゴムまりのような軽やかな弾性をもって部屋中を駆け回る日々を過ごしていただけていること、共に暮らす増田はとても嬉しく思っています。幸い増田はまだ在宅勤務を主体とさせていただいているのですが、ちょっと留守番できるねこになってもらいたいという不遜な理由から週に幾日か見計らって出勤したりもしています。そうこうしているうちに、彼女のほうも距離感が掴めてきたのか増田の在宅勤務中はデスクの上またはPCの上またはモニタとキーボードの間等でおとなしくおやすみいただくことが増えてきました。たまにESCとかいろんなFnキーを押下してくださるので、初めて見るようなOutlookの画面が突然出てきて増田も勉強になっています。
ところで、ねこがトイレの後走り回るのは不安と緊張の反動である。ということをこねこをお迎えするときの講習会で教えていただきました。そして不安や緊張を感じさせないように十分大きくて清潔なトイレを準備してくださいとも。増田宅ではトイレが下手になった先代ねこのために購入したベルギー製の巨大ねこトイレを今もそのまま使い続けていて、ゴムまりちゃん五匹くらいは同時に用を足せる広さがあるのですが、たしかによいうんこをした後でも走り回ったりしないんです。ねこと共に暮らすことについてはいっぱしのものだとの自負を折られたわけですが、それでもご飯は下を向かずとも食べられる高さに置くとか、ご飯から離れた(複数の)場所でたっぷりお水を飲めるようにするとか、カリカリやウェットフードの選び方とか差し上げ方とか、22年間学んだことでよいお世話ができていると思いますし、同時に本当は22年前にもっともっといいお世話ができたはずなのにとなんとも申し訳ない気持ちになったりします。
夜増田がベッドに入るとしばらくしてねこがやってきます。決まって左のわきの下で一周ぐるんとまわったあと肩におしりを乗っけて増田の手のひらで耳のうしろを撫でてもらう体勢に入ります。増田はねこの耳のうしろを撫でながら、先代ねこが同じ場所で(ただし向きは逆であごを肩に乗せる)眠っていたことを思い出したりします。ふと目を覚ますとわきの下からねこはいなくなってますが、かわりにふくらはぎのよこに背中をくっつけて寝ているねこを感じます。そのような日々がこれまで20年続いてきて、そしてこれから20年続くことを願いつつ、かわいいねゴムまりちゃん、弾むように踊る。と口ずさんだりしています。こちらからは以上です。引き続きよろしくお願いします。
(追記)
読み返してみるといつも以上に主観丸出しなポエムになっててまた呆れられそうなのですが、こねこ(若ねこ)って入力aに対してシンプルに出力a'(*かわいい)を返してくるから増田の反応も主観(^かわいい)になってる気がします。ねこが年を経るにつれ入力aに加えて昨日の入力zと3日前の入力yと2週間前の入力xとどんどん出力に関連するパラメーターが増えていくので、「この反応は先月差し上げてしまったまずいご飯の影響がまだ残ってる!」などとねこのお考えを察するように増田側も成長していくと思われます。ということで、いまの増田はリセットされかわいい以外の表現言語を失っているとご理解いただけると幸いです。あとはてのさんにブックマークコメントいただけてうれしいです。
自分はフェミニストがリアルで喋る場面をそこまで言って委員会の田嶋陽子以外知らなかったし、彼女もがっつりフェミニズムのみを喋るわけでもなかった。
それが今回、フェミニスト達がフェミニストだけで延々と喋る場面に出くわしたのだ。
BGM代わりにつけていたのでしっかり視聴していたわけではないが、それでもん?と引っかかる言葉がたびたび飛び出していた。
しかし個々の話はまともに聞いていないのでここではオスの増田の印象だけを記録しておく。
ネット上の文章というのは非同期だ。ブログはもとよりツイッターですら「その場」になりきれない。
言葉は言いっぱなしで始まり誰かとのリレーも間隔があきがちで雰囲気の醸成は難しい。第三者たちのはてぶ含め賛否様々な意見が入り混じることも拍車をかけると思う。
だからネット上で見るフェミニズム(を使い活動する人たち)は今はまだいろいろな面で論争が起きがちで、過渡期で、多様な意見が散見されるある意味観測気球のような存在だった。
