はてなキーワード: のめるとは
気があうし彼氏よく笑うし生活してる世界全然違くて話してて楽しいから、すきだけど、彼氏が忙しすぎる(ほんとか知らんけど)しなんかわたしのこともうちょっと優先的に扱ってほしいなぁと思う。
性格が賢い人特有の?医学部特有の?自分大好きと部活めちゃがんばる感じ。
大量に覚えるのもできるし、上記の性格は医学部にめちゃ合ってるなぁと思うけど主に部活にバイトにテスト勉強で忙しそう。
そのほかには、部活以外でも友達と運動したり(わたしからしたら部活やっててそれ以外でまだ運動するんかいて思う)、1人で本読んでたり、暇さえあれば(3日以上の休みは)実家帰っててわたしとはデートしなくてもいいみたい。
いつもだいたい会うときはご飯食べてなかったらご飯食べて、お風呂はいって
一緒に寝てそしたら朝がきて、学校行くって流れ。ご飯自炊お互いしないのと、人の作ったご飯が食べられないらしくどっか食べに行く。
わたしは一緒になんかしたいよ〜〜 どったか出かけたいよ〜〜 家自転車で15分の距離だよ?!
週一では会ってるからそれ以上?デートしたいって思うのは贅沢なんかなぁ
耐えられなくなってちょっと全然会えない優先順位低いって感じるんだけど、、、?って文句言っちゃって、そしたらあいてるとしたら日曜日で、先に予定言ってくれたらあけてるじゃん 優先順位低くないよって言われて、実際平日はそうだったからたしかにってなってそこでは丸くおさまったんだけど
1週間くらいたって、じゃあ◯日はあいてないの?(わたしが今月唯一空いてる日曜日)ってきいたらんーそれはまだちょっとわからんって言われた。
まだわかんないってなに????
掘ったら研究室の用事とかなんやらが入るかもって言ってて もしはいったらしょうがないけど入らなかったらデートしようよってわたしは思うんだけど、そもそも約束してくれないことがショックだった。あんまり会う気ないんだなーっておもった。だから無理やり約束できなかった。最近会いたいって言われた記憶もない。向こうが会いたいと思う前にわたしが痺れ切らして連絡しちゃう。
最近急に家いっていい?って聞いていいよって言ってくれたためしがないよぉ
今日はほんとごめんって毎回言われる。
はぅ こんなにもやもやして、向こうもめちゃ「なんで今日はあかんの?!」って言われまくってお互いいいことなくない?
ヤレるから付き合ってんの?キーーーープっすかぁーーーー?でもわたし、こんな気きついし言いたいことまあそれなりに言うし、大変なのにいつもよしよししてくれてありがとーーーって思います。
わたしからライン全然しないから、連絡ほぼなかったりするけどそんとき、2日に一回くらい近況報告のラインが来るのはうれしいよーーー。
なんかどやったら同じくらいのペースで会いたいって思えるんかなー
てゆかわたしんことほんとにすきなのかなーーーー
最初はすきだよって言ってくれてたけど
わたし全くすきって言わない人なんだけどそしたらお互いなんも言わなくなって、記念日もお互い知らないふり(向こうはふりじゃなくて知らないんかもw)だしわたしそれはさみしい。そう思うならすきって言ったがいいよなぁーーーと思って、すきだなぁっておもうし、いまよっぱらってるからラインですきだよーーーーっていったら
違う話題の方に返信はきたけどスルーされた、、、酔っ払ってる感でとるからかな?w わたし酒めちゃのめるけど彼氏飲めないんよなぁー お酒の席の普段言えないこと言えるやつ2人で飲みながらやってみたいなぁー
すきだよーーーって返してほしかったけど、そうだよねわたしが望むセリフが返ってくるために会話してるわけじゃないもんね
わたしはとりあえずもっとコミュニケーションとりたいし、いつもみたいに平日の夜に会うだけじゃなくていろんなパターンで一緒の時間過ごしたいよーっ
忙しいのがんばってね
って思うけど別れて次いったがいいのかなぁ、、、会えたら楽しいけどなぁ
オーディションに落ちた部員たちに対し、滝は「悔しさは宝物であり、これを糧に努力すれば今より格段に上達するので、がんばってほしい」と叱咤激励。
落ちたメンバーたちは、2年部員の名前の一部をとってチームもなかと自称することにする。
葉月はしゅーいちとぎこちない会話をし、大丈夫だから、と強がって見せるが、全然吹っ切れていなかった。
こんなことなら告白なんてするんじゃなかったとみどりに愚痴るが、みどりはそんなことはない!と励ます。
本番が近づき、お守りを作ることに。
葉月はこっそりしゅーいちのぶんを作る。
ポニテ先輩はそれをたまたま見ており、二人きりのかえり道で葉月を抱きしめて「後悔しないように」と元気づける。
当日、太鼓のバチの忘れ物を届けるために葉月は走り、間に合う。
本番直前、舞台袖で、しゅーいちと久美子が拳をコツンとぶつけて無言でエールを交わしているのを見て、葉月は、寂しそうに、でもどこか安心したようなすっきりしたような顔で、みどりにエールを送る。
個人的によかったのはチューバを背負おうとしたときにガニ股になってた葉月が、しゅーいちに見られてるのに気づいてそっと内股にもどした絵芝居!
エロさや下品さや変なカメラワークもなくあくまで自然に見せられてすげえって思った。
走る芝居、走ってる途中でつんのめるような絵芝居もほんといいわ。
ポニテ先輩も相変わらず可愛すぎ。
かえり道で胸元パタパタしてるのがよかった。
オリジナル回だったけど、原作を完全に理解した上で昇華しきった感がある。
原作全部読んだけど、正直原作をそのままアニメ化しただけじゃここまで面白くはならないレベルの内容だった。
職場でプチ話題のばずわーどITC(意識高いカフェ)について前回書いたれいむだよ。
れいむ要素がないというつっこみをうけたので、ゆっゆっと跳ねながら本日も探訪にでかけてみる。俗にいう連載第二回だね。
職場ではITCが話題なんだけどじゃあ逆はどうなんだ? IHC(意識低いカフェ)はあるのか? でも考えてみたらそもそもカフェって言葉自体がおしゃれなものだから意識低くなったりはしないんじゃないかなーすべてのカフェは意識高いんじゃないかな? でもある。あるんだなー今回はそんなIHCを紹介するよ。
れいむの住処は東京東部の23区底辺にあるよ。職場は都心部なのでITが優勢だけど、このへんはまだまだ下町なのでIHもたくさんある。そもそも人間おのずとおしゃれ度には個人差があると思うんだよ。久保帯人師匠みたいにポエミーで霊格の高いソウルはおしゃれ度の高いカフェでお茶が飲めるけど、霊格の低い下町の人間はあんまりにも霊圧の高いカフェに入ると自我が崩壊してしまう。何にせよほどほどの場所が必要なのだ。
とはいえ、23区内では下町とはいっても一応東京都内ではあるのでそこまで乱暴なカフェなどそう多くはなく、代表的なところはプロントとかBekkersとかワイアードくらいか? ドトールやら(ちょっと外れるが)ミスタードーナツなどのファーストフードチェーンなどがその任務にあたっている。みんな普通の顔をして利用しているよ、ゆっゆっ。
最近隣町に大学ができたので学生さん多め。参考書を広げる光景をよく見ることができる。参考書って見てみると不思議だなあ。大学生って色んな種類がいるので、自分が通らなかったルートの読んでる本とかちんぷんかんぷんなんだが、今の大学生って資格受験の参考書とかが多いのかな。それともあれは学校の授業じゃないんだろうか。このあいだ一心不乱にWikiをコピペしてる学生さんを見た。どうでもいいけどAirMacのタッチパッドってコピペにはむいてないデバイスだとおもうんだよなあ。マウスのほうが使いやすいよ。
さてそういう中途半端なチェーン店はいいとして、下町の本格的IHCについて。
IHCとはいえそれって別に侮辱するような意図はないのを断っておきたい。ぽいんぽいんと跳ねながられいむは主張するよ。
本格的IHCは下町的な居心地の良さを追求したカフェなんだよ。いわば、ゆるカフェだよ。いくつかの特徴を紹介するよ。
2)ラテの注文が来ると微妙に手間取る。でも380円でのめる。
3)有線放送ではAKB48がながれる。たまにセイカイノオワリとかいうのが名前の割にはちっとも終末感のないポップスを歌う。
こんな感じの特徴があってれいむのす住処の街には数件確認できたよ。実は意外に居心地が良いのでたまに利用しようと思った。意識は低いけど。顧客の年齢層が高いのもいいかんじだよ。あんまりうるさくないしね。老人多め。そういえばメニューに日本茶が数種類あったなあ。
感銘を受けたのが、ある日のランチが「シラスいり卵かけごはん」「明太子卵かけごはん」「鮭バター卵かけごはん」「ネギだく卵かけごはん」の4択だったことだよ。強い意志を感じたよ。もしかしてIHCっていうのは強い意志でIHなこことを選択したITCなのかもしれない。れいむのカフェめぐりもまだまだ修行が足りないって思ったよ。
AするためにはBが必要
この単純な公式だけで行動する人は危ない
単純に思いつくのが
・がんばれば結果が出ます
目標:結果
戦技:戦法を選択する理由と成りえる要素
戦力:戦技を使える要素
の組み方ではないか
例
戦術:毎日飲む 毎日のめるものを選択する 毎日のんで結果がでることを確認する
戦法:味量タイミングを確認する 価格入手方法を確認する 自分に効果があるか確認する
戦技:(携帯を持っているので)わすれっぽいので携帯にアラームを仕込む お小遣いをためる 他の同じ成分でも自分にあっていたので効き目があると推測する
戦力:携帯の扱いが苦手ではない お小遣いに余裕をつくれる ダイエット成分について知っていることがある
目的:携帯のアラームでも忘れるなら使用をやめる お小遣いに余裕がなくなったらやめる 成分に効き目がなさそうと判断したらやめる
目標をまず掲げてあとはヤレという教育形態で育った人間は目標と目的だけあれば、あとは行動すれば結果がついてくるといった戦い方をすべて時の運まかせに無計画にすすめるのでサラリーマンは良く育つがリーダーは育たない土壌がある