それがTVではどうだろうか。フェミニストがフェミニズム視点の考えを吐き出し周りのフェミニストは同意する。
そこにカウンターとしての論客も、無知な状態から視点の解説を受けて噛み砕くタレントも居ない。
フェミニストの発がフェミニストに了されるだけの空間。自論の強化にしかならない空虚な時間。
オスを配した空間でオスの制度を敵視した話をするメスたちのなんと恐ろしいことか…。
そうそう、フェミニストが出る番組とだけ書いていたが、出演者のフェミニストは全員女性だった。これはちゃんと書いておかなければわからない情報だ。だよね?言われなくても女性だと思ってた?悲しいかなフェミニストの現状だよね…。
まあね、家父長制がなんだ女性の生殖の圧がなんだって話自体はネットにいれば今更なんで目新しさはないんですよ。増田も真剣に聞いていたわけじゃないしね。
ただただあの空気感がすごかったというね。フェミニスト教の教義の復唱と確認。みたいな排他的空気感。
あの雰囲気でさ、既存の女性軽視が潜む価値観で育ったオスがフェミニズムに感化されるシーンがどうにも思いつけなかったのさ。
あの場はフェミニズムの啓蒙ではなく男尊女卑の弾劾の場だった。それはネット上でも普通のムーブだけど、ネット上はそこがスタートラインで話が広がるのに対して、クローズドな対面の対話空間ではそこがゴールになってしまう。
ひたすら女性への圧力、男性が築いた支配構造を聞かされるのは良くてセラピー、言っちゃえば被害者の会でしかなかった。
歴史を紐解き、社会構造が、制度が、価値観が、規範が、オスが女性を支配し資源として見て抑圧してきたかを解説される。
増田は女卑は確かにあった(ある)と思うものの、それは一部分であり主目的ではないと思っている。
だけどフェミニストから見たらあれもこれも女性の支配"のため"にオスが拵えたものである。そんな風に聞こえるような言い回しをしてくる。
これがひとつふたつならまだしもあれもこれもがこのトーンで言われると引っかかりが強くなってしまう。
陰謀論者や集団ストーカーとかを主張する精神疾患者がたまに言う「その膨大な権力と労力ですることがそれかよ」的なこと。
フェミニストの話を聞いているとオスがめちゃくちゃ苦心して執拗に女性支配を頑張っているイメージが"ものすごく"してしまう。
でも、長い歴史で生きるには、制度を作るには、社会を作る・守るには、男女含め統率・支配するには、そんな女性の"ことばっかり"考えるわけにはいかんと思うのです。たぶん最優先事項ではないでしょう。
ところがフェミニストの話だけを聞いているとオスとはなんと恐ろしい生き物か、となってくる。
これがフェミニストが考えるオス(あるいはフェミニストが啓蒙する真実のオス)の姿だとすれば、フェミニストがこんなにも攻撃的であるということも納得がいく。だって打倒するべきオスはこんなにも強大で意図的で進行形で支配者なのだから。
今までこれらの背景を元に出力されるフェミニストの個々の話だけを聞いていてはこの理解が得られなかった。個々の物事をどれもこんなにも強くフェミニズム的に紐付けているとは思いもしなかったのだ。フェミニストを無礼てた。ヤバい。彼らが見ている男と、男が鏡や周囲を見て知れる男とは雲泥の差があるのだ。
なんでもかんでも虐げられた女性観の補強につなげるこのロジック、彼女らの論を正と見ればこの世は、オスはひどい存在で女性は本当に可哀想な存在だと思う。一方、彼女らの論を引いて傍聴している増田からすれば、彼女らが持つ「オス像」に ほかに することはないのですか。と問いかけたくなる。頭の中女一色なのか。
男性の悪事圧制の総和を背負った男という虚像。それにペタペタとフェミニズム的解釈をつけて補強していく。そんな作業工程を目の当たりにしているような濃度。
そうやって作られたあれもこれもを持ち合わせた虚像をベースに語られると、フェミニストの語る言葉に対する白けぐあいにも得心する。それ俺じゃねーもん。
ややアンチフェミっぽい増田から言えば、フェミニストがフェミニズムを(もし)一般男性にもリーチさせたかったら、もっと冷静になるべきだと思った。言い換えると、もっと今の男性を直視したほうがいいんじゃね?と。