列挙すると上から順に一つずつこなしていけばいい流れ図のように見えるが、それぞれの段階でそれぞれの取捨選択やそのための要素を収拾、調整する必要がある
図にしたならねずみ講の図のようになるだろう
三日で5キロやせるのにサプリを飲んだらやせる、実際やせましたといわれたら痩せるのかと
サプリが飲みたいのか痩せたいのかお金を払いたいのか何なのかはっきりすべき
痩せたいのであれば戦略的に運動、食事制限、サプリ、その他などからサプリを選ぶべきなのか
戦法的に他の戦術を選択するより有利な条件がすでにそろっているのか
ここまで見て、目標を変えるか戦略を変えるかする必要があるはず
その後はオンゴーイングで現場を調節していく、みため「不可能を可能にする指導者」系や、戦力を準備していて予定を調和させていく「軍師といわれる指導者」系などにわかれる
携帯は日常的につかってるしこれをダイエット×サプリの組み合わせに応用できるなら有利な点が一つふえる、といった形で多く選択の価値があるなら戦略を進める方向で決定づけれるし
戦力的にだれかがそれをしてくれる、またほかに自分が戦略を進める方向にあったときに補助となる問題回避策があればなおよし
これを「やっているうちにみつかる、やっていれば自然とあつまる」といった運のよさだけで乗り切るのは「乗り切った人の後日談」しかのこらない そのため成功率の伝聞は聞いた人としては「かなり高確率」
さらに「やってみなくてはわからない」につなげる人もでてくる 失敗したりもとより無理な可能性が大きいものにただ従わせるだけになることもある
最終的に戦力を投入して実施をした場合、どの段階で続行か中止かなどを検討するのに目的を設置していく
まず飲み始めでまずいとおもったらやめるか、やめないか 二日目では 結果はどの段階で など
三日目にならないと痩せるかどうかわからない(完遂しなくては結果ではない)とすれば、損切りができない
サラリーマンは月ごとに給料がでなくてはやる気にならないし、教育も定期的に点数がでないと将来役に立つといわれても微妙
実施の段階に合わせて実施結果に対する報酬を設定することを行動の目的とし、その結果ごとに戦略の維持や方向転換、中止などを検討する
半年がんばったが戦略を中止することになる などのアクシデントも発生するが、他の戦略立案の際に戦技、戦力として維持引継ぎを考えて戦略を練ることで「無駄ではない」という事が出来る
戦略の立案に際して「やればできる」とその内容関係なく開始をすると、その以前の結果で出来た資産をすべて放棄して取り組むことになる
毎回ゼロからはじめることに対しては大きなチャンスだが、少なからずなにかしらの経験や元手がある人間にそれをいきなり全否定されて、半ば洗脳のように「やればできる、実例がある」で
取り組ませるのは異常でもあるし、現実味がなさすぎる気がするがそうは感じないか?
同じものを食べても日本人はすぐに糖尿病になるが白人はその何倍も許容量がある デブ大国でも糖尿病がすくない現実がある
でも同じ人間だしとか意味不明 人によって結果が違うのだから 取組みも人によってことなるはず それは人種性別関係なくみな違うのだから皆ちがうはず
実際にやって背中をみせて俺はうまくいった それはよかったが それが隣の家でもできるかというのは 家族構成や条件や状況、それまで経過した中での運などもあわせてそっくり同じにできる方法がなければ無理だろう
それをこまかく記録して全部再現できるようにできれば応用もできるだろうけどもそんなデータを集めているのか
集めていないなら、それはたまたま運がよかった おちてた1000円ひろったと同じだろう
1000円の拾い方とか方法が確立できて本がかけるのかといえば 実際に拾ったんだからで通じるのか?
戦術:おもしろい教材をつかう 勉強すること自体が楽しいと思わせる 勉強以外にすることをなくす
戦法:IT教材を選択 勉強すればなにか結果を体感できる 勉強以外の時間を自然と減らす仕組みをつくる
戦技:学校教育と教材について検証と結果のデータ 教育方針の適不適判断 テストを自主的に行いその結果でご褒美を出す テレビやゲームなどの時間制限
戦力:学校教育と教材について幅広い知識の友人がいる 定期的なご褒美でもマンネリ化しないもの 抜け道のない空き時間管理または寄り道回復方法
目的:毎週自主テストの結果により毎週ご褒美 ご褒美がほしいから勉強するだけという単純な行動意識により継続をはかる また勉強させたい期間に対して継続や変更のタイミングをみる
最低限これくらいは考えて勉強の必要性を納得させにいく姿勢なく、エリートになった人をつれてきて勉強すればこうなると見せ、それに興味をもった子供が懸命に勉強した結果
不慮の事故で障害をもって予定していた道のすべてが閉ざされたとき、ふつうに絶望しないか?
はいまたやりなおし、新しいゼロからの戦略でいまからやりなおそう、って助言が救いになりそうか?
天才とよばれて幼少期をすごしてきてただの人になったら、ふつうの人になったときに軽く絶望しなかったか?
過去の経験がなにも役に立たない、再利用がきかない、無駄な時間、ただのたのしい思い出、になってしまっていないか?
また戦略どおりに行動が完遂したとして、出来上がるのは「勉強好きな人」ではないか?
勉強の結果を充分に発揮して「おかねをかせぐ人」になるのであれば「勉強好き」と「お金を稼ぐ」はイコールでつながるのか?
「そんなのやってるうちに」で作戦行動を開始して、その結果が運以外の何で構成されるというのか
べつに何事もがんばれば上手くいくってのなら問題ないしこんな話はきかなくていい 何の意味もない話だろう
もし明日の予定も完全ではなくなにか変わる可能性があるのだとしたら、変わったところで無駄になったところで、それを踏まえてさらに時間をすすめていける対応策は必要ではないか
やったらできる、やったからこうなったって姿をみたから、これだけですむならこんな話は全部無駄で意味がないノイズだ
自分が取り組んだことに対していろんな利益がついてきた、こんな幸運はめったにないだろう
それは姿勢とか考え方とか関係なく、むしろ運がいいと括られるものではないだろうか
資格や英語 の資格と英語に限って取り組む戦略を立てた時点で ほかの情報に対する勉強や交流や投資などを捨てていることになる
毎日早い時間に出社していたら、などの取組をしていない、この例をつかって早起きは大切だという事はいえなくなる
早起きはしていたかもしれない じゃあ新聞は読んでいたか 何新聞だったか どの記事でつかめたはずのチャンスを逃したか
言い出せばきりがないが それは戦略を選択した時点での取捨選択であり 運でもある
フランス語にしておけば利益は倍でとどまらなかったはずなのに などの可能性もあるかもしれない
イタリア語にした場合は家族離散で自殺、ということもあるかもしれない
またほかの人が英語からはじめてみよう、としたところで結果はわからない
それは戦力と目的で「英語が自分にとって武器となる」その効果を選択できるときには大いに力になる可能性はあるが
「そんなものはわからないが、成功例があるので自分にも適合するかもしれない」として
伝聞による情報のみで自分自身の状況と環境を加味せず選択したとすると、成功率は半分ともなれるか不安なところだ
単純な人間製造に貢献した戦後教育のおかげでサプリや情報商材が売れに売れて電話一本で詐欺もできる便利な時代が到来したわけだが
最初に書いたとおり、危ない安直さだが愚直だからこそ結果が大きく返って来るということもいえるだろう
悪くはない、人にやらせたければまず自分がやる、というのは自己の戦略のための戦力を準備する意味でもかなり意味があることだろう
今の時代背景的に、自分がやったから子供がついてきた結果家族円満、というそれだけの内容でも受け入れられるだろう
ただ、その方向で進んできて育成された文化がいまの若者を中心に街にある状況だ
私は、あんまりそれを良しとは思わないな
思い出したり、話そうとするだけで当時の感情が甦るもの、というのは誰しもあると思うのだけど、私のそういうものの1つに「2010年のピーター・アーツ」がある。
アーツは、K-1に最初期から参戦して、94年、95年、98年と3度世界一になったキックボクサーだ。
なかでも98年のK-1GP、3試合連続ハイキックでの1ラウンドKOは「20世紀最強の暴君」という二つ名に相応しい圧勝劇だった。
アーツは70年生まれだから、その頃はちょうど20代半ば。全盛期、ということになるんだろう。
そして当時中学生だった僕は、周りの男の子と同じように、その眩い存在感に憧憬の眼差しを向けていた。
空手出身の選手たちの華麗なそれとは違う、あの、大木を力づくでなぎ倒すようなハイキックは、中学生に「ああ、この人が世界一強いんだ」と思わせるには十分な説得力を持っていた。
そんな絶対的な力を誇ったアーツも翌年以降は優勝から遠ざかり、2000年代以降は若い選手の台頭もあって徐々にその存在感は薄れていく。
格闘技も一時の隆盛は終わり、年末に誰もが見る、という状況はあっという間になくなっていった。
そして2010年、アーツは40歳だった。彼はまだリングに立っていた。
試合前のPVでも40歳の誕生日ケーキを頬張る場面とともに「もう若い頃のようにはトレーニングできないよ」と話すシーンが流れるような、
優勝を争うファイターというよりは、完全な「往年のスター」扱い。
それでもファン投票で席を与えられたベスト16からなんとか勝ち上がり、準決勝にまで駒を進めていた。
212cmの長身から打ち下ろす角度のある攻撃を武器に、05年、06年、07年、09年と世界一になったディフェンディングチャンピオン。