https://anond.hatelabo.jp/20211126060012
すこしまえのことになりますが、実家に住む10歳のねこが死んでしまいました。
増田の住んでいるところから車でちょっと離れたところにある実家には毛皮のいろがまったく同じな10歳のふたごねこがいます。譲渡会で家族一同が意識を失っている間にひきとることになっていたねこたちです。意識を失っていても書類とかきちんと書けたのすごいと思います。ある日、そのかたほうが突然体調を崩したのだけど症状が重いようなので早く検査しないとまずそう、それにはもうちょっと都会の病院にいかないとダメらしい。明日仕事を休んでタクシーで行ってみる。という連絡がありました。増田はフルリモート中で都合はつけられるし、自家用車もあるので(あとうまく当日の診察予約もとれたので)早いほうがいいでしょ。ということで行ってみたら悪性腫瘍が見つかって悩む間もなく即入院ということになり、数日間入院してちょっと落ち着いたと聞いて引き取りに行き、実家に届けたあと増田は自宅に戻り、次の日の朝、そのまま深夜に亡くなっていたことを聞いたのでした。
ねこのふとり具合をみるときに、せなかをなでて背骨のごつごつ具合がわかったら痩せすぎ。というはなしを聞きます。増田のうちの21年と半年になる老ねこはこねこのころからやせっぽちで、いまでもなでるたびにああ背骨がごつごつするね。もっと太れたらいいよね、でも毛皮はふわふわだからまだまだ大丈夫だよね。とつぶやいてしまいます。でもふたごねこたちの背中はとてもなめらかで、毛皮もふわふわというよりはつやつやすべすべでまるでかわうそのようななで心地なのです(かわうそをなでたことはありませんが)。つい先週まではそんななめらかねこだったのに、退院したときの彼女の背中はごつごつどころかとげとげしていて、おもわず手を引っ込めてしまいました。増田のうちの老ねこの背骨のごつごつ具合が北八ヶ岳とするともはや南八ヶ岳レベルで、実のところああもうこれはダメなんだろうな。と思ってしまったのも事実です。
世界にはいろんなねこがいて、野で生きざるを得ないねこもいれば、ひとに飼われることを選んでくれたねこもいます。増田はごく常識的なねこ飼いとして当然のことながらポール・ギャリコの本が大好きなので、世のねこたちがきちんと猫語の教科書にかかれていることを学び、人間をうまく利用してくれればいいと僭越ながら思うのです。なので入院中はたくさん検査してもらいましたし、酸素室なども使用させていただいたこともあって、正直なところ一泊あたりかなりの金額がかかってしまいました。でも一時退院した日、帰ってきたあなたが苦しそうに、なでられることを避ける振る舞いをされたこと。そしてその夜におしいれのすみでひっそりとつめたくかたくなっていたことが棘になって私達家族の記憶に刺さり続けるのです。たとえ最新医療を与えることができなくても、苦しいところ、痛いところを一生懸命なでてさしあげることは私達にもできたと思いますし、ひょっとしたら入院などさせず、ずっと家でなでてあげることこそがあなたが望んだことだったのかもしれないなどと思ったりもします。もちろんすべてが終わったあとだからこそこのように悩んだりできるようになったのですが、つまりはこの棘こそが私たちがあなたを愛していた証であるとも思うのです。
あれから数ヶ月が立ちましたが、残ったふたごの片割れはまだちょっと違和感があるようです。そして増田はあいもかわらずたおやかで平穏なねこ一匹ひと一人の生活をほそぼそと続けています。幸いにして21年と半年をすぎた老ねこは体調を崩すこともなく食欲も旺盛で、彼女が生きていることの喜びを増田がきちんと満たしきれないことに対する不満を高らかに謳い上げる日々を過ごされています。週末の雑な掃除が終わったあとのいごこちのよい部屋でこたつのひざの上によこたわる老ねこをなでつつ、ああせなかごつごつしているなあと思い、元増田さんと元増田さんのねこちゃんさんの幸福だった日々を想い、この増田を書きました。本日は以上となります。