05年の参戦以来、K-1GPでは一度も負けたことがないという無敵の絶対王者。
試合前の正直な思いは「どちらが勝つか」というものではなく「アーツはどこまでシュルトに抗えるか」というぐらいのものだったと思う。
「なんとか最後まで立っていて欲しい」とも思っていたような気がする。
それほどシュルトは強かったし、アーツの全盛期は既に過ぎ去ってかなりの時間が経過していた。
試合が始まっても、やっぱり展開は一方的だった。
アーツも192cmと大きい方だが、それでも212cmのシュルトとの身長差は20cmある。
全ての攻撃が上から非情に降り注ぎ、アーツの攻撃は腕や肩に阻まれてうまく当たらない。
何度もふらつき、目の上から流血しながら、それでもアーツは懸命に前に出続けた。
アーツの突進をいなしながら、シュルトは笑っているように見えた。
とでも言いたげな表情は完全に余裕で、あまりにも憎らしく、そして試合の行方についての見通しはどこまでも絶望的だった。
一方的だった試合の流れが変わったのは、2Rの終盤。
本来は端正なフォームのアーツが、のめるように、のしかかるようにして放つ、やぶれかぶれと紙一重の攻撃が何度かシュルトを捉え始めていた。
それでも、インターバルでコーナーに帰ってきたアーツは全身がボロボロで、シュルトの顔には傷一つなかった。
映像を見返すとシュルトの表情には明らかな困惑の色が浮かんでいるのだけど、当時はその時点でもまだまったくアーツの勝利を信じることができずにいた。
「できれば最後までこのまま行って欲しいけど、さすがにそれは難しいんじゃないか」
でも最後のラウンドが始まると、リング上の景色は一変していた。
アーツの鬼気迫る攻撃に押され、シュルトがクリンチに逃げることしかできない。
振り回すように放つアーツのパンチが顔を捉え、キックは脇腹にめり込んだ。
有効なダメージは通っていない。それでも、シュルトは完全に気圧されていた。
防戦一方のでシュルトに消極的姿勢で減点が与えられた後もアーツの攻勢は止まず、そのまま3分間が過ぎた。
僕は「倒してくれ」と願うよりも「反撃しないでくれ」と祈っていたような気がする。
そして終了のゴングが鳴った瞬間、アーツは勝利を確信して両手を突き上げた。
目の上から流れる血をタオルで押さえるアーツと、無傷のシュルト。
それでもどちらが勝者かは、2人の表情が何よりも雄弁に物語っていた。
2-0の判定で勝利したアーツの、控え室へ戻る足取りは、全てを使い果たし歩くのも精一杯なほどに重たく見えた。
その後行われた決勝戦は、1RでKO負け。
覚えているのは、巨大な、絶対的な強さを誇るチャンピオンを、40歳のアーツが圧倒していたあの数分間だけだ。
僕は今でもこの光景を思い出すたびに涙が出そうになるし、あの瞬間のアーツは世界一格好よかったと思っている。
最後の相手はアーツが初めて世界一になった時と同じ、24歳の若者。去年のヘビー級トーナメントチャンピオンだ。
でも僕は1998年と、2010年と、そして2013年のピーター・アーツを見られたことを幸せに思うし、あの、勇気に溢れた数分間を忘れることは絶対にないんだろうと、今はそんな風に思っている。
しかしプログラミングなどの情報系らしい活動をほとんどしてこなかった。というかサークルも一年のおわりにやめてしまったし、バイトもしたことがない。準引きこもりのような状態なのかもしれない。
工学部だったが情報系ではなかったし、バイトもしていたけれど、二年の夏にサークルは人間関係でやめた。人前で話するのが苦手だったので塾講をやっていたし、割がいいのでカテキョやったりしたが、結局今身になっているかというとそれほどなっていない。別になにもやってなくてもいいんでないの。
二年次の夏休みあたりから、今いる環境を生かせそうなものを考えた結果、多少興味の沸いたいくつかの情報系の技術分野の参考書で勉強してみようとしてみたものの、難しくてほとんど分からない。というか、技術書の独学の仕方が未だによくわからない。
大学一、二年の基礎的な数学は特に工学系、情報系の人間にとってはなにがやりたいのかよくわからんのでつまらない。ただまぁ損ではないのでこれから必要に迫られたらどの教科書を見ればいいかくらい頭のなかにインプットしておけばいいんでなかろうか。技術系の本だが、難しいの背伸びして読んでもたぶんつまらん(わからないから)。自己啓発系のコードコンプリートやビューティフルコードなんかも多分つまらんと思う(必要性がわからないから)。文法書もやめたほうがいい(あれは字引だから)。
君が買うべきなのは「10日でできるアンドロイドアプリ」(あるのかどうかしらんが)みたいな本。ほんでクソみたいなアプリを作ってニヤニヤしながら公開すればいい。たぶん誰も使ってくれないが、自己満足にはなる。Wordpressなんかで配布ページを構築してみれば何日かは潰れるだろう。本にはないだろうが、そのコードを使ってテストを書こう。テストを書くとだいぶいろんなことが分かるし、何よりテストはすぐに動く。頭も使う。たぶん楽しいはず。
ここで大事なのは、世の中には「増田?何ですかっていうか誰?」みたいな人があふれているということ。増田を知っててブックマークするような人でも実際に手を動かす人なんて少数だということ。クソみたいなアプリでも作る人なんて滅多にいない。
Wordpressをうごかすのなんて10分あればできる。だが、世の中にはそれすらやらない人がいる。Wordpressってなに?って人はもっと多い。会社に入ればxamppでlampp環境をすぐに作れるやつがいるだけで(ウェブ系でなければ)じゃぁとりあえず開発環境作っといてってたのめる。これはアドバンテージだ。
おれが学生だった頃はまだブログが出るかでないかの頃で猫も杓子もAJAXやCSSの時代だった。俺はそれで過去問配布サイトを作ったが意外に未だに後輩に利用されているようだ。だがどう見てもクソ。UIもクソ。たまたま過去問配布してたからひとがきてただけで「Welcome My Page」と何が違うのかと言われればなにも違わない。それでも作る人は殆どいない。
世の中なんてそんなもんなのだ。
モチベーションを維持することが出来ない。継続的に他者との交流を得られる場所を見つけられればそれで何とかなるのかもしれない。
別に寝食忘れて一年、二年と継続する必要はない。ちょっと気が向いて二、三日遊んで、それで飽きて放り出したっていいじゃないか。
必要に迫られれば大抵のことはできる。増田だってたぶん二十年くらい必要に迫られたり、できて当然だと思わされて、なんとなく出来るようになったことは多いはずだ。だらだらできるのなんて今のうちだけなんだから、ゲームしたり漫画読んだり、一人寂しく旅に出たり、海外に行って怖い目に遭ったり徹夜したり病気になったりするほうがずっとこれからの人生の役に立つ。
プログラミング等のアルバイトを始められればいいのかもしれない。しかしアルバイト面接に持っていけるような、今までの成果物などもとくに無い。
Web系でなくていいなら、アルバイトはそれなりにある。学生課とかいけば斡旋されていることもよくあるし、まぁそれにプログラミングなんて会社入ればどうにかできるようになるので(今後研究などでもガンガン組むだろうし)、別のことすればいいんじゃないの。工場で働いてみるとか。
明確な目標を立てて生きてる人間なんてほんの一握りだよ。それにまだ若いんだから別にいいじゃん。時間はたくさんあるんだし。
なにか自分に人並みに適正のあるものを見つけて、それを学び、モチベーションを維持できる環境を見つけたい、それが大学院なのであれば進学したい、そういうぼんやりとした希望だけが浮かぶ。学部一年のころから分かっていたそこから進歩していない。
復習は大事なのでしておいたほうがいい。どうせ図書館とかで勉強しているなら、なんとなくその辺の本をとってきてななめ読みするとか、洋書の教科書で復習するとかおすすめ。
しかしずっと一人でいると、数学など苦手な勉強の集中力はどんどん落ちるのを感じる。twitterやネットサーフィンに逃げてしまう。一日の終わりには周りとの差は開いていく一方なのではないかと不安になる。
そりゃみんなそうだ。暇つぶしは逃げ道なのだから、あればみんな逃げる。でも別段周りとの差はそんなに開いてない。気にすんな。気に病みすぎて自分を壊さないように気をつけてください。
だとすると、なおさら余計に周りに行動力のあるキラッキラした人が多くて焦るとは思うしそれに目を奪われがちだが、気にすんな。まぁ留学したいとか考えているようならもうちょっと頑張ったほうがいいとは思うが。
あとがき:
これほど反応があって驚いています。皆様、ありがとうございました。色々ありますが、この記事で伝えたかったのは、私のような、「コップ一杯のビールも飲めないタイプ3の下戸が存在する」という事実です。私がR25の記事を読んで最初に疑問に思ったのは、件の記事の著者が、タイプ3の下戸の存在を知らないのではないかと思ったからです。「いくら下戸といっても、コップ一杯のビールぐらい飲めるだろう」、と、そのように思っているのではないかと感じましたし、私の経験上、そう考えている上戸の方は大変多いと思います。
結局、タイプ3の下戸の存在を知らないと、どうしても「コップ一杯のビールぐらい飲めるだろうに、それすらしたくないのだろうか」、「仲間に加わりたくないのだろうか」というように感じてしまい、「自分勝手」とか「わがまま」とか「協調性がない」といった誤解を招きやすいのです。確かにタイプ3の下戸は5%しかいないので、たまたま、知り合いに一人もタイプ3の下戸が存在しないこともありえますので、普通の人が我々の存在について無知であることは致し方ない部分もあります。(本当は、中学・高校で1コマ時間を取って、我々の存在を教えてもらえるだけでよいのですが・・・)ただ、アルコールの専門家を自認する人には、我々の存在は知っていてしかるべきであると思います。件の記事の著者を私は存じ上げませんが、私には、「どうも、この人はタイプ3の下戸の存在を知らないのではないか」と感じられたので、この記事を書いたのがきっかけです。
イッキ飲みのような、大量にアルコールを飲ませるような行為は危険性が重視されて社会人の間では避けられるようになってきましたが、それの根底には、「誰でもイッキ飲みが出来るわけではない」ことが明らかであるという事実があります。ある事柄が、社会的に「皆がやるべきこと」として認められるためには、前提条件として、まず「誰でも可能な事柄」である必要があり、「イッキ飲み」は明らかにそれに該当しません。一方、同じアルコールでも、「最初の乾杯はビール」は、「誰でも(下戸でも)ビール一杯ぐらいは飲むことが可能」と思われてしまう節があります。
「最初の乾杯はビール」もだんだん行われなってきてはいますが、「下戸だって本当はビール一杯ぐらいのめるはずなのに、協調性がないからビール一杯すら飲まない」などと思われては仕方ありません。そうではなくて、「ビール一杯でも飲めない下戸が存在するのだよ」ということを、ちゃんと知ってもらう必要があると思い、この記事を書いた次第です。
追記1:「愚痴っている暇があれば工夫せよ」という意見を見かけたので、僕自身がどのような工夫をしているかを書きました。「迅速に乾杯したい」というニーズがあることはもちろん百も承知で、臨機応変に色々考えて「最初はビール」を断っています。
http://anond.hatelabo.jp/20090324213407
追記3:「愚痴っている暇があれば幹事をやれ」という意見を見かけたので、下戸が幹事をやるべきかどうかについて書きました。率直に言えば、下戸が幹事をやるべきかどうかは場合によると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090325095112
追記4:追記2の「鍛えると強くなる」の原理について、自分も「正常な遺伝子が働き始める」っていうのは厳密にはおかしいと思っていたのですが、ちゃんと解説してくれた人がいたので、リンクを張っておきます。
http://anond.hatelabo.jp/20090325114537
追記5:「まずは東大に入れ。話はそれからだ。」というトラックバックを見つけましたが、僕は東大卒ですww英語Iで「優」取るために、The Universe of Englishを丸暗記するのは大変でしたよね。丸暗記しなくてもよく読んでいれば「良」は取れますが。東大は努力すれば入れますが、下戸は努力しても飲めるようにはなりません。
http://anond.hatelabo.jp/20090325212150
追記6: はてブより、「同性愛の例示がクソむかつく。私らのほうが日常的に異性愛を押し付けられて、逆なんてほぼありえないのに!本当に苦手だとしても、こうやって繰り返しホモフォビックな反応を分かり易い一例として使われるのは不快。」というご意見がありました。お気持ちお察しいたします。申し訳ありません。ただ、僕も、最初は、「クソむかついた」からこの記事を書いたので、記事の訂正はしません。結局、本質的な問題は、マジョリティとマイノリティの対立なんですよね。喫煙ではマジョリティが喫煙者から非喫煙者に変わったために、状況が変わっただけで、マイノリティが不遇な目に会うという点では同じだと思います。
下戸なんだよ。下戸って言うのはね、要するに、普通の人でいう二日酔いの症状が、酒を飲んだ瞬間に出るんだ。二日酔いになると、頭ガンガンして辛いだろう?あれが、ビール、コップ一杯飲んだだけで、出るんだよ。ジョッキじゃないぞ。200mlぐらいのコップだ。二杯飲むと、トイレ直行で吐くんだよ。俺、吐くのはやだし、周りの人間も、飲み会で俺のゲロみてもしょうがないだろう?だから、飲まないの。
http://r25.jp/b/honshi/a/ranking_review_details/id/1112009030214
藤原ヒロユキ:「ですから、お酒が苦手な人が、乾杯だけ飲酒に付き合う場合にも、ビールはとても適しています。」
いや、ビールが好きな奴の間で、あーだこーだ言ってもらう分には全然かまわん。なんっで、「お酒が苦手な人」が、乾杯だけ付き合わなくちゃいけないんだよ!下のように、酒以外のものに置き換えると、いかに異様な文章かわかるだろう?
・「タバコが苦手な人が、一服だけ喫煙に付き合う場合にも、この銘柄はとても適しています」
・「同性愛が苦手な人が、一回だけ同性愛に付き合う場合でも、キスはとても適しています」
アルコール中毒の人が医者に行くと、嫌酒薬っていう酒を飲むと気持ち悪くなる薬をもらうんだが、下戸の人間は、常に嫌酒薬を投与されているのと同じ体になっているんだ。日本人の5%は、遺伝的にこの体質。「苦手な人」ってね、「苦手」どころの話じゃないよ。吐くの。コップ2杯で。ゲロゲーロ。俺のゲロ見たくないでしょ?
まぁ、でも、俺は無理して飲んでも吐くぐらいですむからいいけどさ。アルコール中毒の人にお酒すすめちゃったらどうするの?それで、飲酒運転で事故起こしたり、家に酔って帰って家庭内暴力の引き金になったり、色々考えられるけど、あなた、責任取れるの?
不思議なことに、これがタバコだったら、「吸わない人に付き合いでタバコを勧めるなんて、相手が肺がんになったら責任取れない」という意見には、割と納得してもらえると思うんだよ。なんで、酒だとダメなのかなぁ。不思議だなぁ。付き合いでタバコ吸って肺がんになるのは、まだ自業自得の範疇と言えるかもだけど、付き合いで酒を飲んで酒癖で事故起こしたら、自業自得じゃすまないはずなのになぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20090324221109
http://anond.hatelabo.jp/20090324225008
http://anond.hatelabo.jp/20090324224532
「酒が飲めるように努力しろ」「遺伝だから仕方ない」の、お決まりの議論が出ましたが、正確な知識を持っている人が少ないので、ここにまとめます。結論から言うと、日本人には「下戸遺伝子」と呼べるものが存在して、次の三種類のタイプが存在します。「酒豪遺伝子」は存在しません。「下戸遺伝子」の有無で決まります。
このうち、2のタイプの人は飲むとすぐに赤くなりますが、正常な遺伝子も持っているので、鍛えると正常な遺伝子が機能し始め、強くなります。一方、3のタイプの人は、下戸遺伝子しかもっていないので、鍛えても強くはなりません。僕自身は3のタイプで、父親が3のタイプ、母親が2のタイプです。
自分の経験で言うと、同じ「酒に弱い」でも、2のタイプと3のタイプの間には、大きな差があります。2のタイプは酒に弱いとはいえ、乾杯のビール1杯ぐらいなら難なく飲めるので、今回のような問題は避けられます。3のタイプは、本当に、ビール1杯~2杯で頭がガンガン、ゲロゲーロ、普通の人で言う「ひどい二日酔い」の症状が出ます。そして、3のタイプの人は、5%しかいないので、存在そのものが知られていません。特に、2のタイプの下戸の人の中には、「最初は弱かったけど鍛えたらのめるようになった」という経験を持つ人がいて、3のタイプの人も自分と同じだろうと思い込み、「お前も鍛えれば飲める」という発想に至ってしまうのです。
このように、下戸遺伝子は、簡単に言うと、どれぐらいお酒を飲むと二日酔いの症状が出るのかを決定するものです。下戸が「飲めない」のは、コップ1杯のビールで二日酔いになるからです。大変誤解が多いですが、下戸であるかどうかは急性アルコール中毒へのなりやすさとは関係ありません。急性アルコール中毒は、単純に、体重に対するアルコールが多すぎると起こります。下戸は、ちょっとのアルコールでも二日酔いの症状で気持ち悪くなるというだけで、下戸でも体重が重ければ急性アルコール中毒にはなりにくいです。
下戸遺伝子は、白人や黒人にはありません。2万年前に起こった突然変異が、モンゴル人・中国人・韓国人・日本人など、東アジアの人間を中心に広がったものです。実際、下戸遺伝子を持つ人がいるかどうかは、ある民族にアジア人との混血があるかどうかを調べるのにも使われています。
この下戸遺伝子の正体は、DNA中の、ALDH2という、酒を分解する時にできる毒(アセトアルデヒド)を分解する酵素の設計図が、一文字変わってしまい、酵素が壊れてしまったことによるものです。アルコールを分解する途中で、アセトアルデヒドという毒ができるのですが、このアセトアルデヒドは頭痛・吐き気といった中毒症状を引き起こします。これが、二日酔いです。下戸はアセトアルデヒドの分解速度が遅いために、どんどんアセトアルデヒドがたまって、すぐに中毒になります。
とにかく、下戸には3種類いて、本当にコップ1杯でも吐く3のタイプの人が5%存在する、と言うことだけでも覚えて頂けると幸いです。
参考文献
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルデヒドデヒドロゲナーゼ
http://ja.wikipedia.org/wiki/モンゴロイド#.E4.B8.8B.E6.88.B8.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90
専門家の方へ:酵素が壊れるんじゃなくて、正確には、「四量体になって活性が失われる」んだ、とかその辺の科学的な細かい間違いは、僕も分かってます。ただ、「活性が失われる」とか普通の人に言っても、通じないので、「壊れる」と表現しました。「新モンゴロイド」という言葉も、硬くなりすぎると考え、あえて使いませんでした。